四国旅行レポート(2001/08/03〜2002/02/18号)
これは、かなり昔の春と思った季節に行ったものの旅行記である。

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いた旅行記を再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

そういう事情なので、現在同じコースを行こうと思っても行けなかったり、
各土地の事情も変わっているかも知れない。
従って、この旅行記を読んで行きたくなったからといって、
そのまま同じように行ってはいけないのである。

        ・・・

2/11(金)〜13(日)の3連休は四国に行ってたのである。
なかなかに内容の濃い旅行であったといえよう。

その内容はこれからレポートすることにして、まずは一言言っておかねばなるまい。

        「四国は寒い」

である。

まずは今回の旅行計画表を紹介しよう。
これは計画であって、実際には全てこの通りにいったわけではない。
すべて読み終えた後で、どこがどう変わったかを考えるのもおつであろう。

        ・・・「旅行計画」・・・

2/11(金)
                                        3139M            33D
        707K            1409M       快マリンライナー19         L南風3
大阪------------姫路------------岡山------------児島-------------高知
7:07            8:33            10:07(7)        11:05            13:24
                8:41            10:37(11)       11:14   144.7K
                                                        ¥1750
高知駅前YH
¥2800+500+900


2/12(土)
        4248D
高知------------豊永
10:45           12:22

定福寺YH
¥2800+500+850


2/13(日)
        4242D            4246D          2542M        1428M      新快3642M
豊永------------阿波池田--------琴平------------岡山-------姫路----------新大阪
8:08             8:59           11:27        16:58(12)     18:39         19:49
                10:41           15:33        17:15(14)     18:43


        ・・・「2/11(金)」・・・

出発は朝早い。

今回の旅行は周遊地を2カ所以上、200キロ以上回って帰ればいい
「普通周遊券」を自分で組んで行った。
四国にもワイド/ミニ周遊券はある。
しかし、そのどれもが私が今回行くコースにとっては無駄が多い(=その分高い)
ので、普通にしたのだ。

普通周遊券は作成に時間がかかるのであるが、いつも使う小さな旅行社では
1週間くらいかかるといわれた。でもJTBは翌日に出来るといった。
さすがは大きな所だ。しかし、この差は大きすぎるような気もする。

なぜ周遊券を使うか。それは出来るだけ交通費を安く抑えるためである。
複数人数なら車の方が安いし、時間的制約が少なくていいと思われるかも知れない。
確かにそうなのだが、見知らぬ土地での運転は疲れるし、
運転に力をとられては十分な観光が出来ない。

だから私は、多人数でしかも運転が好きという友人と一緒に行かない限りは
車は使わない。
車がないと何もできない新潟柏崎は別だけど。

これはいつものことだが、なにせけちって旅行に行くために
特別な料金のいる列車などは出来るだけ乗らない。
ワイド/ミニ周遊券なら急行自由席は無料になるが(ワイドなら周遊区間内では
特急自由席も無料)、普通周遊券ではそういう特典はない。
周遊区間内での急行自由席は無料だが、四国には急行はほとんどない。
だから普通列車を使うしかない。
普通で遠くまで行くためには朝早く出なければならないというわけだ。

朝のすいている地下鉄に乗り新大阪へ。
これから乗る列車は、平日なら大阪駅発なので梅田まで行かねばらないが、
休日は列車の初駅が違い、新大阪から乗れる。
これはありがたい。地下鉄代で20円のお得、時間ではもっとお得である。
(のはずであったが、結局乗る列車が同じなので時間の徳はない。)

        ・・・

まずは快速で姫路まで行く。
快速は新快速より姫路着が30分も遅い。
明石以降各駅停車なのがその原因である。
なら新快速を使えばいいというかも知れないが、残念ながらこの朝早くには
新快速はない。

眠いのでうとうとしながら姫路をめざす。
神戸を過ぎてしばらく行くと家もまばらになる。
このあたりは家も安いのだろう。

姫路からは各駅停車に乗り換える。これで岡山へ向かう。
しかし、快速といいこの各駅停車といい車両が古いためか非常に寒い。
窓の外には雪も見え、外気も寒いのであろうが、それ以上にすきま風がひどい。
暖房も入っているようだが、まったく効いていない。

あまりに寒すぎて調子が悪くなってきた。
まさかこんなに寒いとは思わなかったので(四国に行くのだ)、
厚着はしていない。
これは大変だ。

後にして思えば、ここでけちらずに新幹線を使えば良かった。
暖房代と(新大阪から)2時間の時間代と思えば2000円は安いかもしれない。
そうそう、体調を元に戻すのに浪費したエネルギー代もあるか。
せめて相生からだけでも乗っていれば・・・。
(新幹線はとなりの駅までは特別料金で比較的安い。)

        ・・・

岡山駅、今度は瀬戸大橋線に乗り換える。
なんと、外気は暖かいではないか。
やはりさっきの寒さはすきま風のせいであったか。
早く新しい車両にしてくれ、JR西日本。

四国行きの列車(見ていたのは松山行き「しおかぜ」)は混んでいる様子である。
しかも並の混み方ではない。
幾ら連休とは言え、この混み方は異常だ。
とりあえずそれは乗る列車ではないが、自分の乗る列車もたぶんそうであろう。

私が乗るのは岡山発中村行きの南風である。
しかし岡山からは乗らず、途中の駅である児島から乗る。
児島までは快速マリンライナー(高松行き)で行くのだ。

なぜそうするのか。
それは、児島まで行くと、その分の距離によって特急料金の区分が1つ安い区分に
なるからだ。それほどの苦労なしに少しでも安くできる手段は何でも使う。

高松行きのマリンライナーも混んでいる。が先ほど見た「しおかぜ」ほどではない。
座れはしなかったが、まあ児島までは30分ほどだからよしとしよう。

このあたりは暖かい。日の光が強く、ウインドブレーカーなど着ていると
汗をかいてしまう。扉が開いてもなかなか涼しくならない。
さすがは四国に近いというところか。

しかしこの瀬戸大橋線、列車待ちの停車が多い。
新しい線区で、当然複線のはずなのにこれはどうしたものか。
特急が多いということもあるのだろうが、
ちょっと気になる。
(駅の設計がわるい=けちったな。)

児島に着いた。ここは瀬戸大橋のすぐ近く、いわば瀬戸大橋の
本州側の玄関口といえるところだ。
ここでしばらく「南風」を待つ。

        ・・・

しばらくすると「南風」がやってきた。
やはりというか、非常に混んでいる。
座れないのはもちろん、デッキ部分に立つ必要がありそうだ。
勿論禁煙席のところ。

瀬戸大橋を通るのは久しぶりだ。
以前仕事で松山に住んでいるときに何度か通ったが、
(あのときは開通後すぐだった)久しぶりに通ると
景色がよく見えてなかなか迫力がある。
一度上を走る自動車道からも見てみたいものだ。

ここは禁煙車だ。こういうところはデッキ部分も禁煙が「常識」だ。
だが、世の中には常識を持たない人間もたくさんいる。
ついでにいうと、最近は地下鉄の駅構内も、梅田の地下街も禁煙だし、
道路は灰皿ではない。しかしそういうことがわからないやつらが多い。
自分の体を痛めるだけならまだしも、他人の吸う空気を汚し、
あたりかまわずごみを散らかすその所行は悪そのもの、いや
馬鹿丸だしである。

ここにも馬鹿がいる。通路で煙だして喜んでいる馬鹿が。
しかも、混んでいて扉が閉まらない(この列車は自動ドアなのだ)ので空気が悪い。
こういうときは自動ドアにも困ったものである。
座席の人が、ちょうどドアの部分に立っている私を睨んでいるが、
こればかりは仕方がない。私もつらいのだ。

何駅かを過ぎ、少し人が減り通路から離れられたとき、
自動ドアのスイッチを切って手動にして無理矢理扉を閉めた。
これで少しはましになる。

        ・・・

高知までの線路は曲がりくねっている。だからよく揺れる。
単線の上に山の中を走るのでくねくねと線路が曲がっているかのだ。
これに先の空気汚染も加わって気分が悪くなってきた。
朝の体の冷えもあって、風邪がぶり返しているようだ。
熱もあろう。

それにしてもこの列車(気動車)の揺れ方は普通でない。
ひどいという意味ではなく、揺れ方が変なのだ。
このせいでの酔いもあると思う。
振り子式だろうか。

振り子式というのは、カーブの時、そのカーブにカントがある=線路が斜めに
傾いているところで、その斜めの線路に対して斜体を平行にしたまま曲がることの
できる車両だ(図解できないので、言葉だけは説明しにくい)。
こうすることでカーブでのスピードダウンを避け、高速走行が可能になる。
普通の車両は地面に対して平行になる。これでは台車(車輪)と車体の方向性の違い
からスピードダウンが避けられないのだ。
これは自分の体で実験するとよくわかる。

カーブの多い日本ではこの振り子式有効で、カーブの多い線区の特急の多くに
これが採用されている(ただし振り子式が最初に開発されたのは日本ではなく外国
である)。一番最初に入ったのは信州路の「しなの」、その他は紀州路の
「くろしお」、中国地方の「やくも」などがそうである。

