「音楽と現代」グスタフ・マーラー編



96年4月17日 イスラエル発行

グスタフ・マーラー(1860-1911)は、アントン・ブルックナー(1824-1896)の和声学の講義をヴィーン大学で受け、更に交響曲第3番の4手ピアノ連弾版を編曲し、彼の死後、ウィーンフィルハーモニーで彼の交響曲第6番を1899年に初演するなど、後期ロマン派の巨大交響曲の流れを受け継いで、生涯で未完を含めて10曲(大地の歌を入れて11曲)の長大な交響曲を作曲し、作品の長大さでは師のブルックナーをしのいでいたが、作風は全く異なっており、独創性に満ちたものとなっている。表題の切手には交響曲第2番ハ短調「復活」から第4楽章の「原光」(Urlicht)の部分から図案化されている。これは、ドイツ民謡歌曲集「子供の不思議な角笛」(Knaben W"underhorn 1806-08)のテキストに基づいている。


URLICHT

O R"oschen rotk! Der Mensch lieght in gr"osster Noth

Der Mensch lieght in gr"osster Pein!

Je lieber m"ocht'ich Himmel sein!

Da kam ein Engelein und wollt' abweisen!

Ah nein!Ich liess mich nicht abweisen! Ich bin von Gott wird mir ein Lichtchen geben. wird leuchten bis in das ewig selig Leben!

ああ、赤い小さな薔薇よ!

人間の生きる苦しみはどんなに大きい事か!

人間の生きる苦痛はどんなに大きい事か!

この苦しみから逃れる為に私は天国に行くのだ。

私には天国へ続く広い道がある。

なんて事か天使がやって来て私を邪魔しようとする。

ああ、駄目だ!絶対に退くものか!

私は神様の元から来て神様の元に帰るのだ。

神様は私に小さなともしびを与えてくれるだろう。

とこしえの至福の生にまで私を照らしてくれるだろう。





95年3月21日オランダ発行 第2回マーラーフェスティバル

第7交響曲の楽譜

マーラーは、19世紀に生まれ、1911年という2つの世界大戦の悪夢を目にする事なく、世を去って行った。晩年の1907年12月21日にアメリカの到着し、ニューヨークフィルやメトロポリタンオペラを指揮した。秋から冬までのシーズンをニューヨークで、春から夏までの休暇とヨーロッパのトプラッハと言う風光明媚な中国の山水画を思わせるようなどこか東洋的な雰囲気の別荘で晩年の名作を生み出していった。大地の歌や、交響曲第9番に取り組んだ。特に第9番はトプラッハで着手され、1910年にニューヨークで完成した。続いて未完の交響曲第10番の作曲に取りかかった。次第に身体が弱っていった1911年4月8日にこの地と永遠の別れを告げてヨーロッパに戻った彼は生涯を閉じた。衰弱したマーラーの目は既に爛熟していたヨーロッパ文明とこれから、台頭するであろうアメリカ文明の動きをとらえた事であろう。「やがて、私の時代が来る」との予言通りに、大きな受難の後に異常なまでに肥大化した機械文明が支配する時代がやって来て、主体性を失った現代人が彼のシンフォニーを天を仰ぐ様に聞き入っている。この意味で音楽と現代のテーマに彼ほどふさわしい作 曲家はないだろう。

マーラーの音楽は既に調性の限界まで拡大され、交響曲の様式も既に伝統的なソナタ形式を逸脱しており、ブルックナーの時代から始められた大胆な和声法は、彼によって更に新しい次元にまで高められている。彼の弟子達の中には新ウィーン学派の中心的な存在であったシェーンベルクがいるが、彼については、音楽と現代「シェーンベルク編」を参照されたい。


クレンペラー(1885-1973)は、マーラーが信頼した愛弟子の一人であった。20世紀を代表する大指揮者であり、後期ロマン派の規模の大きい作品の演奏を得意とし、マーラーの作品では「大地の歌」の代表的な録音(クリスタ・ルートヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリヒ/ニューフィルハーモニア管弦楽団のCDがある。



レナード・バーンスタイン(1918-1990)は、アメリカを代表する指揮者であり、特にユダヤ同胞のマーラーの作品の演奏に優れていた。また、ユダヤ民族をテーマにした作品も作曲している。


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