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   更科紀行(さらしなきこう)/・・・芭蕉 
                                                                 
   


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 トップページHot SpotMenu最新のアップロード                          執筆: 星野 支折

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 2018年


  3月~
 

              上から・・・下 へ               
 3月  9日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
               上松町の木曽の桟近くにある橋を渡った右手の岩の上と、正面の2か所に句碑がある。   (ネットより画像借用)

《更科紀行(さらしなきこう)/・・・ 芭蕉(ばしょう)》・・・ (1)

プロローグ(序章)・・・(1)    


星野支折が…

インターネット・正面カメラに向かい、丁寧を下げた。

星野支折です!

今回は…本来の仕事/《文芸・担当/ジャンプ》で… 更科紀行考察します。

芭蕉については、これまでも奥の細道や、<古池や 蛙飛び込む 水の音>…の

などの考察があります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (2)

プロローグ・・・(2)


また、私以外にも…

ボス(/岡田)が…《仏教雑学/ジャンプ》 などで、芭蕉について考察したり、その他でも

色々な場面で取り上げて来ています。

<芭蕉><道元禅師>、そして<お釈迦様>は…ボス以下が、深く敬愛している

歴史上の人物ですので、これからも様々な場面で関わって行くと思います。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (3)

プロローグ・・・(3)


さて…

今回の 更科紀行 は…毎度のことですが、としても、初めて接する事になります。で

も、更科紀行掲載されている芭蕉有名な句は、他の折に読んだことがあるかも

知れません。なんと言っても、俳聖/芭蕉の句ですから…

更科紀行 は、短い紀行文(旅行の行程をたどるように体験した内容を記した文。 旅行記・道中記ともいう。)

ですが…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (4)

プロローグ・・・(4)


名文であり、当時/<江戸・元禄文化の頃の・・・中仙道の風物>を偲ばせる、味わ

い深い文学作品となっています…」


支折が、スクリーン・ボード画像を、インターネット更科紀行関連画像に切り

替えた。


「ええと…

“参考文献” としては、ネット掲載されている “幾つかの関連サイト等” を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
                  
『菅原孝標女の銅像』/ 千葉県市原市五井     (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (5)

プロローグ・・・(5)


参照して行きます。

形式としては…響子さん土佐日記 で作り上げた、<原文><現代語訳><響

子の言葉>に、(なら)う事にします。

あ、それから…

更科紀行 (さらしな・きこう )似た題名文学作品に、更級日記 (さらしな・にっき )という

のがあります。

<更科> <更級>と、字が違うわけですが、勘違いを避けるために、最初コメント

ておきます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
                           藤原道綱母(百人一首より)  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (6)

プロローグ・・・(6)


更級日記 の方は…

平安時代中期に書かれた回想録です。作者菅原道真(すがわら・みちざね/・・・天神様)

5世孫にあたる菅原孝標(すがわらの・たかすえ)次女/菅原孝標女(すがわらの・たかすえの・むす

め)です。

それから、もう1つ

彼女異母姉は、あの 蜻蛉日記(かげろうにっき)作者/藤原道綱母(ふじわらの・みちつな

の・はは)です。これも、関連情報として、ついでに、コメントしておきます。」



 3月  10日

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (7)

プロローグ・・・(7)


★★★★★★★★★★


『更科紀行』は…

1688年(/貞亨5年)/8月11日松尾芭蕉(まつお・ばしょう)

 『笈の小文』 (おいのこぶみ)紀行の後…

門人越智越人(おち・えつじん/越後出身の蕉門の俳人)を伴い、美濃(みの/現在の岐阜県南部)から

中山道(なかせんどう)を回り、江戸に戻った時の紀行文です。芭蕉45歳の時でした。

芭蕉は、俳人ですから…

東海道を真っ直ぐに江戸に下ったのでは、(げい)がありません。…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                                    
(ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (8)

プロローグ・・・(8)


そこで、心ルンルンで、中山道する計画を立て、信州方面迂回して帰りました。

つまり…

古来からうわさに聞く木曽路を通り…さらに、信州更科姥捨山(おばすてやま)秋の名月

を見…善光寺(ぜんこうじ)(もう)をして…北国街道(ほっこくかいどう)浅間山を回り…

江戸南下しています。

当時としては…

この様な…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (9)

プロローグ・・・(9)


景勝地を巡る、現代のような自由な旅ができたのは、おそらく、僧衣(そうい/僧がまとう衣

服・・・僧は世捨人で、また尊敬もされていて、咎められる事が少なかった様です。)をまとった、俳人ぐらいでは

なかったでしょうか。

いかに…

お金があっても、まだまだ物騒武家社会/武断社会でした。武士以外でも、をする

時には、懐刀(かいとう)長ドス(/特に侠客/渡世人の武器として使われていた)ぐらいは持っていた

のでしょう。

また各所に、威圧的関所(/中山道では木曽福島関所、碓氷関所・・・関所は、明治2年に明治政府によって

廃止されます。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (10)

