「天王山レポート」(2000/12/08〜2001/03/09号)
これは昔趣味にしていたハイキングのレポートである。
このハイキング、その余りのハードさに「超ハイキング」と呼んでいたのであった。

ハイキングは多くの場合、複数人数で行っているので
「我々」という書き方をしている。
因みに、隊長は私であった。
(今回は日付がしっかり書いてあったのでいつのことだかよくわかる。)

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いたレポートを再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

        ・・・

その日は朝から快晴であった。
それはまるで私達の門出を祝福しているかのようであった。

        ・・・

時は21世紀も目前に迫る1992年11月22日。
(注;こんな時にもうこんなことを言っていたのである。それに比べれば今なんて
まさに目と鼻の先である。)
我々探険隊一行は急遽目的地を京都嵐山から天下分け目の天王山へと移し、
その制覇を目指したのであった。

日頃は一般人に身をやつし目立たぬよう社会の中で生きている。
そのメンバーたちにまた指令が下った。

        「京都は天王山を調査せよ」

        ・・・

早速隊長は各隊員を集めるべく車を走らせた。
道はすいている。なかなか順調な滑り出しだ。

集合場所に到着。予定時間より10分以上も早くついてしまった。
「時間は正確に」をもっとうとする私にとっては不覚ではあったが、
まあ、遅れるよりはいい。

10分ほど過ぎてメンバー集結。
いざ・・・まずは最終チェックのため隊長宅へ戻る。

むむ、帰りの道路は混んでいる。
早くも我々の冒険を妨げようとする者の陰謀か!?

        エエィ! トリャ!
        アクセル全開、行けー!!

隊長のみごとなアクセルワークによりその場を切り抜けた一行は
予定より少し遅れはしたが無事に隊長宅へと到着したのであった。

隊長宅から目的地まで我々を運んでくれる「HANKYU」の乗り場までは
歩いて15分ほどある。

我々はその途中に有ったみごとに色づいた銀杏を見ながら
これからの冒険が無事に終わることを祈ったのであった。

数々の探険をこなして来た私にとってこの天王山を訪れることは
実は最初ではなかった。

今から15年ほど前、当時鉄ちゃん(鉄道愛好家)であった私は、
その筋では良い写真がとれると有名であった大山崎へと行った。
ここは阪急、新幹線、国鉄(当時)の3線が非常に近接しており、またどの
線でも特急がスピードを上げて通過し、それがまた直線叉は微妙なカーブに
よってきれいに撮影できるポイントであった。

ここで数々の写真を撮影した私は、時間も余ったためすぐそばに合った
天王山へと登ることにした。
そして山中で大きな石垣を発見した。
・・・しかし、そこで記憶がとぎれているのだ。
それがなんであったのか、後に人に聞いてもそんなところに石垣なのあるはず
はないというではないか。ではあれは何だったのか。
そして、あの時私は頂上まで登ったのであろうか。
今回の冒険は失われた私の過去を埋めるための冒険でも有るのだ。
(注;樟葉に住んでいた時も、自転車で川向こうのここまで約12キロを走り、
天王山の山頂まで登ってまた帰るという、実に健康的なことをしていたのであった。
時々。会社を休んでまで。)

        ・・・

いきなり余談。それは途中の電車内でのこと。

隣のおばはんが座った。
何か嫌な音がする。
「クチャクチャ」ガムを噛む音だ。

もう1つ別の方向からも同じ音が。
斜め前のにいちゃんも噛んでいるようだ。

私はこの「クチャクチャ」いう音が大嫌いなのだ。
この音は高音成分が多いので、以外に耳につく。
あまりこの音が好きだという人はいないと思う。

いや、別にガム自体は嫌いではないし、私も噛むことはある。
しかし、あんなに大きく不快な音を出して噛むことはしない。

いい年こいた大の大人があんな音出してガムを噛んでいることは
それだけで十分品性を疑われることだ。
いくら見た目キレイであったり(そのおばちゃんはキレイでなかった)、
身なりがちゃんとしていても、それだけでダメなのだ。

貧乏揺すりする奴。
大きな音でヘッドホンステレオを聞いている奴。
すべて他人のことを考えられない「バカ者」の証明である。

自分の取っている行動が、それが自分にとって些細な日常的な行動でも、
公共の場において他の人にどんな影響を及ぼしているか、迷惑をかけてはいないか、
十分に考慮して行動するのが、真の大人ではないか、
そう考える今日この頃である。

・・・というお題目もあるが、ハイキングに行く前にいやな気分にさせられた、
それが一番の問題であった。

        ・・・

阪急は絶好の行楽日よりということもあって日曜日にしては混雑している。
しかし、臨時急行が出ているおかげで予想外に早く目的地大山崎駅に着くことが
できた。これで先程の車での遅れは取り戻せた。

駅前を降りるとだいぶようすが変わっている。
まあ無理もない、15年の歳月が流れ去っているのだ。
私がこれほど変わったのだ、風景も変わるであろう。(?)