しかし、カーブの多いすべての場所に振り子式を使えばいい、というというほど
単純なものではない。車両を振り子式にしただけでは駄目で、先ほど言った通り、
線路もカーブ部分にカントをつけたり、それに対応した
架線にしたりと、路線の改良工事も必要なのだ。

ただ、振り子式は揺れ方は普通の列車と違うため、酔い方が激しくなりやすいらしい。
普通は酔わない人でも酔ってしまうほどらしい。
これが欠点といえる。

今までに振り子式の列車に乗ったことは1回しかないが、
あのときは体調が良かったせいか揺れを変には感じなかった。
でも、今日のは明らかに変だ。
カーブ通過時の車体の傾きからもそう思える。
さらに制御音らしきもの聞こえるところから考えるに強制式と思われる。
私が鉄っちゃんで、列車をよく知っている頃にはこのような気動車の振り子式
はなかった。
やはり世の中は進んでいるようだ。

ここでまた余談だが、振り子式には自然式と強制式がある。
自然式というのは、車体を台車に対してコロのようなもので支えることで、
遠心力によって自然に車体が傾くようにしたものである。
構造は複雑だが、制御が簡単なので初期の振り子式にはこれが使われている。
余りに自然に揺れるのでかえってよってしまうのだ。
傾けるためには車体の重心をできるだけ低くしなければならないので
クーラーも車体下に付いている。特急電車で天井部分にクーラーらしきものがない
車両を見たら振り子式とみていい(381系)。

これに対して強制式は、空気圧や油圧などでカーブで強制的に車体を傾けるものである。
制御が難しかったが、現在はコンピューター制御で出来るので楽に実現可能になった。
強制的に傾けるので、自然式に比べて人間に優しく傾けると
いったことも可能で、酔いが少ないという話だ。

さて、事実はどうだろうか。

        ・・・

立っていると体がつらい。座りたい。
そう思っていると阿波池田でなんとか席があく。
老夫婦が降りそうなのを見てすかさず荷物で席をキープした。
他の人も狙っていたからだ。
助かった。

そのうち車掌さんが来たので特急券を買う。
座れたのは阿波池田からだからそこから、と言ってもよかったが、
まあ、一応正しく「児島から」と言った。
「****円です。」あれ?

どこでどう計算を間違えたか、安くならなかった。
計算より500円高い。
う〜ん、ここでも損をしたか?
(本当は損はしていないのではあるが。)

阿波池田から少し行ったところには有名な大歩危・小歩危がある。
奇岩を伴う美しい渓谷が売りものだ。
確かにいろいろな形の岩があって、緑色の川とあいまって美しい。

ところが1つ残念なことがある。
それは護岸工事だ。
川岸は護岸工事がしてあり、所々がコンクリートで固められているのだ。
これは風景を台無しにしている。
災害防止のためにはしかたないと言われそうだが、
それが、少なくとも上から見る者にとってはいいものではない。
(川下りをしながら、その場で見る分にはどう見えるかわからないが。)
お金がかかっても、護岸工事のコンクリートも回りの景色に合わせて
色や形を変えるなど出来ないものだろうか。

        ・・・

今回はここで降りて観光するのはあきらめた。
列車の乗り継ぎの関係からだ。
JR四国の列車の乗り継ぎは完全に特急中心であり、それ以外の列車は
非常に乗り継ぎが悪い。さらに快速や急行が少ない、もしくはほとんどないので
周遊券で廻るにはつらい。
(特急では高く、普通では時間がかかりすぎる。)
JR四国には何とかこのあたりを改善してもらいたい。
そうすれば学生や私など「低料金旅行者」(う〜ん、いい言葉)が増えて、
そこそこ増益になると思うのだが。
それともやはり四国は車で来るしかないのか。

このあたりでは左右にこの景色が展開するが、長く見ているには
進行方向(高知向き)に右側がいいだろう。

それにしても、このあたりにはずいぶんと雪が残っている。
私は松山に住んでいたときに、四国の冬の寒さを体感しているので、
「四国が一様に暖かい」というのが迷信であるということは知っていた。
しかし、松山より南(だと思っていた)のこの高知までこれだとは。
四国の山岳地帯は結構寒いのかも知れない。
そういえば松山での同僚が「四国には4つもスキー場がある」と言っていたが、
大阪より南の四国でそうだということは、
結構すごいことなのかも知れない。

やがて列車は山を越え平地へと入る。
さすがにこのあたりには雪はない。
ここが高知平野だ。
そして列車は高知駅に到着した。

        ・・・

列車はここから後ろが切り放され、前の何両かだけが中村まで行く。
駅では切り放し作業をしているが、それを見ている暇はない。
列車の中では駅弁販売もなく(あってもよってるので食べられなかっただろうが)
おなかがすいているのだ。

高知駅は意外にこじんまりしている。
そういえば松山駅もそうであった。
県庁所在地の駅ではあるがこんなものか。
大阪や京都などが例外的に大きいのかも知れない。

おなかがすいているので駅の回りを歩いて食堂を探す余裕はない。
駅舎内のラーメン屋で食べる。
喜多方ラーメンと書いてある。喜多方と言えば・・・
聞いたことはあるような気がするが、どこだったろうか。
(注;会津である。)
少なくとも高知ではないはずだ。
結構美味しい。
安さの割にサラダもしっかりしているし、これは当たりかな。

おなかを満たしたところでどこを見て回ろうか。
まずはレンタサイクルを探すが駅前にはレンタルサイクルはなし。
こんなところでもないのか。
ということは余り見て回るところがないということか。
駅前にレンタサイクルがないところは見るところが少ない、というのは
経験則である。

しかたないので歩いて回ることにする。
でも、ここで荷物をコインロッカーに入れるのももったいない。
YHに荷物を置いて回ろう。
なんと言っても「高知駅前YH」というくらいだ、駅からは近いだろう。

        ・・・

駅前は見覚えのある景色。
6年前、松山に住んでいるときに友人が大阪から遊びに車で来て、
一緒に高知まで来たことがあるのだ(帰りは1人でバスで松山に戻った)。
そういえば、駅前の自動販売機でジュースを買ったらもう1本当たりだったっけ。
何となくなつかしい。

YHへ向って歩く。
結構遠いじゃないか(1キロくらいか)。
YHの中では近い方かも知れないけど。
(注;今はこの高知駅前YHはない。2年ほど前に閉められてしまった。)

YHで荷物を置いて高知市内を歩いて回ることにする。
もらった観光地図によると、やはり見るところは少なさそうだ。
高知城の他は細かいところだけか。
桂浜は遠いので明日回しだ。
まだ熱があるのかちょっと寒気がするのでカイロを入れて歩き出す。

まずは高知城まで行く。YHから2キロくらい。
途中、急にトイレに行きたくなった。
ちょうど高知城の駐車場内にトイレがあったので入った。
本物の(?)トイレが工事中のため、仮設トイレであったが、
これがちょっとおもしろかった。

仮設だからくみ取りなのだが、一応水で流すようになっているらしい。
終わったらペダルを踏んで水を流してくれと書いてあるので踏んだ。
しかし水が余り流れてこない。
しょうがないのでもう一度。

ここではたと気がついた。
これは1度踏んだらどばっと水が出るのではなく、踏む度に水が出る、
そう、手動組み上げ井戸(最近の人にこれがわかるだろうか)のような感じなのだ。
おもしろいので何回か踏んでいた(変な奴かも知れない)。

そういえば、流れてくる「水」も怪しい。
なんか黄色い。
ちょっとお茶のような臭いがする。
薬品を含んだ水、いやひょっとすると巡回「お小水」かもしれない。
(食事中の方ごめんなさい。)

        ・・・

城門のところには大きな土佐犬がいる。
が、だれて雀と戯れていた。(麻雀してだれていたわけではない。アタリマエ!)
写真撮影用の犬らしいが、おじちゃんが「ニイハオとおいい」と言っていたが、
本当に言ったら写真を撮ってもいい。
・・・しかし結局ワンとも何も言わなかった。だれとんな。

ここではアイスクリンも売っている。
これは一応高知名物だろうか。
アイスクリームのようなシャーベット。
前食べたときには余りおいしく感じなかった。
とりあえず、今日は寒いのでやめ。

高知城からは市内が一望できる。
城の中にはどこの城でも同じような甲冑や刀、書物の展示があるが、
ここではやはりメインは坂本竜馬を中心とした幕末の土佐藩士の資料。
そうそう、天守閣に隣接する武士のいた屋敷まで(いったん外に出ずに)そのまま
見られるというのは意外に珍しいかも知れない。

天守閣の下では梅が咲いている。3部咲きくらいか。
見頃にはまだまだだが、白・赤・ピンクときれいな花が春を待ちわびている。

        ・・・

高知城を後にして、次はどこに行こうか。
とりあえず地図を片手に歩いてみる。
しかしどこも小さなところで、「ここは!」というところはない。
この町には坂本竜馬を初め土佐藩士の縁の場所が多いが、
ほとんどが小さなところなので、本当に一目見るだけ終わってしまう。
大きいからいいというものではないが、
そこそこ見るものがなければ、本当に通過するだけになってしまうのも事実である。

でも1つだけどこかを上げろと言われれば、「UFOの着陸予定地」というのは
ちょっと見物かもしれない。
川沿いに堂々とあって、妙におもしろい。
そこでしばらく空を見上げていたが、残念ながら今日は着陸してくれないようだ。

