「東北旅行である」(1995/5/23、5/28執筆)
というわけで、ゴールデンウイークもあっという間に終わってしまったわけである。
その間私が何をしていたかと言うと、東北旅行パート2に行ってたのである。
パート2ということはパート1があるわけで、
パート1は、5年ほど前に行ったのであった。
その時は海岸沿いを、

        松島−仙台−塩釜半島−八幡平−十和田湖−八甲田山−青森
                −函館−弘前−秋田−男鹿−八郎潟−新潟

と廻ったのであった。(一部同不順だと思う。)
で、今回は内陸を走ることにして、

        蔵王−山寺−平泉(4ヶ所)−花巻−田沢湖−八幡平−会津若松−新潟

と走ったわけである。
前は5泊7日、今回は1日短くして4泊6日(どちらも車中泊1)。
1日違いの割には廻る場所がだいぶ少ないではないか?といわれるかもしれない。
決して年のせいではない。1ヶ所でゆっくり見るようにしただけだ。
なにせ、前回の場合は1ヶ所1時間以内がほとんどだった。
ほとんど駆け足である。なにせ走行距離だけで軽く2500キロである。
今回は歩くところを多くして、その代わり場所を減らしたのである。
走行距離は相変わらずなのではあるが。

ということで、東北旅行記である。
とはいっても余りくわしくは書かない。
くわしくはこれを読んだ本人の目で確かめて欲しいからである。
(と言い訳にしておこう。)

        ・・・
 走り始めたのは28日の夜。
徹夜運転で東京は首都高速を越え東北道に入る予定である。
首都付近は何かときな臭いから、ではない。
首都高速は混むからである。
事実、私たちが首都高速に入った29日朝5時過ぎにはもう車が多かった。
幸い渋滞はなかったが。
走行中、気になったのは近くの車のナンバーである。
「山梨」ナンバーには特に気を使ったのであった。
ところが、今回の東北旅行中には山梨ナンバーは1台しか見なかった。
やはり出控えているのであろうか、その地方の車の人は。

東北自動車道に入るころには車の数はだいぶ増えていた。
この混雑は宇都宮まで。日光へ行く車だろうか。
後にして思えば、最初の土日で1泊までの旅行者が多かったようだ。
その後の観光地では余り多くの観光者を見なかったから。
私たちは運よく、混雑の前々に各地を巡ったようだ。
もっとも、その分見られなかったこともいくつかあったが。
(明日から展示などということもあった。)
(次の混雑のピークは2日の夜から3日にかけてであった。)

山形は蔵王を最初の目的地とする。
蔵王は聞こえたスキーのメッカである。
しかし、それ以外にも見るべき場所は多い。
3階の滝(3段続きの滝:落差はかなり有りそう)や不動の滝もきれいだ。
山頂近くでは流石に雪が残っている。
(私たちが走ったのは開通した翌日。しかもまだ午後5時以降は通行止め。)
今の季節でもスキーは出来るらしいが、流石に雪質は良くない。よほど好きな人だけということだ。
山頂付近では一面の雪原。
雪の少ない大阪の人間にとってはこれだけでも十分感動する。
雪と同時に雲も出てきた。
この雲のお蔭で、下界はおろか、蔵王の案内でよく写真に出る
「お釜」(火口が湖になっている)も見ることが出来なかった。
一番上にある刈田嶺神社の付近は雪解けで地面がやわらかい。
十分注意が必要だ。
雲と雪の中、近くまで降りていって撮影している勇敢な人の姿は見えたが。
そう言えば、地図には有料と書いてあった山梨市内へ降りる道が無料であった。
今の時期だけ無料なのか、それとも無料になったのか。
(ただし、山頂の「お釜」の近くへ行く蔵王ハイラインは有料。)

