ハイキングレポート:長岡京寺社めぐり(2003/01/06〜03/03号)
これは昔趣味にしていたハイキングのレポートである。
このハイキング、その余りのハードさに「超ハイキング」と呼んでいたのであった。

ハイキングは多くの場合、複数人数で行っているので
「我々」という書き方をしている。
因みに、隊長は私であった。
(話の内容からして5年ほど前のことらしい。)

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いたレポートを再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

    ・・・

今回も手抜きである。
ゆっくり書いていると来週の旅行に引っかかるためである。
(注;一体いつの旅行だろうか?)
ということで前回と同じようにお題目箇条書きモードで始めてしまうのであった。

<長岡天神>
長い間阪急京都線には乗っていたが、ここ長岡天神で降りるのは始めてである。
ここは住宅地として大きくなったようだが、駅前は以外と小さい。
その辺の小さな駅と変わらないような気がする。
もっとも、今日出た反対側に駅前商店街があったのかも知れないが。

今日は昨日の大雨から一転して快晴である。
これも日頃の行いの良さのおかげである。
今日の参加者は3人である。

今回も元ネタは阪急ハイキング手帳である。
というわけで相変わらず地図はいいかげんで、いきなり道がわからない。
近所の看板を見ながら近くにあるらしい八条ヶ池へと向かう。


<八条ヶ池>
池の手前の角のところに隠れたように天一があった。
「これは。まずは天一で腹ごしらえして行くか?」
しかしそんなことをすればその後歩けなくなるのは目に見えている。
残念だが今回はパスである。

八条ヶ池というのは長岡天満宮の前に位置するらしい。
5月(?)にはつつじが美しく咲き誇るらしいが、今の季節は勿論咲いていない。
そしてその時期はつつじの道が歩けるのだが、この時期はつつじ保護のためそこは
封鎖されている。

この池は古くからあるものを最近改修したのか、それとも元々人工池なのかは
わからないが、かなり人間の手が入っていて風景的に妙に機械的である。
池の上には長い水上橋があり、真ん中には休憩所もある。
池の中にはライトも入れてあって夜には橋がライトアップされるようだ。

しかし、池の水は汚い。
表面になにか緑の粉が浮いているように見える。
赤潮ならぬ緑潮といったところか。

でもここには魚と亀がいる。
魚は鯉と鮒、亀も2種類はいるようだ。

その亀の中に1匹年期の入ったものがいた。
大きくて、そしてこうらには藻が生えている。
よく縁起ものの絵で鶴と亀が一緒に描かれているものがあるが、
そこに描かれている亀には下に藻が生えている。
ちょうどそれと同じような亀がいるのだ。
そしてその回りを鯉が連れ添うように泳いでいる。
妙な風景ではあるが妙にほほえましい。


<長岡天満宮>
長岡天満宮は駅から見てこの池の裏手にある。
緑の中にあって一度に全貌を見ることが出来ないためにわかりずらいが、
けっこうな敷地があるようだ。
また、そのため入り口、出口がわかりにくい。

ここでジュースを飲みながら休憩していると端にゲゲゲの鬼太郎の妖怪ポストの
ようなものがあることに気づいた(形がそっくり)。
これはここに来た人に俳句、短歌、感想を書いてもらおうというものだ。

こういうものを見て書かずにおれる私ではない。
書き込み人の血が騒ぐのだ。
ということでさっそく一句書いて、解説まで付けて投函した。
どのような歌を書いたかは秘密である。
(単に忘れただけ。)

<寂照院>
次に向かうのは寂照院。
のはずなのであるが、ハイキング手帳の相変わらずわかりにくい地図のため
長岡天満宮の出口がわからない。
先に言った通りここは林の中に天満宮があるので回りが見渡せない。
さらにまっすぐ出口であろう方向に歩いていくことも出来ないため
中にある公園をぐるっと遠回りするような形になる。
ハイキング手帳はまっすぐ行けるようなことが書いてあるが実際は行けないのだ。
このためわかりにくい地図がより一層わかりにくくなる。

