どたばた遠征日誌

(1997年)
※宿泊地(番号)=<案内図>(番号)
日 付 主な行動 宿泊地 日 付 主な行動 宿泊地
2月15日(土)移動(約18km)飛行機 2月28日(金)休養ワタム
(6泊)
2月16日(日)ナイロビ
3月 1日(土)ダイビング
免許取得
(5日間)
2月17日(月)買い物 3月 2日(日)
2月18日(火)移動(約350km)モシ
3月 3日(月)
2月19日(水)休養 3月 4日(火)
2月20日(木)キリマンジャロ
登  山
(5日間)
キリマンジャロ
(4泊)
3月 5日(水)
2月21日(金) 3月 6日(木)移動(約110km)モンバサ
2月22日(土) 3月 7日(金)移動(約480km)ナイロビ
2月23日(日) 3月 8日(土)休養
2月24日(月)モシ 3月 9日(日)移動(約18km)飛行機
2月25日(火)移動(約350km)ナイロビ 3月10日(月)カラチ市内観光
2月26日(水)T/C再発行 3月11日(火)帰国
2月27日(木)移動(約600km)バス <全25日間>

<案内図>

<参考>
(1997年) 両替相場(1us$) 日本円換算(1sh)
ケニア 54sh 2円
タンザニア 600sh 0.2円


登場人物(アフリカで出会った人達)
吉田まみさん
 30歳ぐらい。以前OLを辞めナイロビのスワヒリ語学校に行ってからアフリカにはまる。日本でボランティア団体を作り活動している。ルワンダの友人(彼氏=ガテラもいる)と協力して義足作りをするとのこと。今回は10月までルワンダ)に滞在予定。行きの飛行機で隣の席だった。

(98/1追記)  97/12?にTV東京でなんと!!吉田さん主人公の番組(ルワンダでの義足ボランティア)が放送されました。亀山さんの家(当時:神戸)に遊びに行った時にビデオで確認。吉田さんの顔がなんだか懐かしかった。

(04/3追記)  04/3/30にNHKのプロジェクトX「悲劇のルワンダ・希望の義足」において、吉田さんとガテラ(以前の彼氏=現在の夫:片足が義足)が主人公の番組が放送されました。その番組の中で吉田さんの言葉、ルワンダで手や足のない人達を見た時にどう思ったか?、という問いに「やることがいっぱいあるな。やらければいけないことがいっぱいあるな、と思った。」という言葉が、(誰もがそう思える事ではない)とても素敵な感覚だと思った。

(11/6追記)  11/6/5にTV東京で「世界のなんともヘンピな所で頑張る日本人!(日曜ビッグバラエティー)」の中で、吉田さんとガテラが紹介されました。継続して義足作りを頑張っている吉田さんとガテラを拝見して、内戦の残した爪跡の大きさと共に、それに立ち向かう二人をとても頼もしく思いました。

亀山さん
 26歳。関西大学の大学院一年生。こてこての関西人。彼女と一緒。亀山さんがアフリカに行くと言ったら私も行くと言って会社を辞めて一緒に来たそうだ。学校ではダイビングサークルを作り活動している。最初から不思議な縁で、ナイロビでは本当いろいろと面倒見てもらった。

北沢さん(※キリマンジャロに同行)
 同い年の24歳。勤めていた会社を退職。中国)から旅を始める。アジア、ヨーロッパ、アフリカを辿り今後南米に渡り7月まで旅を続けたいとのこと。関西人。

修さん(※キリマンジャロに同行)
 東北大学2年生。過去にタイ)でムエタイをやったり、モンゴル)で馬に乗っていたり変わった旅をしている。日本では空手もやっているとのこと。

千葉さん(※キリマンジャロに同行)
 早稲田大学4年生。ハウスメーカーに就職が決まっている。今回の旅の移動手段は徒歩で、空港からいきなり歩き出した強者。モシで我々と別れた後は、彼もまた多くの盗人に悩まされたそうだ。過去にはヨーロッパ各国を自転車で旅した。

宇田さん
 26歳。摂南大学の大学院一年生。

(98/3追記)  98/3/24にメールを頂きました。ちょっとさわりだけ、
 > HP見ました(しかも 人伝えに聞いて)
 > なんか 私のことが書いてあると聞いたので内心どきどきしながら
 > (過去の悪さが暴露されてるのかと思った)
だそうです(^^)。こういうのも良いものですね。

(02/1追記)  02/1/12東京にて亀山さんと伴に3人で5年ぶりの再会。待ち合わせ場所では、お互い顔が判らなかった・・・(^^;;)

松原君
 23歳。初めての海外旅行。いきなり2日連続でモンバサにて強盗に遭う。ラーメンパーティーのとき河田君(自転車で旅する予定)と盛り上がり、自転車を購入。モシまで走って、キリマンジャロに登った。その後、河田君と別れ一人ダルエスサラームタンザニア))を目指している途中で3回目の強盗に遭う。

芦田さん
 26歳。法政大学卒業後、塾に勤める。いきなり中国に語学留学。2年が過ぎ、後半年いるそうだ。3月一杯はアフリカにいるとのこと。

村上さん
 31歳。奥さんがニューヨークにいる。仕事は日本ではビルの型枠大工。船に1年乗っていたり、農家で働いていたり、ニューヨークでは日本料理やフランス料理の店で働いたりいろんなことをしてきた人。植物がとても好きで、バオバブ)を見るためにマダガスカル)に行ったそうだ。ここ2,3年は海関係のスポーツをしているとのこと。後半1週間以上一緒に過ごし、色々なことを話し、教えてもらった。

