This is a Japanese translation of "The Silver Key" by H.P.Lovecraft.

以下は、"The Silver Key" by H. P. Lovecraft の全訳です。精神障害、身体障害、人種/民族差別に関係する放送できない用語が含まれます。何ぶん古い作品ですのでご了承ください。


銀の鍵

著: H. P. ラヴクラフト
訳: The Creative CAT

A short story written in 1926, published January 1929 in Weird Tales, 13, No. 1, 41-49, 144.

齢三十にして、ランドルフ・カーターは夢に至る門の鍵を失くしてしまいました。それまでは、宇宙の果ての奇妙な古都やエーテルの海の彼方の信じがたいほどに美しい庭園を経巡る夜毎の探検で退屈な日常をまぎらわせていたのです。ですが、中年というものが彼を締め付けていくにつれ、徐々にそれらの自由は剥がれ落ち、ついに何も残らなくなってしまいました。もはや彼のガレー船がスランの金色の尖塔の向こうにあるオークラノス河を漕ぎゆくことはなく、象の隊列がクレドの芳しい熱帯雨林を踏破することもありませんでした。その忘れられた宮殿では象牙の廃柱列が月光の下に美しく破られることのない眠りについているのです。

彼はこれまでに読んできた多くの物事を真実のものとして捉えていましたが、多くの人にそれを語りすぎました。人の良い哲学者たちは彼に、事物の論理的な関連性を見つめて、自分の思考や幻想を形作るプロセスを分析する方法を教え込みました。驚異は失せ去り、彼はこんなことすら忘れ果ててしまったのです。人生すべてが脳内にある一揃えの画像に過ぎず、現実世界から生まれたものも夢の中から生まれたものも異なるところがなく、その間に貴賤を設ける理由はないのだと。習慣という奴が彼の耳に、手で触れられるもの、物理的に存在するものを崇拝せよと迷信的な言辞を口うるさくしゃべり続けたお陰で、彼は密かに幻夢界に住むことを恥じるようになってしまいました。賢者たちは彼に言ったのです。お主の単純な幻想は空虚で子供じみているのみならず、更に馬鹿げてさえおるのだと。かの世界の役者たちはいつまでも自分たちを目的と意義に溢れているかに夢見ているが、その一方、盲目の大宇宙は当てどなく変転を続け、無は有となり有は無へと戻っていき、闇の中に儚く瞬いては消える精神の願いも存在も意に介さず知りすらしないのだと。

彼はありのままの事物に縛り付けられ、世界から謎が失せてしまうまでそれらの働きを説明されたのです。彼がもう嫌だ、私を黄昏の国に逃してくれ、そこなら細かな隅々までも魔術によって象られ、私の心に息を飲む期待と汲めども尽きぬ歓喜の眺望を与えてくれるのに、と乞い願ったとき、代わりに彼らは彼を新たに発見された科学の驚異へと向かわせました。原子の渦流と天空の次元の謎です。これら既知の、測定可能な法則に恩恵を見出しかねていると、彼らは、君は想像力に欠けているな、我々が物理的に創造した幻よりも夢の幻を好むせいで未熟なままなのだと言いました。

そこでカーターは、他の人と同じようにしようと試み、月並な出来事や地上の精神の動きのほうが、稀有で繊細な魂が見る幻よりも重要だという振りをしました。夢で見てぼんやりと覚えている百の洞門と玉髄の円蓋を誇るナラトの無比の美よりも、現実世界における串刺しにされた豚や消化不良の農夫が見せる動物的苦痛のほうが重大だと人々から言われても異論を唱えませんでしたし、彼らに従って苦心しながら哀れみと悲劇の感覚を培っていったのです。

それでも折に触れて、人間の熱望の全てがいかに浅薄で移ろいやすく無意味かに、また私たちが持つと公言して止まないご立派な理想に比して私たちを実際に駆り立てるはずの衝動がいかに空虚かに気づかないではいられませんでした。彼はそんな時、人々が夢の大げさで作り物めいた感じを打ち消すために教えたお世辞笑いに逃げるのでした。というのも彼には、俗世の日常生活は一分の隙間もなく大げさで作り物めいたもので埋め尽くされており、さほど尊敬に値しないと見えていたからです。だって日常生活は美に乏しく、そのくせ愚かにも自分には理由も目的もないことを認めようとしないではありませんか。こうやって彼はある種のユーモリストになりました。なんとなればユーモアは彼にとって、きっちりしているのかいないのか定かな基準を持たぬ心ない大宇宙にあっても、流石に空虚とは見えませんでしたから。

