「星を見ること」(1996年01月16日〜01月23日号)
どんよりとした空の多い梅雨を通り抜け、
もうすぐ夏本番がやってこようとしている。
(注;これが書かれたのは'95/7位である。)
そして、夏の夜には外に出て星空を眺めることが多い。

家の中にいると暑いので外に出ることが多いのだろう。
もっとも、最近はクーラーのおかげで家の中の方が涼しいのだろうが、
少なくとも昔の人にとっては、夏の夜には「外で涼む」ということは
「真実」であった。

だからであろうか、夏の夜の星を読んだ話や詠は多い。
冬の星空を読んだものもあるにはある。
しかし、その数は夏に比べれば圧倒的に少ない。
夏冬どっちにしても、宇宙や星に関係する話が古い言い伝えには非常に多い。
手に届くものでもないのに、なぜか。

星座
星座はギリシャだけのものではない。世界中にある。
もちろんその見え方も千差万別である。

天の川
英語では「Milky way」、女神ヘラの乳だといわれている。
この表現は言い得て妙である。
今の大阪の空ではそうは見えないが、田舎に行けば確かにそのように見える。

他にもたくさんある。
かぐや姫
15夜お月さん
七夕
「荒海や佐渡によこたふ天の川」
流れ星に願いを
などなど。

太古の昔から、人は星を眺めながら星がなぜそこにあるのかを、
星とはなんなのかをずっと考え続けてきた。
だから星にまつわる神話は、世界中に実に数多い。

だいたい、あの星とあの星を結ぶとなにの形に見えるから何座です、
といわれて、自分で結んでみてその形に見える人がどれだけいるだろうか。
少なくとも私には、ほとんどそのようには見えない。
星座というものは、よほど空をよく見ていないと思い浮かばれるものではない。

        ・・・

「地動説」と「天動説」。
考えてみればどうでもいい事だ。
地球にいる限り、太陽が地球の回りをまわろうが、太陽が地球をまわろうが
およそ問題無い。
しかし、そこには神の意志という問題もあって、大問題となった。
(キリスト教でこれが解決されたのは、実に1980年代である。)

花火だって人が天空に想いを寄せる1つの表現であろう。
それは人が自分の手で空に星を掲げようとした努力の結晶かもしれない。
やはり冬の花火より夏の方が合う。

天体のついての知識をもつことは、決して実益のない無駄なことではない。
昔なら、例えば天体の運行が季節を知る手がかりとなった。
それは収穫の時期を知らせる重要なものであった。
今でこそ、お米をはじめとする食べ物は1年中あふれかえっているが、
昔は穀物の刈り入れ時期を知ること、動物の季節ごとの移動を知ることは
自らの命に関わる重大時だったのだ。

今は季節を星の動きで知るということは余りないだろうが、
未来の人類、我々の子孫の為に星の調査が重要になっている。
宇宙ステーションや火星への移住計画などはすぐに出来るものではなく、
50年、100年後を見越して世代を越えて調査・実験を行わなければ
ならないことだ。

そうした中で、宇宙に思いを馳せること、
特に星がなんなのか、どうして出来たのか、どのように動いているのか
を知ろうと思うことは、決して不思議なことではない。

        ・・・

宇宙というものは、人間の遠い祖先である。
なぜなら、人は地球という天体の中で生まれ、
その地球は宇宙の中で生まれたからである。

もっと細かく見ると、人体を構成する原子はすべて、宇宙の中(恒星の中)で
つくられたものだ。(いまさら言うのも何だが、夜空に見える星は、
そのほとんどが私たちの太陽以外恒星=別の太陽である。)

宇宙には最初、水素しかなかった。それが恒星の中で核融合を起こし、
より原子番号が大きな原子に変化=進化してきたのだ。
水素以外の原子はすべて恒星の中で作られたのである。
核融合を起こす時に一部の質量が欠損するが、この欠損したエネルギーが
光となって見えている。
(E=mc^2というアインシュタインの式だ。ちなみに、太陽の内部で起こった
核融合の質量欠損によるエネルギーが太陽中心から表面に移り、光となって
現れるまでには何百万年もかかるといわれている。
即ち、今私たちが見ている光の素が太陽の中で出来た時、人類はまだ
地球上に存在していなかったのだ。何というスケールの大きさだ。)

そう、人間は宇宙で創られたものを原料に出来ているのだ。
ということは、宇宙を知るということは、とりもなおさず自分自身を知るという
ことなのだ。それは自らを産んだものを知るための旅といってもいい。