しかし、どのようにして山まで行けばいいのやら。
「困った時には案内板を見よ」という鉄則にしたがってそれを探す。
あった。なになに、ほう。「近道」が有るとな。
それを頼りに歩き始めると本当に「近道」が有った。看板付きで。

「近道」は結構細い道では有るが人が通る分には十分である。
確かにすぐにJRが見えた。

                ・・・

事件はいきなり起こった。
頭上から突如として声をかけて来るものが有る。

        「キテル!!」

なに!?いったいなんなのだ。「キテル」!?
そんなに我々の格好は「キテイル」ように見えるのだろうか。
くそう、ちゃんと目立たぬように変装したつもりだったのに・・・。

        「お父ちゃん来てる」

はっ。後ろを見ると確かに中年のおじさんが袋を下げて歩いている。
なんとそういうことであったか。

しかし、「きている」はないだろう。
それをいうなら「来た」「お父ちゃん来た」であろう。
「きてる」という言葉にはちょっと危ないイメージが有る。
あんのことを大声でいわれては我々も思わず身構えてしまう。
「子供にはちゃんとした言葉遣いを教えんかい」そう思ったのであった。

JRの踏切を超え、一行はいよいよ天王山登山口へと到着した。
目の前にはきつく、曲がった坂が有る。
いきなりこの坂を登れというのか。

これからの冒険がそうそう楽なものではないことを予感する私であった。

        ・・・

天王山は標高は270.4メートルでそれほど高い山ではないが、
歴史的にはかなり有名な山である。それはもちろん「天下分け目の天王山」、
明智光秀と豊臣秀吉(当時はまだ羽柴秀吉)の戦いによる。
実際にはこの戦いは天王山の上で行なわれたのではなく、天王山の前に広がる
平野で行なわれたようであるが、まあこの際歴史的な紹介はやめておこう。

ちなみに仮面の忍者赤影がいたのはこれよりもまださらに前の時代、秀吉が
まだ木下藤吉郎と名乗っていた時代・・・という設定である。

                ・・・

きつい坂を登るときれいな紅葉が見えて来た。
ここは大黒天 宝寺といわれる宝積寺(ほうしゃくじ)である。

ここの楓の紅葉は実にみごとだ。
天王山は基本的には常緑樹が多いので山全体が紅葉するということはない。
だからこういう紅葉の季節にはすいていていいのであるが、
こういった所々に紅葉があると常緑の緑の中でその色が一層映えていい。

ここには秀吉が戦勝の記念に一夜にして建てたという3重の塔がある。
一夜にして建てたというのであればあまり出来がよくない、と思われる
かもしれないが、実際の塔は非常にきれいでとても突貫工事で作られたようには
見えない立派なものである。
まあ、「一夜」というのは大袈裟で、それでも一般手にな建設期間に比べたら
早かったということであろう。実際、秀吉はこの寺にその後1年間いたそうだから。

この寺にはもう1つ言い伝えがある。それは一寸法師である。
大阪で生まれた一寸法師はお椀の船と針の刀で淀川を登り、山崎で船を降り
この宝寺で修行したそうである。
そして、修行後京の都に行き、鬼を退治し、褒美でからだを大きくしてもらい
お姫様、お祖父さん、お祖母さんと幸せに暮らしたというものである。
ここには打出と小槌が奉納されているのでそういう言い伝えが有るのであろう。
(一般に打出の小槌というが、打出と小槌は別もので、打出は弁財天、小槌は
大黒天の御神器である。)

