「ええ...《危機管理センター》の響子です...
いよいよ、今季のインフルエンザ・シーズンが本格化してきました。昨シーズンは、
新型インフルエンザの発生は無かったわけですが、それだけ、今季シーズンの発生
の危険性は、高まったわけです。この間、人類文明の対策の方は、進んだのでしょ
うか。情報は、各方面から順次上がってくると思います。追って、
influenza・掲示
版
で報告します...
それから、<
think
tank=赤い彗星>の厨川(くりやがわ)アンに、急遽、応援し
てもらうために、《危機管理センター》に入ってもらいました。
<
think
tank=赤い彗星>は、《航空宇宙基地・赤い稲妻》内に設立さ
れ、《危機管理センター》と隣接しています。私にとっては、力強い味方になりそうで
す。
ええ、アン...《危機管理センター》の、感想はどうでしょうか?」
「ええ...」
アンが、コンパクトに整理された、《危機管理センター》を見回していた。それか
ら、今回のためにセットされている作業テーブルに、自分のノートパソコンを置いた。
情報処理は、スーパーコンピューターが行い、壁面のメイン・モニターに統合されて
いるようだった。他の部屋の壁面スクリーンよりは各段に大きく、片側には幾つもの
画像がモザイク表示になっている。
「響子さんらしい...管制センターですわ...」アンが言った。
「ありがとうございます...」響子が、ニッコリと笑い、椅子に掛けた。「ええ、バイオ
ハザード専任の夏川清一ですが...
ノロウイルスの緊急会議に出席しているために、後からの参加となります...間
に合えばいいのですが、もしかしたら、欠席となるかも知れません...ええ、とりあ
えず、開始します」
「忙しそうですね、」アンが、自分のノートパソコンを開きながら言った。
「はい。いよいよ、シーズン・インですわ」


「さて...」響子が言った。「<現在の新型インフルエンザの状況>ですが...
先月/11月25日に、韓国・農林省が...韓国南部の全羅北道・益山市の養鶏
場で、大量死したニワトリから、高病原性鳥インフルエンザ/【H5N1型】を確認した
と、発表しています。
さらに、11月28日、韓国で2例目となる【H5N1型】が確認されています...こ
の2例目は、最初の感染が確認された養鶏所から、約3キロ離れた別の養鶏場との
ことです。2カ所の養鶏所の、周辺住民や検疫関係者が、【H5N1型】に感染した可
能性は、“報告されていない”、とのことです。それ以上は、分りません...
ええと...さらに、韓国で3例目の感染が...今月/12月11日に、発表されて
います。これも、全羅北道です。ええと、最初の感染があった益山市と隣接する、金
堤市の養鶏場です。ここでは、ウズラが大量死したようですね...韓国の、国立獣
医科学検疫院の検査で、【H5N1型】と確認されています...
12月15日現在、一番新しいニュースでは...ウズラが大量死した養鶏場から、
100万個以上のウズラの卵が...未洗浄の状態で出荷...韓国国内に流通して
いるようです。すでに、当局が回収に乗り出しています...」
アンは、大型管制モニターに、朝鮮半島の地図を拡大表示していた...その地
図上で、感染のあった全羅北道を見ていた。
「アン...」響子が言った。「隣の韓国では、非常にあわただしい状況になってきまし
たが、」
「そうですね...」アンが、眼鏡を押し上げた。「朝鮮半島は、大陸と地続きなだけ
に、色々な意味で、大陸の影響を強く受けますわ...