それでも何とか出口を見つけて道路に出た。
そして再びハイキング手帳を見る。
わからない。
どっちに歩いたらいいかわからない。
地図に書いてあるような方角には道路がないのだ。

こういう時は感に頼って歩いてみるしかない。
すでに何回かこの手帳にだまされているだけにこういう時の決断力と感は
かなり養われている。
それに仮に方向を間違っていても、ここは日本の都会の近く、遭難することは
あるまい(おいおい)。

途中でコンビニを見つけたのでお茶などを買いに入る。
今日もお茶を持ってきていないからだ。
今回は前回の教訓を元にちゃんと蓋の再度閉められるものにした。
しかも量の多いもの、ペットボトルのお茶とスポーツドリンクである。
それとお箸とコップ。

しばらく行くとハイキング手帳内の数少ない目印である小学校があった。
道は間違っていなかったらしい。
それにしてもこの縮尺、方向性はいい加減すぎる。
それでもちゃんと目的地に付けるのは、この手帳を持っていろいろと歩き回った
経験のたまものである。

寂照院はちょっと離れてはわかりにくい場所にあった。
こじんまりとしておりいわいる地元の菩提時というやつだ。
事実、中に入ってみるとなにやら法事を行っているようであったので
奥までは入らずに門をくぐったところでおいとました。

小さいお寺ではあるが、それでもここにはちゃんと仁王門がある。
それなりに由緒あるお寺のようだ。
そしてここがそこそこ名が知られるのは日本の猛宋竹(字があっているか?)の
発祥の地であるからだ。中国から持ち帰られた猛宋竹が日本でここで始めて
植えられたのだそうだ。

長岡天神市では観光に力を入れているようで、各お寺には、それが小さいところでも
皆観光案内というか由来説明のきれいな看板がある。
これによっていろいろな知識を得ることが出来る。
これによってただ歩いて見るだけ以上に価値あるものになる。

門の前には紅葉があって、秋にはさぞかし美しいことであろう。

<走田(はしりだ)神社>
寂照院からちょっと山側に歩き割と急な階段を昇るとその上に走田神社がある。
本殿真前の建物を工事をしているためによく見えなかったが、
なかなかに古そうな神社である。

由来説明によると今でも正月にお百度参りならぬお千度参りが行われるらしい。
鳥居はこの階段の下にあるということは、この急な階段を1000回昇り降りする
ということだ。正月13日と書いてあったが、1日から13日までにかけて
行われるのかも知れない。1日では無理であろう。

ここは竹薮の中にあるためか蚊が非常に多い。
ということで急いで次のところに向かうことにした。

<竹薮>
走田神社を出て竹薮の中を歩く。
寂照院では猛宋竹が有名だと言ったが、このあたりの竹はおそらくそれであろう。
美しい竹林が広がっている。
春にはさぞかしいいい竹の子が出るのであろう。(じゅるじゅる)

竹薮の中に大きな茄子畑があった。
ここで「大きな」というのは間違いではない。
面積的にも広い。が、それ以上に1本1本の茄子が大きいのだ。
木と言ってもいいくらいだ。
なかなか壮観である。

しかし、こんなところにも多くのごみ、空きかんが捨てられている。
なぜこういうきれいなところを汚すのか。
誰かが掃除してくれるとでも思っているのだろうか。
自分の出したごみを持って帰れないような奴らにここに来る権利はない。


<西山公園体育館>
とりあえずの目標は信号のある道路に出ること、そこに鳥居があることなのだが、
無い。
やはりこの手帳はあてにならん。
今回は方向もそうだが縮尺もいい加減なようだ。
かなり歩いたような気がするのにそれらしいところがない。

やっと人家が見えた。
その車庫内では犬が車を足下にしながらおなかを上にして服従の姿勢らしきことを
している。しかしどうも服従と言うより背中がかゆいからかいているという
感じもする。
その仕草はかわいい。

ようやく信号がある道に出た。
真横に鳥居もある。
で、手帳を見ると・・・やっぱり方向が違うぞ・・・
と、ということはひょっとしてこの坂を上るのか?

