2.同人誌をめぐるいろいろ事件 |
1997/0815 面白いことも、悲しいことも・・・ 1997/0915 事件 こんなこと許されるか! 1997/1015 どこまでOKか「成人向け同人誌」(1) 1997/1128 〃 (2) 小話 パジャマ妖怪出没事件! 小話 「事実」は小説より順当でご都合主義だった! |
●事件 こんなこと、許されるか!
第1段階
いくらなんでも、新しいお客に百数十万円にもなる印刷代を後払いで良いというのはない。カラーをふんだんに使った同人誌だ。
しかも、サークル名も知らなかった普通の19歳の娘であった。でも話の流れできちんとした保証人がいるなら・・・といってしまった。
そして彼女は、(1)うちのお客である有名な超大手さんにTELして保証してくれるという言辞をもらった。
また、(2)その他のお客もちゃんと払うで しょうといわせた。
そしてわたしに(3)絶対に払うからと懇願したのである。懇願に弱い私はついに折れて後払いOKにしてしまったのである。
この事件のおかげで「PICOの社長は美人に弱い」という評判が生まれてしまった。・・・・たしかに美人だった・・・。
第2段階
豪華な本はできあがった。黒を基調とした美しい本になった。彼女はいさんでコミケ会場に乗り込んだことであろう。
しかし・・・思ったほど本は売れなかった。・・・美しければ売れる、なんていうほどコミケは甘くなかったのである。
PICOに振り込まれたお金は、20数万円だった。
その後、数万円ずつ小口に入金はされていた。しかし、そんなもので完済するほどあまい金額ではない。
電話をすれば少しはいるという状況だった。
徐々に入金はおくれ、一度、50万円ほど大口に入金されて以来、ついにその後は入金されなくなった。
すこしずつで良いから計画的にという手紙もむなしく返事はこない。
そのうち、本人は電話にでなくなり、そして「家族」が防衛に入ったのである。
第3段階
交渉相手はおばあさんとなった。彼女は未成年の子に膨大なお金をふっかけたといって、逆に抗議を始めたのである。
保証人の立場にたってくれた大手さんもおばあさんに電話し、印刷所がだましたのではなく彼女が不義理をしているんだといってくれた。
でもなにをいっても納得はしてくれない。それもそのはず、おばあさんは「納得」することが問題なのではなく「払わない」ことが目的なんだから・・・。
普通の取引ならば、ここで弁護士に相談して支払い命令にまでいくのだが、PICOは50万円ほどの集金をあきらめた。
なんといっても法的に未成年だし、その点、信用したPICOが悪いのかもしれない。
一生懸命印刷して製本した従業員にもうしわけないと思う。報酬どころか「だました」という罵倒がかえってくるんだから・・・。
そして最後に・・・
でも、この時以来少女はなんを考えているんだろうか。おばあさんの庇護のもとに「よし、うまくやった」と考えているんだろうか。
でも、一生懸命努力をして同人誌をつくりあげ、他の人にも誇れる満足の仕上がりになったというのに、彼女はいまその本を見るのもいやなのではなかろうか。青春の想い出は忘れるべき想い出になってしまった。
そして、おばあさんはどうしたろう。娘をまもったことに満足しているのだろうか。
あのとき、どうして娘が負ってしまった社会的責任に対して、きちんと責任を負うように教えなかったのだろうか。
娘への教育は、逃げるんだ!ということを教えたことになるのではなかろうか。
・・・あの娘も、もう25歳ぐらいかも・・・。
●どこまでOKか「成人向け同人誌」(1)
コミケが近づくとなぜかわたしは「ペタペタ貼り屋」さんになる。
18禁のコミックの「局所修正作業」が仕事になるのだ。
最近ではお客さんは思いっきり100%描ききり、それで「社長おねがいね!」とばかり修正作業を私にさせる。
責任は思いっきり私にかかってくるわけだ。・・・う〜ん、まあしょうがねえか!
