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ボス のTwitter =2014年 <正法眼蔵/・・・
有時
(うじ) 1 ~
46/完 > |
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ツイート の 記 録
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1月 14日 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(149) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(55)
★ 【有時(うじ/・・・ある時)/・・・普遍的時間・・・】・・・①
古仏(/・・・ここでは、薬山惟厳禅師のこと)言(いわ)く… 「有時は高々たる峰頂(ほうちょう)に立ち、有時は深々たる海底に行く、有時は 三頭八臂(さんずはっぴ/鬼神の姿・仏の姿)、有時は丈六八尺(じょうろくはっしゃく/)、有時 は拄杖払子(ちゅうじょうほっす/杖・払子=払子は・・・仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる 法具で、元は獣毛などを束ね柄をつけ、蚊虻を追い払う道具だった)、有時は露柱燈籠(ろちゅうとうろ う/仏殿の柱・灯篭)、有時は張三李四(ちょうさんりし/いわゆる・・・太郎・次郎)、有時は大地 虚空(だいちこくう/大地・大空)」
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1月 16日 木造観音菩薩立像 重要文化財 木造 彩色 彫眼 像高160.9 cm 平安時代・10世紀 九州国立博物館 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(150) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(56)-② いわゆる有時は、時すでにこれ有なり、有はみな時なり… 仏の姿そのものが時である… そのため、あらゆる時に…仏の荘厳な輝きがあるのである… それが、今の日常の時に他ならない…
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1月 17日 舎利弗像 (奈良・興福寺) (国宝/ 国宝館) 乾漆造/奈良時代 152.7 cm 釈迦の10大弟子の1人 で、智慧第一と言われる。 初期仏教で最も有名な仏 弟子は、舎利弗(しゃりほつ 、サーリプッタ)と目蓮(もく れん、モッガッラーナ)。 2人は、釈尊在世中の仏教 教団を支え、教団の拡大発 展に大きく寄与した。 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(151) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(57)-③ 1日を計ったことの無い人も、24時間を疑わない。時の移り変わりが明白だから 疑わない。 人が知らない事について疑う時…疑いは一定しないから、今の疑いが一致する とは限らない。が、疑いそのものが時の姿である。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(152) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(58)-④ 一切世界が、自己の内にあり… 一切世界の事々物々が、時である事を学べ。事々物々が邪魔し合わないのは、 時が時を邪魔しないようなもの。自己が発心(ほっしん)すれば、一切世界も同時に 発心し、自己と同じ心を持つ時が始まる。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(153) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(59)-⑤ 同じことは、修行・成道(じょうどう)についても言える。 一切世界が自己の内にあり…それを自己が体験するのである。 <自己が・・・時である> とは、このようなことである。
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1月 18日 釈迦10大弟子像 富楼那 (ふるな/ プンナ) (国宝) 奈良/興福寺 10大弟子中では、最古参 説法第一 富楼那 /拡大 釈迦10大弟子像 迦旃延 (かせんえん/ マハー・カッチャーナ) (国宝) 奈良/興福寺 10大弟子中では、 論議第一 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(154) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(60)-⑥ この道理により… 世界に様々な事物や諸々の草がある。みな時であり、各の時が一切世界を覆(お お)い尽くしている。このように学ぶことが、修行の始めである。この境地に至る時、 1本の草、1つの事物の真実が、明らかになる。
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1月 19日 釈迦10大弟子像 羅ご羅 (らごら/ ラーフラ または、ラゴーラ/ 釈迦の実子) (国宝) 奈良/興福寺 10大弟子中では、 密行第一 釈迦10大弟子像 舎利弗 (しゃりほつ) (国宝) (* 1月17日で説明 ) |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(155) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(61)-⑦ その境地に至る時… 初めて…1本の草、1つの事物の真実が明らかにされる。それが1つの事物を悟 ることであり、1本の草の真実を悟ることである。そのような時の他に時は無く、 その時が全ての時を究め尽くしている。
