さて、ここで、またもう一つ別の視点から眺めてみます。話は、“生命体・命のリ
ズム”のページと競合してしまいますが、生命体のスケールというものについて考
察します。
原初・DNAは受け継がれ、原初・生命体の“命”も受け継がれています。そして、
それら全てが、今も生きているとはどのようなことでしょうか。
(
私は学者ではありませんので、専用の方法論というものを持っていません。しか
し、とりあえず、話の展開ということで、視界を開いてみます。)
36億年前の、原初・生命体が生き続けている、“命”の本質・・・・・
彼が、今もその原始地球の、海を記憶しているとしたら・・・・・
彼の時間軸のスケールは、36億年ということになります。その36億年の長きに
わたって生き続け、拡大し、三次元空間に計測不能なほどの量の記憶を残していま
す。これは、つまり、こうは考えられないでしょうか。彼は、36億年の四次元連続体
という側面を持ち、一つの生命システムであると・・・・・かつまた、我々の上位シス
テムであると・・・・・
<私たちの体の細胞は、寿命の長いものでも、数年でほぼ新しい細胞と入れ替り
ます。神経細胞や脳細胞など、ごく一部が変わらないと言われますが、それでも体
全体がそっくり入れ替っているのです。しかし、私たちの体が、日々それほどの激烈
な変化にさらされ続けながら、私は私であり続けています。故障も、まずありませ
ん。私という命、私という人格は、極めて安定しているのです。個体レベルの激しい
物理的変動を超越し、生命体として安定しているもの、恒常性、人格、意識・・・・・こ
こに、命というものの本質の一端があるのではないでしょうか。>
人体では、細胞が常に新陳代謝し、新しいものと入れ替わっています。同じよう
に、生態系においては、常に生物体という個体が激しく新陳代謝し、新しい命が生
滅を繰り返しています。また、生態系や生命圏のステージでは、“種”が更に長いス
パンで新陳代謝しています。
(
これは、新陳代謝というよりは、進化の流れです。しかし、マイナスのエントロピー
という、同じ方向の力です。また、生命圏におけるこうした全ては、有機的に連動
し、巨大な織物を織り続けています。)
生命体や生命圏というシステムは、いずれにしても、壮大な喧燥です。食物連鎖
とは、まさに途方も無くかまびすしいシステムです。しかし、こうした膨大な激流の中
で、確かにきわめて安定しているものがあります。それが、いわゆる、生命体を“命”
としているものでしょうか。また、人体においては“人格や意識”であり、生命圏にお
いては、“36億年の彼”なのでしょうか。
<
私たちが、“Aさん”を呼ぶ時、私たちは“Aさん”の何を指さしているのでしょう
か。肉体だけでしょうか?住所、氏名、年齢、職業、・・・・・これだけでしょうか?昨
日、一緒に釣りにいって、足を滑らせて海に落ちた彼の経歴は、反映されるのでしょ
うか?それら全てを含めて、“Aさん”と呼ぶのは、もっともなことです。では、その他
の過去はどうなるのでしょうか。“36億年の彼”の様に、誕生からの四次元連続体
として表現すべきなのでしょうか。
むろん、これは慣習であり、記憶のあるなしの問題であり、深刻なことではありま
せん。ただ、私たちがある人を指定する時、単なる物理的側面だけを指しているの
ではないということです。その人の、誕生した時から現在までの、全存在を指定して
いることが多いのです。>
<
認識とは、時間軸で発現するものであり、名前を持つ全ての物は、時間軸の深
度を持ちます。例えば二次元の絵も、時間的深度が無ければ、認識の中には取り
込めないのです。従ってすべての存在は、四次元連続体というシッポを持っている
のです。この“認識”と“時間軸”との関係は、“物”と“心”の関係式を描く上で重要
です。>
<
人とは、壮大な関係性の織物の中の、一つの小さなシミの様なものです。しかも
それは、記憶という時間軸を持ったシミです。そして、織物全体は生命圏であり、
“36億年の彼”に相当します。むろん、織物は動き回りませんが、生命圏は極めて
ダイナミックに変動しています。しかも、構造化と進化という、神秘のベクトルに乗
り、何処かへと流れているように見えます。>