次の目的地は山寺。
この山寺、地名にもなっているが、そもそもはお寺の名前である。
いや、お寺の名前としても正確ではない。
山にお寺がある、ずばり、その有り様から来たものだ。
寺の名前は別にちゃんと有る。
ここはとても有名なところである。
えっ、「山寺の 和尚さんは 鞠はつきたし鞠はなし ・・・」で有名だって?
この歌の寺がこの山寺であるかどうかはわからないが、
ここが有名なのは、芭蕉が「閑けさや 岩にしみ入る 蝉の声」
を詠んだ寺だからである。
山寺の奥の院は階段1000段以上の上にある。
しかし、実際に登ってみると、案外楽にそこまで行くことが出来る。
ここは奥の院からの景色もいいが、途中にある「開山堂」からの景色も格別だ。

ここでのお土産の買い方。
まずは山寺に登る。
山寺は5時までしか入れない。実際には4時半位までか。
で、4時ごろに入る。
そうすると、駐車場も時間がないということでまけてくれる(ところもある)。
「2時間はかかります」といわれるが、若い者なら1時間で十分行ける。
ここから一気に登って、また降りてくる。
そして、5時間際にお土産屋に入る。
この時、先に名物「玉こんにゃく」を食べてはいけない。
先にお土産を買う。
すると、時間も時間だからということで、玉こんにゃくもおまけに付けてくれる
(ところもある)。
私は、先に玉こんにゃくを食べて、その後お土産を買ったら、また玉こんにゃくを
もらってしまった。いくらカロリー0のこんにゃくとは言え、
夕食前の6個(1くし3個)は重たかった。
この玉こんにゃく、くれぐれもからしを付けすぎないように。
わたしゃ、適当に付けたら泣いてしまった。

(芭蕉と曽良の銅像の前で写真を取ったとか、山傘を買ったとかいうのは
秘密である。)

1日目の宿は山寺の麓すぐ、山寺駅の真前にあるその名も「山寺ホテル」。
実際山寺が良く見える。
ホテルというが、旅館と思えばよい。
かなり由緒はありそうだ。

ああ、温泉が良い。
食事が良いぞ。
日頃粗食にあえいでいる私にとっては夢のようだ。
張り込んだかいはある。

        ・・・

翌日、出発時は雨。
朝は7時の山寺の鐘の音で目を覚ます。
このあたりのお土産としては、
        1、おふ
        2、紅花を使った物
        3、その他(諸越、やまくらげなど)
だろうか。寺の里ということで、精進料理に使うおふが一番多かったようだ。
私はやまくらげが好きなので買ってしまったが。

山道(でも一応国道)を通り東北道まで向かう。
山形道から東北道に乗ってもいいのだが、
聞くところによると、一般道で仙台方面に向かい、直接東北道に入っても
そんなに時間はかわらないと言う。
事実、山道でもそんなに時間は違わないと思われた。
その上、景色が言いので、この山越えのコースがよいであろう。
(国道49号線だったか?)
途中、天童と言う将棋の駒で有名なところを通るのだが、
時間がなくてパス。
特大王将駒が土産屋に置いてあるのが見えたのだが・・・
途中にはニッカの工場もあり、見学自由らしい。
さらに試飲も出来るとか。
私たちは急いでいたし、それよりも2人とも余り飲まないのでパスした。

平泉地区の最初の目的地は厳美渓(げんびけい)。
2キロ位に渡っての奇岩の渓谷である。
その始点近くに無料駐車場があるのでここに止めていくとよい。
ここを始め、東北の観光地はけっこう(公営)無料駐車場が多いので
これを利用するとよい。
橋が何か所か有るのでそこから写真を取る。
揺れるつり橋がGoodである。
ここは奇岩の渓谷としてはけっこうこじんまりとしている。
そういう意味ではちょっと面白みに欠けるが、
もう少し早い時期、そう、4月は中ごろに行けば周りにたくさんの桜があるので
とてもきれいであろう。
残念ながらゴールデンウイークごろには全て散っているが。