束縛されたその日には、父祖たちのナイーヴな信頼感に押されて、穏やかな教会の信仰を好ましく思いました。そこから伸びる神秘の大通りを行けば生活から逃げられるように見えたからです。近寄って初めて彼は気づきました。そこにあるのは餓死寸前になった幻想や美、気の抜けた散文的陳腐さ、フクロウじみた重量感と吾こそが真実なりというグロテスクな主張。退屈なことに、教授という教授がこういったものに支配され尽くしているのですが。あるいは彼は骨の髄までやりきれなく感じたのです。そんな感覚のせいでなんとか、未知の存在に出会った原初の種族の内にいか程の恐怖と推測が膨れ上がったかが、文学上の事実として生き延びているのです。自分たちの自惚れた科学がじりじりと論破してきた古い神話から地上的な現実を引きだそうと、人々がいかに真摯に試みたかを知った彼は疲れ果ててしまいました。彼らの的はずれな真剣さのせいで、古代宗教への愛着は息を止められてしまいました。もし彼らがエーテル界の幻想に対し堂々たる儀式と感動を捧げるだけで満足していたなら、そんな愛着を持ち続けられたかもしれないのですが。

ところが、古い神話を放擲してしまった人々を調べてみると、それらを墨守している人々よりもなお醜いことがわかったのです。そういった連中は、美は調和の中にあることを知りませんし、生命の美しさなどあてどない大宇宙においては如何程のものでもなく、ひとえに、我らの小さな世界を混沌の中から盲目的に生み出し、その後消えてしまったところの夢および感覚のみがそれを測る物差しなのだということも知りません。善悪も美醜も知覚を元にした単なるお飾りに過ぎず、それらが意味を持つのは、どんな偶然から私たちの父祖がそう考えたり感じたりしたのかという点に尽きるのであり、細部は種族ごと文化ごとに相違しているのだということを見もしないのです。その代わり、それらを一切合財否定するか、あるいは獣類や田舎者と共通の野蛮で曖昧な本能に変換してしまうかのどちらかです。だから彼らの生命は苦痛で醜悪で歪な様相を示すようになっているくせに、多少は不健全でないものへと逃避できたという滑稽な自尊心でいっぱいなのです。そんな不健全性に尚も捕らえられているにも拘らず。彼らは恐怖の偽神たちと、許可と混乱の偽神たちへの盲目的信仰とをトレードしたのです。

カーターはこの手の近代的自由をちょっと試食しただけでした。それらは安っぽく不潔で、美をひとり愛する魂を汚すからです。その間、彼の理性は連中の浅薄なロジックに吐き気がしそうでした。彼らは獣のような衝動に神聖さという金メッキを施そうと試みているのですが、その金たるや自分たちが退けた偶像から剥ぎ取ってきたものに他なりません。見たところ連中の大半は、自らが脱ぎ捨てたはずの坊主商売に囚われているのと同じく、人生には夢に見るもの以外の意味があるという錯覚からも逃れられていませんでした。また彼らは美という考えを放棄したようには倫理だの義務だのといった雑な考えを放棄することもできませんでした。彼ら自身の科学的発見の光に照らしてみれば、大自然の全てが無意識かつ非人間的な非道徳性を示しているくせに。正義だの自由だの一貫性だの幻想という先入主に支配され、歪んでコチコチになった彼らは古より伝承された知識を投げ捨て、古人の信念のあり方も放擲してしまったのです。それどころか一度立ち止まって、自分らの現在の思想と判断とを形作ってきたものこそ、それら古の伝承と方法に他ならないと考えることもありませんし、美こそが、定まった目的も不変の基準点もない無意味な大宇宙における唯一の導き手であり標準であると考えることもないのです。かくなる人工的な背景を失って、彼らの人生は方向を見失い、劇的な興味を消滅させていき、ついには自らのアンニュイを馬鹿騒ぎや、見せかけの有用さや、興奮と騒音や、粗野な装いと動物的な感覚へと引きずり込んでしまったのです。それらに飽き、失望し、あるいは吐き気を催すようになると、彼らは皮肉と辛辣さを増長させ、今度は社会の仕掛けがおかしいなどと言い出しました。彼らは自分たちの拠って立つ野卑な基盤が祖先の神々並に移ろいやすく矛盾していることを決して理解できず、ある時の満足が次の瞬間には毒となることを決して知ることがありません。穏やかに長続きする美にはただ夢でのみ出会え、現実への信仰故に無垢なる幼子の秘事を放擲するとき、世間はこの慰撫を打ち捨てることになるのです。