プロローグ・・・(10)


…があり、五街道(/東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)以外は、まだまだ未整備

でした。

五街道も…もっぱら参勤交代のための宿場整備だったのでしょうが、しだいに大名

を置く以外にも、物流が盛んになります。各地の産物江戸に運ばれ、交通発達

て行った様です。

でも…芭蕉の生きた江戸時代前期/元禄時代(げんろく・じだい/1688年~1704年までの16年間。

5台将軍/綱吉の時代で・・・元禄文化が栄えます。)の頃は、まだまだ街道としても…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (11)

プロローグ・・・(11)


発達途上だったと思われます。

さあ…

8月11日に、美濃(みの/)出発し…姥捨山(おばすてやま)に着いたのが8月15日であり…

ここまでは、4泊5日の旅です。もっぱら徒歩で、険しい山道ですから、驚くべき健脚と言

われています。

芭蕉は、『奥の細道』 では…出羽三山羽黒山から月山(がっさん/標高1,984mの火山)にも

登っていますし…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (12)

プロローグ・・・(12)


…この木曽路踏破といい…芭蕉健脚ぶりには、本当驚かされます。

芭蕉は…この江戸帰着しますが…翌春には、そぞろ旅心がうずき、『奥の細道』

大冒険出発するわけです。順序としては逆になりますが、ともかく健脚でなければ、

旅好きにはなれなかったわけです。



 3月  11日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
木曽路は全て山の中。 上部右端は南アルプス、上部左端は北アルプス、中央部が中央アルプス。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (13)

プロローグ・・・(13)


では…

 『更科紀行』/本文の…考察に入ります。」

★★★★★

【更科紀行・・・原文/1‐ 1 】


さらしなの里、 姨捨山
(おばすてやま)の月見んこと、 しきりにすゝむる秋風の心に吹さわぎ

て、 ともに風雲の情を狂すもの又ひとり、 越人(えつじん)と云(いう)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
     
                            (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (14)

【更科紀行・・・原文/1‐ 2 】

木曾路は山深く道さがしく、旅寐(たびね)の力も心もとなしと、 荷兮子(かけいし)が 奴僕(ぬぼく

/召使の男)をして送らす。 おのおの心ざし尽つくすといへども、羇旅(きりょ/旅のこと) の事心

得ぬさまにて、ともにおぼつかなく、 ものごとのしどろにあとさきなるも…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                   
渓斎英泉/[木曾街道 藪原 鳥居峠 硯ノ清水]   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (15)

【更科紀行・・・原文/1‐ 3 】


…なかなかにおかしき事のみ多し。


☆☆☆☆☆

【更科紀行・・・現代語訳/1‐ 1 】


更科の里、姨捨山(おばすてやま)の月を見ることをしきりに勧める秋風が心の中に吹き騒い

で、ともに自然の中に遊ぼうと物狂いをおこしている者がまた一人。越人(えつじん)という。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
上松町の木曽の桟近くにある橋を渡った右手の岩の上と、正面の2か所に句碑がある。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (16)

【更科紀行・・・現代語訳/1‐ 2 】


木曾路は山が深く道もけわしいのだから、旅寐
(たびね)を続ける体力も心配だといって、名

古屋の門人荷兮(もんじん・かけい)が、下男をつけて送ってくれた。いろいろな人が心を尽くし

て気をつかってくれるのだが、旅や宿の事には通じていない様子で、皆頼りなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
     
                      木曾街道 馬籠駅・峠より遠望之図 (英泉)     (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (17)

【更科紀行・・・現代語訳/1‐ 3 】


…物事がしどろもどろに前後するのも、かえって面白く思える事が多いのだ。

 
♢ ♢ ♢ ♢ ♢

【更級日記・・・支折の言葉/1‐ 1】


「うーん…

私/星野支折も…

ワクワクです。さっそく、芭蕉と一緒に当時中山道に、<タイムスリップ/ = 通常

の・・・



 3月  12日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
                     北斎諸国滝廻り (一) : 木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝    (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (18)

【更級日記・・・支折の言葉/1‐2 】


・・・時間の流れから逸脱し、過去や未来の世界に移動すること…してみましょう。

8月11といえば…

旧盆(/8月13日~15日)直前の時季です。8月<俳句>ではもう<初秋>に入ります。

そして、猛暑から残暑という事になるのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
     
              北斎諸国滝廻り (一) : 木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝    (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (19)

【更級日記・・・支折の言葉/1‐3 】


その様な…

緑が繁茂し、昆虫が賑やかな真夏に、の山深い木曽路に分け入って行きま

す。

針葉樹林から木漏れ日の射す山道は、涼しさが心地よく、時には冷たい清水ご馳走

に、遭遇したのでしょうか。

清水の傍()で食べる素朴な…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
        『木曾街道六拾九次』/・・・見晴らしがいい峠で、飛脚らしき二人が一服。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (20)

