【山域山名】 奥穂高岳〜前穂高岳(北アルプス)
【山行形態】 縦走
【山行日程】 1996年4月30日(火)[n]〜5月4日(土)
【メンバー】 藤村貞之、住吉匡


4月30日(火) 曇り時々晴れ

平針──沢渡
17:00(車)21:20

 17:00に平針を出発。途中恵那サービスエリアにて夕食をとる。21:20に沢渡に到着。駐車場に車を停める。明日の天気は雨ということなので、テントは使わず共同装備を分けパッキングを済ませてから車で寝る。


5月1日(水) 雨

沢渡──上高地(1,500m)──明神──徳沢──横尾──涸沢(2,300m) 【7:10】
5:10
5:25
6:30
7:30
8:45
12:20

 4:00起床。沢渡を4:51発のバスに乗る予定だったが、このバスが臨時便のためかこない。そのままバス停で待っていると、タクシーが私たちの前で停まったので、タクシーで上高地まで行くことにする。このタクシーがとんでもなく飛ばし、15分で上高地に着いてしまった。計画書を提出して出発。ところが、5分もたたない内に雨が降ってきたのでカッパを着る。8:45に横尾に着き、ここで昼食をとる。横尾から川の真ん中を通る冬用のトレースがありまだ使われているが、我々は一日前にできたという高巻きのトレースを使う。こちらの方が、アップダウンがあり多少きつい。1日雨に降られびしょ濡れになり涸沢に到着。ガスがかかっていて明日登るルートが確認出来ない。とても寒いので、小屋のストーブにあたった。テントを張りストーブを使うが全然乾かないので、便所に行くついでに再び小屋に入りストーブにあたって衣類を乾かす。夕食をとり18:30に寝るが20:00頃起きて、ラジオの天気予報を聞く。明日午後からまたまとまった雨が降ると言うことなので、北穂からの縦走はやめて穂高岳山荘まで上がることにする。


5月2日(木) 雨のち曇り

■涸沢(2,300m)──穂高岳山荘(2,983m) 【2:20】
7:00
9:20

 4:30起床。小雨が降っている。朝食を済ませ、テントを撤収して7:00出発。見える範囲では、すでに3パーテーがとりついている。我々も後を追うようにしてトレースに沿い登る。かなり急なので30分ほど登り1回目の休憩をとる。この日はこのようなペースで4回ほど休憩をとった。夏は半ば当たりから尾根にとりつくようだが、トレースは左に外れてついている。後半はトレースが大股になり重荷が堪えるが、以外とあっけなく9:20に穂高岳山荘に到着した。この日は小屋に泊まることにし、早速昨日の雨で濡れた装備を広げて乾かす。時間がかなりあるので、昼寝をしたり、本を読んだりして過ごした。特に吊尾根の写真を探してじっくり観察した。厳冬期の写真では尾根より岳沢側に数mよっているきれいなトレースがついていた。この写真を見る限り尾根上を歩いていけるようだ。15:00より写真家の※岡田 昇さんと、小屋の主人である今田 英夫さんがみんなに話を聞かせてくれた。二人とも本で読んで知っていたので、生で聞く話はとても興味深かった。夕食の時に、以前白稜会に見学に来たことがあるという若い男の人と話をした。彼も涸沢から今日上がってきたそうだが、11:00頃小豆沢で雪崩があり5m横を通り過ぎたそうだ。前日の雨でだいぶ雪がゆるんでいるからであろう。亀裂も至る所に走っていた。

※2002年1月19日(土) ニュースによると、岡田 昇さんは、奥穂高岳付近で撮影中に行方不明とのこと(マスコミ報道)。


5月3日(金) 快晴

■穂高岳山荘(2,983m)──奥穂高岳(3,190m)──コル──前穂高岳(3,090m)──コル──岳沢()(2,230m) 【10:50】
5:20
6:10
9:50
12:20
14:10
16:10