江原さん
 30歳。法政大学の博士課程に籍を置く。ナイロビ大学に留学したいということで申請を行っている最中であった。随分と手続きに時間がかかっていた。ということで、イクバル(※ナイロビ(ケニア)の安宿)に長期滞在していたので、荷物を預かってもらったりした。結局許可は降りたのだろうか?。

小池さん
 36歳。すごく物静かな人。養殖関係の研究所で働いていたが、辞めてアジアから旅にでる。一番良かったところはと聞くと、ラオス)がのんびりできて一番良かったそうだ。イクバルにはどこも行かずに二週間以上いたのではないか。この後、マダガスカルに行くと言って勉強していた。

2月15日(月)
 10:00頃家を出る。日暮里で特急に乗り換えて成田第二ターミナルへ。なんとか飛行機に乗る。飛行機は考えていたよりずっと狭い。三人掛けの席で真ん中が空席で右に自分左に女の人が乗っている。国際線なのできれいなスチュワーデスさんがたくさんいるのではと期待していたが半分以上が男のおやじでがっかり。途中で隣の人に行き先を聞くとナイロビだというのでその後いろいろ聞いた。10月までルワンダに滞在予定とのこと。カラチでのトランジットでも吉田さんと一緒に席を取った。カラチの空港は蚊が多くソファーで寝ていると何カ所も刺される。マラリアはないのだろうか。朝、職員がチャイを配っている。なかなか旨い。手荷物検査で吉田さんが引っかかり、ずいぶん粘ったようだが原因となった電池の束は結局機内預かりとなる。

2月16日(日)
 ナイロビに近づくとだんだん焦ってきて、ガイドブックや英会話集を真剣に読み出す。「歩き方」によると今日は日曜日なので空港で両替をしなくてはいけないことが判明。そこで「お助け英会話集」を取り出し、両替のページを開き暗記しようと試みるがぜーんぜん頭の中に入ってこない。こんなことでは、今日本当に宿を探して泊まれるのか不安だ。吉田さんは「何とかなるよ。」と一言。いろんな本にナイロビは治安が悪いと書いてあるし・・・。これにも吉田さんは「だいじょうぶだよ。」と一言。あー山を早く歩きたい。とにかくわからないことは全部吉田さんに聞いておいた。ケニアで一番よいと思ったところはどこか尋ねるとラム)だと言っていた。とてものんびり出来るそうだ。吉田さんに空港からの交通手段を尋ねると、友達が来ているはずだから一緒に乗って行きなよと言ってくれた。
 空港に着きイミグレを通り、荷物を受け取る、そして税関を通る。吉田さんは友達を捜す。二人の友達が来ていて顔を見たとき、お互いにすっごく嬉しそうで、はじけていた(その内の一人は彼氏(後の夫)のガテラだった)。早速空港で80$両替をする。吉田さんが日本から送ったというワゴンで市内まで送ってもらう。車の中から通りを歩いている黒人と目が合う。とても怖い。途中かなりいいホテル(50$)を紹介されたが、イクバルに行ってもらう。ここでもスワヒリの出来る吉田さんに部屋まで取ってもらった。イクバルの下で二人の日本人(亀山さんとその彼女)と乗せてきてくれたルワンダ人が盛り上がっている。話を聞くとこの二人はルワンダに行ったときにこの人たちの家に泊めてもらったそうだ。すごい偶然。夜、みんなでご飯を食べに行くことにし19:00待ち合わせ。亀山さんたちはイクバルよりも安いニャンダルワに行った。その後、一緒にアフリカーナに入りジュースとサモサを食べる。旨い。その後またジュースを買いイクバルのテラスで時間を潰した。
 19:00に三人が迎えに来る。車に乗り込み15分位の所の店。危ないという夜のナイロビにいきなり繰り出せ、ラッキーである。店にはアフリカンミュージックががんがんに流れていて、踊れる所もある。作りもアフリカっぽく、屋根はバナナの葉で出来ている。とても雰囲気のあるいい店である。聞けばここのオーナーはルワンダ人だそうだ。飯の前に飲み物を注文する。ルワンダ人以外みんなジュースだが、彼らはギネスビールのコーラ割りを飲んでいる。これも飲ませてもらったがワインのような味がして旨かった。goodと言うとどんどんつがれていい気分になってしまった。1時間以上してからようやく飯が出てくる。すぐに食べようとしないのでなんでかと思ったが、後でボーイが透明のボールとポットを持ってやってきた。手を洗うのであるが、これがとても熱い。全員が手を洗ってからいただきますであった。二人がいきなり手づかみなので最初フォークで食べようとした我々日本人旅行者も手で食べた。なんかすごいアフリカっぽい。山羊の肉がとても旨かった。一人300sh。本当に幸運なアフリカ初日であった。

2月17日(月)
 朝から地図を見てだいたいの地理を頭に入れ、一人でナイロビの町を歩く。いろいろ買いたい物(ガスカートリッジ、蚊帳、蚊取り線香、南京錠、等々)があったが、結局サンダル(70sh)を買っただけでイクバルに戻る。「アフリカではそんなもんだよ」と何人かの人が言っていた。日本みたいにいっぺんにいくつものことができない。亀山さんたちがニャンダルワからイクバルに移ってきていた。ニャンダルワのWは最近日本人がカメラを取られたとのこと。両替をしようと思っていたが昼寝をしていたら銀行が閉まってしまった。
 夕方亀山さんにバス乗り場まで案内してもらう。バス乗り場でも亀山さんは積極的にいろんな人と話をしてとけ込んでしまう。亀山さんが乗ってきたドルフィンエクスプレスがなかったので、一応これを待つことにし、バス乗り場の一角に座り込み話をする。まだびくついている自分にいろんなアドバイスをしてもらった。
 イクバルでいろんな人に声をかけると北沢さんがキリマンジャロに行くというので一緒に行くことにする。夜北沢さんの部屋に行くと修さんも行くというので三人パーティーとなる。