【更級日記・・・支折の言葉/1‐4 】


昼飯などは、風雅風狂に生きる者の醍醐味です。

ともかく…

当時の人々は、というのは巨大なロマンでした。そしてに出るのは、命がけの大仕

でした。それほどというのは稀有な事だったのです。ほとんどの農民は、村から

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
                  
32木曾海道 六拾九次之内  本山(もとやま)(広重)。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (21)

【更級日記・・・支折の言葉/1‐5 】


一生出ることなく、過ごしました。

もちろん、時代は進みます。そして、一生に一度でも<お伊勢詣り>に行けたら、それ

一生の思い出という様な時代も来ます。でも、この<お伊勢参り>大流行するの

は、芭蕉活躍した、<江戸時代前期/元禄文化の頃>ではなく…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
     
                     木曾街道六拾九次  坂本宿 (/渓斎英泉画)    (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (22)

【更級日記・・・支折の言葉/1‐6 】


その後の、<江戸時代中期/以降の事・・・>…ですね。

東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅう・ひざくりげ)は、十返舎一九(じっぺん・しゃいっく)滑稽本(こっ

けいぼん)ですが、更科紀行時代よりも、125年ほど後出版されています…」


 3月  13日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
               木曽川上流・十二兼(じゅうにかね)    (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (23)

【更科紀行・・・原文/2‐ 1】


何ゝといふ所にて、六十斗
(むそじばかり)の道心の僧(/求道の僧)、おもしろげもおかしげもあ

らず、たゞむつゝとしたるが、腰たはむまで物おひ、息はせはしく、足はきざむやうにあ

ゆみ来れるを、ともなひける人のあはれがりて、をのゝ肩にかけたるもの共…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (24)

【更科紀行・・・原文/2‐ 2】


…かの僧のおひね物(おひねもの/旅の僧が背負う荷物)とひとつにからみて馬に付て、我をその

上にのす。

高山奇峰(こうざんきほう)(かしら)の上におほひ重りて、左りは大河(/木曽川)ながれ、岸下の

千尋(せんじん)のおもひをなし、尺地(せきち/1尺ほどの狭い土地)もたいらかならざれば、鞍のう

へ静か…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
         寝覚ノ床/長野県木曽郡上松町にある景勝地/国の名勝に指定  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (25)

【更科紀行・・・原文/2‐ 3】


…ならず、只(ただ)あやうき煩のみやむ時なし。

桟はしかけはし/木曽の桟・・・桟(さん)とは、木を組み合わせてかけ渡した棚 → 桟道/・・・山のがけの中腹に棚の

ように張り出してつくった道)、寝覚(ねざめ/寝覚ノ床・・・景勝地)など過て、猿が馬場・立峠などは四十

八曲リとかや。九(つづら)折重りて雲路(くもじ)にたどる心地せらる。

歩行(かち)より行(いく)ものさへ、眼くるめき、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
                    猿ヶ馬場山               (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (26)

【更科紀行・・・原文/2‐ 4】


…たまいゐしぼみて、足さだまらざりけるに、かのつれたる奴僕(ぬぼく/下男)いともおそ

るゝけしき見えず、馬のうへにて只(ただ)ねぶりにねぶりて、落ぬべき事あまたゝびなりけ

るを、あとより見あげてあやうき事かぎりなし。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
木曽街道六拾九次之内 第参拾八次  上松宿 (あげまつじゅく・・・桟はし/かけはし)  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (27)

【更科紀行・・・原文/2‐ 5】


仏の御心に衆生
(しゅうじょう)のうき世を見給ふもかゝる事にやと、無常迅速(むじょうじんそく)

いそがはしさも我身にかへり見られて、阿波(あわ)の鳴門(なると)は波風もなかりけり。



 3月  14日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                                     木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (28)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐ 1】


何とかという所で、六十(むそじ)ほどの乞食行脚(こじきあんぎゃ)の僧が、愛想(あいそう)も愛嬌

(あいきょう)もなく、ただむっつりとつまらなそうにしているのだが、腰が曲がるほど荷物を

背負って、息はせわしく、足は一寸刻みで歩み来たのを、供の人々があわれがって、そ

れぞれが肩にかけた…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                     木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (29)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐ 2】


…荷物をその僧の背負っている荷物と1つにまとめて馬にくくりつけて、私をその上に乗

せた。

高い山や見たこともない形の峰が頭の上に覆(おお)い重なって、左には大河(/木曽川)

流れ、崖の下は千尋(せんじん)もの深さがあるように思われ、びくびくしながら道を…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
                    上尾宿加茂之社 渓斎英泉 保永堂 桶川宿広原之景。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (30)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐3】


