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2013年 9月 |
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記 録 ![]() ![]() ![]() |
9月/30日![]() ヘンな虫が花の蜜を... ![]() かすかに、虹... |
( 21世紀型・・・日本列島改造の時
)・・・(4) が判明 → 人間活動が温暖化を招いた可能性は、90% → 95%以上に上昇! 原発 は構造的な 高リスク + トイレの無いマンション状況。世界中で可能な対処 は、〔人間の巣のパラダイム〕 です。
( 21世紀型・・・日本列島改造の時
)・・・(3) 開を提唱しています。 安倍・政権は景気回復が最大課題。しかし、世界経済/世界金融の時代 は、早 晩終息します。原発・再稼働 の方は、延長線上に 核戦略 の臭いが漂います。
( 2回目・・・東京オリンピック開催決定に際し) 報道は、結果的にスポーツのホメ殺しになります。 一般的に → マスメディアが人気を煽(あお)るのは 迷惑千万なイヤミ! スター性 や期待感は… 国民の1人1人が醸成して行く領分 です…
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9月/29日![]() ![]() |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(210) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(10) 公案を評する頌(じゅ/・・・偈頌(げじゅ)ほめたたえる詩)で、無門禅師が言う… <頂門の眼/悟りの眼> に陶酔固執するならば、それは迷いの眼に転落する。 石霜の言う、<百尺竿頭> から歩み出せ。長沙の言う、市井の中の <動的禅 境>に、悟りを深めよと。
( 21世紀型・・・日本列島改造の時
)・・・(2) 国民は 経済原理のマラソン から…1歩距離をとるべきです。そして、謙虚な 自給 自足生活 を志向する。また、動的・表面的な観光文化から…内省的・精神性の深 遠を目指す文化へ、回帰する。簡単に言えば…日本の郷愁の時代へ、立ち返って 行くことです。
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9月/28日![]() ![]() |
( 21世紀型・・・日本列島改造の時
)・・・(1) 竜巻、寒波、ドカ雪…さらに 大地震 と 大噴火 … 安倍・政権は、国民生活無視の景気対策、原発・再稼働、戦争ゴッコです。国民 はまず… 経済原理 からの離脱を…検討する時です。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(209) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(9) <静的禅境> は承知…その上で、< 動的禅境> を行ない現していく。長沙の 提示である。 この禅境が公案で <次の1歩> を的確に示す。百尺竿頭を得たならば、再び市 井に返る。そこで <生活禅> を行い現していく…と言うことである。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(208) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(8) 仰山がそう言うと、長沙は雷鳴の如く襲いかかり、仰山を踏み倒した。仰山は嘆息 し、起き上りながら言った… 「やれ…仰山はまさに大虫/虎だ」 以後、長沙景岑禅師(ちょうしゃ・けいしん・ぜんじ)は“岑大虫(しんおおむし/しん大トラ)”と、あだ 名されるようになった。
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9月/27日![]() |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(207) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(7) 秋の夜、長沙禅師(ちょうしゃ・ぜんじ)と仰山禅師(ぎょうざん・ぜんじ)は明月をめでていた。 仰山が言う… 「一輪の明月・・・皆が持っているが、自由に使い得るものは少ない」 「ほう・・・良ければお目にかけようか」 「それは愉快だ。見せてもらおう」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(206) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(6) 公案では、石霜が言ったのは 「百尺竿頭 如何が歩を進めん」 だけである。後 は別の古禅哲の言葉で補っている。この古徳(/原文ではこうなっている)は、長沙景岑禅 師(ちょうしゃ・けいしん・ぜんじ)と言われる。潙仰宗(いぎょうしゅう)の仰山禅師とは親しい友 で、有名な禅問答が残されている。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(205) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(5) 修行者は、<百尺竿頭/静的一境> に留まってはならない。市井に入り、差別 の万境に身を置き、禅臭・悟臭(/禅のにおい・悟りのにおい)を脱落(/道元禅師の言う心身脱落 の意)…凡人の、<真の一如>(静的な禅境ではなく、生活の中の動的な禅境) を生きねばなら ない。寒山・拾得(2人とも、天台山/国清寺の行者)は風狂の徒(詩作をよくし、特に『寒山詩』は有名) だが、文殊・普賢(/文殊菩薩・普賢菩薩)の再来と呼ばれた。 (寒山寺は...中国江蘇省/蘇州市楓橋鎮にある臨済宗の寺院。寒山拾得の故事で名高い。伽藍の創建は8世 紀から9世紀に掛けてのことで。石頭希遷禅師によると伝えられる。全盛期の寒山寺の面積は広大で、“馬に乗って 山門を見る”と言われたほどと言う。寒山寺という寺名は、唐時代に風狂人/寒山がこの地で草庵を結んだという伝 承にちなむ)
