MenuMy Work Stationgroup F36億年の彼・彼岸と此岸この私は何者か?

                                              ニュー・パラダイム仮説   36億年の彼・彼岸と此岸

 
   
この私は何者か 

  wpeE.jpg (4703 バイト)            index.8114.jpg (1055 バイト)             

 トップページHot SpotMenu最新のアップロード               塾長 / 統括責任者 :  高杉 光一

 

                                                               <199.8.11.13/開始>

 <1> ここに・・・

                   私というものを置いたのは誰なのか?   
 

  “上位システムの命”とは、すなわち“36億年の彼”という全体であり、かつそれは

1つの人格です。ある時間軸の視点から見た時、私たちの命は内臓の中の1細胞の

ようです。役割を終えると、あっさりとアポトーシスを起こして死んでいきます。そして

また次々に生まれ、新陳代謝をしつつ、その与えられた役割を果たして行きます。私

たちは、その“36億年の彼”から生まれた細胞であり、またその“36億年の彼”へ回

帰していきます。

 しかし、この“36億年の彼”は、それでは私たちとはまったく別の何者かなのか

というと、そうでもありません。太古以来営々と生み出されてきた命、その“無限数量

の私”によって築き上げられてきた大集合体こそが、“36億年の彼”の実体なのだと

いう事です。

 

  私たちの見る彼岸と此岸の風景は、その“彼”のほんの入り口なのでしょうか。

 

  この“36億年の彼”という人格が成立すれば、そこには様々な面白い風景が浮か

び上がってきます。様々な宗教に見られる、天国と地獄の風景。ほぼ同じ時代に符

合する、釈迦やキリストやマホメットの出現。また、不可解な生命体のもつ本能。ま

た、何故睡眠が必要であり、何故夢を見るのかという、古くて今も新しい疑問。さら

に、インフルエンザやエイズのような生命圏レベルの調整システムが、何処から発現

し、どのようなメカニズムで次々と人類文明に攻撃を仕掛けてくるのか、等々.....

  こうしたこの世界における疑問は、洪水のようにあります。ここでは、そうした疑問

を独自の角度から検証しつつ、“36億年の彼”という人格的概念を、さらに拡大深化

させていきます。

 

 

 <さて、本題に入ります...> 

 私たちは、生まれてきて死んでいくわけですが、考えてみれば、これは非常に奇妙

な風景です。私たちは、何処からやってきて、何処へ消え去っていくのでしょう

か...

 また、よくよく考えてみるに、私とはいったい何なのでしょうか?私は、フトそれと気

づいた時、私はすでにここに存在していました。私はすでに、過去形で、ここに在っ

たのです。この私とは、いったい誰のものなのか?見かけの上では、確かに私自身

のものなのですが、実際私自身のものなど一片でもあるのでしょうか...

 

 

                                                                   (1998.11.25)

 <2> 睡 眠 の 謎      

 

  さて、私たちの1つ1つの個体、1つ1つの人格は、“36億年の彼”の表面にあり

ます。そして、個体の死は、この“36億年の彼”の内部、彼岸への昇華と考えます。

このあたりのことは、もう1つ別のページ、“個体の死・残留人格昇華の経路”で考察

して行きます。

 くりかえしますが、個体は次々と生まれ、次々と死に、種の内部で新陳代謝してい

きます。また、種も次々と生まれ、次々と滅び、生態系の中で新陳代謝していきま

す。さらに、グンとスケールを大きく取れば、文明にも寿命というものがあります。そ

して文明も、大宇宙の中で新陳代謝の生滅を繰り返し、大宇宙に知的生命の存在を

維持して行くものと思われます。 

                           (宇宙文明論については、Group B に新しいページを準備しています。)

 