…進んでいく。少しも平らな地が無いので、ただ危なっかしく煩(わずら)いばかり止む時が

無い。

桟橋・寝覚の床(かけはし・ねざめのとこ)などを過ぎて、猿が馬場・立峠などは四十八曲りもあ

るかと思うほど、道が曲がりくねっている。

幾重にも道が折り重なって、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
      
上松町の木曽の桟近くにある橋を渡った右手の岩の上と、正面の2か所に句碑がある。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (31)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐4】


…雲の中の道をたどっている心地がする。歩いていくものさえ目がくらみ、魂がしぼみ足

ががくがくするのに、例の連れてきた下男は、まつたく怖がる気配も見えず、馬の上でた

だひたすら眠って、落馬しそうな場面も数回あり、後から見上げて…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
     
        『木曾街道六拾九次』/・・・見晴らしがいい峠で、飛脚らしき二人が一服。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (32)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐5】


…いると、どこまでも危なっかしく心配になる。

仏の御心で浮世の民をごらんになるのもこのようなお気持ちかと、万物がめまぐるしく流

(るてん)して、一定の状態にとどまないことも身につまされて実感され、阿波の鳴門をわ

たってみたが、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (33)

【更科紀行・・・現代語訳/2‐6】


…まったく波風が無いようなものだ。人生の荒波に比べたらと、兼好法師(/『徒然草』の吉田

兼好)が詠んだというが、まったくその通りだと思った。



 3月  15日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
                                 
                       (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (34)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐1】


「うーん…

<何ゝといふ所/・・・ナントカという所>で、60歳ほどの、<道心の僧/・・・仏道修

行し、悟りを求める志をもつ僧>…と同行になります。

<乞食行脚(こじき・あんぎゃ)の僧〉>現代語訳されていますが、愛想愛嬌もなく、何と

面白味のない僧侶の様です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
     
                               (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (35)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐2】


しかも、腰が曲がるほどの荷物を背負っている、とありますが、<おひね物/・・・旅の僧

が背負う荷物>という…<旅僧の独特の身支度>があった様ですね。

そういえば…

武士は…風呂敷を丸めたり、網の袋を、斜に背中に背負ったのでしょうか?

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
                  
振り分け荷物 長ドス タバコ入れとキセル   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (36)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐3】


町人は…振り分け荷物スタイルですよね。農民は…旅をしませんが背負子(しょいこ)

竹籠(たけかご)。そして修験道の僧などは、特殊な木箱のような物を背負っていました。

あ、薬売りも…

独特の箱を背負っていたのでしょうか。これらも、少し詳しく調べてみれば面白そうです

ね。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1       
     
                    富山駅前の薬売りの銅像   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (37)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐4】


現代版は…リックサックバックパックでしょうか?

ええ…ともかく…

その<道心の僧>は…息づかいがせわしく…歩行もままならないので、芭蕉供の者

が哀れがって…

うーん…馬を雇ったのでしょうか?僧の荷物と、自分達の荷物に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (38)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐5】


…括(くく)り付け、<我をその上にのす/・・・私をその上に乗せた>…というのは、

のことでしょうか?

ともかく…

そんな愛想の良くない僧のことを、芭蕉詳しく書き留めています。つまり、非常に強く印

象に残った、という事でしょう。

そう言えば…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
上松町の木曽の桟近くにある橋を渡った右手の岩の上と、正面の2か所に句碑がある。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (39)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐6】


芭蕉黒染めの僧形だったのでしょうか?片や求道の僧芭蕉たちは風狂の粋人(す

いじん/風流を好む人)で…忍者並み健脚?…ということですか。芭蕉は、この難儀楽しん

いた様ですね。

それから…

高い山々が連なり…左手には大河…これは木曽川です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (40)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐7】


この木曽川は、現在は下流の美濃加茂市から犬山市まで、<日本ライン/約13km>

という、川下りの名所になっています。

崖の下千尋の深さで、ビクビクしながら進みます。ただただ危なっかしく気が休まるこ

とがない様子が、記されています。



 3月  16日

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (41)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐8】


江戸へ続く<五街道/中山道>でも…

江戸時代前期では、まだこんな様子だったわけです。でも、拠点となる<宿場の連

絡/中山道六十九次・・・69を数える宿場の総称>は、次第に整備され、大難儀

はあっても、<宿場>をたどれば、無事に踏破できる様になります。

そうした中に…

<格式の高い・・・本陣(ほんじん)のおかれるような宿場>整備されて行くわけですね。

大名にとっては、<参勤交代は・・・莫大な散財>であり、これが<大名の国力を削ぎ

・・・富を庶民に再分配>する…徳川幕府統治戦略でもあったわけです。

このため…

世界でもな、<265年間という・・・平和な鎖国時代>が続き…日本独特の文化

爛熟期を迎えるわけです。


★ 本陣・・・

大名、宮家、公家、幕府役人など身分の高い旅行者のため、諸街道の宿場に設置された宿泊施設。本陣のほか脇本陣、

仮本陣、相本陣などの種類があった。)

