「Sの付くネタ」(1995/04/24執筆)
本当はである。
この手のネタはあまりしない方がいいと言われる。
しかし、書かねばならない時もある。

信じる人の心と言うものは概してかたくなで、
それを批判するものを否定しようとすることが多いからだ。
もっとも、そういうのはそれを表面しか知らないものが多くて、
その多くを知る者は、批判する者をも納得させるものを持っているものであるが。

とまあ、抽象的な話で始まってしまったが、
これから話すのは、宗教を名乗るが実は宗教とは全く無縁の例の集団の話であって、
そういう意味では宗教話ではない。

        ・・・

はっきり言うが、例のテロリスト集団がテロを画策していたのは間違いなかろう。
出てくる証拠は全てその準備と結び付く。

あのプラントが農薬開発だ?
素人なら騙せるだろうが、プロは騙せない。
効果の有る農薬と言うのはそんなに簡単に作れるものではない。
その開発コストを考えれば、どう考えても市販のものを買う方が安い。
世ほどお金を溝に捨てたいか、まったくの新薬を作って大儲けしたいならともかく、
普通ならああいったことはしない。
農薬の新しいのを作ったところで、日本では爆発的には売れまい。
片方でお金集めをしている集団が、単にお金を溝に捨てるような活動はするまい。

子供の教育。
これは非常に恐ろしい。
子供テロリストの教育だ。
真っ白な状態の子供にテロのことだけを教え込む。
命令に従うこと、他人を騙すことを教えられた子供。
おそらくは、将来のテロの時の最終兵器だったのだろう。
警戒もうも子供には甘い。
それに子供なら紛れ込みやすい。
子供に例の毒薬を持たせて町中にでも放せばどうなるか。
子供がわざわざ自分が死ぬようなことをするかって?
戦争中の「神風特攻」を思い出せばいい。
狂わされた人間は正常な判断はしない。

「私は某国の細菌兵器に冒されている」?
その某国とはどこだ、言ってみろ。
アメリカか、日本か。
そもそも細菌兵器と言うものは、瞬間大量殺戮のための兵器だ。
それがたった1人の個人を、しかも時間を掛けて死にいたらしめると思うか。
もし本当なら周りにいる人間も皆、同じ症状をするか、死ななければならない。
それがない。
こんな細菌兵器があるか。

地震兵器だ?
自身兵器の間違いではないか?
あれほどの地震をおこすならかなり大型の装置でなくてはなるまい。
そのための装置の破片でも見つかったか。
今、地震発生現場には数多くの科学者が訪れている。
しかし、そのような話は全く聞かない。

どの話1つとってもぼろがある。嘘ばかりである。
所詮嘘つきは信用出来ぬ。

そして、今度の化学技術長官の抹殺。
犯人は政治結社を名乗っているが、おそらくは違うだろう。
口封じと見るのが妥当だ。
何等かの暗示に掛けられたか、それとも高額の金銭報酬か。

あのようなマッドテロリスト集団は、全ての法律を駆使して取り締まり、
たたき潰すべきである。

よしんば、信者の中に本当の信じるものがいたとしても、
それを隠れ蓑にしている極悪人どもを一掃し、汚名を晴らさねばなるまい。
もっとも、そのようなものが、今の段階でまだいるとは思いがたいが。

        ・・・

あまつさえあの連中は「自分達は仏教を信じるものだから・・・」などと
言っている。

仏の冒涜である。

そもそもは小乗仏教の流れを汲むものであったらしいが、
現在の彼らの教えは「シバ」というものが中心にあると思われる。

「シバ」とはヒンズー経の破壊の神で、全てを破壊し、もう一度再生する神である。
この神は、宇宙を司る神ともされており、「宇宙は破壊と創世を繰り返す」
をいう教えに結び付く。
科学的に言うなら、宇宙はビックバンという時点に創世され、現在まで
膨張、成長しているが、やがて膨張は止まり、収縮し始める。
最後には点となって全てが破壊される。
そしてまたビックバンから始まる。

