「いろは'98」(1998/12/07〜1999/06/04号)
あれは95年の夏。
新潟のネタを「いろは」唄にあわせて47ネタシリーズで書いたことがあった。
(結構こじつけだったけど。)
それから何度かまたチャレンジしようかと思ったが、
「ネタがない」「書く暇がない」などで出来なかった。
そして今年、決してネタがたくさんあるわけではないが、
目標を作らないと書くものも書けないので、再びこれを目標に
書くことにしたのである。
もっとも、今年分だけではネタが足りないと思われるので、
新潟以外の話や過去の話もおりまぜてする可能性もある。
(過去に書いた話をそのまま持ってくるということはしない。
すべて今回新たに書いたもの。)
まず、前知識として柏崎市椎谷地域の地図を書いておこう。
これからの話の中で、何度かこれらが必要となるはずである。
至 西山
天拝山-----+ |
観音堂 |
|| 不動尊 墓|
|| ====\ |
至 階段|| \華蔵院 |椎谷
坂の下地区 || | |入口
石地 ̄ ̄\ / ̄ ̄| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄至 宮川/市内
寺泊 \ 公園/ |港
\峠__/ -防波堤-- 海
燈台
「用語集」
椎谷 私の田舎の地区名
柏崎 椎谷の含まれる市の名前
西山 椎谷のとなり町。椎谷は柏崎市に含まれるが西山は独立した町。
かの田中角栄の地元。
刈羽 椎谷のとなり町。椎谷は柏崎市に含まれるが刈羽は独立した村。
日本一の原発がある。
ナルス 西山にあるスーパー。
というところで、始まり始まり。
石の海岸。
椎谷の海岸は砂地の海岸である。
一応「遠浅」である。
とは言っても、30メートルも沖に出ると身長170センチの私では
背が立たなくなる。世の中には、わずか5メートルで背が立たなくなるような海岸も
存在するので、そういう意味では十分遠浅であると言っても良いだろう。
(石川県は尼御前の海岸なんてそう。)
このあたりは昔から砂が付きにくいところで、数年に1回浜がなくなってしまった。
(柏崎原発が出来て以降、よけいにそうなったような気もする。)
そう、階段を降りるとすぐ海になってしまうのだ。
そういうことで、ここ数年で大きく海岸線が改修工事され、
砂がなくなっても歩けるようにコンクリートを敷く
砂を入れる
テトラポットを海に並べて閉じてしまう
をやった。特に今年はテトラポットで完全に閉じてしまったので、
浜がだいぶ広がったような気がする。
(砂を入れるといっても、椎谷の浜は元々砂鉄の非常に多い黒い浜だったのが、
入れた砂は普通の白砂だったので、浜の感じはだいぶ変わってしまった。)
(外)海
+++++++++++++++++++++++テトラポット
(内)海
======================
浜
そうはそうと、新潟の浜は佐渡を除いては砂地が多いと思っていた。
(佐渡は岩場。)
椎谷のとなりの石地海岸も砂地である。
中央海岸も大湊も鯨波海岸も砂地である(いずれも柏崎市内の海岸)。
だから、このあたりの海岸はみんな砂地だと思っていた。
先に書いた通り、今年はテトラポットで海が閉じられてしまったので、
沖まで行こうと思ったら、テトラポットを乗り越えるか、
だいぶ離れたところにある切れ目まで歩く必要がある。
この切れ目は、椎谷の浜の西、東どちらにもあるが、
いつもは東側の方(港の方向)へ行く。
それは、そちらの方が人が少なく、またさらに沖に防波堤が有ったりするところも
あって、そういうところでは外洋の波がきつくても泳げるからである。
(また後で書くが、今年は雨が多く、海がよく荒れていたのである。)
だが、ある時気まぐれに西側に行くことにした。
考えてみれば、この左側=椎谷入り口方面に行くというのは何年ぶりだろうか。
こちらは人が多いので、滅多に行かないのだ。
で、椎谷入り口の浜に付いてびっくり。
貝殻だらけではないか。綺麗な貝殻が大小びっしり。
さらに、浜は砂ではなく砂利である。小石と言った方が良いか。
同じ椎谷なのに、このあたりは砂浜ではないのだ。
素足で歩くと痛い(足の裏に刺激があるので、健康サンダルのようではある)。
さらに、海に入ると底は岩場ででこぼこで、下手に裸足で進むと足を切るか
転びそうになる。あいにくと、この日は波が高くてサンダルを履いても
沖まで出ることが出来なかった。波がきつくて底が見えないため+波に押し戻される
ので、まともに進めないのだ。
椎谷入り口付近の海はテトラポットもなく、外洋に開かれている。
おそらく、この日だけでなく通常も波がそこそこあるのであろう。
そしてこの岩場の底。
小石や貝殻は、波で打ち寄せられたものだろう。
(浜の小石はそれが削れて出来たものかも知れない。)
全く、ごく近所であっても、これほどに様子が違うことがあるのだ。
狭い椎谷であっても、まだまだ知らないことは多い。
ろくでもない連中の話。
椎谷のあたりの海岸と言えば、昔は地元の人だけのひっそりとした海岸であって、
車の通行量もさほど多くなく、ゆったりとしたものだった。
ところが、高速道路が完成、いや正確には北陸道が全通し、関越自動車道の
関越トンネルが改良されてからは、他地方からの車がぐっと増えた。
柏崎がサーフィンのメッカとして有名になってしまったために余計である。
(サーフィンの国際大会が開かれたようだ。たしかに柏崎の海には良い波が来る。)
さて、車の量が多くなっても、ちゃんと道理をわきまえた人達が来るのであれば
問題はない。交通量が増えても、制限速度を守り、静かに運転してくれれば、
それほど文句も言わない。ところがそうはいかない。
どうも日本人はレジャー=馬鹿騒ぎと思っている奴らが多いようで、
スキーでもそう思うが、海にどんちゃん騒ぎをしに来ているような馬鹿どもが
多すぎる。
道路ではおもいっきりぶっとばす。
私の家の前の道は狭いのだが、道路沿いを走る上に信号がないのでこちらに来る
車が多い。もう少し内陸には信号はあっても広い走り易い道路があるのにも
かかわらずである(たぶん、そっちを走った方が早く目的地に着ける)。
さらに、昼夜かまわずうるさい音を立てて走り回る。バイクなら数台で怒涛を組んで
来るものもいる。昔都会にいた暴走族と全く同じである。
そういうことをするのはたいていは髪の毛を茶色に染めた、一見するだけで
馬鹿そうな若者であるが、いい年こいたおっさんまでそうなのだから、
もはや何をか言わんである。
(昔はサーファーにそういう連中が多かったが、最近はそうでもない。
いや違うな。一般の馬鹿が増えたので、サーファーの馬鹿さ加減でも「まし」
になっただけだ。)
こういう連中の車のナンバーを見ると、3つのものが多い。
「熊谷」「群馬」「練馬」。海を持たない県である。
このナンバーを見たら、7割方馬鹿だと思っていい。
偏見ではない。れっきとした数学的確立論である。
(今気がついたけど、3つとも動物名が入ってるな。)
今年はさらにそれに「長野」「松本」が加わったようである。
その原因は簡単。高速道路がつながったからである。
もちろん新潟ナンバーや長岡ナンバーにもそういう奴らはいる。
私の車にぶつけた奴も新潟ナンバーである。
しかし、傍若無人を行う確率は、先の他県ものの方が圧倒的に高い。
「旅の恥はかき捨て」という言葉があるが、これは決して旅先では何もしてもいい、
自分の家の近くでは出来ないような破廉恥なことでもやっていい、ということでは
ない。その土地の事情を知らないために、恥をかいてしまってもしょうがない
ということである。どうもそのあたりを勘違いしている奴らが多すぎる。
新潟県も、観光で収入を得ている部分が多いとはいえ、地元の人間に悪影響を
与えるような馬鹿は、徹底的に取り締まって欲しいところである。
地元民を優先しない行政は大いに間違ってる。
{飲料紹介}
「ハワイヤン ピンクグワバ」
HAWAIIAN PINKGUAVA
ダイドードリンコ
果汁20%
280g
¥200
「爽やかにとれる天然ビタミンC」と言うことである。
某社のアセロラドリンクと同じだな。
エネルギー 129Kcal
蛋白質 0g
脂質 0g
炭水化物 32g
ナトリウム 0g
ビタミンC 65mg
そう言えば、ビタミンCは確かに体に必要だけど、純度の高い合成物では
かえって結石したりして良くなかったりするらしい。
だから、ちょっと不純物と言うか、他の(抑制)成分も入っている天然物が
良いと言われるのである。
で、味はというとけっこうまとも。
ネクターをちょっときつくしたような味である。
アセロラドリンクよりかは飲みやすいかも。
お勧め度 80%
大阪でも、今でもあるかな?
・・・「は」2・・・
バーベキューは家の中。
毎年新潟に行ったら外せないのがバーベキューである。
これをするために庭掃除をする、と言っても良い位である。
やっぱり、星空のもとでおいしい海産物を食べてビールを飲む快感は
何物にも買え難い。
バーベキューセットは、市販のちゃちなもの(失礼?)ではなく、
ブロックを組み上げて作る本格的(自我自賛)のものである。
昔は市販のものを何種類か使ったが、背が低い、火が付けにくいなどの欠点が多く、
結局自分で作ったのであった。
ところがこれにも欠点があって、持ち運びが出来ないことにある。
普通の家ならこれは大問題だが、新潟の家の庭ならど真ん中に据え置いても構わない
(人がほとんど通らないから)ので問題無い。
だが、雨が降ったりすると出来なくなる、という欠点もある。
おや、雨が降ればどこでもバーベキューは出来ないだろう、と思われるかも知れないが
そうでもない。田舎の家ではシャワーの前にちょっとした空間があるので、
ここにセットを置けば室内でもバーベキューが可能になるのだ。
雨だけじゃ無く、寒い冬でも出来るぞ。
どうだ、まいったか(←何を言ってるんだか^^;)。
今年はと言うと、雨が非常に多いので、なかなか外ではやれない。
そこで、この室内バーベキューをすることにした。
バーベキューと言えば「ホタテと蛤」は外せない。
肉も良いけど、やっぱり海産物の方がおいしいよな。
とうもろこしも外せないし、意外とウインナーも良い。
そうそう、渡りガニを忘れたら駄目だ。
バーベキューというか炭火焼きでは素材の善し悪しがはっきりするので、
肉は良いものを選んだほうがよい。
あとは椎茸とか、玉ねぎ、さつまいも、かぼちゃも良い。
そう、バーベキューは総合栄養食なのだ。
これで栄養補給出来るので、新潟から帰ってくると元気いっぱいになるのである。
食べすぎるのはいけないけど(^_^;)。
・・・
そうそう、このバーベキュー。
本格的なのは良いけど、問題もあって、煙がかなりである。
前なんか、やっている本人達は気が付かなかったが、かなり煙が出ていたので
近所の人が「また火事か?」と思って見に来た位である。
言われてみてよく見れば、窓からすごい煙が出ていたのであった。
こりゃ、ちょっと近所迷惑だったね。
気を付けよう。
ということで、やっぱりバーベキューは良いでんなぁ、というお話でした。
人間、無理は禁物である。
私は余り体力に自身はないが、持久力と言う意味ではけっこうあるし、
日頃薄着をしているせいか、寒さに強いし風邪もひきにくい。
これは「馬鹿はひかない」ということかもしれないが。
それはさておき、実は7月からと言うか、もっと前、例の会社にいる時分から
どうにもからだの調子がおかしくなっていた。
例の会社の最後ではかなりハードな仕事だったし、そもそも精神的に苛々していたので
そういうのが響いて体調を崩したようである。
それを辞めてしばらくあったのだが、その間は就職活動でこちらもうまくいかない
ので、回りからも色々と責められるところがあって、これも精神に良くなかった。
たてて加えて途中でひいた本当に風邪をこじらせたようで、
7月の新潟いく直前では、「新潟着くまで運転し続けられるだろうか」などと
思うほどだった。
それは何とか無事着いたのだが、向こうでの仕事も思うように身体が動かず
進まない。半分以上親戚の人に任せたような状態であった。
それでも元気に見せていたが、とうとう熱を出してしまった。
新潟は、昼間はフェーン現象などで40度近くまで上がっても、
夜には涼しくなる。まして山が近くにあれば、そこから吹き下ろす風は
当たりすぎると良くないほどである。
で、気を付けてはいたのだが、どうもやられてしまったようだ。
そもそも調子が悪い上にそれに当たったので、一気に体調を崩して熱が出た。
そう言えば、前日の海に入っている時から
ジュースを飲んでも味がわからないような感じだったし、
その海も、その2日前の大雨で冷たい+その日も雲りがち+風が強かった、
というのもあったので、その日に風邪をひいたのかも知れない。
その日もどうしても買い物に行きたいので、ちょっとおかしいと思いつつも
車で買い物に出かけたが、帰ってきてからどうにも立っていられなくなって
寝込んだ。
気温が高くて暑い上に熱が出て熱い。
それでも汗を出さなきゃ熱が下がらないから無理に布団を被って数時間寝た。
そうすると何とか立てるほどには快復した。
それでも寝てりゃあいいのに、馬鹿な私は「今日行かなきゃ時間がない!」
などと思って観音堂まで歩いていったのである。さらに天拝山という所までも
行ってしまった。
さらに、よせばいいのにその日の夜もバーベキューをしようと思い、
自分一人で用意して、焼いてみんなに配ったのであった。
もっとも、それをやっている途中からまた調子が悪くなって、
焼き終わったら、自分は食べずに寝込んでしまったのであった。
まったく馬鹿としか言い様がない。
今まではそんな無茶をしても大丈夫だったが、自分が思っている以上に
身体は無理が利かない歳になっているのである。
まったくもってそれを痛感した出来事であった。
無理は禁物。
北陸道。
夜の北陸道は、車が少なくて良い。
まぁ、昼間だって夏場の海辺以外ではそんなに多いわけではないが。
景色もいいので、北陸道は好きな道路である。
10年ほど前、まだ全通していないときは、前後に車がない状態が長く続き、
夏に走るとお供となるのは光に集まってくる虫くらいなものであった。
現在はそういう状態にはなかなかならないし、虫も非常に減った。
(昔は夜中に走ると、ランプに虫の死骸がたくさん付いたのだが、
今はほとんど付かない。ブチブチいう音が聞こえたくらい。)
これも農薬の影響だろうか。
それでも、今年は珍しく車の量が少なく、北陸道を独占して走ることが
何回かあった。北陸道の多くは回りが真っ暗なだけに、こういう時は
ちょっと不気味な感じもある。
北陸道の最大の難関は富山は朝日ICから新潟の上越ICまでのおよそ90キロの
トンネル区間である。このあいだ、26本のトンネルと海上道路があり、
トンネルの半分以上が対面通行という、非常に運転しにくい区間である。
(1トンネルの長さが平均で1キロを越えるはずなので、トンネルで30キロ以上
ある。感覚的には半分くらいトンネルのような感じ。)
この区間を走るのは夜の方がよい。
昼間は、特に大阪から走った場合にはこのあたりで400キロを越えて
疲れがピークになる上に、明るい→暗いが繰り返されるので眠たくなるのだ。
実際、ここで事故をしている車も多い。
夜なら、疲れは同じでも暗い→明るいなので、かえってトンネル内の方が
見やすいので走りやすい。
もっとも、昼に比べればの話で、普通の道路に比べれば数段走りにくい。
この区間の最大の問題は、トラックにある。
トンネルに入ると急にトラックがスピードをあげるのだ。
いや、私を始め、一般乗用車の多くがスピードを下げるのに、
(トンネル内の最高速度は80キロ)トラックだけはそのままのスピードで
走りやがるのだ。
それで、トラックによく「まくられる」。なにせ相手はあのでかい図体だけに、
そのプレッシャーはすごい。さらに、嫌がらせをしてくる奴らも多いので、
この区間の走行だけは、単にトンネル、単に対面通行だけでも大変なのに、
よけいに走りにくくなってしまう。
(対面通行なので、追い抜きが出来ない。)
はっきり言うが、私はトラック運転手のほとんどは、脳味噌が不自由していると
思っている。でかい車に乗っていることに優越感を持っているのだろう。
まるで子供だ。こういう連中は、ぜひともビシバシ取り締まっていただきたい。
来年にはだいぶ対面通行が解消されそうである。
もう二度とああいう思いをしなくていい道路になってほしいものである。
・・・「ほ」2・・・
本。
毎年、新潟へ行くと本を買い込む。
古本であったり新品であったりいろいろ。
そのほとんどが漫画だったりするのだけど、そのお蔭でというか
新潟でそろえた漫画は多い。
「YAWARA!」もそうだった(一部抜けていた巻は後で探したのだが、
それに半年もかかろうとは、その時には思わなかった)。
なぜ買うかと言うと、「夜に暇になる」からである。
新潟では実は夜は暇になる。
食事も済んでしまうとやることがなくなる。
多人数いれば話も出来るし、花火というのもあるが、
1人では手持ちブタさんである。
テレビを見るか寝るか。
テレビも余り良いものがやってないので、後は必然的に寝るになるのだが、
もったいないので本を読む、ということになる。
でも余り重たいのは嫌なので漫画に走るわけだ。
去年は「おたくしちゃうぞ!」じゃなくて「逮捕しちゃうぞ!」を
全巻買ってしまった。
が、今年は「美味しんぼ」1冊のみであった。
これはたまたま新刊がその時出ていたから。
別に今年は暇でなかった、ということではないのだが、
その代わりに読んていたのが田舎の書棚にあった古い本であった。
「隠れた事実 明治裏面史」という本である。
これについてはまた後日。
そういえば、大阪今昔もここで見つけた。
探せばまだ面白い本がありそうである。
もっとも、1週間位で読み切れて、面白そうな本というのは
他には余り無いようだったが。
平気かな?