今日はほとんど坂はないと思っていた。
今まではそれほどきつい坂はなかった。
しかしここの坂はかなりきつい。
炎天下この坂を上ると言うのはこの前の五月山−箕面の滝を思い出させる。
長く続かねばいいのだが。

坂を上って(途中の落書きがセーラームーンだとわかった私って・・・おたく?)
行くと右手に大きな建物が見えた。
あれが体育館らしい。
しかしやっぱり地図とは方向が違う。
しかし地図上では体育館の方向に行っているからそちらに向かう。

体育館の裏の坂を上っていくと池があった。
地図にも池は書いてあるから間違ってはいないようだ。

そろそろお昼にしたいのだが、ここは芝で座るにはいいのだが
坂だし、そうでないところは炎天下だしで良い場所がない。
しかたないのでもう少し歩いてみることにした。

<白鳥のいる池>
そこの池にはつがいの白鳥がいた。
あひるもいればかももいた。

と思っていると白鳥がこちらに近づいてきた。
繁殖期の白鳥は気が荒いというが今はその季節でもないし大丈夫だろう。
それに人間のいる位置は池に対してだいぶ高い位置になる。

この池には魚もいる。
ふなではないようだ。
細長くて大きいから雷魚かも知れない。

ここは市街地から高い位置にあるため市街地が一望できる。
ひょっとすると京都市内まで見えていたかも知れなかったが
京都タワーなどを確認することは出来なかった。

お弁当を食べる場所を探しながら池を過ぎようとすると白鳥がまたこちらの方向へ
泳いできた。どうもこの白鳥は餌をねだっているように見える。
かなり慣れている白鳥だ。
しかし今日はスナック菓子は持っていないし、
この池の周りには日陰がないのでお弁当のお裾分けという訳にもいかない。
しかたないので「ごめんよ」と言いつつ去ることにした。


<長法寺>
池の横から道は2つに分かれる
1つは坂を上って長法寺へ、もう1つは同じく坂を上って子守勝手神社方面へ行く。
神社方面の道の脇には別の池があって、その周りにお弁当を食べられそうな場所を
探したがすぐの場所にはなかった。
そのため場所を探しつつ、とりあえず近い長法寺へ行くことにした。

長法寺は最近建て直されたらしくきれいなお寺であった。
由緒正しい仏教系のお寺であり、由緒があることは泉が湧いていることや
境内にある古い大木から偲ばれるが、あまりにきれいだと何となく新興宗教を
想像させていけない。やはりお寺にはコンクリートは似合わない。
偏見だろうか。

ここにはベンチもあるし、ここで食事にしようかと思ったが、
やはりお寺の境内ではちょっと気が引ける。
おなかはすいているし、もう1時近くではあるがもう少し歩いてみることにした。

先ほどの神社へ向かう道へと戻り歩く。
池にはブルーギルとめだか姿が見える。

「魚の背中を見るだけで種類がわかるなんてすごいなあ」と隊員は
言うけれど、私もそんなに知っているわけではない。
たまたま知っている魚だっただけである。

「めだかが池にいるなんて知らなかった」とある隊員は言う。
川にいるものだと思っていたそうだ。
昔は近所の池に幾らでもいたから私には違和感はなかったが
そういう人もいるかもしれない。

でもまだ川にはいると思っているだけましかも。
最近の子どもの中にはかぶとむしやくわがたはデパートで売っているものと
思いこんでいる子もいるらしい。実に嘆かわしい。
こういう子どもたちにしてみればめだかはこれまたデパートで売っているものという
イメージなのかも知れない。
(注;実はめだかではなく別のよく似た小型の魚=カダヤシだったのかも知れない。
最近、本当に自然のめだかは減っているのだそうだ。)