高知にはもっと見るところが多いと思っていたのに、これは意外であった。
観光案内書でも多くのページが割かれているのに、
やはり観光案内書というものはあてにならない。
山陰旅行の時もそう思った。
なまじ観光案内書で調べず直接行った方がいいのかも知れない。
やはり最終的にあてになるのは、地元の観光案内である。

        ・・・

川向こうの筆山というところに登ろうか考える。
その上にも何かありそうだが、この調子だと余り期待はできないだろう。
天候も良くないようだし、他に見るところがないのでアーケード街へ行く。

旅に来てこういうところに入るのはあまり好きではないのだが、
その地方の雰囲気を知るには、これもまたいいことではある。
ちょうどというか雨も降ってきてしまった。これはもう行くしかあるまい。

高知のアーケード街は、松山よりは小さいがそこそこの大きさがあり、
広くてなかなかきれいな場所だ。
しかし、高知らしいというお店はない。
いや、魚屋の店頭に並ぶものが新鮮そうだとか安いとか、
てんぷらがおいしそうだとかはある。

しかしそれにしても体が冷えてしかたない。
よほど風邪で具合が悪いらしい。
百貨店に入って温まることにする。

        ・・・

百貨店の中はうだるような暖房だ。
普通ならこのような所にはいられない、というか間違いなくウインドブレーカーは
脱いでいる。しかし今は着ていてちょうどくらいだ。
ふらふらするとか、頭が痛いとか、咳が出るとか、喉が痛いとかいう
いかにも風邪という症状はない。
だからなおさら熱の影響だけがよくわかる。

ずっとここにいるわけにもいかないので、このままアーケード街を抜けて
できるだけ駅近くまで歩く。
残念ながらこのまま駅まで行くことはできない。
実は高知駅はこのアーケード街から離れている=高知の繁華街から離れているのだ。
このあたりも松山に似ている。
松山の場合は伊予鉄道の松山市駅を中心にしているのだが、
高知でははりまや橋(からちょっと離れたところ)を中心にしているようだ。

アーケード街の端まで来てしまった。
雨はまだ降っている。しかもかなりひどい。
しかたない、ウインドブレーカーの帽子を出して、はや歩きでYHへ向かおう。
幸いその後雨は小降りになったが、YHに着く頃には
濡れねずみであった。

        ・・・

今日はYHも混んでいる。
幾らこのYHが駅に(比較的)近いとはいえ、この混み方は異常だ。
高知自体が異常に混んでいるのだ。

この原因はプロ野球キャンプにあるらしい。
今年は諸般の事情で国内でキャンプを済ましているチームが多く、
その多くが高知に来ているのでこの混み方らしい。
連休にプロ野球キャンプでも見てやろうということだ。
こういう所まで調べなかった方も悪いかも知れないが、
純粋に観光に来ている人間にとって、こういうミーハーなのは余り歓迎できない。
もっとも、観光などというものはすべからくミーハーなものかも知れないが。

混んでいるから、普通はホテルに行くような人までがYHに泊まっている。
会社の出張のような人もいれば、まずこんなところに来るはずのない家族連れもいる。
夜の11時くらいに入ってくる人まで。
そのおかげでYHの雰囲気がちょっと普通と違う。
おいおい、このYHの部屋は禁煙だぞ。

幸い私の入った部屋は、いかにもYH好きという人が揃っていて良かった。
こういうところでは話が弾む。
4人部屋に3人(後に1人入ったが)。
1人は学生さんで、就職前の最後の春休みに旅行しているということ。
東京から来て、いままでいろいろなところに泊まって今日はここにいるということだ。
そしてもう1人は中学生、なんと箕面から1人で来ているのだそうだ。

        ・・・

テレビを見ながら、そして体が冷えるのでビールを飲みながら話す。
私が自ら進んでビールを飲むのは珍しい。
そうでもしなければいられない程、体が冷えているのだ。
このとき飲んだビールはおいしかった。
何やら新製品らしいが名前を忘れてしまった。
中学生の彼は「ここは禁酒ではないのですか?」と言っていたが、
確かに部屋内はそうかもしれない。
でも1本だけだし、YH内の自動販売機で売っているのだから
よしとしよう。

私はここで医薬業界の流通機構について談義してしまった。
こんな少々お堅い話は、こういう所でする話しではないかも知れないが、
旅先では意外な知識が得られることがあるという意味では
そこそこ意味があったのではないか。
そう思ったりして。
中学生の彼には退屈であったようだが。

この中学生の彼、S君というのだが、見かけはかわいいのだが、
(私が女なら思わずちょっかいかけたくなるタイプと思った。
声変わりもしてないし。)考え方は結構しっかりしている、
というかちょっとおじんくさいか。

彼は現代の鉄ちゃんであり、なかなかに詳しい。
ということはもちろん、古い鉄ちゃんであるところの私と鉄道の話で盛り上がる
わけである。

        ・・・

ここでわかったこと。
高知まで乗った気動車(2000系)は、やはり強制式振り子であった。
(後の調べでは、世界初の気動車の振り子式であり、しかもあらかじめ通過路線の
状態をコンピューターに記録しておいて制御するのだそうだ。)

このとき、お互い知っている車両の型番を言い合ったが、
やはり私の知っているのはかなり古かった。
JRといえども、やはり進化しているわけだ。

それにしても、中学生ですでにYHを使い一人旅をするなんて、
なんともすごいことだ。
私なんて1人で泊まりがけの旅行をしたのは大学に入ってからだ。
友達だけで行ったのだって高校に入ってからだから、
中学で出来るなんて、とても偉く感じる。
(本格的に旅行するようになったのはお金が手に入るようになった就職して以降。)

話を聞いていると意見もしっかりしているし、
親もなかなかに良い教育をしているようだ。
将来が有望だ。
きっとすごい鉄ちゃんになることであろう。
ふふふのふ。

        ・・・

夕食は、高知といえばこれしかないという「鰹のタタキ」。
しかし、私はいまいちおいしいとは思わんなあ。
食べられないというものではないが、ちょっとくせがあり、
ご飯のおかずにはどうかなあ、という気がする。
まあ、ここに出たものがいまいちなのかもしれないが。
(注;今にして思えば、風邪のせいで味覚が麻痺していたのかも知れない。)

最近はYHの食事も良くなってきている。
食事という面では飛騨古川YHや立久恵YHがよかった。
朝なら松山YHや宮川旅館YHか。
まあ、夕食で1000円もとるのだから当たり前のような気もする。
(1000円あったら外でもけっこうな食事が出来るぞ。)

お風呂に入っていると、曇ガラス越しに向こう側=脱衣所に髪の長い人の
姿が見えた。「しまった。ひょっとして寝ぼけて女風呂に入ったか!?」
と思ったが(逆のパターンならラッキー!)、単に毛のぼさぼさのおっさんが
入ってきただけであった。思わず目を伏せがっくり。

私がちょうどお風呂に入っているときに、ビデオで高知観光案内をしていた。
私は先にお風呂に入りたかったので入ったが、
そのおかげでほとんど見られなかった。
これはちょっと残念。

高知県は、その観光ポイントが実は市内ではなく周辺地域にあるということが
わかる。桂浜しかり竜河洞しかりである、
ということは、列車で来るより車で、もしくは駅まで列車で来てそこから
レンタカーで回るというのが一番いいようだ。
そうすれば時間的制約も少なくて済むし。
今度からそういう手も考えてみよう。

就寝は10時。
こんなに早く寝るなんて、実に健康的だ。
今日は朝が早かったので眠れるとは思うが、
私は旅行に行くと深く寝られない。
それにこのベッドは狭い。
困った。
明日は晴れるといいが、今は雨音が激しい。

        ・・・「2/12(土)」・・・

一応今は雨足は落ちついている。
天気予報では今日の昼からは晴れるそうだが。

7:30から朝食を食べ、7:50には出発する。
ちょいとお急ぎの計画だ。

今朝はS君と一緒に桂浜に行くことにする。
ちょっと手間取って出発が遅れ、走ってバス停まで行く。
桂浜行きのバスは高知駅前からではなく、はりまや橋というところから出ており、
そこまではYHから1キロほどある。

はりまや橋というのは、例のアーケード街の終端近くにあるのだが、
一応高知の観光ポイントとなっている。
ところが、実際に行くとわかるが、これは橋の欄干だけが存在しもう川もない。
だから気をつけていないとどこかわからないし、わかったとしても「何これ?」
という感じになる。
由緒正しき橋なのではあるが。

雨の中を走っていく。
私は傘を持っていなかったので雨がっぱを着て走る。
さすがにS君は若いというか身軽だ。
どんどん先を行く。
(本当は遅れたのはS君のせいなのだけれどね。)

ぎりぎりセーフ。
始発のバス停ではなく、次のバス停の方が近いとわかりそこで待っていたからだ。
私は周遊券で桂浜行きの切符もすでに持っていたので、ここでは特に出費無し。
桂浜までは560円もかかる。往復で1000円以上、これはけっこうな出費だ。
周遊券では1割引になるのだが、それでも550円。ほとんどかわらんぞ。
もうちょっとまけんかい。