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9月/26日![]() 水原 秋桜子の句碑 草紅葉 草加煎餅を干しにけり 秋桜子(明治25~昭和56年) 俳人であり、医学博士。高浜 虚子の高弟。 正岡子規・高浜虚子を師とす る、雑誌『ホトトギス』の中心 的な俳人。 ![]() この右下に秋桜子の句碑 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(204) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(4) <百尺竿頭の禅境/ ・・・迷悟なく、生死なく、自他なし> の、純粋そのものの 境地に陶酔したならば… <平等1枚の・・・静的な岩> に堕(だ)してしまう。それ は<死んだ・・・空虚な無> であり、 <真の妙悟> とは離れてしまう。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(203) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(3) しかし、百尺竿頭の禅境に胡座(こざ/あぐら)してしまうと、そこが一種の巣窟(そうくつ) になってしまうと、古禅哲(/長沙景岑禅師)は言う。 そこから歩を進め、十万世界の混乱に身を投じ、灰頭土面(かいとうどめん/・・・頭は灰だ らけ、顔は泥だらけ。迷いの真只中にいる状況 )の生活をして行くこと。それが、真に力量のある 禅者と説く。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(202) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(2) また、古禅哲(/公案にもう1人登場する禅匠・・・長沙景岑禅師(ちょうしゃ・けいしん・ぜんじ)と言われる。 潙仰宗の仰山禅師と親しい友)は言った… 「百尺竿頭((ひゃくしゃく・かんとう)に坐す人は、<這箇>(しゃこ/これ、これら・・・即今) を得 たとはいえ、未(いま)だ真の大悟に至らず。百尺竿頭に須(すべから)く歩を進め、 十万世界に全身を現すべし」 百尺竿頭は孤峰頂上(こほうちょうじょう)…一念不起(いちねんふき/雑念を起こさず)の絶対境… 霊性(/霊格)の開眼…
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(201) 《無門関-第46則・竿頭進歩》・・・(1) 石霜楚円(せきそう・そえん/986~1039年)は、南方中国は広西(/広西省・・・現在の広西チワン 族自治区)の生まれ。22歳で出家。唐王朝が崩壊(/五代十国時代(907年~960年)は、唐の滅 亡から北宋までの期間。22歳の時、前年に唐が滅亡・・・)した中を広く行脚、汾陽善昭禅師(ふんよ う・ぜんしょう・ぜんじ/臨済下第6世)に師事…臨済の宗風を高揚し、大きな足跡(/『無門関』の 無門禅師は、楚円禅師の遠い法孫に当たる)を残した禅匠… 石霜和尚は言った… 「百尺竿頭(ひゃくしゃく・かんとう)・・・如何(いか)が、歩を進めん」(/・・・100尺=約 30メートル の高さの竿の先から、如何様にして、1歩を進めるか・・・)
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(200) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(15) 師/雲岡禅師は、道灌の禅境を認めた。 <主人公> は時空間・生死・2元的世界観を超え、今も瑞巌と共に、道灌と共に 生きている。命の無い概念ではない。<主人公> は今も、私の一挙手一投足(いっ きょしゅ・いっとうそく)の中に生きている。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(199) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(14) 江戸城を築城した太田道灌(おおた・どうかん)が、この公案を参究した。久しく熱心に修 行。ついに透徹。師/雲岡禅師(うんこう・ぜんじ/龍穏寺住職)が問うた… 「即今、主人公はどこにおるか」 道灌が、夜空を見て答えた… 「月光の中、山は寺の鐘に応える」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(198) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(13) 古禅哲は言う… <瑞巌の禅風は、竜が明珠(めいしゅ)を愛で楽しむがごとし> …と。透徹した自受用三昧(じじゅよう・ざんまい/道元禅師が『正法現蔵』の中で使っている。坐禅が “正身端座”、中身を “自受用三昧”という)の禅境は、思弁的な <内観的自己反省の生 活> というような解釈とは、別次元にある。 <主人公> は今も生き続けている。
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9月/25日![]() |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(197) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(12) 瑞巌(ずいがん)は <天然の美少年> に毎日呼びかけ、自ら… 「はい」 と答えていた。そして… 「覚めています = キチンと向き合っています」 …と。 瑞巌の禅境は・・・深く澄み渡り・・・不動のもの・・・ 日々、研鑽(けんさん)を重ねて いた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(196) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(11) この偈は、絶対主体/悟りの風景を表現する。<天然の美少年> の光景は、 古代中国の絶世の美女…西施も色を失し…楊貴妃も光を失う…という。故に、 <心通う笑みを交わさぬうちは・・・生涯の痛恨事>という。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(195) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(10)
『本来の面目』 いまだ、心通う笑みを交わさぬうちは、断腸の想い 西施(せいし/古代中国4大美女の1人)の紅顔も、色を失し
楊貴妃(ようきひ/古代中国4大美女の1人)の優美も、光を失う
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(194) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(9) 瑞巌(ずいがん)は <絶対主体> に呼びかけ、<絶対主体> として返答している。 「絶対主体に…覚めている」…と… 京都・妙心寺(/臨済宗妙心寺派大本山の寺院。本尊は釈迦如来)の愚堂国師(/愚堂東寔(ぐどうと うしょく)江戸時代初期の、妙心寺第14世住持/住職)が、この絶対主体を6祖/慧能の言う <本来の面目>と題し、1偈(げ/詩)を詠んでいる。