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                    木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (42)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐9】


でも、芭蕉が生きた時代…

つまり、江戸時代前期/元禄文化時代は、日本はまだまだ未開であり、<旅という壮

大なロマン・・・そして、風雅風狂の尽きない大地>だった…というわけですね。時代

の流れ/文化の伝達も、非常に緩やかで、<文化人の放浪・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
              木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (43)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐10】


・・・/僧や画家・・・歌人・連歌師・俳人>も、ポツポツ増えて来た頃でしょうか。

さて…

桟橋・寝覚の床などを過ぎ…猿が馬場・立峠など…四十八曲りもあるかと思うほど、道

が曲がりくねって続きます。まるで雲の中の道をたどっている心地とあります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (44)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐11】


目がくらみ魂がしぼみ足がガクガクする、とありますから、よほど険しい難儀な街道/

山道だったのでしょう。

でも、例の連れて来た下男は、まったく怖がる気配も見せません。馬上でひたすら眠りに

眠って落馬しそうになったことも数回に及び…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
上松町の木曽の桟近くにある橋を渡った右手の岩の上と、正面の2か所に句碑がある。   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (45)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐12】


…どこまでも危なっかしく、見ている芭蕉たちの方がハラハラしています。

愛嬌のない無愛想な僧親切にし、自分馬上を嫌って歩行(かち)で行き、馬上下男

の様子にハラハラする…まさに、人のいい芭蕉庶民的人間性が感じられます。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (46)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐13】


そして、<芭蕉の風雅風狂の世界を・・・もう一歩、踏み込んで眺めて見る>と…

芭蕉自身は…

そうした自らの存在も…<禅定の感覚で、真我を頭上後方に置き・・・風雅風狂の達

人/透脱した禅的境涯>から…<全体を見守る様に・・・暖かく眺めている>…わ

けですね。

<怖いものを怖がる・・・風狂に生きる者の醍醐味・・・>を…その素朴な旅姿の上に、

体現している…という事になるのでしょうか。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
     
                 木曽川上流・十二兼         (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (47)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐14】


次に…

<仏の御心(みこころ)で・・・

つまり・・・御仏(みほとけ)が・・・

浮世の民を、ごらんになられている心境も・・・

このように・・・馬上の下男を見守る様に・・・

常に・・・ハラハラさせられて、おられるのでしょうか・・・>

…と芭蕉は、感嘆しています。

まさに人生とは、この様に、非常に危ういものかも知れない…という事なのでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
                            
木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (48)

【更科紀行・・・支折の言葉/2‐15】


芭蕉は…

この前の、 『笈の小文』(おいのこぶみ)紀行で、阿波鳴門海峡を渡っていますが…

<馬上で揺れる下男の・・・ハラハラする危うさ・・・>

…に比べたら、鳴門海峡などは、風波が無い様なものだ…と記しています。

うーん…

可笑しみのある…そして、含蓄のある言葉ですね。



 3月  17日

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          英泉「木曽街道」  岐阻街道 奈良井宿 名産店之図   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (49)

【更科紀行・・・原文/3‐1】


夜は草の枕を求て、昼のうち思ひもうけたるけしき、むすび捨たる発句(ほっく)など、矢立

(やたて/墨壷が付いている筆)取出て、灯の下にめをとぢ頭たゝきてうめき伏せば、かの道心の

坊、旅懐(りょかい)の心うくて物おもひするにやと推量し、我をなぐさめんとす。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          広重初代 「木曽海道六十九次之内 洗馬 【復刻版】」  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (50)

【更科紀行・・・原文/3‐2】


わかき時おがみめぐりたる地、あみだのたふとき、数をつくし、をのがあやしとおもひし事

共はなしつゞくるぞ、風情のさはりとなりて何を伝出る事もせず。とてもまぎれたる月影の、

かべの破れより木の間がくれにさし入て、引板の音、しかおふ声、…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                              姨捨山の千枚田                 (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (51)

【更科紀行・・・原文/3‐3】

 
…所ゝにきこへける。まことにかなしき秋の心爰(ここ)に尽せり。


「いでや月のあるじに酒振まはん」


といへば、さかづき持出(もちいで)たり。よのつねに一めぐりもおほきに見えて、ふつゝかな

る蒔絵(まきえ)をしたり。都の人はかゝるものは風情なしとて、手にもふれざり…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                                善光寺                    (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (52)

