「摂津峡ハイキングレポート」(2002/03/11〜04/12号)
これは昔趣味にしていたハイキングのレポートである。
このハイキング、その余りのハードさに「超ハイキング」と呼んでいたのであった。

ハイキングは多くの場合、複数人数で行っているので
「我々」という書き方をしている。
因みに、隊長は私であった。

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いたレポートを再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

        ・・・

今回のハイキングは高槻からちょっと行ったところにある摂津峡とその周辺である。
まずみんなはJRの高槻駅で集合した。
前回と違って今日はみんな遅れることなく時間通りであった。
しかし、高槻駅は結構広い。
もっと分かりやすい目印をつけておかなきゃわからない。

直前になって阪急からJRに変えたのはJRの方が近くて早いというのもあるけど、
JRなら私の持っている定期で新大阪まで行けるので便利だから。

高槻駅前でバスを探したが、このバスがまたあまりない。
しかも!前のバスが出たばっかりだったので次のバスまで40分もある。
そんなに待つのはいやだし、バスでもそんなに安くないようなので、
4人でタクシーに乗った方が安いかも知れないってことでタクシーで
上の口(かみのくち)という所まで行った。
本当にタクシーの方が安かった。

タクシーの運転手さんの話では、夜にくれば蛍が見られるらしい。
蛍はもっと遅い時期だと思ってたんだけど、今ごろらしい。
曰く、「田植えの時期です」。
ふ〜ん、新潟じゃもっと遅い時期に見られるからもっと遅いと思ってた。
やっぱり新潟は寒いから遅いであろう。

        ・・・

「あの山が摂津峡ですかぁ?」
前に見えている山が摂津峡のある山だそうだが、
タクシーはまっすぐ進まずに何回もくねくね曲がって進む。
私だったら絶対に迷う。

タクシーで上の口まで送ってもらって、そこで降りて川沿いに歩いた。
ここはもう大阪とは思えないほどの田舎風景。

最初いきなり「ちょっと」道を間違えて行き止まりの方に行ったが、
一度川沿いに出たら足場もちゃんと整備されているし、歩き易い所だった。

この川の周りあたりを摂津峡というみたいだが、
いかにも峡谷という感じで、
川もきれいだし、魚も泳いでいるし(あゆがいるって書いてあったけど、
見たのはもろこみたい)、かじかは鳴いているし、
へびいちごはあるし(これは食べてもおいしくないけど)、
緑もあるし。
そうそう、ひらひらと優雅に飛ぶとんぼもいた。
これで夜に蛍が出るっていうんだから、大阪の緑もまだまだ捨てたもんじゃない。
もっともここが大阪っぽくないんだが。

途中「白糸の滝あっち、桜公園こっち」っていう看板があった。
白糸の滝っていうのがこの近くにあるのだが、帰りにそこを通って
ここに戻ってくるはずだから、行きは桜公園の方に行く。
でも、この看板を見たのはこれが最後。
これがどう意味かは、後にわかる。

        ・・・

道は川から離れてやがて開けた場所に出た。
ここが桜公園。
さっきの川の付近にはあんまり人はいなかったのに、
ここにはとてもたくさんいる。
たぶん、こちらは車で来れるからであろう。
こんな所に来るときには車じゃなくて列車などで来た方がいいのに。

ここでトイレに入ったのだが、このあたりのトイレ、長年洗われていないようで、
なんというか黄色いアンモニアの幕(?)がコーティングされていて
とっても臭い。
そういえば妙見山の上にあったおトイレも同じような臭いがして
鼻に残って困った。
今度から消臭剤でももって行こうか。

でも、私たちの目的地はここじゃない。
ここから自動車道沿いにもっと上の方に上って行く。

やっぱりこんな所に車が路上駐車されている。
そんなにひどくはないけど、やっぱりこういうのっていや。
思わずファイナル・ファイトしたくなってしまう。
(注;ストリート・ファイターで有名なカプコンの昔のゲームである。
その中で車を潰すシーンがある。)

ここは見た目は結構きつい坂だが、周りが緑でいっぱいだし、
空気がきれいで景色もいいので結構楽に上れる。

くねくねと上って、坂道発進の練習している車のそばを
通って(そういえば私の住んでいる千里では坂道発進できなければ
車に乗れない)行くと一端平らになる。

何やら看板があってここに関西大学の情報学科が出来るらしい。
でもこんな山奥に出来たら通学が大変だから
さぞかしさぼる学生が多いことだろう。
ひょっとすると学生の家と通信回線でつないで
それこそ「通信教育」するのかも。
そうなればいやな教授でも気にならないし、自分の好きな時間に勉強できるし
いいかも。まあ、そんなことはないだろうが。
(注;と、この時には思ったが。今の時代ではそれはもう現実なのかもしれない。)