新潟行きでの最大の気掛かりは子供があの環境になじめるか、
平気であろうか?ということであった。
行き帰りの車の中での話は別に書くとして、家の中での様子であるが、
これはお気に入りとまで言えなくても、嫌がってもいないようだった。
特に天井が高いのがお気に入りらしい。
大阪の家に比べてはるかに高く、しかも色々と見えるので面白いらしい。
暑くないのも良い。
大阪は蒸し暑いが、新潟は暑くてもさらっとしているし、
ほとんどは風がある。
でも朝夕はかなり冷え込むので、防寒も大切である。
車が非常にやかましいのは問題であった。
そうでなくても音に敏感な子なのに、ここでは車が引っ切り無しにやかましいので
良くびくついて泣いた。
防音のためには窓を閉めたいがそれでは暑くなる。
難しいところである。
最初は車の音では泣き通しだったが、終わりの頃は慣れたようだった。
「慣れる」というのは、こういう場合は本質的解決ではないので
良くないのだけど。
子供が小さい時は、おしめ替えとか授乳とか色々あるので、
安易に観光地に行って宿泊するというのは出来ない。
夜泣きのこともある。
だから、ここのように自分達だけになれるところでありかつ旅行気分になれる
ところというのは貴重である。
なんにしても、来年も連れていけるだろうとは思った。
どじょう。
昔は、どじょうというものは極めてありふれた存在であって、
どこの田圃にもいたものらしい。
それが今や、農薬のせいかどじょうはめっきり減って、
例えば、新潟の田圃でもその姿を見かけることはない。
もっとも、ずっと田圃を眺めているわけではないので、
仮に今もいたとしても、たぶん夜行性と思われるどじょうを見かけるのは難しかろう。
そういう昨今では、生のどじょうを見たことがある人は少ないだろうし、
自然の中での生息を見たことがある人は、非常に少ないのではと思われる。
ましてや海に住んでいるそれを見た人は非常に少ないと思われる。
「どじょうって、淡水に住む魚じゃなかったっけ?」
そう思った人はするどい。確かに普通のどじょうは淡水に住む。
田圃にも住むのだから。
私もずっとそう信じていた。
しかし、現実というものは時として小説よりも奇なりである。
海に住むどじょうもいるのある。
最初それを見たのは、波打ち際に出来たタイドプール(しおだまり)であった。
砂の中に何かがいる。口ひげだけが見えている。
あえて書くなら、小さないそぎんちゃくが砂に埋まっているような感じである。
(わえってわかりにくい?)
棒でつついてみたが、砂に潜ってしまい、わからなくなった。
なんとなくどじょうのようであったが、海だから、まさかなぁ。
で、今度は夜である。
波の音を録音しようと海辺を歩いていたその時、なにやら波打ち際で
動くものがあった。
どじょう!?
どじょう、間違いなくどじょうがいる。しかも波打ち際=海にである。
私は幸いなことにどじょうの姿を知ってはいた。
昔飼っていたことがあるからだ(金魚といっしょに。)
だから、間違いではない。
しかもこいつはかなりでかい。
捕まえて手にも取ってみたが、どじょうである。
しかも生きている。元気であるから、川から流されてきたわけでもなさそうだ。
家に持って帰ろうかとも思ったが、今は飼えないので、そのまま逃がした。
海に住むどじょうもいるのである。
この事実は、私に一種の感動を与えたのであった。
自然はまだまだ奥が深い。
・・・後日、親戚の人に聞いたら、海でどじょうを見ることはたまにあるそうである。
海といっても海岸近く、しかも川のそばだから、汽水域だ。
こういうところではどじょうも生きられるのだろう。
逆に、海のカニを川で見たこともあるし、汽水域というのは、
淡水/海水双方の生き物がいておもしろい場所である。
そうそうも1つ。
新潟の魚屋では、ときどき生きたどじょうを売っていることがある。
夏に行くといつも売っているし、少なくとももう10年以上前からあるので、
このあたりでは食べる習慣があるのだろう(やっぱり柳川鍋?)。
値段は1すくい300〜400円位か。小さなどじょうだけど、食べるより飼った方が
良いかも知れない、などと、いつも見ながら思っているのであった。
「地下室はないけど蔵はあったりする」、と強引な結びつけ。
家の敷地内には蔵がある。
蔵を持っている家というのも少ない。
その中でも、うちは家の母屋と蔵を一体にしている=
蔵を母屋の中に入れているという変わった構造で、
外見上は蔵はまったく見えない。
後からそういう作りにしたわけではなく、明治に家が建てられた時から
そうなっているようである。それは梁の渡し方からわかる。
蔵の中にはお宝がごっそり・・・と言いたいところだが、
実際にはほとんど何も残っていない。
謙遜でもなんでもなく、持ち去られたからである。
昔はちょっとした物はあったらしい。
刀や絵などもあったようだし、先祖が商いをしていたらしいので
大福帳もあったりした。
それがある時、どこぞの骨董屋にうまく言い包められて、
二束三文で持っていかれてしまった。
まっこと、人の世の荒んだことよ。
(というより、骨董屋なんて、所詮は詐欺師同然なのかも知れない。
よくわからない人を騙して安く買い上げ、高く売るのだから。
中には違う人もいるだろうけど。)
だから、今は単なる物置である。
もし今も残っているなら「何でも鑑定団」でも出たいところだが、残念である。
立秋の頃を過ぎると、新潟の海は急に荒れてくることが多い。
正確に言えば、お盆過ぎから荒れる。
8月過ぎの海の荒れというのは、風によるものではない。
そもそも、海はちょっとやそっとの風では荒れない。
陸上ではけっこうきつい風なのに、波は穏やかということもある。
9月の海なんてそうだ。
海の荒れを引き起こすのは低気圧だ。
低気圧があると、その部分では海面が持ち上げられる。
その高さを降りてくる水流が波となるのだ。
お盆過ぎというのは、よく台風が来る。
実際に新潟に直接こなくても、まわりの大気が影響を受けて低気圧が
活発になったりする。このために海が荒れるのである。
同様の原理で、雨の前後の海もよく荒れる。
一度海が荒れると、数日間は海に入れなくなる。
テトラポットの内側ならまだ大丈夫だが、外側は危ない。
椎谷は遠浅の海だが、海流というものはけっこう力が強いので、
人の力ではどうにも抵抗し切れないことがある。
だから、無理に出ては行けない。
私も何度か危ない目にあったことがある。
そもそも、荒れた海はどろどろなので入らない。
遠浅のところは波で砂が巻き上げられるし、
近くの川からの大量の泥水の流入もあるからだ。
そうそう、あと水も冷たいというのもあるな。
低気圧が運んでくる波は、だいぶ深い海の水を運んでくるのか冷たいのだ。
陸上にも風があるので、風邪を引きたくないなら入らない方が良い。
9月の海は、陸上こそ風はあるが波は穏やかでしかもあったかい。
海の水温というものは、陸上の温度から3ヶ月遅れて反映されるという。
そんなに遅いということは新潟ではまだ実感してないが(それが本当なら10〜11月
ごろが一番暖かい、ということになる)、1〜2月は遅れているとは思う。
だから、8月の気温の高い時でもけっこう水温が低いが、
9月はあったかい。
ところが、その暖かさのせいか、クラゲが大量発生しているのも9月である。
それはもう、一面クラゲだらけである。
最初、知らずに暖かい海だとよろこんで泳いでいて、あとでクラゲが大量にいるのに
気づいて戻ろうとして、その間に刺されまくって手が麻痺した話は
どこかで書いたような気がする。小さなクラゲでも、大量に刺されれば危ない。
クラゲさえいなければ、9月の海もけっこういけるのではあるが、
人間に海を解放するのは7、8月だけということで、
自然はうまく出来ているのかも知れない。
沼というか池の話。
椎谷の地区は昔は農業が盛んな地域だった。
もちろん作っているお米はこしひかり・・・といいたいところだけど、
農協の袋には「ササニシキ」と書いてあったので、本当のところはどっちか
わからない。
もちろん今でもやっている人はいるが、どこの田舎も同じ過疎化が進んでいるので、
高齢者が増え、昔に比べれば田圃も減った。
(昔は山の斜面まであった。いわゆる棚田である。)
昭和何年からのことか、米余りの対策として減田が行われてきたが、
ここ椎谷でも同様である。減田というのは、田圃を潰すことではなく
1年なりを休耕することなので、先の田圃の減少とは意味は違う。
この休耕の間、完全に野放しにしておくと土地が荒れるので、畑にしたりする。
で、ここ椎谷では、休耕田を使って鯉の養殖が行われていたりする。
いや、「した」といわなければならない。
数年前までは残っていたが、3年の前の大雨で最後の池の縁が崩れた時以来、
無くなった。
田圃はそもそも水を引くようになっているし、水が溜まるようになっている。
だから、池にするには持ってこいだし、養殖の場合は、余り深くしないで、
全体的に均等な深さの方が良い。そういう意味では田圃はもってこいというわけだ。
しかも、鯉の養殖はけっこうお金になる。
そもそも新潟は鯉の出荷では多い県のはずだから、元となる鯉を仕入れるのも
簡単なのだろう。
で、田圃に水を張ると下の泥が舞い上がって不透明になるので、沼のようなのである。
ということで、昔はかなり多くの養殖池があったようである。
私も7〜8才の頃に近くで鯉のたくさんいる池を見た覚えがあって、
その後ずっと探していたが、ついに覚えていた場所では見つけられなかった。
で、まったく別の場所で鯉のいる池を見つけたのが、この養殖池だったのである。
休耕田を使った一時的な物なので、後年探しても見つからないわけだ。
すでに養殖池ではなく田圃に戻ったか潰されたか、だから。
遠い思いでの日、一輪車に載せられて行った養鶏場への道の途中にあった鯉のいる池。
唯一残る、新潟の祖母との外出の思い出である。
「ルナ」とは月をフランス語で読んだ名前である。
(だよね?)
古今東西、その神秘性による逸話は多い。
ここ椎谷にはそういうものはないが、海に映る月の美しさには心引かれるものがある。
・・・
夜には星を見るのが楽しみなのだが、
今年は天気が悪く、すっきり晴れた夜は一度もなかった。
先にも書いた通り、結局は梅雨が開けない状態だったのだから。
それでも満月だけはかろうじて見えた。
月といえば、現在の新暦のお盆は新月だったりする。
旧暦ならお盆は満月となる。というより、たぶん仲秋の名月あたりが
旧盆になるはずである。
逆にうと、お盆の10日ほど前と言うのは、満月になり、非常に綺麗なのである。
新潟というか北の日本海側では、実は夜まで晴れているという時期はあまりない。
梅雨があけていれば、7月から8月のお盆前までである。
9月末からもう一度良くなるが、10月末からは、昼間は快晴でも夜は雲が出る。
従って、この夏場の月見・星見は少ないチャンスなのである。
日本海に浮かぶ月。
その海に写る光の帯を見た時には、言葉を無くし、ただ見入るだけである。
幻想的世界と言うか。
10代に見たその風景は、未だに脳裏に焼き付いている。
ただ最近は、新潟でも大気汚染や夜の車の通行量が増えたことで
夜空の星が見えにくくなった(自分の視力が下がった、ということもあるだろうが)。
月も心なしかきれいさが落ちたような気がする。
大気汚染は直ぐには解決しないが、車のハイビームだけは何とかして欲しいもの
である。そうそう、原発の照明もけっこう明るくて邪魔、とも書いておこう。
夜空がきれいに見えないなんて、それだけで創造力を欠如させる元となる。
21世紀は宇宙に飛び出す世紀であろうが、
何も見えない夜空を見て、宇宙に対する関心を持て、というのは無理な話である。
見えない空は、未来に対する重大な障害になるかも知れない。
子供達には、星空に夢を描いて欲しいものである。
追伸;そういえば(これを書いた時点では)先日のしし座大流星群は期待はずれであった。
寒い中、起きて行ったんだけどなぁ。
となりの公園まで(^_^;)
実は、毎年ある流星群もあって、そちらの方が良く見える。
8月にはいつもペルセウス座流星群があるので、興味のある方、
たくさんの願い事がある方は待ってみると良いだろう。
大雨。
今年の新潟は雨が多かった。結局梅雨があけなかったくらいである。
私が行った日(正確には夜中に走ったので、その次の朝の土曜日)と次の日は
からっと晴れていた。「これは良い天気だ」と思っていたのもその2日だけ。
後はほとんど曇か雨。次にすっきり晴れたのは次の日曜日。
困ったことに、その最初の2日は作業などに専念していて泳がなかった。
そのため、今年は余り泳げなかったし、泳げても寒い日だけだった。
(晴れても波がきつくて駄目だとかもあった。)
椎谷の地区は、雨が降っても浸水するようなことは余り無い。
唯一の例外は、椎谷のちょうど真ん中にある1、二軒だけで、ここには
小川と言うか用水路があって、ここだけは大雨が降ると浸水することが多かった。
そのため、幾度となく改修工事がされて、今年の大雨は大丈夫だったようだ。
まわりの地区はというと、これは浸水も多いし崖崩れも多い。
1995年の大雨ではとなりの西山地区で床下(上もあったかも)浸水+崖崩れが
多く発生し、特に崖崩れでは椎谷地区も入り口となる3本の道路が全て崖崩れで
塞がれて一時孤立状態になったほどであった。
今年は幸いにも西山でも用水路があふれる寸前で雨が小降りになったため助かった。
新潟市内近くではかなり降り、被害がかなり出たようだったが。
このニュースを見た親戚が電話を書けてきたが、幸い椎谷近郊は大丈夫だった
のである。
そういえば、この大雨の日、どうしても食料が足りなかったので買いに行く
必要があった。車を走らせてナルスまで行く。
実は、この時が一番ひどい雨で、もう少し立てば少し小降りになったのであるが、
あいにく一番ひどい時に出かけたのであった。
車からスーパーの入り口までわずか5メートルほど。
その間にずぶ濡れになるほどの雨。
バケツをひっくり返したどころか、滝の下にいるようである。
そんな中で、野外に張ったテントの中で焼き鳥を焼いている店員さんが
かわいそうであった(この店ではときどきやっている)。
買ってあげたいとも思ったが、こちらも余りの雨にその余裕が出なかった。
西山の用水路があふれそうなのを見たのはこの帰りである。
雨が降らないのもいかんけど、ここまで降る、異常なものも困る。
梅雨が開けないとか、異常低温だとか、どうもここんところ気候が安定しない。
エルニーニョ(異常高温)とかその逆で今年は異常低温の何とか言う現象のようだが、
地球規模での気候変化が起こっているのは確かだ。
これが地球温暖かの影響によるものかどうかはわからないが、
そうだとするなら、わたしたちの努力で何とか出来ないこともないのだから、
自分達のためだけでなく、次世代の子供のためにも、自然のためにも
やれることを今やらんといかん、そう思うのであった。
ワタリガニ。
このカニは、日本海近海では一般的なカニのようである。
事実、椎谷の海でも良く見かける。
さらに、1匹600円の毛ガニより、4匹800円のワタリガニの方がおいしい。
夏のワタリガニは身も厚く、味噌も詰まっているので、バーベキューの素材としては
絶好である。
毎年なら漁港に行ってもどこでもあるのに、今年はなぜかなかった。
長雨のせいか、もっと大きな気候の変化のせいか。
バーベキューの材料として買いに行ったのになかったので、
代わりに毛ガニを買ってみたが味は今一だった、というわけである。
結局、別の日に漁港に行ったら、その時はどこでも陳んでいた。
どういうこと?(まさか解禁日があるとか。)
ワタリガニといえば、普通は砂地に潜っているか、水深のちょっと深い
テトラポットの陰に潜んでいる。
砂地に隠れてて、知らずに踏んだら足を挟まれる、というのはある。
(カレイを踏むというのと、カニを踏むというのは、椎谷の海では
よくあることなのだ。)
が、ときどき変なところで見かけることがある。
このカニも汽水域にも住めるので、川を遡って民家の横の溝にいたりもする。
今年見たのは川(と言うより用水路)が海に流れ込むところで、
夜、MDで海の音を録音していた時、何かが動くので見てみたら、
ワタリガニ、それもけっこうでかいのがいた。
砂地に隠れようとするのを何度も掘り出して遊んでしまった。
最後にはどこにいるのかわからなくなったけど。
そう言えば、自分で見つけたそのカニを食べようとは思わなかったけど、
漁港では一生懸命探してでも食べようというのだから、
おかしな話である。
他人が殺したものなら平気ってわけか。
人間は生きるためには食べんといかん。
他の者の命を奪わなくてはいけないという意味では、それが他人の所行であろうが
自分のことであろうが同じだ。さらに、それを食べている他人の力を借りなければ
生きていけない事実も無視してはいけない。
私が「菜食主義者は偽善者だ」と言い切ってしまうのはそういう理由である
(自らの罪を認めない分、もっと悪い)。
カニ1匹食べるということで大げさと思われるかも知れないが、
命の大切さにはかわりない。
謹んでいただかなければならない。
しかし、ワタリガニはおいしい・・・。
かき氷。
夏場はやはりこれを食べるのがよろしい。
こんなものといっては何だが、味の善し悪しは氷の元の水によるとはいえ、
そんなに出来の善し悪しはないはず、そう思っていた。
んが、世の中にはかき氷にも粗悪品がある、そう思い知ったのであった。
それはイトーヨウカドウの最上階にある食堂(レストランではないけど、
食堂とも違うな。喫茶店でもないし・・・何と言ったらいいんだろうか。
お食事処?)でのこと。
暑いのでかき氷を頼むことにした。
待つこと10分以上、なかなか出てこない。
普通かき氷にそんなにかかるか?