【更科紀行・・・原文/3‐4】


…けるに、思ひもかけぬ興に入て、青碗玉巵(せいわんぎょくし/立派な器物などのこと)の心ちせら

るも処がらなり。


★ あの中に 蒔絵(まきえ)書たし 宿の月


★ 桟(かけはし)や いのちをからむつたかづら


★ 桟(かけはし)や先おもひいづ 駒(こま)むかへ


★ 霧晴れて 桟(かけはし)は目も ふさがれず   
越人



岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                             善光寺街道  会田宿~乱橋宿            (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (53)

【更科紀行・・・原文/3‐5】


★ さらしなや 三よさの月見 雲もなし   越人

 

 

    姨捨山(おばすてやま)


★ 俤
(おもかげ)や 姥(うば)ひとり泣く 月の友


★ いざよひも まださらしなの 郡哉(こおりかな)


★ ひよろゝと 尚露(なおつゆ)けしや をみなへし


岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                            小林幸三・浅間山/群馬               (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (54)

【更科紀行・・・原文/3‐6】


★ 木曾の橡(とち) 浮世の人の みやげ哉(かな)


★ 身にしみて 大根(だいこん)からし 秋の風


    善光寺(ぜんこうじ)


★ 月影や 四門四宗(しもんししゅう)も 只(ただ)ひとつ


★ 吹飛ばす 石は浅間の 野分哉(のわけかな)



 3月  18日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       矢立(やたて/筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具)   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (55)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐1】


夜は仮の宿を求めて街道沿いの旅館に泊まった。昼のうちに心にとどめておいた景色

や、作り捨てて推敲(すいこう/詩や文章をよくしようと何度も考え、作り直して、苦心すること。)もしていな

い発句(ほっく/詩歌の初めの一句)などを、矢立(やたて)を取り出して灯火の下に目を閉じ頭を

叩いてうめき伏していると、例の乞食行脚の僧が、私が旅の物憂さに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                           阿弥陀如来            (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (56)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐2】


…沈み込んでいるとあて推量して、私を慰めようとする。

若い時巡礼した地、阿弥陀如来がいかに尊いかなど、次々と話し、自分が興味深く面白

いと思う多くの事を話し続けるのが、風情の差しさわりとなってさっぱり句はできなかった。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          英泉「木曽街道」  岐阻街道 奈良井宿 名産店之図   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (57)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐3】


どうせ風情は失われてしまったので、いまさら月を見てもどうにもならないのだが、それで

も月の光は壁の破れから木の間を漏れてさし入ってきて、田の引板(ひた/鳴子(なるこ)・・・田畑

が鳥獣に荒らされるのを防ぐための仕掛け)がカラカラ鳴る音、鹿を追う声所々に聞こえてくる。

実に悲しい秋の風情。ここに…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1      
 
                              蒔絵の盃                       (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (58)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐4】


…極まるといったところか。


「さあ月見のご馳走をいたしましょう」


…と宿の人たちが言って、盃を持って外に出てきた。一般的な盃よりも一回りも大きく見

えて、さほどうまくない蒔絵(まきえ/金粉・銀粉などで漆器の表面に絵模様をつけた漆工芸品。奈良時代より

始まる。)を押してある。都の人はこのような器は風情が無い…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                            輪島塗/蒔絵・・・ 重箱                  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (59)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐5】


…というと手にも触れないだろうが、私には思いがけず趣深く感じられ、玉の碗に玉の器

と思われるのだが、こんな山中で飲んでいる場所柄からだろうか。


★ あの中に 蒔絵(まきえ)書たし 宿の月


    山中の宿で見る月は・・・

          格別に趣深い・・・

          あの月に蒔絵を・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                    木曽の桟/木曽路の桟道・・・上松(あげまつ)と福島との間にあった桟道   (ネットより画像借用) 

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (60)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐6】


    書きたいものだ・・・

★ 桟(かけはし)や いのちをからむ つたかづら


    音に聞こえる・・・

           木曾の難所だけある・・・

           千尋もあろうかという崖の上に・・・

           桟橋がかかっている・・・

           ふと見るとつたかずらが・・・

           その桟橋に命限りとからみついている・・・



 3月  19日

岡田健吉‏@zu5kokd 1 
 
                             木曽谷                     (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (61)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐7】


★ 桟(かけはし)や 先おもひいづ 馬むかへ


    桟橋をわたる時・・・

       つくづく思うのだ・・・

       その昔、都に木曾の馬を献上する・・・

       その駒迎えの時・・・

       どんなに危険な思いで・・・

       この桟橋を渡っていっただろうと・・・


 ★  <駒むかへ>・・・

         古来、八月に各地から奉納される馬を、逢坂の関まで迎えること。秋の季語

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          英泉「木曽街道」  岐阻街道 奈良井宿 名産店之図   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (62)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐8】


★ 霧晴れて 桟(かけはし)は目も ふさがれず   越人(えつじん)