で、もう少し進とまた道は登りになってきた。
昨日夜遅かったから今日は体の動きが悪い。
しかたない、上って行くか。

        ・・・

今日は晴れると思って暑くなるだろうからと半袖で来たが、
結局は曇なんだけど、それでも歩いているからだろうが、そんなに寒くは感じない。
それでも摂津峡のあった場所から少し上っているせいか
ちょっとだけ肌寒い。
ここってどれ位高さだろうか。

そこからまた坂が続くが、その途中で隊員がいいものを見つけた。
蛍だ。
最初道路を指さして何か言っているけど何にも見えないから
なんであろうと思ってよくよく見たら蛍がいた。

小さい蛍だったけど源氏とか平家のどっちだろうか。
よく見たらお尻の所が光ってる。
なんにしてもまさか昼間に来て見られるとは思ってなかったのでうれしかった。
最後はちゃんと逃がした。
短い命、無駄にしたらあかん。

さらに上がるとこんな所に住宅街がある。
こんな所に住んでたら通勤が大変そう。
前の妙見の時もそう思ったけど、自然の良さと通勤の楽さとどっちをとるかだな。
私だったらどっちにするか。
両方がいいなあ(ごうつくばり)。

もっと上に行くと関西電力のでかい変電所があった。
ピシッ!っとかいうスパーク音はしないが、
なんかウーンといううなり音が聞こえる。
テレビ映画、たとえばウルトラセブンなどで変電所が出てきたときに
うーんという音が出ていることがあって「ほんまにこんな音するんかいな」
と思ってたらほんとうにする。

変圧器が共振でも起こしているんかと思ったらそうではなくて、
その変圧器を冷却するためのファンの音であった。
変電所の中が見える場所があって、そこから見えた。
少し安心した。結構不気味な音だったから。

        ・・・

変電所の真横くらいから道をそれて山道に入っていく。
ここは武士自然歩道といってかつて明智光秀が開いたと言われている。
でも、半分アスファルトがあって、でもそれがぼろぼろになっていて
歩きにくい道である。

途中に何か変なごみがたくさん落ちていた。
ファミコンのカセットから学生証みたいなもんから
なんか変な基盤とか。使えそうなものはまったくなかった。
おおっと、近くの木にはなんともいえん前衛芸術的に塗られた
だるまさんがつけてあった。一瞬変な色のヘルメットや思ったら
だるまさんだった。その色使いは太陽の塔の岡本太郎ばりの爆発さ。
私はああいうのは嫌いだけど。

道は細いし、こんな変なもん落ちてるし、ほんまにあっているのか?思ったけど、
前の方からおじちゃんとおばちゃんの団体が来たから間違いないだろう。

おお、なんかこんな所に郵便局のバイクが来るぞ。
こんな山奥に住んでる奴がおるのだろうか。

その理由はもう少し進んだらわかった。
こんな所に資材置き場みたい何があって(大阪学院大学2階とか書いてある木が
たくさんあった)、そこにある事務所に郵便物を運んでいる。
それにしてもまあ、こんな山奥にこんな所があるなんて何となく違法臭い。

        ・・・

そこを過ぎてもっと奥に入ったら車はころがっているは、
なんか休憩所とか書いた車はおいてあるわで、
とんでもない山の中かと思ったこんな場所に都会の馬鹿の香りがあって
なんか幻滅した。
さらに進んだらそういうこともなくなって自然気分いっぱいで良くなったが。

さっきの場所からもうちょっと進むと中途半端な舗装もなくなり、
景色も良くなるし、周りからはいろいろな鳥の声が聞こえるしでいい場所である。

さらに進むと木がうっそうとなって昼なお暗い場所になった。
こんな所に片一方だけの靴なんかが落ちてると何となくあれっぽい気がしたりする。
この奥にあれがぶら下がってたりして。
いややなあ。
人間、自分で命を絶ったらいけまへんで。
成仏できまへんから。

