「さて...この化石群は、オーストラリア南部のエディアカラ丘陵という所
で大量に発見されたものだ。先カンブリア時代の末期、今からおよそ6億
年前といわれている。この後、5億7000万年前から古生代のカンブリア
紀が始まるわけだから、それより少し前ということだね...これは、この地
球上で見つかっている最古の大型生物の化石ということになる。ストロマト
ライトは大きさが数ミクロン程度の微化石だからね」
「どんな生物なのでしょうか?」
「うーむ。特徴的なのは、軟組織だけの生物体だということだ。つまり、ま
だ骨格や殻のような硬組織が発達してきていない。最大で、1メートルに達
するものもあるが、当時の海には外敵というものがいなかったのだろう。そ
うした原始の海で、のどかに繁殖していたわけだ」
「これらは、今も残っているのでしょうか?」
「少し前までは、クラゲやゴカイなどの仲間と考えられていたようだ。しかし
最近は、ベンドゾア生物という、全く別のものと考えられている。構造は隔
壁のあるエアマットのような状態で、口もなければ消化器もない。つまり、
内部構造がないわけだ。こうした化石は、このエディアカラ丘陵だけでな
く、アフリカ、イギリス、ロシア、カナダ、中国などでも見つかっている。しか
し、いずれも、爆発的な生物の大発生となる古生代のカンブリア紀までに
は絶滅している」
「それが、化石から分かるわけですね」
「うむ。それ以後の地層からは、全く発見されなくなるからね。これは“進化
の袋小路”だったといえるわけだ。しかし、だからといって、このベンドゾア
生物が無意味なものだったというわけではない」
「はい...」
「さて...バージェス頁岩は、カナダのロッキー山脈で発見されたカンブリ
ア紀中期の地層だ。しかし、これについて説明する前に、5億7000万年
前から始まる古生代のカンブリア紀について説明しておこう。生物の歴史
は、こ先カンブリア紀とカンブリア紀との間で大きく分かれている。つまり、
このカンブリア紀から、まさに生物が爆発的に増大してくるわけだ。最初の
生物が発生して以来、30億年もの間、古代の海は静かでのどかだった。
しかし、カンブリア紀からは、突然、多細胞生物が爆発的に大増殖してい
る。生物進化の多様性も大ブレイクするわけだ。この要因が、つまり
“大気中の酸素濃度が1%に達するパスツール・ポイント”
だと考えられる。生物体は、アルコール発酵の19倍ものエネルギーを容
易に手に入れることが出来るようになったわけだ。いってみれば、木炭自
動車からガソリン自動車に変わったようなものだ」
夏美は、コクリとうなづいた。
「それでパスツールポイントが重要になってくるわけですね。地球大気の酸
素濃度がパスツールポイントを超え、先カンブリア時代が終了すると、」
「うむ。しかし、このパスツール・ポイントは、原核生物から、真核生物の発
生時期だったという意見もあるようだね」
「酸素濃度は、今もどんどん上昇しているのでしょうか?」
「どうかな...いや、それはないと思う。ともかく、現在の約20%が最適
だ。これよりも1%でも酸素濃度が高くなると、発火点が低くなってしまう。
つまり、火事が起き易くなるわけだな。まず、何と言っても、森林火災が急
増してくるはずだ。それに、石油や石炭もやたらに燃えやすくなるだろう。
そうなると、この地球上に生命体は住みにくくなる。これはテキストにはな
い話になるが、現在のこの奇跡的に安定している状態は、」
「じゃ、相当に、微妙なのでしょうか?」
「ま、そう言うことだ。いいかね、この現在の状況は、非常に微妙なバラン
スの上にある。地球の現在の状況は、ちょうど水が3つの相を常に遍歴し
ている。つまり、水蒸気である気体と常温での液体、そして氷という固体の
相を、大規模なレベルで循環している。海水が水蒸気となって蒸発し、雨
や雪を降らせるのを見ても分かるだろう。この地球の温度の微妙さは、我
々生命体の体温の微妙さにも似ている...」
「はい...」
「これは、太陽の放射熱や、地球の惑星軌道距離、大気圏の成分や厚さ
等、様々な要素が絡み合って、この今の地球表面の温度が保持されてい
る。ま...くり返しになるが、この奇跡的なバランスの上に、地球の巨大生
命圏が形成されているわけだ。そして、有機質の生命体を数十億年にわ
たって育んできた...これをどう思うかね、夏美君?」
「裏返せば、“人間原理”の発想ということでしょうか?」
「うむ。さて、テキストに戻るとするかね」
「はい。ええと...バージェス動物群の説明からです。」
「うむ。この、カナダのロッキー山脈で発見されたバージェス頁岩は、カンブ
リア紀中期の地層だ。大量の化石が含まれていて、軟体部の細部にいた
るまで非常に良く保存されているようだ。特徴的なのは、まだ無脊椎動物
ただということだ。しかし、先カンブリア時代の生物と異なる点は、殻や、骨
格などの硬組織を持つグループが出現し始めてくることだ。その代表格
が、有名な三葉虫だ。これは節足動物だが、カンブリア紀に大繁栄を誇っ
ている。その他に、海綿類、腕足類、古杯類などがあるが、他にも多様な
動物がいた。ちなみに、バージェス動物群は、門レベルで30に区分されて
いる。そのうち、現在知られている門は11のみで、残りの19門は所属不
明の未知グループになる。ま、こうしたグループは、後の世代に子孫を残
せず、絶滅したのだろうね。ま、全体的に、生物進化の試行錯誤が展開し
ていたようだ...」