2月18日(火)
 7:00北沢さんとRECEPTION前で待ち合わせ。NEW KENIAN LODGEに修さんを迎えに行く。8:00発モシまでのドルフィンエクスプレスの券を450shで買い、朝飯を食べに行く。バスで出発までの間売り子がバスの中から窓の外からいろんなものを売りに来る。丁度、南京錠を売りに来たので最初200shと言ってきたのを100shで買った。
 バスは8:30に出発した。聞いていたとおり、バスにはがんがんに陽気なミュージックが流れている。最初は緊張していたが、三人ということもありだんだん眠くなり、うとうとする。キリマンジャロにドイツ人を迎えに行くというエージェントの奴が話しかけてきたので、暇つぶしにいろいろ山のことを聞いた。しかし、自分の英語力ではいまいち細かい話が出来ないのが歯がゆい。バスは道ばたでも乗る意志を示せば乗せるし、小さな町を通る度に客を探しては乗せていく。途中小さな町で客を乗せるために停車すると、乗客の後ろで十人くらいの女マサイの集団がバスの方を見ている。最初物を売りに来たのだと思ったが、最後にバスに乗ってきた。彼女たちは象牙のような形をした容器にミルクやら水やらをたくさん持っていた。そして、大量の蠅も一緒に連れてきた。一瞬にしてバスの中は蠅だらけ、黒人の連中もちょっと迷惑そうな顔をしていたのには笑えた。
 ナマンガで国境を越える。北沢さん以外はビザを持っている。ここでは、イミグレのカードと一緒に10$を出せばビザをもらえる。一緒にというのが大事で、知らないと20$請求される。この金はいわゆる賄賂である。
 13:30アルーシャ。ここでバスを乗り換えさせられる。しかし、また客を集めるために一周400m位ある大きいバス停の周りの道ををぐるぐると何周も周りやっと出発した。
 15:30モシ着。とりあえず両替をする。ここの両替所は狭いがクーラーが効いていて最高だった。この間北沢さんが宿を探してきてくれた。宿に移り荷物を置く。シャワー、トイレ付き、3ベットの部屋5000shのところを4800sh。
 バスを降りてからついてくるエージェントがうっとおしい。とりあえずYMCAに向かう。値段を聞き料金体系、登山内容、レンタル用品等を説明してもらう。とても解りやすい。さっそくディスカウント交渉に移るが全然値切れない。ここを出てからもさっきからのエージェント連中がついてくる。歩きながら適当に交渉する。途中ジュースを飲みながら一つ話を聞いた。宿に戻るとここにもまた別のエージェントがいた。疲れていたが話を聞き値段交渉。北沢さんは慣れていてかなりうまい。どんどん値段を下げさせて380$で決着。少しあやしい会社だと思ったが決めてしまう。

2月19日(水)
 休養。朝、エージェントの奴が部屋まで千葉さんを連れてきた。これで4人パーティーとなる。これでもっと値切れるという話をする。しかし、我々がそれぞれ部屋で雑用をしている間、何も知らない千葉さんはオフィスに連れて行かれいい加減な契約書にサインさせられてしまった。
 夕方、イクバルで北沢さんと同室だったけんさんも我々の宿を探し当て訪ねてきた。すこし迷っていたが、足が痛いらしくキリマンジャロには行かないとのこと。エージェントが二人(北沢さんと修さん)がレンタルする道具を持ってやってきた。ここで千葉さんの契約書についてもめる、余計な費用はカットさせた。けんさんが一番英語ができるので、何度か間に入ってもらう。もめにもめ、ディスカウントも出来なかった。道具は唯一山をやっている自分がチェックする。使えないものがいくつかあり、取り替えるように言った。この後教えてもらいながら五人でナポレオン(トランプ)をやった。
 夜、昨日の約束通りエージェントの家に五人で夕食を食べに行った。スパゲティーは口に入れる寸前までとてもうまそうだったが、口に入れてびっくり。甘いのである。はっきり言ってまずい。しかし、タンザニアでは一般的な食べ物だそうだ。本当だろうか?他には甘い揚げたお菓子。パッションジュース。ジュースは旨かった。

2月20日(木)
■マラングゲート
(1,150m)
──マンダラハット
(2,700m)

11:30
15:40【4:10】

写真
「マラングゲート」にて。
左から住吉、修さん、アシスタントガイド、
北沢さん、ガイド、千葉さん。
 ホテルを8:50に出る。アレンジ事務所でポーター、ガイドと合流、余計な荷物をここにデポする。
 10:30マラングゲートに着き、11:30より登り始める。単調な林道歩き。すれ違う人たちに上まで登ったかどうか聞くとほとんどの人が登ったと言った。日本人三人とすれ違う。気温も高くひたすら暑い。日陰をひろって歩く。途中、猿、カメレオン等を見る。トイレの所からFOREST ROUTEをとると直射日光がさけられ少し涼しくなる。
 15:40マンダラハットに到着。ここは水も豊富にある。トイレも水洗?で施設自体良くできている。小屋の明かりもソーラー発電によるものだ。きっと西洋人が作ったのだろう。ここで一人で登っている日本人大貫君と会い、夜みんなでトランプをする。

2月21日(金)
■マンダラハット
(2,700m)
──ホロンボハット
(3,720m)