        ・・・

さらに、宇宙を知ろうという心が、今の「文明」の基礎を作り出している。

木星とその回りの4つの衛星(ガリレオ衛星)の運動から
「太陽のように大きなものが、地球のように小さなものの回りをまわるはずがない」
と思い、「地動説」を説いたガリレオ。

チコブラーエの観測結果を元に、火星の運行を見極め、
さらにそこから一般的な惑星の運行を法則化したケプラー。
そこには宗教のしがらみ、神の作りたもうたはずの宇宙という姿=幻影を
捨てる勇気が必要であった。

「火星には運河がある」という発表が火星への探究心を煽り、
少年を「火星に行きたい」と思わせた。
その心がなければロケットは生まれなかった。
ロバート・ゴダードである。
(ここには、HGウエルズの火星に関する小説や、花火も大きな影響を与えている。)

今でも私たちは、月へロケットを飛ばす時、ケプラーの法則と、
ゴダードの創った推進・安定装置のついたロケットを使うのである。
(このあたりの話は、「COSMOS」カール・セーガン、朝日新聞社を読むとよい。)

今の人の宇宙への関心は、もはや夢のだけではなく、現実のものとなっている。
人工衛星は、それこそ星の数ほど地球をまわり、人の生活に役に立っている。
衛星放送だけではない。天気予報も、電話も、みんな衛星を(も)使っているのだ。
現代人は、自ら創った星を使わずに生きることはかなわない状態である。

        ・・・

人類はいまや月に到達し、太陽系のほとんどの惑星を探査し、
さらに火星にまで足を付けようとしている。
ロバード・ゴダード少年の夢は、後少しで現実のものとなろう。

宇宙への旅は、決して1世代で実現出来るものではなく、
多くの世代の努力の積み重ねによって可能になるのだ。
それは人の寿命が宇宙の寿命や広さ(深さ)に対してあまりにちっぽけであるから故の
悲しさではあるが、もし先人達の夢を実現出来る世代に居合わせることが出来たなら、
それは非常な好運であり、先人達に感謝するべきである。

アポロ計画では、それこそ「天文学的」なお金が使われたのではないか、
と思う人がいるかもしれない。しかし、アポロ計画の全費用は、
地球上の全ての人々がわずか1セント払っただけに過ぎない。
宇宙への投資というものは、意外に少ないものなのだ。
そして、そこから得られる科学的知識・経験は、それ以上の価値がある。

これからも宇宙への投資は無駄ではない。
地球上の人工が増加一方の現代、やがて人類は宇宙に住みかを求める時が来よう。
宇宙ステーションの実験はすでに始まっている。

大規模な宇宙コロニーでも作る時には、もはや地球上からの資源の供出だけでは
足りないし、それでは追い付かないだろう。
そこで使われるの月にある金属資源だ。
そういうものがあるのがわかったのも、アポロ計画のおかげだ。

その他、宇宙は私たちに希望や警告を与えてくれる。
それは地球、人対の未来への道標となる。

金星の分厚い大気の下の灼熱地獄(家庭用オーブンの中ほどの温度、450度
ほどである)は、大気中の二酸化炭素による温室効果の恐ろしさを教えてくれる。
火星の極には水が氷の状態で眠っているらしい。火星に温室効果を作り出して
大気温を上げ、氷を解かせば植物を育てられるかも知れないと思える。
(現在の火星の大気の主成分は二酸化炭素である。)
そうすれば、酸素が大気中にあふれ、人が住めるようになるかも知れない。

そう、宇宙を知るということは、すべてを知ることに通じるのである。

        ・・・

「知ろう」という探究心。
それをかなえようとする熱意。
それが、1世代ではなく、多世代にわたって結び付けられた結果が、現代である。
現代の成功は、先人たちの努力によっているのだ。
だから、我々は先人の努力に感謝し、同時に未来の子孫のために
その努力の糸をつなげなければならない。

宇宙への関心をもつことは、祖先を知るという、過去の探求の旅であり、
それと同時に将来の姿を求める未来への旅でもある。
そして、それは今に始まったことではなく、人類が人としての
記録をもし始めて以来ずっと続いている、人類永世に渡る
壮大なプロジェクトなのだ。

さあ、星空を眺めて見てごらん。
そこに、あなたの未来が見えるかもしれない。
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