さて、ペタペタ貼り屋さんしているうちに、私は「何処までがOK」なのか感覚が麻痺してわからなくなってしまう。
個人的な想いとしては、できるだけ自由に表現活動をしてほしいと思う。でも現実はそうもいかないのだ。
最後には、パニックを起こしてとりあえずコミケ準備会にFAXして検討してもらう。
しかし考えなければいけないのは、「コミケの検閲に通る」ことが問題なのではない。
それは前提だったとしても、それ以上に「社会的に問題になるか?」ということが大きい問題だ。
出版社の場合は、以外と闘いの「境目」をしっている。
そして「許される限度をちょびっと越えたところ」に出版のメドをおく。ちょびっと越えたところが売れる本のミソなのだ。
そして出版社は「摘発」をそんなに恐れてはいない。実際には裁判になったとしてもそれが評判に変わっていくからだ。
同人誌についてはそうはいかない。もろに「犯罪」として扱われやすいし、鬼のクビをとったようにこの同人誌づくりの世界をせめたてる。
出版社は大人で、同人誌は子どもの火遊びなのだ。・・・・現実はそう取られてしまう、ということを忘れてはいけない。
浮世絵・春画を研究するひとは、作品を外国から取り寄せなければならなかった。私もフランスに行ったときにその画集を買った。
セックスそのものを扱った浮世絵は江戸時代の重要な大衆文化だった。そしてこのかって当たり前の文化であったこの絵画は日本で買うことができない。そしてフランスでは一般書店で売っている。
ちょっと前までは、ヘアは絶対的に写真に写ってはいけなかった。でも今ではヘア自身は見逃されている。
裁判沙汰のチャタレイ婦人の恋人なんていまではあたりまえの文学書だ。失楽園のほうがよっぽどすごい。
ビニ本がこの世に生まれ、金閣寺(銀閣寺だったっけ?)というビニ本が摘発された。闇夜に消えていったこの本を、記念ということで私も入手したが今見たらなんでもない当たり前の写真集だ。(つまらなくて、いまはどこかに無くしてしまった)
あがた魚男の「赤色エレジー」というフォークはNHKから排斥された。世の中を暗くする歌だという理由だ。
今では、カラオケにはいっていて、私も歌っている。
・・・・世の中は変わっていく。いまは「解禁」の方角だ。
でも、よく考えなくてはならないのは、いつまでも「解禁の方角」ではないのだ。
江戸時代の町人を中心とした文化の奔放さはつぶされた。大正文化の咲く花もつぶされた。戦争は人間の遊び心をつぶした。
窒息しそうな社会からやっと生まれた戦後民主主義の開放感も、今ではなにやら目に見えぬ呪縛のなかに押し殺されている感がある。
あれだけ騒がれたロッキード事件での犯罪者が政治の閣僚に復帰しようとするというほど「何者かが人々を」馬鹿にしはじめている。
こんな情況だから、「一つの解放運動」の側面(あくまでも一つの側面だが)である同人誌の世界もこれからながく生き続けるには、世間と権力者の動静をじっと見きわめる続ける冷静な目を培っていかなければならない。
●どこまでOKか「成人向け同人誌」(2)
(A)「トゥナイト」の同人誌取材
このまえトゥナイト2で、同人誌が取材、放映された。
じつはPICOにも取材があり、わたしも映りそうなので見たのだが、・・・・・・
最初にエロチックな漫画が紹介され、「すごいぞ!」という印象を視聴者に与えた。
その上で、同人誌を扱う書店に取材し店の人とお客を取材した。
そのお客さんは、純真な考えで応答し、「同人誌は規制がないから好きです」と答えていた。
おっ、これは誤解されやすい危険な発言だ、と思った。
「同人誌は規制がないから好きです」という意味(その1)
出版社は売れるように本をつくる。
だから場合によっては、著者の創作意欲、考え方、表現方式をねじ曲げてでも出版社の商業思想をつらぬく。
同人誌はそういう商業上の規制がない。
著者の生の想い、自由な発想を見たり読んだりすることができる。
この商売っけのない書物こそ同人誌だ。
取材されたお客さんはこんな意味で「規制がないからすきです」 と言ったかもしれない。
「同人誌は規制がないから好きです」という意味(その2)
でもこんな意味で取材したのではトゥナイトにとっては面白くないし視聴率下落の一途だ。
同人誌は商業誌に対してより過激でいやらしい書物でなくてはならない。
だから、商業界での「規制」を破って「よりいっそうスケベだ!」というものとして同人誌を位置づける。
そして今の若い者はこんなところですごいことしているんだと世間の人をびっくりさせるところに取材意図がある。
(B)「自主規制なんてぶっとばせ!」
このテレビと同じ意味で、ある成人向け雑誌にこんなタイトルで記事が組まれていた。
そこで紹介された同人誌はPICOで印刷されたものだ。
たしかにスケベ(笑)な内容だから紹介されてもいいのだが紹介表現があまりにも危険だ。
さっそくこの同人誌を印刷したQ君から連絡がきた。
「ど、どうしよう。ちゃんと修正してるし、自主規制なんてぶっとばせ、なんて思ってもないのに・・・」
確かに、わたしもこの本を見て<ペタペタ貼り屋さん>したし、とがめられる表現は抑えてあったはずだ。
しっかりと商業レベルでの規制水準を守っているはずだ。
後日談としては、Q君はわたしと相談してこの出版社に抗議し謝罪文をとり、次号に「不適切な表現でした」と掲載させた。
これは、Q君とわたしの名誉と自己防衛の行動であった。
笑い話としては、その後のQ君は必要以上に「修正」をほどこすようになった。
(C)どこまでOKか?