遅〜いと思って「まだ〜」と言おうと思ったその時、
やっと出てきた。
ところが、出てきたそれは、氷がくっついてほとんどただの氷であった。
かき氷、かいた氷ではなくかいて食べる氷であった。
でも、かいても食べられないほど、かちんこちんの氷である。
2つ(3人で行って2人が頼んだ)ともそれとは、どういうことだ?
当然文句は言う。しかし、所詮相手はただのアルバイト。
言い訳するだけで、どうにもならんかった。
「出来てから時間が経ってますから・・・」
そんなこと言われんでも見たら解る。じゃぁなぜ作ってすぐ持ってこない。
3人で頼んだから3人分まとめて出そうというのはわからんではないが、
そういうのは、物によって変えんといかん。
「アルバイトはマニュアルどおりだけ」とはよく言われるが、ここまでひどいとは。
お前ら、脳味噌ないんかい?
結論は「この店ではこの手のものは頼んだら駄目」であった。
ラーメンはおいしい店なのだが。
ラーメン(あれをラーメンと呼ぶなら・・・)の天一で餃子を頼んだらあかんのと同じか。
本業以外のものを頼む時は要注意、そういうことである。
・・・「か」2・・・
「か」の2つ目だから「かに」の話・・・ではない。
買い物だけで100キロ。
新潟での距離感覚というものは、大体大阪の10倍と思ったらよい。
大阪での1キロが新潟では10キロである。
ということは、大阪の10キロが新潟では100キロと言うことになる。
実際のところ、椎谷から一番近いスーパーまで4キロあるし、
駅までは15キロある。
だから、ちょっとそこまで買い物と言っても最低でも10〜30キロ近く走って
しまうことになる。車がなかったら丸1日仕事である。
(昔の人はどうしてたんだ?等という愚問はしないように。昔は集落内で
ほとんど全ての物が調達出来たし、1つの家の中でも自給自足が出来ていたのだ。
今の世の中は便利なようで、実は何も出来ないのだ。)
それでも100キロというのは滅多なことでは走らないように思えるが、
ところがどっこい、1週間もいれば2日位はある。
まずスーパーに行く(4キロ)。ここでは日用品を買う。
そこから駅前(20キロ)に行く。肉や野菜は実は駅前のスーパーの方が良い。
さらに漁港まで行く(35キロ)。魚はやっぱり漁港に限る。
そこから椎谷に帰る(16キロ)。これで75キロ。
これにちょっと遠回りを加えるとあっという間に100キロである。
もちろん全部下道。
それでも平均時速は60キロ近いというのが田舎である。
信号も少ないし、渋滞もない、その上景色も良いので気楽なドライブである。
車が好きな人は、都会に何か住むより、田舎に住んだ方がよっぽどいいよ
という話であった(オオウソ)。海沿いは車がすぐ錆びるけど。
夜の海、それもまたおもしろい。
夜行性の生き物が出てくるからだ。
一部のカニや魚は夜になると活動を始めるものがいる。
砂浜では、潮まねきのようなカニが出てくる。
彼らは砂地で何かを食べているようであるが、
砂に付いているプランクトンの死骸だろうか。
このカニは、昼間には絶対に見られないが、砂浜にある穴をうまくほっていくと、
海水が染み出してくる位の深さに所にいる。
昼の砂浜でのお遊びになるのだが、カニにとってはいい迷惑であろう。
ワタリガニも夜行性だ。
何を食べているかは不明。
小魚かな?
鮎の稚魚なんかも汽水域にいて、ライトを照らすとはねる。
(鮎は鮭と同じく稚魚の時は海にいる。)
イカも夜行性。でも光に寄ってくる。そういえば夜釣りなんかしてて、海を光で照らしていると、
同じく光に寄って来ている魚を食べているイカを見ることがある。
生きているイカはほぼ透明で、それが触手を延ばして魚を捕らえるさまは、
なかなかに興味深いものがある。
動きも俊敏だぞ。
夜の方が外敵に狙われにくいということだろうけど、
逆に餌も見つけにくいんじゃないだろうか、等と思ってしまう。
いと不思議は自然界のことよ。
・・・
一方、人間の夜行性はどうかというと、椎谷ではほぼ何もすることがない。
日が沈めば一日は終わる。
バーベキューをするとか、花火をするとかあればちょっとは遅くまで起きてるけど、
素直に早く寝るのが一番である。
駅前に居酒屋があるので行くことがあるが、それでもたいして遅い時間まではいない。
2時間位食べて飲んで、それから酔いざましに1時間位駅前を歩いて、
それから車で帰るのである。
・・・おいおい、いけないぞ(^_^;;)。
車といえば、街灯がまったくなく、ガードレールもない田圃を抜ける道なんて、
けっこう恐いぞ。肝試しなんて、余りに来すぎているのでやる気にもならない。
まわりにはお墓も多いし。
夜より朝の方がやることはありそうだ。
昔は朝6時にはもう集落は動き始めていた。
6時というより日が登れば動いていた。まさしく自然に合わせた生活だった。
祖父母は起きてたし、6時過ぎには豆腐を売りに来てた。
今はその豆腐屋もなくなったし、集落も人が減ったので朝から活気があるわけでは
ないが、自然は活動している。
山の方に行けばカブトムシ等も見つかるかも知れない。
子供が大きくなったら、朝早起きして山を歩くのもいいだろう。
朝、気温が上がるまでの海辺というものは結構気持ちいいし。
田舎では、自然に従って生きる。
それもまた、都会の人工的な時間に縛られている我々にとっては
時として必要なことのように思う。
大失敗。
実は今年の新潟行きでは大失敗がいくつかあった。
大失敗というか大問題は車の話だが、これはおいとくとしても、
海で録音しようと思っていたのに(この話は次項で詳しく)、
MDの充電器というかACアダプターを忘れたのは大失敗であった。
(MDでの充電は、MDに充電電池を入れたままACアダプターをつなげば良い。)
MDは録音のためだけに持っていくのではない。
車の中ではカセットの代わりとして聞くのである。
私の車にはチェンジャー付きCDとオートリバースのカセットが付いていいた。
家のステレオにもカセットデッキ(しかもちょっと良いやつ)がある。
しかし、家にはもうカセットで録音された物が1本もない。
(生カセットは数本ある。一応。)
いや、うちの奥さんの物はけっこうあるが、私の物は1本もない。
昔は300本近く持っていたが、すべて実家に置いてきた。
その理由は、CDは家でも車でもそのまま聞けばいいので
カセットに録る必要はないし、CD以外の録音物もあったが、
MDの登場以降は、すべてそちらに録り直したからである。
さらに、カセットの録音で録っておきたい物もあったが、それもMDに
ダビングした。これでカセットの利用はなくなった。
私はMDをポータブルと家の据置デッキの2つを持っている。
ポータブルは車の中で聞くための接続装置もある。
従って、車の中でもこれでMDを聞くわけだ。
・・・ところが、車の中での再生は電池で行う。車から電気を取る装置は
持っていない。しかも電池は充電電池しか使えず、さらに4時間ほどでなくなる。
だから、充電器は必須なのである。
ところがこれを忘れたのだから新潟での録音が出来ない。
結局、充電器を買うことにした。
もちろん、私の持っているMD用というのはないので、一般向けの汎用品である。
思わぬところで¥3000の出費であった。
(この額、覚えておいてね。後のネタで出てくるから。)
で、帰ってきて早速充電・・・出来ない。
なんで〜〜!?
なぜかMDで充電出来ない。
このACアダプター、プラグの形と電極の+−と電圧を色々と変えられる。
プラグの形状があわないとか+−が違うといったことではない。
が、電圧は問題だ。
なぜか5Vが存在しない。4.5Vの次は6Vだ。
この電圧のせいではないかと考えたが、MDの電池の電圧は実は3.6V
なのである。それに、普通電源変動で10%位は余裕があるはずだから、
6Vはともかく、4.5Vはいけるはずだ。
4.5V/6V共に駄目なのはなぜ?
¥3000、まったくの無駄?
なんてこったい(1回目)。
で、どうやっても駄目で、数日経ったある日、電池でやってみることにした。
懐中電灯の乾電池3本で4.5Vを作り(覚えてるよね、普通の乾電池は
1本1.5Vだ)、ACアダプターのプラグを使い、イヤホンを買ってきて
そのケーブルを切ってつないだ。
するとどうだ、うまく充電されるではないか。
3時間ほどで完全充電された。
なんてこったい(2回目)。
しかし、同じ電圧で何で駄目何だ?
どちらも規格上は直流4.5Vだぞ?
取り出せる電流の量の違いか、ACアダプターの整流が不十分だったか。
よくわからんが、買ったACアダプターは余り良い物ではなかったようだ。
なんにしてもこれで無事に録音が済んだのである。
これからは「出かける時は忘れずに」で、ACアダプターにも注意しよう、
そう思ったのであった。
「MDも電池なければただの箱」
レコーディングである。
新潟ではいろいろと録音したい音がある。
波の音、風の音、虫の音、花火の音など。
考えてみれば、過去に幾度かそれに挑戦している。
最初はテープレコーダーで、去年はMDで。
しかし、いずれも満足行く出来ではなかった。
その理由は、録音装置が安くて良い音で録れないとか、
録音機器は良くてもマイクがちゃちで駄目だとか。
去年は後者であって、パソコンについているようなちゃちマイクを使ったため
録音した音は、まったくの駄目駄目であった。
パソコンに付いているマイクというものは、所詮人の声を録音する程度の物であって、
周波数特性が非常に悪い。だから、広範囲の周波数を持つ波の音や雷の音の録音
では使えない。ダイナミックレンジと呼ばれる、音の大きさにもついていけない。
そこで、今年はMD+高級マイクという、満を持しての体制で望んだのであった。
それが、先に書いたMDの充電器を持ってこなかったのであわや出来ないところで
あったが、なんとか充電出来て録音した。
(実際には2回チャレンジして、1回目は途中で電池が切れて駄目、
それからしばらく充電に苦労して、2回目にようやく出来た。)
虫の音の録音が夜であるのはわかってもらえるとして、波の音も夜なのは
どういうことかといえば、雑音を入らないようにするためである。
昼間はどうしても人の声などが入ってしまう。
さらに、録音は1時間位かかるので、ずっとそばにいるのはつらい。
だらら録音機材を設置して帰るのだが、昼間なら盗まれかねない。
夜なら、海辺は真っ暗なので、まず見つからない。
だから、人のいない夜に録音するのである。
本当は、波は夜と昼とでは性格が違うことが多い。
日本海では、昼間は鏡のような水面でも、夜になると風が出て荒れることが
多いからだ。今年もそうであったが、そこはしかたない。
夜の波は荒れていた。
このため、MD本体をちゃんとビニール袋などに入れておかないと塩だらけになって
壊れてしまう。ところが、それに入れると今度はその袋が風によって
音を出してしまう。この辺の調節が難しいが、マイクを離すことで
なんとか出来るようで有った。
で、録音して聞いてみる。
が、波の音を録るのがこれほど難しいとは。
去年の録音に比べれば音質的には格段に良い音だが、
それでも耳で聞いた波の音には遠く及ばない。
音の広さのせいか、音圧のせいか。
波のイメージではなく、水が流れる音にしか聞こえない。
それに、予想以上に風の音やMDの袋の音が入りすぎている。
ということで、今年の録音も満足いくものにはならなかった。
来年は、音の広がりなどにも考慮して再挑戦である。
もちろん、MDの充電器を忘れずに。
そーめんを使った料理。
そーめんという物は、夏場のちょっと疲れた胃にはやさしい良い食べ物なのでは
あるが、それが続くとやはり飽きてくる。そこで、別の食べ方を考えるのである。
私がときどきやる素麺料理はこれ。
(基本として、素麺を湯がいておくのは当然です。)
まずバターで炒め、醤油で味付けする。
そこに具としてベーコンとにんにくを入れて、最後に胡椒をかけて出来上がり。
この時、へたにかき回すと、麺が切れることもあるので注意。
また、野菜なども入れない方がいいです(これも麺を切らないためでもある)。
必要なら別に炒めておいて、出来上がってから上にかける方が良いでしょう。
どう、簡単でしょ?