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9月/24日![]() 芭蕉の銅像/草加松原 ![]() 高浜虚子の句碑/隣にある 巡礼や 草加あたりを帰る雁 (正岡子規が虚子を誘い、根 岸の家から千住、草加へと足 を延ばした折の作... 明治27年の早春で、同年8 月に日清戦争が勃発。子規 は従軍し、大陸に渡る。帰路 の船上で吐血...結核の闘 病生活が始まる・・・詳しくは) |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(193) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(8) 対象化・概念化が不可能な…<絶対主体/根本主体・・・主人公> は…時空間 ・生死の束縛を離れ…個でありながら個を超え、全体と不可分に重なる。何のこと はない。それはこの世に君臨する… <私自身の姿> である。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(192) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(7) 禅とは自己の心身を投げ出し、この様な <根本主体> に活眼を開き、それにな りきること。悟りとはこの体得のこと。『無門関』は、 <参禅は須(すべから)く祖師の関を透(とお)るべし。妙悟は心路を窮(きわ)めて絶せ んことを要す> という。
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9月/23日 秋分の日 ![]() 奥の細道・石碑/草加 ![]() モニュメント |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(191) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(6) 様々な名前で呼ぶこと自体、対象化・概念化への1歩である。巌頭(がんとう)禅師が、 「それ、逸(いっ)した」 と言ったゆえん。 栄西(えいさい/平安時代末期から鎌倉時代初期の僧。日本臨済宗の開祖、建仁寺の開山。『喫茶養生記』)の <歴刧無名の当体> 、倶胝の <1指> 、慧能(/6祖)の<本来の面目> 、臨済 (臨済宗の開祖)の<無位の真人> も同じ意味。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(190) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(5) 瑞巌和尚が呼びかける <主人公> とは何者か。普通の主人公ではない。この <主人公> は主体・客体を超えた絶対主体性を指す。一切の対象化・概念化の 不可能な、それ自身が存在の意味を全うする <根本主体> である。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(189) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(4) 瑞巌和尚は、毎日自ら 「主人公」 と呼びかけ、自ら 「はい」 と答えた。「はっきり 覚めているか」 と問い、「はい、覚めています」 と答えた。「どんな時でも、他人 に瞞(だま)されるな」と言い、「はい、大丈夫」 と答えた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(188) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(3) この公案は奇抜さで、非常に有名である。公案は古禅哲の深い禅体験から出た 言行である。表面的な言行を超えた禅旨が内在する。この公案も、表面の人生論 的教訓を超え、内在する禅旨に頷くのでなければ、意味はない。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(187) 《無門関-第12則・厳喚主人》・・・(2) 瑞巌(ずいがん)はこの参究を続け、ついに大悟した。彼は閔越(びんえつ/福建省の福州あ たり)の人と言われ、後に丹丘(/中国で仙人がすむといわれた所)に移り、終日阿呆の様に 岩の上に端坐していた。人々は彼を敬慕し、瑞巌寺の住職に迎えた。禅の指導は 厳格綿密で、人々の尊敬を集めたと言う。
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9月/22日![]() 奥の細道・石碑/草加 ![]() キアゲハ |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(186) 《無門関-第12則・厳喚主人》(がんかんしゅじん)・・・(1) 瑞厳師彦(ずいがん・しげん)は…唐末期の厳頭禅師(がんとう・ぜんじ)の法嗣。瑞巌が初め て巌頭にまみえた時に、問うた… 「永遠の真理とは、何ですか」 「それ、逸(いっ)した」 「逸すると、どうなりますか」 「それは、もはや、永遠の真理ではない」
( リニア中央新幹線 → タイタニック号の船出だな・・・) /1極集中に拍車。この事業モデルも、経済支配の終焉と共に、文明のパラダイム シフトに飲まれて行く。国民が、コンパクト・謙虚 な 自給自足社会 へ回帰していく のは、必須の流れです。
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9月/21日![]() |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(185) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(12) くり返すが…若い侍者は <1指> をまね、<偽りの1指> を断ち切られる。大声 で呼ばれて振り向くと、倶胝が <1指> を立てた。 激痛の中で、侍者は <真の1指> に目覚める。<天竜1指頭の禅…の結晶風 景>である。