この不穏で虚ろな混沌の中にあって、カーターは鋭敏な思考能力と先祖伝来の資産を持つ人物に相応しく生きようと努力しました。夢は歳月に嘲笑されて萎み、彼はもう何も信じられなくなりました。ただ一つ残ったのは調和を愛する心で、そのおかげで自分の種族や社会的地位から大きく外れずに済んでいたのです。人の手になる都市を歩いても感動なんてありはしませんでしたし、どんな眺望もどこか嘘くさく見えてため息が出ました。高い屋根の上に燦めく夕映えの一つ一つに、暮れなずむ広場に輝き出す灯火の一つ一つに、思い浮かぶものといえばかつては見知っていた夢でしかなく、彼はもはや行き着くための道も判らぬあのエーテル界を慕ってホームシックになるのでした。旅行なんてただのまがい物。世界大戦にもほとんど心動かされませんでした。確かに開戦と同時にフランスの外人部隊に応召し、はじめは友人を求めたのですが、すぐに嫌気がさしました。周囲の者たちは荒っぽく、画一的で地上的なものの見方しかしなかったからです。親戚がみな遠くに離れ、自分に手出しできないことに彼は心なしほっとしました。というのも彼の精神生活を理解している縁者は一人もいませんでしたから。判ってくれたのは祖父と大伯父のクリストファーだけでしたが、疾うの昔に物故していました。

そこで彼は夢を見失って以来遠ざかっていた執筆活動を再開しました。ですが、ここでもまた得心が行くことはなかったのです。精神の上に地上的感覚がのしかかり、昔日のように美しいものを思い描くことはできませんでした。彼が建てた黄昏の光塔は一つ残らず皮肉なユーモアによって引き倒され、彼が妖精の庭に育てた繊細な驚くべき花々は全てあり得べからざる地上の恐怖によって爆散してしまったからです。彼が描く登場人物は、よくある因習的な同情を纏った結果感傷的になり、高位の幻想は片端から見え透いた寓意や安っぽい社会的警句に堕してしまいました。彼の新作は過去作が達成し得なかった売上を示し、頭が空っぽな下層民どもに受けるにはどれほど空虚なものでなければいけないかを思い知った彼は、それらを焼き捨て筆を折りました。それら新作は大変優美な小説であり、その中で彼は手軽にスケッチした夢を都会風に笑い飛ばしました。しかし彼の目から見ると、洗練されたせいでその生命は完全に吸い取られてしまったのです。

この後、彼は意識して幻覚を育み、異様で奇矯な考えを弄ぶようにしました。こうして日常性を打ち消そうというのです。しかしながら、それらはたいてい直ぐに貧困性と不毛性をあらわし、オカルティズムの通俗的な教義もまた科学のそれに劣らずドライで硬直していることが判りました。しかもそれらを和らげる僅かばかりの真実すら与えてくれないのだと。粗暴な愚劣さ、虚偽、混乱した思考、これらは夢ではありませんし、生まれた地点を超える高さの訓練を受けた精神が生活から脱出するための手立てにはならないのです。ですからカーターは異邦の書籍を購い、より深くより恐ろしい幻視者を探しました。ほとんど誰も足を踏み入れたことない意識のアルカナに沈潜し、以後ずっと彼を不安がらせることとなる生命の秘孔や伝説や記録にないほど古いことどもを学ぶのです。彼は稀なる地平に住もうと決意し、移ろいゆく自らの気分にふさわしくボストンの自宅を模様替えしました。部屋ごとに気分を変え、掛け物の色を然るべく選び、適切な書物と物品を配置し、正しい光、熱、音響、味、匂いが得られるように手配しました。