7:20
11:50【4:30】

写真
和製ポーター!?
 今日から6:00起床。7:20出発。千葉さんとガイドと歩く。休憩しながらガイドにいろんな話を聞く。今日歩いている辺りは一面焼け野原で、3ヶ月程前にポーターの捨て煙草で火事があったそうだ。少し焦げ臭い。しかし、新しい草の芽などはもう出ていた。
 うちのガイドは現在31歳で、17歳から27歳迄ポーターをやっていたそうだ。ここのポーターの大半は荷物を頭の上に乗せて歩く。自分のザックを頭に乗せて歩いてみる。なかなか悪くない。途中女性ポーター二人とすれ違った。
 富士山に登ったことがないので今日経験する高度が自己最高の高度となる。
 11:50ホロンボハット着。

2月22日(土)
■ホロンボハット
(3,720m)
──■キボハット
(4,703m)

7:10
13:10【6:00】

 ホロンボハットを7:10出発。この日は意識的にゆっくり歩く。休憩も頻繁にとる。今日は修さんを加えた三人で歩き、休憩の度に写真を撮る。北沢さんは相変わらずマイペースである。
 13:10にキボハット着。体の調子も悪くなく、楽勝だね等と話す。自分たちについてきたアシスタントガイドは小屋の部屋をとるのに必要なチケットを持って来ていなかったため、外で1時間以上待たされる。
 小屋に入りベットに横になると突然、頭が痛くなりだした。全然眠れない。呼吸も苦しい。早めの夜飯を食べるがみんな昨日みたいに食べられない。夜中修さんが2度吐いた。自分も激しい頭痛に悩まされる。呼吸が荒く喉が乾く。何度も水を口にはこぶ。

写真
写真
左から、住吉、修さん、千葉さん。
3人は全身で標高を表していますが、解るでしょうか?
そう、「4000m」です。後ろの山はキリマンジャロ。
「Last Water Point」にて。
左から、住吉、修さん、千葉さん。
これより上では、ガイドが氷をコンロで溶かし水を得ます。

2月23日(日)
■キボハット
(4,703m)
──ギルマンズポイント
(5,685m)
──▲ウフルピーク
(5,895m)
──(引返し) ──▲ウフルピーク
(5,895m)
──
0:50


7:20


7:50

──ギルマンズポイント
(5,685m)
──■キボハット
(4,703m)
──■ホロンボハット
(3,720m)


9:00
11:30〜12:50
16:20【15:30】

写真
「ウフルピーク」にて。
左から、住吉、ガイド、修さん。
 昨日からの頭痛で本当に一睡もできない。0:00に起き紅茶を飲むのがやっと。北沢さんは昨日から脈が下がらないし、心臓を患ったことがあるとのことでここでやめる。キボハットを三人で0:50、ヘッドランプを点け出発。吐き気がする。写真を撮る余裕もない。本当にゆっくり歩きながら、それでも度々2本のストックにもたれ休む。本当に吐きそうだ。こんなにずっと吐き気を我慢して登る山なんて初めてだし、ちっとも面白くない。
 千葉さんは体調が一番良いので、アシスタントガイドと先に行ってもらう。
 この後、修さんも同様に辛いらしくお互い励まし合う。途中で修さんが手にぶらさげていたペットボトルの水が凍ってしまったので、自分のザックに入れてあげる。自分の水は凍っていないので、これを飲む。とても寒く厚手のフリースを着た。ギルマンズポイントに近づくと頭痛が消えた。なんか調子が出てきたかもしれない。ここにきてガイドの奴が「君はノーストロングだ。ギルマンズポイントで日本人はみんな引き返すぞ」と繰り返し言う。修さんは自分より調子が悪そうだがウフルまで行く気力がある。二人でウフルを目指すことを確認する。ガイドには「そんなことはおまえが決めることではない、俺が決めることだ!!」とはっきり言ってやった。そして「ウフルに行くぞ!」と言った。
 ギルマンズポイントに着くとすぐに、ガイドの奴が「行くぞ!」と言ってペースを上げ歩き出した。トラブルのあった欧州人(3人)も一緒に行く。疲れている修さんには悪いが、ガイドの奴に必死について行く。 欧州人は高山病が出ていないらしく、なかなか強い。こいつらのペースには付いていけない。途中、千葉さんとすれ違う。千葉さんは自分と一緒にもう一回行くと言ったが、アシスタントガイドが「だめだ」と言ったので、写真を撮りあってそのまま別れた。その後、途中で我慢できずに吐いた。
 7:20ウフルピークに立つ。写真を撮り、鉄の箱に入っているノートに自分の名前と一言「キリンマンジャロはこんなもんじゃろ」と書いておいた。下山にうつる。途中で修さんと会ったので一緒にもう一度ウフルへ行く。ここで、欧州人とお別れ。ガイドもついてくる。
 7:50再度ウフルピークに立つ。ここからは調子の悪い修さんを気遣い一緒に歩き、休憩する。
 9:00ギルマンズポイントで大貫君と会い三人で写真を撮る。ここからの下りは本来であれば一気に駆け下りることの出来る所だが、修さんの調子が悪い。ここでも度々休憩をとる。そのうち自分の水が切れる。この後自分の調子がおかしくなってきた。苦しく水が飲みたい。吐き気がする。あまりのスローペースにガイドは先に行った。埃がすごいので修さんの後を間隔を開けて歩いた。吐き気が激しい。立ち止まり我慢する。修さんががんばって歩き出したのでそれにひっぱられるようにして自分もがんばって歩いた。 11:30キボハット着。小屋につきベットに座ると同時に吐いた。お茶を飲んでいるとガイドが来て12:00チェックアウトだと言うので、慌てて荷物をまとめる。ガイドは今日ここでお別れだということなのでチップを請求してくる。いくらぐらい払えばいいのか迷う。結局20$渡した。もっとくれよ等と言ってきたが、修さんがサービスの悪さを指摘し当然断る。
 12:50キボハット発。16:20ホロンボハット着。チップのことを北沢さんに言ったら、彼は払う気がなかったらしくかなり怒っていた。海外での生活が長いだけにその辺の考え方はしっかりしている。夜飯を食べ終わるとアシスタントガイドがポーターを連れてチップをくれとやってくるが、明日もあることを考えればおかしな話なので当然断る。