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9月/20日![]() 旧国道4号 (越谷) |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(184) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(11) <1指> に頷(うなず)き得ない者は、精進を重ねるのが公案である。しかし、6祖 /慧能のように…5祖/弘忍(こうにん)の下、米つき行者(あんじゃ)8カ月で…グイ、と 禅の真髄を掴む者もいる。弘忍の衣鉢(/法嗣の証=黄梅山の寺宝)伝授の正しさは、禅 宗史が証明する。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(183) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(10) さりながら… <1指> とは何か? 真理/リアリティー・・・仏性・・・人と空気/魚と水・・・ 説明不可能なものであ る。あえて説明に及べば、白雲万里の彼方である。指を切断された侍者のごとく… <1指> に頷(うなず)く者は頷く…
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(182) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(9) <倶胝和尚、凡(およ)そ詰問(きつもん)あれば、唯1指を挙(きょ)す・・・> 倶胝は何を聞かれても、どんな公案を持って来ても、ただ1指を立てた。生涯、説法 はしなかったと言う。痛快だが…実際…説きようがない。ただ1指で、説き尽くして いた。
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9月/19日![]() 彼岸花/曼珠沙華 (草加松原) |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(181) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(8) 侍者が苦痛に号泣し走り去る。倶胝は彼を呼んだ。侍者が頭をめぐらすと、倶胝は 1指を立てた。侍者は忽然と頷悟した。 倶胝は臨終の時に言った… 「<天竜の1指頭の禅> を得て生涯使ったが・・・使い尽くせなかった」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(180) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(7) 倶胝和尚は、誰が何を問うてもただ1指を立てた。倶胝に若い有髪の侍者がいた。 訪問者が、「師匠はどんな禅を説かれますか」 と問うと、侍者も1指を立てた。こ れを聞いた倶胝は、刃で侍者の指を断ち切ってしまった。
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9月/18日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(179) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(6) 天竜禅師が <1指> を立てた時…倶胝の禅的な機は、満潮の様に満ちていた。 尼僧との出会いが、倶胝を <大疑の極限状態/一触即発> に追い込んでい た。 <1指> は <無門の関> への、最後の指差し教示だったろう。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(178) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(5) 老僧は、馬祖門下の大梅法常(だいばい・ほうじょう)の法嗣/天竜禅師(てんりゅう・ぜんじ)。 倶胝は礼を尽くし草庵に迎えた。 尼僧との1件を語り、改めて <禅の根源的な1語> を問うた。天竜は黙って <1指> を立てた。倶胝は忽然(こつぜん/にわかに、突然)と心眼が開け、大悟した。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(177) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(4) 倶胝は、痛く恥じ窮(きゅう)した。そして大奮起して諸国行脚(/師を求めての修行の旅)を 決意。旅支度を始めた。が、その夜夢を見た。護法神(/仏法を守護する善神・・・護法善神 =梵天(ぼんてん)、帝釈天(たいしやくてん)、四天王、十二神将、十六善神、二十八部衆など)が現れ、近く 師となるべき禅匠が草庵を訪れると告げた。10日ほど待つと、その通りに、1人の 老僧が訪れた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(176) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(3) 3回まわるのは敬意を示す作法。尼僧は3度問答を仕掛けた。倶胝は答えられな い。尼僧は去る。倶胝が呼びかけた… 「日暮です、今日は庵にお泊り下さい」 「1語を言えば泊りましょう」 倶胝は答えられなかった。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(175) 《無門関-第3則・倶胝堅指》・・・(2) 倶胝は若い頃、1人山中に住み読経と坐禅の日々を送った。ある日、庵に尼僧(にそ う/実際尼という女性の僧だと言う)が立ち寄る。無礼にも、笠を取らず錫杖(僧侶や修験者が持ち 歩く杖)も置かず、倶胝のまわりを3周し前に立った… 「私を満足させる1語を言えば・・・笠を取りましょう・・・」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(174) 《無門関-第3則・倶胝堅指》(ぐてい・じゅし)・・・(1) 倶胝禅師は9世紀の人と言われる。唐王朝(/618年 ~ 690年、<則天武后の時代>、705年 ~ 907年)が滅亡し北宋(趙匡胤が五代最後の後周から禅譲を受けて建てた。国号は宋であるが、金に開 封を追われて南遷した後の南宋と区別して北宋と呼ぶ。首都は開封)が成立するまでの半世紀あま り、五代十国時代(/907年 ~ 960年/黄河流域を中心とした華北を統治した5つの王朝(五代)と・・・華 中・華南と華北の一部を支配した諸地方政権(十国)とが興亡した時代)が続く。その頃の禅匠であろ うか。 倶胝(/本名は伝わっていない。『倶胝仏母神呪』(ぐていぶつぼじんしゅ)を毎日読誦していたので、倶胝和尚 と呼ばれるようになったという)にも、大悟に至る有名な話が残されている。この公案も、ま ずその話から入る。