        ・・・

高知市内には市電が走っているが、残念ながら桂浜までは行かない。
そういえば、今回はせっかくなのに市電に乗ることがなかった。
ちょっともったいない。

狭い道路を通り、バスは浜に向かっているようなのであるが、
なかなか海岸は見えない。
私は新潟の海の近くを知っているせいか、浜の潮の匂いというものはわかるつもりだ。
が、風邪の鼻詰り+窓を閉め切ったバスの中ではそれも役にはたたない。
そして急に海岸沿いの道に出て視野が広がる。

桂浜に来るのは松山に住んでたときに以来だ。
あのときは夏の晴れた日だったが、今度は冬の曇空。
(この時点で雨はもう上がっている。)
しかし波の様子はあのときとまったく変わらなく見える。
季節を問わず荒々しい海、太平洋岸としては珍しいのではないだろうか。
(冬の日本海は荒れているが。)

丘の上から坂本竜馬が今も見つめ続けるこの海を見て、波の音を聞けば、
竜馬でなくともなにかしら思いにふけり、将来について考えてしまう。
特に波の音は深く重々しく、頭の中に流れ込んでくる。

        ・・・

S君は高知にだいぶ思い入れがあり、老後はここに住むと言っていたが、
その気持ち、わからないでもない。
ここにはそれだけ人を引きつける魅力がある。
が、彼が老後と言っても後60年は先だろうに、気の早い話だ。

S君とはここで別れる。
彼はこの後闘犬を見学して、ここで半日過ごし、後はバスで帰るのだそうだ。
最近は大阪から高知までの直行バスがあるので、これを利用するのだ。
このバス、安くてしかもなかなか乗り心地もいいらしい。
次回にはこれも調べる必要がありそうだ。

浜を歩き、岬(らしきところ)に上る。
ここにはほこらがある。そして眼下には海が広がる。
ここでは波が岩に当たって大きく砕ける様が間近に眺められる。
ど迫力である。
かなり潮が飛ぶのでカメラなど精密機械には大敵であるが、
夏には肌には気持ち良いものであろう。

そういえば、夏に来たときには浜にアイスクリン&おみやげ売りがたくさんいたが
今はまったくいない。
朝早いからか、天候が悪いからか、それとも閉め出されたか。
そのような噂を聞いたような気もする。

        ・・・

ここから小道を登り、丘の上の竜馬記念館に向かう。
最近出来た、坂本竜馬ほか幕末の土佐藩士などの資料を集めたところだ。
ここは建物のつくりもまたおもしろい。
海に向かってガラス棒が突き出ているような形なのだ。

入館料は350円。しかし今日は中学生以下は無料である。
S君がいたら喜んだだろうに。
中はきれいに資料がまとめられ、図書館部分もあって文献を眺めることもできる。
コンピューターによる竜馬クイズもあった。
おもしろいがちょっと速度が遅いのが難点であろう。
(おっと、思わずプログラマー性質が出てしまった。)

屋上からは太平洋が見渡せる。
うまいこと写真を撮れば海の上に立っているようにも写せるとS君から聞いたのだが、
うまくできなかった。
まあ、わかっていても曇天なのできれいには映らないだろうが。

なかなかおもしろく、ゆっくり見たかったのだが、
1時間足らずでは不十分だ。
十分に見るにはもっと時間が必要で、今日は館内を一通り眺めただけに
なってしまった。
これはもう一度来る必要がある。

        ・・・

重たい荷物をかついで、急いでバス停まで走って行ったらバスが遅れてきた。
おいおい。
(そういえば、竜馬記念館の入り口にある荷物ロッカーは無料である。)

再びはりまや橋に戻り、そこから高知駅まで走る。
バスは行きより遅れている。
はりまや橋から高知駅まで500メートル以上、走らねばなるまい。
重たい荷物をかついで。

今度は普通列車で大歩危の近く、豊永というところに向かう。
ここに今日の宿泊地、定福寺YHがあり、
今日の観光目的地の「福寿草の里」がある。

この列車は普通列車で、しかもワンマンである。
ということは、勿論のことながら車内販売はない。
しかし豊永に着くまでには1時になってしまう。
ということはどこかでお昼を食べねばならないのだが、
どこかで駅弁など売っているだろうか。
今回はおいしい駅弁の情報は得ていないので、行き当たりばったり購入しかない。

ここで鉄ちゃんなら気づくことがある。
この路線は単線で、しかもL特急が走っているのだ。
ということは、時々駅で通過/逆方向列車待ちをするということだ。
時刻表で調べると、案の定途中で10分以上止まる駅がある。
土佐山田駅だ。
ここで食べ物を買えたらいいのだが。

        ・・・

土佐山田駅に着いた。急いで食べ物を探しに駅舎まで走る。
幸い駅舎内にパン屋(やはりJR経営)があったので、
そこで買うことにする。
種類が豊富でおいしそうなパンが揃っている。
だが、あまり選んでいる暇はないので、「安くてボリュームがある」で
いくつか見繕った。

が、ここで1つ落とし穴があった。
店のおじさんの動作が妙に遅いのだ。
パンを1つ1つ袋に入れたりレジを打つのが。
元駅職員なのでそのあたりに慣れていないのだろうか。
こういう時に限って私の前に2人もいる。
しかも私の時には1つパンを落として別のを取りに行くし。
こっちは焦っているのに。

改札口に戻ると列車が見えない。
まっ、まさか・・・と思ったら、ワンマンで車両が短いので陸橋に隠れて
見えないだけだった。ほっ。
結局ぎりぎりで間に合った。
でも飲物は1本しか買えなかったけど。

でもここのパン、見た目だけでなく、本当に安かったのにボリュームがある。
これはお買い徳だった。
ちょっと多かったので、いくつかはおやつに回そう。

        ・・・

この路線には1つおもしろい所がある。
それは駅が引き込み線上にあるところだ。
        ‖
        ‖
        ‖\_____
        ‖ [   駅   ]
        ‖

このように、通過列車はまっすぐ進んで行くが、駅に止まる列車は
いったん引き込み線に入り駅に止まる。
出発時にはバックして本線に戻り、また前に動き出すのだ。
このとき運転手は前後の運転台を2回入れ替わることになる。
1両の列車だからいいものの、長い列車だったら大変だったろう。
(そんなときはワンマンじゃないって。)
最初、運転手がなんか出たり入ったりしているのでなにか事故でもあったのか?
と思ったが、こういうことだったのだ。
外を見たら何か行き止まりみたいな所に入っているし、
何事かと思った。
こういうことを見るのも鉄ちゃんにとってはうれしいことなのだ。


高知からしばらくは晴れて良い天気だったのに、
豊永駅に着いたときには外は雪が降っていた。
山間には風もあり結構肌寒い。

まずはYHへと向かう。
福寿草の里までの道はそこで聞かなければわからないし、
まさか山の上まで荷物を持っていくことは出来ない。
さすがの超ハイキングクラブの私でも。

今回の四国旅行の大きな目的に「春の花を見る」というのがある。
高知での菜の花は残念ながら見られなかったが、
ここではぜひとも福寿草を見たい。

今回はYHの案内図を持ってくるのを忘れてしまった。
だからYHまでどう行ったらいいかわからない。
高知駅前は観光案内地図でわかったが、
ここは駅前にそんなものはない。
幸い定福寺自体が有名なようで、道路に案内があるから何とか行けそうだ。

        ・・・

駅から定福寺まではけっこうな距離がある。
2キロ、しかもずっと上り。
川の上、崖沿いの道を歩く。

このときから右足膝が痛くなってきた。
単なる疲労痛ではなく、激痛で刺し込むように痛い。
しかし、ここまで来て歩かないわけにはいかない。
絶対に行くのだ。

お寺の前には雪がだいぶ積もっている。
10センチはあるだろうか。
滑らないように階段を登りYHに到着する。
まさか四国、しかも高知に来てこんなに雪を見ることになろうとは。
(ここも高知県内である。)

YHで荷物を置いて、福寿草の里までの道を聞いて出発する。
YHに到着したのは1時だが、昨日行った人の話によれば、
今からでも十分行って帰ってこれるとのことだ。

7キロ、山道だから歩いて2時間だろう。
しかも車道沿いではなく、山道を歩けば1キロほど短くなるらしい。
だが、この雪では山道は危ないかも知れない。
車道で行くか。

        ・・・

YHでもらった地図を片手に歩く。
寒い。カイロを2つ胸に入れるがそれでも寒い。
1枚トレーナーを着ればよかったのに忘れていた。
雪も激しくなり、ふぶいている。

ちょっと小腹がすいたのでさっき残しておいたパンを
1つ持ってきた。カレーパンだ。
脂っこいので袋に入れて持っていく。
後になってこのことが非常に重要な意味を持った。

車道を歩いて町へ出る。
郵便局の先の道から車道をそれて山道に入る。
雪の山道は危ないが、やはり1時間も短縮できるとなれば、これは行かねばなるまい。
足元の危険よりも体の危険を考えなければ。

山道に入ると行きなり分かれ道。
これがまた地図がハイキング手帳しているので、どっちに行ったらいいかわからない。
(注;この当時、大阪近郊のあちこちをハイキングする趣味を持っていたのだが、
この時使っていたのが「阪急ハイキング手帳」という阪急沿線のそういうところを
紹介した冊子である。ところがこの冊子、地図が余りにもいい加減で、しょっちゅう
迷ったのであった。その後何回か改訂されているらしいが、最近のはどうなっている
だろうか。)
悩んでいると下から地元のじいさんが「全部右!」と教えてくれた。
「ありがとうございます、気をつけて行ってきます。」