なぜ、彼らがこの「シバ」というものを言うか。
それは、彼らが現在の世において、神に成り代わって全てを破壊し、
新しい人間界を創世しようと思っているからだ。

思い上がりもはなはだしい。
そして、これはシバ神をも冒涜している。

仏教では「他人への奉仕」や「他人を軽ろんじないこと」は説いているが、
決して特定集団や個人への奉仕、他人を冒涜することは説いていない。
もちろん、自分勝手な考えによって他人を殺すことなどもってのほかだ。
さらに「こだわりを捨てろ」と説いているので、もちろんお金にこだわる
ようなことはない。
さらに嘘はついてはならない。

暴夢の内情は、教壇や教祖と言う特定なものに対する奉仕を強要し、
抜ける者、反対する者には容赦無い暴力を加える。
ありとあらゆる方法でお金集めを行い、
嘘をつき、他人を冒涜し、自分の正当性のみを強調する。
どこをどうとっても仏教の教えとは程遠い。
このようなものによって破壊されたものが、再び正しく創世されるものか。

結局、あいつら仏教の名を語る極悪人集団であり、
仏陀はもちろん、「シバ」、そして全ての神を冒涜しているのだ。

宗教の名を借りたテロリスト集団。
それが実体だ。
(だから、現在の警察の取り締まりは宗教弾圧ではなく、れっきとした
犯罪防止作戦である。)

        ・・・

横浜の異臭事件。
これは一体誰の仕業なのか。

愉快犯のしわざと見る向きもあるが、その割には巧妙すぎる。
愉快犯ならもっとぼろが出るはずだ。

捜査の目を分断させるための罠ではないか。
そんな気もする。

いずれにしてもきな臭い世の中である。

        ・・・

もし、今の世を見て「腐っているか」と問うならば、確かにそうだと答える。

何を持って「腐っている」と定義するかは難しいが、
「今の世の中人に真に活気があるか」、そう問うて「有る」と答えた人間は
嘘つきか、世間知らずである。

腐っているからこそ、自分の人生の満ちを容易に定められない世であるからこそ、
心が不安定になり、そこに「変なもの」が付け入るわけだ。
もしくは全く世の中や他人に無関心になり、自分勝手となるのだ。

「自由」は個人にとって大切なものであるが、
同時に、個人の自由は他人の自由を束縛することはあってはいけない。
自分の自由を主張するものの中には、他人の自由に付いて考えていないものも多い。
これは変な宗教だけでなく、「報道の自由」をたてにしている連中もその1つだ。

新興宗教の全てを否定しようとは思わないが、
新興宗教に入る連中は、おそらく新興でない旧来の宗教に付いて何も知るまい。
知っていたとしてもそれは後知恵で、旧来の宗教の悪い面だけをとりざたしている。

なぜ旧来の宗教がこんなに長い間受け継がれているのか。
それを考えれば、悪い面ばかりではないということは自ずとわかってくるはずだ。
事実、仏教にもキリスト経にも良い教えがたくさん有る。
(他の宗教は知らないので、ここでは取り上げない。)

それらを知り、実践し、なおかつそれが悪いと思うなら、それはもうしかたないが、
知りもせずに、安易に批判し、新興に流れていくのはいただけない。
そんなことでは、世の真実は何1つつかめない。

宗教とは、本来個人の自由を認め増進すると同時に、方やそれを戒め、
正義に生きること(ここでの正義とは、他人の自由を保証すること)を
勧めているものである。
それを知り、実践していくことこそが大切なのである。

それをせず、ただ己の欲望のために弱き人の心を操るものなど、
断じて許してはならない。
そして、そういうものに宗教を名乗る資格は「無い」。

たとえこの世が腐っていても、それは暴力によっては改善されない。
どのようにしたら人は人生に生きがいを見つけられるか、
それは言葉と自らの実践によって説くしかない。

答えは、実際のところきわめて簡単なことなのだと思う。
しかし、それすら見えない今の世の中、人の心。
こだわりを捨て、考えを変えるだけで見つけられるものだ。

さあ、あなたも。
        ほら、そこにある。
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