This is a Japanese translation of "Notes on Writing Weird Fiction" by H.P.Lovecraft.

以下は Notes on Writing Weird Fiction by H. P. Lovecraft の全訳です。


怪奇小説の執筆についての覚書

著: H. P. ラヴクラフト
訳: The Creative CAT

Written in 1933, published in the June 1937 issue of the Amateur Correspondent.

私が小説を執筆するのは、目に入った種々のもの(風景や建築や雰囲気など)、観念、出来事、そして美術や文学の中で出会ったイメージから生まれた驚異や美や冒険への期待についての、曖昧で捕らえ所のない断片的な印象を、一層明確に詳細にかつ安定した形で目に見えるようにして、自分自身を満足させるためです。怪奇小説を選んだのはそれが何より自分の好みに合うからでした――私の中の最も強く最も永続的な願望、即ちいますぐ、時間・空間・自然法則という忌々しい制限を一時停止させあるいは打破する奇妙な幻想を見たいという願望に。私達はそのような制約の中に永遠の囚人として監禁され、目に見え分析できる半径を超えて無限の宇宙空間を知りたいという好奇心を満たし切れないでいるのです。それらの小説は屢々恐怖という要素に重きを置きますが、それは恐怖が私達の最も深くかつ強い情動であり、また、自然に反する幻想を想像するにあたって最も優れたよすがとなるからであります。恐怖と未知ないし不思議なものとは常に密接に関連しており、恐怖という情動に力点を置くことなしに、自然法則を粉砕する図、宇宙の除け者になる図、あるいは「外部にあること」を満足に描くことは困難なのです。多くの私の物語において時間が重要な役割を果たしているのは、私の心の中では、大宇宙広しといえどもこの要素以上にドラマチックでありかつ容赦のない恐怖をもって浮かび上がってくるものが見当たらないからです。私にとって時間との衝突こそ人間に表現しうる最も強力かつ実り多い主題です。

私が選んだストーリーライティングの形式は明らかに特殊で恐らくは偏狭なものですが、それにも拘らず文学そのものと同じくらい不滅で永続的な表現法です。人口の中の少ないパーセンテージながら常にある種の人々がおり、未知の外宇宙への身を焦がすような好奇心を持ち、既知の現実という牢獄から逃げ出して信じ難い冒険と限りない可能性をもつ魅惑の国へ行きたいという燃えるような願いを持っているのです。夢の中で、また、深い森や幻想的な都会の塔や燃え上がる夕映えが仄めかす一瞬の暗示として、私達の前に開かれる魅惑の国に。このような人々の中には、私のような取るに足らぬ素人だけではなく、偉大な作家が含まれます――ダンセイニ、ポオ、アーサー・マッケン、M. R. ジェイムス、アルジャーノン・ブラックウッド、及びウォルター・デ・ラ・メアがそれに属する代表的な巨匠達です。

私が小説を書くやり方といっても――決まった方法があるわけではありません。私が書いた物語にはそれぞれに異なった由来があります。一度か二度、文字通り夢そのものを書き出したことがありますが、普通はどんな雰囲気や観念やイメージを表現したいか、という所から始め、それらを具体的な言葉の形で記録できる劇的な事件の連鎖として具体化する上手い方法を思いつくまで繰り返し考えます。よくやる方法としては、そのような雰囲気や観念やイメージに最も良く合致する基本的な条件や状況のリストを一通り頭の中で作っておいて、次いで選択した条件や状況に基づき、どんな論理的かつ自然な動機があれば当該の雰囲気や観念やイメージを説明できるか推察するというのがあります。

もちろん、ライティングの実際のプロセスは主題及び初期の着想によってさまざまですが; 仮に私が書いた物語の全来歴を分析するならば、平均的には次のような一組の規則程度のものが帰納できるのではないでしょうか。