ある時彼は南部に住む一人の男のことを耳にしました。その男はインド及びアラビアから密かに持ち込まれた有史以前の書物と粘土板を読み、冒涜的な知識を持っているため忌避され恐れられていたのです。彼は男を訪ね、七年間衣食と研究を共にしましたが、最後の夜、知られざる太古の墓所に侵入した二人は恐怖に襲われ、そこから脱出することができたのはただ一人でした。その後、先祖が以前住んでいたニューイングランドの古都、魔女崇拝の街アーカムに戻ると、ここでまた柳の古木と蹌踉めくギャンブレル屋根の只中で暗黒体験をし、その結果、彼は心荒んだ先祖の日記の一部分を永遠に密封することになりました。しかし、これらの恐怖を以てしても、彼は現実というものの縁まで来ただけで、若い頃に知っていた真実の夢の国には入れなかったのです。ですから五十歳になった時には、この世界では憩うことも満たされることもないのだと諦めました。あまりにも忙しなくなってしまい、あまりにも口やかましくなってしまったこの世界で美を描き夢を見ることはできないのです。

ついに現実界の虚しさを思い知ったカーターは引退し、夢多かりし若き日の切れ切れの記憶を胸に、失意に沈むのでした。こんな人生にいつまでも拘るのはむしろ馬鹿なことだと考え、南米の知人から、苦しまずに消えてしまえるという不思議な液体を入手しました。しかしながら惰性や習慣に流され、彼は決定的な行動を取れずにいたのです。そして昔の思いをずるずると引きずり、異様な壁掛けを外して、家を幼年の頃のようにしつらえ直しました——紫の鏡板、ヴィクトリア朝の家具、その他全てを。

時の経過と共に、自分の愚図愚図ぶりが好ましくさえ思えるようになりました。若き日々の形見と世捨人生活のおかげで、生活だの洗練だのがはるか遠い非現実のものに見えるようになったからです。夜毎の微睡みの中に魔術と期待の感じが再び忍び寄るようになるほどに。何年もの間、微睡みの中に現れるものはどこにでも転がっているような日常生活の歪んだ反映だけでしたが、今ではより異質で凶暴な何かが、子供時代から明瞭な徴を結ぶに至った漠然たる恐怖と切迫感が再びちらつくのです。そのため、長らく忘却の彼方にあった無視すべからざる何ものかのことを考えるようになりました。屡々母親と祖父を呼びながら目を覚ますのです。二人と四半世紀前に鬼籍に入っているというのに。

するとある夜、祖父が銀の鍵のことを思い出させてくれました。白髪の老学者が、生前と変わらぬ闊達さで長大な家系のことを厳粛に語り、それに属する繊細で感受性豊かな人々の異様な幻影について説きました。サラセン人の捕虜となった燃える目の十字軍戦士について。エリザベス女王の治世に魔術を研究していたサー・ランドルフ・カーター一世について。祖父はまたセイレムの魔女狩りにあって絞首台を辛くも逃れたエドマンド・カーターのことを語り、この人物こそが、とある古風な箱の中に先祖伝来の大いなる銀の鍵を安置したのです。目覚める前、かの上品な人物が探すべき場所を告げました。彫刻され古き謎を秘したオークの箱。そのグロテスクな蓋に手を掛けた者はここ二世紀の間いませんでした。

暗く埃っぽい大きな屋根裏部屋にそれはありました。箪笥の引き出しの裏にひっそりと忘れられていました。一辺が一尺程の立方体で、ゴチック式の彫刻の恐ろしさたるや、エドマンド・カーターを最後に誰も開けてみようとしなかったのも宜なるかなと思う程でした。振っても音はしませんでしたが、覚えのない香料の匂いが神秘的でした。この中に鍵があるというのは暗い伝説に過ぎず、ランドルフ・カーターの父は箱の存在自体を知らなかったのです。錆びた鉄に縁取られ、手強い錠を開ける手段は見当たりませんでした。なんとなく、中にあるのは失われた夢の門を開けるための鍵だということはわかりますが、どこを、いかにして開けるべきかについて祖父は教えてくれませんでした。

