「禁句シリーズ2:なぜ人とは過去を継承するか」(1993年日付不詳)
ではなぜ人は過去を継承しようとするのだろうか。
それは過去はすでに作られた道であり、楽に通ることができるからである。

過去に作られた道は、それはそれで多くの人が通ってきた完成された道であり、
若干の古さをがまんすればすべてが用意されていて容易に進むことができる。
いわば完璧に舗装され、計画的に通された道である。

その道は過去においては現在の道であり未来への道であったかもしれないが
現在においてはただの過去の道に過ぎない。

勇気のない者、努力することを拒む者はこの楽な道を選んでしまう。
そして安易な道の中に隠された悪しき習慣までも受け継いでしまう。

それに対し、未来への道はまだ誰も通っていないか、若しくはまだそれほど
完成されていない道なので、見えない部分もあれば危険な部分もある。
だから勇気を持って進まなければならない。
それはジャングルの中の道無き道に似ているかもしれない。

その道は1歩間違えば危険な崖だが、うまく進めば誰もみたことのない
輝かしい世界を見つけられる。

現在は6:4で、いやひょっとすると5.1:4.9で辛うじて未来を創りゆく
者の方が多いので世の中は未来へと進んでいる。
しかしまだまだ過去を継承する者も多いので大きく進むことがない。
過去の者が未来へ進む者の足を引っ張っているのだ。
そしてそれこそ一歩間違えば過去に逆戻りし兼ねない状況でもある。

過去を一掃するのは容易ではない。
それは現在が過去に根差しているということもあれば、
過去を継承することはあちこちで(たとえば親子で)行なわれているのに対し、
未来を見つけるべき努力はそのための教育がないために、残念ながらほとんど
個人的素質/努力に任されており、その自らの力に気付いた者、
その前に現在の中にある過去を見抜いた者だけが支えているのだということにある。

それでも未来に向かっているのは人間が生まれながらにしては未来を思考している
からに他ならない。死によって過去を捨て、誕生によって新しい未来を創るべく
スタート地点に立つわけである。

正しく踏み出した一歩を過去という間違った方向へ導くべく過去を引き継いだ社会が
存在し、多くのものがその誘惑に負けてしまっている。
その過去の社会さえ一掃すれば人間は自然に未来へと進める。

その一掃は難しいが、まず我々が行なわなければならないことは、
自ら過去と未来を見極め未来に向かって進むとともに
これから後に続くもののために未来への道の見極め方を教えていくことである。
決して過去に惑わされてはいけない。
進むべき道は後ろにはなく前にあるのだということ。
それを教えていかなければならない。

1999年がどういう年になるかは、かの予言がどうであれ、
今の私たちの行動1つにかかっているといっていい。

未来は確実には見えねど、間違いなく自分の前にある。
それを忘れてはならない。
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