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1月 20日 釈迦10大弟子像 目けん連 (もくけんれん/ マハーモッガラーナ) (国宝) 奈良/興福寺 一般に目連(もくれん)と呼 ばれ、10大弟子中では、 神通第一 釈迦10大弟子像 須菩提 (すぼだい/ スブーティ) (国宝) 奈良/興福寺 10大弟子中では、 解空第一(げくう・だいいち) 須菩提/拡大 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(156) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(62)-⑧ ある草もある事物も、共に時である。それぞれの時において、一切世界を究め尽 す。このような時の他にどのような時もない事を、考えてみるべきである。つまり、 世界を成立させるものは、我の一瞬一瞬の全体験である。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(157) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(63)-⑨ ところが…仏道を学ばない者は皆… 「有時(うじ)は三頭八臂(さんずはっぴ)、有時は丈六八尺(じょうろくはっしゃく)/・・・ あ る時は鬼神の姿となり、ある時は仏の姿となる・・・」 …という言葉を聞いて… 「それは例えば・・・河を過ぎ、山を過ぎしがごとくなりと・・・
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(158) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(64)-⑩ 我は・・・すでに山河を通り過ぎ、今は宮殿に住んでいる。従って、山河と我は 天と地のように隔たっている・・・」 …と思う。 しかしそれが、真実の全てではない。山を登り、河を渡った時にも、我はあったの である。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(159) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(65)-⑪ 我の内に時があり…我は以前からあった… 従って…時は我から過ぎ去るものではない。その立場からすれば、過去の時も、 我の現在の内にある。もし、時が我の内を過ぎ行くものであるならば、我の内に は常に現在がある。
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1月 21日 薬上菩薩立像 (やくじょうぼさつ・りゅうぞう) 薬王菩薩立像 (やくおうぼさつ・りゅうぞう) 興福寺/南円堂の2立像 (共に・・・重要文化財) 鎌倉時代・建仁2年(1202) 奈良・興福寺蔵 釈迦如来像は文殊菩薩像 と普賢菩薩像を従えること が多い。薬上菩薩像と薬王 菩薩像を置くのは古い形。 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(160) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(66)-⑫ それが <有時> であり… <過去の時・現在の時> を呑み尽くし、吐き尽くし ている… たとえ鬼神の姿が昨日の時、仏の姿が今日の時でも…昨日も今日も、我が山の 上から千峰万峰を見渡し…我が今、ここにおいて見ている…
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(161) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(67)-⑬ 昨日の時も、今の我によって体験されるのであるから…離れているように見えて も、現在である。 この考え方からすれば…松も時であり、竹も時である。つまり、あらゆる時、あら ゆる存在が、今の我によって体験される。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(162) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(68)-⑭ 時が飛び去るものとばかり、考えてはならない。飛び去ることだけが、時の働きと 学んではならない。 時が飛び去るだけなら、我との間に隙間ができる。<有時>の道理を明した者 がないのは、飛び去るのみ、と考えたからである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(163) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(69)-⑮ 要点を言うならば…一切世界のあらゆる事物は、連なっている時である。それは <有時> であるから、我の <有時> である。 <有時> には経歴の働きがある。それはいわゆる、今日という日から、明日と いう日へ経歴する。
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1月 22日 黄檗希運 (おうばく・けうん) 黄檗山黄檗寺を開創 臨済宗開祖の臨済義玄の 師。 臨済義玄 (りんざい・ぎげん) 臨済宗の開祖 宗風は馬祖道一に始まる 禅風を究極まで推し進め、 中国禅宗史の頂点を極め た。 「喝!」(怒鳴ること)を多 用する峻烈な禅風、徳山の 「棒」とならび称される。 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(164) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(70)-⑯ また、今日から昨日へ経歴する。昨日から今日へ経歴する。今日から今日へ経 歴する。明日から明日へ経歴する。 つまり…時の全体が現在において体験され、成立する。時は常に、現在から現 在へ、流動的に体験される。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(165) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(71)-⑰ 経歴は時の働きであり、過去と現在が重なることはないが…過去の禅者たちは …青原(/青原行思(せいげん・ ぎょうし)・・・中国唐代の禅僧)も黄檗(/黄檗希運(おうばく・けうん)・・・ 中国唐代の禅僧)も、江西の馬祖(/馬祖道一(ばそ・どういつ)・・・中国唐代の禅僧)も石頭(/)も、みな時である。 自他が時なるがゆえに、修行も悟りも時である。入泥入水し、衆生を導くのも時 である。