2月24日(月)
■ホロンボハット(3,720m) ──■マンダラハット(2,700m) ──■マラングゲート(1,550m)【7:00】
7:40
11:20〜11:50
14:40

 ホロンボハットを7:40出発。途中で大貫君に抜かれる。この日は朝から下痢がひどくそこらじゅうで失礼をする。しかし、この辺は火事で草木が燃えてしまい隠れることのできる場所が少ない。
 11:20マンダラハット着。千葉さんと昼飯を食べる。食べ終わり出発しようとすると、先に行ったはずの修さんがやって来た。道を間違えたそうだ。11:50にマンダラハットを出発。途中修さんと合流して3人で歩く。
 14:40マラングゲート着。最後の最後でチップを渡す。ポーターの中に見たこともない子供がいるので、誰だこいつはと言って当然渡さなかった。シリング払いでアシスタントに6000sh、ポーターに3000sh。
 迎えのぼろぼろの車で引き上げる。事務所によりデポした荷物を取りに行く。この車での移動中ナイフを取られた。直前に確認していなかったのでボディーチェックまでは出来ず、睨み付けてどこにやった等と言うが効果はない。
 宿に帰り、それぞれ明日からの予定などについて話をする。いろいろ話を聞いて良さそうなのでザンジバルに行こうと思った。
 各自洗濯をし荷物を整理する。すると、首下げ式財布に入れておいた福沢諭吉の一万円とT/C(850$)が全部ないではないか。靴の中に分散していた両足50$づつがせめてもの救いだが、100$ではこれから先やっていけるわけない。焦って荷物を全部ひっくり返したが出てこない。北沢さんが聞いてきてくれた民間の電話局に行き、コレクトコールがしたいというが、コレクトコール自体の意味が解らないらしい。あきらめて宿に帰り、近くの屋台に飯を食べ行く。腹は空くのだが、T/Cを無くしたことを考えると複雑な気持ちで中途半端に飯を食べた。しかし、ここの屋台の飯はどれもこれもとてもうまい。

2月25日(火)
 7:00に千葉さんがとりあえずヒモを目指し出発する。握手をして別れる。8:00に電話局に行きコレクトコールがしたいというと受付の奴が冷たくだめだと言った。これには焦り事情を話し何度も頼むが、だめだと首を横に振るだけ。あきらめてナイロビに帰るしかないと思う。帰りにバス停により時間を聞く。ナイロビ行き13:00発のバスがあった。でも、これだとちょっと着くのが遅くなりそうだ。宿に帰りその旨を二人に伝える。それだったら乗り継いで今出た方が良いのではないかと言われ、その通りだと思いすぐ支度をして宿を出た。
 10:30発のアルーシャ行きのバス(700sh)に乗り12:20アルーシャ着。ここでとにかく早く出発するバスを探す。13:00に出るというバス(5000sh)があったので乗ることにする。しかし、このバスは客が集まらなく14:00まで出発しなかった。中型のバスだったので速いと思ったがとんでもなく遅く大型のバスにも追い越された。勘弁してくれよーと、運転手の方を見ても変わらず。マイペースで走り続けた。ナマンガでイミグレの場所がどこか忘れてしまい人に聞くと案内してくれた。両替もしたいというと民間の商店に連れて行かれた。一応簡単にレートを計算してみるがボラれていないようなので両替した。バスの客でイミグレを通るのは自分だけで、来たときと違って人もいなくがらがら。イミグレまでバスの車掌が迎えに来ていた。バスの方に歩きながら、あとどれくらいかかるのかと聞いたら、2時間かかるといった。この時点で16:00を回っていたのでがっくりきてため息混じりに「Long Way」と言ったら、「Long Way」じゃないよ、と彼は言った。この後もバスのペースは変わらず、18:00を過ぎるとかなり焦ってきた。暗くなってしまうではないか。
 18:30にナイロビに到着。しかし、着いたバス停がナイロビのどこか解らない。運転手に地図を出して、ここはどこだと聞いていると、タクシーの運転手が乗ってきてここからイクバルは遠いと言い200shというが、そんな金は払えないと事情を説明した。とにかく歩くと主張する。そしたら、そいつが子分を連れてきてこいつが案内してやるといったので案内してもらった。まだ完全に暗くなっていないが、黒人と一緒に歩いているとかなり安心感がある。イクバルの看板を見てとてもほっとする。案内してくれたこの子には悪いが20shを渡して勘弁してもらう。
 イクバルの中に入るとRECEPTIONの前で帰国したと思っていた亀山さんに再会。そこに溜まっていた日本人に事情を説明。みんなかなりうけていた。そこでケニアはおろかアフリカからはコレクトコールはかけられないよということを聞き衝撃が走る。しかし、同時にアメックスのオフィスを俺見たよと言う人がいて、これを聞いてすごく安心した。亀山さんが今日はみんなで「日本人倶楽部(食堂)」に行くから一緒に行こうと誘われるが、金がないと言って断る。しかし、結局行くはめになった。一番安い鳥雑炊(130sh)を食べる。結構旨かった。
 宿に帰りみんなでRECEPTIONの前で溜まって話をした。ここに来るまでに旅してきた所の話や、これからどこに行くかといったことが話の中心。この時、村上さんがダイビングに行きたいという話をしていて、不意に「一緒に行かない?」と誘われた。ダイビングは以前から一度はやってみたいと思っていたし、村上さんは英語ができるので良い機会だと思い、「T/Cが全部戻ったら行きますよ」と約束した。ここは本当にいろんな日本人が入れ替わり立ち替わりやってきて、それぞれが旅の仕方や旅する場所が違うのでとてもおもしろい。ちょっと着替えに部屋に戻り、鼻をかむと鼻血が出たのでベットに横になると扉も開けっ放しでそのまま寝てしまった。亀山さんが電気を消して扉も閉めてくれたそうだ。ここはいろんな面で本当に安心できるのでついほっとしてしまった。