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9月/17日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(173) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(11) さあ…落ちるか、落ちないか? しかし、そんな事はどっちでもいいのである。枝に口でぶら下がったままが、真実の 結晶風景である。また、枝から口が離れた瞬間も、その後の一瞬一瞬も、真実の 結晶風景なのである。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(172) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(10) 下で問う僧に答えて、枝から落ちて死ぬか…答えず質問者の意に背くか。 絶体絶命/正恁麼の時…心路を窮めて絶する時…それはまさに、香厳の五里霧 中の悶々とした日々。さあ…僧が問う。<祖師の西来意>(祖師/菩提達磨が、インドか らはるばる中国にやって来て、2祖/慧可禅師に仏法の真髄である禅を伝授した意味・・・)とは…
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(171) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(9) さあ…この公案の矛盾をどう克服するか。 香厳禅師が与える絶体絶命/正恁麼(しょういんも/正に恁麼の時に当たって・・・恁麼は、どのよ う、いかよう、の疑問を表す)の時… 香厳の聰明怜悧(そうめいれいり)は、科学文明が支配的な現代人にも通じる。その香 厳ゆえに、思弁的分別心の鎧(よろい)を、1撃で粉砕する慈悲心がこもる。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(170) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(8) 香厳和尚が言う… 「それは・・・ 手も足も樹に触れず・・・口で高い枝にぶら下がるようなものだ。 その樹の下に僧が来て、祖師の西来意(/如何なるか是れ祖師西来意・・・《無門関-第37則・ 庭前柏樹》・・・趙州の公案で、《無門関-第1則・趙州狗子》とともに最もよく知られている公案・・・)を問う・・・ さあ・・・答ねば要求に応じない事に・・・答えたら命を失う・・・ どう答えたら良いか?」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(169) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(7) 香厳は1を聞けば10を知るほどの、聰明怜悧(そうめいれいり)の人物。幼い頃より知 解・学解(ちげ・がくげ)に秀(ひい)でた人物であった。ゆえに、より一層の絶望の断崖が あった。その比類なき求道と絶望の体験から、《香厳上樹》の公案が生まれている。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(168) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(6) 百丈に師事して十数年…絶望の果ての…初めて知る覚醒の喜びであった。<父母 未生以前の一句> が氷解したのだ。初めて…潙山が厳しく接し、1語を教示しな かった真意が分かった。香厳は、潙山に向い手を合わせた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(167) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(5) 墓守生活のある日…香厳は集めた落ち葉を、いつもの様に竹藪に捨てた。中に 小石があり、竹に当たった。コーン…と音がし、山の静寂と香厳の心に反響した。 香厳は、ハッ…とし、<足下・即今…真理の音> を悟った。
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9月/16日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(166) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(4) だが潙山は言う… 「今、私がその1句を言ってしまえば、後で必ず、私を恨むことになろう」 香厳は落胆。書物を全て焼き捨て潙山の下を去る。かつて慕った慧忠国師の墓に 草庵を結び、生涯墓守(はかもり)をして過ごす決意をする。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(165) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(3) 色々と考えを吐露(とろ)するが、思弁的な答えを潙山は許さず。博識ゆえに香厳は 自らの学識が邪魔し、<父母未生以前の一句> を見いだせない。年月は過ぎて 失意と嘆息(たんそく)の極に至る。香厳はついに、教示して欲しいと嘆願する。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(164) 《無門関-第5則・香厳上樹》・・・(2) 潙山(いざん)は香厳(きょうげん)を法の器と認め、何とか心眼を開いてやろうと、公案を 与えた。<父母未生以前(ふぼみしょういぜん)の1句> である。母の胎内を出る以前、 まだ生まれ出る以前の、その心境を言ってみよという意味。五里霧中の中に放り込
まれた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(163) 《無門関-第5則・香厳上樹》(きょうげん・じょうじゅ)・・・(1) 唐の末期/潙山霊祐の下…仰山慧寂と同門に香厳智閑(きょうげん・ちかん)がいた。 香厳は学識深く聰明怜悧(そうめいれいり)な人物。最初は百丈に師事したが、没する と潙山に師事した。まず香厳が大悟した経緯が <香厳撃竹>(きょうげんげきちく) と して有名なので、考察する。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(162) た。雲門宗も法嗣・洞山守初の公案で考察した。次に潙仰宗(いぎょうしゅう)である。 6祖/慧能から…南岳懷譲…馬祖道一…百丈懐海…その法嗣が潙山霊祐(い ざん・れいゆう)。さらに法嗣が仰山慧寂(きょうざん・えじゃく)である。その潙山と仰山から、 潙仰宗と呼ぶ。
( 競争社会から → 共生社会へ ) 族、社会、国家》 のためにこそ働こう。つまり…資本主義・市場経済システムか ら離脱。反グローバル化・・・謙虚な自給自足生活 を目指して行く。そこに、安 定な価値観と将来展望があります。
