「適塾」(1996年08月26日〜08月27日号)
先日適塾へ行ってきた。

適塾は江戸時代末期の医師、緒方洪庵の開いた医学塾である。
医学だけでなく、蘭学全般に至っているかもしれない。
現在の大阪大学医学部の前進でもあるらしい。

それは、京阪または大阪市営地下鉄淀屋橋の駅のすぐそばにある。
実はここ4時で閉ってしまうので、平日にはなかなかその時間には行けない。
そのため、今まで入ることが出来ず、せめてもではないが、
横にある公園(?)でたまに御弁当を持って歓談する程度であった。

それが、とある条件が整ったので行くことになった。
いやぁ、お盆は良いなぁ。

こんなところ、世ほどの物好きでないと来ないのでは?
と思っていたが、以外にも拝観する人は多いようだ。
この日も私たちの他に何人か来ていたし、
中に感想ノートというものがあって、そこにはたくさんの人の感想があった。
何度も来ている、という感想もあった。
(中には「変」と言うかなっとらん書き込みもあったが。)

中は純和風の建築である。そして以外にも広い。
中庭もあり、静かで非常に雰囲気がよく落ちつく。
こんな大阪のど真ん中にこんな良い雰囲気の所があろうとは。
実は、この雰囲気を保つために左右にあったビルまで撤去したらしいのだ。
そこまでするか、とも思うが、確かにそのおかげさまではある。

ここはほぼ適塾のあった頃そのままらしい。
典型的な江戸末期から明治の家の作りで、うちの田舎の家にも少し作りが似ている。
(うちの田舎の家も明治の作り。)
家の中にも井戸がある(1カ所ではない)。
階段は非常に急(ほとんど壁状態)、階段の横は引き出し、
非常に太い棟木など。そうそう、当時の人の身長によるのだろうが、天井が低い。

        ・・・

中では緒方洪庵ゆかりの品、適塾ゆかりの品などが展示されていて
興味深くみることが出来る。ここ出身の人には歴史上有名な人も多い。
福沢諭吉や大村益二郎の名前くらいは知っているであろう。
あと、手塚治虫の3代前の祖先もいたらしい。手塚治虫は医学の道に進もうと
したらしいが、それは血筋だったのかも知れない。

当時の人の勉強ぶりというのは、今の学生のそれとはまったく違うといって
よいだろう。非常に熱心であり、その熱心さ故のいろいろなこともあったらしい。
二階にある柱の傷などに往時が忍ばれる。
今のやる気のない学生ども、いや私も含めてのんべんだらりとしている
人に、彼らの爪のあかでも煎じて飲ませたい。
どこぞの会社にいる誰かさんどもにも。

また、ここでは当時の大阪の地図もあり、興味深い。
特に最近「大阪今昔」という本を読んでいるだけにおもしろい。

展示は1階から2階にわたっている。
残念ながら、上にある物干し台には登ることが出来ない。
そこに行く扉は閉められている。
いつも横の公園からはそれがよく見えていただけにぜひ行きたかったが、残念だ。

中を一通り見るには、ゆっくり見ると、45分くらいかかる。
が、絶対に価値はあるので一度行くことをお進めする。
(大人¥220、学生¥110。)
中を見なくても、非常に良い雰囲気の場所なので、
休みに行くだけでもいいかも知れない。

        ・・・

えっ、勤め人が、平日の3時前にどうやって行ったかって?
そんなことどうでもいいじゃないですか。
お盆休み期間中のことですし。

        ・・・おわり・・・
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