    霧が晴れて・・・

    千尋の谷が見え来ると・・・

    桟は非常に危なっかしく・・・

    片時も目をふさがれないことだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                             姨捨山の月                 (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (63)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐9】


★ さらしなや 三よさの月見 雲もなし  越人


    更科で・・・

       三晩も続けて・・・

       月見をした・・・

       三晩とも・・・

       よく晴れ渡り・・・

       夜空には・・・

       雲ひとつなく・・・

       月が、クッキリと見えたことだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                       矢立(やたて/筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具)   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (64)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐10】


★ 俤(おもかげ)や 姥(うば)ひとりなく 月の友


    伝説に聞く・・・

    姨捨山に捨てられた老婆が・・・

       独り泣いる姿が見えるようだ・・・

       その俤を、月の友とし・・・

       私は今、しみじみと感慨にふけっている・・・


★ <姨捨山伝説>・・・

      <姨捨山伝説>は、 『大和物語』 などに見られます。貧さを背景…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                              姨捨山の千枚田                 (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (65)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐11】


…に、歩けなった老人を、口数を減らすために、山奥に捨てる慣習にまつわる伝説です。

国王の命令に背いて…

老人を秘かにかくまい、後日その老人の知恵によって危機を脱する話や、一度は捨てよう

とした老人を、連れ戻す話など…があります。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                             姨捨山の月                 (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (66)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐12】


★ いざよひ(十六夜)も まださらしなの 郡哉( こおりかな )


    望み通り・・・

       十五夜を更科で迎え・・・

       一晩たって、十六夜・・・

       私はまだ、更科の地を立ち去らず・・・

       月見をしていることだ・・・



 3月  20日

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                           女郎花(おみなえし)            (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (67)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐13】


★ ひよろゝと 尚(なお)(つゆ)けしや をみなへし


    女郎花(おみなえし)が露に濡れて・・・

       ひょろひょろと首をもたげる・・・

       名の通り手弱女(たおやめ)の・・・

       頼りない風情であることだ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                                   橡の実               橡の葉   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (68)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐14】


★ 木曾のとち(橡/・・・橡の実、栃の実) 浮世の人の みやげ哉(かな)


    木曾で拾った橡の実を・・・

       江戸の浮世の人々に・・・

       土産として持って帰ろう・・・

    隠遁(いんとん)生活の・・・

    心情が伝わるように・・・


    
<★ 橡の実>・・・古来、橡は隠遁者のイメージと結びついたようです。

    食用の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも出土しています。渋抜きは、ドングリよりも手間が

    かかり、長期間流水に浸して、大量の灰汁で煮るなど、高度な技術が必要といわれます。

    かつては・・・

    耕地に恵まれない山村では、ヒエやドングリと共に主食の一角を成していました。常食しない

    地域でも、飢饉の際の食料として重宝され、天井裏に備蓄しておく民家もあったといわれます。


★ 身にしみて 大根からし 秋の風



    秋風吹く中・・・

       大根が身に染みて辛い・・・

       秋の風情であるなあ・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1   
 
                              夜の善光寺                   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (69)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐15】


★ 月影や 四門四宗(しもんししゅう)も 只一ツ(ただ1つ)


    善光寺に・・・

       月の光が、煌々と降り注いでいる・・・

       四門四宗も、帰するは一つ・・・

       あの月のように、真如(しんにょ)の光なのだ・・・


        ★ <四門四宗>・・・

      <四門>…は善光寺四門 / 善光寺・浄土寺・雲上寺・無量寺。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                           浅間山の噴火        (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (70)

【更科紀行・・・現代語訳/3‐16】


 <四宗>…は、浄土宗・天台宗・律宗・倶舎宗の四衆派のこととか。(詳細不明)



★ 吹とばす 石はあさま(浅間/・・・浅間山の噴火)の 野分(のわき・のわけ)(かな)


    石を
、吹き飛ばす勢いで・・・

       浅間山の野分は・・・

       吹きすさぶことだ・・・


     <★野分(のわき・のわけ)・・・/秋の季語 >

       立春より数え、210日から220日頃によく吹くとされて、多くは台風やその余波を指し

       ていた、と言われます。



 3月  21日

   春分の日

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                     杉山杉風/蕉門十哲の1人・・・による芭蕉の肖像画  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (71)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐1】


「ええ…

宿における夜の情景ですね。灯火の下で、芭蕉旅の覚え帳に書いたスケッチや、作り

かけの発句(ほっく)などをめくり、矢立を取り出して、推敲を始めます。

面白いのは…

俳聖/芭蕉が…<目を閉じ・・・頭を叩き・・・うめき・・・言葉を捻り出している>…こ

とです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1     
 
                     杉山杉風/蕉門十哲の1人・・・による芭蕉の肖像画  (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (72)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐2】