子どもたちに生き物の自然の中での生息位置などを伝えていない
今の世の中は嘆かわしい。
(そう言えば、大学の時になすとキュウリのなっているところを見たことがない、
という奴もいた。私とほぼ同年代なのにである。そんな時代なのか?)
伝えてもその場所がなくなっているということもあるだろうが。
生き物がすむ場所として自然を認識できないものは安易に自然を破壊してしまう。
それが現代の自然破壊の一因だ。
自然とは生き物の家であり欠けがえのないものであるということを
教えていかなければならない。

ここのめだかは池にいるわけだから、まさに「いけのめだか」である。
(このネタが通じるのは関西だけか。)

それにしてもお昼を食べられる場所がない。
もう少し歩いてみるか。

<昼食>
この道は子守勝手神社に続く道であるが、今日は日差しが強く、
日陰でお弁当を広げられる場所がない。
横の竹薮の中で広げようとしたが、昨日の大雨の後で地面がぐしゃぐしゃで
とてもそれどころではない。

しばらく歩くと何やらでっかいタンクがあって(ガスではない)、
その裏手が陰になっていた。
しかしそこは小さいながらも道路の真ん中である。
人だけが通る道だしそれほど人が通るとも思われないので
いいとは思うが・・・。

それでも一応もう少し先までの範囲にないかを調べた。
しかしここ以外に良い場所がなかったのでここで昼食にすることにした。

敷物を道路の横に引いて一応人が通れる位は開けておいた。

それにしてもここは蚊が多い。
食べている間も何匹も飛んでいる。

私は「モスキート・ハンター」の異名を持つ位なので、体に止まった蚊は勿論、
遠くを飛んでいる蚊も空中でつかんで抹殺する。
勿論1回も刺されない。
そのうちかも私の所へは来なくなった。

隊員の1名は自他共に認めるところの蚊に刺されやすい体質(鈍い?)らしいので
だいぶ刺されたようだ。「それでも最近は飛んでいる蚊を見ることが出来るよう
になった」と言っていたが、見ることが重要なのではなく撃墜するのが重要である。

別の隊員は最後に顔を刺されて大きく腫れ上がっていた。
ここの蚊は強いようだ。

食事中に他の人が通ってこちらを見ていく。
しかし私たちとしてもここしかないのでしかたない。

食事が終わって話をしていると1人のおじさんが通っていった。
なんとそのおじさんは私たちと同じハイキング手帳を持っているではないか。

ちょうどそのとき、この手帳はあてにならんとか、他の人は買っていないとか、
1回どっかに行けばもう信用しなくなるとか言っていたと所であった。
そのおじさんはそのこと場を聞いていたのかいなかったのか、いずれにしても
私たちと同じ苦労を重ねてきたのだろう。私たちのそばを通り過ぎるときに
「にやっ」と笑って過ぎて行った。
そのおじさんの装備は勿論完全山登りスタイルであった。

その後私たちが「おお、他にも持っている人がいる」「あのおじさんのかっこからして
だいぶ経験を積んでいるに違いないとか」話して共感していたのは言うまでもない。
私たちの他に懲りずにあの手帳と付き合っている人がいるとは。

そして、その後もう1カップルがこの手帳を持って行き過ぎた。
しかしこのカップルの格好は非常に気楽なものであった。

「あれはここが初めてに違いない。これから他の所に行ったらきっといやになるぞ。」
そう言いつつその後ろ姿に合掌したのであった。

<子守勝手神社>
ハイキング手帳を持ったカップルに合掌した後我々も次の目的地へと向かう
ことにした。

このあたりは長岡天神の中でもかなり田舎の風景を残している場所であろう。
池、美しい竹林、田圃、動植物も多い。
市街地から歩いて1時間くらいの場所にこういう所があるというのはとても
いいことだ。市街地内ではいろいろと精神的に疲れることもあるが、
こういう所にくるとホッと出来る。
こういう隠れた幸せを大切にしなければならない。
そういう幸せを探すのも超ハイキングの目的である。
(↑ねらった表記。)

道端には何やらあやしい看板がある。
「竹の子パイ」とな?
う〜ん、あやしい。
乙訓郡(読めます?)というのが一層怪しさに磨きをかけている(偏見?)。

山の中を越えると目の前が開けて田圃が広がる。
正面に大きなお寺が見えるが、あれは光明寺である。
しかし、私たちが今先に行こうとしているのはそこではなく子守勝手神社である。