2月26日(水)
 朝、亀山さんにつき合ってもらって、アメックスのオフィスに行く。書類を書くと、日本人と話させてやるから、また10:30に来いと言う。10:30に一人で再度アメックスオフィスに出向く。日本人のおばちゃんと電話で話をさせてもらう、とても感じの悪いおばちゃんだったが、日本語なので安心。なんでも言い返せる。その場で全額再発行してくれた。めでたし。一人でアフリカーナに行き、チップスとお祝いにパッションジュースを2杯飲む。
 宇田さんが、昨日亀山さんが「やろう、やろう」と言っていたラーメンをやるという。なぜか自分は燃料調達係になりペットボトルを持って灯油を買いに行った。宿に帰り村上さんのストーブで試してみる。宇田さんが買いだしをしてきた。夜、4号に12,3人集まり(この日は日本人が特に多かった)ラーメンパーティー。ラーメンはインドネシア製。トウモロコシやキャベツもいれ、なかなか旨い。長いこと日本に帰ってない人も多く、私の持っていた「札幌一番みそラーメン」は当然一番人気であった。モンバサで立て続けに2回強盗に遭った松原君を中心に予想以上に盛り上がった。宇田さんは、この日マダガスカルへ2:00発の飛行機に乗るというのに、最後まで洗い物をしていてみんな心配していた。しかし、元気に洗い物をおえそのまま22:00頃マダガスカルへ向けイクバルを出た。
 夜はみんなでイクバル近くのFRIENDS CORNERで飲む。ここで芦田さんに日本でのこと、中国のことをいろいろ聞いた。
 今日はサファリでパスポート、現金、T/C全部盗られてしまったという柴田君と相部屋である。今ごろになって「ほんと気を付けなくっちゃね。」などと話す。彼は現在パスポートの再発行中で身動きがとれずイクバル滞在組の一人である。

2月27日(木)
 昨日、「良い」と聞いたマラリア予防薬「メファキン(500sh)」を薬局で購入。みんなで朝飯を食べ早速一錠飲む。村上さんとマリンディまでの夜行バスのチケット(360sh)を買いに行く。出発は20:30。昨日みんながFIXのチケットでも変更できる等というので、PIAのオフィスで変更したいと言ったら簡単に調べてくれた。むむっ、こんなに簡単に変更できるのかと思ったが指定した日は飛行機が空いてなく、また来週来いというので、やめて従来の日付でリコンファーム(※現在は不要な場合有)をしてしまう。
 余計な荷物をまとめ、江原さんの部屋に置かせてもらうことにする。コーストは治安が悪いということなので、荷物もしぼりにしぼった。暗くなる前の19:00にイクバルを出る。3人が見送ってくれた。バス停で待機。バスは時間通りに出発。途中2回の休憩をはさみ、2:30モンバサ。マリンディにはなんと3:30に着いてしまったではないか。夜行だと丁度良い時間に着くよ、という話を信用して乗ったのに、こんなに早く着いてしまうとは迷惑な話だ。かえって危ないではないか。バスに乗っていても良いようなのでこの中で寝る。注意していたのに蚊に刺される。マラリアが怖い。

2月28日(金)
 6:00にバスが動き出したので降りる。一人の奴が寄ってきてマタトゥ乗り場まで案内してやると言って我々の前を歩き出したが、まだ暗いのでこいつを無視して途中で引き返し、明るくなるまで近くの食堂で待機。ピラウをたのむがとてもまずく二人ともほとんど残す。
 明るくなってから、マタトゥでワタムまで一人30shで40分位。イクバルでいいと聞いたユースキャンプ(300sh)を探す。円形の小屋に入れられる。しかし、ここのトイレは最悪。水は流れないし、汚いし、蚊は多い。とりあえずダイビングの申し込みをするためTURTLE BAYホテルを探す。途中TEKI HOUSE(300sh)の客引きに捕まり部屋を見に行く。ユースキャンプより遙かにいい感じだ。ホテルは市内から炎天下の中を歩きやっと見つけた。一本道で約2kmの所。
 早速、ダイビングの申し込みに行き、値段を聞くとなんと我々が「歩き方」で知っている値段5000shの4倍の20000sh(360$)だ。かなり驚き、少し迷うがここまで来たのでやることにする。今回は値切ったりしなかった。日本語の本を渡され、読んでこいとインストラクターは言った。
 また、ここに近いホテルを紹介され見に行く。紹介されたホテルはスイス人のおばちゃんの経営しているBUSTANI YA EDENというホテル。今はお客さんがいないから500shでいいとのこと。とても雰囲気の良いところで二人とも気に入った。今日移ろうかという話になったが、とりあえず明日からここに移ることにする。
 ユースに帰りここでは何もやる気になれずぼけーっと過ごす。夕方一人の日本人の大学生が来て飲みに誘われたのでバーに飲みに行った。ここはイタリア人で一杯。外国人でイタリア人以外は我々だけといった感じだ。