        ・・・

まるで耐寒ハイキングのようである。
積もった雪を踏み締めながら登る。
私はいったいどこに来たのだろうか。
まるで雪国にいるようだ。

これ程までの雪景色は大阪では見られない。
高知らしくはないとはいえ、風景としては美しいものである。
踏み締める雪の音、真っ白な山、
雪にたわむ木々、その中で光るみかん。
このあたりの木は雪に慣れていないのだろうか、
かなりたわんでいる。折れないのが不思議な位だ。

山の中では風も遮られ、道も想像したより楽で歩きやすい。
ただ、分かれ道が多く、一応すべて右に歩いてはいるが、
方向がまったくわからないので、ちゃんと目的地へ向かっているのか心配だ。

そうこうしているうちに靴の中に水がしみてきた。
所々に雪が融けたところがあり、そういう所を歩くとどうしても水がしみてしまう。
(このとき履いていたのは普通のジョギングシューズである。)
その水のため足が冷たくなってつらい。
あんまり冷たいので、袋を履くことにした。
さっき食べたカレーパンの袋だ。
中は油でべたべただが、そんなことを言ってられる状態ではない。
水がしみるのを防いだだけでもだいぶ楽になった。

地面を見ると、雪が所々丸く盛り上がっている。
その盛り上がり方が実に微妙で、まるで女性の乳房のようである。
いやお尻か(見たことあるんか、お前は!)。
おいおい、雪に欲情してどうする。(^^;;;)
しかしいったいどうしてこのような形が出来るのだろうか。
何か下にあるのか、風の仕業か。
その形状は数学的にも美しい。

        ・・・

また、所々積もった雪が半分融けて半透明になり、
曇ガラスのようになって下が透けているところがある。
このようなところでは、ときどき下に空気がたまっていて、
それが踏む度に移動してきれいだ。
ガラス板、いや水の上を歩く感じか。

雪のない大阪で暮らしている者にとって、
このような大雪はそれだけでいろいろな発見ができる楽しい空間である。


どこまでいっても山の中のような気がしたが、やがて車道に出た。
しかし、そこには福寿草の里はない。
まだまだなのか、いったいどこにあるのだ。
まったく見えない。

回りを見ると、遠くの山の上で人が歩いているのが見える。
まさかあそこまで行くのだろうか。
そうならまだまだ遠い。
う〜ん。

車道では、この雪の中であるにも関わらず車が登ってくる。
おそらくは福寿草の里をめざして。
でも、道にも雪がだいぶ積もっているので、結構危ない。
踏まれて泥々になった雪は歩くには困ったものだが、
車にとっても滑る原因になろう。
車が滑ってくる可能性があるので注意しよう。

結局、車道をさらに1時間ほど歩いてようやく福寿草の里の入り口に着いた。
(正式な名前は「南大王 福寿草の里」という。入場料250円。)
これでやっと福寿草に会えると思ったが、それは甘かった。
ここからが大変だったのだ。

        ・・・

入り口のおばさんよると「こういう日は福寿草の機嫌が悪い」とか。
それはどういう意味なのだろうか。
寒い日にはつぼみが閉じてしまうということだろうか。
まあ、それは直に自分の目で見て確かめればいい。

石畳の道を上って行く。
一面の雪。
福寿草などまったく見えない。
(このとき私は福寿草がどういうものか知らなかったが、
少なくとも花はどこにも見えない。)

石の道は、所々雪が凍って滑る。
登りがいいが下りは大変かも知れない。

雪をかき分けた中に黄色い花があった。
これが福寿草らしい。
その花は背の低いたんぽぽのようでもある。
つぼみの姿はふきのとうにも似ている。
本来は春の訪れを告げる花なのであろうが、
このように雪の中で耐えながらも花を開く姿も美しい。

春待ち草としては雪割り草も有名であるが、
それも乱獲によってほとんど姿を消してしまった。
新潟では20年ほど前には低い山の麓、田圃の近くでも見られたものが、
今はもう見られない。
雪うさぎもそうだ。
この福寿草も乱獲によって減ってしまい、
今はこの福寿草の里のように多く咲き乱れる所はないらしい。
ここはかなりの高地なので、かろうじて何を逃れたというところか。

        ・・・

美しい花は、その場所で眺めるのがいいのであって、
それは一人の我がままな奴のためにあるのではない。
しかもそういう奴は決して花は大切にせず、取った花を一生懸命育てるということは
せず(まあ、高地の花を平地で育てることなど出来ないだろうが)、
せいぜい鉢に植える程度で、枯れたら捨てるに決まっている。
花の美しさなんたるかがわからないような馬鹿どもには決して
近づいてもらいたくない。

春には5万株が咲き乱れるというこの里も、
今は雪が花の姿を覆い隠している。
前の人が見つけてかき出した花がいくつかと
自分が感で雪の中から見つけだしたのがいくつか。
でも最終的に見られたのが5株くらい。
あとの*10000株はいったいどこに行ったのだろうか。
入り口のおばさんの言った「機嫌が悪い」というのはこのことだったのだろう。

福寿草の里は昨日オープンしたばかりだから、
まだ満開には時期が早いのかも知れない。
(そういえば、昨日明日は何かイベントがあるのに今日だけない。
まあ、その分人が少なくてゆっくり出来ていいのかも知れないけど。)
もともと「開村時期が早いのでは?」と言われているらしいが、
今日のこの雪はまったくの予定外であろう。

花を探しつつ、さらに上り詰めると、上に休憩所がある。
ここには焚火がって、おみやげ物を売ると同時にうどんや田楽などが食べられる。

        ・・・

この休憩所の前で見知らぬ人から声をかけられた。
「だれかなあ?」と思ったが、よく考えると途中で道を聞いた車の人であったらしい。
こっちは余り覚えてなかったのに、向こうは覚えていたのね。
同じ所に来るなら乗せてあげれば良かった、と思ってくれたのでろうか。

建物の中は暖かい。
そう感じるが、温度計を見ると5度くらいしかない。
その証拠にこの中でも息が白い。
外がそれ程までに寒かったのだ。

うどんを頼む。
うどん自体は特別ではないが、ここで取れる山菜らしきものが入っている。
見た目にはほとんど白湯の汁は薄味で大阪人にはGOOD。

焚火で焼かれた味噌田楽もおいしい。
こういう所だから高いのかと思えば、そうでもなくむしろ安い。
まったくもってありがたい。

ああ、暖かさが身にしみる。


ここで売られているお土産は、皆ここで作られたものだ。
どっかで作ってここのシールだけ張って売っているという陳腐なものはなく、
本当にここでしか手に入らないものばかりだ。

ここで柚味噌などを買ってきたが、みな無農薬+手作りで、
その味はしっかりしていて不自然でなく、香りもいい。
もちろん合成添加物など1つも入っていない。
ここの自然を愛し、その恩恵を十分に受けて丁寧に作られた
「作品」とも呼べるものだ。
こんなに自然な味に出会うのは、ひょっとすると初めてかもしれない。
これで500円しないのだから、まったくもって安いと言えよう。
これを買うだけでもここに来た甲斐があるというものだ。

皆買って行きたいが、歩いて来ているということもあり、
軽そうなもの2つだけを買うことにした。
(かりんとうや瓶入りのソースもおいしかった。)

        ・・・

ずっとここにいてたい気もするがそうもいかない。
意を決して休憩所を出て下り始める。
勿論下りでも花を探しながら。

外に出ると雪はさらに激しく、見る見る間に新雪が積もる。
雪が目に入り、まともに前を向いて歩けない。
こんなに新雪を見るのは初めてだ。
さらさらしていてなんかふんわりしているようできれいだ。
でも歩く分には歩きにくい。

こんな中でも福寿草を探す。
さらに何株かを発見。
それは完全に雪に埋もれていて、ほんとに偶然に見つけた。
野生の感というところか。
苦労の記念に、できるだけ接近して写真を撮る。

花を探す目の前を小さな動物が横切る。
ねずみだろうか。
福寿草が残っているような所だ、他の小動物も残っているといるか。

下り道はやはり凍っていてまともには降りられない。
登りに踏み締めた雪がその後の強風で凍り付き、
登りの時よりさらにひどくなっているようだ。
道の脇の雪の部分をたどって降りる。
そりか段ボールでもあれば滑って降りるのだが。

このあたりは田圃か畑があるらしい。
山の斜面だから棚田のようになっているのだが、
その段を探し、足をかけて降りていく。
痛む右足には酷な動作だ。

再び入り口に着くまでにどれくらいの時間がかかったろうか。
少なくとも上りの倍以上の時間がかかっただろう。
温まった体も冷え、負担をかけていた足がだいぶ痛くなっていた。
もう普通に歩くことすらつらい。
しかし歩かねば戻れない。
無理でも歩いて降りなければならない。