老使用人が彫り込まれた蓋に手を掛けました。その間、黒く変じた木から覗く悍ましい顔どもと、何か場違いな見慣れた感じに震え上がりながら。中には退色した羊皮紙に包まれて曇った銀色の巨大な鍵が一つ、謎めいたアラベスク模様に覆われていましたが、簡単に読めるような説明はありませんでした。大部の羊皮紙にあるのは古い葦ペンで書かれた未知の言語による風変わりな象形文字のみでした。カーターはこれらの文字が、ある晩、名も無き納骨堂に消えたかの恐るべき南部の学者が持っていたパピルスの巻物にあったことに気づきました。その男は巻物を読むたびに震えていましたが、今度はカーターが震えているのです。

それでも彼は鍵を綺麗にし、それが入っていた香り高いオークの古箱に戻して夜毎枕辺に置きました。すると、昔日の風変わりな都市や信じがたい庭は見えなかったにせよ、夢は次第に鮮明さを増してきました。さてはこの鍵の目的は間違いようがないぞ、と彼は思いました。歳月を遡って呼び戻され、渾然一体となった父祖たちの意思によって、ある隠された先祖伝来の源へと引き戻されていきました。その時、自分は過去の中へと入り込み、古き事物と混ざり合わねばならないのだと知ったのです。そして来る日も来る日も考えました。北の丘々のことを、そこに横たわる憑かれたアーカムと轟々たるミスカトニック河のことを、小作人たちが働く農場のことを。

秋の深い炎の中で、カーターは古い思い出の道を辿りました。優美にうねる丘々を越え、人里離れた谷間を、覆いかぶさる森を、曲がりくねる道を、巣篭もりする農家を、褶曲する水晶の如きミスカトニック河を、あちこちでそれをまたぐ古びた石橋を木橋を。ある河の曲がった箇所には楡の巨木が群れをなし、そこは一世紀半前に先祖の一人が謎の失踪を遂げた地点でした。木々の間を吹き抜ける曰くありげな風音にカーターは身を震わせました。魔法遣いグッディ・ファウラー老のファームハウスが崩れかかっています。邪悪な小窓があり、傾斜した大屋根は、北側で地面に接するばかりです。彼は急いでここを通り抜けようと車の速度を上げ、母や母方の祖父たちが生まれた丘を登りきるまでアクセルを緩めませんでした。そこには道沿いに伸びる古びた白い家が岩棚と緑の谷が織りなす息を飲むように美しいパノラマをいまなお誇らしげに見下ろしていました。遠く水平線上にキングスポートの尖塔群が聳え、彼方に広がる古きわだつみの夢の層を暗示しています。

その時、この四十年の間絶えて訪れることのなかったカーター家の古い地所へと向かう急坂が見えてきました。登り口に着いたのは午後もだいぶ遅く、九折の坂の途中に車を停めた彼は豊潤な西日を浴びて魔法のように金色に映える田園地帯の広がりを見渡しました。この静やかで地上ならざる情景には、このところ夢に現れる不思議と期待の全てがあるようで、目で追う彼は他の惑星上での知られざる孤独のことを思ったのです。崩れかかった壁の間にうねうねとヴェルヴェットの光を返す伸び放題の芝、妖精の森に幾重にも縁取られた遥か遠方の紫の丘々、谷間の森は幽鬼じみ、滴る水はじめついた暗い虚に落ち、捻くれた木の根の瘤の間を流れていくのです。 

なにかしら自動車は探し求める領域には馴染まないと感じ、彼は森の入り口で下車しました。かの大きな鍵をコートのポケットに入れ、歩いて丘を登りました。例の家は小高い塚の上にあって、北側を除いて周りに木はないはずなのですが、今や彼は森の中にすっかり飲み込まれていたのです。あの家はどんな風に見えるだろう、と彼は思いました。というのも、風変わりなクリストファー大伯父が三十年前に亡くなって以来、彼はその家を無人のままにし、荒れるに任せていたからです。少年時代にはそこに長く逗留し、大いに遊び、果樹園の先の森に潜む不思議な驚異を見出したものでしたのに。

夜が近づき辺りの影が濃くなってきました。一度右手の林が切れ、十キロメートル(*1)も広がる夕暮れの草原が見え、キングスポートのセントラル・ヒルに立つ古い会衆派教会の尖塔もちらりと姿を現しました。沈む間際の夕日に赤く染められ 小さな丸窓のついた羽目板が炎と輝いていました。再び闇路へと戻った時、はっと気づいたのです。さっき見かけたのは幼少期の思い出に他ならないはずだと。なぜならその白亜の古い教会は疾うの昔、会衆派病院を増築する際に、スペースを確保するため取り壊されていたからです。それを伝える新聞記事には、教会の立つ岩がちの丘の内部に異様な巣穴ないし通路が発見されたとあり、彼はそれを興味深く読みました。

