「メイル事件」(2001/05/18号)
最近気になる事件が続いたので、緊急リアルタイム書きである。

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「メイルで知り合った2人が・・・」と言う事件が最近多い。
この事件の根底にはある共通点が見られる。
それは「メイルだけで相手を信用してしまっている」という点である。

一体メイルだけでどれだけ相手のことが理解出来るだろうか。

私がオラクラを書き初めて5年経つ。
しかし、私がこのような文章を書き始めたのは実はその時が始まりではない。
その前からパソコン通信で文章を書いていた。
現在旅行記で出している文章もほとんどがその時代のものだ。
それも含めれば10年位か。

そんな私ですら、文章だけで自分の思いを全て伝えるのは非常に難しい。
人は、直接合っていれば相手の声色、顔の表情、動作など、
全てを総合して相手の真意を理解するが、文章にはほんの少しの情報しかない。

手前味噌ではあるが、私のような熟練者でもそれは難しく、
非常に長ったらしくなったり、一番伝えたいことだけを強調し、
他はあえて曖昧にするとかをする。
従って、その文章だけを見るときつく見えたりすることもある。

それでも、長年私の文章を読んでくれていれば私の基本の思想や人となりが
解ってくるだろう。
そうなると省略されたもしくは隠された意味までも理解してくれるかも知れない。
そう期待もしている。

私ですらそうなのだ。
まして昨今のメイルブームでメイルを書き始めたような人間が、
しかも携帯電話という非常に打ちにくいものを使って短い文章で、
一体何を伝えられると言うのだ。
特徴的な単語だけに過ぎないのではないか。
用件だけならそれでも伝わるかも知れないが、
どうして相手の人となりを理解出来るのだ?

短い文章は、時に伝わりやすく理解しやすいこともある。
しかし、そこに本質はなかなか出せない。
ということは、それで相手を信用することは余りに安易である。

メイルの出会い系サイトで出会った人間が安易に相手に会い、
しかも、ああいうところに行くと言うことは安易に、それなりに気を許したと
言うことである。
言っては悪いが、自業自得の面も大きい。

これに加え、最近の若い連中は対社会的適応性に欠く=幼稚な者が多く、
自分と異なる意見の者とつき合うことが出来ない。
そのため、何処かで自分と共通する意見をもっている人間を見つけると、
それだけとつき合うようになり、それだけならまだしも、
それ以外の意見に耳を傾けなくなる。

これまた出会い系サイトで同じ意見の者と出会うと、それで突っ走ってしまい
挙げ句の果てにはかなくなってしまうのである。

世の中にはもっといろんな考え方があり、いろんな苦しみがあることを知れば、
ある1つの思いで突っ走ることはなくなる。
突っ走ろうとする自分を止める自分をも内包出来るようになる。
それが強さになる。

また自分の考え付くことがいかに狭いと言うことを知れば、
他人の意見を知りたいと言うところから他人への興味が涌き、
それが適応性を作る第一歩となる。

メイルという道具は確かに便利だ。
文章というものは直接会えない人にも思いを伝えられる大きな力となる。
でも、発信者側としても受信者側としてもそれを使いこなすには、
多くの経験が必要だ。
ゆえに、人間としての経験が浅い者にこれらを、間違い無く使わせるのは困難だ。
であるならば、何等かの対策が至急に必要ではないかと思う。

それは決して該当サイトを閉鎖せよと言うことではない。
もっと人間としての基本的なことを、小さなことから教え込む必要があり、
それが終わるまでは「道具」は使わせないと言う姿勢も必要だ、と言うことだ。
道具は使い方を覚え、それを使う人となりが出来て初めて正しく使えるのだ。

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余り急に書いたので(30分!)まとまっていないかも知れないが、
伝えたいことは通じただろうか。
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