「音楽と現代」ヒンデミット編


作曲家ヒンデミット誕生100年

作曲家パウルヒンデミット(1895-1963年)生誕100年を記念して発行された。なくなったのは今から、33年程前で、長い音楽史からみると現代音楽の時代まで生きた事になる。ヒンデミットが生まれた前の年のドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」が初演される。戦後、ウィーンフィルとともに来日した。ストラヴィンスキーとともに「新古典主義楽派」とされる。代表作交響曲「画家マチス」、「ヴィオラ協奏曲」等のほか、多くの室内楽作品を作曲している。ヒンデミットは、実はユダヤ人ではなかったが、ナチのいわゆる理想的な芸術作品であるワーグナーの楽劇やリヒャルト・シュトラウスの作品の理想とは違う方向性を持つ音楽であったので、ユダヤ人以上にユダヤ的な作曲家とされ攻撃の的にさらされた。ナチのユダヤ人音楽家弾圧の激化でヒンデミットの立場も危うくなったが、フルトヴェングラー(1886-1954)は新聞上に「ヒンデミットの場合」と言う論文を発表しヒンデミットを擁護すると共にナチスの音楽政策を批判した。「画家マチス」はもともと歌劇「画家マチス」であったが、ナチスによって上演禁止となった。内容は、ドイツ宗教戦争時代の画家マティアス・グリューネバルト の生涯を扱ったものだが、暗にナチスドイツを批判したものだった。交響曲「画家マチス」はこの歌劇の序曲や前奏曲を集めたもので、1934年3月フルトヴェングラー指揮ベルリンフィルで初演された。この事がナチスのフルトヴェングラー攻撃のきっかけとなったが、フルトヴェングラーはベルリンフィル、ベルリン国立歌劇場辞任を公表し断固抵抗した。結局、ヒンデミット当人は耐えきれずに1939年指揮者のブルーノワルターと共に米国に亡命した。

ヒンデミットを擁護した大指揮者フルトヴェングラー


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