境内に有るみごとな紅葉の楓の前で記念撮影をした我々は境内の脇にある道から
山頂へと向かう。

        ・・・

道はいきなりごろごろした岩とでこぼこの地面になった。
そして山の斜面を縫うように右へ左へ登っていく。

一応所々に滑り止めにコンクリート棒が埋めこんでは有るが、
だからといってあまり気楽な気持ちで登れる感じではない。
不心得者がスカートとハイヒールで登ろうと思うものなら
途中で挫折すること間違えなしである。

道を登っていくと脇になにやらレールらしきものがある。
この山は竹が多い。
どうやら竹の子を運搬するためのモノレールのレールらしい。
しかし、そのレールも結構すごい角度で曲がりくねり、
岩すれすれの所を通り、木の間を抜けて、急角度で登っている。

        「これに乗ったらすごいだろうな〜」
        「日本一、いや世界一の絶叫マシンになること間違いなし!」
        「『山頂から麓まで1キロ以上を約1分でかけ降りる、
                世界初命がけ超自然マシン!!』とか言ったりして。」

        「まあ絶叫はともかく、いっぺん乗せて欲しいな。面白そう。」

まったくもって面白そうである。
1回1000円位でなら乗ってもいいかな。

        ・・・

しかしそれにしてもまだ頂上までつかないのか。
確か麓から頂上までは1.7キロだと聞いたし、もうだいぶ歩いたと思うのだが・・・。
箕面の滝より短いはずなのに。
やはり山道では平地の何倍にも感じるのだ。
これが山道の恐ろしいところでもある。

山道は険しく続く。
あそこまでと思って登ってみるとまだ先に道が続いている。
いったいどこまで登ればいいのだ。
やはり天王山はただものはない。

        ・・・

時刻はすでに12時を過ぎ、1時にも手が届きそうな時間である。
このあたりで食事をせねばばててしまう。
山道では無謀な行動は禁物である。
この先何が有るかわからないのだから、食事はとれる場所/時に
とっておいた方がいい。
しかしここでは・・・。

幸いなことにしばらく行くと広場があった。
椅子や机もある。
よしここで昼食にしよう。

ここからは下界がよく見える。
鉄道や車は皆おもちゃのように見える。
たかが270メートル、されど270メートル。
結構高く感じる。
それにここはまだ山頂ではないのに。

ここからは木津、宇治、桂の3つの川が合流して淀川になる山崎地峡も見える。
季節や天候により微妙に温度が違う水が合流するためこのあたりでは霧が多い。
そのような気候がスコットランドに似ているらしい。だからここにサントリーを
作ったのだそうだ。

昼食は食料調達隊員の用意したものをいただくことにする。
結局のところ、隊長以外の隊員は皆食料用意をしていたのである。
いいのだ、隊長はそれで。

食事中をしていると突如背後から接近する物体あり。

        「俺の背後に近づくんじゃなぁい!」

と言って振り向くと犬がこちらを物干しそうに見ている。
かの富士山ですら犬がいたのだからここ位であれば犬がいても別に不思議はない。
と思ったが、首輪をしているところを見ると飼犬である。
実際向こうから飼い主らしき人が声をかけている。
しかしこの犬、なにかやらなければ向こうに行く様子がない。
しかたないので食料を少しやることにした。
大切に食べろよ。
いくらかの食をもらった犬は、まだ少しもの欲しそうでは有ったが飼い主の
方へと行った。

        ・・・

食をすませ、少し体力が復活した我々は山頂を目指しさらに進んで行く。
少し行くと頭上の木がなくなって開けた場所が有った。
ここにも休憩小屋と展望台らしき場所があった。

ここからかの山崎合戦の陣営となった地域が一望できる。
あそこらへんに秀吉がいて、ここいらに光秀がいて。
もちろん今は平野部にはその後は見られはないが、
もし当時ここから見ていたものがいたとすれば、天下分け目の勝負が一望できたの
だろうと思う。「天下分け目の天王山」とは、「天下分け目の戦いが有った」という
意味ではなく、「それを一望できた」と言う意味かもしれない。
今の日本の「天王山」はどこだ。

山頂はまだ遠い。
再び鬱蒼とした山道に入り進んで行く。

山道を進んで行くと道がぬかるみ我々の行く手をはばむ。
が、木漏れ日が薄暗い森の一部を照らし出し美しい。
こういう光景は心が和むものだ。

そしてやがて一行は古びた神社に前に立った。

                ・・・

神社の名は「酒解神社」(注;さかとけじんじゃ)。
かなり歴史の有る神社のようだが、今は常時人がいる神社ではないようだ。
舞台はかなり荒れている。

むむ、なにやら先行していた2隊員が何かを発見したようだ。
        「隊長、屋根裏に何かいます。」
なに、さては我等の行動を探る忍びか。
        「がたがた」
        「がさがさ」
確かに何者かが動く音がする。

