切手で見るリュート、ギターの歴史 その1 古典派以前

古典以前のギター音楽

バロックギター(ワトーの絵画から) モルディブ 1970年

17〜18世紀にかけては、バロックギターと呼ばれ、複弦(一つのコースに2本のガット弦が張られていた)を持ち
見事な装飾が施されていた楽器でした。フランスの宮廷ではルイ14世等ギターが愛好され、数々の作品が生まれました。ルネッサンス以前はリュート音楽が主流でしたが、スペインにはビウエラと言う独自の楽器が存在し、ギターの先祖と考えられています。ちょうど、信長の時代で来日した宣教師等が日本で演奏した可能性があると言われ

ています。



リュート音楽の歴史


 リュートは、時代的に分けて中世、ルネッサンス、バロックに分類されギターよりもずっと長い時代活躍しましたが、バロックの後期には、あまりにも構造が複雑で楽器自体大型化(鍵盤楽器に匹敵するような複雑な楽曲が演奏可能で、クラブサン、チェンバロが登場する前は、リュート音楽が主流であった。)した事と、弦が増えすぎて調弦が難しくなった事、演奏上の限界等で次第に鍵盤楽器に地位を奪われて行きました。現代では古楽の復興で再び活発に演奏される様になり、楽器も製作されています。


中世のリュート



 中世のリュートは弦の数も少なく、歌の伴奏に使用されていたようです。源流はアラヴィアで使用されていたウードが元になった楽器と言われています。中世の器楽音楽はオリエント世界から影響を受けていたようです。当時のリュートの様子は、教会のステンドグラス、絵画等に面影を辿る事が出来ます。

リュートとヴィオールを持った天使 1973年ハンガリー



リュートを持った天使(左利き?)1972年イギリス


ルネッサンスのリュート




 ルネッサンスになり、民衆音楽の勃興と器楽の進歩によりリュートは当時の音楽の中心的な存在となりました。当時の教養としてはリュートが上手に弾ける事が条件であり、街の「リュート塾」が流行りました。あの天才学者ガリレオ・ガリレイの父親もこういった教師をしていました。ジョン・ダウランド(1562−1626)により、リュート歌曲は芸術の域にまで高められました。シェイクスピア(1564−1616)の戯曲までリュート音楽が取り上げられています。当時の楽器は、13コースと次第に弦の数も増えて複雑なポリフォニー曲の演奏も可能になりました。演奏の為の記譜法もタブラチュアと呼ばれ、発達し楽譜が商業的に出版された事も普及に役立ちました。

ルネッサンスリュートもしくはマンドーラ カナダ 1981年発行

1981年バンクーバで1980年に開催された楽器展覧会に出品された。


ルネッサンスリュート ソ連1966年

ルネッサンスリュート 16世紀絵画より チェコ1982年


バロックリュート〜最後の輝き




 バロックの時代に入ってもリュートは上流社会の楽器でしたが、作品が徐々に複雑化する中でリュートも更に弦の数を増やしたり、低音を専門に受け持つ楽器も出てきました。当時の奏者は、調弦の時間の方が演奏時間よりも長かったようです。

バッハの肖像


ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685−1750)の頃にはリュート音楽は廃れていましたが、それでもヴァイス(1686−1750)の様な優秀なリュート奏者がいてバッハも彼の演奏を聞いたと考えられ、リュートの為の作品を残しています。しかし、バッハの時代でリュートの音楽は終わりとなるのです。作品は、この楽器の為に書かれたものとしては最高水準に達しています。

          

バロックリュート 西ベルリン 1973年     バロックリュート ルワンダ 1969年




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