次に行ったのは達谷の窟(たっこくのいわや)。
厳美渓からすぐの場所にある。
(注:すぐと言っても、大阪のそれとはスケールが違うことに注意。
およそ10倍するとよい。)
ここは初代征夷大将軍「坂上田村磨」(さかのうえのたむらまろ)
の建てたお寺で、また、その人を祭っている。
窟という名の通り、建物が岸壁に半分埋まっているというか、
屋根半分が岩であるといった方がいいか、そういう建物である。
こういう建物は実はここだけではないが(四国の88ヶ所霊場の1つ
岩屋寺も同じようなお堂がある)、このように大きなものは珍しいだろう。
横には岩肌に彫られた顔面大仏と呼ばれる巨大な磨崖仏もある。
もともとは全身がちゃんと有ったそうだが、明治時代の地震で顔面部分を残し
崩れてしまったらしい。全身が揃っていればさぞかし巨大であったろうと思われる。
その他、いくつかの建物があり、それぞれに由緒深い。

次は毛越寺(もうつうじ)。
ここはもともとは、俗に言う「奥州藤原3代」の建てたお寺の跡である。
(正確に言えばちょっと違う。)
一昨年のNHKの大河ドラマ「炎立つ」の舞台になったので、
覚えている人もいよう。(私は全く知らなかった。)
そしてここは、芭蕉が「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」と詠んだ場所でもある。
かつては盛大であった庭園も、芭蕉の訪れたころには荒れ果て、
かつての栄華をしのぶものはなかったということである。
今はいくつかが発掘され、きれいに整備され、当時の面影のほんの少しを
かいまみることが出来る。
実はここの毛越寺はYHを兼ねている。
ということは、YHに泊まれば拝観料は無料だったのではないか(未確認)。
今日はなぜだか休館してるし、私はYH好きなのでいいのだが、
友人が嫌がったので今回はパスである。

        ・・・

中尊寺。
毛越寺から歩いてくることも出来る。(1〜2キロ位か。)
月見坂と呼ばれる急な坂を登ると上に中尊寺(本堂)がある。
実は、ここは多くの神社仏閣からなるお寺である。
金色堂はその1つなのである。
ここは金色堂以外は、資料館も含め無料である。
が、ぜひとも金色堂は見た方がよい。

金色堂はその保護のため覆堂(さやどう)に覆われていて、
外部からその姿を見ることは出来ない。その全体は金色に施され、
その美しい様は、まさに現世に極楽浄土を表現しようとしたという
思いを感じとることが出来る。
マルコ・ポーロが「東方見聞録」で「黄金の国ジパング」といったのは、
この平泉の金のことだったという話しがあるくらいである。
実は、覆堂の中に入っても細かいところは見えにくいのだが、
近くにある資料館で「金色堂」のビデオ(NHK制作:20分)を見ると
よりよくわかる。解説付きだし、ハイビジョン映像で、しかも無料なので
ぜひ行かれるように。
そう言えば、金色堂は国宝第1号らしい。知らなかった。

この覆堂、金色堂を外から見られなくするためのものではない。
この姿を長く後世に残すため、風雪から守るためである。
事実、これは近年に作られた物ではなく、
金色堂が出来てから50年後位よりあるものらしい。
もちろん、何度も建て替えられてはいるが。

この日はこの後花巻まで走り、花巻近くの台(だい)温泉に泊まった。
このあたりは花巻温泉に近いにもかかわらずすいている。
いや、単に私たちの泊まった日だけかもしれないが。
今日の泊まり客は私たちだけらしい。
私は思わず温泉攻撃と、その後の電動マッサージャー攻撃で
ふにゃふにゃになってしまったのであった。
食事も良かったぞと。
そう言えば、花巻付近はこの時(5/1)で桜が満開であった。
ここまでの道中では、山桜やさくらんぼの桜以外は散っていたことを思うと、
北に行くほど気温が低いということが目にわかる。

        ・・・

今日は晴。

まずは花巻といえば有名な宮沢賢治の記念館に行く。
そう思って走っているうちに道を間違えて、
記念碑の有るところに着いた。
ところがこれが良かった。
実に良いところである。
横の林の中にはキジやリスがいた。
(こういうものを見つけるのは得意。)
もちろん自然のままのである。
ここは人も余り来ないようだが、
ここに来ると、賢治がなぜ、「イーハトーブ」(=岩手)を愛したのかがよくわかる。
賢治の心根を知るためにはぜひ訪れるべきである。