  1. 梗概ないしはシナリオを用意し、その中で、出来事を語る順ではなく――厳密な起こる順に記述する。記述には十分な長さを与え、要点を全てカバーし予定している全ての事件の動機づけを網羅する。この一時的なフレームワークを作る段階で、詳細箇所、コメント、予期される結末を記述しても良い。
  2. 事件に関する第二の梗概ないしはシナリオを用意する――これは(事件が実際に起こる順序ではなく)語る順にし、細部に至るまで十分な記述を行い、パースペクティヴ、ストレス、クライマックスの変更についてメモする。もしそのような変更がドラマに力を与え小説の総合的な効果を増すならば、当初の梗概をそれに応じて変更する。事件の追加や削除は自由に行う――最初の計画とまるで違う物語になっても構わないので、当初のコンセプトに縛られてはいけない。小説を練り上げるプロセスで付け加えたり改変したりするような上手い案があれば、いつ何時でも実行すべきだ。
  3. 第二の「語る順」梗概に従って――手早く、さらさらと、あまり細かいことを言わずに――小説を書いてしまう。書いている間に事件やプロットを変えた方が上手くいくと思ったら、以前の設計にこだわらずに変更すること。新たに劇的な効果や生き生きしたストーリー・テリングを入れられる機会があれば、有利だと思うものなら何でも取り入れよ――前の部分に戻って、新しいプランと整合するように修正する。必要があれば、あるいは好ましければ、セクションを丸ごと挿入したり削除したり、発端と終結を変えてみたりしながら最良の順序が見つかるまで試みる。しかし、参照関係が小説全体を通じて最終設計と完全に調和していることを確認せよ。過剰かも知れないあらゆるものを除去する――単語、文、節、あるいは挿話や要素をまるごと――ここでも常に参照関係全体が調和していることをいつも同様に確認する。
  4. 文章全体を改訂する。その際、語彙、統語法、散文のリズム、各部の比率、語調の微妙さ、転換における優美さと尤もらしさ(場面から場面へ、緩徐で細かなアクションからある程度のタイムスパンに渉る素早く大雑把なアクションへ、及びそれらの逆……等……等……等)、開幕・終結・クライマックス等がどの程度効果的か、ドラマチックなサスペンスと感興、あり得そうな話だという感じと雰囲気、及び様々な他の要素に注意を払う。
  5. きちんとしたタイプ原稿を用意する――適切と思われるなら最後の改訂作業を恐れるな。

これらの中で第一の段階は屢々純粋な精神作業となります――脳内だけで条件と出来事のセットを作ってしまい、「語る順」の詳細な梗概を用意しようという時点まで紙に書かないのです。時々はアイデアをどう発展させるべきか判らないままにいきなり書き始めてしまうこともあります――こうやって着手すると、弾みで書いたり独りよがりになったりしがちです。

思うに、怪奇小説ははっきりと四種類に分けられます; 一つは雰囲気ないし感覚を表現するもの、もう一つは絵画的概念を表現するもの、三番目は一般的な状況、条件、伝説ないし知的な概念を表現するもの、第四は限定的な劇的場面ないし特定のドラマチックな状況ないしクライマックスを表現するものです。あるいは、怪奇小説は大まかに次の二つのカテゴリに分類することができるかもしれません――ある状態ないし現象に関わる驚異ないし恐怖を描くもの、及び奇怪な状況ないし現象に関連した登場人物の行動を描くもの。

それぞれの怪奇小説は――特に恐怖小説に絞って言うと――明確に分けられる五種類の要素を伴っているように見えます: (a) 基礎的な、底流をなす恐怖ないし異常性――状態、存在等――、(b) 恐怖の一般的な効果ないし影響、(c) 恐怖が顕現する形態――恐怖を実体化する対象および観察される現象――、(d) 恐怖に相応しい反応のタイプ、および (e) 恐怖が所与の諸条件と関係して及ぼす特定の効果。