麺さえ湯でれば、後は5分で出来上がり。
そうそう、そーめんとカレーの組み合わせもやってみたが、
これは見事に外れであった。カレーうどんは行けるけど、カレーそーめんは
だめということ。麺の細さの性かな。
ということで、みなさんのそーめん利用法も教えてね。
・・・「そ」2・・・
空の旅。
先日うちの会社でお祭りがあった。
まあ小さなお祭りではあるが、その目玉は「熱気球に乗れる」であった。
うちの会社の子会社がスポーツセンターをしていて、
その所有の熱気球の乗れたのである(¥500)。
そんな上空に上がるわけではなく、せいぜい15メートル位であったが、
高所に弱い私にとってはそれでも十分であった。
「足元がおぼつかない」という感じは、まさにあのことをいうのだろう。
いかに地面が大切かが実感出来た。
それと、熱気球のバーナーのやかましさと。
それはそうと、新潟でも空の旅が出来る。
椎谷の一番はずれに夏期だけ海の家のようなマリンスポーツセンターが出来るのだが、
ここでパラ・セーリングというものをやらせてくれる。
(昔はやってたけど、今はやっているかどうかは実は不明。)
要するにジェットスキーのような要領でパラシュートを付けた人を引っ張り、
上空に上げてやろうというものである。
高さはけっこうあると思う。30メートル位まで上がっていたような感じだ。
パラグライダーと違って、パラシュートだから急に落ちる心配は無いのだろうが、
やはり空中に飛ぶというのは、そのイメージだけで恐かった。
だから、見ることはあってもやろうとは思わなかった。
現実に熱気球に乗ってみて、上空から下を見る機会があると、
恐いのはそうなんだけど、面白いという感じも確かにある。
それにやみ付きになった人がああいうことをするんだろうなぁ。
スキーでもそうだけど、「高い場所から降りる」という感覚に慣れている、
もしくは克服出来る人を羨ましく思うのでありました。
・・・
そうそう、空の旅と言えば、関空から札幌行きの飛行機に乗ると、
その航路として椎谷の真上を通るようである。
ある時(某社札幌支店に行く時)その飛行機に乗って、
ふと下界の風景を見たらどうも見覚えがある。
良く考えたら、椎谷の近くなのであった。
その後椎谷の真上も通ったのだが、さすがに家まではわからないまでも、
けっこうはっきり見えていたのでありました。
冬なのに雪がまったく無いさまも。
もしその飛行機に乗る機会があるなら一度ご覧を。
海沿いの赤い大きな橋とそのちょっと横の大きな発電所(原発)が目印である。
釣り。
「新潟では海釣も楽しみの1つである。」
・・・と書きたいところだが、実はここ数年釣はしていない。
毎年釣道具は持って行くのに、である。
どうにも時間がとれない。
釣餌を買いにいくのが面倒、というのもあるが、
釣れない可能性も高いので、どうも躊躇してしまうのだ。
昔はそんなこと気にせず、のんびり釣りをしてたのに、
どうも最近は利益を考えてしまっていけない。
そもそも、本当に釣れないというのもある。
昔は良く釣れたが、年を追うごとに釣れなくなった。
この理由は、海が汚れたのもあるし、漁港が整備されたときに
自然の岩礁を潰したから、というのもある。
(この岩礁潰しはここ数年ずっと続いている。)
昔は漁港横の防波堤から糸をたらせば、ハゼは大量、
キスも釣れ、ボラもよく来るし、岩場の隙間にはタコもいて、
地元の中学生なんか、いとも簡単に釣り上げたものだ。
カレイもいけたと思う。
一時期はコチがたくさんいて、そのテンプラはおいしかった。
(コチはぬるぬるしてるので、さばくのが大変だけど。)
これがもうまったく駄目なのである。
夜釣も良い。いや良かった。
私の田舎あたりでは、夜釣で釣れるのはなんだろうか。
私の知る限りでは、キスが釣れたが、イカもいけそうである。
鮫も出てきたことがあるが、釣れはしないだろう。
今でも夜釣をする人がいるが、いったい何をねらっているのか。
夜釣りすること自体を楽しむ、というのも良いだろうが。
いまでも確実なのは、アジ(が来ていれば)狙いをすればある程度は量は
望めるくらいか。
釣りといえば、昔は本当に好きな人だけが来て、のんびりとしたものだが、
最近は釣りもファッションかしたというか、雰囲気が変わってしまった。
別に女性が釣りをすることをいけないというつもりはないが、
ゴカイなどの餌を見るだけでいやといっていた人達が、
ちょっとはやったからといって、急に群がるというのはなぁ。
もう1ついけないのは、釣り場でのマナーが出来てないということ。
ゴミは捨てていくし、うるさいなどなど。
これは一般のアウトドアでも言えることだが、どうも野外に出ると
家の中とは違って解放的になるのか、羽目を外すやつらが多すぎる。
野外に出るということは、自分の家の中より気を付けて行動しなければいけない
のだ。
それをでかいランドクルーザータイプの車で廃棄ガスを巻き散らして山の中まで行く、
ゴミを捨てる、車で地道を走りまくって自然を壊す。
まったく、自然を楽しむということではなく、自分達だけが楽しければ良い、
そういう感じである。
そういう連中に「アウトドアが趣味」などとは言って欲しくない。
お前らの好きなのは、自分勝手・わがままな行動を、家の中だけでなく、
地球上のどこででも通したいだけだ。
1言で言えば、幼稚であり続けたいだけだ。
恥を知れ、恥を。
・・・話がずれてしまった。
まあ、私が釣りをしなくなったのは、時間がない、変なやつらが多くなった、
ということもあるし、そもそも、寺泊という漁港を見つけたから、
食べるために釣らなくても良くなった、というのが大きいのかも知れない。
ほんま、げんきんなことで。
寝ていてくれるか?
これが行きの車での心配ごとだった。
実は私の子供にとって、今回の新潟への旅行が、初の長距離ドライブである。
それだけではなく、
初めてのチャイルドベビーシートに寝てのお出かけ
初めての夜間ドライブ
でもあった。初めてのことで500キロ以上も走らせるというのもの
なかなかにハードなことをする親ではあるが、ちまちま走って慣らす時間は
なかったのでしかたなかった(ベビーシートが着いたのが1週間位前だから)。
そもそもそんなに走る私ではないし。
夜に走るという決断をしたのは、夜にはほとんど起きないということがあった。
8時位に寝れば、朝5時まではほとんど起きない、
夜泣きをほとんどしない子だからである。
しかし、家と車の中では大きく違う。
揺れるしうるさい。走行音もあるし、眠気ざましに音楽もかけている。
体も締め付けられたような状態だ。
だから、本当にそうそううまく行くか心配であった。
実際には、少々むずかる時もあったが、おおよそ寝ていてくれたようだ。
むしろ車が走っている内は寝て、止まると起きるようだった。
車の揺れが良いのだろうか。
まあ、いずれにせよほとんどの区間では寝てくれていたので楽に到着出来た。
一番しんどかったのは、1人で500キロ、7時間位の運転だった運転手の
私だったようである。
波打ち際にいるもの。
波打ち際、海岸には実は色々な生き物がいる。
その多くは夜行性であったり、昼行性でも非常にひっそりと動くので
ほとんど知られていなかったりする。
先のどじょうもその1つであろう。
夜に浜を歩くと潮招きなようなカニがいるがいることは書いた。
海岸ごく近くで釣りをしている時に、釣りの餌を海中に撒いたら
丸くて平べったいカニが出てきて食べてた。
こちらが気が付いて見ると直ぐに砂に潜っていった。
こういうふうな、普段気が付かないような生き物がいたりする。
今回見つけたのもまた珍しい生き物であった。
泳ぎにいこうと思って浜を歩いていると、波打ち際、
本当にその波と砂浜の境目あたりを動く何かがいる。
またどじょうか?と思ったがもっとずっと小さい。
何かが転がっているのかと思ったが、そうでなく、何かしら意志を持って動き、
波が来たら出てきて動き、波が引くと砂に潜っているようである。
近づきすぎると出てこないようなのでちょっと離れて見る。
やはり何かいる。
次の波の瞬間に出てきたので、急いで捕まえた。
それは何と言ったらいいのだろうか。今までに見たことがない生き物であった。
あえて言うならゲンゴロウに似ている。
昔はどこの水たまりにもいた泳ぐあれである。
殻があって堅く、髭のようなものと目があり、まさにゲンゴロウそっくりであるが
羽はないし色も違う。色はそう、灰色。
動きもゲンゴロウに似ているが、砂に潜ろうとするのが違う。
ゲンゴロウのように呼吸のために水面に出る必要があるのかないのかはわからない。
出たりもしている。
辞典で調べたわけではないが、海老の一種ではないかと思う。
尻尾らしき部分もある。もしくは何かの海老の幼成かも知れない。
何にしても初めて見た。
それから気を付けて波打ち際を見てたら、ときどきいるようである。
きわめて珍しいというほどのものでもないようだ。
たまたま今まで気が付かなかっただけか。
身近に思っている海、その際でもまだ知らないことはある。
自然は奥が深い。
雷鳥の話。とは言っても、富山にいる生きているそれではなく、
特急の雷鳥、いや「サンダーバード」のことである。
今年は、実は5月にも新潟に行っている。
その理由は、家の母の13回忌があったから。
速いものでもう12年も経ってしまったのである。
「親孝行、したい時には親は無し」とはよく言ったものである。
いつも親孝行が出来なかったことが心残りなのであるが、
せめても、法事だけはちゃんとしてやりたい、そう思うのであった。
それはそうと、この時は、私だけじゃなく親戚も大勢新潟まで行くので、
車ではなく特急雷鳥のグリーン車を取っていたのである。
この雷鳥と言う特急、もともとは富山までしか行ってなかった。
新潟行きは「北越」と言ったのだが、JRになる少し前に
北越はなくなり、大阪発富山・新潟方面行き昼間特急はすべて雷鳥になった。
今それ以外は「青森行きの白鳥だけである。
昔のグリーン車は普通車とそれほど違いはなかったが、
今は2:1と言う座席構成でゆったりしており、さらに廊下に対して座席が
一段高くなっている。景色を見やすくなっているわけだ。
久々に列車で新潟に行ったが(10年以上ぶりか)、なかなかにいいもんである。
のんびり出来るし、駅弁をいろいろ食べられるのもよい。
それに、時間的にも速い。
新潟での足を考えないなら、列車で行くのが一番良い。
さて、法事の話はそれはそれでいろいろあったのでネタもあるが省略するとして、
問題になったのは、帰りの列車に遅れそうになったのである。
このときは1泊2日の2日間で行ったのだが、2日目が非常に天気が良くて、
例の「ろくでもない連中」が大勢来たために、道路が混みまくったのである。
それで、食事をする場所に着くまでが通常30分で行けるところが1時間半かかった。
もちろん帰りも混んでいる分けで、余裕があったはずの帰りの列車の時刻に
間に合わないかも知れない状態になった。
おもいっきり車を飛ばして何とか駅前に着いたときには、
列車が来る2分前、私はレンタカーを返しに行かなければならず、
切符を渡し、他の人を行かせて私は残ったのであった。
そう、帰りの特急に乗り遅れたのである。
それからレンタカーを返し、駅で時刻表を開いて検討する。
今日の列車で帰るべきか、それとも椎谷に引き返して明日にするか。
もうこの時には無職だったので、しばらく滞在しても良いのだ。
で、駅の切符売り場の人とも相談した結果、切符は払い戻し出来ないが、
当日の他の特急の自由席になら乗れるということ、
大阪行きの直通特急はないが、2本特急を乗り継げば今日の家に帰れるということが
わかった。
椎谷に引き返してもたいへんなので、乗り継ぎで帰ることにした。
まずは富山まで特急北越に乗る。
えっ、北越って廃止されたのでは?と思った人もいるかも知れない。
実は、北越は大阪発はなくなったが、金沢−新潟間の特急として残って
いたのであった。
これの自由席に乗って富山まで向かう。
社内で車掌さんに相談する。
とりあえず、この北越の富山までの分の自由席特急券は買うことにし、
その代わりと言っては何だが、富山からの特急サンダーバードで車掌さんに相談して
グリーン車に乗せてもらいなさい、ということになった。
で、富山でサンダーバードを待ち、乗り込む。
サンダーバードの車掌さんに事情を話すと、快くグリーン車に乗せてくれることに
なった。しかも先頭の1号車1番Aに座れたのであった。
感謝。
サンダーバードとは、特急雷鳥の中でも、停車駅の少ない特別のもの
という位置付けである。車両も特別のものを使っている。
雷鳥に乗ったことはあっても、このサンダーバードは一度も乗ったことがなかった。
それもそのはず、サンダーバードは新潟までは走っていないからである。
(その割には立山まで=富山地方鉄道には乗り入れているようである。)
で、サンダーバードの感想だが、これがまたすばらしい。
速い!
停車駅が、富山−高岡−金沢−福井−京都−新大阪−大阪だけである。
北陸線の他の特急は、もっとたくさん止まるが、たったこれだけなのである。
もちろんスピードも速い。
事実、私が柏崎を出たのは列車に乗り遅れて1時間40分も後のことだが、
京都に着いたのは、乗り遅れた列車が大阪に着いて1時間後のことであった。
それでも揺れは少なく音も静かであり、乗りごこちがすこぶる良い。
内装も豪華だぞ。
足元は広いし(特に先頭は広い)、液晶テレビはあるし(ただしイヤホンは自前で
用意するか買わなければならない)、毛布もあったぞ。
実は、この日はたった5人位しかグリーン車に乗っていなかった。
しかも、富山で乗って以来、途中では誰も乗ってこなかった。
だから車内が静かで、宜しかった。
でも、そういう所に社内販売が来るのだから、何にか買わないと場が持たない感じ。
コーヒーを買ってしまった。
まあ、欲しかったので良かったけど。
サンダーバードのグリーン車は、こう言っては何だが、
行きの雷鳥よりも格段に良い。
余りにすばらしいので、思わず写真を乗ってしまった位だ。
(恥ずかしい観光客の例。)
遅れた時はどうなるかと思ったけど、サンダーバードにも乗れたし、
その日の内に帰りつけたので、良かったのでありました。
昔のことを思い出す。
大阪にいると、古くからの友人に会うと昔話に花が咲くことがあるが、
新潟では別に古くからの友人がいるわけではないが、妙に昔を思い出したりする。
もちろん、昔新潟であったことを、である。
今記憶に残っている新潟のことといえば・・・
「小学生の頃」
・これから寝台列車(寝台特急つるぎ;たぶん今はもう無い)に乗って大阪に
帰るという夜の場面。うれしいやら悲しいやらである。
・特急北越(今は大阪発ではない)の食堂車でコーラを買った思い出
正確には、コーラの空き便を持っていって10円もらった思い出か。
・柏崎原発が出来る前、「原発反対」の立て看板があったのも覚えている。
・海には1日2回
小学生のころは7月の末に行ってたのだが、このころは7月にはもうすでに
梅雨は開けてた(と思う)し、あさ5時に起きて8時から12時まで海に入り、
お昼ご飯食べて昼寝して、昼からまた海に入って8時には寝る。健全な生活を
していた。もちろん、帰る頃には真っ黒である。
・そう言えば、一度だけ冬に行ったことがあった。
雪割草を見たり、雪の上にされたの兎の糞がその熱さで雪を溶かし、雪の底に
沈んでいるというのも覚えている。
恥ずかしい話だが、初恋と言うのも新潟でである。
その時はそれがなんだかわからなかったが、分かれて初めて悲しくなったり、
手紙を出したいと思ったのはそれが初めてだった。
その人と一緒に見た、満月が海に写る風景と言うのは、未だに忘れられない。
彼女ももう2児の母か・・・。
意外と中学、高校の頃の思い出がない。
行ってたのは確かだが(行かない年は受験の時だけのはず)。
大学になった時には、缶詰などの食料を宅急便で送って行った思い出がある。
1人で大荷物を持って、列車で行ったのは面白かった。
向こうで何をしてたのかは余り覚えてないが。
釣りはしてたな。
車で行くようになった頃、友人を連れていくようになってから、
バーベキューなどをするようになった頃、それ以降の記憶も、もちろん最近の
ことだからはっきりしているが、昔のそれに比べると、なんとなく味が薄いような
気がする。体験そのものは遥かに増えているはずなのに。
そう言えば、最初勤めた会社で、どうにもこうにもやってられなくなって「辞める」
と言い出した時にとめられて、1月の休みをもらったことがあった。
その時、コンピューターを持って2週間ちょっと新潟に篭ったことがあった。
その2週間で色々と作ったものは、今でも使っているから、かなりのものであった。
今あれと同じだけの熱意でプログラムを作れといわれてもたぶん出来ない。
それで気力を復活させて大阪に帰ったけど、仕事がなくて結局その後4ヶ月で
辞めてしまった。
その他あれの時とかあの時とか、何かがある度に行ってた。
それなりに思い出も多い。
写真とかビデオとか物とか、という形ある物に残らない思い出でも、
いつまでも覚えているような思い出。
中には嫌なものもあるけど、そう言った思い出の多さが、人の味になるのでは、
等と思うこともある。
あれも買ったしこれも買った、あそこも行ったしここも行った、
あれもやったしこれもやった、そんなのも良いけど、しんみりと感じる
思い出もまたいい。
これからもそういう思い出を大切にしたいし、創っていきたい。
うどんの話
新潟に行った時に、外してはいけない食べ物がある。
うどん、そう、米山大黒亭のうどんである。
米山大黒亭は、椎谷の家から柏崎市内を越えて、30キロほど行った
小高い丘の上にある。名前の通り、米山と言う新潟県随一のきれいな山の麓に
ある(と入っても少し離れているが)。
ここはうどん屋である。
一応そばもあるが、ここに来てそばなどを頼んではいけない。
うどんともう1品、後で紹介する物を頼むのが「通」である。
(実は食べたことがないのでよくは知らない。食べたらおいしいのかも。)
大阪人はうどんにうるさいというが、その大阪人、誰を連れて行っても
皆満足するのがここである(大阪から家に遊びに来た友人を皆ここに連れて
来ている)。
たしかに汁は色が濃く底は見えにくいが、
飲むでみると薄味で、しかも天然素材の良い出汁である。
細い麺ではあるが、腰があっておいしい。
暑いさなか、クーラーもない民芸作りのここへ食べに行く。
しかも休日はいつも満員なのだから、そのおいしさは折り紙付きである。
外食しても滅多においしいと言わない私が言うのだから、間違いない。
さて、今年は子供連れなので行くのは無理かと思ったが、
とりあえず行くことにした。
新潟に行ったのがお盆前の平日だったので店は混んでなく、
待時間なく食べることが出来た。
(待時間と言うのは、席につくまでのこと。ここのうどんは注文があってから
打つらしく、時間はかかる。ここに食べに来る場合は、最低でも40分位は
みておかなければならない。)
食べている間は子供もおとなしくて助かった。
クーラーはなくても、海風が入って涼しいからであろう。
それと、ここもうちの家と同様に天井が高いので、
それを見ていて飽きないのかも知れない。
ここに来たら、うどんの他に「あげ饅頭」も食べなければいけない。
読んで字のごとく、テンプラにした饅頭である。
これがまた、胡麻油で香ばしくておいしい。
お土産にも出来るが、さめるとべちゃべちゃになってしまっておいしくないので、
ここであげたてを食べるのが一番である。
しかも余韻を残すために1個だけにしておくのが「通」である。
ということで、今年も無事に食べられてホッとしたのであった。
・・・所は変わって京都の話・・・
さて、うどんと言えば先日(といってもこれを書いた時の先日なので
8月末位)、京都の地下街ポルタにある杵屋といううどん屋に入った。
ここは全国チェーンの店なので、至る所で見る。
他の店で食べた時はまあまあだったので、ここに入ることにした。
ポルタの食堂街はどこもみな高いので、比較的手ごろと言えば
ここをはじめ数件しかないのだ。
で、食べた感想はと言えば、「まずい」。
この一言に尽きる。
まずはコーヒーの味のする、エキス薄めのお茶から始まって、
炊き方がおかしい かやくご飯、人工調味料たくさんの汁、
どこが手打なのかわからない麺(一応ここは手打が売りモノ)、
あからさまに冷凍モノの海老天。
さらに言うと、アルバイトの質も悪い。
これで大黒亭より高いのである。
同じエキスお茶を出すなら吉野屋の方がよっぽどまし。
余りのまずさに、二度と入るまいと心に誓ったのであるが、
これだけまずいモノを食べさせられると、本当にお金がもったいなく感じる。
おなかが膨れても、満足感がまったくないのだ。損した気分だけが残る。
高くても、おいしければそれで良いが、
まずいと、たとえ1円でも駄目だ。
おそらくは場所代が高いのだろうけど、もう少し考えないと、
そのうち潰れるんじゃないかと思う。
逆に、あんな店が潰れないようでは、日本人の味覚破壊も
すでにきわまれり、なのかも知れない。
うどん好きなら絶対に入ってはいけない店である。
くれぐれもご注意を。
いろんな話のごっちゃ混ぜ。
(う〜ん、強引な持って行き方。)
・・・行ったことがない場所・・・
近くなのに一度もその場所へ行ったことがないのが田中角栄の実家。
一度は行かんと駄目とは思ってるんだけど、ついぞ行くことが出来ない。
希代の実行家であり、巨悪であった彼の、実家を見ても何もないであろうが、
この西山の片田舎を良くしたい、という彼の心には偽りはなかったのかも知れない。
その原点を知ることは、決して無駄とはいえないだろう。
そういえば、いつも混んでて行けないのがトルコ文化村。
近年出来たものだけど、いつも満員で行けない。
そんなにいいのだろうか。
場所は、越の蔵という酒屋の近く。
北雪を買ってくる酒屋とは違う。
・・・久々に行きたい!!・・・
一度は行ったことがあるが最近行けてないのが、
弥彦山
国上山国上寺
潮風温泉
である。
弥彦山は日本一の鳥居を持つ神社のあるところである。境内も広い。
本当はその神社の裏手にある山が弥彦山なのだが、
この頂上から見る景観は、ハワイのダイヤモンドヘッドの頂上から見るそれに
似ていて良い。頂上なのにトンボがたくさんいるのも面白い。
近くに池などないとは思うが、一体どこからあれだけたくさんのトンボが来たのだ?