3月1日(土)
 朝早々にホテルを移る。終日ホテルのレストランで勉強。本当に一日、本を読んで過ごした。なんだか夏休みの宿題のラストスパートをしているみたいだ。しかし、ここのレストランは雰囲気がよく気分がよい。客は我々二人だけである。

3月2日(日)
 今日がダイビングスクール初日。9:00より英語のビデオを見てからプール。14:00よりビデオを見てからプール。夜から体の調子が悪い。だるく、みぞおちの辺りが時々痛む。食欲なくスパゲティーを食べるのがやっと。しかし、とてもまずく感じる。

3月3日(月)
 朝から体の調子が悪い。フルーツを少し食べる。9:00よりプール。昼も食欲なく、トマトスープとパン二切。14:00よりビデオ2本のみ。午後はホテルで休養。16:30現在腹が減ってきた

3月4日(火)
 朝少し調子が良くなるが、朝フルーツとパン一切れ。8:00よりノースリーブのウエットスーツを着て海岸から小型ボートに乗り、海に出るがとても冷たい。インストラクターは我々より体格がよいくせに、頭まですっぽりのフルウエットスーツを着て靴まではいていやがる。一本潜り船にあがると寒くて震える。タンクを換えて二本潜るというのでぞっとする。とても寒いと言うと、20分ならOKだろというので、仕方なしに潜る(水深9m)。船に上がると震えが止まらない。おまけに船酔いまでして気分が悪い。この日はもう潜らないですむと思っていたら、14:00よりなんとプールに入れられる。
 ホテルに帰り、銀行に行くのにマタトゥに乗っていこうとするが「バラクーダ」と言うと寄らないような感じだったので、結局歩く。銀行は16:30まででぎりぎり閉まってしまった。しょうがないのでスーパーにより引き返す。夜、村上さんは市内に一人で遊びに行ったので、やることがなく外に出るが暗くなり始めたのでホテルに戻る。
 途中ケニア人に話しかけられる。日本人だと解ると寄ってきて、しきりに日本のコンピューターがどうのこうのといって、話がしたいと言う。コンピューターの勉強をモンバサの大学でしているそうだ。結局明日の19:00に約束をしてしまった。
 昼から停電のためロウソクの明かりで一人食事をする。村上さんは夜、意外と早く帰ってきた。前に行ったバーで日本人の女の子三人と男の人一人に会ったそうだ。

3月5日(水)
 8:00より昨日に引き続き海に出る。今日は昨日と違いFUN DIVEの一般の人たちと一緒に出発をする。昨日よりも大きな船だ。今日は長袖の上着のウエットスーツも貸してくれたがこれでも寒そうだ。いきなり今日は18mまで潜る。昨日とは違い魚もたくさんいるし、きれいな所。この日もタンクを換え二本潜る。この二本目の時耳がなかなか抜けないので沈めない、二人はどんどん沈んでいき見えなくなりそうなので焦って潜ろうとするが耳が抜けない、耳に痛みが走ったのでインストにだめだとサインを送る。あわててインストが上がってくるとそのとき耳が抜けたようだ。そのまま潜って楽しむ。ほんとに魚が多い。船に上がり胆を吐くと赤かったので耳で出血しているなと思った。
 この日は、11:00より表のテストみたいなことをやった。14:00よりテスト。日本語である。四択でかなり難しい。採点をしてもらい、握手をする。ホテルで乾杯。それにしても厳しかった。「楽勝、楽勝」と聞いていたので、かなりいい加減な気持ちで望んだが現実とのギャップに苦しんだ。360$分きっちりと教えてもらった感じだ。
 19:00位に飯を食べていたら、昨日の彼がちゃんと来た。村上さんを交えて話を聞いていると、結局日本から本を送ってくれとか、カメラを送ってくれとか言う話になり嫌気がさす。金はおまえの金かというとそれは違うという。送料だけだす等というので、馬鹿らしくなって住所だけ教えてやって話を切り上げる。誰かも行っていたが、金の話し抜きでつき合えるような奴はいないのだろうかと思ってしまう。

3月6日(木)
 8:00位にホテルを出てマタトゥ(30sh)でマリンディへ。運良く助手席に乗せてもらう。朝の特にお客さんの多い時間帯なのでマタトゥも多い。ものすごい客の取り合いである。120km/hぐらいのスピードでのデットヒート、抜きつ抜かれつでとにかく迫力がある。スリリングで面白い。
 マタトゥを降りるとマリンディバス(60sh)が丁度出発するところで、これに乗り込む。約2時間でモンバサ着。まず、明日のバスの時間、乗り場を確認する。朝のバスは9:00発とのこと。銀行に寄りT/C(100$)を両替。本日の宿COSY(W:400sh)へ。
 とても腹がへっているので、飯を食べに行くことにする。「歩き方」に載っている中華の店(HONG KONG)を探す。最初反対方向に歩いてしまったのでなかなか見つからず、Moi Aveを一通り歩いた。店を見つけ乾杯。久しぶりに米やキムチなど食べなれたものを食べる。とても旨い。デザートにアイスまで食べて、一人600sh程。
 宿に帰り昼寝をする。二人ともよく寝、起きたら夕方。村上さんが同じ宿の日本人と話をして来た。その一人が昨日宿(グローリーアネックス)でカメラなどの荷物を部屋に置いていたら、GFで朝飯を食べている20分の間に全部取られたとのこと。やはり治安は悪い。夜もHONG KONGに行き刺身を食べる。とても旨い。