<話を進めます>

  観測されている、無数の個々の生物体の営みは、“36億年の彼”の彼岸の領域

と、常に濃密な相互作用があるように思えます。それがつまり、死者の復活や輪廻

の思想の源であり、基底意識や直観力の源流であり、様々な奇跡や超偶然を生み

出しているのではないでしょうか。こう考えてくると、この今、眼前している世界の不

思議さが、だいぶ分かってくるように思います。

(このあたりのことは、group.Aにある “人間的亜空世界の進化”で考察を始めた経緯がありますが、いずれ分かりやすく

統合して行きます。)

      

  しかし私は、“36億年の彼”の彼岸と此岸の関係は、これまで常識的に考えられ

てきたよりも、はるかに濃密に、表裏一体の関係で結びついていると考えています。

むろん、“彼岸”(あの世)と“此岸”(この世)の風景というような住み分けで割り切れるものと

は考えていません。

 たとえば、“睡眠”というものを考察してみます。人間やその他の動物にとって、致

命的とも言えるこの睡眠という無防備な状態が、何故必要なのか?しかも、睡眠は

基本的な欲望の1つです。食欲と同じように、それが満たされなくなると、死に至るほ

ど重要かつ基本的なものです。しかし、その睡眠中に何が起きているのか、生理学

的にどのような重要な異変が起こっているのか、現代文明はまだその謎を解いては

いません。寝首を取られるような敵の真っ只中でも、生物体はあえて睡眠をとらねば

ならないのは何故でしょうか...

 

 ここに、重大な疑問が湧いて来ます。

 

  この食物連鎖と自然淘汰の喧騒の中で、それらを冷静に見つめ、自らの利を獲得

し、それを我のものとしているのは何者でしょうか。圧倒的な勝者の無いように、常

に天敵を配置し、生命圏の安定性を神のごとくにコントロールしているシステムは、

何処にあるのでしょうか。私は、これこそが、“36億年の彼”の彼岸の領域にあると

考えています。

 

 “彼”にとっては、食物連鎖の中で、食べる者も食べられる者も、同じ1つのものな

のです。それは春に芽吹き、秋には枯葉となって散る山々の樹木のように、膨大な

無駄のくり返しなのです。しかし、この途方も無いシステムの作り出す無駄のくり返し

が、まさにこの巨大生命圏の基盤というわけなのです...

 

  個々の生物体と彼岸の関係を、先ほどは表裏一体の関係と言いましたが、こうも

言えると思います。彼岸の領域は大地であり、生物体とはそこに根を下ろしている植

物、あるいは昆虫、そして人間だと。つまり、生きていく上では、まさに不可分の大地

ということです。

 

  現在、生態系の中での種の生滅の風景は、大きく傷つき、退化しているように思

えます。人類文明の都合で大自然を改造し、害を成す病害虫や動植物を駆除し、自

然界の風景が単調化しつつあります。まだ私の子供の時代には、私たちは大自然

の風景のみに感動していたように思います。つまり、山育ちの私には、空の色や雲

の流れ、山々の紅葉や風のささやき、木枯らしの冷たさに、一喜一憂したものでし

た。

  いずれにせよ、大自然(生態系)がその多様性を失い、バネのあるダイナミックさ

を失いつつある今、人類文明は衰退の道を下り始めているのかもしれません。何故

なら、文明もまた、大宇宙の中で新陳代謝していくものと考えられるからです。

 ただし、文明の持つ寿命が、わずか1万年足らずのものとも思えません。人類文

明は、世界戦争や核エネルギーのコントロールを乗り越え、太陽系空間に拡大し、さ

らにこの貴重な生命圏を守り抜くことを信じています。わが“36億年の彼”と共

に...

 

 

 <3> 夢と幻想についての考察     

 

  いわゆる、我々が睡眠中に見る“夢”とはなんでしょうか。また、夢を見ない睡眠も

ありますし、目の覚めている時に幻想を見ることもあります。このような点を、“36億

年の彼”という視点から考察してみます。

 

                                                                            house5.114.2.jpg (1340 バイト)