それから...今、気付いたのですが、北朝鮮で新型インフルエンザが流行した場
合、想像を絶する被害になりますわ...WHO(世界保健機関)では、何か対策を進めて
いるのでしょうか?」
「はい。私たちも関心を持って見守っています。でも、WHOも、十分な活動はできて
いないようです。
ええと...2006年4月の段階ですが...北朝鮮において、東アジアでは初めて
の、【H7型】の鳥インフルエンザウイルスが確認されています。【H7型】は【H5型】
と同様に、高病原性/強毒性ウイルスになる可能性があります。
【H7型】の鳥インフルエンザウイルスは、昨年、パキスタンとアメリカで、2年前に
はオランダで確認されています...今回、なぜ北朝鮮で発見されたのかは、現在も
調査中です...」
「北朝鮮・当局は...新型インフルエンザには、どのような対応なのでしょうか?」
「国際社会へ、援助を求めています。
OIEと、FAO(国連食糧農業機関)と、WHO(世界保健機関)が援助しているようです。OIEと
いうのは、<ANIMAL
HEALTH/動物の健康>に関する国際機関のようなのですが、詳細はよく
分りません...調べておきます...」
「北朝鮮・当局も...それなりに、取り組んでいるということですね、」アンが、ゆっく
りとうなづいた。「市民レベルの、自由な国際交流のない国ですが、渡り鳥もそうだと
いうわけではありませんわ。パンデミックとなった場合、衛生インフラ、薬剤、食糧事
情...それから、国際支援活動の面からも、大変なことになることは、間違いありま
せん」
「はい、」響子が、コクリとうなづいた。「2003年の“新型肺炎・SARS”の時も、非
常に気をもみました。まだ、記憶に新しいですわ...この地域は、核爆弾どころでは
ありません。当面問題なのは、食糧ですわ」
「そうですね、」アンが、口に手を当てた。「でも、感染症に対し、脆弱(ぜいじゃく)なの
は、北朝鮮だけではありません。人類全体がそうですわ。グローバル化のために、
感染症に対して、きわめて脆弱な社会構造となっています。
感染症は文明の構造的欠陥が表面化してきたものです。それが、生態系とマッチ
していないということです。したがって、インフルエンザだけではありませんわ。エイ
ズ、西ナイル熱、ウイルス性出血熱など、全てがそうなのです」
「はい...」響子が、硬い表情でうなづいた。「そして...グローバル化で“巨大な
利益”を得ているのは、先進国の経済だけですわ。それも、“ほんの一握りの人た
ち”だけが、“グローバル化の恩恵”を受けているのですわ」
「現在の資本主義体制が、限界と言うことでしょうか?」アンが、首を大きくかしげた。
「そうです。現在の、資本主義体制の限界です」響子が言った。「すでに、先進国で
も、ほとんどの人たちにとって、“感染症の被害”や、“温暖化の被害”の方が、より
深刻です。
今季の、“新型インフルエンザの脅威”も、本質的には、“社会のグローバル化が
招いた危機”ですわ」
「ここでも、“文明の折り返し”が、急務ということですね」
「はい!」
〔1〕
WHOの定めた警告段階


「ええと...アンは、ご存知と思いますが...」響子が、なれた動作で、管制モニタ
ーの大型スクリーンをサッと見た。モザイクの1つを拡大した。「...“WHOの定めた
警報段階”は...【フェーズ・1】〜【フェーズ・6】の段階に分かれています...
昨年、別のページで取り上げていますが、ここで、再度述べておきます...
******************************************************************************************
〔WHOの定めた警報段階〕
【フェーズ・1】
ヒトから、新型インフルエンザウイルスは検出されていないが、動物から
ヒトへ感染する、“可能性を持つウイルス”が動物に検出される。
【フェーズ・2】
ヒトから、新型インフルエンザウイルスは検出されていないが、動物から
ヒトへ感染する、“リスクの高いウイルス”が動物に検出される。
【フェーズ・3】 ・・・<2006年12月現在: 新型ウイルスの段階>
動物からヒトへの、“新型インフルエンザ感染が確認”されているが、ヒ
トからヒトへの感染は、基本的にはない。
【フェーズ・4】
ヒトからヒトへの、“新型インフルエンザ感染が確認”されているが、感
染集団は小さく、限られている。
【フェーズ・5】
ヒトからヒトへの、“新型インフルエンザ感染が確認”され、パンデミック
(世界的大流行)発生のリスクが高い、より大きな集団発生が見られる。
【フェーズ・6】
パンデミックが発生し、一般社会で急速に感染が拡大している。
【後パンデミック期】
パンデミックが発生する前の状態へ、急速に回復している。
*********************************************************************************************
...ええ...以上のような、警報段階になっています...」
「はい...」アンが、拡大画像を見ながら、うなづいた。「現在は、【フェーズ・3】の段
階ということですね...」
「そうです...」響子が、モニターを見ながらうなずいた。「【フェーズ・4】の、ヒトから
ヒトへの集団感染が始まって、“ヒト・新型インフルエンザウイルスの発生”ということ
になるようです」
「その“ウイルスの変異”が、ポイントになるわけですね、」
「はい、」響子がうなづいた。「アンの方が、私よりは詳しいと思います...私は現場
の人間ではありません。《危機管理の専門》ではあっても、詳しい技術的なニュアン
スについては、分りません」
アンが、黙ってうなづいた。
「ともかく...新型インフルエンザは、」響子が言った。「発生の初期段階/ウイルス
の変異の直後を叩くのが、WHOの基本戦略です...むろん、日本においても、そう
いうことですね?」
「ええ...そうですね、」アンが言った。「もう少し具体的に言うと...