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9月/15日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(161) 臨済宗は黄檗希運の弟子/臨済義玄が宗祖であり、河北の臨済寺(/河北省石家荘市 正定県)を拠点とした。出身は山東省である。<黄檗三打>(黄檗に仏法を問い、三度問うて 三度打たれた)の機縁で大悟しと言う。 宗風は馬祖道一の禅風を極め、「喝!」(/怒鳴ること) を多用する峻烈な禅風という。 その語録は 『臨済録』 として名高い。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(160) 黄檗山(おうばくさん)は正幹禅師により般若堂という1寺が建立されたが、臨済宗の大 道場へと発展、万福寺と改名… 日本の臨済宗は鎌倉時代の栄西禅師が開祖で…建仁寺を建立。江戸時代初期、 万福寺の住職/隠元隆琦(いんげん・りぅうき)が明時代末の混乱を避け来日…黄檗宗を 伝えている。
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9月/14日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(159) 曹洞宗は…宗祖/洞山良价から曹山本寂以下26人の法嗣へ続きます… 臨済宗は…百丈懐海(ひゃくじょう・えかい)の弟子/黄檗希運(おうばく・きうん)のその弟子 /臨済羲玄(りんざい・ぎげん)が宗祖… 黄檗希運は…幼くして福建省の黄檗山(おうばくさん)で出家。その黄檗山は…6祖/ 慧能の弟子/正幹禅師(しょうかん・ぜんじ)の開山です。
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9月/13日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(158) 《無門関-第10則・清税孤貧》・・・(6) 「青原白家の酒」とは何か…その銘酒を3杯も飲んでいると言う… <孤貧・・・自他もなく、清浄無垢> の税闍梨は、すでに大富豪ではないかと言う。 2元的対立を超え、清浄無垢と成った時…そこに真の自由がある。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(157) 《無門関-第10則・清税孤貧》・・・(5) 清税は赤貧(きわめて貧しくて、何も持っていないこと)の生活を自負し… <迷悟なく・自他な く・清浄無垢> …と問答を仕掛ける。 が…曹山禅師の1語に引っ掛かる。 大禅匠に一捻りされ…飲んでもいない酒のことで1喝される。勝負あり、曹山の独 壇場である。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(156) 《無門関-第10則・清税孤貧》・・・(4) 問僧は、曹山禅師の対応を試している。しかし、曹山禅師は動じず… 「税闍梨(ぜいじゃり)」と下手に出る。 闍梨(じゃり)は阿闍梨(あじゃり/規範となり、法を教授する師匠や僧侶・・・つまり、先生と呼びかけている) の略。問僧はそう呼ばれて 「はい」と受けてしまった。 ここで、禅問答としての勝負はついてしまっている。
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ネオニコチノイド系農薬に対する・・・EUの予防的措置を評価!) (ネオニコチノイド系農薬は、未解明のミツバチの大量失踪現象/蜂群崩壊症候群(CCD)の原因ではないかと 指摘している。欧州連合(EU)は、欧州各地でミツバチが減少している事態に対処するため、原因の1つとされ る、ネオニコチノイド系の殺虫剤3種類の使用を・・・今年12月からEU全域で禁止・・・することを決定している) 日本は <お騒がせ> しない事が美徳…えらい違いだ。 原子力ムラも張子の虎…官房長官が <直ちに危険ではない> と叫んでも… 実は、非常に危険だったわけだし。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(155) 《無門関-第10則・清税孤貧》・・・(3) 清税という問僧の方も相当の力量である。孤貧は禅問答としての孤貧。2元・物欲 を超えた話。つまり… <迷悟なく・自他なく・清浄無垢の貧者> …この清税を、 曹山禅師はどう救うのかという、鋭い機鋒を含む問答。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(154) 《無門関-第10則・清税孤貧》・・・(2) 曹山和尚に、僧/清税が問答を仕掛ける… 「清税孤貧!師よ、願わくば、私を助けて豊かにして下さい」 「清税よ(/・・・原文は税闍梨と呼びかけている。闍梨とは阿闍梨の略)」 「はい・・・」 「青原白家(せいげんはっか)の美酒を3杯も喫(きっ)し終えて、なお唇を潤(うるお)さず と言うか」
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(153) 《無門関-第10則・清税孤貧》(せいぜいこひん)・・・(1) 洞山良价の法嗣の1人/曹山本寂(そうざん・ほんじゃく)の話。曹洞宗の名の由来につ いては前に触れた。曹山禅師は宗旨(しゅうし/宗門の信仰内容の主旨として説くところ)を得て 洞山を辞して後、縁に従い悠然と時を過ごした。やがて、乞われて江西省の曹山 に住し、大いに宗風を挙揚した。
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9月/12日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(152) 再び時間を遡り…曹洞宗の祖/洞山良价(とうざん・りょうかい)に戻る。雲巌曇晟(うんがん・ どんじょう)の法嗣となった洞山は ・・・水に映る自分の姿で大悟・・・ したと言う。 洞山は新豊山(しんぽうざん)に住し、後に江西省新昌県の洞山(新豊山と洞山は同一の山という 説もある)に、広福寺(のちに普利院と改名)/洞山寺を開く。法嗣は雲居道膺(うんご・どうよう)や 曹山本寂(そうざん・ほんじゃく)ら、26の名前が『伝灯録』(/景徳伝灯録・・・全30巻/北宋時代に、 道原によって編纂された禅宗を代表する伝灯史・・・)に載る。
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9月/11日 |
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オリンピックの次は…お台場にカジノ?) 都知事はオリンピックの次はカジノ? まあ…カジノは止めた方がいい!カジノは資本主義体制の最後の燃焼…都民・国 民をギャンブルに巻き込むべきではない。すでに、パラダイムシフトは胎動していま す。
