「わらべうたの秘密」(1995/04/20 執筆)
日本の童歌は、子どもの純真な心を反映したいい歌が多い。
そう思っている人が多いかもしれない。
しかし、おそらくそう思っている歌は童歌ではなく、児童唱歌である。
確かに児童唱歌の中にはいい歌が多い。そういう歌の多くは明治から
昭和の戦後までに大人によって作られたものだ。
別にそれが悪いわけではない。
いい歌が多い。子供心を持った大人、大人の知識によって子供心を
的確に表現したものであるから、いいのだ。
さて、では童歌とはどのようなものか。
その多くは明治より古く(と思う)から歌い続けてこられたものである。
が、歌詞には実に不可解というか、訳の分からないものも多い。
「かごめ かごめ 篭の中のとりは いついつであう
よあけとばんに つるとかめがすべった うしろのしょうめんだぁれ」
この歌は童歌として非常に有名で、今でも「かごめ」遊びの歌として
歌われているが、実はこれほど意味の分からない歌詞もない。
これにあえて解釈を入れてみる。
かごめとは篭の女、すなわち身売りに出された女。
それは篭の中の鳥にも似ている。
客引き=美しく歌うことが強要されている。
そのような女にも愛するものがいた。
2人は人の目を盗んで夜明け前と夜遅くに会っていた。
しかし、やがてその中が発覚し、2人は別れを強制された。
深く悲しんだ2人は、やがて身投げをしたのであった。
これは決して1例だけではない。
次にそうなるのは誰だ。
実に悲しい歌詞と読みとれる。
もっとも、これは私の解釈であり、中にはもっと明るい解釈も可能であろうが、
当時の世相から考えると、なかなかそれも難しい。
実は、明治以前、子どもというものは必ずしも幸福ではなかった。
生活環境、衛生状態、栄養状態などが悪く、生存率が低かった。
まさに明日をも知れぬ命。
さらに、働き手として小さな頃から出されることも多かった。
かの良寛さんが、子どもにとても優しかったという逸話が残っているが、
これは、当時あらゆる意味で非常に弱かった子どもに、せめて自分の出来ることで
よくしてやろうというということであったらしい。
でも、当時の親を責めてもいけない。親は親で生きていくので必死だったのだから。
世のすべてが今のように幸福ではなかったのだ。
(今は今で別の意味の不幸はあろうが、少なくとも当時のように、
ただ普通に生きるのにも困った時代とは違う。)
そのような世相の中で、子どもは子どもなりにその心を
歌につづったのである。
子どもの作った歌であるから、その表現は必ずしもはっきりしないのである。
よく読めば、その歌には何か暗さ、悲しさが感じられる。
今の世の子どもにはそれは理解できないだろう。
逆にそれを感じさせてはいけないのだ。
子どもを暖かく守り、よく育てていくこと。
そうあってほしい、それが童歌に託された、昔の子どもから
現代へのメッセージなのである。