新型インフルエンザの発生のセンサーの感度を上げ、ヒトの集団感染ができるだ
け小さいうちに、それを早期に発見し、迅速に対処することです...」
「そうすれば、火災と同じ事で、被害を最小限にできるということですね、」
「そうです...
新型インフルエンザの場合は、直ちに交通を遮断して、感染拡大を封じ込めま
す。そして、“タミフル”等の坑インフルエンザ薬を投入し、発生地域を徹底的に消毒
をすることにななるでしょう...この風景は、【H5N1型】/鳥インフルエンザの状況
と、基本的に同じと考えていいと思います」
「はい...
そしてその間、一刻を争い、ワクチン製造プログラムが、大車輪で動き出すことに
なるわけですね...それから、感染疑惑地帯、疑惑ルートへの、“タミフル”の予防
的投与と消毒も開始されるわけですね、」
「この発生地域近くに、大都市、交通ターミナル、ハブ(中枢)空港が含まれていると、
パンデミック/世界的大流行になる可能性が、非常に高くなります...最近の交通
の発達状況を考えると、押さえ込むのは、非常に難しいかも知れません...」
「中国南部もそうですね。経済開発が進んでいますよね」
「中国南部に限ったことではありませんわ」
「はい...
これは、私の個人的な意見ですが...予防的に、危険地域の空港を一定期間閉
鎖するような...国際協力の枠組というものを、あらかじめ作って置くべきではない
でしょうか」
「そうですね...大幅に利用制限したり、防疫体制を強化した航空輸送体制も、一
定期間、必要かも知れません...でも、予防的にとなると、何処で発生するか分ら
ないわけです」
「うーん...そうですね...
そうした光景というのは、2003年の“新型肺炎・SARS”の感染拡大を彷彿とさ
せますわ」
「あれは、中国大陸南部でしたわね...やはり、中国大陸南部ということになるので
しょうか」
「うーん...“新型肺炎・SARS”の感染拡大を、簡単に振り返ってみましょうか。参
考になると思います」
「そうですね...」
響子が、キイボードを叩き、モニターに“新型肺炎・SARS”の情報を呼び出した。
「ええ...
当時、中国大陸南部で、新型インフルエンザ監視の網を張っていたWHOが...
中国/広東省で...“新型肺炎・SARS”の発症を知ったのは、2003年2月9日
でした...最初は、むろん、新型インンフルエザと思っていたようです。
しかし、当時、中国政府の協力が得られず、それ以後も、“ただ傍観するしかなか
った”と、WHOでは言っています。ええと...このことについては、中国政府は、後
に公式に謝罪しています...
ええと、それから...2月下旬...香港を旅行したアメリカ人が、ベトナムのハノ
イで体調を崩し、病院へ入院...事態が発覚します...その“謎の症状”と“経過”
が、世界的大ニュースに発展したわけです...
さて、3月上旬になると...ハノイの当該病院の医療スタッフ約20人が、同様の
症状に陥ります...また同時期に、香港の当該病院の医療スタッフ約20人も、同
様の症状を示すようになり、大混乱になりました...
さらに、3月12日には、WHOが全世界に、“新型肺炎・SARS”についての“警
告”を発しています...」
(詳しくは、こちらへどうぞ...)
「中国南部の都市では、」アンが言った。「それでも、“市民がマスクをしていない”な
ど、国際的な大問題になりましたね...当時を思い出しますわ...中国当局は、何
をやっているのかと...」
「そうですね...いい教訓になったと思います。その教訓を、私たちは今回、十分に
生かしたいと思います」
「問題は、去年より、どの程度対策が進んだのか、ですわ」
「そうですね、」響子が、うなづいた。「徐々に、情報が上がってくると思います」
〔2〕
国内死者:17万〜64万人と想定 



「次に...」響子が、モニターの右サイドに、別の画像を呼び出した。「パンデミックが
発生し...日本国内でも大流行となった場合...