        ・・・

車道も行きより雪が多くなっており、轍(わだち)の雪はさらにひどく泥々で、
靴もさらに水がしみべちゃべちゃになっている。
しかもこの冷たさ、凍傷になりそうだ。
さっきと反対側の足にも袋を入れて水を防がねば。
さっき買ったおみやげを入れてくれた袋に足を通して履く。
柚味噌の汁が出ているが、そんなことは言ってられない。
両足で、カレーパンの臭いと柚味噌の臭い。
もっとも今はそんな臭いをかいでいる余裕はないが。

ふと前を見ると、向こうの土手を何やら動物がかけ降りて行った。
猫だろうか。
真っ白で、大きさはそんなものだったが、この雪の中、猫が歩き回るとは思えない。
いたちだったかもしれない。

さらに車道を歩き続ける。
山道に入れば風が遮られるので少しは楽になろう。
まずはそこまでの我慢だ。

あと少しで山道に入るというところで(もう車道から山道へ入る分かれ道は
見えていた)、1台のタクシーが私の横に止まった。
「乗っていくかい?」

お金を持っていなかったのでためらっていたが
(お金があれば乗りたかったのは言うまでもない)、
「帰り道だから下までただで乗せて行ってあげるよ」という
言葉に甘えて乗ることにした。

このタクシー、先ほど福寿草の里まで人を乗せて行ったらしい。
その帰りに麓まで降りる途中なのだ。

乗ってから一応念のために料金メーターを見る。
空車になっている。
一安心。

下まで運転手さんといろいろと話をする。
大阪での高知のイメージからは信じられないほどの雪。
でもこのあたりのではにわか雪でこの位になることがあるとか。
う〜ん、認識が甘かったか。

下りの道を見ていたが、この車道は結構長い。
それにがたがたでそこらじゅうに水がたまっている。
見目にもきれいなものではない。
これに比べれば山道は雪できれいだったし、まあ歩きやすかった。
行きに山道を通らずに車道沿いの道を選んでいたら、登りだけでばてていただろう。
山道を選んだ自分の判断に脱帽である。(おいおい)

        ・・・

麓で降ろしてもらう。

        「本当にありがとうございました。」

予定より1時間くらいは早く麓に着いたので、体力がもった。
タクシーの中の暖房で体も温まった。
本当に、これのおかげで遭難せずにすんだ。
高知の人は暖かい。
それは気温(だけ)でなく、気持ちもそうだったのね。

麓までくれば後は歩いて20分くらいだ。
距離はあるが、もうきつい坂はないので楽だ。
雪も少しは小降りになっている。

そういえば、この麓は「落合」という名前なのだが、
山からの1本道がその町に突き当たるというか、下りの道が町に出会うという感じで、
まさに「落合」という名にふさわしい。
そういえば、箕面の滝道の途中にも落合という場所がある。
あそこも山から降りてきた道が滝道に「出会う」場所だ。
そういう場所を一般的にそう呼ぶのかも知れない。

歩いていると、工事現場の人が「駅まで乗って行くか?」と言ってくれた。
私たちは定福寺までだったし、もうそこからは階段を上るだけだったので遠慮したが、
先ほどとといい、ここといい、ここには本当にいい人が多くて、
外は寒いのに、心は温まる思いであった。
雪の中ではあったが、歩いて登ってよかった。
今日は本当に良い思いができた。

        ・・・

YHに着いて、夕食までの間大広間でゆっくりする。
ここには薪のストーブがある。
珍しい。
私は足が痛いので、足を暖める。
どうも冷えによる影響も大きいらしい。
暖めていると痛みが和らぐ。

この大広間には多くの人が泊まったことを示すものが
たくさん残っている。
本やCD、「人間国宝」が贈ったカセットデッキ、ギターが何本か、
そのほかいろいろとあった。
クラシックギターもあったので、私は久しぶりに弾いてみた。
もう1年以上弾いていないので音は出ないし、指使いも怪しい。
まあ、それでも「禁じられた遊び」の前半は弾けたが。
今年こそ復活しよう。
(去年もそんなこと言ってたっけ。)
(注;知っている人は知っている話なのだが、私はクラシックギターが弾けた
のである。今は昔の物語となってしまったが。)

ここ定福寺YHは別名「お笑い地蔵YH」という。
ここには七福神がまつられているのだが、
皆笑っているのだ。
「笑う門には福来る。」
その笑い顔を見ていると、それがわかる気がする。

        ・・・

ここのペアレントさんはお寺だけあっておしょうさんなのだが(ここは真言宗)、
この人が実に気さくというか斬新というか砕けたものの考え方でおもしろい。

中でもおもしろかったのが、新興宗教の話である。
たまに新興宗教がお寺を貸してくれと言ってくることがあるらしい。
ここには由緒あるお堂があり、宿泊施設もある、このお寺はそういう意味で
都合がいいらしい。
一度貸して、どういうことをするのか見てみたいといってられた。
ただ、いつも忙しい時期に言ってくるのでだめなのだそうだ。
なかなか現代的なおしょうさんでいい。

それでいて締めるところは締めている。
ヘルパーさんにはきびしく、食事の時の机出しや食事の用意はみんなでする。
昔はみなそうだったが、最近はこういうYHは少ない。
かと言って昔みたいな変な拘束はないし、
このようなのもいい。

食事は特にここの名産というものはないが、
結構豪華であった(お寺だからといって精進料理ではなく洋食)。
食事中は「牛乳を2秒で飲む女」の話で盛り上がっていた。
本当に200mlを2秒で飲み干すことは可能だろうか。
その人が確かに牛乳飲みなのは体格を見ればわかる。
牛乳に弱い私には出来ない技だ。

ここのYHには外人の人も多いようだ。
今日も2人いるが、オランダの人とアメリカ?の人であった。
だからと(といってはなんだが)、おしょうさんもある程度英語がしゃべれる。
片言の英語でも通じるもんだなあ、と思うと同時に、
その姿が何となく愉快でおもしろい。

ここには連泊で泊まっている人も多い。
それは、修行を認定してもらうには連泊が必須条件なのと、
ここに人を引きつける魅力があるからだ。
今の若い人の旅行、いや年輩でも同じだが、自由というか、行き過ぎて我がままが
横行している現在では、このような梁(はり)があるというか
1本筋の通ったところはかえって新しくいいのかも知れない。

このYHでは5つの修行コースというのを設定している。
この修行コースは楽なものでも超ハイキング並、
すごいのは何日もかけて何百キロも走るというものまである。
各コースを終えると認定証をくれる。
3コースを終了すると「国民栄誉証」を授与され、
全コースを終了すると「人間国宝」として永久記憶される。
私が今日も1人人間国宝の人が泊まっている。(しかも女性!)

福寿草の里まで行くコースは、実はこの時期だけの特別コースで、
この修行コースから言うと番外編になる。
したがって、修行終了認定はされないのだが、
行ったという証明書はいただける。

いい記念だ。

食事後は歓談。
まずはおしょうさんが修行コースの全貌を紹介する。
すっ、すごいじゃないか。
超ハイキングの比じゃないぞ。
その後、今日それぞれの人が行ってきたコースの紹介をする。
今日は私だけが福寿草のコースを、後の人は雫石(しずくいし:だったと思う。
霧石だったかな?)というところに行ったようだ。
雫石と言うのは、崖で1本の岩が突き出ているところで、
簡単に言えば崖っぷちだ。その先まで行くコースらしい。
こちらも道がぐちゃぐちゃで大変だったらしく、
ローファー(女の子にはわかるらしい)の靴の娘は
脱いで歩いてたということだった。

お風呂。
本当はおっきな湯船があるのに、その中に小さな木の桶を入れて、
そこに入るようになっている。
なぜだろう?省エネのためだろうか。

そういえば、私が入ったとき、先の外人2人が入っていた。
そしてドイツ語で何やら話している。
英語ではなくドイツ語であるということはわかっても、
その内容はトンとわからないのであった(1、2単語くらいはわかったが)。

それはいいとして、この2人が話しながら長風呂するもんで
(外人も長風呂するのか?)、そうでなくても小さなお風呂、
外人2人に入られた暁には私が入るスペースがない。
んなもんで、その2人が出るまでの間、湯温が安定しないシャワーをかぶりながら
耐えていたのであった。
また風邪をぶり返させるところだった。
今度からお風呂に誰が入っていて、
風呂桶がどれくらいの大きさか確認してから入ろう。
(このときは2人しかいないから入れると思ったが、判断が甘かった。)

今日は疲れているのですぐに寝られるだろう、そう思った。
しかし、慣れないベットは眠りが浅い。
やはり私は畳の上で寝るのが一番いい。
しかも羽毛布団は暖かすぎる・・・
こういう時は家の板布団(煎餅よりもさらに薄い)が懐かしい。
うう、貧乏なんて大嫌いだ!!