賢治記念館は低い山の頂上にある。
その偉大さ、作品の幅広さと、それが科学に裏付けられているという
事実は一種の感動を覚える。
ただの科学者でなく、ただの作家でなく、
学者にありがちなえらぶったこともなく、
西洋かぶれでもなく、
純に日本人であり、農民と共に生きた土地の人であり、
科学を作品や自ら作った組織を通じて実際に役立てようとした人であった。
そしてその心はまさに仏教であった。
実にすばらしい。
そこらじゅうにいる「お偉い学者さん達」に見せてやりたい。
そして、科学の本来はたすべき役割を再認識してもらいたい。
余り時間がなくてゆっくり見ることが出来なかったのが実に残念である。
ぜひとももう一度来たい。

今日は廻るべきところが多く、またその間の距離が遠い。
ここからはもうすっとばしである。
一般道で盛岡へ。
このあたりは一般道といえども広くまっすぐが多く、
信号も少ないので走りやすい。
だから高速に乗らずにそのまま走ってしまった。
一般道なら気ままにそこらへんでとめて景色に興じることも出来る。
事実、雪をたたえた岩手山は美しい。
今日は1日中高速道路は走らない。

予定していた小岩井牧場はパス。
小岩井牧場は新しい観光目的の牧場だと思ったらさにあらず。
賢治の時代から有る由緒正しき牧場であった。
これは勉強不足であった。
もっとも、最近は観光地化されているようではあるが。

        ・・・

ということで田沢湖。
きれいな湖である。
道路からすぐのところの浜辺は白浜といい、その名の通り
真っ白な砂浜である。まるでどこかの海岸のように見える。
きれいなのだが、湖らしくないともいえる。

本当なら自転車で1周すると良いのだが、(1時間位かかるらしい。20キロ位。)
時間がないので車でまわる。
(この周回道路も有料だと思っていたのだが無料だった。はて?)

途中の見るべき場所は2ヶ所。
1ヶ所は辰子の姫の像があるところ。
昔、辰子という絶世の美女がいて、その姿を永遠に保ちたいと願ったところ、
北の峰の沢の水を飲めばよいと言われた。辰子がその水を飲むと、
辰子の姿は龍に変わり、雷がなり、豪雨が川をせき止めそれで田沢湖が出来た。
辰子は田沢湖に住み湖の主となったという、伝説がある。
この伝説に基づいて作られたのがこの像である。

もう1ヶ所、御座の石神社(ござのいしじんじゃ)がある。
ここは辰子の姫を祭る神社でもある。
道路をはさんで湖の岸辺の岩の上に大きな鳥居がある。
このあたりから湖を見ると、湖の水が本当に青色であることがよくわかる。
澄んでいると言うのではなく、青い。

この他、駒が岳(信州のそれと同名だが違う)をバックの景色も
格別である。ただ、それをきれいに写すにはいいポイントを見つけ、
手際よく写す必要がある。
良く見える場所はたいてい狭く、車も停めにくいからである。

田沢湖を後にして、山道を一路八幡平へと向かう。
山道ではあるが、思ったより走りやすい。
(とは言え、それはそれなりにワインディングである。)
途中、みずばしょうの群生地が数ヶ所有る。
急いでいたのと、道路が狭く、車を止めると危険だったので
やむなく飛ばしたが、なかなかにきれいであった。
みずばしょうといえば尾瀬が有名であるが、このあたりも穴場であろう。

        ・・・

この道は山を越えるため、次第に高度を上げる。
そうすると、雪がだいぶ残っている。
雪解け水が勢いよく吹き出している。
このあたりの山は火山で、温泉も多い。
窓を開けて走っていると、硫黄と言うか硫化水素の匂いがしてくる。
遠くの岩肌が湯の花(硫黄の結晶)黄色くなっているのも見える。
そのあたりはおそらく露天風呂であろう。
時間があれば入りたかった。

この山道は途中から八幡平アスピーテラインという道路につながる。
ここは有料と聞いていたが、無料で通れた。
開通したのは数週間前と聞いたが、まだ雪が多く残る。
蔵王のそれより遥かに多いであろう。
ただ、蔵王と比べ直ぐ崖になるので、下界は良く見えたが、
雪原という感じはしない。
それにしても気温がだいぶ下がっている。
おそらくは氷点近くであろう。