国上山国上寺(くがみやまこくじょうじ)は良寛さんのいたところ、
五合庵のある山である。
山腹につり橋などあって、ちょっとしたハイキングにいい場所だ。
そういえば、なんでお寺は「なんとか山」というのだろうか。
昔は山寺しかなかったからだろうか。
潮風温泉は色々なタイプのお風呂があって楽しい。
半公営なだけに安いのもよい(¥900でタオルやバスローブ等も貸してくれる)。
ゆっくりするタイプの温泉ではないかも知れないが、
やっぱり温泉はいいものである。
・・・あれ?・・・
そう言えば、昔はいざ知らず、今の椎谷では犬や猫を買っている家がほとんどない。
猫は1軒だけ知ってるけど、犬は見かけないな。
何故?
ネズミは結構多いんだけど、ネズミ捕りに猫は飼わないのかな?
いや、うちの家でも昔は飼ってたようだから、
きっと今は車が多くて猫が安全に飼えないからかも知れない。
少なくとも、今の椎谷はグルメな猫には猫缶が買いにくいので
いい場所ではないであろう。
・・・
たまにはこういう集合ネタもありかな。
実はこれが一番苦労したネタでしたとさ。
脳味噌の話。
決してグロい話ではないので御安心を。
別に新潟に限った話ではないけれど、最近はどうにも「馬鹿」にしか見えない
連中が多すぎる。
「旅の恥はかき捨て」を誤解しているやつらや、爆音立てて走り回るやつら、
流行を追うだけのやつら、マニュアル道理の反応しか出来ないやつらなど、
正しく理解出来ない、他人のことを考えた行動が出来ない、
自分の頭で考えて判断出来ない、そういった連中が増えているように思う。
で、そういう連中も見るにつけ思うのが、
「最近、脳味噌が減ってる人間が増えてるんじゃないか?」ということである。
最近の子供は体の成育はやたらといいらしい。
確かに、体格だけから見れば、高校生でも大人並の体格の子供も多くいる。
しかし、頭がその成長についていってないように見える。
これは今の会社の近くの高校生の話であるが、
どうにもこうにも子供なのだ。
体格はいい者もいる。でも、その言動・行動が小学生以下にしか見えないのだ。
私の中学の年代には、高校生はもっとしっかりしていたし、
もっとずっと大人に見えたし、事実しっかりした考えを持っていた。
ところが今の高校生は本当に馬鹿にしか見えない。
たまたまいつも見ている生徒だけがそうだとも言われそうだが、
テレビなどで見る連中にもそういうのは多い。
もっと上、今の20代の社会人でもそのままのやつらもよくいる。
もちろん30代、40、50、ひどい奴らになると60代(と思われる)でもいる。
別に電車の中で漫画を読もうと構わないが、
あからさまに馬鹿丸だし。
これもそれもみんな脳味噌が成長していない、
脳味噌が足りていないからではないか、そう思えるのである。
その容量、重さだけでなく、ひだの多さ=表面積の多さが足りないのだ。
外見からではわからないが、重大な現代病だ。
その原因は、成長期における物理的栄養不足、頭を動かす機会の減少等にあると思う。
今のファーストフードなんて味覚音痴を作るだけでなく、
栄養に偏りがあるから、肉体の成長には良くても脳が成長しないし、
そもそも脳を動かす刺激というか訓練がなされていないのだ。
何でも揃っている現代。新しいものを想像する余地が少ない。
テレビゲームは他人の作った世界を追うだけ。
受験勉強は記憶だけの創造なし。
世界中のことがいながらにして簡単にわかる=それを知るための努力が少ない。
気温変化の少ない環境では、季節感すら感じることが少ない。
こう言った環境の中では、脳が刺激されず、その結果として脳が
発達しないのだと思う。社会的過保護が人間を馬鹿にするのだ。
さらに加えて、現代生れでないはずの大人達が馬鹿だから、
子供達までそれを真似してしまうのである。
60代以上の政治家の馬鹿さ加減と来たら・・・。
いや待てよ、今その年代のやつらの若い頃は戦争で、栄養が足りなかった
のかもしれない。なんと、50年以上経った今、戦争のつけが出てきてるとは。
このままほっておけば、確実に若者は崩れていく。
となると、当然国も崩れる。
わたしたちが年をとって若い者の手助けを仰がねばならない時、
その若者は馬鹿でどうにもならず、手伝ってもくれない。
そういう状態になるかも知れない。
今から対策を打つ必要がある。
おつり3100円。
今年の新潟では何かと出費が多かった。
特に痛かったのが車・・・の話は後にして、MDの充電器を忘れたことであった。
それで3000円の臨時出費。
新潟行く時は、いつもある程度は持っていっているが、
食費にけっこうかかるため、そんなに余裕はない。
そこでのこの出費は実はかなり痛かったのである。
自分のミスで発生した出費だから、誰に怒ることも出来ない。
そういうことでちょっと落ち込んでいたのだが、
後日、代わりのACアダプターを買ったお店にまた行った時のこと。
(ここは食料品から農作業用具まで売っているまさにスーパーマーケットである。)
ジュースが飲みたくなったので自販機で買う。
因みにこの自販機は怪しいジュースだが90円と良心的価格がうれしい。
で、入れてボタンを押して、何時もの癖でお釣りのところを調べると、なぁんと!!
何と、そこには小銭がざっくざっくではないか。
最初は10年玉が何枚かと思って取り出してみたら出てくる出てくる。
結局500円玉と100円で3100円もあった。
思わず親戚にもジュースを1本おごり、早々にそこを立ち去ったのであった。
10円、20円ならお釣りの取り忘れもあろうが、この額はいったいどうして?
前日の大雨(雷雨)の時の影響の電気回路の故障でお釣りが出たか。
それとも誰かの陰謀か。
それにしても、昼近くまで誰も気が付かなかったのだろうか。
(1)みんな気が付いたが怪しいので置いてた
(2)昼前に出た
(3)実はほとんど誰もその自販機で買わない
(4)天の思し召し
「これでACアダプターの元が取れた!」などとわけのわからないふうに納得して
ありがたく頂戴したのでありました。
いいよねっ、ね??
後日談;その数日後にそこに再び行ったが、もうお釣りはなかった。
また、その後、自販機では今まで以上にお釣り受けを調べるようにしているのは
言うまでもない。
くらげ。
新潟の海にはクラゲが多い。
晴れた日の多い夏には少なく、雨の多い後に晴れた夏には多い。
今年は雨続きだから少ないと思ったら、初泳ぎで刺された。
一昨年に刺されたように、手が麻痺するほどきつい物ではなかったが。
晴れの日が多い夏にはクラゲが少ない、雨の多い後に晴れた夏には多いと言うのは、
(新潟に出る)クラゲが余り乞い塩水に耐えられないものだからである。
クラゲはご存じの通りそのほとんどが水で出来ている。
塩分が濃くなると、その水が奪われてしまい生息出来なくなるのである。
従って、そういう気候条件の年に多くなる。
さらに言えば、気温が下がり始めたお盆すぎ、潮の流れの早くない
岩の陰などにクラゲが集中発生していることが多い。
だから、お盆すぎに不用意に岩陰に足を突っ込んだりすると刺されまくるので
注意が必要である。
新潟にいるクラゲも、昔は水クラゲと言ういわゆるクラゲの典型とも言える形の物が
ほとんどで、これは大きい割にささなかったのだが、今はこれはまったくいない。
傘の部分が分厚く、足も太いのが数本あった。肉厚もあったので、
捕まえて浜で干して遊んでいた(思えばえらいことをしていたものだ)。
(|ミ ←こういう形(横向きだけど)
今いるのは行燈クラゲと言う長方形で小さくて細い足が4本あって刺す
ものだけである。大きさは行燈クラゲの1/5以下か。
_
□ ←こういう形(横向きだけど)
 ̄
こいつは小さいのだが、それがかえって見えにくく、おまけにけっこう集団でいて
刺すからたちが悪い。見えないから避けて泳ぐことも難しいのだ。
刺されるとけっこう痛い。まだ1匹なら言いが、いっぺんにたくさん刺されると、
場合によっては手が麻痺することもあるのでよう注意である。
(ちなみに、9月を過ぎると海の中一面このクラゲだらけである)。
今年は雨が多かったが暑い日もなかったのでクラゲは少なかった。
その割にはさされたが、それでも回数は例年に比べ圧倒的に少ない。
今年見たクラゲはまだ成長途中のものであった。
泳いでいると、なにやら水面がぷにぷに動くことに気がついた。
どう言ったらいいのだろうか、何かが浮かんでいて海面が
不条理にポコポコと小さいが膨らんでいる部分があるのだ。
近づいてみても何も見えない。
手ですくっても何もない。
でも何度かやっている内にようやくわかった。
非常に小さなクラゲが海面近くに浮かんでいるのだ。
たぶん余りに小さいので弱くて海に潜ることが出来ないのだろう。
小さくてほとんど透明だけど、ちゃんと胴も足もある。
行燈クラゲである。さすがにこのサイズでは刺せないようだが。
ひょっとすると、水を飲んだ時に一緒に飲み込んだかも知れない。
それでも気がつかないだろうほど小さい。
でも、けっこうたくさんいたから、あれが見んな大きくなったらと思うと
ちょっと恐い。
たかがクラゲ、されどクラゲ。
食べられるなら良いけど、こいつは食べられないからなあ。
何とか撃退する方法無いだろうか。
ウエットスーツで泳ぐか、それともワンピースの水着でパンストをはき
泳ぐしかないか?
困ったちゃんである。
・・・そうそう、雨が多くて出てくる困ったちゃんと言えばもう1ついた。
蚊である。雨が多いと水たまりが多くなり、そうするとボウフラが多くなって、
蚊も多くなる。
ことしはクラゲはまだ時期が早かったせいか大きいのは少なかったが
蚊は多かった。ということはそれだけ野良仕事が大変ということである。
虫避けスプレーを使うのはもちろん、香取線香を何本も炊いて作業していたので
あった。それでもだいぶ刺されたけど。
こちらも全身タイツかパンストで覆面でしながら・・・以下省略。
・・・「く」2・・・
車の話AFTER。
結局、修理費は80万円を越えることとなった。
ぶつけられたのは全面助手席側であったが、その勢いで運転席側が家と
隣の家の石壁におもいっきりぶつけられてので大破したのだ。
その後運転してみてハンドルが曲がっていることも発覚。
そのためこんな大きな修理費となった。
車内はほとんど無傷なのに。
散々悩んだ末に車は廃車することとした。
別に「10年経っているから古い」とか言うことではない。
そもそも最近車に乗る機会が減っていたので、どうするか考えていたのもある。
車を維持するということは、税金、車検、ガソリン代、保険代、駐車場代と
実際に乗らなくても費用はかかる。
私の乗り方からするとこの出費に見合う乗り方はしていない。
だから、そう決めたのであった。
そして、今後しばらくは必要ならタクシーとレンタカーで行こうと。
そう決めて車屋に連絡し、手続きをしてもらう。
また、後日友人を連れて カーステレオやめぼしいオプションを外してもらう。
一部は自分で持って帰り、一部はあげた。
もう同じ車に乗ることもないだろうから、この車専用のオプションはいらないから。
10年乗ったのにこんな形で廃車とは。
意外と言えば意外な終わり方である。
前の車も事故でなくなった。
これも自分のせいではなかった。
どうも自分で車を使い切るということが出来ない。
先に言った通りで、当面車は買わない。駐車場も解約、保険も解約。
これで年間20万の節約。
まあ、今は何かと出費の多い時だから、これで良いのだと考えよう。
浮いたお金でハンディービデオでも買うかな。
・・・
この事故の後、実は後遺症もある。
事故の時車には乗ってなかったのだから、衝撃によるものではもちろん無いのだが、
あの時の大きな音で飛び起きたということから、
その後、大きな衝撃音に弱くなったのだ。
大きな「ドン」と言う音がすると妙にびくついてしまう。
音楽の大きな音では大丈夫だが、衝突するような音では駄目。
幸いにして、子供にはそういうことはないようなので安心しているが、
間接的なものであってもそういうことがあり得るということを思い知ったのであった。
山フナ虫の話。
ふな虫というものをご存じだろうか。
海辺に行くと、テトラポットのところになにやらわらじ虫の巨大なものというか、
ゴキブリの色違いというか、そういう虫がいる。
それがふな虫である。
このふな虫、何を食べているのかはっきりしないが、
別に悪さはしない。
人に近づくこともほとんど無い(人が近づくと逃げる)。
プランクトンか何かを食べているようにも思える。
釣り餌に使う人もいるようだが。
さて、このふな虫は海辺でしか見たことはなかった。
絶対に海にだけ住んでいるものと思っていた。
ところが、今回、意外なところでそれを見たのであった。
今回の新潟では「天拝山」というところを発見した。
この話はまた後に書くが、そのなの通りそれは山である。
正確に言うと、山の頂上にある展望台みたいなところである。
そこまでの道のりは、観音堂からさらに山道を登るわけなのだが、
その途中には昼尚暗いようなところもある。
そういうところは湿気が多く、地面はじめじめしているし、腐った木なども多い。
その地面を見ると、なにやら動くものがいるのである。
ゴキブリかと思ってよく見ると、それは何とふな虫であった。
しかし、こんな山の奥に何でいる?