        ・・・「2/13(日)」・・・

今日もまた少し寝不足気味である。
どうも旅行に出ると深く眠れなくていかん。
私は枕が変わると眠れなくなる方らしい。
(それに妙にあったかいのもだめ。だから冬場の関東方面の旅館では眠れない。)

夜の間も少し雪が降ったようだ。
外はまだ白い。
外気温も低そうだ。

ここのYHでは朝お堂での修行があるらしい。
しかし、列車の都合上朝が早いのでそれには参加できない。
勿論朝食も抜きだ。
(朝食付きと言っておいて急にキャンセルしてごめんなさい。
きっとヘルパーさんは怒られただろうなあ。)

この列車には他の人も乗るが、私は足が痛いということもあって
少し早めに出ることにした。

今日は雪はやんでいる。
しかし寒い。
足の痛みはとりあえずましではあるが、冷えるとどうなるかわからない。
前にもこのように足が痛くなったことはあるが、そのときは1晩寝れば直った。
今日はどうだろうか。
まずは駅までゆっくり歩こう。

このあたりの川は緑色をしている。
岩が緑色をしているので、岩がごろごろしている川もそのように見えるのだが、
変わった色だ。
どういう岩でこうなるのか、YHで聞こうと思っていたが、
聞けずじまいになってしまった。
どうも粘土質のようだが。
昔は地学が得意だったが、今はとんと疎くなっている。

そういえば「庭石採取禁止」という看板があった。
確かに河原を見ると庭石にいいと思う石がたくさんある。
ほしいと思う気持ちはわからないではない(でもいけないことだよ)。
しかし、道路から川岸まではかなり高い。
あの河原から上まで運びあげるのは至難の技である。
(河原に降りる道がどっかにあるとは思うけど。)

道路沿いに梅が1本花をつけている。
廻りには他にまったくなく、本当に1本、ひっそりと梅の花がある。
飛び梅と書いてあったか。
まさにその通りだ。

        ・・・

私の後からYHを出発した人に途中で追い抜かれる。
こちらはゆっくり歩いているので、もう追いつけない。
まあ、競争しているわけではないし列車に間に合えばいい。
(本当はちょっと悔しい。)

・・・あっ、前の2人、道を間違えて行ってしまった。
急ぐからそうなるんだぞ。
もちろん、列車到着までにはちゃんと戻ってきた。


駅に付く。
豊永駅に止まる列車は各駅停車のみ、しかも高知から阿波池田まで走る列車は
1日に数本しかない。この朝8時のを逃すと今度は12時近くまでないのだ。
だから朝早くともこれにしたのだ。
ホームでコーヒーを飲みながら列車の到着を待つ。

列車に乗る。勿論ワンマン。
外の景色は大歩危・小歩危。

とある駅に着いたとき、駅の真前でクラッシュしている車を発見。
前部が大破している。
あれではもう走れないであろう。
スリップしてどこかにぶつかったようだ。
運転手を見ると、いかにも「若気のいたり」といったような感じである。
冬道をなめてかかったのだろう。
幸い、事故の規模の割にけが人はいないようだが。
(もうすでに運ばれた後だろうか。それなら警察が来てるはずだが・・・)

その駅ではすれ違い列車待ちのため長く止まっていたので後処理を見られた。
同じく列車に乗っていた人と顔を見合わせて「ああぁぁ」という感じ。
JAFが来て牽引しようとしたが、なぜかやめてしまった。
牽引では運べないほどに後部もやられていたのだろうか。

そのとき、そこを避けようとした車が1台ローリングした。
やはり道路が一部凍結して滑るようだ。
見た目にはただ単に濡れているようにしか見えないのだが。
昨日の雪、そして今朝の冷え込みの影響は大きい。
冬、雪の降った翌日、山の中の道は絶対に無理は禁物。
準備万端、スピードも落として走行しなければならない。
他人のふり見て我がふり直せ。

        ・・・

阿波池田に到着。
ここでは観光予定はないのだが、またもや普通列車の乗り継ぎがわるいので
ここで1時間以上待つのだ。
特急なら10分で接続があるのに。
(ああ、特急を自由に使って旅行が出来るほどになりたい。ささやかな夢。)

ここでは祖谷(いや)そばというのが有名らしい。
本当は祖谷と言うのはもっと山の奥なのだが、ここでもそばだけは食べられるらしい。
これがおいしいからぜひ食べなさい、と云われていたので、
朝食に食べようと思っていた。
が、ホーム内のお店ではそばは売り切れ、
だからといってこんな所で普通のうどんを食べるのも何だし。
駅舎内のお店は10:30まで開かない。
しかたないので、時間つぶしに駅から歩いて行ける範囲を歩いてみることにした。

「池田」と聞けば何かしら思い出す人もいるかも知れない。
北大阪にも池田高校はある。
私の母の母校であり、北大阪第1学区内ではそこそこの進学校である。
(私は箕面高校出身。)

そうではなくて、ここにあるのは甲子園で有名なかの池田高校である。
観光地図によると駅から近いように書いてある。
が、歩いても歩いても見えない。
実際はだいぶ遠いようだ。ハイキング手帳な(=ええ加減な)地図やなあ。
まあ、池田高校に行っても今日は日曜だし、それにかの名監督蔦さんは
辞めている。

        ・・・

他には何も見るところがないようなので駅に引き返す。
行きと同じ道をたどってもしかたないので、別の道で。
その途中、細い道に入ると古い家並みがあった。
このあたりの家には「うだつ」がある。
「うだつがあがらない」という言葉の中にある「うだつ」だ。

「うだつ」というのは家と家の間にある「↑」形をしたものだ。
儲けた家にはこれがあり、そうでない家にはない。
そこから「うだつがあがらない」という言葉の意味が出来たそうだ。

近くにはこの「うだつ」を観光ポイントとする、というような記念碑があった。
しかし、観光名所にしようにも狭いし、みやげ物屋も何もない。
まあ、知る人ぞ知る隠れたポイントと云うところか。

駅に戻る。
まだそば屋は開いていない。朝早く出てきたのでおなかがすいている。
しかし、せっかくなのに祖谷そば以外を食べるのももったいない。
駅をうろうろしながら待つ。
(ここには駅スタンプがないぞ、高知もなかったけど。土佐山田にはあったのに。)


10:30になってやっと店が開く。
のれんをかけられてすぐに飛び込む。
列車は10:40、時間がない。
さっそく祖谷そばを頼む。
さあて、いよいよ祖谷そばと御対面だ!

・・・が。
なんかぼろぼろのそばで、食べにくい。
そば自体とつゆはまあまあなのだが。
こんなものなのだろうか、祖谷そばと云うのは。
たいしておいしいものではないなあ・・・

後で読んだもの(JR四国のパンフレット)によると、
ここのそば屋はJR経営で、そこの祖谷そばはそば粉80%なのだそうだ。
だからつながりがわるく、ぼろぼろしていたのだ。

しかし、ちゃんと練っていればそば粉100%でもちゃんと麺になるはずだ。
それに本物の祖谷そばはもっと麺が太いということもわかった。
まがいものを食べてしまったというわけだ。
高かったのに。ぷんぷん。

        ・・・

普通列車で琴平へ。
ここの観光目的はもちろん金比羅さんである。
一般に「こんぴらさん」といっているが、これは山の名前ではない。
駅は琴平、山は象頭山、お寺が金比羅さんである。

駅舎内に列車運転シュミレーターがある。
これは!
やらねば鉄ちゃんの名がすたる。

さっそく100円入れる・・・が動かない。
パネルに書いてある出発動作を何回やり直しても駄目。
画面には何も映らない。

苦情を言ってセットし直してもらうが、時間がかかるかようだ。
これ以上の時間はもったいないので先を急ぐ。
(この後戻ってきたときには直っていたようだが、そのときにはもう時間が
なかったので結局出来なかった。残念。)

ここは他にも四国の鉄道の歴史の資料がある。
古い鉄道装置や、だいぶ色の落ちた記念切符などがたくさん展示されている。
このあたりが好きな人にもいいだろう。

そういえば、琴平駅というのはちょっと変わったつくりをしているらしい。
金比羅さんの本堂と同じ形をしているのだ。
と、それを思い出したのを大阪に帰り着いてからであった。
思い出していれば駅舎の写真を撮ったのに、残念。
(確かそうだったと思う。あれ?琴電琴平駅の方だったかな?)

荷物をコインロッカーに入れて歩き出す。
金比羅までは近いと思ったら、ちょうと距離がある。
琴電琴平駅を過ぎ、川を渡って門前町へ入る。
いろいろおみやげがあるなあ。
何やらお酒の展示館もあるが、有料なのでやめた。
小豆島のマルキン醤油記念館のように、入ったら醤油の小瓶じゃなくて
お酒の小瓶でもくれれば入ったのだが。
(マルキン醤油記念館はYHの会員証があればもらえる。
小豆島はYH会員証があればいろいろと安くなる。)

        ・・・

階段の手前にあるうどん屋。
威勢のいいおばちゃんが客引きをしている。

        「おいしくなかったらお金はいらないよ。」
        「どう、食べて行き!」
        「(登る前に食べたらしんどいから、)帰りに寄るわ。」
        「顔覚えとくから必ず来てや!」

まあ、讃岐うどんは食べる予定だから、降りてきたら考えよう。

そこから長い階段を上って金比羅本堂へと向かう。
ところが、もう膝が痛くてしょうがない。
この足の状態での階段の登り降りは、普通に考えれば出来る状態ではない。
しかし、ここまで来て登らないで帰るわけにはいかない。
超ハイキングクラブで鍛えている人間がこんなところで引き返してたまるものか。
意地でも登ってやる!