ええと...3200万人が発症し、17万〜64万人が死亡すると想定しています。
これは、厚生労働省が2005年11月に策定した、『新型インフルエンザ対策行動
計画』によるものです...
でも、この数字は、当然のことですが...状況によって、大幅に変動すると思わ
れます。新型インフルエンザの毒性の強さも、実際に出現するまでは、分らないわけ
です」
「そうですね...」アンが、下に手を伸ばし、チャッピーの頭を撫でた。「1918年のス
ペイン風邪は、第1次世界大戦と重なるわけですが...日本国内で、推定50万人
が死亡したと言われます...その範囲内の犠牲者ということでしょうか、」
「はい、数字としてはそうですね...
でも、状況はまるで違いますわ。ウイルスの毒性も桁違いと思われますが...現
在の衛生インフラ、医療技術、そしてプラス面・マイナス面を含めての、輸送交通の
発達があります。それらが、複雑に絡んでくると思います。
それから、もう1つ別の側面になりますが...当時は、日本の人口がそれ程多く
ない頃でしたから、50万人と言うのは、現在とは比較にならないと思います」
アンが、モニターを見つめていたが、それから、首をひねった。
「それにしても...」と、アンが言った。「この厚生労働省が出した、64万人死亡とい
う数字は...多いと見るべきなのでしょうか...少ないと見るべきでしょうか...」
「うーん...そこが、まさに問題ですわ...」
「...でしょうね...」アンが笑いを浮かべた。
「犠牲者の人数を推定するのは、非常に難しいと思います...場合によっては、そ
れを“はるかに上回る死者”が出ると考えられます。
スペイン風邪ウイルス/“1918年ウイルス”は、全世界で4000万人/日本では
50万人という、人類史上最大の犠牲者を出しました...でも、それは、【H1N1型】
ウスイルであり...それは底病原性/弱毒性のウイルスだったのです」
「今度の【H5N1型】は...高病原性/強毒性のウイルスというわけですね」
「そうです...
先ほども触れましたが、【H5型】、【H7型】だけが、いわゆる高病原性/強毒性
になる可能性があります...現在、新型インフルエンザの最有力候補となっている
のは、【H5N1型】はですから、高病原性/強毒性ウイルスと考えられるわけです」
「ええと、響子さん...
この“H”と“N”というのは、ウイルスの表面にあるタンパク質のことですね。このタ
ンバク質の形が、毎年少しづつ変化することによって、毎年ワクチンが必要になるわ
けですね、」
「あ、はい...そうですね...
インフルエンザウイルスは、毎年、マイナー・チェンジ(小規模なモデル・チェンジ)をしていま
す。そして、数十年に1度、フルモデル・チェンジをすることが分っています。それが、
新型インフルエンザです。そして、全く新しい型式のために、誰ひとり免疫を持ってい
ないために、大流行してしまうわけです。
したがって、特効薬のワクチンを作り、大量に製造分配するまでの、約6ヶ月間
が、最大の危機となるわけです。波状攻撃でやってきます。そして、新型インフルエン
ザウイルスが、従来のように底病原性/弱毒性ウイルスのなら、これほどの未曾有
の大騒ぎになることもないわけです。
これまでにも、1957年のアジア風邪、1968年の香港風邪と、新型インフルエン
ザはそれなりの被害は出ましたが、人類はなんとなくやり過ごしてきたわけです。む
ろん、それに対抗する力もありませんでした。1918年のスペイン風邪は、最大の犠
牲者を出しましたが、あの頃はまだ、インフルエンザの正体が知られていなかったの
です。また、第1次世界大戦という異常な社会状況と重なったのです...
そこで...何故、今回これほどまでに危機感が高まっているかというと、これまで
とは違って、高病原性/強毒性ウイルスだということです。その上、世界がグローバ
ル化していて、“人類全体が1つの運命共同体”に陥っているということですわ...」
「そうですね...」アンが、眼鏡に手をやった。「今、日本ではノロウイルスが蔓延して
いますが...漫然と対応していると、感染症というのは非常に厄介です。
できるだけ多くの情報提供をし、対応に“齟齬(そご/くいちがい)が無いようにすること”
が、最も大事なことです...日本の国民は、それを理解できるはずですから...」
「はい...ええ、新型インフルエンザの話にもどります...
【H5N1型】は、ニワトリに関しては、100%に近い致死率という、驚異的な毒性
を発揮するわけです。この、高病原性・鳥インフルエンザウイルスが、いよいよヒト型
に変異してくるというわけです...
