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本所のある堀で釣りをしていると,釣れるは釣れるは。
釣りに夢中になってふと気が付くともう夕暮れ。腰しに付けた
魚籠もいっぱいになったので帰ろうとすると堀の中から
「置いてけ」,「置いてけ」と声がしたのでびっくり。
夢中で逃げて気が付くと魚籠はからっぽになっている。
(錦糸堀、写真;JR錦糸町駅前)
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むかし,大川端(両国橋から新大橋あたり)に大名の
松浦家の上屋敷があって大きな大きな椎の木が塀にそって
立っていた。 が,誰も葉っぱの落ちたのをみたことが
なかったそうだ。
(本所御蔵橋渡った先)
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むかし,たんぼに稲が重く穂をたれる頃になると,本所では
夜風にのって,あちらこちらから狸ばやしがきこえて。
「テンツク,テンツク」
聞こえる方に行けども行けども狸は見つからない。
すすきの原で,みんな狸に化かされた。
(梅若;写真;白髭橋付近墨田区立梅若小学校)
足洗い屋敷 |
ある旗本屋敷で起きたお話。なんと,天井を踏み破って
血まみれの毛むくじゃらな,でっかい足がにゅーと
突き出されて,吠えるような声で「足を洗え!」という。
足をきれいに洗ってやると,足はすーと天井へ消え,
破れたところは元通りになった。
(石原、写真;石原3丁目交差点)
明かりなしそば |
寒い夜,本所南割下水を歩っていると明かりがついていない
二八そば屋の屋台があった。 あついそばをたべようと
そばにいくが,誰もいないしあんどんに明かりもない。
カチカチ明かりをつけてやったがすぐに消えてしまう。
いつまで待ってもなかなかそば屋がもどらない。
結局,家にかえることにした。
ところが,こうして帰った家では,必ず悪いことが起きた
そうだ。
(本所南割下水、亀沢、写真;亀沢北斎通りから錦糸町方面をのぞむ)
(参考にした図書,ご協力いただいた方
本所深川ふしぎ草紙;宮部みゆき;新人物往来社
母が子に語る両国,錦糸町むかし話;岡崎柾男
下町タイムス社)
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○芥川龍之介
芥川龍之介文学碑(写真)
明治38年(1905年)本所柳原町の東京府立第三中学校
(現都立両国高校)に入学。学業は優秀で,特に漢文の
学力は抜群であったといわれる。卒業の年に「校友会雑誌」
に「義仲論」を発表した。なお,彼にとって,自らの作品が
はじめて活字になったものであった。
現在,両国高校(JR錦糸町から徒歩7分)には文学碑が
あり,「大川の水」の冒頭の一節が刻まれている。
自分は,大川端に近い町に生まれた。家を出て椎の若葉に
掩われた,黒塀の多い横網の小路をぬけると,直あの幅の
広い川筋の見渡される,百本杭の河岸へ出るのである。
幼い時から,中学を卒業するまで,自分は殆毎日のように,
あの川を見た。(「大川の水」より)
総武鉄道の工事のはじまったのはまだ小学時代だったであろう。
その以前の「お竹倉」は夜は「本所の七不思議」を思い出さず
にはいられない程ものさびしかったに違いない。夜は?
−−−いや,昼間さえ僕は「お竹倉」の中を歩きながら,
「おいてけ堀」や「片葉の蘆」はどこかこのあたりにあるも
のと信じない訳には行かなかった。現に夜学に通う途中
「お竹倉」の向うにばかばやしを聞き,てっきりあれは
「狸ばやし」に違いないと思ったことを覚えている。
(「本所両国」より)
(「大川の水/追憶/本所両国」,講談社より)