「フランス核実験に思う」(1995/07/16執筆)
先日(7/15)のNHKの特番「映像の世紀」をご覧になった方はいるだろうか。
私が以前お勧め番組として書いていたので、気にしてくれた方もいるかも知れない。
今回の題名は「世界は地獄を見た」。そう、20世紀最大の惨事と言われる
第2次世界大戦の映像だ。

その映像には思わず目を背けたくなるような場面も多く有った。
この特番では前に第1次世界大戦の映像も有ったが、
それ以上の惨劇である。

どう言ったらいいのだろうか、言葉に出来ないようなその映像は、
直視することをためらわせるが、しかしそれは決して目を逸らしてはいけないものだ。
なぜなら、それはかつて人間が起こした「現実の行為」なのだから。

人は同じ過ちを2度繰り返してはならない。
それは、同じ人がそうであることも大切だが、
世代を越えて、人種を越えて、地球上の1つの「人類」としても
また同じだ。このような世代や人種を越えて過ちを防止するために、
人間はその英知を駆使して情報=知識を継承しなければならないのだ。
そうした知識の継承によって人はその愚かな蛮行に歯止めをかけるのだ。

起こしてしまった過ちは仕方ない。それを隠さず認め、
二度と同じ過ちを繰り返さないようにしていく実際の行動こそが大切なのだ。
日本のように、過ちは認めない、過去にそれを伝えないというような
行動は許されない。自民党の老年議員のやろうとしていることは、
自分達の過去の行動を恥じるが故に隠し、
日本に再び同じ過ちをさせる危険性をはらませるようなものだ。
それの方がよほど恥ずかしいことなのに、それがわからないのか。

戦争の悲劇を「知恵」として直接知る人は、時間とともに減ってきている。
今私たちの世代は戦争の体験を知識による追体験でしか出来ない。
知恵にまで消化されていない知識というものには、一抹の不安はあるものの、
こと戦争に関しては、多くの人がいろいろな形で情報を提供している。
このNHKの番組もしかりだ。

後世のものは、そこに語られることの意味を知り、
絶対に、絶対に、同じ過ちを繰り返してはならないのだ。

    ・・・

第2次世界大戦の時、日本は核兵器の実験場にされた。
アメリカの公式見解では、あれは戦争終結のため、あれ以上の犠牲を出さずに
戦争を終えるために必要な行為であったという。
しかしそれだけではないということが現在ではわかっている。
アメリカは核実験をしたかった、それも実際に人間の住んでいる都市
に対して行いたかったのである。

アメリカに亡命していたユダヤ人のアインシュタインは、
「ドイツが核を持つ恐怖の前にアメリカに核兵器が必要だ」というアメリカ
政府の言葉を信じて核兵器を作ってしまった。
この当時、ドイツには核兵器を作る能力はなかったと言われる。
結局、これはアメリカ政府の嘘だった。

嘘に騙された、「核は持っているだけでいい。それが戦争抑止力になる」
という言葉に騙されたとはいえ、アインシュタイン、彼は日本好きであったが、
その彼の好きな日本に核兵器が落とされたことは、
彼にとって一生の心の傷となってしまった。

まあ、それは有る意味でどうでもいいことだ。
理由はどうであれ、核兵器は使用され、広島と長崎にはこの世の地獄が
作られてしまった。その様子は、私の口からあえて言う必要もなかろう。
例えば広島の原爆記念館に行ってご覧なさい。

    ・・・

あれから50年、幸いなことに、人類はそれ以来一度も核兵器を実用はしていない。
朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてキューバ危機の時もかろうじて使われずに済んだ。
実験だけはいろいろと行われてきたが。

そしてその核実験も、東西緊張が解け軍備縮小が進む今、
アメリカ・ロシアを始めとする核保有国は「しない」と言っている。
なのに、なぜ今フランスは再び核実験を再開しようとするのか。
ひょっとすると実験だからいい、人に対して行わなければいいと
思っているのだろうか。

核兵器というものは、持っているだけで罪であり、
それはもう作られたもの、過去の遺物としてしかたないとしても、
これから実験することなどは、全人類に対する挑戦であり、命の冒涜と
いわざるおえない。
絶対に許せない行為だ。