驚く彼を一つの声が貫き、それが遠い昔に親しんだものだったのでまたしても仰天させられました。ベナイジャ・コーレイ爺さんではありませんか。クリストファーおじさんの使用人で、随分むかし、少年時代に訪れた際にも既に高齢だったのに。とっくに百歳を越えているはずなのですが、他の人の声ではありえません。言葉を聞き取ることはできなかったものの耳に馴染んだ声調は疑いようがないのです。これはもう「オールド・ベニジー」が存命だとしか!

「坊ちゃま! ランディー坊ちゃま! どこにいなさる? マーシーおばさまが死ぬほどお探しなのをお判りにならんか? 午後になったら遠くに行っては駄目ですよ、暗くなる前に帰るのですよ、とおっしゃっているのを? ランディー! ラン…ディー!… まったくもって悪ガキだことよ。あんな風に森の奥に駆け込んでしまう子供を見たことがないわい。朝餉の用意をしてるともうその隙に上の方の薪置き場の蛇の巣に行っとる!…… おーい、ラン…ディー坊ちゃま!」

文目も分かぬ闇の中に立ちつくし、ランドルフ・カーターは目の周りをゴシゴシこすりました。どうも奇妙でした。彼はこれまでどこかいるべきではない場所にいて、自分の場所ではない所をあまりに遠くまで彷徨ってしまい、言い訳ができないくらい遅刻してしまったのです。ポケットの望遠鏡を使えばたやすく読み取れるのに、これまでキングスポートの尖塔の上にある時計盤のことを忘れていました。ですが今度の遅刻がとても奇妙で先例のないものだと判っていました。小型望遠鏡を本当に持っていたっけ。子供服のポケットに手を入れてみました。ありません。しかしどこかの箱から探し出した大きな銀の鍵が入っているではありませんか。鍵を収めた開かずの箱のことについてクリスおじさんが何か語ろうとしたのですが、マーサおばさんがいきなり話を止めさせたのです。そんなのこんな子供にするような話じゃないでしょう、ただでさえこの子の頭の中はもう面妖な幻想で一杯なんだから、と言って。自分が鍵を見つけたのはどこでだろう、思い出そうとしたのですが、頭が酷く混乱しました。ボストンの自宅の屋根裏だったような気がします。パークスに一週間の給料の半分を出すから箱を開けるのを手伝ってくれ、そして黙っていてくれと賄賂を渡した記憶もなんとなく残っています。しかしこれを思い出した時不思議なことにパークスの顔がどっと浮かんできました。高齢で皺面の元気の良い小柄なロンドン子の姿が。

「ラン…ディー! ラン…ディー! ほらほら! ランディー!」

揺らめくランタンが暗い曲がり角を近づき、ベナイジャ爺さんが飛び出すと、声もなく戸惑う巡礼者を取り押さえました。

「これ坊ちゃま、なんというところにいなさる! 坊ちゃまの頭には舌が付いていなさらんか。だから何もおっしゃらんのじゃな! 爺はもう小半時も呼び通しですわい。とっくに爺の声が聞こえてなさるはずですよ! 暗くなっても坊っちゃまがお帰りにならないのでマーサおばさまがやきもきしているのをお判りくださらんか? まあ待っていなされ、クリスおじさまがお帰りになったら言いつけてさしあげます! いい加減お判りください、ここいら辺の森はこんな遅くにぶらぶらしていい土地ではございません。悪さをするようなモノがおるのです。爺の爺様が教えてくれた通りですぞ。出てきなさい、ランディー坊ちゃま、さもないとハンナが晩御飯を片付けてしまいますよ!」