どうやら鼠がいるようだ。しかし、あんなに大きな鼠のは動く音を聞くのは初めてだ。
もう少し暗い状態だったら恐怖してしまうかもしれないところだ。

        ・・・

さらに進むと竹薮が有り、道がまた急になる。
        「ええい、またか!」
        「いくでぃ!」
        「とりゃー!えいやー!」

と、勢いをつけて登って行く遠きなり目の前が開けた。
そう、いきなり頂上へついてしまったのだ。

さすがに元々城が有った場所だけのことはある。
ここには大きな広場がある。
所々に石が埋め込まれているが、今となってはそれだけが当時を忍ぶものらしい。
今は城そのものや櫓などは全く残っていない。

実際の山頂地点は広場の少し横手の柿木の前に合った。
この柿木、今ちょうど実をつけているが、非常に小粒でなんとなく美味しそうだ。
が、実は手の届かない高さにしかなっていないのであきらめ、
その前で記念撮影をすることにした。

        「1992年11月22日 ここに到着す」

撮影後、それほど休憩をする事無く一隊は山を降りることにした。
別に時間がないわけではない。ここ山頂には人が多いので少し降りたところで
休憩しようと考えたのである。
そして、下りは行きとは別の道にて降りることにしてその道を探すことにした。

        ・・・

ところがその道が見つからない。
昔城で使っていた井戸は発見したが、肝心の道が発見できない。
ぐるっと回ってまた元の場所へ出た。
        「あれ!?」

地図が少しおかしいのか、人があまり通らないので塞がってしまったかどちらか
らしい。しかたないので元来た道を戻り、途中幾度か有った別れ道を違う方向に
降りてみようということになった。

早速元来た道に戻り、少し降りる。
すぐ横に薄暗いが、竹に囲まれた中に少し広場らしき場所を見つける。
        「まずはあそこで一休みしよう」
そういうと一行はここで敷物をだし、座り込んだ。

もっと暑い季節ならこの木陰で休めばとても気持ちがいいだろうに、今の季節では
少し肌寒い。しかも少し時面が湿っているので足が冷たくなる。
まあいいか。

リンゴを食べ、動物クッキーの形当てをしながらくつろぐ一行。
しかし隊長である私は、頭上で起こっている「動き」を見逃すことはなかった。

なにやら頭上で物音がする。
何かがいる。
私の直感がそう教える。
これこそが長年の経験によって導かれる感なのだ。

そしてついにその「動き」のもとを捕らえた。
        「あそこだ!」

その指先にあったものは・・・

        ・・・

そこには小さな鳥がとんでいるのが見える。
しかし、それが何だというのだ。

        「よく聞くのだ、あの音を。」
        「?」
        「トトトトトというこの音。」
        「そうだ、あれは啄木鳥だ。」

そう、私の発見したのは啄木鳥(きつつき)だったのだ。
私はかつて東北は十和田湖の湖畔で見たことがあったが、
久しぶりにお目に掛かった。

前見た時は人の手が届くような低い木で、しかもけたたましいほどに木を
つついていたのではっきりわかったが、今回はかなり上の方の木に隠れた場所で、
しかもそれほど頻繁にはつつかないのでなかなかわかりにくかった。
こんな状態で見つけられるのは長年の経験を持つ(何の?)私だけであろう。

他の隊員は啄木鳥を見るのは始めてらしい。
こんな都会に近いところでも意外な発見ができるものだ。
常に周りに敏感になり、わずかな「動き」も見逃さない。
これが探険隊に必要な精神である。

        ・・・

さて、一息入れた一行は元の道に戻り少し下る。
やがて1つの別れ道があった。
        「行きはこちらから北から帰りはあっちに行こう。」
        「それにこの先には神社が有るらしい。
                そこによってから帰るのもいいだろう。
                時間はたっぷり有るし。」

少し行くとまた、行きに合ったのと同じようなモノレールが有った。
        「これなら間違いないであろう。
                行きも同じようなものが有ったことだし。」