自分を、多分に滑稽に描いています。でも、芭蕉自身が書いているのですから、本当の

なのでしょう。

それを…

例の、<乞食行脚の僧>当て推量し…芭蕉旅の物憂さに沈でいると思って、慰め

ようとします。何処までも、頓珍漢(とんちんかん/見当違いであること)な坊主です。

響子さんが… 小倉百人一首/60番→小式部内侍 の所で言っていましたが…

<こんな人物がいるから・・・世の中は楽しい>といった類人物ですね。

ちなみに、60番→小式部内侍 は…


★ 大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみも見ず 天の橋立  <ジャンプ>


小式部内侍の母は和泉式部で、どうせ歌合せは、母/和泉式部に作ってもらう

のだろうと、藤原定頼64番→権中納言定頼で・・・父親は藤原公任/『55番→大納言公任という

公子がからかい、しっぺ返しを受けたものです。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1    
 
                                                     (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (73)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐3】


こうした…

<面白さ/可笑しさ>は、響子さん担当した、土佐日記 にもあった様ですね。

本の古典共通する、<何か>…なのでしょうか。

ともかく、<乞食行脚の僧>は…

<わかき時おがみめぐりたる地、あみだのたふとき、数をつくし/・・・

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                                栃の実               栃の葉   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (74)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐4】


・・・若い時に巡礼した地、阿弥陀如来がいかに尊いかなど、次々と話し、>

…とあります。

芭蕉の方も…

本来、旅好きの上に僧侶の知己も多く、<古池や 蛙飛び込む 水の音>でも知

られている様に、若くして<深い禅的境涯を極めた・・・風狂の達人/風流人>です。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                             姨捨山の月                 (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (75)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐5】


当然、話は合うわけです。この時、芭蕉45歳旅僧60歳ほどです。一回り以上年齢

ですね。

それにしても…

<悟り/覚醒>という立場からいえば、雲泥の差があります。でも芭蕉は、そんな所は、

微塵見せてはいません。年上の僧への、を尽くしています。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
 
                          英泉「木曽街道」  岐阻街道 奈良井宿 名産店之図   (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (76)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐6】


その格の差や、句作の思案に…

気づかない僧侶も、極めてユニークですが…

一方…

芭蕉には…<衆生救済>などという、宗教的人生テーマは無いわけです。

芭蕉の方は…あくまでも、<風雅風狂の求道者・・・風流人/俳諧師>…という事な

のでしょう。

 

岡田健吉‏@zu5kokd1  
 
                           女郎花(おみなえし)            (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (77)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐7】


さて、ええと…

もう1人ユニーク登場人物は、例の下男です。

<荷兮子(かけいし/…子は敬意を示す語)下男です。荷兮尾張医師で、蕉門の俳人

す。蕉門には、豊かな商人武士の他に…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                              福島関所跡                      (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (78)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐8】


医師も、いた様ですね。いわゆる江戸元禄時代の、先進的な文化人/後援者といった

所でしょうか。

ともかく、この下男は…

医師/荷兮の供で、何度かこの中山道を往来した事がある様ですね。あるいは、この

の近くで生まれ

 

岡田健吉‏@zu5kokd1 
 
                              福島関所跡                      (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (79)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐9】


尾張の方に奉公に出た人物とも考えられます。

桟道(さんどう)のある福島には、<福島関所>があります。そこを、また戻っていくわけで

す。その帰りの旅一苦労です。

でも、当時は、一度でも街道を通れば、おそらく顔馴染みとなり、身元も知れ…

 

岡田健吉‏@zu5kokd1
     
                      木曾街道 馬籠駅・峠より遠望之図 (英泉)     (ネットより画像借用)

《更科紀行/・・・ 芭蕉》・・・ (80)

【更科紀行・・・支折の言葉/3‐10】


何かの折には、色々と助けてくれたのでしょう。

最後に…

“格の差”という言葉が出てきたので、思い出したのですが…

ボス(岡田)はかつて、芭蕉蕪村(/与謝蕪村・・・江戸時代中期の俳人、画家)とでは、格の違い

あると言っていました。それで、私も、そうかと思っていました。

今回、思ったのは…

芭蕉は、三重県伊賀武家出身であり…

芭蕉屹立(きつりつ/山などが高くそびえ立っていること。)とした雰囲気物腰(ものごし/人と接する時

の、ものの言いぶり。)は、その出自(しゅつじ/生まれ)から来ているのではないか、と思ったわけ

です。

蕪村や、一茶(/小林一茶・・・江戸時代後期の俳人)とは…

その生来姿勢違いが、人格となって、現れているのかも知れませんね。

もちろん、蕪村蕪村であり、一茶一茶であり、そして…芭蕉芭蕉なのですが…」

 

 

更科紀行 は、これでお終いです。

俳句の方は、現代語訳がありますので、

改めて解説する必要はないと思います…」