途中の山門まで、両脇にはみやげ物屋が並ぶ。
中には靴(間違ってもハイヒールで登るようなまねをしてはいけない)や
杖を貸しているところもある。
杖を借りたいが、何かものを買わねばならないだろうし、我慢する。
ここには篭もあるのだが、高いし(¥2000?)、
だいいち、これもこの山門まである。

山門直前ではジュース&甘酒(この寒い中での甘酒はさぞおいしかろう)を
売っている。
しかし、ここから中は一般の商売禁止である。
(ただし1つだけ例外があって、それは「5人百姓」という飴売りである。)
さらに上に行くと禁煙、うるさいガイドすら禁止(正確に言えば拡声器禁止)となる。
しかし、団体というものは所詮人間性が失われたどとうの集団であり、
守られていない(私は過去の経験より、団体で来る奴らが嫌いである)。
まあ、こういう奴らは個人で来てもそうなのだろうけど。
個人じゃこういう色のない所には来ないか、えっ、おっさん。
こういう連中は平気で横1列に広がってだべっており、なかなか前に抜けられないが、
出来るだけこの団体から離れたいので、一瞬の隙をついて思い切って走って抜ける。
この!足が痛いのに走らせやがって!!

        ・・・

山門から中は木が繁っている。
そして、このあたりにももちろん雪が残っている。
それが木の上から落ちてくる。
カメラが濡れないように気をつける。

長い階段を上り、ようやく本堂に到着する。
本堂で「無事に到着させてくれてありがとう」とおまいりしたのち、
脇の見晴らしのいいところへ。

地面には雪が積もり、それが半分解けてべちゃべちゃになっている。
下が粘土質らしく、よけいにひどくなっている。
せっかく乾かした靴がまたしみる。
それはまだいいとしても、ここで転んだら大変だ。

ここからは讃岐平野が一望できる。
遠くには讃岐富士や瀬戸大橋も見える。
お寺がなければ城が出来るような場所だ。
ここが平野の中にぽつんとある高い山だというのがよくわかる。

ここは海運の神様らしく、絵馬堂には船の安全を願ういろいろな進物が飾ってある。
それは絵馬ならぬ船の写真・模型・旗などで、
中には潜水服やエンジンの模型などもあった。
個人や企業などの民間の船だけではなく、自衛隊の潜水艦まであるのはおもしろい。
(例の「なだしお」はなかった。「うずしお」というのはあったが。)
戦闘艦といえどもやはりこういうことは気にするのか。

本堂からさらに700段の上には奥の院もあるらしい。
しかし、この足ではそこまでは登れない。
次回にチャレンジということにしておこう。

降りるときにはさらに足の痛みが増す。
つらい。
階段を降りきったときにはもう気力だけで歩いているといった感じである。

        ・・・

麓で讃岐うどんを食べる。
行きに「帰りに寄るわ」といっていたお店だ。
おばちゃんが本当に私の顔を覚えていたかどうかは疑問だが、
それはどうでもいい。
「まずかったらお金はいらないから」と言い切るのだから味には自信があるのだろう。
それで他のお店には行かずここに来た。

店の中はお昼時ということもあって混雑している。
釜上げうどんを注文。
はたしてほんとうにおいしいか。
今日は祖谷そばでだまされているからなあ。

しばらく待ってうどん登場。
う〜ん、つゆの香りはいいねえ。
肝心のうどんはどうか。

「う、うまい!!」
いやあ、これはおいしい。
つるつるして腰があって、ぷっつんと噛み切れて、
味といい歯ごたえといい、いいぞこれは。
さっきの祖谷そばとはえらい違いだ。

つゆもおいしい。
さすがに自信があるだけのことはある。
ちょっと量が少な目に感じるが、500円でこれなら十分だ。
これを食べるためだけに来る価値もある。
さっそく「次回もチャレンジ」と記録したのであった。

おみやげにも手打ちのうどんを買って行った。
(で、後で家で食べたのだが、やはり店ほどうまくは出来なかった。
ゆで方にもこつがあるんやね。)

        ・・・

再び駅に戻る。
その途中で車にあわやすられそうになった。
「この狭い道で飛ばすな、このおばはん!!」
やはりどこに行ってもおばはんの運転は恐い。
走り去る車の背に、思わず中指を突き立ててしまう私であった。

次の列車の時間までにはかなり余裕がある。
運転シュミレーターをやって時間をつぶすというのももったいない。
かといって予定を切り上げて早めに帰るのも同じ。
岡山は何回も行ったし。
ということで隣駅にある善通寺へ行くことにする。

実は周遊券にはこの善通寺行きのバス券が付けられていた。
ここにも行かなければ周遊地2カ所行ったことにならないと言われたからだ。
しかし、本当だろうか。
うたがわしい。

まあ、それでもこのバスを使えばいいのだが、
残念ながらこのバス、非常に本数が少ないらしい。
しかたないので列車で行くことにする。列車なら周遊券でそのまま行ける。
善通寺に行くだけなら列車で行けるんだぞ。
どうなってるんだ、JTB。


善通寺は善通寺駅から歩いて行く。
ほとんど直線のコースなのだが、2キロほどある。

善通寺は金比羅とはまったく対象的に、完全な平地寺である。
そこまでの道中、坂はないのだが、
そんな道のりですら今のこの足にはつらい。

この町はなかなかきれいだ。
市役所前には公衆便所もあるぞ。
気に入ったぞ、善通寺市。
(私はその町/会社の良さは便所で見きわめられると思っていたりする。
そういう目の届かないような所にまで気が配られているかどうか、
それは結局、全体的な気の配りようにつながるからだ。)

途中、クリーニング屋の軒先にセーラー服が吊るされている。
店の真前、手が届くところに。
こっ、これはその筋の客の引き寄せのためだろうか。
大阪では非常に危険な行為だぞ。
・・・私は大丈夫です。(何が?)

        ・・・

お寺に着く。
境内は広い。
5重の塔もあり、立派だ。

ここの本堂にはたくさんの、一風変わったお地蔵さんがたくさんいらっしゃる。
何が変わっているのかと言えば、「顔」がユニークなのだ。

普通のお地蔵様というのは目を閉じ瞑想しているように見える。
だが、ここのお地蔵さんはみないろいろな顔をしているのだ。
どの様なといわれても困るのだが、怒ったりとか笑ったりとかいう
明かな表情の変化というよりも、瞑想している状態で顔がそのようになっている
という感じだろうか(よくわからん表現)。
表情だけじゃなくて、仕草もさまざま。
とにかく、とても人間味のあるお地蔵さんだ。

このお寺には多くのハトがいる。
これが一斉に飛び立ち、頭の上をかすめて飛ぶのは
なかなかに迫力がある。
手を上げたらぶつかりそうな程の低空で頭上を飛んで行くのだ。
その瞬間をカメラに納めようとしたが、うまくいかなかった。
やはりこういうのを撮るにはビデオがいい。
(AutoFocusカメラはこういう時にピントが合いづらくていかん。
マニュアルモードにすればいいんだけど。)

隣にもお寺がある。
別のお寺なのか、それとも善通寺の別院なのか。
敷地としては通路1つで隣合っている。

通路には出店があって、いいにおいをさせている。
何か食べたいと思うのだが、こういう所のはだいたい「まずい」ので
躊躇してしまう。
その躊躇を押してまで買うに値するような「これ」といったものはないし。

「まずい」と知りつつ買ってしまい、後で「やめときゃよかった」と思う
ことを何度も経験している。だから最近は余り買わないようにしている。
よほど安いとか、(なんとなく)信用できそうとか、雰囲気的にやはり
買いたくなるとき以外は(盆踊りなんかは、わかっていてもついつい買ってしまう
「雰囲気」がある)。

そう思いながらそこを過ぎ、お寺を見て回る。
さら奥にはお寺があるが、もう時間がない。
駅に戻ることにする。
(足の痛みを考えて、十分な時間を持って帰りモードに入る。)

        ・・・

駅舎内には、ここもJR経営の駄菓子屋がある。
何でこんな所に駄菓子屋が?という感じだが、目の付けどころはいい。
なつかしいお菓子がたくさんあり、あれもこれもとほしくなってしまう。
それは大人にも子供にも共通する思いであろう。
値段も手ごろだ。
私もついつい買ってしまった。
帰りの列車内で食べるためのものを。

普通列車で岡山へ。
帰りは行きとは違い座れた。
道中窓の外を見ていたら、行きにはなかった雪がどっさりと積もっている。
12日の雪は高知だけでなく、このあたりも降ったのか。
(その雪がここだけでなく全国的であったらしい、ということがわかったのは
後のことである。大阪でも多く積もったあの日だ。)

岡山では夕御飯の弁当を買って、姫路行きの普通に乗り換え。
姫路からは新快速で新大阪へ。
これで今回の四国旅行は終わりだ。

思えば今回の旅行はいままでとだいぶ勝手が違った。

        余り忙しく観光地を回らない
         (いつもなら2時間刻みくらいで回る)
        自転車を使っていない
         (その2時間を有効に使うため移動は自転車だ)
        普通周遊券を使った
         (いつもはワイドかミニ周遊券だ)
        (まともな)駅弁を食べていない
         (宿泊費は削っても駅弁だけはいいの食べてたのに)
とか。
いつもいつも同じパターンで回らなくても、
こういうのも良かろう。
これで足さえ痛くならなければ良かったのだが。

今年は連休が多い。
またちょくちょくと出かけたいものだ。
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