私は見られなかったけど、なんか動物もいたみたい。
こんなところだからうさぎかたぬきか雉ではないだろうか。
見られんかったのはちょいと残念。

それはいいとして、そろそろ田舎・・・じゃなくておなかすいてきた。
どっかいい場所見つけてお昼にしよう。
ここは見晴らしがいい場所だが、座る場所がない。

あっ、こっちに曲がったら山頂らしい。
そこだったら食べる場所があるだろう。
そこまで行ってお昼にしよう。

        ・・・

山道に看板があって、「こっち阿武山山頂」と書いてある。
山頂であればそこそこ広場があってお弁当を食べることもできるだろう。
そう思ってそっちの方へ行った。

が、このとき気付くべきだったのだが、実は地図にはこの山頂の印はない。
ということはこっちへ曲がっては行けなかったのだ。
でも道としてはつながっているのでそんなこと気にしなかった。
何と言ってもこの地図はいい加減だから。

阿武山山頂は確かに山頂を示す印はあるのだが、それ以外には何にもない
ところであった。広場らしいところもない。
とはいえ、これ以上歩くにはおなかがすいているしこのあたりで食事を
しなければならない。もう少し行けば・・・広場があるという保証もないし。

しかたないので狭い場所ではあるがここでお弁当を広げることにする。

周りには木があってあまり麓は見えないのだが、隙間からながめてみると
遠くに太陽の塔も見える。どれくらいの高さの山かはわからないが(後で調べた
ところによると281メートルあるらしい)、周りが見えれば、結構見晴らしが
いいのかも知れない。

食事の後は鳥の声を聞きながら歓談(?)である。
話の内容は・・・忘れた。

話しをしている間鳥が私たちの周りをぐるぐる回っりながら鳴いている。
ような気がする。ああ、ここには鳥が多くてよろしい。

今日は晴と言ってた割に日が照らないので少し肌寒い。
1時間ほどして下へと向かうことにした。

        ・・・

ところがである。
どうにも道が違うような気がする。
しかし、どれが本当の道であるかもまたわからない。
とりあえず下に向かっている道があるのでこれに沿って行けばどこかに出るだろう。
途中でやっぱり違うと言っても。もう引き返すことは
「もう許してあげません!」である。
(注;この当時「超兄貴」というCDにはまっていた。)

何と、こんな山奥にオフロードバイクの連中がいる。
見た目ちょっと不良ぽい感じがする。
たとえそうでなくても、こんな山奥にまでバイクで上がってくること自体
良いこととは言えない。
これはもっと下に降りてわかったのだが、こういった連中が他にもたくさん
来るらしく、山道の真ん中にわだちが出来て深く彫れている。
人が歩く上にこれは危険である。
こういったバイクの自分勝手、許してはいけない。
ぜひとも入山禁止にしてほしいものである。

降りていくと「古墳あり」という看板があった。
時間的にも早いし、100メートル位しか離れていないようなので
それを見ることにする。

この古墳その名も阿武山古墳というそのままの名前なのだが、
ここには京都大学の地震観測所もあって、昭和9年にここの拡張工事をするときに
偶然見つかったらしい。いろいろな特徴から考えてかの藤原鎌足ではないか
という説があるらしいがそれを決定づける証拠はまだないらしい。

石室自体はすでに埋め戻され、今はひっそりとしている。
看板がなければ絶対に気付かないような場所である。

ここには京大のその施設があるのだが、こんな山奥にしては
大きな建物がある。いったい誰がこんなところに・・・。
ひょっとすると京大のその学科の学生が缶詰にされているのかも知れない。

横には階段があってそれで降りられそうな気もする。
でも地図によると元の道に戻って降りた方が良いような感じもする。
ここは隊長の判断のしどころ。

「戻って降りる!」

ということでこの古墳にそれる前の道に戻って降りていくことにする。

        ・・・

降りる道の両わきには赤いいちごがなっている。
いちごと言っても売っているいちごとは違って野いちごというものである。
見た目は下の摂津峡付近にあった蛇いちごに似ているが、
こっちはもっと1粒1粒が大きくて、黄色いきいちごを赤くしたように見える。

たぶん野いちごはバラ科だと思うので(本当か?)その茎には刺があって、
注意しないと手を刺してしまう。
それでも苦労してとったその実は自然の味でなかなかおいしい。
特に数少ない大きい実は味がまろやかになっていて一層おいしい。

途中の松の木には何やら妙な茸が生えている。
ある隊員によると下がつるつるの茸には毒ものが多いらしい。
これはまさしくそれっぽい。
う〜ん、まったけ(季節が違う)でも椎茸でも生えていればいいものを。

でも、この辺の松の木の中には白ありに食われて腐ったような木もいくつか見られる。
都会を追われた白ありがこんなところで繁殖しているのだろうか。
ちょっと恐い気もする。

