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house1.116.1.jpg (2635 バイト)地 球 ・ 生 命 圏    wpeA.jpg (37064 バイト)

 

トップページHot SpotMenu最新のアップロード     執筆 : 高杉 光一      <1997.8.28 開始>

 

 

  ここでは、“生物体”を超えたレベル、“種”を超えたレベル、あるいはDNAをも超

えているかもしれない、地球生命圏のステージについて考察します。ただし、ここは

人間原理空間をテーマにしたホームページです。一般的な話は省き、私自身の視

界を展開します。

 

   生命圏は、生物と無生物とが、

               ダイナミックな形で、見事に織り込まれた織物である。

                                    <フリッチョフ・カプラ>

 

 

 <第1章 一体、生命とは何なのだろうか・・・・・   

 

  ここでもまた、何度目かの同じ疑問で始めてしまいました。しかし、ここは生命圏

のページです。当然ながら、生命圏の視野を用意しました。では、生命圏、あるいは

生態系という視野から生命体を見た場合、それはどのようなものなのでしょうか。

 生態系から生命体を見た場合、それは独立した個体のようには見えません。そ

の有機システムは、恒常的に環境と相互作用し、完全に生態系の中に織り込まれ

ています。また、食物連鎖の環の一部を占め、さらに我知らずに、DNAの野望の末

端を実践しています。もう少し具体的に言うと、こういうことです。例えば人間なら

ば、有機物の食物を取りいれ、無機物の水をのみ、塩をなめ、何故かは分からぬま

まDNAの最高モードを誇っていると・・・・・

 有機体(生命体)は、恒常的に環境と相互作用をしていると書きましたが、この環

境とは、有機物がその何割かを占めています。これが、生態系なのです。このよう

に、他の有機体と相互作用しなければ、維持できないような生命体とは、これは独

立した個体といえるのでしょうか。実は、一個の有機体が、実際には一個ではない

というような例は、身近なところにも幾らでもあるのです。例えば、動物などは、オス

とメスでワンペアであり、それで子孫が残せるのです。したがって、ある視点から見

れば、一匹のオスや一匹のメスというのは、独立した存在とは言えないのです。で

は、雌雄のワンペアで完璧かといえば、それで生態系から独立できるというようなも

のではありません。すべてが、生態系という織物の中に織り込まているのです。そし

て、その生態系は、さらに次々と大きな生態系に含まれ、それらの集合体が生命圏

となります。しかも、この生命圏もまた、開放系システムなのです。

 

< 素粒子論の話を持ち出すまでもなく、ここでも我々は傍観者ではありえません。

この世における我々は、あくまでも参与者です。我々は、常にすべてのものと、相互

作用をしていると言えるのです。適当な言葉が見つかりませんが・・・・・“我”は、そ

れらと不可分の、一体のものなのです。>

 

<話が少し、観念的抽象的になりすぎました。反省しています。>

 

 

                                                        (1997.8.31)

 <第2章 36億年の彼.....       

 

    さて、ここで、またもう一つ別の視点から眺めてみます。話は、“生命体・命のリ

ズム”のページと競合してしまいますが、生命体のスケールというものについて考

察します。

 原初・DNAは受け継がれ、原初・生命体の“命”も受け継がれています。そして、

それら全てが、今も生きているとはどのようなことでしょうか。

 

( 私は学者ではありませんので、専用の方法論というものを持っていません。しか

し、とりあえず、話の展開ということで、視界を開いてみます。)

 

 36億年前の、原初・生命体が生き続けている、“命”の本質・・・・・

       彼が、今もその原始地球の、海を記憶しているとしたら・・・・・

 

  彼の時間軸のスケールは、36億年ということになります。その36億年の長きに

わたって生き続け、拡大し、三次元空間に計測不能なほどの量の記憶を残していま

す。これは、つまり、こうは考えられないでしょうか。彼は、36億年の四次元連続体

という側面を持ち、一つの生命システムであると・・・・・かつまた、我々の上位シス

テムであると・・・・・

 

<私たちの体の細胞は、寿命の長いものでも、数年でほぼ新しい細胞と入れ替り

ます。神経細胞や脳細胞など、ごく一部が変わらないと言われますが、それでも体

全体がそっくり入れ替っているのです。しかし、私たちの体が、日々それほどの激烈

な変化にさらされ続けながら、私は私であり続けています。故障も、まずありませ

ん。私という命、私という人格は、極めて安定しているのです。個体レベルの激しい

物理的変動を超越し、生命体として安定しているもの、恒常性、人格、意識・・・・・こ

こに、命というものの本質の一端があるのではないでしょうか。>

 

 人体では、細胞が常に新陳代謝し、新しいものと入れ替わっています。同じよう

に、生態系においては、常に生物体という個体が激しく新陳代謝し、新しい命が生

滅を繰り返しています。また、生態系や生命圏のステージでは、“種”が更に長いス

パンで新陳代謝しています。

 

( これは、新陳代謝というよりは、進化の流れです。しかし、マイナスのエントロピー

という、同じ方向の力です。また、生命圏におけるこうした全ては、有機的に連動

し、巨大な織物を織り続けています。)

 

 生命体や生命圏というシステムは、いずれにしても、壮大な喧燥です。食物連鎖

とは、まさに途方も無くかまびすしいシステムです。しかし、こうした膨大な激流の中

で、確かにきわめて安定しているものがあります。それが、いわゆる、生命体を“命”

としているものでしょうか。また、人体においては“人格や意識”であり、生命圏にお

いては、“36億年の彼”なのでしょうか。

 

< 私たちが、“Aさん”を呼ぶ時、私たちは“Aさん”の何を指さしているのでしょう

か。肉体だけでしょうか?住所、氏名、年齢、職業、・・・・・これだけでしょうか?昨

日、一緒に釣りにいって、足を滑らせて海に落ちた彼の経歴は、反映されるのでしょ

うか?それら全てを含めて、“Aさん”と呼ぶのは、もっともなことです。では、その他

の過去はどうなるのでしょうか。“36億年の彼”の様に、誕生からの四次元連続体

として表現すべきなのでしょうか。

 むろん、これは慣習であり、記憶のあるなしの問題であり、深刻なことではありま

せん。ただ、私たちがある人を指定する時、単なる物理的側面だけを指しているの

ではないということです。その人の、誕生した時から現在までの、全存在を指定して

いることが多いのです。>

 

< 認識とは、時間軸で発現するものであり、名前を持つ全ての物は、時間軸の深

度を持ちます。例えば二次元の絵も、時間的深度が無ければ、認識の中には取り

込めないのです。従ってすべての存在は、四次元連続体というシッポを持っている

のです。この“認識”と“時間軸”との関係は、“物”と“心”の関係式を描く上で重要

です。>

 

< 人とは、壮大な関係性の織物の中の、一つの小さなシミの様なものです。しかも

それは、記憶という時間軸を持ったシミです。そして、織物全体は生命圏であり、

“36億年の彼”に相当します。むろん、織物は動き回りませんが、生命圏は極めて

ダイナミックに変動しています。しかも、構造化と進化という、神秘のベクトルに乗

り、何処かへと流れているように見えます。>

 

 

                                                                            house5.114.2.jpg (1340 バイト)