若い二人は雪壁もノーロープで、緊張のトラバース+クライムダウン:反省
足の裏が着けば安心
 3:30起床。待ちに待った快晴である。藤村さんはバイルを、私は伊藤(そ)さんに借りた短いピッケル(以下バイルと呼ぶ)を背中とザックの間にはさみ忍者になったような気分で5:20出発。岩場を登り、次の雪壁でさっそくバイルを取り出しダブルアックスで軽快に登る。6:10に奥穂高岳山頂に到着。ジャンダルムや目指す前穂高岳などが手に取るように見え、とても気持ちがいい。
 6:25に山頂を出発してすぐ稜線通しで歩けなくなり、雪壁をダブルアックスで下りながらのトラバースとなる。このトラバースが20m以上あり私は緊張と不慣れなためとても時間がかかり、なおかつ体力の消耗が激しい。いきなりの長いトラバースに、昨日まで私が描いていた吊尾根縦走のイメージがもろくも崩れ去った。雪が多いため稜線は雪庇が張り出していたり、ナイフリッジになっていたりしてほとんど使えない。この後、2回程雪壁をダブルアックスでトラバースし、ザイルを出す。私はこの時点で不慣れと緊張のため体中に力が入り腕、足の筋肉がプルプルであり、呼吸も荒く体力の限界を感じてしまう。そこから連続して3回、50mのザイルをいっぱいに使い雪壁のトラバースリーダーの藤村さんがリードし中間にスノーバーを使い支点をとる。
 この後も雪壁のダブルアックスによるトラバースが20回以上続く。途中、雪が腐っていてトラバースが出来ないので上部の岩を登るが、今度は前穂の方向に降ることが出来ない。ここで、懸垂下降をする。ところが、私が懸垂下降で降りて、ザイルを回収しよとして引っ張るとザイルがどこかに引っかかっていてびくともしない。藤村さんも慌てて駆けつけ、力いっぱい引っ張ると少しずつザイルが流れる。何とかザイルを回収。このような状態で計画書の予定時間よりもはるかに遅れる。
 この後もトラバースを繰り返し9:50コルにて休憩をとる。無線を出しAパーティーに呼びかけるが応答がない。ここまでに3パーティーとすれちがう。我々が前穂からの下降に使う予定である奥明神の雪の状態を聞くが、クラストしてよく締まっているとのこと。前穂から奥穂に向かう人が多いらしく、また我々のようにフル装備のパーティーはいない。重太郎新道はとにかく急だということなのでなるべく使いたくない。ここから雪が消え夏道をかなり使えるようになる。ザック等を引っかけないように気を使う。
 12:20にようやく前穂高岳山頂に到着。吊尾根だけで2回の休憩を挟み6時間を費やした。山頂は雪庇がかなり張り出しているため広く感じる。ここで、私はパンを一つ食べるが疲れと緊張のため食欲がない。結局、この日行動中に食べたのはこれだけであった。
 ここから、稜線上を奥明神のコルまで下る。この間雪がほとんどなくずっと岩場だ。14:10コルに到着し休憩をとる。ここから奥明神沢を下るのだがかなり急で雪も腐り気味であるため、懸垂下降しようとするが支点がとれずに、ダブルアックスで10m程下る。岩にハーケーンを打ちそれを支点にし3回懸垂下降した。この懸垂下降中に4人パーティーがアンザイレンして慎重に歩いて下りてくる。ここのリーダーの人の話では意外とアイゼンはきくよ、ということであった。しかし、我々は懸垂下降でこの急斜面を下りる。懸垂下降のあとアイゼンをきかすよう慎重に下る。雪が腐ってスノープレートをつけたアイゼンにも雪がつきうっとうしい。沢の合流点よりデブリが目立つようになる。傾斜の緩やかになったところでシリセードを使う。数回で100mぐらい滑っただろうか。とても楽で気持ちがいい。岳沢ヒュッテに計画より約2時間遅れて到着。2人でコーラを4本買いがぶ飲みをする。本当に長い1日であった。


5月4日(土) 晴れ

■岳沢(2,230m)──上高地(1,500m)──沢渡──平針 【2:30】
6:30
8:00
9:00(車)14:30

 5:00起床。テントを撤収し6:30に出発。上高地がすでに見えているので気楽である。8:00に上高地に到着。帰りに白骨温泉に行こうとしたら、近道が落石通行止めになっていたので、他の温泉を探すがなかなか見つからず、穂高岳温泉まで行き温泉に浸かる。疲れを癒し帰路についた。


個人感想

 奥穂高岳山頂を出発し緊張の雪壁トラバースを2回した後、幅30cmぐらいのトレースが付いた短いトラバースがありほっとする。その途中、左足のアイゼンを右足にひっかけてしまう。ザックを背負っているためか上体の修正がきかない、「あっ!」と思った瞬間バランスを崩し上半身から下に落ちた。どうにかもがいて頭を上にし利き手である右手でピッケルを引きつけようとするが、落ちた瞬間両手に持っていたピッケルを離してしまった。これは雪上訓練の時,考えもしないことであった。伊藤(そ)さんに借りたピッケルはバンドを手首に通しただけであったためこのバンドも外れてしまった。そのピッケルが頭上で止まるのが見える。かなり寂しい気分になったが、もう一つのピッケルはバンドが肩掛けのためからだと一緒に音を立てて落ちてくる。慌ててバンドをたぐり寄せる。体は左横を向いていて落ちながら左手を主に使い慌てて雪面にピックを突き刺すが、体勢が悪いのと利き手でないのでうまく刺さらない。そこで、体に力を入れてうつぶせになり、今度は訓練通り力を込めて突き刺すとうまいこと止まった。ほんの20秒ぐらいの出来事であった。ほっとして下を見るとぞっとする。前日、穂高岳山荘で岡田 昇さんが一番多い事故として例を挙げて話してくれたが、自分もまた同じことをしてしまった。ピッケルを手から離してしまったのと、手首に通したバンドが外れてしまったのは予想外であった。
 今回は本当に自分の技術、体力のなさを痛感した。間違いなくトレーニング不足であるし、考えも甘かったと思う。技術の未熟さが、ない体力をさらに奪いスピードが落ち、パーティーの行動を遅らせてしまった。この日の行動時間が、計画よりも遥かに遅れたのは一重に私のせいでリーダーの藤村さんには大変申し訳なかった。
 今回唯一の同行者であるリーダーの藤村さんには大変迷惑をかけてしまったが、私はとても貴重な経験ができ有意義な合宿であったと思う。この経験と数々の反省を今後の山行に生かしていきたいと思う。
(Cパーティー:住吉)



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