他の人は見られないが、安心して進む。
道は狭いがそれほど急でもない。

少し行くと開けて日が射してきれいな竹林に出た。
いや、竹林というより竹広場といった方がいいか。
そんな感じの場所。

そのそばには変わった形のきのこ(?)があった。
        「こんなものまで見られるなんて、今回はついてるぜ!」

等と思いつつ進んで行く。足どりも軽く。

        ・・・

後から思えば、ここで有頂天になった私はおろかだった。
隊長とも有ろう者が・・・。
もう少し、周りに注意を配りながら進むべきだった。
そう、それがわかったのはしばらく進んでからのことであった。

        ・・・

脇にはずっとモノレールがある。
所々に、春には竹の子を取り出すのであろうと思われる場所も見える。

しかし、やがて道は険しくなる。
そして細くなり、下りが急になる。
なかなか神社らしきものも見えない。
一応人の足跡が有るのでだれかが通っていることには違いないと思うのだが・・・。

行きの道には広場のような所や神社などが有ったのに
この道には全く無い。

いや、それどころか平らな部分が全く無い。
いったいどうなっているんだ、この道は・・・

        ・・・

前後誰にも会わない。
う〜ん、やっぱり道を間違ったようだ。

脇には相変わらずモノレールがある。一応人の通った形跡もある。
だからどこかに出られるには違い無いのだが。

それにいまさらこの道を引き帰えそうにも、またここを登るのは今の体力から
考えて無理だ。膝も連続の下り坂のために笑いが止まりにくくなっている。
行くしかないのだ、先に進むしか。

        ・・・

うわぁ! 何だこの坂は!!
これはまた急な坂だ。崖にも等しい。
それも結構長そうだ。先が見えない。

人が歩くのであろう道はちょっと地面が柔らかく滑りそうだ。
モノレールに伝って歩こうにもこちらも険しい。
それにこのレール、油でべとべとになる。

こうなれば一致に駈け降りるしかない。
        「トゥリャ!エイヤー!ギュィーン!!」
                「オホホーイ!」
                        「ハハハハハ!!」
                                「ウワー! ウワー! ゥワー ・・・」

斜面を一気に駈け降りる。
人間ジェットコースターの気分だ。
周りの景色は本当はきれいなのだろうが見ている余裕は無い。

ここで蹴躓(けつまづ)こうもんなら坂の下まで転がり落ちて大怪我するのは
間違い無かろう。
しかし、こうして命がけで行動している時ほどスリルがあって緊張して
楽しい時は無い。これが冒険の醍醐味でもある。

どうやら後ろはついて来れていないようだ。
ちょっと先行し過ぎたか。
悲鳴らしき声は聞こえていないし、先行して道を確かめるのも
隊長の仕事だ(←いいわけ。本当は足を止めようにも止まらない)。

        ・・・

ようやく、平らな部分まで到着。
残りの下の部分はもうそれほど無いらしい。
俗世間の音が聞こえるし、だいぶ明るくなっている。

しばらくすると3隊員もなんとか降りて来た。
大丈夫なようだ。御苦労さん。
だいぶ膝には来ているようだが。

少し降りるとモノレールのトロッコも見えた。
ここが一番下らしい。

なるほど、どうやらこの道は竹の子最終/運搬用の道で、一般のハイカーが
歩く道では無さそうだ。
神社に行く道も違うらしい。それらしいところは無かったし。

一気に頂上まで行く分、坂が急なのだ。
全く迂回なしに山頂から駈け降りているのだ。

なんとか無事に下山した一行。
下りはとても大変であったが、その分降りた今の充実感は大きい。
「苦労は大きいほど達成した後の充実感は大きい」という。
まさにそのとうりだ。
まあ、それを求めるためにこうして冒険しているようなものだが。

・・・といって今回の間違いをちゃらにしようとするのであった。

無事に麓までたどり着いた一行。
すぐそこには市街地があるようだが、まだ時間も早いのでもう少し
山の中を散策したい。
しかし、再び坂を登ることはできないし、どうしようか。

そう考える一行の目の前に1本の道、竹林の中を抜ける道が見えた。

        「取りあえず、あの道を歩いてみようか。」

小さな端を渡り向こう側に続く竹林の中へ進む。
このあたりは大変立派な竹林だ。
天高くそびえるような竹が群生しており、その間を1本の道が通っているのだ。

周りはそれだけ、他にはなにもない。
        竹、竹、竹。
時々聞こえる鳩の声が何か不気味な感じも醸し出す。
4人だからいいものの、昼間でも1人では歩きたくない感じの場所である。