ここにいるふな虫はサイズ的には余り大きくない。
でも数は少なくないので迷い込んだのだとは思えない。
明らかにここで繁殖している感じだ。
そうなると、考えられるのは2つ。
ふな虫は海辺だけでなくこういう湿ったところにはどこにでもいる、もしくは
海に近い山のなどの暗いところで小さい時を過ごし、大きくなったら海に移動する。
でも、他の山の中では一度も見たことがないし、移動するなどということも
聞いたことがない。ひょっとすると、海にいるふな虫とは違う種類なのかも知れない。
山ふな虫とか。
別にいてるからどうってことはないのだが、
ちょっと不思議に思ったのであった。
まずい{飲料紹介}
「すっきり うめスカッシュ」
ダイドードリンコ
350ml
¥120
炭酸
紀州産梅 果汁3%というものである。
果汁3%と言うことは、入っていないと考えていいような物だが、
とにもかくにも、非常にまずい仕上がりである。
どこが「すっきり」やねん!と思わず叫んでしまった。
後で書くコカコーラの「四季くらべ」というものに味が似ている。
しかし、ダイドードリンコも、何でこういう変なものばっかり作るんやろか。
もう少しまともなものを、ちゃんと消費者の声を聞いて作らんといかんぞ。
いくら田舎の自動販売機だからって、置いて良いものと悪いものがある。
そうでなくても、新潟は新製品のテストとかがよく行われるんだから。
パンの耳焼いたスナックとか、小池屋のカラムーチョとか、サムソンVとか。
本当の消費者テストなら、もっと大都市でやらんと意味ないよなぁ。
お勧め度 5%
基本的には飲んだらあかん。
どんだけまずいんか試したい人だけ。
携帯電話の恐怖。
本当はこの話は独立したネタにする予定であった。
以前ちょっと予告したこともあった。
しかし、例の原因がこれであったという事実から、急遽このシリーズに
入れることにしたのである。
元々が独立した話なので、それなりに長くなるのでお覚悟を(何の?)。
・・・
最初にはっきり言っておくが、私は携帯電話が嫌いである。
自分が持つことなど今をもって考えもしない。
某社に勤めている時も、「俺に携帯電話渡したら淀川に沈める」と
本気で言った位である。
何が悲しくて会社の外まで拘束されなあかんねん。
それが便利な時があるのも理解出来るが、「あったら便利な物はなくても良い」の
原則に従って必要ない。
それでも、他人が持つことに関しては特に反対する気はなかった。
色々と思うところがあってもである。
しかし、現実に私に対して悪影響が出たのであるからには、
徹底的に書かなければならない。
きわめてはげしく書くので、持っている人においては心象を悪くされる人もいる
かも知れない。しかし、「これは自分のことではない」「世の中にはそう人もいる」
程度に考えて欲しい。
・・・
そもそも、携帯電話を市中手に持っている人間の中には気持ち悪いやつらが多い。
また、見るからに馬鹿づらした奴らも多い。
何が気持ち悪くてどうして馬鹿に見えるのか。その理由は、
1、一人で喋っている
2、持っていることを自慢するかのごとく手でもてあそんでいる
3、色々と付けている
4、話言葉が馬鹿
5、他人の迷惑を省みない
である。それらを詳しく見ていこう。
・・・
電話はそもそも「一人で喋る」ものである。
しかし、その電話をしている姿は、余り多くの人に見られるものではない。
だからどんな内容を、そんな言葉で、そんな声の大きさで話しても問題にならない。
ところが、携帯電話は場合によっては公衆のど真ん中で話すこととなる。
電話をしている時の声というのは、普段の声より大きくなっていることが多い。
だから、公衆の中で話される声はけっこう聞こえるものだ。
もし自分の直ぐ近くで急に大声で話されたら、しかもそれが端目には一人芝居のような
ものだったらどう思うか。会話の相手の見えない、でも妙に盛り上がっている独り言。
およそ気持ち悪いに違いない。
これは次のような場面では特に強調される。
暗い夜道で歩いていたら、急に向こうから変な話し声や笑いが聞こえてくるのである。
誰か変質者に付けられているのでは?と思っても不思議ではない。
それが夜道で携帯電話で喋っている人間なのである。
携帯電話を持っている人には若者かビジネスマンが多いが、
ビジネスマンは内容が内容だけに余り大声になら内容にして話す人も多い。
ところが若者どものは傍若無人である。
回りの迷惑おかまいなしに、大声で、しょうもない話を延々として、
直ぐに切らずにずるずると長話しをする。
おまえら、何をそんなに喋ることがあるねん。こんな場所で。
中には電車に乗ると直ぐに電話を掛け始めるものもいる。
何をそんなに話したいのか理解出来ない。
または、常に携帯電話を手のひらに持ってかかってこないか待っているようで
あったり、掛けようとして切ったり、である。
そんなに話したいのか?そんなに一人でいるのが恐いのか。
しかもその話言葉は本当に仲間内の馬鹿言葉丸だしである。
公衆の面前でも。
そこに仲間がいて、しかも回りには誰もいなくて話しているような雰囲気である。
馬鹿言葉で喋り続ける人間がそこにいたら、そいつを馬鹿にしたくなるのは
別に不思議ではない。
こういう連中に限って携帯電話にはごちゃごちゃと色々と付けている。
携帯電話さまさまだからであろう
こういう奴らにとって、携帯電話はなくてはならないものなのであろう。
・・・
結局、携帯電話を持っている人間は、自分と他人の切り分けが出来ない、
常に誰かと一緒にいないと寂しくなる、自立が出来ない、
不成熟な幼稚な奴らであるといえる。
最近増えている、どこそこ構わず座り込み、物を広げて喋っている若者どもも
同じである。
どういう場所で大声で話しても構わない。だって回りにいるのは自分の一部だから。
だから、ここにいない誰か他の人の存在が欲しくなる。
そう、携帯電話を持っていることは、実はとても恥ずかしいことなのである。
・・・余談・・・
だいたい、会社で携帯電話、しかも個人のものを業務時間中にならすか?
あの音ってけっこううるさいから、人の集中しているのも妨げるという意味でも
立派な業務妨害だぞ。
・・・
そうであったとしても、しょせんは他人ごと、余りそれを言おうとは思わなかった。
あの事件までは。しかし、ああいう事件を起こされたからには、
もはや容赦はしない。
・・・
携帯電話を掛けながら歩いている奴は回りをあまり見ていない。
だからふらふら歩いて人に当たったりする。
自転車・自動車に乗っている時など、急な飛び出しなどには対応出来ない。
時にはぶつかられそうになることもある。
ながら電話が危ないということは、実際にそういう目に会わなくても
頭で容易に想像出来るし、想像出来るならやらないようにするべきことである。
でも出来てないやつらが多い。
これは先に書いた「他人と自分区別が出来ていない」からである。
特に自動車は危ない。
以前から、自動車を運転中の運転手が携帯を掛けている現場をよく目にしたし、
ちょっと危ない目にあったこともある。
それでも何とか大丈夫だったのだが・・・。
・・・
例の新潟での自動車事故。
私の車を廃車にしたあれの原因は、携帯電話だった。
相手のにいちゃんは、かかってきた携帯電話を取ろうとした時に
一瞬前方から目がそれ、ハンドルが曲がり、それで私の車に大衝突したわけである。
もちろんスピードの出し過ぎもあるが、
そもそも運転中にかかってきた携帯電話を取ろうというその行為そのものが
この事故の最大原因である。
今回はたまたま人命には影響がなかったが、時と場所が違えば
人の命を奪い兼ねない。それが下らない携帯電話1本かかってきただけで。
そんなことが納得出来るか。
ここまでくれば、携帯電話は不要どころか完全に存在悪である。
人がその使い方、マナーをわきまえない限り。
・・・
私は最近よく思う。
現代文明は確かにすごいが、それを使いこなせる「力」が人間にないのではないかと。
「力」というより「精神」と書いた方が正しいか。
未成熟な者には、強大な力を与えてはいけないのだ。
小さくはナイフや携帯電話から、大きくは原子力もそうである。
今の教育で一番抜けているのがこれだ。
手段ばかり教えて、その制御力を教えないのだ。
だから暴走ばかりする。
今は小さな暴走でも、やがて世の中を破壊することになる。
その露見が、小さな携帯電話の中にもあるのだ。
・・・
これから後の話は付けたしみたいなもんである。
携帯電話が健康を害するかどうか、という話は良く言われることである。
一応国の調査結果では「影響なし」となっている。
ところがどっこい、本当はそんなことはない。
携帯電話の周波数は電子レンジとほぼ同じである。
その出力もけっこう強い。
考えても見よう。携帯電話なら4Kほども電波が飛ぶのだぞ。
電子レンジを開けてでもそんなには飛ばん。
そんな電波が頭の中を通過して影響がないわけはあるまい。
電波が物体を通過する時に起こる現象は、主なものは極性分子を振動させること
である。後は原子を励起させるとか、金属の中に電気を起こすというのもある。
それらの原理は、電子レンジや携帯電話に付ける掛けている時に光る物であったり、
ラジオであったりする。
人間の頭脳の中には水がある。微少な金属原子もある。
水は極性分子だから、電波が当たれば振動して熱を出す。
だから、携帯電話を掛けているとわずかながら頭の中の温度が上がる。
人は微熱があると気は妙にハイになる。
そういう時は精神的にちょっと変になることもある。
完全には同じとは言えないが、インターフェロンを使うと微熱が続き、
精神に変調をきたしてしまうというあれと基本は同じである。
金属原子は電波によって電流を発生する。
脳内の信号伝達は全て電気信号に依っている。
ということは、邪魔な電気信号に依って身体が変な動作をしたり、
変な命令が伝わってホルモンバランスが崩れたり、
体調を崩すことが予想される。
ということは、電波を浴び続ける頭と身体はどんどん変になる可能性があるのだ。
そして、多くの場合、それは有害である。
馬鹿が一層馬鹿になっていく。
・・・
たばこの話でも同じようなことがあるが、結局、国の発表する物は
税金を良く収めてくれる特定の産業を糾弾するようなことはしない。
どうでもいいような小さな物に対してはするけど。
O−157の時のカイワレ大根とか。
だから、いつもあいまいな結果をだし、確信のデータは出さない。
「影響があるというデータは出なかった」という言い方をするわけだ。
そういう物だから、国の発表など信頼出来ない。
(そもそも、実験が短期間過ぎる。実験は年オーダー以上の期間をかけなければ
意味はない。このあたりは合成何とか料の影響も同じ。)
まあ、携帯電話を掛け続ける馬鹿ものどものが、早く病気になって死ぬのは
いいことだ。馬鹿は淘汰されなければならない。
しかし、そういう連中が自分の隣にいて、その電波の影響をこちらも受けるのは
まっぴら御免である。たばこもまったく同じ。
結局、「馬鹿したいんならおまえ達だけでやっておくれ」である。
人を巻き込むな。巻き込まんかったら文句は言わん。
自分と他人の区別をしっかり付けろ。
若者が馬鹿なのは実は国に取って悲しいことだが、
それを注意・指導出来ない年寄り達が多いのも実に嘆かわしい。
しかもそういう連中に限って文句ばかりいうくせに、金は出せと言いやがる。
やることやってないくせに。いや、やらんでいいことばっかりやってるくせに。
まあ、そういう年寄りが多いから若者がそうなったのだろうが。
「他人のふり見て我がふり直せ」
「物を与えられたら、その操作より前にマナーを覚えよ」
である。
携帯電話は、それを考えさせる絶好の物である。
それを理解している人にとっては。
くれぐれも馬鹿にならないように。
・・・「け」2・・・
原発の話。
椎谷ではないが、柏崎市内+刈羽村にまたがる海岸沿いの広大な敷地にあるのが
東京電力所有の原発、柏崎刈羽原発である。
この原発、実は電力の生産量では世界一である。
すでに6号機(あれ、7号機だったっけ?)まで稼働している。
原発の回りには、一般の人が入れる展示館や研究所がいくつかある。
おそらくは原発を身近に知ってもらい、恐怖感を和らげようという目的だろう。
真意のほどはともかく、その一部でも見学出来るのは良いことである。
TEPCO(多分Toyo Electric Plant COrporationの略)展示館は原発のそのものに
ついての展示をしている。内部構造や発電原理、安全装置、日本や世界の原発動向、
あのもんじゅやふげんの話もある。もんじゅの事故の後もその展示に変更がなかった
のは単なる忘れか無視しているのか。
この展示館の最上階には展望台と子供の遊べるスペースがある。
広い敷地内が見えるが、原発の建物は見えない。うまく松林で隠してある。
ここには腕相撲のゲームがある。ゲームセンターにもあるそのものだが、
実はただである。
非力な私では普通では最も弱いクラスの下の2人位までしか勝てない(ナサケナイ)。
全身使ってなんとか最上位に勝てる。
それでよろこんでいるのだから、子供である。
いいじゃないか!(^_^;)
ここでは予約をしてれば本物の原子炉内も見せてくれる。
まだ行ったことはないが、折角なのでその討ち入ってみたい
・・・いかんぞ、この誤変換は・・・そのうち行ってみたい。
・・・
もう1つの展示館は海洋生物研究所である。
原発の排水口近くの生物を調べているところである。
まあ見た目は色々な魚や海洋生物の展示館のようなものである。
原発排水口からは暖かい水が出るので、その回りに集まっているそれらを
見せてくれるのだ(もちろん現物ではなくビデオなどで)。
でも、これって原発排水に変なものが出て海洋生物に悪影響が出てないか
調べてるんじゃないか?逆にその変化によって原発からの放射性物質の漏れを
調べてるんじゃないか、等と勘ぐってしまうところもある。
TEPCOもここも入る前には必ず名前と住所を書かされるが、
余り頻繁に行くと原理力公安委員会から目を付けられるのでは?
