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5、 創世記5(バベルの塔)――――――――――――神の領域を犯す組織の力

さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう(創世119

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裸のノアと、その息子たち9181032――――諸民族の運命

ノアの物語(9章)の最後に、不可解なお話が記されています。

さて、ノアは農夫となり、葡萄畑を作った。ある時、ノアは葡萄酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。」9章2021

このように前後不覚に寝ている、全裸の父親の隠し所を見たノアの末息子ハム(カナンの父親)は、見ぬふりするのが礼儀なのに、面白がって二人の兄達にそれを告げて、父親ノアに恥をかかせました。

しかし、二人の兄達セムヤフェトは、それを見ないように後ろ向きに歩いて行き」「顔を背けたまま着物で父の裸を親切に覆ったというのです。ノアの不覚の恥かしい姿に対して、3人の息子、セム・ハム・ ヤフェトが取った態度を比較した物語があります。

 恥ずかしい所を見られたノアは激怒し、末息子ハムの子供カナンを呪います。
カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。―――」9・25、と。

裸を見ることが、それほど大きな罪なのか、理解しかねます。しかも、本人ではなく、孫のカナンが激しく呪われるというのも、割りに合わぬ、腑に落ちぬ話です。どういうことなのでしょうか。

この解釈として、息子ハムが、父に同性愛的な欲情を燃やしたからだという説もありますが、どうなのでしょうか。旧約には、レビ1822とレビ2013で「女と寝るように男と寝てはならない」という男色禁止規定があるにもかかわらず、このような同性愛の記述が所々あります。創世199 のソドムの町でのロト家での事件。士師1922のベニヤミン族のならず者の要求などに、この悪徳が見られますが、そのような男色説をこのノアの物語に当てはめるのは無理があるようです。

また、「神に従う無垢な人」ノアが、泥酔して真っ裸で寝るように、自堕落になったという説(三浦綾子「旧約聖書入門」79頁)もありますが、しかしよく読むとそんな深刻な物語でもないと思います。

これは、男子の隠し所※1は神聖な場所であり、それをみだりに見ることは許されないというタブーがあります。末息子ハムはこの禁を犯し、父を軽蔑したので、ハム族の子孫の「カナンは呪われよ」ということで、カナン族はイスラエルの進入に敵対する存在として憎まれ呪われ、やがて「セムの奴隷となり、兄たちに仕えよ」9・25、と、征服される運命にあることを暗示させていると思います。

対照的に、父ノアを敬う長男セム族の子孫(イスラエル民族)は祝福されてカナンを征服するという物語だと思います。民族が土地名に託されて、その運命を時後予言する手法がここに書かれているのです。これは旧約聖書の特徴で、これからも度々出てくる手法です。

次の「ノアの子孫」10章・11章では、系図(P祭司資料)が記され、ノアの息子3人がノアから出た諸氏族として全世界に広がったとしています。ノアの長男のセム系の子孫がイスラエルの民として、アブラハムなどを出して、聖書の当事者になります(11101132)。

父親ノアの裸を見て呪われた、ハム系の子孫は、エジプトやアッシリヤ、カナン、シドン、アモリ人など、イスラエル周辺の重要な敵対国になります。  もう一人の兄弟、ヤフェトの子孫は、ゴメルとかマゴクとか遠くの北方民族の国となります。

P(祭司)資料が付加されて編集された当時は、イスラエル民族は亡国の民としてバビロンの補囚期で、苦難の時期でありましたが、全世界の人々はイスラエルと同じ祖先から出たのだという、国際意識を持つことにより、亡国民族してのアイディンティを確認したかったからでしょうか。民族意識について深刻な反省のあった時代の反映と思われます。

祭司たちは、世界各国の民族は、すべて洪水で生き残ったノアの子孫である、ということ。しかもイスラエル民族の元祖アブラハムは、ノアの長子セムの系列であることを誇る系図を書いたのでしょう。

バベルの塔の建立と崩壊 ―――神の領域を犯す組織の力

有名なバベルの塔の物語は、短いので全文紹介します。

11:1 世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。
11:2
東の方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。

11:3 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合った。石の代わりにれんがを、しっくいの代わりにアスファルトを用いた。
11:4
彼らは、「さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしよう」と言った。

11:5 主は降って来て、人の子らが建てた、塔のあるこの町を見て、
11:6
言われた。「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。
11:7
我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう。」
11:8
主は彼らをそこから全地に散らされたので、彼らはこの町の建設をやめた。

