STATE`98/企画書  《はじめに》  STATEは1995年初頭に活動を開始し、今年で四年目を迎えます。  これまでの活動は大きく二つの時期に分かれます。  まず、1995年12月にJ2ギャラリー(銀座)で行われた“STATE`95”をひとつの区切りとする活動。  そして1997年1月、4月、8月に、それぞれ月光荘画室。(銀座)、ギャラリー週刊アート(仙台)、クロッキー(岐阜)と、三都市にわたって行われた “STATE/SINGULARITY”をひとつの区切りとする活動です。  そして今年の6月と8月に、それぞれ光座(東京・中野)と名古屋市市政資料館(名古屋)での展開にむけて新たな段階の活動が今、行われようとしています。  《STATEとはどのような活動なのか》    作品を作るという事とはいったいどういうことでしょうか?  作品を作る人々の仕事とはいったいなんでしょうか?   現代における一般的な考え方として、作品を制作するという事とは、例えば、切り放して手渡しできるようなもの、ここからここまでが、わたしの作品であると線を引けるようなものを作り出すという事ではないでしょうか。  例えば、あげたりもらったり、手放したりとっておいたり、売ったり買ったりできるものであるという事です。  または、消費したり、所有したりできるもの。  それが、作品やその制作一般に対するイメージなのではないかと思います。  そういう側面があることは否定しません。  ただ、それはあくまでも作品というものをそうしたやり方で捕まえようとするひとつのやり方でしかありません。  それは創造というものを人が理解する為の非常に狭い視点でしかないのです。  それは本当に狭いひとつの点で、そんなものを穿ってみても、世界/創造というものの持つ力はそこから流れ出すことさえないでしょう。  作品を作るという事は何よりも、世界/創造というひとつの力から何かを持ち帰ってくるという作業です。  そうした意味において作品には限界がありません。  作品は、「わたし」や「存在」や「自由」といった概念からも一切制限されることはないのです。  限界があるのはただ単に私たちの立つ「人間」という立場なのではないでしょうか。    作品というものは“私たちのため”にあるものではないと考えます。  それはただそこにあるものなのです。  「わたしがそれを作ったのだ」と言う事になんの意味があるでしょうか。  そこにどれだけの真実が含まれているというのでしょうか。  どんなものも誰のものにもなりません。  私たちが出来ることは、関係を持つという事だけなのです。    関係を持ち、その関係をうまく活用する。  関係を活用することによって生まれるのが“場”です。     それぞれが関係を持ち、それを活用することによって生じる場を自らも体験していく。  それがSTATEという活動であり、仕事なのです。  つまり、STATEは私たちの作った作品を発表したり見せたりする場であることには決して留まりません。    私たちは何よりもまずこれが、私たちひとりひとりの冒険のための場であることを隠しません。  ただそのひとりひとりにはSTATEを体験するみなさんも含まれているということです。  《関係/作品・人・土地》  1995年に千葉 宏樹、田中 弘美、小酒井 誓吾の三名でSTATEの活動を開始した際、私たちがまず始めに見つけた要素は、作品、そして人でした。  作品と作品、作品と人、人と人、それぞれが取り結ぶ関係を生じさせる場を銀座・J2ギャラリーにおいて“STATE`95”のタイトルで展開しました。    次の段階として土地という要素が入って来ます。  今度は、土地と作品、土地と人、土地と土地という関係が新たに加わったのです。  それらは1997年に銀座・月光荘画室。、仙台・ギャラリー週刊アート、岐阜・クロッキーという三都市、三つのギャラリーで“STATE/SINGULARITY”として実行に移されました。  この三都市は、私たち三名それぞれにとって生まれ育った土地だったり、活動のために暮らしている土地だったり、まだ見知らぬ土地だったのですが、土地と関係を持ち、活用していく中で、ただの地面、ある意味抽象的な場所だった、現在暮らしているこの東京という土地が、ひとつのローカルな領土として姿を現してくることがとても刺激的でした。 また同様に、自分が生まれ育った土地に関してはそれが全く見知らぬ土地として目の前に迫ってくるわけですし、見知らぬ土地においては、そこで改めて生まれ育つのです。  そうした中で生み出された場は、個々人の作品のモチーフが三カ所において同一のものであったのにも関わらず、まさに唯一・特異の(Singular)ものとしてそこにありました。    《STATE`98》  今回のSTATEは、これまでの諸要素がもたらす関係性をふまえつつ、さらに多様な関係性を築いていこうという試みです。  作品、人、土地、これらひとつひとつの要素をさらに細分化し、それぞれの組み合わせの関係性を追求していく事になります。  今回の大きな特色としては二点あげられると思います。    まず、一点に今回の会場があげられます。  光座(中野・東京)はその役目を終えた映画館です。  名古屋市市政資料室(名古屋・愛知)は、大正時代に建造された市の裁判所だった所です。  いずれの会場もかつては全く異なったそれ本来の役割を担っていた場所です。  私たちにはそれぞれの建造物の機能を活用しながらも、映画でも裁判でもなく STATEを展開していくという課題があります。    また、もう一点はこれまでの三名に加え、新たな作り手と仕事をするという事です。  光座では、映像作品を共同製作している辻 智彦、五十嵐 勝美、工藤 貴之、の三名と共に、活動を行います。  私たちの作品制作の課程は、まず全く個人でそれぞれの作品制作を行い、それを会場で出会わせるというセッション形式で行われるのですが、これまでの三名の間に、またそれぞれの作品の間に生じる関係を、ここでいったんばらばらにし、さらに多くの作り手と作り手、作品と作品の間に新たな関係を組み直していくという課題がここにはあります。  名古屋市市政資料館においても、まだ予定の段階ではありますが、そうした形での出会いがあることでしょう。  つまり、作品、人、土地という基本要素は変わりませんが、それがさらに様々な形で呼応し合い、より一層多様な関係が生まれていく課程を目の当たりにしていく場、それが今回のSTATEです。  シイユウスーン。 98.4.15 STATE