この道路沿いにも多くの温泉場がある。
硫黄の匂いがずっと続く。

八幡平頂上もこの道の途中である。
正確に言えば、頂上の遊歩道への道の起点が途中にある。
ただ、よそ見をしてしまうとすぐに過ぎてしまう。
そこには大きな看板もなく、建物が1つしかないからだ。
(事実、行きすぎてしまい、7キロも戻る羽目になった。)

残念ながら、この時は雪が多くて遊歩道を歩くことが出来なかった。
雪はまだ2〜3メートル残っている。
アイゼンと登山靴でもあればいいが、普通の格好では無理だ。
雪の解けるのは6月ころとか。
一度そのころに来てみたい。

アスピーテラインを走り抜けて八幡平温泉郷へ。
ここでは前回も泊まった民宿へ泊まる。
なにも言わなかったのに、「あれ、以前泊まったことないかい?」
といわれた時には驚いた。
それほど私たちの風貌が変わっていないということか。
(以前に泊まった時に写した写真を持ってくれば良かった。)
しかし、ここの周りも余り変わっていない。
実にのんびりしていていい。
この辺りでは桜はまだつぼみも少しと言う具合である。
流石に東北の山の中である。

        ・・・

翌日は雨。
まあ、今日のほとんどは移動だからいいといえばいいが。
まずは東北道で一気に郡山まで下る。
岩手県内はまだ雨も小降りで景色も見える。
雪の残る岩手山がよく見える。

実に300キロ以上である。
慣れていない道での、しかも雨天運転。
スピードが出せず時間がかかる。

このあたりのパーキングでは、みやげ物売場で結構試食がある。
今回の旅行ではこの「試食」を大いに利用した。
試食のあるものはほとんど食べたのではないだろうか。
名物がただで食べられる。
自分自身には、これ以上いいおみやげはない。
(でも、買ったのは、ほんの1つか2つだけ。^^;)

途中、どこか(名前を忘れた)のパーキングで昼食を食べる。
実はここのパーキング、焼き立てのパンがあるということだが、
さすがに昼食がパンだともたないと思うので、
レストランへ入る。
(パンは結局買わず。)

実はその前の福島西から会津磐梯山を抜けていくつもりであったが、
あいにくの雲のため諦めた。
郡山から磐越道にのり会津若松へ。

会津若松といえば白虎隊。
明治維新の時の悲話である。
自刃は飯盛山であるが、今回は時間の関係で鶴ケ城のみを見学する。
鶴ヶ城も御多分に洩れず再建城であるが、
その中は資料館になっている。
白虎隊の話が中心かと思えば、さにあらず。
一般的な、時代資料館である。
そうそう、ここの駐車場はただ。

ここで東北唯一のアプローズを見た!というのは事実である。
ああ、わかる人にはわかるんだなあ、良い車というものが。
週末はお近くのダイハツへ。(って、ここで宣伝してどうする。)
でも、このアプロースは東北地方のナンバーではなかったが。

会津市内、特に城の近くの道路は狭く、入り組んでいる。
城下町当時の狭い道路をそのまま継承しているようだ。
来るまで走るには走りにくい。
(お城にある駐車場に入る道を間違ったし。)
その割には、狭い道路でも適当に目星を付け真っ直ぐに走っていけば
幹線道路に出られる。そのあたりはさすがか。

会津から新潟へ。
本当は喜多方へ寄ってラーメンを食べたかったが、
時間がなくなってしまった。
これも次回にチャレンジである。

        ・・・

まだ磐越道は全通していないため、一般道(49号線)で新潟へ向かう。
長い道のり。
新潟への行程のちょうどどまんなか、車峠を越えた付近に警察がある。
スピードの出しすぎに注意。
(しかし、警察の車が一番飛ばしてた、という事実も有ったりするが。)

途中からは阿賀野川の沿線になる。
阿賀野川と言えば、河口付近は新潟水俣病で悪名高いが、
山の中は緑深く、実に良いところである。
川下りもある。

途中、先の新潟の地震で被害の有った三上村(みなかみむら)を通る。
確かに崖崩れが有ったようだ。
今でも交互通行になっている。

そういえば、新潟県下の道路はけっこう良いところが多い。
こんな山の中の道路が・・・と思うようなきれいさと広さだ。
やはり、これも角栄効果か。

安田というところから再び高速に乗って、新潟市内から一気に西山町へ。
ここは言わずと知れた「田中角栄のお膝もと」である。
そして、私の田舎でもある。
今日の宿は私の田舎の家なのである。

まあ、そういったことはこの際どうでもよくて、
とにかく、おなかもすいたので(もう8時過ぎ)、
直ぐに駅前の居酒屋へ直行したのであった。

ここの居酒屋「あかちょうちん」は、さすが漁港近くと言うことで、
鮮度が良い海の幸が安い。このレベルのものを大阪で食べようとしたら、
だいぶ張り込まなくてはならんだろう。
しかし、GW後半の連休前ということか、学生がやたらと多い。
しかもやかましい。
今の学生はこんなもんか?
とてもつきあいきれん。

今日は疲れているせいか、あまり食が進まない。
さらに、(結局)最後に頼んだジャガバタが思いの外多かった。
(あの値段で3つ入っていようとは。)
ということで、志半ば(?)にして帰る。

駅前から家までは15キロ。
もう終バスも終わっている。(7時だもん、終バスは。)
ということは、呑んだ後どうやって帰るのだ?
・・・それは秘密です(^^;)。

        ・・・

朝一に、寺泊という漁港に行って「北雪」というお酒を買う。
これは知る人ぞ知る佐渡の銘酒、超辛口のお酒である。
新潟の酒と言えば「越の寒梅」が有名であるが、
飲んだ人によると、これは大したこと無いらしい。
あまりに普通の酒で拍子抜けする位だとか。
名前ばかり先行してしまった悲しい酒である。
その点、北雪は手に入れることも出来るし
(ただし、新潟県内でも売られているところは限られている)、
比較的安いし、おいしいというので、
私がここに行くとわかると、毎回指名する人がいる。
誰であるかはわかる人にはわかろう。

あとは大阪へ帰るだけ。
でももったいないから、友人に地元を案内する。
(本当は良寛関係のところもまわりたいが、そういうところはけっこう多いし
時間もないのでパス。ああ、今回は時間の関係でパスしたところが実に多い。
残念。)

番神堂。
佐渡への流刑を釈免された日蓮上人がたどり着いたというところである。
お堂自体は小高い丘の上にあるが、漂着の地(もちろん海岸)は
そこからよく見える。

ここは裏にすばらしい彫刻がある。
そしてその中に1頭の蝶が刻まれている。
それを見つけると幸せになれるという。
ああ、あそこに見える・・・。

ここからは、越後富士といわれる米山(よねやま)も見える。
ちょっと前のブルボンのコマーシャルで、
「米山さんから何かない・・・」と歌われていた山である。
この山は1000メートル足らずの山であるが、
この時期はたいてい雪が残っている。
米山に雪が大き時は豊作だとか。
今年も豊作になるとよいのだが。

        ・・・

最後に米山大黒亭という、うどんのおいしいお店へ。
ここのうどんは本当においしい。
汁は関東風に色は濃いが、味自体は薄味で、大阪人でも十分おいしい。
鰹ベースだが、もう少し何か入っているように思う。

ここはうどんの他に、「あげまんじゅう」というものも名物である。
薄皮饅頭をゴマ油で揚げたもの、ただそれだけだが、
なかなかにおいしい。
1個80円。
混んでいる日(今日もそう)は持ち帰りが出来ないこともある。
でも、これは持ち帰るより、揚げたてをその場で食べるのが一番。
地元名物の「明治饅頭」を揚げてもよく似た味になる、というのは
秘密かもしれない。(形は全然違うけど。)

ここも最近は人に知られるようになり、混むことが多いのが玉に傷である。
なにやら長岡ともう1ヶ所に店舗を構える予定のようだが。
ここは夏場でもクーラーの無い所であるが、
今の季節はちょうどいい。

何故うどん屋が大黒亭というかと言えば、
ここは大黒様のコレクションがあるからで、本当はその横にうどん屋が
併設されているのである(拝観料は100円)。
中には、大黒コレクションだけを見に来る人もいるようだが、
多くの場合はうどん目当てで、大黒様が展示されていることを
知らない人もいるだろう。

30分待って席に付き、1時間待ってうどんが出てきて、
15分で食べ終える。実に混んでいる。
まったくのウイークデーなら待時間0で、数人しかいない時もあるのに。
何でそんなことを知ってるのかって?
そりゃ、スナフキン時代に(以下略)。

ここからすぐ近くの米山ICから北陸道へ。
後は大阪まで550キロの長旅だけである。
幸い、この日は全く混まなかった。
北陸道はもちろん、名神も。
そのおかげで6時間30分という、自己最高記録タイで大阪に着いた。
別にうれしいことじゃ無いけれど。

まだ5/3。
もう少しゆっくりまわりたかったな。

        ・・・

というわけで東北旅行パート2の旅行記であった。
(再編集時注;パート1はテキストとしては記録されていない。)
実に飛ばし飛ばしではあったが、
少しはその旅行気分がわかっていただけであろうか。

東北地方は自然が残っていて、いや、自然の方が主であり、
日頃都会に住んでいる人間にとっては、
忘れてしまったなにかを取り戻せるようで、心が穏やかになる。
このような場所で過ごせればどれほど良いことか。
ただ旅行をするというよりも、心の洗濯に行くという感じだ。

八幡平辺りでは土地も大阪では考えられないほどに安いらしいし
(値段は教えてあげません)、
ここは1つ、将来のために買っておくのも良かろうかと。
ああ、こんなこと考えるのが都会人の悪いところかなあ。
(しかし、半分マジ。)

2回行ったがまだまだ東北には見るべき場所がある。

東北には、大阪や京都とは違った歴史があるし、
そこが輩出した学者や作家も多い。
そういうものを訪ね歩く、のもいい。
パート3では奥の細道でも巡ってみるか。

東北は感動の宝庫である。

        ・・・東北旅行思い出した編・・・

 夜の東名・名神は、それはもうトラックだらけである。
北陸道も最近はそういう傾向があるが、
それでもここに比べたらまし。

首都高速は、外環状線というものがまだ全部は開通していないので、
東名から東北道へ入るには、ぐるっと大まわりしなければならない。
墨田川沿いを、「おおきなうんこ」を目印に走る。
(アサヒビールだったかな?)

東北道は北陸道と比べてサービスエリア間の間隔が短い。
北陸道は65キロ平均(最大80キロ)、東北道は45キロくらいか。
実測したわけではないが、たぶんそう。

        ・・・

初日にほとんど徹夜運転してたから、山寺で泊まった夜は8時に寝てしまった。
(いや、NHK教育の「動物園」を見終わってから寝たから、9時か?)
翌日以降も、ほとんどこんな感じだったけど。
朝は7時起きね。

        ・・・

そういえば、盛岡近くには、「石川宅木新婚の家」とか「柳田邦夫」の資料館
などもある。「近い」と言っても東北における「近さ」であるから、
お間違いなきように。

        ・・・

蔵王とか八幡平など、雪の残っているところには
スキーをしている人もいる。
しかし、リフトなどは止まっているので、自分で板を担いで登ることになる。
さらに雪質も悪い。
こういう時にスキーをするのはよほどの好きものであろう。
友人は「自分のやりたい!」と言っていたが。

        ・・・

毛越寺の駐車場のトイレは、一見トイレに見えないほど立派。
でも私は入らなかった。
ふっ、「日本便所研究会」(TM)の私としたことが。
そういえば、宮沢賢治の碑の近くにもトイレがあった。
これはきれいであった。野外にあるものとしては三重丸。
そうそう、今回泊まった所は、山寺以外「Natural Free Fall」であった。
ああ、「Natural Fravor」(綴りがあってるかな?)がすばらしい。
「おつり vs おつり返し」などという技も、今となっては忘れ去られる
運命なのかもしれない。(こんなネタ、誰も知らないって。)
・・・食事中の方、ごめんなさい。

        ・・・

蔵王では、ふきのとうが芽を出していた。
それも一面に。
それを採っている人がいるのだが、
カーブが多くて見通しが悪い狭い道路で、
車を止めているので危ない。

雪解け水のある道は思っているより滑りやすいらしい。
途中、バイクが転倒していた。
しかもトンネルの中で。
こういう山道では、特に注意運転が必要である。

        ・・・

東北地方では、いくつかの土地で、林檎を砂糖漬けにしたものが売られている。
見た目はそれらはほとんど同じなのだが、味はけっこう違う。
私が買った物の中では、八幡平で買った方が、田沢湖で買った物よりおいしかった。
まあ、この辺は主観もあるので食べ比べるとよいか。

田沢湖では「とんぶり」というものも見かける。
これは陸のキャビアと言われ、味も歯触りも似ているらしい。
しかし、これはとある植物の実である。
買えばよかったが、買えなかった。
今にして思えば、残念。

        ・・・

実は山寺には行くことを禁じられたお堂が2つある。
どちらもそこへ至る道が危険だからだ。
旅行に行く前、以前に行ったことのある友人から「そこに行ったらいい」
と聞かされていたので行きたかったが、「だめ」とのことで、行かなかった。
あとでその友人に聞いたら、「自分の行った時もそうだったけど、行った」
ということであった。う〜ん、行けばよかったのか?
でも見るからに危険だし、風が非常に強かったので、
やめたのは正解であろう。

そうそう、山寺ホテルに泊まるなら、先にホテルに行き、
そこで車を止めてから山寺に上るとよい。
私たちは、川沿いの駐車場に泊めて行ったが、
実はそこから山寺山門までは遠かった。しかも、山寺ホテルは
その山門のすぐ近くであった。
まあ、歩き道にも見るところがあるので、いいけどね。

        ・・・

八幡平あたりでは、まだ桜も蕾もない状態だ。
そういえば、このあたりは冬でも気温の差がけっこうはっきり出るらしい。
1つ信号離れると、雪の量が見るからに違うのだとか。
このあたりの信号間の距離はけっこう広いが、
それでも2、3キロの違いで雪の量がそんなに変わるとは。
もちろん、桜の咲く時期も違うとか。
まさに自然に神秘である。

そういえば、私は1つの公園の中で、雨の降っているところ、いないところの
境目を歩いたことがあったっけ。

        ・・・

八幡平で泊まった旅館は「斎藤ミニミニ牧場」。
牧場という名前はあるが、ほとんどそういう感じはしない。
まあ、横にある畜舎にはウサギとか犬とかいるようだが。
(牛もいたかな?)
でも、いい場所なのでおすすめ。
部屋もいいし、安いし。
(今回の旅行の3泊の中で一番よかったかも。)
だれだよ、こんなところでまんが読んでたのは。
帰りにクジャクの羽根をもらったよ。

        ・・・

今回は私の田舎の家以外、すべての宿で温泉だったのだが、
いや〜温泉は効くね。後になってその効果がよくわかったもの。
(ちゃんと効能が出たもの。)
温泉に入るのが趣味になりそう。
ああ、もちろん、家でも入浴剤は入れいる。

        ・・・

前回と今回のコースで、「奥の細道」の内、
東北の有名な逗留場所をまわったことになる。
(「奥の細道」というのは、東北だけでなく、越後、越前から大垣に至る
旅行記である。芭蕉と曽良は、このコース上にある、万葉集や古今集に読まれた
いろいろなものを見て廻ったのである。)

確かに東北には詠に読みたくなるような風景が多い。
残念ながら、私にはそのような才はないので、
このような文章を書くことしかできないが。

今度は北陸地方の奥の細道ルートも巡ってみるか。

        「海外へ行くのもいいが、もっと日本をまわれ!」

である。
まだまだ、日本も捨てたものではない。

        ・・・今度こそ、終わり・・・
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