等とも思ってしまう。
何にしても、双方とも展示内容はそこそこ面白い。
もし近くに行かれることがあれば、よっても損はないだろう。
あっ、車かバスでしか行けないからね。柏崎駅前からは。
物理学の話も書かねばなるまい。
Natural Free Fallの物理学である。
物理学的には、自由落下した物体が跳ね返って元の高さまで上ることはない。
これは、実際の物体の跳ね返りではエネルギーのロスがあるから+α
からなのだが(実は詳しく説明出来ない^_^;)、この物理の法則に反して、
お釣りは時として元の高さまで上ってくる。
ここまで読んでわからない人のために、用語の場面の説明をしなければなるまい。
Natural Free Fallというのは、そのまま訳せば「自由落下」であるが、
ここで言うそれは「ぼっとん式便所」のことである。
自然落下式便所である。当然(何が?)のことながら、
田舎の家の便所はこれである。
ぼっとん便所には水洗式にはない特別の物理現象(?)「おつり」がある。
自分がした糞が下にたまっているそれらに当たり、その水滴(?)が跳ね返って
上がってくる物である。
古来、ぼっとん便所におけるお釣りとの格闘は一種の技術とされ、
出した後には必ず腰を上げるとか、「お釣り返し(上がってきた頃を見計らって
さらに上から出す)」等の必殺技も編み出されるほどであった。
それを制する者でなければまともには使えない、それがぼっとん便所である。
さて、このお釣りであるが、先に述べた通り、物理学の法則では
落ちたそれが自分のおしりの高さまで戻ってくることはあり得ない。
ところがどっこい、実際には上がってくるのでお釣り返しをするか、
よけなければ、「あっ」という声と共に跳ね返りがかかってしまうのである。
なぜこのような現象が起こるのだろうか。考えられることはいくつかある。
糞を出した後には腰が下がっている、というのも1つだろう。
気張っている時には腰が少し上がり、出たら下がる。
これは事実のようである。
また、おしりから出る時に勢いが付いているというのもあるだろう。
他だ単純に穴からものが出るのではなく、押し出されて勢いが付いているのである。
思いっきり勢いを付けて投げたボールは、元の高さより高く跳ね上がる。
しかし、それ以上に私の物理的解釈が間違っているという点が大きい。
ボールが床にぶつかって跳ね返る時は決して同じ高さまで上がることはない。
この時は、ぶつかった相手=床は変形しないし、ボールの質量も奪われず、そのものが
上がってくる。
ところが、お釣りの場合は大きな物体がたまりにぶつかってそれよりはるかに
小さな水滴だけが跳ね上がってくる。ぶつかった面では当然大きな変形があるし、
大きな運動量を小さなものに移行させるのだから、元より高く上がる可能性もある。
これである。
いずれにしても、お釣りは時として跳ね上がってくるのであるから、
何かしらの対策をしなければならない。
そう、ぼっとん便所での用足しはスポーツなのである。
・・・って、いったい何書いてんだよ(^_^;;)。
コンピューターの無い生活。
「新潟にはコンピュターは持って行かない」。そう決めている。
今までかつて、1回だけ新潟にコンピューターを持って行ったことがあったが、
この時は逆にコンピューター漬けであった。
新潟という場所で、他の一切の干渉を無くして集中したのである
2週間、朝から晩までプログラムを作り続けた。
この時は、仕事で忙しくて家で何も出来ない状態になってて少し切れた状態であった。
これを解消するため、1月の休職期間をもらって思いっきりやったのであった。
今でもその時のプログラムを使っているのだから、
今から思ってもすごい時であった。
まあ、そういう例外的なことはあれ、今は絶対に持って行かない。
日頃べったりな生活をしているだけに、逆にまったく触らない時が必要なのだ。
大阪でそう思ってもなかなか実行出来ないことを、
新潟で無理やり実行するのである。
やはり最初の内は禁断症状というか、触りたいという欲求があるが、
それも2、3日で消える。
逆に、大阪帰ってきてから数日は触りたくなくなる。
コンピューターが人間の生活に必要かといわれれば、
世の中の動きではもはや無くては成り立たないだろうが、
一個人の生活の中では不要だと言っていい。
それでも私が使っているのは、便利だからではない。
うちのPCは古いので決して便利ではなく、市販のソフトはもはやないし、
むしろ何かするには必ず自分でソフトを作るなどの手を加える必要がある
不便な物だ。それでも使うのは、頭の体操を楽しんでいるのだ。
ある問題を解決する手段を自分で探して実行する。
その課程を楽しんでいるといえる。
気は早いが、老化防止にはもってこい、等とも思う。
でも、長期間べったりなのは、いろんな意味で良くないと思う。
思考や生活がそれ中心になったりするからである。
そういう自分の姿を見直す時間が絶対に必要なのだ。
その他でも、大阪で何かしらあった時にはいつもそこに行っているような気がする。
私にとっては、この田舎は重要な心の拠り所になっている。
特に何があるではないが、逆に何もないのが良い。
しがらみも何もない。
こういう期間があるからこそ、頭を切り替えられる期間があるから、
逆に長くつき合える。
そうでないと、コンピューター依存症になってしまうし、
極論を言えば人間として欠陥が出来ると思う。
ほら、コンピューターの話しかしない悪性オタクには変な奴が多いでしょ。
ああいう奴らの修正には、コンピューターから無理やり離してやるしかない。
本当いうと、新潟のように家のまわりでなんぼでも遊べ、
頭を使う場所があればこんなものいらないのかも知れない。
ある意味、都会は便利すぎ、頭を使うことが少ない。
だからコンピューターが必要となる。
都会の中ではない、何時もの生活とはまったく別の空間となる田舎の存在が、
人には重要だと思う。
そういう「田舎」を持っている私は、幸せなのかも知れない。
駅弁。
今年は5月にも新潟に行ったのだが、この時は列車で行ったのでいろいろな駅弁を
食べることが出来た。
多人数で列車に乗ると、それぞれが違った駅弁を買うことが出来、
それを交換することで1回でいろんな種類の物を味わえるのだ。
しかも、北陸路にはおいしい駅弁が多い。
富山の「ますのすし」は有名だが、ぶりずし、かにめし、かまめし、
甘海老すし、鯛寿司と、覚えているだけでもこれだけある。
見んなおいしい(一応これらはすべて食べた)。
しかし、車で行くとそうは行かない。高速道路のサービスエリアには駅弁もどきが
売っているが、種類は非常に少ない。「ますのすし」系の物は多いが、
私に言わせれば全て紛い物だ(やっぱり本家は「源」のもの)。
他の弁当に良い物はほとんどない。
車での駅弁のいかんところは、食べている間移動出来ない、ということもある。
その点列車なら食べている間であろうと寝ている間であろうとも
列車は動いて目的地に近づいてくれる。
車の方が安いというのはよく言われるが、この余裕を考えれば、
しかも到着にようする時間を考えても列車の方が良い。
もっとも、これは長距離旅行の話であって、近距離や列車のないところでは
車の便利さは、それはそれで有益である。
・・・と、本当はここまでの記述でおかしいところ、いや正確に言えば、
世間一般で言われている言葉におかしいところがある。
駅に売っている弁当だから「駅弁」なのであって、そういう意味では、
道路のSA(サービスエリア)で売っている物は駅弁ではない。
まあ、SAも「道の駅」と思えばあながち間違いではないが。
それはそうと、今回の夏の新潟行きでは夜中に走ったため、
弁当が買えなかった。これは非常に悲しいことだ。
それが楽しみで行ってるようなところもあるのに。
が、幸い新潟のスーパーで駅弁大会で「ますのすし」が出てたので、それを買った。
美味・・・のはず何だけど、何かちょっと違う感じ。
輸送までの間に味が落ちた、とかいうものでもない。
やはりこれは、旅する間に食べる弁当である、という駅弁の根本的位置付け
にあっているかどうかだと思った。
おいしい駅弁も、家で食べてしまうと何か違ったものになってしまうのだ。
ということで、これからも色々全国旅して、そこの駅弁を、いえ、そこで駅弁を
食べてみたい、そういうことを家族でしたいなぁ、と思うのであった。
天拝山。
新潟へ車で行くようになってからもすでに10年。
列車で行ってた頃には田舎の家から出かけることもなく、
5日位ずっとそこにいた。もちろんそれでも海はあるし、山はあるしで
十分楽しかった。
車で行くようになってからは、日帰りの範囲だが色々と走り回って
新しい所も開拓した。
寺泊、米山大黒亭、出雲崎、国上山国上寺(くがみやまこくじょうじ)、弥彦山、
潮風温泉など。
新潟でのほとんどの時間が庭仕事や掃除などにあてなければならない現実の中で、
これだけ行けたのはむしろ多い位かも知れない。
(もっとも、夏は仕事に追われるが、秋に行ける時は日にちは短くても
全部遊べるのでそれで行くのだが。)
ところが、こと椎谷の中でといえば、これはもう行き尽くされたと思っていた。
小さな集落だから、それはしょうがない。
そう思っていたが、最近は田舎では「わが町の観光ポイントの整備」とか
色々といわれるようになって、前に紹介した飛騨古川、杵築の町や竹原の町なんかは
そういう感じだったが、こんな小さな椎谷の中でも、小さいながらにそういう
運動があったりするようである。
その中で、今年新しく開拓されたのが「天拝山」というところである。
場所は峠の山の上にある観音堂のさらに奥まったところで、
位置的に言うと、観音堂が峠の山の椎谷中央よりの斜面にあるとすれば、
天拝山はその逆と言うか向こう側の斜面、いやその一番高いところにある。
この天拝山、今年に道が付いたようだが、正確には昔はその道はあったらしい。
しかし田舎の人が減り、山で仕事をする人がいなくなって以来、
道がなくなって忘れ去られていたようである。
それを思い出し、新しい名所と言うか観光ポイントとして整備しよう、
ということのようだ。
昔は道があったという証拠は、天拝山の一番先が展望台のようになっているのだが、
ここにお地蔵さんが祭られていることによる。
古い町なら、町で一番高いところと言う場所には、城があったり神社があったり、
何にしても何かがあるものだ。
この椎谷にもきっと何かがあったのだろう。
その名残がお地蔵さんである。
ここからの見晴らしは「なかなかにすばらしい」と言いたいところが、
実はそうではない。
いや、場所は良いのだ、本当なら良く見えるはずだし、事実、木の隙間から見える
景色は広々として、椎谷にこれだけ広く見える場所があろうとは、という感じである。
が、いかんせん大きな木が目前にあって、視界が遮られているのである。
木を切るのは宜しくないが、出来れば簡単な展望台でもあれば良いのに、
そう思うのであった。
もっとも、それが出来て人に知れ渡って人がたくさん来るようになると、
ここも駄目になる、という感じがするのでこれはこのままで良い、
そうも思うのであった。
静かで良い場所だもの。ブランコもあって、物思いにふけるのには絶好だ。
ということで、新しい所を見つけたけど、余り人には教えたくない
隠れ家的スポットなのであった。
蟻の話。
今年は、何やら非常に強い蟻がいるようである。
田舎に帰ると例年ごとく庭掃除をするのであるが、
広い上に入り組んでいるし、日頃手入れをしていないので草はぼうぼうで、
その作業は数日かかる。いや、帰っている内の半分はそれに
費やしているといっても言い位だ。
それでも庭の部分は2日もあれば何とか人が歩くところは出来てくる。
(今年は雨が多くてなかなか作業が捗らん上に、燃やせないので大変だったが。)
その後はというと、庭木の剪定と裏の崖の草刈である。
で、実はこの部分は親戚の人に任せている。
手抜きではなく、慣れている人がやらないと危ないからである。
(と、言い訳しておく。)
んが、この作業中に親戚の人がかぶれてしまった。
このあたりには漆の木もないし、他の草でかぶれるようなものもないと思う。
それがどうしたことかと思っていたら、どうも蟻にかまれたようである。
確かに蟻にかまれたら痛いこともあるが、かぶれとしてはっきり出るほどということは
よほどきつい蟻酸(蟻の持っている酸物質)を持つ蟻に違いない。
何でも銀色をしているとか。
残念ながら私はその実物を見ることはできなかったが。
私が今までに知る蟻の中でこれほどきついものはない。
どこかから外来種が来た可能性もある。
自然というものは、毎年同じ場所でも同じ状態であるとは限らない。
いつもの年にはないものが急に現れたりすることがあるので、
いつも注意しなければならないということである。
他人のふり見て我がふり直せではないが、
野良仕事をする時にゃ、夏の暑い時でも長袖長ズボン、軍手、麦わら帽子、
首にはタオルのフル装備が一番である。
{飲料紹介}
「さわやかミックスネクター」
ダイドードリンコ
350g
¥120
ピーチ30%だそうな。日本語で「桃」って書かんかい!
先に紹介した「ハワイアン ピンクグアバ」はネクターのような味がした。
こちらは本物(?)のネクターのはずだが、ちょっと変な味。
「マスカット果汁を加えさらっとした口当たりに仕上げた
ミックスネクターです」
とあるが、どこがさらっとしとんねん。
後味が変だ。
「さらっとした」とか「爽快」とかよく書いてあるけど、
誰が飲んで、誰がそういう判断をしたんだろうか。
本当に、人を呼んで試飲とかさせてるか?
毎日そういうものを飲んで舌がおかしくなってる社員の判断だけで
作ってないか?
また、味というのは、飲んだ瞬間だけでなく、後味もあることを忘れるな!
ダイドーにもコカコーラにもまともな味判断部門は無いとみた。
もっとも、売り値120円ということは、原価せいぜい2、30円では、
この程度か。
お勧め度 40%
後味の悪さを確認しよう。
{飲料紹介}
ケイファチュウ
「金木犀のお酒 桂花酒サワー」
永昌源
アルコール分4%
250ml
値段忘れた(200円位)
これはお酒である。桂花陳酒を微炭酸で割ったもの。
なかなかにおいしい。
実は、私はこの手のお酒が好きなのであるが、それは、
ずっと前にちょっとした高級レストランに行った時に、
食前酒として出たお酒が非常においしくて、それが「桂花陳酒を炭酸で割ったもの」
と教えられたからである。
それ以来、その手のものを頼んではいるが、その時に味に及ぶものはない。
もちろんこれもそう。
あの時飲んだものは、よほどちゃんとした原料から作られたものだったのだろう。
もう一度飲みたいものだ。
そうそう、この「永昌源」という会社、あまり有名ではないと思うが、
実は、中国酒の輸入元としては結構名が通っているようである。
先日行った安い中華料理屋に置いて有った「桂花陳酒」にもその名があった。
・・・とか書いてたら、テレビでCMやってた。
浅田美代子何か使っているぞ。
やっぱり有名なのか?
お勧め度 68%
軽く一杯欲しい時にどうぞ。
「ゆっくり寝る」話。
実は私は枕が代わると良く寝られない方である。
んなもんで、実は旅行にいくといつも寝不足で帰ってくる。
逆に、新潟のように枕を持っていけるところであれば、必ず持って行く。
そうすれば寝られる。
それでも布団ならまだましなのだが、ベッドになるともう駄目。
さらに、ビジネスホテルのベッド、掛け布団がベッドにくっついている環境では
ほとんど寝られない。
私は寝相が良い方ではないので、布団の中で動きまわる。
そういった時に、布団が固定されているとその都度当たって起きてしまう。
そもそもベッドが駄目なのも落ちそうになっておきるから。
11月始めの福岡出張でも4時まで寝られなかったし、5月の新潟では
まったく寝られなかった。こういう時の翌日は頭が働かないので
ろくなことはない。これは先に書いた雷鳥の話などがそうである。
ビジネスホテルそのものにも良い思い出がない。
西洋風お風呂が嫌いだとか有料放送でHな映像を見て悶々してしまった
とかそういう話はおいといて、5月の新潟のビジネスホテルで寝不足になった
最大の原因は「変な音がする」ということであった。
何の音だ可わからないが、「ぶーん」という音が一晩中していたのである。
しかも、起きている時は聞こえにくくてベッドに寝ると耳に付くような音。
何かしらの電気系統の音だと思うが、低くて通る音なので気になって寝られない。
これに加えて先のベッドの布団の問題もあって、まったくといって良いほど
寝られなかったのである。
この時同じホテルに泊まった親戚からは同様のクレームは聞かなかったので、
気にならなかったか、他の部屋では聞こえなかったか。
いずれにしても、このホテルには二度と泊まるまい、
そう思ったのであった。
もっとも、新潟ではホテルに泊まる必要性は、今回のような特殊事情でなければ
ありえないことだが。
今の家でも、前が道路だけに夜中でもうるさい車やバイクが通ることがある。
ここでは布団だし枕も自分のなので寝られない、ということはさすがにないが、
でもあまりのうるささに安眠出来ないことはある。
音量が大きい=うるさいではない。音量だけならもっとうるさい
電車の中でも虫の鳴き声の中でも寝られる。要するにその音の種類なのだ。
心地よい音かどうか、これは安眠に取って非常に重要なことである。
たかが音、されど音。
人の安眠や健康にとって、それは非常に重要なものである。
だからこそ、それを安易に破壊する馬鹿者どもを許さない・・・。
{書籍紹介}
「隠れた事実 明治裏面史」
伊藤 痴遊 著
星文館
大正5年 6月25日 発行
1円50銭
発行日付からも解るとおり、現在発行されている書籍ではない。
「大阪今昔」と同じく、家の書棚に有った古い本である。
明治の、(今となっては)有名・無名の諸々の事件の裏を書いた本である。
結構危なそうな内容もあるのに出版可ということは、大正年間には
言論の自由はかなり保証されていたと思われる。
全部旧字だが、大阪今昔と違って、全漢字に振り仮名が付いているので
読みやすかった。
内容は非常におもしろい。私はこういう裏の事実もんは大好きである。
ただ、全てが裏話なので、その表の話を知らないと解らない部分もある。
特に、今となっては無名の事件に付いては尚さらである。
私が知らないだけか、それとも、当時は全事件が有名だったのか?