私が怪奇小説を書く際はいつでも、正しいムードと雰囲気が得られるよう極めて慎重に試みており、強調が然るべき箇所にくるようにしています。見かけ倒しの未熟なパルプフィクションでもなければ、あり得ない、ありそうもない、あるいは信じ難い現象を、客観的な行動や平凡な情動を語るような日常的な語り口で提示することはできないのです。信じ難い事件や状況を描こうとすると、一つの特殊なハンディキャップを背負うことになるわけで、これは克服しなければなりません。そのためには、物語の全ての相にわたって慎重なリアリズムを維持するより他ないのです。但し描こうとする驚異自体に触れる場合はです。この驚異は極めて印象的にかつ注意深く扱う必要があります――情動を慎重に「盛り上げ」るのです――さもないとその驚異も平板で説得力のないものに見えてしまうでしょう。なんといっても物語で一番主要なものなのですから、それが存在するというだけで登場人物や出来事の影は薄くなります。しかし、登場人物と事件はその驚異に触れるときを除いて一貫性を持ち、自然でなければなりません。登場人物はその中核的な不思議を巡って、その種の不思議に対して類似した人物が実際に示すのと同様の感情に圧倒されなければならないのです。決して不思議というものを当然視してはなりません。登場人物が問題の不思議に慣れていると考えられる場合ですら、私は読者が感じるであろうものに符合する畏怖と印象深さの雰囲気を織り上げようと試みています。おざなりな文体はあらゆるシリアスなファンタジーをぶち壊しにしてしまうのです。

アクションではなく雰囲気こそが怪奇小説に望まれるものです。そう、不思議の物語というのは人間が抱くある種の気分の活画でしかあり得ません。他のものになろうとした瞬間に、それは安っぽい、浅薄な、説得力を欠くものになってしまいます。何よりも微妙な仄めかしを重視せねばなりません――それと判らぬ暗示及び連想によって結びついた選り抜きの細部、これに依って気分に陰影を持たせ、非現実的なものに異様な現実感を与えるぼんやりとした幻想を作り上げることができるのです。色彩と象徴の切れ目のない雲を離れて単に信じ難い出来事を羅列しても、無内容かつ無意味で、避けるべきです。

これらが、初めて本気で幻想小説を書こうと企てて以来――意識的であれ無意識の裡にであれ――私が常に従ってきた規則ないし規範です。私が書いたものが成功しているといえば異論があるでしょうが――最後の数節で言及した考察を無視していたら今よりずっと悪い作品になっていただろうと、私は少なくともそう感じているのです。


翻訳について

底本はWikisource版で、適宜The H.P. Lovecraft Archive版を参照しました。この翻訳は独自に行ったもので、先行する訳と類似する部分があっても偶然によるものです。この訳文は他の拙訳同様 Creative Commons CC-BY 3.0 の下で公開します。TPPに伴う著作権保護期間の延長が事実上決定した現状で、ほとんど自由に使える訳文を投げることには多少の意味があるでしょう。

ここでは weird fiction を「怪奇小説」と訳してあります。しかしお読みいただければお判りのように、この言葉にはもっと幻想小説よりの意味合いがあるようです。「不思議物語」も考えましたが、「不思議な物語」とするだけでニュアンスが変わってしまう程のずれがあります。ミュージシャンの宝達奈巳さん(微分音とコブシを使いまくる民族音楽的なヴォーカルをエレクトロに乗せる(ぶつける?)イカしたスタイルで有名です)がトールキンになぞらえておっしゃる通り、H.P.L.にもランドルフ・カーターものなど普通の「怪奇小説」という枠にうまくはまらない作品がありますね。ここでいう「怪奇小説」はそれらを含んでいるとご理解ください。


13, Feb., 2016 : とりあえずあげます
15, Feb., 2016 : ちょっと調整
10, Apr., 2016 : もうちょっと調整
11, Apr., 2016 : 「怪奇小説」という訳語に一言
15, May, 2016 : 細部の修正/調整
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