子守勝手神社も鳥居が階段の下にあって、割と急な階段を上った上にある。
途中にはわき水があって冷たくて気持ちいい。

神社自体は小さくてこじんまりしているが、ここの由緒ただしき神社のようだ。

先ほどのおじさんにここで会った。
    おじさん「どこから来たのですか?」
    我々    「大阪から。僕は京都から。」
    おじさん「そうじゃなくてどちらの駅から」
    我々    「長岡天神から」
    おじさん「そう・・・」
とまあ中身のない会話であった。
本当はハイキング手帳の感想でも聞きたかったがそれは出来なかった。
しかし、あのおじさんの笑みは十分にこの手帳の真実を知っている人のものと見た。

階段を降りると鳥居の近くてお兄さんに声をかけられた。
「沢蟹の子どもを見たことがあるかい?」

この階段の脇には溝があって、ここには上にあったわき水からの清流が流れている。
きれいで冷たい水が。
そこに沢蟹が住んでいるのだ。

お兄さんは(たぶん私とそうは年が離れていないと思う)沢ガニを捕まえると
ひっくり返してそのお腹を見せてくれた。

沢ガニのお腹には確かに子ガニがたくさん付いていた。
色は半透明。形は小さくてもちゃんと蟹の形をしている。
かわいいものだ。
沢ガニと言うのは子ガニがある程度大きくなるまでお腹で抱えて育てるのか。
知らなかった。

沢ガニはおもに流れのある川にいるから、子どもが流れ流されてしまうのを
防ぐためにこうしているのかも知れない。
長年に渡って確立された生き残るための知恵というやつだろう。

お兄さんによると沢ガニはここにもいるが、もう少し下に降りたところにたくさん
いるらしい。この人は家でも20匹ほど蟹を買っていて、ときどきこの水を
汲みに来るそうだ。うちでも飼いたいが、うちの近所ではこのようなきれいな水は
手に入らないし、毎回ここまで来るのも大変なので無理のようだ。

蟹がいると言うことはこの水はかなりきれいだということだが、
ここのわき水はお茶の先生が「良い」と言うくらいにきれいでおいしいそうだ。
うう、水筒でもあれば汲んで帰ったのに。
(先ほど買ったお茶のペットボトルがあるがまだ入っていた。)

それでもここ20年ほどでここいらもずいぶんと変わったそうだ。
それでもこれだけの自然が残っているということはうらやましい限りだ。
そしてこの自然があるからこそここの地は優しい。
この自然を愛するこのお兄さんも見るからに優しそうで良い人であった。

そういえば私も25年ほど前にはここの近くの西向日に住んでいたのだが、
そのときはどうだったのだろうか。
私には記憶がない(そりゃ3才の時だもんなあ)

名残惜しい気もするが、お兄さんにお礼を言い次の目的地へと向かう。

<光明寺>
光明寺は子守勝手神社から見えている。
だから近いかと思いきやそうではなかった。
田圃があってまっすぐ歩いて行けないのだ。
しかたないので手帳に従って、いったんお寺とは反対の方向に歩いて行く。

再び池のそばを通る。
この辺りは池が多いようだ。
ここの池にはおたまじゃくしがたくさんいる(ほんとうにたくさん)。
日の当たるところに集まって日向ぼっこをしているように見える。
でも季節としてはちょっとずれているような気がする。

そういえば今の季節にしては珍しく蝶も多い。
さっきは幼虫も見たっけ。
どこかでは桜が咲いたらしい。
いつもは桜の散った頃に発生する毛虫が今ごろ発生している。
やはり今年は季節がおかしくなっているようだ。

毛虫が今発生して冬になって全滅するのは別にかまわないけど、
蝉やほかの有益な(無害な)昆虫などが減ってしまうのは悲しい。
季節の変化が生体系を大きく変えてしまうのかも知れない。