3月7日(金)
 7:30宿を出てMoi Aveに回り道してからバス停へ。9:00発マリンディバスのチケットを買う。8:30発のバスもあった。バス停の横の売店でサモサとチャイを飲む。ここのバスは相変わらず時間ぴったりに出る。途中12:00過ぎに一回休憩がある。サバンナは景色が変わらずとても退屈。腰も痛くなってきた。16:30ナイロビ着。イクバルに荷物を置き。急いでT/C(100$)を両替しに行く。イクバルに戻るとキリマンジャロで一緒だった大貫君と再会。なんと彼は昨日聞いたモンバサでの被害者だった。すごい偶然。キリマンジャロに行っていた芦田さんも今日ナイロビに帰ってきたところだった。村上さん、大貫君と三人で中華(リクショウ)を食べに行く。店の入り口があまりに立派だったので短パンサンダルの我々は少し焦るが、入れてくれないことはなかった。料理はあまり旨くなく、高い。一人1000sh程した。
 20:00大貫君も誘いフロリダ2000へ村上さん、江原さん、芦田さんの五人で歩く。1:30大貫君とタクシー(200sh)で帰る。

3月8日(土)
 わりと早く目が覚め8:00TAJIで村上さんと朝飯。その後一人でシティーマーケットに行くが客引きがものすごくゆっくり見られないような状況。
 昼、サンフローラで「歩き方」に載っていたチキンビリアニを村上さんと食べに行く。とてもうまい。パッションジュースもとてもうまい。部屋に帰ると疲れて少し寝た。
 14:00すぎ芦田さんが迎えに来て、三人で国立博物館に行った。最初遠いのでタクシーに乗ろうと言って、150shで交渉するが敗退。結局歩いていったが、結構遠くて疲れた。動物の剥製や壁画など展示品の数も多くとても立派。村上さんはすごく興奮していた。その後近くのカジノをのぞくが短パンで行ったので、機械だけならいいと言われてブラックジャックで100sh損をした。芦田さんは300sh得。ホテルに帰ると昨日からの疲れが出てすごく眠い。
 夜飯は村上さんと中華(ドラゴン・パール)を食べに行った。ここがとてもうまい。昨日とは大違い。二人で2000sh。
 23:00過ぎ芦田さんがディスコの迎えに来る。最初疲れてるのでやめると言ったが、結局行くことにする。とりあえずFRIENDS CORNERでビールを一本飲む。24:00過ぎにタクシー(150sh)でシティーガーデンに行くがやっていない。再度値段交渉をして200shでニューフロリダにまわる。昨日と違い外人が多い感じ。踊るスペースも狭い。1:00ぐらいにショータイム。初めは面白かったがだんだん眠くなった。村上さんは先に一人で帰る。後で聞いたら歩いて帰ったそうだ。2:30ごろ1号のもう一人の人と三人でタクシー(150sh)で帰る。

3月9日(日)
 朝8:00に起き、荷物の整理。村上さんは最後の望みを託し荷物を全部ひっくり返し、なくなった7万円を探す。しかし、結局見つかず意気消沈。9:00すぎ24号の小池さんが来る。JAICAの仕事で来ている友達に会いに行くとのことで鍵を置いて行った。ここで小池さんとはお別れ。握手をして別れる。荷物をまとめて24号に移す。村上さんは江原さん(この日ザンジバルに向け出発)の代わりに24号に入る。村上さんは小池さんと一緒に13日マダガスカルに再度移動予定。
 昼、村上さんが自炊するというので一人でベジタリアンの店アフリカーナに飯を食いに行く。前から気になっていた「SPECIAL LUNCH」(150sh)を注文すると三階の部屋に通された。特別待遇に胸が膨らむ。五品ほどおかずがあり、ライスとチャパティーが付く。とてもまずい。せっかく(150sh)も払ったのに。とてもまずいので残して早々に引き上げる。部屋に戻り村上さんに飛行機の乗り方などを聞きながら、ごろごろする。最後にナイロビの町を歩きに行くが日曜なので店はほとんど全部閉まり、人も全然いない。
 15時にイクバルを出る。村上さんと芦田さんが見送ってくれた。タクシーは最初800shと言ってきたが530shで妥協する。空港に着くがどこに行ったらよいのか解らない。着いたときの見覚えのある建物に行くがarrivalと書いてあるので違うみたいだ。違う建物に行きうろちょろしていたら、あっちの建物だと教えてくれた。チェックインをして、両替をしに行ったら10$になった。

3月10日(月)
 カラチで14時間のトランジットである。この飛行機から乗り継いで成田に向かうのは日本人だけらしく、まとめて手続きをしてくれたので助かった。パキスタン)の入国には黄熱のイエローカードがいるということで、ナイロビを出るときにこれをなくしてしまったことに気が付いた自分はかなり焦るが、コレラのイエローカードを渡した。中身は見ずにすんなりOKであった。バスに乗りホテルに向かう。この際、日本語ぺらぺらのPIAのガイドが市内観光の案内をしていた。20$と言うことなので行くことにした。他の日本人もたいての人は行くと言った。
 ホテルはシングルがないというので自分と同じく一人でいた人と一緒に部屋にはいった。彼は半年間ナイロビのスワヒリ語学校に入って、その後の半年を自由に過ごしていたそうだ。予防薬は飲んでいたが、ザンジバルでマラリアにかかり高熱と下痢、関節痛に悩まされたとのこと。予防薬を倍の量飲み、次の日に病院に行ってなおしたそうだ。ここのホテルは冷房はあるがお湯が出ず、かなり期待はずれ。
 ホテルで昼まで寝てから昼食をとり、度派手なバスに乗り市内観光に向かう。カラチはすごい都会でびっくりした。走っている車もアフリカより格段にいい。道路も広く、よく整備されている。ガイドに聞いたらオイルがででいるとのこと。ずいぶんと貧しい国だと思っていたが、偏見だった。ほんと、自分で見てみないと知らないこと、解らないことや、勘違いしていることが多くあると思った。


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