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9月/10日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(151) <麻三斤>は様々な禅匠が評し、1語を残している。それは置くとして、重ねて言 う。麻の特質・重さ・答話自体は、蝉(せみ)の抜殻(ぬけがら)の様なもの。<麻三斤> の本質は、この答話を生み出した、洞山禅師の禅的境涯にある。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(150) <仏とは = 麻三斤> → この事を直下にうなづき得るべく、決死で修行せよと言 う。 <麻 = 真実の結晶> → これは自他生死(自分と他人という主体と客体、生と死という二元 的概念)を貫き…思弁(/経験に頼らず、純粋な論理的思考だけで、物事を認識しようとすること)を超えて 眼前するもの。古来 …うなづき得る者は、うなづく… と突き放す。
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9月/9日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(149) 麻という物質、三斤という重さは、むろん<仏>と直接関係はない。身近にあった <即今>の呼吸で、サッと麻をすくったもの。洞山は、観念論や思弁的説明は一 切せず、直接・直下の麻を提示した…<仏>であると…
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(148) 洞山和尚は…仏とは何かと問答され、作務中の麻をすくって示した。その真意とは 何か? <仏>とは何であり<麻三斤>とは何なのか…その知の深淵、迫真/リアリティ ーの…人間的全体性をまず俯瞰(ふかん/高い所から見下ろして眺めること・・・鳥瞰/鳥が空から見 下ろすように見ること)して見ること…
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(147) 洞山は麻を撚(よ)る作務(さむ/禅寺で僧が労務。修行の1つ)をしていたようだ。当時は大禅 匠も作務に励んでいた。 (/一山で数百人もの僧堂を維持するには、莫大な費用がかかったと思われる。寄進・寄贈だけでなく、多少の商売 や手内職などもあったのだろうか・・・それが修行生活と一体化し、一山を安定なものにしていたのか...) 百丈(百丈懐海・禅師)も高齢になっても作務をやめず、弟子が道具を隠したほど。する と飯を食わず、「1日作(な)さざれば、1日食(くら)らわず」 と有名な言葉を残した。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(146) 「如何なるか是れ仏」 の問いに対し、多くの禅匠が様々な答話を残している。みな 自覚体験から出たもので、表現の背後にある真実は1つである。 この常套句(じょうとうく/決まり文句)に対し、洞山禅師はサッと麻をすくい 「麻三斤」(まさ んきん) と答えた。
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9月/8日 |
( 日本で移民活用…冗談ではない!) った。日本列島の生態系のキャパシティ(保持、受け入れ、取り込む能力)として、人口半減 こそ不可避! 恒常性(/ホメオスタシス)で…適性人口へ減少している過程に…移民は論外!必須な のは社会インフラと、産業の再構成です!
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(145) さて…公案で僧の問うているのは、<即今>の明快な禅的仏陀観である。つまり 釈尊が明けの明星を見て、覚醒された内容としての<仏>…さらに進めて脈々と 続く禅匠の、禅的自覚体験としての<仏>が問われている。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(144) 釈尊の在世中は<仏>とは、釈迦牟尼仏という独占の称号となっていた。入滅後 は<仏>は生身の歴史的な実体から、思想的なシンボルへと立ち帰って行く。後、 <仏陀観>というものは、極めて複雑で膨大なものになる。
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9月/7日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(143) さて…この… 「如何なるか是れ仏」 という問いの方は…さらによく知られている。 最も代表的な、禅問答の形式である。公案で無数に使われている。<仏>とは、 <buddha(/仏陀) = 悟れる者>という意味の名詞。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(142) 洞山和尚に、1人の僧が問う… 「如何なるか是れ仏」 洞山和尚が、手元の麻をサッとすくって言う… 「麻三斤」(まさんきん) これは非常に有名な公案である。《碧巌録・第12則》のほか、多くの公案集に編集 されている。
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9月/6日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(141) 洞山守初は雲門禅師の法嗣(ほうし、はっす)となる…これはもう1つの公案… 公案の<無門の関>は、本来、1つを透過すれば全てを透過できます。気に入っ た公案を選択するわけですが、悟りの上に悟りを重ねるのにも、用いる様です。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(140) 北方中国から南方中国に至っての…突然の断崖…千尋の谷の絶望…大疑惑…守 初はまんじりともせず、1夜を明かす。 命がけの求道・全体験が、頓悟の機を高めて行く。翌朝…雲門に参謁し、<無門関 >を透過する。
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9月/5日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(139) 北方中国を出…再び故郷の土を踏むことの無い…南方への求道の旅。何千キロ もの艱難辛苦の遊行。旅に慣れ様々な風物を見、気候も南国のものに。夢かない 雲門に参謁。そこで…千尋の谷に突き落とされた…真理とは?