だからランドルフ・カーターは 彷徨う星々が秋の高い木立越しに見える道路まで登りました。犬が吠え、その先の角にある小さな窓ガラスに黄色い明かりが灯り、木のない塚の上にプレアデス星団が瞬き、大型ギャンブレル屋根を持つ一軒の家が暗い西空に聳えています。戸口で待つマーサおばさんはベナイジャが遅刻者を突き出した時もあまり叱りませんでした。カーターの血筋にはいつかこういうことがあるはずだとクリスおじさんが期待しているのを知っていたからです。ランドルフ少年は鍵を見せず、夕餉のあいだ口を閉ざして、就寝時刻になって初めて嫌だと言い出しました。彼には時々、起きている時のほうがよく夢を見られることがあったのです。そして彼は鍵を使ってみたかったのです。

次の朝、ランドルフは早起きしました。もしクリスおじさんに捕まって朝食につかせられなかったら、早速飛び出して上の薪置き場にすっ飛んでいったでしょう。彼はじれったい思いで食堂を見回しました。ゆるい傾斜のついた屋根、質素な絨毯、むき出しの梁と隅柱。秋の枝が後ろの窓の鉛製の羽目板を引っ掻くときだけ微笑んで。間近な木々が、丘々が形作る門、その導く先は彼の真実の国たる時のない王国です。

解放された彼は子供服のポケットを手探りしました。鍵があるのを確かめると、果樹園を走り抜けてその向こうの坂に足を向けました。そこでは森が再び丘をなし、木のない塚さえも追い越すほど隆起していました。苔むす地面は神秘的で、あちらこちらに地衣類の生えた大岩が立っていいました。あたかも聖なる杜の捻れた幹の間に立つドルイドのモノリスのように。登りながらランドルフは一度急な瀬を渡りました。瀬は少し離れた所で滝となり、潜み棲むファウヌスやアイギパンやドリュアスに向けてルーンの呪文を歌っているのです。

すると、森の斜面に奇怪な洞窟がありました。これが村人の忌み嫌う恐るべき「蛇の巣」で、ベナイジャが何度も何度も近寄るなと警告していた場所です。この洞窟の深さは誰にも想像できませんでしたが、ランドルフだけは別でした。なぜなら少年は一番遠くの暗がりに裂け目があることを、その先がより広い岩窟——憑かれた墓所で、その花崗岩の壁には意図的な加工が施されている感じがします——になっていることを発見していたからです。これまでと同じく、今回も彼は這い入りました。居間のマッチ入れからくすねてきたマッチで道を照らしながら、自分自身にも説明できない熱烈さで最後の割れ目の縁を回りました。なぜこんなに自信満々に向こうの壁に行こうとしているのか、そうする間に大きな銀の鍵を本能的に取り出したのはなぜなのか、彼にはわかりませんでした。ですが彼はそのまま進み、その晩踊りながら家路を辿った時も門限破りの言い訳はしませんでしたし、お昼時も夕餉の角笛も無視した結果受けた叱責にも耳を貸しませんでした。

さて、十歳のときにランドルフ・カーター少年の想像力を高める何かが起こった、という点で遠縁の者の見解は全て一致しています。シカゴ在住のアーネスト・B・アスピンウォール卿は十も歳の離れた従兄弟であり、1883年の秋以来少年に生じた変化をはっきり覚えています。ランドルフ少年は殆ど誰も見たことのない夢の風景に見とれるようになりました。一層異様なのは、ごく日常的な物事に関連して見せた反応の性質でした。簡単にいえば、彼は予言の力を拾い当てたようなのです。彼の示した常ならぬ反応は、その時点では無意味に思えたのに、後から振り返ると目覚ましい印象をあたえるのです。新発明が、新たな名前が、新たな出来事が、続く数十年の間に続々と歴史書に記されていきました。その時、しばしば人々はカーターが何年も前にうっかり漏らした言葉に、当時からすれば遠い未来に属する物事との間の疑いようのない関連があることを知ったのです。彼自身は自分の言葉を理解していませんでしたし、特定の物事が何故に特定の感情を引き起こすのかも判っていませんでした。思い出せない夢のためだろうとだけ思っていました。旅行者がベロイ=アン=サンテールというフランスの町について話すのを聞いて彼が青ざめたのは、1897年という早い時期でしたが、大戦中の1916年に、外国人部隊に参加していた彼が負傷して死線をさまよった際、友人たちはそのことを思い出したのです。

