「若゛もん嫌い」(1999/12/10号)
何回かここでも書いたことがあるが、私は最近の「若゛もん」(「わ゙かもん」)
が大嫌いである。

この時、この「若゛もん」と言う言葉には年齢的な意味合いは少なく、
年齢的若い連中を中心とした脳味噌が不自由な連中と理解していただきたい。
(ということは、当然、私より年上でもそういう奴はいる、ということである。
逆に、私より若くてもちゃんとしている人たちはいる。ここのところは間違えては
いけない。)

こういう連中を大量に見ることが出来る場所と時間は、
朝の沿線に高校がある線での各駅停車である。
ここでは途中から大量に「若゛もん」が乗り込んでくる。
この傍若無人ぶりは絶句もんである。

同じ高校生でも、やはり進学校はまし(全て良いとは言わない)であるが、
いわゆる「体育系だけ地元では有名校」は、もう毎日殴りたくなるほどである。

列車内での通路での座り込みや大声での会話は、回りに他の人がいることを
認識していない。自分達だけの世界だと思い込んでいやがる。

そもそも会話が幼稚だ。あえて聞いているわけではないが、
大きな声だから嫌でも聞こえる。
「ジャンプとサンデーどちらが面白いか」などと真剣に話するな。
「10のマイナス2乗が1/100になることが解らん」なんて、
中学の問題だろうが。

今の女子高校生の崩壊ぶりは世間でも話題になるが、毎日それを見るに
「こいつら、ただのおばはんやんけ」と思うことしきりである。。
言葉遣いは男子顔負けのお下劣さ、スカートはどこかのキャバレーのおねぇちゃんかと
思うような短さ、化粧で肌の荒れを隠し、挙げ句の果てに軽薄そうな大学生と
体寄せあって、座り込むのである。
若さが微塵もない。ごみか、こいつら。

この最近の「若゛もん」の肌が老人のそれのように見えるのは、
気のせいではないだろう。食べ物が悪いのだ。
肌も悪けりゃ、脳味噌も成長不足。
こんな連中、長生き出来んと思うが、されたらされたで困る。

国会の大政翼参会もどきの連中も、将来につけを残して公共投資などと
ほざいているが、いますぐ国民の食生活を改善しないと、この国に将来はないぞ。
本当の意味での足元を見んかい。
この国会に巣くう馬鹿どもについても書きたいことは山のようにあるので、
機会を改めて書こう。

    ・・・

あぁ、全く、いくらでも書けそうなのだが、これ以上書いても紙面の無駄
だから止めておこう。
今朝、―寸切れそうになったので書いてしまったのであった。
まったく、あんな連中電車に乗せんな。全員歩かせるか、専用列車作れ。
ゴミと一緒にいるようで本当に、毎日嫌である。
ぺっぺっ。
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