ええ、これは...スペイン風邪(1918年)/【H1N1型】や、アジア風邪(1957年)/
【H2N2型】...それから、香港風邪(1968年)/【H3N2型】...ソ連風邪(1977年)
/【H1N1型】の例を見るように...必ず、ヒトの間で感染する、ヒト型の新型インフ
ルエンザに変異してきます。これは、間違いないものと思います...」
「そうですね...」アンが言った。「この変異で、強毒性が弱まると言われますが...
“必ず弱まる”という保障も無いわけですね、」
「はい...
ええ...その他にも、64万人と推定される犠牲者の...変動幅の大きい不確定
要素は、非常に多いわけです...
でも、逆に言えば...私たちの準備次第では...対応次第では...犠牲者を大
幅に縮小できる要素も、非常に多いということです...
そしてここは、私たちにとって肝心な所ですが...最後は、“個人的な心構え/
適切な対応”で、“リスクを大幅に回避”できると言うことです。これは、エイズなどで
も同じことですわ。“正しい知識”と、“図上訓練”、“実地訓練”を重ねることが必要で
す...そのあたりは、“火災訓練”と一緒だと思います」
「そうですね...
インフルエンザは、結局は、個人に感染する疾病という...強烈な側面を持ちま
す。回避できないケースもありますが...最終的には、個人的対応で“大幅なリスク
回避”が可能と言うことです」
「はい...」
響子は、スクリーンに、予防の訓練風景の動画を呼び出した。
「新型インフルエンザは、」響子は、顎を引いて動画を眺めながら言った。「確かに恐
ろしい感染症ですが...たかが、インフルエンザウイルスでもあるのです...
キッチリと、手洗・洗顔・うがいをし、マスクをし...住居の回りをしっかりと消毒
し、食べ物に気をつけ、免疫力をつけていれば、基本的にはリスクを回避できます。
個人的にできるのは、恐らくその程度でしょう...そして、いよいよ感染が広まって
きたら、極力、“外室は控える”ことです...
それから、本格的な大流行となった時は、社会活動が必然的に停止します。学校
は休校になり、交通は順次停止し、企業活動もストップします...感染のピークが
過ぎるまで、2、3週間でしょうか...1ヶ月ぐらいでしょうか...
したがって...その2、3週間の間は、家に引きこもり、“絶対に外出しない”、
“子供を外に出さない”というのが、考え得る“最強の対策”になりそうです。むろ
ん、その引きこもりのためには、食糧や薬剤の備蓄等の準備も必要です。また、そ
の心構えも必要になります...」
「そういうことになりますね...ともかく、“情報収集”に務めて欲しいと思います」
「うーん...先の問題になりますが...
“甘い対応”は、インフルエンザウイルスを、呼び込んでしまうことになります...
ほとんどの人は、初めての経験になると思います。どんな対応が、“甘い対応”なの
かなど、正確な信頼できる、“情報収集”に努めて欲しいと思います...
実際に、“図上訓練”や“実地訓練”をすることも必要だと思います。“巨大な死”
が、確実に襲い掛かってくるということでは、“火災訓練”よりは、“軍事訓練”に近い
のかも知れません...」

「それにしても...」アンが、脚にまつわり付く、チャッピーの頭に触れた。「空気感
染の感染症で...これほど強毒性のものが出現したことに...非常に大きな脅威
を感じます」
「うーん...そうですね...