この疑問には答えはない。
警察が「わいせつだ!」と判断すればとりあえず「わいせつ問題」なのである。
じゃあ警察にはその判断基準を公示できるかと言えばできない。
警察は教育機関でも文部省でもないし、権力が命令しないことに無理しては動かない。
ではわいせつ問題として「動く時」とは?
一つは「過去の事例」で動くかもしれない。
とはいえ、揺れ動く価値判断基準のなかで無理には動かない。官庁だから勇み足は恐れる。
PTA心理が高揚し、それが群衆のように大きな力になれば警察は動くし、その原因を取り除こうとする。
基本的に「秩序を維持する」のが警察なのかもしれない。
この場合、本当に動いたのはPTAであって警察ではない。
(D)文化の全体
人間は上半身もあるが下半身もある。どちらも単独ではなく、両方で人間なのだ。
新宿という繁華街もやはり、上半身のにぎわいと、下半身のにぎわいがある。ショッピング街と歌舞伎町の両方で新宿なのである。
ゴールデン街のようにじっくりと心の中に沈み込み、喜びも悲しみも、明るさも陰湿さもつつみこむ場所がある。
人間関係に疲れた人々もここで一息をつく場所でもある。
表社会の三越デパート、伊勢丹があり、ショッピングモールも、アルタもある。
もっといえば、ホモ、ゲイの街、セックスの街でもある。
これが全部で「新宿」なのだ。どれが欠けても新宿ではない。
人間の生活も文化もこれらすべてで成立する。
(E)わいせつ性
わいせつはこんな人間の文化の中でとりたてて下半身をピックアップして生まれる。
でも「同人誌」の世界はべつに「下半身」の世界ではない。
でも、格好をつけた世間からいえば、「全部しゃべっちゃう」同人誌の世界はおうおうにして「下半身」と思われがちだ。
これは間違いだ。
●事件 パジャマ妖怪出没事件!
夏コミまで10日あまりとなり、なにげにじたばたとしているPICO本社。
社内は騒然とし、電話やFAXはひっきりなしに音をたて、うるさい。 従業員もめまぐるしく働いている。
そんななか、なぜかパジャマ妖怪が出没していたのである。
その妖怪はねぼけた顔でふらふらと社内を歩いていた。 かと思うと、今度はワープロにむかってポチポチとなにかを打っている。すぱすぱと吸うたばこの煙は消防車を呼びたいくらい部屋中を充満させる。そして・・・静かになったかと思へばワープロに覆い被さるようにして寝ているのである。
このへんな妖怪は昼夜5日間も出没していた。
そのあいだ、ふとんで寝た形跡もないし、たのしい食事をとっている気配もなく、とにかくめちゃめちゃだ。
こんなことは妖怪でなければできるはずもない。
・・・・・そして、夏コミも数日後に迫ったある日、こつ然とどこかえ消えていったのである。
・・・・・わずかにバイクの爆音が夜空にひびき、そこには、ただ面付けされていた「原稿」がぽつんと残されていた・・・・。
従業員は恐怖のあまり、おもわずこの原稿を印刷してしまった。
そして、夏コミ当日・・・・・なぜかこの印刷物はあたりまえの同人誌のようにワイワイガヤガヤと売られていたのである!
・・・売っている女性も普通の人間でパジャマは着ていないし、にこやかに楽しそうだ! どうだ!恐いだろー!
●「事実」は小説より順当でご都合主義だった!
かわいい赤ん坊の写真が送られてきた。
高崎市の某さんが、二人目の子どもを生んだという。
添えられたコメントによると、
「宅急便でPICOに原稿を送って10時間後にお産がはじまりました。事実は小説よりもご都合主義かも・・・」 ですって!
同人誌もできて、子どももできて、ダブルにおめでとう!