    ・・・

核というものは、たとえ使えなくても、持っているだけで戦争を防ぐ「抑止力」
があるといわれてきた。しかし、現在ではその「抑止力」そのものに意味がない。
そもそも、相手より強い力を固辞することによって相手の攻撃を思いとどまらせよう
とする方法自体が野蛮であり、そういう力による抑制は理性があるうちにだけ
有効なのであって、戦争が一旦始まれば、人間からは理性はふっとぶから、
抑止力そのものが無効になる。(一旦戦争を起こした人間は、もはや「人間」では
ない。理性の有る人間なら、あのような場面を見て正気でいられるはずはない。)
抑制出来ない力は暴走し、結局自らを滅ぼす。
従って、より強大な力による抑止というものは無意味なのだ。

人類を戦争から救う方法は力ではなく、知性によって行われるべきだ。
戦争の危機を回避する、根本的な方法は話し合いによる納得しかないのだ。
力は一時的な抑止であって、解決にはならない。

フランスの核実験の再開は、今だ核抑止力を信じるという、
いわば古い人間がフランスに多いという証拠だ。
フランスの政府の人間は現代にマッチしない「過去の遺物」に過ぎないのだ。
こういう馬鹿どもは排除しなければならない。
核の問題が仮に解決しても、別の面で同じような過ちを繰り返すだろうから。

    ・・・

今回のグリーンピースの行動は勇気の有る行動として評価している。
今まで、グリーンピースと言えばなにかと胡散臭い団体だ、と思っていたが、
今回は見直した。
そう言えば、グリーンピースの今の船の名前は「虹の戦士2」だが、この船の初代
もフランスによって破壊された。爆破され、調べてみたらフランス政府の手の者が
破壊したとわかった。この時もフランスの核実験を阻止しようとしたからだ。
この時もフランスは世界に避難された。

世界中では今、反フランス運動が起こっている。
オーストラリアはフランスの駐フランス大使を引き上げさせた。
フランスの製品は買うな等、フランスボイコットの嵐はますます広まるだろう。

フランスは、核実験と言う、誰に対しても何の利益のない行動を犯し、
それによって、国益を放棄すると言うのだろうか。
(ここで言う「国益」とは、実際の国の製品が売れるかどうかという
経済的なことの他に、世界的な評価という面もある。)
何と愚かなことか。国の利益を放棄してまでも行うべきことなのか、核実験は。
どちらが有利なことなのか、少しでも考えればわかるはずだ。

世界中が騒いでるというのに、唯一の被爆国の日本に音沙汰がないのはおかしい。
確かに最初に遺憾の意を表明したのは日本だが、
その後は何もない。

今参議院議員選挙のまっただ中だということからか。
しかし、そういうことは一時於いておいてでも、
いや、議員はどうであれ、せめて政府は大々的にフランスに対して
核実験の停止も、もっと強く言う、行動すべきではないか。
オーストラリアを見習え。

    ・・・

核兵器の数は減ってきているとはいえ、それでもまだ地球上には
地球を何回ともなく破壊するだけの量のものが残っており、
そういう意味では、人類はまだ核の恐怖の時代にいるといえるし、
人類は明日をも知れない命であるといえる。

人類を死滅させる要因は核だけではないが、少なくとも「核」が一番大きなもので
あることは間違いない。
それがわかっているならば、人類は一日も早くそれを捨て、
その危機を乗り越えなければならない。

人類が今滅んでしまうということは、それは現在人類の過ちと言うだけではなく、
今の人類社会の礎となった過去の者達への裏切りでもあり、
地球を生み出してくれた宇宙に対しての裏切り行為でもある。
今、生き抜く努力こそが、すべてに報いる道なのだ。

フランスの核実験の問題は、決して対岸の火事ではない。
日本には核兵器はないとはいえ、核は存在する。
原子力発電所だ。
世界では原発開発が中止されつつあるというのに、
日本でなぜ原発が多く作られ続けるのか。それにはいろいろと理由があるのだが、
そのあたりの話しは、また別の機会にすることとしよう。
いずれにしても、核を持つ以上、危険性はあるのだ。
そのことは覚えておかなければならない。
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