11:9 こういうわけで、この町の名はバベルと呼ばれた。主がそこで全地の言葉を混乱(バラル)させ、また、主がそこから彼らを全地に散らされたからである。

塔建立の動機と崩壊の理由―現代的再解釈を

さあ、天まで届く塔のある町を建て、有名になろう。そして、全地に散らされることのないようにしょう。
と、天の領域に迫ろうと、野心的な動機をもって都市建設を始めた人間どもの、塔のある町を見て、神は見て言われた。

彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることは出来ない」創世11・6。

この人間たちの不遜な企ては、仲間どうしのコミニュケーションのためだ。このために、言葉を混乱させて、お互いの意志疎通を阻み、仕事が出来ないようにして、塔の建設を挫折させます。

コミニュケーションにより、衆知を集め、人は一致して働けば、神の領域を犯すような大きな仕事をすることが出来ます。月世界に到達したアポロ計画の達成はまさに、それです。DNA遺伝子組替えによる人間改造も、そうかも知れません。衆知の結晶です。

また、大プロジェクトを遂行するには、人を組織化・集団化し、どうしても官僚的運営とならざるを得ません。ピラミッドの造営に見られるように、大量の奴隷を駆使する非人間的営みとなります。人は組織の奴隷となります。人の奴隷化を何よりも嫌うヤーウェの神の意図に最も反したことなのです。 自立/自律理念と全く相反する方向です。

しかし、このような言語の不統一で人の組織化を防ごうとした神の意図は空しく、今やあくことを知らない人間の欲望は果てし無く広がっています。特に生命科学の進歩は神の領域を侵し、命の尊厳そのものが怪しくなってきています。このまま突き進んでゆけば、大きな混乱が必ず起きると思われます。

私たちキリスト者は、科学技術的にはこれは出来るけれども、私たちはこれは望まないという「分をわきまえる」知恵の必要を、社会の中に形成されるよう、働きかけることが必要と思われます。その意味で、この「バベルの塔」は、単なる古代神話とすることなく、「分をわきまえる」現代的知恵を見出すべき寓話として、再解釈されてよいのではないでしょうか。

なおこの章は、各民族の言葉が違う原因譚としてのお話しで深い意味はない。むしろ、「有名になろう」という功名心で、また「散らされない」ために、北部族の10部族と南のユダ族など2部族の結集を計り、統合のシンボルである壮大な神殿建設を行ったソロモン王に対する批判が込められているという説があります(木田献一著「平和の黙示」139頁、新地書房)。エジプトかぶれのソロモン王は、ピラミッドを造ったファラオのように、壮大な神殿を造営した。だが、その意図はソロモンの死と共に挫折して、イスラエル12部族は、たちまち北王国と南ユダ王国へと、分裂したことを批判しているとしています。

また、もう一つの解釈は、当時のバビロンの都市批判(バビロンの神殿ジグラートは、このバベルの塔のモデルといわれています)が込められていて、偶像崇拝をもたらすこのような豊穰な沃地文化(※2)の否定が込められている。その堕落したバビロン(カルディアのウル)から脱出したのが、アブラハムの先祖で、次の12章「アブラムの召命と移住」に続くという解釈です。

何れにせよ、この「バベルの塔」で、創世記の前半の全人類的な「原初の神話的物語」が終わり、「全地に散らされた」(119 )全民族の中からイスラエル民族が選ばれ(121)、バビロンからカナンの地への移住と召命をテーマとする「族長物語」が12章から始ります。

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1.、隠し所―神聖な場所
「あなたは、階段を用いて祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所があらわにならないためである。」出2026
「二人の男が互いに相争っているとき、一方の妻が近づき、夫が打たれるのを救おうとして、手を伸ばし、相手の急所を掴んだならば、その手は切り落とされねばならない。」
申命記251112とあり、男の隠し所を非常に重要な場所としていますし、又現代でも、イスラム教は人の裸、特に女性のヌードを禁止しています。ヤーウェ神を祖神とする砂漠の民の古来よりの伝統ではないでしょうか。

     2、沃地文化
イスラエルの山地・砂漠文化に対して、エジプトを始めとする低地の豊穣な都市文化は、バールなどの異教神が支配する堕落した文化として、拒否反応が強い。この都市文明との戦い或いは受容が旧約の歴史ともいえます。
その象徴が、バベルの塔の崩壊と、都市バビロンからの脱出がアブラハムの移住といえます。モーセの出エジプトも或意味では、エジプト文化の否定といえます。
なお、2001911日、ニューヨークで起きた世界貿易センターの同時多発テロによる倒壊事件は、現代のバベルの塔の崩壊であろうか。この事件を幕開けに21世紀は、再びコミニュケーション不能の混乱に陥っている。神の大いなる警告でなくて何であろう。


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