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1月 23日 木造釈迦如来坐像 中金堂/興福寺本尊 (国宝) 283.9 cm 江戸時代 桧材・寄木造・漆箔・彫眼 持国天立像 (四天王の内) (じこくてん・りゅうぞう) 重要文化財 鎌倉時代 文治5年(1189年) 奈良・興福寺蔵 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(166) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(72)-⑱ ところが…仏道を学ばない者の考えや、その元となる考え方が誤っているため に…彼等は真実を知らない。 しかし、真実は…既に彼等の内にあるのであって、それに気づかないだけであ る。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(167) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(73)-⑲ 彼等は…今の時、今の自分が真実でないと思うから、仏の姿は自分には無いと 決めてしまう。しかし、自分に仏の姿が無いと、逃れようとするのもまた、有時の 一欠片(ひとかけら)である。それが、悟っていない者の、学ぶべき所である。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(168) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(74)-⑳ 今のこの世界に… 午(うま/午前11時~午後1時)の刻、未(ひつじ/午後1時~午後3時)の刻をあらしめているの も、それぞれの時をくり返している、有時の働きである。子(ね/午後11時~午前1時)も 時であり、寅(とら/午前3時~午前5時)も時である。 解脱していない人も時であり、解脱している人も時である。
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1月 24日 木造無著立像 (もくぞう・むちゃく・りゅうぞ う) 木造世親立像 (もくぞう・せしん・りゅうぞ う) 両像とも・・・ 奈良/興福寺/北円堂 (国宝) 桂材、寄木造、彩色、玉眼 無着像/194.7 cm 世親像/191.6 cm 鎌倉時代 運慶の工房の作 釈迦入滅後・・・約千年/ 5世紀頃、北インドで活躍 し、法相(ほっそう)教学を 確立した・・・無着・世親の 兄弟の像 無着像/全体 世親像/全体 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(169) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(75-21) このような時が、鬼神の姿となり仏の姿となって、一切世界を照らす。一切世界 が一切世界を究め尽くすことを <究尽(ぐうじん)> という。仏の姿が仏の姿のま まに、発心(ほっしん)、修行、悟り、解脱(げだつ)と実現することが、有時なのである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(170) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(76-22) 一切の時が一切の事物として究め尽くされていて、他に余りはない。余りは余りと して有時であるから、例え半分しか究め尽くされていなくとも、半分なりに究め尽く されている。躓(つまづ )いたと見える時も、有時に他ならない。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(171) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(77-23) 更に… これを突き詰めて行けば、躓(つまづ)きが現れる前も後も、共に有時である。それ ぞれの時においての、このような活発な有様が、有時なのである。従って、有時 を固定して考えてはならない。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(172) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(78-24) 人は…時が過ぎ去るものだとばかり考えていて…それが、過ぎ去らないという側 面には…気が付かない。 その事に気がつく事が、そのまま時なのであるが…気がつかない事もまた、時な のである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(173) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(79-25) もし人が…有時について知らなければ、それを解脱することはできない。例え、時 が去らないということを認めても、それが自己の内にある事を理解できない。例え それを理解しても、空しく、真の自己を模索している。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(174) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(80-26) その様な者から見れば、悟りの智慧も解脱の境地も、一時的なものに過ぎない 事になる。 しかし、その様な考えに関わりなく、有時は今ここに実現している。天界に現れる 天王や天人たちも、今の我が体験する、有時である。
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1月 25日 奈良/興福寺 東金堂 (とうこんどう) 奈良/興福寺/ 銅造薬師如来 及び両脇侍像 (重要文化財) (東金堂内の諸仏・・・) 東金堂は、聖武天皇が、叔 母/元正太上天皇(女帝) の病気平癒を祈願して建立 した。 薬師三尊像(薬師如来と両 脇侍菩薩像)を中心とする 諸仏を安置する。 須弥壇中央に本尊の薬師 如来坐像。その左方(向か って右)に脇侍の伝・日光 菩薩立像、右方(向かって 左)に脇侍の伝・月光(がっ こう)菩薩立像を安置する。 薬師如来像と日光菩薩像 の間には文殊菩薩坐像、 薬師如来像と月光菩薩像 の間には維摩居士坐像を 安置する。 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(175) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(81-27) 水陸の生物の有時も、我が体験し、我が実現している。生の世界、死の世界の 全生物も…皆、我が体験し実現し経歴している。 