「真実」(1995/04/20執筆)
「真実」とは誠の姿なり。
何1つ飾り無く、虚栄無しの姿。

人はしがらみとこだわりの世界であるこの世「此岸(しがん)」
(これに対する言葉が、あの世を示す「彼岸(ひがん)」である。)
ではなかなか他人のの真実の姿を見ることが出来ないし、
逆に自分も真実を見せない。見せることが難しい。

人は真実をつかれると恥ずかしいらしい。
あからさまに恥ずかしがるタイプの人もいるが、おこりだす場合もある。
相手の問題点を指摘すると怒こり出す人はまさにこのタイプだ。

そういう人は、潜在意識の中では、真実の自分の姿が恥ずかしいということを
知っている。逆に言えば、恥ずかしい人間なのだ、そういう人は。
その恥ずかしさを虚栄、偽りの威厳で隠そうとするのだ。

しかし、そういう人は気づいていない。
真実をついてくれる人がいることは、実はありがたいことだということに。
気づけない自分が哀れなのだということに。

誰もその人の真実を突いてくれなければ、その人はそのままそれが真実の自分だと
思い込んでしまう。そしてやがて、なにかのきっかけでぼろが破れた時、
自らの真実の恥ずかしさによって滅んでいくのである。

出来るだけはやく、自分の真実に気づきそれを直さなければならない。
そのためには真実の自分の姿を甘んじて受け入れる必要がある。

逆に、真実はその人に芽生えたよい芽である場合もある。
人がその芽に気づいてくれたならば、それを育ててゆかなければならない。

真実を見せても恥ずかしくない自分。
そういう自分を創ることが大切なのである。
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