池のそばを抜けて竹薮の中の道を歩く。
昼なお暗い道である。
ここは以外に高い場所のようで、脇の薮の中のかなり下の方に川が流れている。
さっきのお兄さんが言った川と言うのはここのことであろう。

確かにここに川は薮がすごくては入りにくい。
これでは人が余りは入らないだろうから蟹も守られるだろう。
降りて見たい気もするが、蚊が多そうだし、今日は「超」ハイキングではない
ということで山登り風のかっこもしていないのでやめにした。
今度来ることがあったらそのときには行ってみよう。

しかしこの道は長いぞ。
光明寺からだいぶ離れて行っているようだ。
またもやハイキング手帳の間違いだろうか。

途中で抜けれる道があった。
これを通れば光明寺方面に歩いて行けそうだ。
ちょっと狭い道だが大丈夫だろう。
こうなったら自分の方向感覚だけがたよりである。
(しかし余りあてにならないから困ったもんである。)

歩いていくと何とかお寺の裏らしきところから入ることが出来た。
手帳もまんざらうそではなかったが本当でもない。
それにしても毛虫だらけではないか、この道は。

ここでスタンプを見つけたのでスタンプを押して(しまった、スタンプ帳を
忘れてきた)、階段を上って本道へと向かう。

ここはどこかの宗派の総本山ということもあって本堂は大きい。
中にも入ったがなかなかに立派な作りであった。
総本山と言うだけのことはある。

おお、ここにも俳句ポストがある。
勿論1句書いて投稿したのであった。
1句と言ってもここで書いたのは短歌だが。
どういうものを書いたのかはまたもや秘密(といって忘れたことをごまかす)。

本堂を背景にさせてもらって記念写真を撮る。
ここは紅葉も多いので紅葉の時期にはさらに美しくなるだろう。

表門から出て次の目的地へと向かう。

<光明寺番外編>

そういえば、光明寺というのをどっかで聞いたことがあると思えば
キカイダーの産みの親が「光命寺博士」であった。

記憶をなくしさまよい、ハカイダーに脳を使われ散々な目にあった博士であった。
私ははっきりと覚えているが、他の隊員達は余り覚えていないらしい。
まあ、私が小学生のこと=18〜20年前の番組だからしかたないか。

<赤根神社>

光明寺からまっすぐ車道に沿った道を歩いていく。
歩道がなくこわい。妙に接近してくる車もあるし。
思わず蹴りをいれたくなる。

脇には田圃が広がる。
今年はここは異常にいなごが多い。
雨が多かったので卵がひからびることがなかったからだろうか。
それとも無農薬にしたのだろうか。
無農薬ならいいことだが、そうでなくても天候不順で収穫量が少ないだろうに
いなごにやられることはないのだろうか。

田圃の水路も水が多い。
私たちがそばを通ったときに何やら細長いものが高速で泳いで行った。
後で近づいて見てみたが何であったかわからなかった。
ザリガニか蛙か魚か。
色ははっきりしていたようだが。

4つ角を曲がって、立派な葛の蔦が絡まった柵のある場所の横を通って、
家庭用給湯製品メーカー看板群の前を通って(行った人にしかわからない表現)、
赤根神社へ。

赤根神社はちょっとした林の中にあった。
あたりはひっそりとしていた。
参道はきれいだ。

このような小さなところではあるがここもまた古い歴史がある。
案内を読んだら、毎月15日には近所の人が境内をきれいにするらしい。
なるほど、今日は15日だからきれいにしたばっかりだったので
きれいだったのか。

次の目的地もこの近くのはずである。
しかしちょっくらわかりにくい。
まあ、とりあえず歩くとするか。

<乙訓神社>
このあたりの道路は小学校を中心においてその回りを囲むようにある。
乙訓神社は赤根神社からそう離れていないはずなのだが、
やはりぐるっと回って行かねばならないようだ。

「乙訓」という地名、読めるだろうか。
「おつくに」というらしい。
「おつ」はいいとして「くに」は難しい読みである。

このあたりの住宅街ではまだ下水道が完成していないのだろうか、
どