和歌山レポート(2002/12/16〜12/30号)
これは、かなり昔のいつかの季節に日帰りで和歌山に行った時の旅行記である。

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いた旅行記を再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

    ・・・

    「和歌山市」レポート

今冬も暖冬なのだ。
そのため近畿圏のスキー場は軒並み「×」なのだ。
(人工スキー場は却下。)
ああ、スキーに行けない。

というわけで、スキーを計画していた我々一行は急遽予定を変更、
ドライブに行くことにした。
目的地は・・・取り合えず和歌山方面である。

今日は1/4。一応月曜日なので今日から仕事という人もいるらしい。
今日誘った友人の1人もそうであったが、
全体的にはまだ仕事が始まっていない人の方が多いらしく、
それほど車は多くない。

近畿自動車道吹田ICから入り、まずは堺JCTへ、
そこから堺泉北有料道路に入って下に降りる。
しばらく一般道を走り、岸和田泉から今度は阪和自動車道に入る。
途中紀ノ川SAで昼食をとり、和歌山ICで和歌山市内に入った。

今回は全く予定を立てずにここまで来た。
だからどこに行くという当てはないのだが、
取りあえず「城」が思い付いたので「和歌山城」へ行くことにした。
和歌山城はICからはそう遠くない。

和歌山城は1585年豊臣秀吉が本丸、二の丸を築造させたことに始まる城である。
紀州はその後徳川の世になってからは紀州徳川氏として、徳川幕府3親藩の
1つであった。(もう1つは言うまでもなく水戸藩である。)

現在の和歌山城は昭和33年に再建されたものである。
この城もまたあの忌まわしき戦争によってその姿を失ってしまった
城の1つである。

ここは幸いにして再建されたが、全国には再建されない城も多いと聞く。
人の命と共に、多くの文化遺産=人の営なみの歴史をも踏みにじってしまう戦争。
こういう所に来るとそれに対する反対の気持ちを再確認できる。

和歌山城は小高い岡の上にある。
駐車場からの石段をくねくねと登るとそこに城がある。
(入場料は¥300)

今は御正月なので門には大きなしめ飾りが、
城の入口にはこれも大きな鏡餅が飾ってあった。
大きな葵の御紋の前に。

城の中は色々な品の展示がなされている。
古文書や鎧兜、刀、調度品、古い瓦など城にかかわるもの他に
当時の庶民の生活を垣間見るものもある。
徳川ゆかりの城にしてはその数が少ないような気もするが
これも戦争のせいだろう。

最上階は展望台になっている。
この辺りは平野なので、それほど高くない岡の上にある城とはいえ、
ここから周りが一望できる。
紀の川の河口も見えるし、遠くには高野山を拝むこともできる。

ここで風景をバックに記念撮影をした我々は、
次はどこへ行こうかと思案しつつ階段を降りて行った。
高野山へ行こうか、それとも・・・。

    ・・・

今回の参加メンバーは4人。
そのうち3人までは明日(5日)も休みであるが、
1名だけ明日から仕事で、そのため今日はできるだけ早く帰りたいという。
さんざん説得したが、どうしてもだめということで高野山行きはなしとなった。

高野山は我が真言宗の総本山である。
(正確にはうちは新義真言宗であるところの豊山派。この総本山は奈良の長谷寺。
高野山は古義真言宗の総本山。)
そのため一度は訪れたい土地である。
まあ、次回にチャレンジということにしておこう。

ということで次の目的地は近くの「紀三井寺」に行くことになった。

紀三井寺へは国体道路というものを走って行く必要がある。
ところが、この道路がどういうわけか非常に混んでいる。
市内に入る方ならともかく、逆の方がである。
直接の原因は不明であるが、

    ダイエーがある
    アイススケート場など娯楽施設がある

ということが一因であることは間違いないようだ。
しかしそれぐらいであんなに混まれては困る。
ほんとにひどい混み様。

まあ、とにかく紀三井寺に着いた。

さて、この紀三井寺、いったいどこの町に入ると思われるだろうか。
そこの着くまでの間、我々の間でもそれが話題になっていた。
「紀三井寺市」「紀三井寺町」などともっともらしく色々言っていたのだが、
結局は「和歌山市紀三井寺」という地名であった。
「紀三井寺」という地名はなんとなく有名だから勘違いしていたのね。

紀三井寺は救世観音宗の総本山で西国第2番札所でもある。
この救世観音宗というのについてはよく知らないのであるが、
御本尊は千手十一面観音菩薩だそうである。

開かれたのは遠く西暦770年のことで、かなり歴史のある御寺である。
それだけに色々なエピソードが残っている。

紀の国屋文左衛門の話や、松下幸之助が寄贈した講堂があったり、
日本100名水の1つがあったり、その桜は日本桜名所100選の1つ
であったりする。また、次のような有名な短歌もある。

    ふるさとを はるばるここに きみいでら
      はなのみやこも ちかくなるらん

これは第65代花山天皇の歌であるそうだ。

まあ、お寺ゆかりの話はともかく、ここには231段もの、しかも
急な石段があり、その上に本堂がある。

この石段の両側にもたくさんの小さな御堂がある。
(名水もここにある。)
1つ1つにお参りしながらゆっくり登ればそれだけで30分はかかると思われる。

お寺に通じる階段には段数等になにかしらの意味が込められている場合が多い。
例えば奈良長谷寺の段数は399段。これに御堂に入る時の3段を加えると
402段となる。これは「死を超えて仏門に入る」という意味があるそうだ。

ここの紀三井寺では段数にはそういったことはないようだが、
この急な階段というものには何かしら意味があると思った。

    「苦しみを超えて仏の前に行く」

ということ。
苦労して登るからこそ、そこにある仏の姿により一層感慨を受けるのだろう。

本堂の周りもいくつかの御堂や観音様が祭られている。
集合寺のような感じがある。
多宝塔もある(2重の塔)。

今年1年また有意義な年であることを祈り、
記念に達磨さんを購入して帰路へ着く。

今年もまた全国色々と旅出来ますように。

    ・・・

「旅」
そう、私はいつもそれを続ける。
私は「どこ」へ行くべきなのか、それを探すために。

    ・・・

帰りの道路はこれまた混んでいた。
いったいこの国体道路はどうなっているのだ?

途中で一休みするためにレストランに入る。
みんながコーヒーやオレンジジュース゛を頼む中、
「遠慮したら損」とばかりにチョコレートサンデーを頼んだ私であった。

が、これまたとてもくどい味付けで胃がもたれてしまったのであった。
失敗。

なんとか高速道路までたどり着いて一路箕面へ。

早く帰りたいという1人を送り、3人は箕面高原ボーリング場に行った。

正月ということもあってそれなりに混んではいたが、
30分もしない内にプレーできた。
それにしても人がゲームしてる時に呼び出すんだもんな〜。
あせってやられちゃったじゃないか。

最初はレーンの性格もわからなかったし、
体も少し疲れていたようで、
自分にとっては悪くはないがよくもないスコアであった。
(最初2ゲームは100まで行かなかった。)

で、迎えた3ゲーム目。
毎回9本倒すといういいペースなのだが、
やっぱりスペアかストライクをとらないとスコアは上がらない。
7フレーム終了時点で1番の友人はすでに100を超えているのに
私は80台。これは逆転は不可能か。

しかし、ここから奇跡は起った。
まず8フレームストライク。
続いて9フレームも。
そして迎えた最終フレーム。
緊張の中の投球。

    でやー!!
        がらがら
            やったー!ストライクだー!!

なんと、3連続ストライク、ターキーで一気に130まで行き
大逆転したのでした。
お〜ほっほっほっほっほ。

さすがに4連続はできなかったけど、まさかの大逆転ができたんだもん、
文句は言うまい。

最後の方でやっとどうやればいいのか判ったんだよね。
それをやったらみごとに3連続になったというわけ。
今度は最初からそれで行ってもっと連続を狙うぞ!

ということで、長い1日は終わったのでしたとさ。
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