ヒトの致死率は...約50%です。 ヒトの場合、50%というのは、ニワトリと違い、
最新の医療技術が全力投入されているからです...現在では、坑インフルエンザ
薬の“タミフル”なども投入されているはずです。
でも、パンデミック(世界的大流行)となった場合、先進国でも、そうしたインフラはパン
ク状態になると思われます...そうなった場合の、致死率は、はたしてどうでしょう
か、」
「厚生労働省としては、」アンが言った。「こうした新薬や、ワクチンなどを投入しても、
相当の犠牲者が出る、と想定しているわけです...それで、64万人という数字を出
したわけですわ、」
「はい...」響子が、うなづき、手を組みなおした。「新型インフルエンザウイルスか
ら、特効薬の“新型インフルエンザ・ワクチン”が作り出され、それが広く出回るまで
には...今の所、6ヶ月近くはかかると思われます。
比較的早い段階で、ワクチンが作られても、製造・流通・接種の体制が整うまで
に、かなりの時間がかかってしまいます...このあたりは、市民レベルの問題では
なく、ワクチン開発レベルの問題でもなく、厚生労働省の保健行政レベルの問題にな
ります。
色々と批判されることの多い行政ですが、ここは直接命に関わる問題であり、是
非、“十分に批判に耐えられる行政”をして欲しいと思います。何よりも、責任の所在
を明確にし、“迅速・確実・透明性”を確保し...“図上訓練”だけでなく、自衛隊の
機動力を投入した“実地訓練”なども、是非、やって欲しいですね。
インターネット時代ですから、“新型インフルエンザ・有事”については、1年以内に
は、“順次国民に全て開示”して欲しいと思います」
「そこは、力が入りますね」アンが、からかうように言った。
「はい、」響子が、はにかむように笑った。「いつも、ガッカリさせられますわ...だか
ら、今度こそは、事前に宣言しておきたいと思います。
ワクチンの入ったバイアル瓶の1本1本まで、しっかりとコンピューターで管理し、
責任の所在を明確にして置いて欲しいと思います。特に、格差社会ですから、お金
持ちや、大企業や、公務員が優先的にワクチン配布されることのないように、厳しく
管理して欲しいと思います...
ええと...ともかく、そうした上で...厚生労働省は、死亡者が17万〜64万人
という数字を出しているのだと思います」
「 64万人というのは、先ほどの話にもどりますが、半端な数字ではないですね...
それ程の大量の死者というのは...どうなのでしょうか、」
「うーん...ペストや、コレラや、大戦争を体験していない私たちの世代には、想像
を絶するものですわ...
でも、スペイン風邪の“1918年ウイルス”は、実際に日本において、50万人の犠
牲者を出しています...まさに、その時の社会状況が、再現される可能性があると
いうことですわ...」
「私は...アメリカで軍事関係の仕事で、“1918年ウイルス”については、過去に
遡って調査したことがあります...
あのスペイン風邪は、実は米陸軍キャンプの中で、最初の集団感染が起こってい
たのです。当時は、インフルエンザが、ウイルスが原因の疾病ということが、まだ知ら
れていなかった時代です。細菌は知られていても、“ろ過性(細菌濾過器を通過)”の、より
小さなウイルスというものは、その実態が知られていなかったのです。
したがって、そうした状況下で...スペイン風邪は第1次世界大戦下の、全地球
に蔓延したのです...ようやく複葉機が、のどかに空を飛び、それが戦争に参加し
た時代のことですわ。
そうした、航空輸送の未発達の時代に、まさにアラスカや太平洋の島々にまで、
“1918年ウイルス”は蔓延したのです。どのように蔓延したのか分りません。でも、
まさに、全地球で大流行したのです...
第1次世界大戦は、日本では激しい戦争ではありませんでした...私は戦争の
ことは詳しくありませんが、日本も参戦しています。でも、別名“欧州大戦”と言われ
ているように、本質的にはヨーロッパにおける大戦争です...
そして、そのヨーロッパにおいては、まさに大変な戦争でした。戦争犠牲者は、第
2次世界大戦の比ではありません。特に、西部戦線では、機関銃と泥沼の塹壕(ざんご
う)戦で、激しい消耗戦が続きました。戦車が登場したのも、まさにその異常な戦線
においてですわ...
そんな状況下での、新型インフルエンザの地球規模での大流行でした。“1918年
ウイルス”は、そんな世界中から、さらに“4000万もの人命”を奪い取ったのです。
人々の心には、“人間の大戦争に対する、神の怒り”と見えたのも、うなずけると
思います...
高杉・塾長はじめ、皆さんは...インフルエンザやエイズなどの感染症を、“文明
の破壊”に対する、生態系の“ホメオスタシス(恒常性)”と受け止めていますね...そ
れと、同じ意味だと思います...スペイン風邪/新型インフルエンザは、まさに“神
の怒り”だったのでしょう...
21世紀初頭における新型インフルエンザの来襲も、“人類文明に対する大いな
る警告”なのかも知れません...再び、4000万人...いえ、4億人の命を奪い、
人類文明に大弾圧を加えるのかも知れません...それは、非常にドラスチック(強烈
に)に進むのかもしれません...」
「はい!」響子は、唇を結び、アンを見つめた。「私も、“文明の折り返し”への、“手
厳しい警告”だと思っていますわ!」
「そうですね...」アンがうなづいた。