突然道が途絶えた。
そして目の前に見えたものは・・・

        ・・・

突然、眼下に見えしもの。
それはマンションと住宅であった。
そうなのだ、この竹林は住宅街と密接した位置に有るのだ。
このアンバランスといえる光景。
なにか妙な気分になる。

現代ではこんなところまでも開拓しなければいけないほど宅地がないのか。
少し考えさせられてしまう。
これ以上開拓が進んでこの竹林が無くならねばよいが。
後世にとって必要なのは住宅か、この自然か。
それは難しい問題だが、自然無くして人間は生きてはいけないのだということも
覚えておかなければならない。

そばに道も見える。
道に降りて帰るか、どうするか。

        「降りるにしてもできるだけ自然の中を通って行ける所まで行こう。」

そうだな。ここで道に降りても面白くない。
できるだけこの自然を楽しみたい。
今来た道を戻ることにするか。

あはは、膝が笑っている。
この道はそんなに坂があるわけではないのに、これ位でも膝が笑ってしまう。
困ったな〜。

        ・・・

元の場所に戻ると1匹の犬が我々を迎える。
この犬は一帯何者なのだ。こちらを見、こちらへ来いというような目つきのようにも見える。

近づく我々。
しかし、犬はどこかへと走り去ってしまった。

あれは行ったいなんだったのか。
我々を自然を破壊するものかもしれないとして監視しに来たのだろうか。

謎の犬であった。

        ・・・

さて、これで道に降りるか。

いや、待て。
この奥に何かある。
それを見ずに帰ってはいけない。

そう私の直感が告げるのであった。

ここから山の中に続く道が1本ある。
道は途中でとぎれ、その先には渓谷らしきものが有り、そこから
小さな川が流れて来ている。

この先になにかがある。
それを確かめねば・・・

他の隊員をそこに残し単身谷へと乗り込む私。
脇にはなにやら山の中に続く階段もあるが、この際そちらはどうでもいい。
今気になるのはこの谷なのだ。
この先にはなにかがあるように思えるのだが。

         谷||     ]                                                        
    山 *   ||    ]階段                                                     
     道 *   ||  ]                     竹林                                 
         *   * ]                      ¥     ¥                              
         *    *                   ¥     ¥     ¥                            
         *    *                     ¥      ¥    ¥                          
         *    *                                                            
         *    *                    竹林内の道   *********                  
         *    *                   **************         ******            
         *******]====[************                             ****        
        *        橋                   ¥   ¥  ¥  ¥                  ****    
       *                            ¥   ¥  ¥  ¥   ¥                        
      *                                竹林                                
     *                                                                     
                                                                           

この小川にはなにも生き物はいない。
沢蟹でもいないだろうかと思って見てみたが何もいないようだ。

もちろんこんな谷の中には道は無い。
結構岩場なので足も後気をつけ、川の両岸をあちらへこちらへと渡りながら
進んで行く。

おお、なんということだ。
都会のこんな近くにこんなところが有ろうとは。

        ・・・

ここの谷には特にこれといったものは無かった。
しかし、この風景、これが市街地すぐ近くに存在するような風景だろうか。
全く別世界のように思える。

マンションからわずか5分入ったところに、
どっかの山奥にでもいるような風景が広がっているのだ。

これは絶対に後世に残さなければならないものだ。
人間の浅知恵では創りようも無い自然の造形美。
それがここにある。

やがて他の隊員たちもやって来た。
一同皆驚く。

        「まさか・・・」

まさかこんな風景がこんな所に有ろうとは。それが言葉にならない。

        ・・・

谷はまだまだ先に続いている。
しかし、ここからはだいぶ険しく登っている。
今の膝の状態ではこれ以上先に進むことはできない。
残念だが、しかたない。
この先は次回の探索時にとっておこう。

戻ろうか。
なごり惜しそうに眺める隊員たち。
その気持ちはよくわかる。

が、この先の予定も有るのでここにこれ以上いることはできない。
今は、この風景を見れたとに感謝してこの地を去ることにしよう。

それにしても、いったいどこに降りて来たのだろうか。
ここはどこ、私は・・・。

山から出ると、そこは民家の横の細い道路であった。
脇には消防団のガレージ(注:消防署ではない。町内の自衛消防団の
消防施設を入れているガレージである)も見えるが、それ以外には
これといった場所がわかるものがない。

むむ、看板に怪しいポスターが。
いや、そんなことは今はどうでもいい。

少し降りていくとお寺があった。
一見すると普通の民家のように見えるが、よく見るとお寺である。
えっと名前は・・・栄照寺。

        「栄照寺!?そんなお寺は・・・あった!!」

ガイドブックを見ると、一番端の方にその名前があった。
しかし、ということは、こんな所に降りて来てしまったのか!?

この栄照寺のある位置は、行きのルート、宝積寺−酒解神社ルートに対し
直角90度のコースであった。

        ・・・

さらに調べると、降りる時に行こうとしていた神社は180度のコース上に
あるらしい。すなわち山の反対側にあるようだ。
そこまでは行かなくてよかったが、90度でも結構遠くに来たことには違いない。
元の場所に戻るには、え〜と、地図上直線距離にして1.5キロ以上有りそうだ。
これは大変そうだな、今のこの膝の状態では。
そんなこといっていても始まらないのでとにかく歩き始める。
タクシー!?そんなもの走っているわけないじゃない、こんな所で。

すぐ近くにはJRと阪急が平行して走っているようだ。
なんとなくほっとする。
こんな場所で何も音がしなかったらちょっと不安になる。

ここは山裾なのでそれほどの坂はない。
しかし、今の膝の状態はわずかな坂でも大変に感じられる。
お互い背中を押し合いながら登って行く。
        「よいしょ!」
        「ひえ〜!」

しばらく行くと面白い家があった。
小さな三角の真ん中に玄関が有るのだ。

よく見るとそれは三角屋根のてっぺん部分らしい。
そう、この家は屋根に入口が有るのだ。
傾斜のある土地に家を建てているためこのようなことになっているらしい。

横ろ側から見ると、それがよくわかった。
入口は3階らしく、2階1階、そして庭ががだいぶ下に見える。

 正面  ****            側面        ************************
      **  **                       * 玄関                 |
     **    **                 ------*                     |
    **+----+**                道路   *                    |
   ** |    | **                       *                   |
  **  |O   |  **                       *                  |
 **   |    |   **                       *                 |    庭
------------------                       -----------------+------------

これは面白い。
アイディア賞ものだと感心した。
傾斜の多い日本ではこういう建て方も結構無理がなくていいのかもしれない。
うんうん。

しかし家を出る時にいちいち3階まで上がるのは大変かな。
いや、いつも家の中で運動できるからいいのかな〜。
庭を見下ろされるのは嫌かな。
でもだいぶ遠く見えるからいいかな。
結構創造力をかき立てられる家であった。

面白い家も見学した後一行はさらに進む。

さらに進むと名神高速の下をくぐるところに来た。
こういうところを下から見上げるということはなかなかないことだ。

        ・・・

名神自体は高架の上を走り、しかも防音壁が有るため直接は見えないが、
下をくぐるトンネルは一部吹き抜けになっている。
ということで空が見えるのだが、ここには金網が貼って有る。

        「こんな所に網を貼ってどうするんだ?」

と思ったが、その原因はすぐにわかった。
「ゴミ」、そう、高速道路の車から放り出されたゴミがここに落ちて来るのである。
特に空き缶が多い。

考えて見ればこれは非常に危ないことだ。
車からほおり出された空き缶はその車のスピードを持って落下することだって
あるのである。(車と同じ方向にほおり出された場合。)
そんなものが下にいる歩行者にあたれば大怪我する可能性も有る。

ここに限らず、世の中には車から平気で道路などにゴミを捨てる大ばかものがいる。
自分がきれいになるためには他人が汚くなってもかまわないと思っている「自分勝手な
ばか」か、「旅の恥はかき捨て」の意味を理解できない「無教養者」である。

「自分以外のものに対する思いやり」ができればこんなことは起こらないはずなの
だが。それは今の日本が教えていない一番大切なこと。それによる結果の1つがここで
見られる。

        ・・・

さらに進むと山手へ登る階段を発見した。
なにやらお寺が有りとそうだが。
しかし、今のこの膝の状態でまたここを登るのはどうだろうか。

        「行こか?やめよか?」
        「ふん、若いからこれ位なんともないわ!」

むむ、私は見かけだけでなく、実質若いのだ。
ええい、登ってやる!ほっほっ、ほいほい・・・

山門まで到着。
「結構あったけどなんとかなったね」と思いきや、おおなんてことだ、
境内にも急な階段が有るではないか。

        「Oh! My God」
        「ここまで気たら全部登ってやるー!」

途中まで上がって来てここで帰ったらなんとなく損した気分になるので
ゆっくりでもいいから上がることにする。

山門をくぐると、そこにはそれはもう全くみごとに黄色くなった銀杏の大木があった。
背はかなり高い。かなり見上げる高さまである。

手が届くような高さには葉はないが、高い位置の葉っぱが舞い広がって落ちて、
そこにはその木1本だけなのに、一面黄色い絨毯が敷き詰められたようになっている。

大阪は銀杏が多いが、これほど立派なものはそうは有るまい。

その前で記念撮影をしようとしたが、車が邪魔な位置に有りうまくできなかった。
もっとも、その前で写真を撮っても、ファインダー内で見える範囲では銀杏の木の
様子が全くわからないであろう。
取りあえず、人と一緒に写すのはあきらめ見上げるような写真を撮った。

境内の急な階段を登るとそこにはお寺があった。「山崎聖天」である。

聖天とは言うが、一応本尊は十一面観音だそうだ。
が、「聖天=大聖天歓喜天」の方が有名である・・・とガイドブックには書いてある。

        ・・・

上の境内に1本のもみじの木があった。
これまたきれいに紅葉している。
そしてその向こうには先程の銀杏の木の上の部分が見えているではないか。
真っ赤な紅葉と輝く銀杏。この絶妙なコントラストはなんと美しいことか。

早速ここで記念撮影をすることにする。
いい構図だ。
が、写真では前の紅葉に焦点を合わせれば後ろの銀杏がぼけ、
後ろに焦点を合わせたら前がぼやける。
なかなか難しい。
取りあえず写真も撮るが、やはり自らの眼に焼き付けるのが一番だ。

急な階段を登ったこともあって、ここはかなり高い位置に有るらしい。
ここから見える景色は広々としている。

おや、下を見るとお城の石垣みたいになっているではないか。
はっ、ひょっとすると以前来た時に見た石垣はこれだったのだろうか。
どうやらこの近くからも山へ登れるようだし。
う〜ん。

        ・・・

また急な階段を下り山門前へ。
今度は行きに登って来た階段ではなく、横に有る車道で下ることにする。
(そう、ここは道は狭いが、山門前まで車で来ることが出来るのだ。)

道路の両側には紅葉した木がたくさんある。(銀杏も含む。)
このあたりは紅葉では有名ではないが、意外と穴場かもしれない。
穴場を知ることも我々探険隊の目的の1つだから、今回は多くの成果を
上げたことになる。

さらに進むと登山道と例のモノレールの麓の終着点があった。
いや、これは行きのものとは違うルートのようだ。
天王山にはいくつものルートで登山道とモノレールが走っているらしい。
今度来る時はこのルートで上がってみるのもいいかもしれない。

        「このゴンドラなら十分人が乗れるな」

モノレールのゴンドラ部分は結構大きい。
ということは大きな竹の子が取れるということだろう。
春先、5月頃に来るといいかもしれない。
(注:一般の人は勝手に竹の子をとってはいけません。)

        ・・・

さてと、もう駅までは近いはずだ。もう一歩きだ。
細く、それにしては多く車が通る道を歩いていくとJR山崎駅が見えた。
(こんな所に車で来てどうすんの。歩いて自然を満喫しなさい!)
ようやく行きの登山道下まで戻って来たのだ。

そして阪急大山崎駅に到着。

        「おつかれさま!」

全くお疲れ様であった。が、心地よい疲れである。
これだけ全身を動かし、紅葉を見、いい空気を吸い、命がけで降り、
幻想的な風景を見られたのだから。

嵐山もよかったかもしれないが、人が多い場所よりも、こういったあまり人が
多くない場所で、しかも実は奥が深い場所を探険に選んだことは非常によかったと思う。
また今度もこういう所に行きたいものだ。

そう思いつつ、大いなる満足感を胸にその地を離れた一行であった。

        「またいつか、必ず・・・」

        ・・・おわり・・・
<戻る>