親戚筋がこういった話を繰り返すのは、先ごろカーターが失踪してしまったからです。使用人である好々爺のパークスは何年も主人の気まぐれを我慢してきました。彼がカーターを見た最後の朝、カーターは最近自身で発見した鍵を持ち、自分の車に乗って一人で出かけていき、それっきりでした。パークスは主人が古い箱からその鍵を取り出す際に手助けしたのですが、箱の表面にあるグロテスクな彫刻、その他なんとも呼びようのない性質によって奇妙な影響を受けた気がしていました。出発にあたってカーターは、アーカムにある先祖が昔住んでいた土地に行くんだ、と言っていました。

カーター家の古い地所は、楡の木山を半分登った所に遺構として残っていますが、カーターの自動車はそこに続く道の脇に注意深く駐めてありました。車の中には香木でできた彫刻のある箱があり、それに躓いた住民を驚かせました。箱の中身は一枚の妙な羊皮紙だけで、どんな言語学者も古代文字研究家もその上の文字を解読したり同定したりすることができませんでした。足跡があったとしても雨に流されてしまったでしょうが、それでもボストンから来た捜査官はカーター家の地所に落ちていた枝に乱れた跡があると指摘しました。彼らの主張によると、比較的最近この廃墟を手探りした者がいるというのです。裏の丘の麓の森にある岩と岩の間に、普通の白いハンカチが落ちていましたが、失踪者のものかはっきりさせることはできませんでした。

ランドルフ・カーターの相続人の間で遺産の分与に関する話が進んでいますが、私はこれに断固反対するものであります。なんとなれば彼が死んだとは信じられないからです。夢見る人のみが見抜き得る時空の捻れが、幻想と現実の捻れがあって、彼について知るところから考えると、彼はそれらの迷宮を横切る道を見出したに過ぎないのです。いずれ彼が帰郷するか否かはなんとも申せません。彼は失くしてしまった夢の世界を欲し、子供時代の日々を慕いました。そして彼は鍵を見つけ、なんとなく私は彼がそれを奇妙に役立てることができたと信じています。

次に見かけたら、聞いてみるつもりです。というのも、二人して遊んだとある夢の都市ですぐまた会えると思うから。スカイ川の彼方のウルタールでは、小塔を戴く伝説の町イレク・ヴァドの蛋白石の玉座に新王が着いたという噂があります。この町は玻璃でできた中空の丘の上に夕映えの海を見晴かしながら建ち、海の中では髭面で水かきのあるグノーリが類まれな迷宮を作り上げています。私にはこの噂をいかに解釈するべきかわかっています。そうです、私はかの大きな銀の鍵を見るのを今か今かと待ちかねているのです。盲目で非個人的な大宇宙コスモスの目的と神秘を悉く象徴するアラベスク模様の暗号がそこに記されているかもしれないのですから。


翻訳について

底本は Wikisource で、適宜 HPL archive を参照しました。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。

この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

この作品の翻訳は非常に難しく、2月に着手してから4ヶ月もかかりました。八割は高速バスや待合室の中での作業でした。本当ならここから一文ずつ突き合せる作業が始まるのですが、体力がありません。要約すれば「ランドルフ・カーターは難治性中二病に罹患しており、50代で失踪するまで回復することはありませんでした」という話です。見慣れない単語が多く、時々あれっと思う倒置が現れる程度なので、多分原文を読んだ方がよくわかります。むかし訳本で読んだときはなんかピンとこなかったのですが、いい加減歳をとってくると、「眠りの壁の彼方に」とこの作品が不思議に沁みてきます。この暗い2017年という年になんと合っていることか。ああ現世は夢、夢こそまこと(江戸川乱歩)。

共謀罪の成立によって著作権法が事実上非親告罪化されたため、ラヴクラフトのアマチュア翻訳はかなりセンシティヴな行為になりました。残念なことです。まあ、小生なんぞはさんざんネットで叩かれてますから消えても構わないでしょう。

「銀の鍵」→「銀の匙」→「銀のスプーン」→猫と空目していくのは内緒です。

固有名詞等:Randolf Carter、Thran、Oukranos、Kled、Narath、Christopher、Edmund Carter、old Goody Fowler、Old Benijah Corey、Old Benijy、Parks、Hannah、Ernest B. Aspinwall, Esq.、Belloy-en-Santerre、Skai、Ulthar、Ilek-Vad、Gnorri


20, Jun., 2017 : 共謀罪施行前にとりあえずあげます
もろもろのことどもに戻る