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9月/4日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(138) さて問題の60棒である…雲門が痛棒を加えたのか、側近が加えたのか。ともかく 初参謁(はつさんえつ)の出来事である。痛棒を受けて下がった守初。直後から千尋(せ んじん)の谷に落ちた思いであったろう。雲門の狙いも、まさにそこにあった。
( 今 → 主体/1人称の謎
)・・・(3) 然。アインシュタインの言葉に反し、神はギャンブルがお好きだ。 <波束の収束>は一般化され、量子力学の予測性の大勝利につながる。全ては、 <1人称的鏡/今>の中で紡がれる幻影だが……
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9月/3日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(137) 守初の問いに雲門が叫んだ。 「この穀潰(ごくつぶ)しめが!江西湖南をそのようにうろつき回っていたのか!」 この言葉で守初は大悟した。 長い年月の、決死の修行の旅であった。その旅の終着点で、まさに大悟を果たした。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(136) 守初は<暗黒の大疑問・・・心路を窮(きわ)めて絶した1夜>を明かした。居ても 立ってもいられずに、再び雲門に参謁して問うた。 「昨日和尚に60棒打たれました。何処に咎(とが/罪)があったのか、どうしても 分かりません」
( 今 → 主体/1人称の謎
)・・・(2) 態>で生の状態と死の状態が並存。ここに観測・干渉が作用…<波束の収束>が 起こる。 瞬時に…生か死かが選択される。これも<1人称的鏡/今>で結晶化する・・・人 間的真理・・・
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9月/2日 |
( 今 → 主体/1人称の謎 )・・・(1) の拡大…時空世界の立体鏡か? <今>はこの世の風景を映し出す鏡ではなく、ストーリイとして紡(つむ)ぎ出す鏡の ようだ。相互主体性が縦糸横糸を重ね、時空の絵を波動 して行く。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(135) 守初は何年もの長旅の辛苦を重ね、夢かない雲門に参謁した。そして60棒を賜っ た。1頓は20で3頓は60である。守初はその夜、 <まんじりともせず・・・決死の 思いで・・・参謁の経緯と60棒の意味(/・・・“心路を窮(きわ)めて絶した一夜”・・・)> を考 えた事であろう。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(134) 雲門がさらに問う… 「何時そこを発って来たのか」 「8月25日です」 「お前に60棒を与える」 60棒は60棒打。痛棒(つうぼう)を受け、直下の激痛から、<即今・這箇>(そくいま・ しゃこ)の覚醒に至れ…という雲門禅師の慈悲心。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(133) 守初は長い年月をかけ…何千キロ(/地図上の直線距離でも、1500キロはあろうか)もの徒歩の 旅の末…名声の高い雲門禅師に参謁(さんえつ)した。 雲門が問う… 「最近お前は何処に居たのか」 「査渡(さと/湖南省から雲門山に至る、通路にある村の名前)におりました」 「夏(げ/夏安吾(げあんご)/夏籠り(なつごもり)・・・伝統的な90日間の雨期修行)は何処で修行して いたのか」 「湖南の報慈寺です」
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9月/1日 |
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(132) 洞山守初(とうざん・しゅしょ)が初めて雲門に参謁(さんえつ)、大悟した経緯の公案である。 守初は長安(陝西省にある隋、唐の都)の西の鳳翔(ほうしょう/陝西省の西部、鳳翔県・・・)の生れ。 伝統的に教学的な仏教の盛んな土地だった。 守初は、教学に満足できずに…中国大陸を縦断…広東省(中国大陸の最南部)韶州(しょ うしゅう/現在の韶関市一帯)の雲門(/韶州の雲門山を開山し、光泰院(別名・雲門寺)にあって、盛んに禅風 を挙揚していた)に参じた。
( 禅の伝来・・・1粒の麦 )・・・(131) 曹洞宗の高祖/洞山良价(とうざん・りょうかい)と間違えるのが、洞山守初(とうざん・しゅしょ)。 住した場所も違い、生れたのも103年後…師は、雲門文偃(うんもん・ぶんえん/五家七宗の 雲門宗の祖)です。 『無門関-48則』 の中に、2つの公案があり、もう1つは、《無門関-第18則・洞山三 斤》(どうさん・さんきん)。
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