今の…我において実現し経歴するのでなければ、一事一物として出現せず、経 歴もないのである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(176) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(82-28) 経歴ということを…ただ風雨が東西に動く様なものだと、考えてはならない。一切 世界がめぐり動き、一切世界が進み退くことが、経歴なのである。 経歴とは…例えば春が…一時に、万物を覆(おおい)い尽くす様なことである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(177) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(83-29) 春といえば…春のほかに何も無いのに…春が移り変わることを学ぶべきである。 春は必ず、春から春へ移り変わる。経歴そのものは春ではないが、それが春の 時に成立する。この事を、詳しく学ぶべきである。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(178) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(84-30) 「経歴(けいれき/実際に見聞きしたり、体験したりすること・・・経験)とは… 経歴すべき世界が彼方にあって…経歴するものがそれに向かって多くの所を過 ぎ…長時間を経て行く所である…」 と、考えるのは、仏道を学ぶに真剣でないからである。
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1月 26日 銅造薬師如来坐像 (どうぞう・やくしにょらい・ざ ぞう) (重要文化財) 奈良/興福寺/東金堂 室町時代の作 255.0cm 両脇侍の伝・日光菩薩と 伝・月光菩薩は奈良時代 の作 木造文殊菩薩坐像 (もくぞう・もんじゅぼさつ・ざ ぞう) (国宝) 奈良/興福寺/東金堂 東金堂本尊薬師如来像の 左(向かって右)、維摩居士 像と対称となる位置に安 置。 ヒノキ材、寄木造、玉眼 木造維摩居士坐像 (もくぞう・ゆいまこじ・ざぞ う) (国宝) 奈良/興福寺/東金堂 金堂本尊薬師如来像の右 (向かって左)に安置。 ヒノキ材、寄木造、玉眼 反対側に安置する文殊菩 薩像と対をなす。 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(179) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(85-31) 薬山弘道(やくざん・こうどう/薬山惟儼禅師のこと。勅して、弘道大師と諡号される)大師が…無際 (むざい/石頭希遷)大師の指示に従って…江西(/中国の江西省)の大寂(だいじゃく/馬祖道 一)禅師を訪ねて問うた。 「経典の内容は大体分かりましたが、経典に書いてない事は、まだ分かりま せん。 <如何なるか是(これ)、祖師西来意(そし・せい・らい・い)>(≪祖師西来意/・・・達磨大師が 遠路、インドから中国へと来られた真意は何か?≫=【無門関・第37則/庭前柏樹】) の真意を教えて 下さい」
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(180) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(86-32) これに対し…大寂が答えた。 「有時(うじ)は彼をして揚眉瞬目(ようび・しゅんもく)せしむ・・・有時は彼をして揚眉 瞬目せしめず・・・有時は彼をして揚眉瞬目せしものは是なり・・・有時は彼を して揚眉瞬目せしものは不是なり・・・」 (/釈尊が優曇華(うどんげ・・・インドの想像上の植物。3000年に一度、その花の咲く時、転輪聖王が出現す るという)を拈じて、揚眉瞬目された時に・・・弟子のマハーカーシャパ/大迦葉がその真意をさとって微笑したと いう故事にもとずく・・・【無門関・第6則/世尊拈花(せそんねんげ)】) 薬山は、これを聞いて大悟。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(181) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(87-33) 薬山が言った。 「私が・・・以前、石頭和尚の所で学んだ時には、蚊が鉄牛に留ったように歯 が立ちませんでした。しかし、今は良く分かりました・・・」 |
1月 27日 木造四天王立像/ 広目天 奈良/興福寺/東金堂 (国宝) 平安時代初期 164.0 cm 桧材、一木造 木造十二神将立像/ 伐折羅 (ばさら) 奈良/興福寺/東金堂 (国宝) |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(182) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(88-34) 大寂(だいじゃく/馬祖道一)の言葉は、他の者の言葉と同じではない。ここに言う眉目 (びもく)とは、山海のことである。何故なら、解脱者は自然と一体となっているから である。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(183) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(89-35) 彼に眉(まゆ)を上げさせるものは、山を見るであろう。 彼に目を瞬(またた)かせるものは、海を学ぶであろう。 真実は彼に備わっており、眉を上げさせることによって、彼が生かされる。 これらの時が…全て有時(うじ)なのである…
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(184) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(90-36) 山も時であり、海も時である。時でなければ、山海のあるはずがないのであるか ら、山海が今の時でないと思ってはならない。もし時が壊れるなら、山海も壊れる であろう。時が壊れないなら、山海も壊れないであろう。