道の脇にあった岩に何やら怪しい絵が描いてある。「GB」と書いてあるところを
見るとゲートボールの絵らしいが、何でこんな所にこんな絵があるのかわからない
まったく不思議な絵であった。みんなは爆笑してたけど。

だいぶ下に降りてくるとなにやらすぐそばに道があるらしくとてもうるさい。
摂津峡に向かって降りているならばこんなことはないはずである。
やはり道を間違えたか・・・。

とか言っているうちに一行は下まで着いた。
道が見えてからの坂はだいぶきつく、しかも先に言った通りバイクのわだちがあって
とても歩きにくい。

        ・・・

下には看板があってそれから判断するにやはり道を間違った、
それも正反対と言える方向に間違ったらしい。
とりあえずここがどこかわからなければ帰ることすらできない。
困った。

看板によると近くにバス停があるらしい。
車道は車が多すぎてとても歩けそうにないので脇の歩道らしき道を歩く。

所がこの道、どんどんと高度を増して、車道から離れていってしまう。
山のちょうちょが飛んでいたりしてなかなかきれいではあるが、
どうも下に降りる道もないし、引き返すしかないようだ。
ということはあるはずのバス停にも行けないということだ。
う〜ん困った。

元の看板の所に戻り考える。
どうするか。

みんなをそこに残しさっきと反対の方向に歩いてみる。
そこに人がいたので聞いてみることにした。

「山に上って降りる道を間違ったらしくここに出てきてしまいました。
        JRの駅まで行きたいのですがどうすればいいのですか?」

その人は親切に茨木の時はそこにバス停があるけれどバスが少ないから・・・、
高槻、摂津富田方面ならここから20分ほど歩いた場所にある
日赤病院前からバスが出ている・・・ということであった。

やはりいざと言うときにあてになるのは地図ではなく地元の人である。
その日赤病院方向へ歩いていくことにした。

日赤病院への道は最初は道が半分閉じられているような道で、
本当にここでいいのか?という感じであったが、その先は普通の住宅地であった。
話をしながら20分くらいか歩くと大きな赤十字を付けた病院が見えた。
あそこが日赤病院だろう。

その病院に向かって歩いて行くが、なかなかバス停は見えない。
病院の建物の前ではないらしい。

この病院は救急医療指定をされているらしく「こちらが救急医療受付」という
目印というか看板があるのだが、それがまた妙にけばけばしくて
何となくラブホテルのようであった。病院がこんな感じでいいのだろうかとも思うが、
目だった方がいいという意味ではうまくいっていると言える。

結局バス停は病院の中ではなく、横の道にあった。
ということで300メートルくらい遠回りしてしまったようである。
まあ、ちょうどバスも来たことだしよしとしよう。

        ・・・

バスは行く行くバスは行く。ゆっくりながらも進んで行く。

歩いたかいはあったというもので、日赤病院前から摂津富田駅までは
180円で済んだ。ひょっとすると高槻行きバスもあったかも知れないが、
摂津富田の方が高槻より新大阪に近いし、これでいいのだ。

何にしても駅まで戻れて良かった。
最悪のパターンではもう一度きつい山道を登って向こう側に出るというのだったから、
摂津峡で温泉に入るという計画は駄目になったがまあよしとしよう。

地図を見ていて気づいたのだが、実は帰りのコースはその阪急ハイキング手帳で
次のページに載っているコースだったのだ。途中でページをまたいで別のコースへ
行ってしまったらしい。これにしてもわかりにくい地図だ。もう少し分かりやすく
書いていてくれてもいいものを。まあ、完璧にお膳立てされたものより
こういう風に少しどうなるかわからないという方がおもしろいが、私には。

というところで、唐突に今回のレポートは終わり。

        ・・・

次の日の話。
なぜか靴下が両足とも前のところに穴があいている。
かかとや指先ではない。
何でこんなところがと思うような場所である。
しかも昨日おろしたばかりの新しいものだったのに。

後で靴をはいてわかった。
靴の前のへらの部分がそこに当たっているのだ。
平地でならともかく、山道なのでよけいに当たっていたのだろう。

しかしである。かかととつま先を2重構造にして強化した
と書いてあった靴下が実はそのような部分が弱いとは。
かかとつま先を強くする分それ以外の部分をより薄くしたのでは
ないだろうか。そんな感じであった。

ああ、また靴下を買わなければならない。

        ・・・終わり・・・
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