いずれにせよ表の本と合わせて読むのが良いであろう。
おもしろい内容なので公開したいが、さすがに800ページも越える(817P)ので
打ち込めない。貸し出し不可だが、図書館などで見つけたら読んで欲しい。
ちなみに、各章の見出しはこれ。
徳川幕府の壊滅 横浜の奴隷解放事件
遷都の建議 征韓論の真相
明治政府の樹立 民選議院設立の建白
賀陽宮の陰謀 赤坂喰違の狂變
江藤、井上、予算問題の大衝突 台湾征伐の内情
山縣有朋と山城屋事件 江藤新平の挙兵
長州藩と三谷三九郎 大阪会議と木戸の再入閣
明治初年の暗殺三件 長州萩の内乱
横井小楠の暗殺 熊本の神風連
大村益次郎の暗殺 東京の思案橋事件
広澤兵介の暗殺
雲井龍雄の陰謀
廃藩置県の断行
尾去澤銅山の強奪
岩倉の洋行と留守内閣
これを読むと、昔も今も議院とか官僚の悪さというのは変わらんというのも解るし、
一方で、自分の進退を掛けてやるべきことをやろうとする態度を持つ人も多かった
ということはすばらしいものもある。
全く今の、自分のことしか考えないような馬鹿政治屋にも読ませたいものである。
土産。
柏崎で何か土産を買うとすれば何が良いか。
まず土産として考慮すべきは、
他の地域では手に入らない(入りにくい)
おいしい
手ごろな価格
であろう。
まずは甘いもの。
無難なところは最上屋の飴最中が無難である。最中の餡の替わりに水飴が入っている
ものである。単純なものなのだが、けっこう好まれる。
私自信はちょっと飽きた感じもするが、食べたらやっぱり何個かいってしまう。
一時期よく買ったのが東雲(しののめ)という和風パイ風お饅頭。
パイ風生地で栗餡を包んだものである。
けっこうおいしいが、食べ続けると飽きる味でもある。
西山にあるふぐ庵という和菓子屋のものは全般においしい。
ただし、日持ちはしないので、直ぐ行ける相手に限る。
あと細かいところでは、イトーヨーカドー丸大地下のパン屋にある
柏崎餡パンは、餡の量が半端じゃない。これと牛乳1本で1食いける。
お土産に向かないかもしれないけど。
笹あめ、明治饅頭等は駅前でも手に入る。明治饅頭は普通の饅頭だけど、
これをてんぷらにすると揚げ饅頭的になっておいしい。
日持ちはしないが米山大黒亭の本物の揚げ饅頭も良い。
笹団子もいいのだが、昔は駅近くでどこでも手に入ったのだが、
最近は見かけないので貴重品だ(冷凍ものは除外ね)。
甘いもんどころではそれ位で、辛いものでいけば、
新野屋の網代焼きという、みりん醤油で焼いた魚の形をしたおかきがけっこういける。
ただし、飽きやすい味かも知れないので、連続は駄目。
浪華屋の柿の種は絶品だ。
柿の種自体は全国どこでも手に入るが、ここのは味が一番しっかりしている。
いわゆる人工的な味ではないので、長く食べても飽きない。
袋入もあるが、通なら缶入を買うべきだろう。
そうそう、10月頃なら新米で焼いたおかきというものが店に出る。
特にメーカーはないのだが、これはなかなかにおいしい。
大阪付近ではまず手に入らない逸品である。
まあ、これ位が代表的なところだろうか。
ちなみに、私が行った時に自分や家族に買う土産は海産物や酒なので
特に考えることもない。
まあ、毎回どの酒がいいかを悩む位か。多いもんね、種類が。
あとは、地元の野菜やすいかなどを持って帰る。
物が良いから。このあたりはお土産というより買い出しに近い。
大阪は実はこれと言った持っていけるお土産がないのでいつも悩むのだが、
(大阪に来てくれたら食べさせてあげるものはあるけど、持って行けるものは少ない。
タコ焼きも、おこのみ焼きもそう。岩おこしも今1つだしなぁ。)
新潟では選ぶのに困りはしない、ということであった。
あげる相手は選ぶかも知れないけど。
{飲料紹介}
「四季くらべ」
夏みかんのすっきり爽快炭酸
果汁10%未満
日本コカコーラ
250ml
¥120
「うわ〜〜まずい」。
先に紹介した「うめスカッシュ」もまずかったが、これも負けず劣らずである。
ただの炭酸水に味を付けた感じ。夏みかんの味などしない。
250ml飲み切らずに、思わず海に返してしまったほどまずい。
全く、どういう基準で「爽快」とか書いとんねん。
「総不快」じゃないか?
困ったことに、このシリーズ、これから季節毎に新作を出すらしい。
秋 実りの秋 豊かな味わい
冬 からだ温まる ホットな味わい
春 気分晴れ晴れ さわやかな味わい
98年夏はすっきりとした「夏みかん」の果汁と炭酸で爽快な味わいに仕上げました。
と書いてある。「豊かな味わい」ってビールかい。「からだ温まる」って鍋かい。
まあ、コカコーラの作るもんに期待したらいかんけど、
ここまで見事に期待通りだと、うれしいやら、呆れるやらですな。
もうすでにこの「98年夏」ものは無いようで、「秋」が発売されているはずである。
(これを書いたのはそういう時期だが、これが発表される頃にはもう「冬」が
出ているか、ひょっとすると「春」まで出ているかも知れない。)
お勧め度 5%
まずさを確認したい人だけ、どこかで捜し出せ。
「秋」を飲んでのレポートも待ってるぞ。
海老の話。
カニの話は簡単に書ける。
食べる方の話でも、海岸で見る話でも。
ところが、海老の話は余り書けない。
その理由は、身近にいないからである。
もちろん漁港にいけば海老はいる。
新潟では甘海老がよく売られている。
大阪で寿司ネタになるような小さなものではなく、大きなもの、
これが冷凍ものなら一箱で1000円、生なら一皿で同じ位である。
どちらもおいしい。
あと漁港で見かける海老と言えば車海老とかシャコだろうか。
でもあんまり多くないし、意外と食べる機会もない。
一方海の中に目を移すと、ここでも海老はほとんど見ない。
カニはテトラポットにも海岸にも、何種類も、大小さまざまなものがいるが、
海老は滅多に見ない。たまに海中の岩の上に小さいのがいる程度である。
まったくいない、といっても嘘にはならない。
あっ、やどかりを海老の一種とみなせばいるにはいるけど。
(やどかりはどきときいる。それも最近減ったから滅多に見なくなって
しまったけど。)
今思い出せば、昔池で釣りをしていた時は海老がたくさん取れた。
体長3〜5センチのての長い、透明の小さな海老が。
もちろん食べることはなかったが、釣り餌にはなった。
(小麦粉を日本酒で溶いて団子にしたものを瓶に入れておくとたくさん捕れた。)
だから、私にとっても海老と言えば海のものではなく、淡水、池のものという
イメージがある。甘海老を除いては。
これはどういうことだろうか。
海の海老は余り浅い海にはいないのかも知れない。
カニはどちらかと言うと水陸両用と言う感じがあるが、
海老には深い海が似合うような気もする。これはテレビのせいかも知れないが、
塩分の変化しやすい陸地近くでは生活出来ないのかも知れない。
まあ、別にどうでも良いことといえばそうなのだが、
よく似ているようにも感じるカニと海老だが、
実は住む場所も、食材としてもだいぶ違うのだな、
そう思ったのであった。
敏感。
うちの子供は音に敏感である。とりわけ、うるさい車の音や鼻をすする音は
大嫌いである。
新潟の家は、まん前が道路であるため、車が多い。
いや、正確には、別に広い国道があるにもかかわらず、信号がないということで
こちらに車が流れてくるのだ。しかもみんなスピード違反で。
夏には海目当て出来た馬鹿ものどもが暴走族まがいのスピード+音で運転するから、
子供がいつも泣いてしまったのである。
最後の方にはさすがに慣れたようだが、そもそも、あれは大人が聞いても気持ち良い
音ではない。
ああいうふうに、大きな音をだして走る奴と言うのは、
発想が幼稚なのだ。
大きな音を立てればみんなが振り向くと思っている。
他の例では最近の若者に多い、奇抜な格好の輩。
確かに目だってはいる。確かに人の目はひく。
でも、それは単に珍しいから、余りに変だから一目見たいだけ。
長く見るには値しない。
こういう連中は真に人の関心を引くということがどういうことかわかっていない。
だから、幼稚だと言うのだ。
それはどうでも良いことである。
うるさい音に弱いうちの子であるが、波の音は不思議と好きなようである。
ゆるい波の音はもちろん、荒れたすごい波の音でも、それを聞いている内に
泣き止んで寝てしまう。
波の音が、おなかの中にいた時の、羊水(ようすい)の揺れる音に似ているのかも
知れない。それとも、やはり新潟の血を1/4受けているからか。
安心する音といえば、以外と電車の音やその揺れというのは、安心する
もののようである。その証拠が、電車の中では眠りやすい、というのがある。
考えてみれば、電車狭い席、けっこううるさい車内、それでいて眠れてしまう事実。
よだれを出してまで寝てしまう。
それは、決して疲れているせいだけだとは言えない。
これもたぶん、おなかの中にいた時の揺れや振動の鼓動の音に似ているのでは、
と思う、だから安心して寝てしまうのだ、無意識のうちに。
そういった安心できる音は大いに歓迎するが、
馬鹿どもの馬鹿音だけは絶対に許しがたいのであった。
もともとは、柏崎というのは独立した県だったそうだ。
新潟は、江戸の時代は「越後の国」と呼ばれていたのは有名な話である。
越後の縮緬問屋の隠居が水戸光圀公である、というのは単なるドラマ上の
設定であるが、何故だか知らないが、越後は有名である。
ちなみに富山が越中で、福井が越前である。
(この当時は京都が中心なので、全国の地名は、京都に向かって前、上で、
遠くになれば後、下となっている。)
明治新政府になると廃藩置県で新潟地方にも県が出来たが、
それは現在の新潟県とは少し違っており、新潟、柏崎、相川の三県があったそうだ。
これが明治9年に統合されて今の新潟県になった。
そう、柏崎は由緒ある場所なのである。
(ちなみに、大阪府は大阪府と堺県が合併して今の形になった。)
椎谷というところはもなかなかに由緒ある場所で、昔は小さいながらも城があった
城下町であった。今でも一応城跡と呼ばれる場所はあるが、公園以外に何もない。
昭和20年代までは椎谷は全国的に有名であったそうだ。
それは日本3大馬市の1つがここにあったからである。
(他の2つはどこにあったか知らない。)
今のお墓から海に向かっている道の突き当たり、海岸のところに馬屋が
並んでいたそうだ。
そういう事情もあって、明治天皇が椎谷に来たのである。
そうでなければ、こんな片田舎に来るわけはない。
・・・とまあ、私が知る歴史はこれ位までである。
昔、お寺さんからうちの先祖の由来も含め少し聞いたのだが、失念してしまった。
もう一度聞こうと思っている内に先日、住職が無くなったのは非常に残念である。
歴史は本でも調べられるが、過去帳の話=先祖の話はなかなかわからないから。
心からご冥福をお祈りするところである。
うちの家には、新潟の歴史に関する本があったような気もするので、
今度行った時にまた調べてみよう。
意外な事実がわかるかも知れない。
蝉のいない山。
新潟でも当然蝉はいる。
ただ、その種類は大阪とは少し違い、熊蝉がまったくいない。
いるのはアブラゼミ、にいにい蝉、ひぐらし、みんみん蝉である。
アブラゼミは一般的な蝉だからいいとして、他の蝉は大阪近郊では
少し朝夕が涼しくなった時期か、山など涼しいところにしかいない。
新潟はそもそも涼しいのでそういう蝉が8月からいるのである。
で、毎年ならかなりたくさんいるのだが、
今年はどういうわけだかほとんど蝉がいない。
抜け殻はあるのでまったくいないということではなかろうが、
実際に鳴き声もほとんど聞かないし、その姿を見ることもない。
何時ものあらたくさんいるはずの観音堂の山に上がってもそうである。
これはおかしい。
梅雨が開けないほど寒い年だからだろうか。
季節感を間違って、今だ出てきていないのか。
大阪なら、蝉が地中にいる間に地面が固められたというのもあろうが、
ここ椎谷では幸いそういうことはほとんど無い。
蝉は地中で7年間過ごすと言う。
ということは、今年の原因は7年前に遡って考える必要がある。
7年前と言えば1991年。
残念ながらその年がどうであったか覚えていないが、
あの米が不作だった年か?(あれは1993年?)
その年に何かしらがあって、蝉が繁殖出来なかったのかも知れない。
大きな台風が連続出来た年かも知れない。
ある年そういうことがあって、塩がだいぶ飛び、稲がやられ、
植物がか枯れた時があった。あの時に蝉もやられた可能性もある。
たかが蝉、と思われるかも知れないが、単に季節感がなくなるということではなく、
自然の小さな変化が時に人間に大きな影響をもたらす現象の前兆だったり
することもあるので、軽視しすぎるのも考えものである。
大したことの無いことであれば良いが。
「す」で始まる食べ物2編。
新潟では夏になると(多分地元で取れた)すいかを販売している出店が出る。
メロンも売ってたりするが、メインはすいかである。
値段は一玉1000円位。
大阪ではもっと高いかな。
さらに、トラックの荷台にいっぱいすいかを積んで売りに来るのもある。
こちらでは3玉〜2玉1000円。
もちろん2玉の方が大きいが、3玉ものでも十分大きいし、
大阪でこの値段で買うと水っぽいだけの物が多いが、
こちらではこの値段でも上質である。
甘くておいしい。
でもいつも食べ切らずに腐らせてしまうのがもったいない。
今年は食べ切ったけど(子供の離乳食になった)。
ということで、大阪ではすいかを買おうという気はしない。
・・・
駅前のとあるコーヒー屋に「炭焼きフライビスケット」というものがある。
去年位から出始めたのだが、これがおいしい。
国産の小麦と必要最小限(人工何とかがまったく入ってない)の原材料だけを使い、
炭火で焼いているそうである。
単純な味なのだが、それがかえって飽きさせない。
バスケットに入っている物が、あっという間になくなってしまう。
ちなみにこれ、この店のオリジナルではない。
作っているのは静岡県のメーカーであった。
残念ながら、入れ物を捨ててしまったのでこれ以上のことが書けない。
またわかり次第書くことにしよう。
・・・あとがき・・・
ということで、長が〜〜く続いたこのシリーズもようやく終わりである。
いろはで47ネタもあるし、1回で終わらないものもあったので
ここまで続いてしまった。何とも続いている内に年が変わってしまった位である。
(12月からスタートしたから、という説もある。)
実のところを言うと、このネタを書き始めたのは去年の8月末か9月から。
そのほとんどを10月〜11月中には書き終えていたから、
それから今まで、この蓄えでやってきたということ。
まあ、自分で貯めたものだから悪くはないけど、人生もこれ位余裕を持って
生活出来ればなぁ、などと思ってしまうのである。
もちろんこの間に他のネタも作ったので、次回からも一応大丈夫。
1995年の「いろは」ではけっこうこじつけもあったけど、
今回はこじつけは少なく何とか書けた。
ネタが少ないと言いながら多かったのか、
それともどんなところからでも文章が書ける能力が身に付いたのか。
本当は、すんなり書けたものもあれば、かなり悩んで思い付いたものもある。
ちょっと強引かな?と思う部分はたいていそうである。
サイズ的には95年のものを遥かに越えている。
まさに力作である(←自分で言うな)。
95年のものも、そのうち復刻版で出すかも知れない。
今読むと恥ずかしいところもあるけど。
さて、今年は噂の1999年。
7月には何かがあるようですし、8月にはたして新潟へ行けるかどうか。
「俺は人類が滅んでも生き続けるから大丈夫」
などとは思ってはいるけど、逆に
「人類が滅びないようなら私が滅んでしまう」
というような弱気な部分もあるのでどうなるやら。
出来れば今年も行って、また大ネタにしたいけど。
ということは、なんだな。1年の内多くのネタが新潟関係で作られる、
ということですな。これはこれですご〜いけど、読者を飽きさせるもとだったりして。
でもやめないよ(^_^;)。