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1月 29日 木造十二神将立像/ 波夷羅 (ばいら) 奈良/興福寺/東金堂 (国宝) |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(185) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(91-37) このような道理によって… 明星(釈尊が成道の時に見た、明けの明星、金星)が現れ、仏が現れ、悟りの智慧が現れ、 以心伝心(いしんでんしん/・・・釈尊が優曇華(うどんげ・・・インドの想像上の植物。3000年に一度、そ の花の咲く時、転輪聖王が出現するという)を拈じて、揚眉瞬目された時に・・・弟子のマハーカーシャパ/大 迦葉がその真意をさとって微笑したという故事・・・【無門関・第6則/世尊拈花(せそんねんげ)】)が現れた のである。 これらがみな時である。時でなければ、その様な事は起こらなかったであろう。
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1月 30日 乾漆八部衆立像/ 阿修羅 奈良/興福寺/国宝館 (国宝) 像高 153.4 cm 奈良時代 他の像と違って甲冑を着け ず、上半身は条帛(じょうは く、襷状の布)を着けるのみ である 修羅像/頭部拡大 |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(186) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(92-38) 葉県(せつけん/江南省葉県)の帰省禅師(きせい・ぜんじ)は臨済(/臨在義玄・・・臨済宗の開祖) の法孫、首山(/首山省念禅師)の嫡嗣(ちゃくし/宗派の正統を継ぐ人)。ある時、僧たちに示 して言った。 「有時は・・・心が至って言葉が至らない。有時は・・・言葉が至って心が至ら ない。有時は・・・心も言葉も共に至り、有時は・・・心も言葉も共に至らない」
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(187) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(93-39) 心も言葉も、共に有時である。 至るのも至らないのも、共に有時である。至る時が来ていなくても、至らない時は すでに来ているのである。心は去る事のないもの、言葉はすでに到来しているも のである。
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1月 31日 銅造仏頭 旧山田寺講堂本尊の 薬師如来像の頭部 興福寺/国宝館に安置 総高98.3 cm (国宝) 飛鳥時代後期(白鳳期) 天武天皇14年(685年) 乾漆八部衆立像/ 五部浄(ごぶじょう) 奈良/興福寺/国宝館 (国宝) 像高 50.0 cm (現存部) |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(188) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(94-40) すでに到来しているものは心であり、去る事のないものは言葉である。至る時は、 他所からやって来るものではなく、至らない時は、まだ来ていないのではない。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(189) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(95-41) 有時とは、このようなもの… 至る事は、至る事に覆(おお)い尽くされ…至らない事には覆い尽くされない。 至らない事は、至らない事に覆い尽くされ、至る事には覆い尽くされない。 心は心を覆い尽くし、心の他の何物でもない。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(190) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(96-42) 言葉は言葉を覆い尽くし…言葉の他の何物でもない。 覆い尽くす事が…覆い尽くす事を覆い尽くす…これ時なり。 覆い尽くす事自体は、我によって為されるが…結果、覆い尽くす事を覆い尽くす 以外、覆い尽くす事はない。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(191) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(97-43) それは、例えば… 「我が出て人に会う」という時… 我が人に会い、人が人に会い、我が我に会い、出る事が出る事に会う…という事 と同じである。 これらが全て時でないならば…その様な事は起こらないであろう…
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2月 3日 乾漆八部衆立像 (国宝) 西新井大師/弘法大師 (東京都/足立区) 2月3日/節分の姿 (4月並みの穏やかな日和 で、西新井大師は、節分で にぎわっていました。 翌日は、気温が十数度下 がり、雪が降りました) |
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(192) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(98-44) これを修行の立場から見るならば…心は、真理が現れる時であり…言葉は、向上の 扉を開く時である。 至る時は、解脱の時であり…至らない時は、着かず離れずの時である。このように認 め、この様な有時を、あらしめて行きなさい。
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(193) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(99-45) 以上が先覚者たちの言葉である。他に、言うべきことはないか。いや、このように言う べきであろう。 「心と言葉が、半ば至るのも有時であり・・・心と言葉が、半ば至らないのも有時 である・・・」 この事を、身をもって、究めなさい…
岡田健吉@zu5kokd1 ( 禅・・・ 日本における展開 )・・・(194) 《 道元・・・ 『正法眼蔵』 》・・・(100-46) 彼に、眉を上げ目を瞬かせるのも半有時であり、迷いの有時である。彼に、眉を上げ 目を瞬かせないのも半有時であり、迷いの有時である。この様に、学び来たり、学び 去り、学び至り、学び至らない事が、有時なのである…
★ 《 以上・・・ 有時/全文要約・・・完 》
奈良/興福寺/国宝館・・・ 乾漆八部衆立像 (国宝) |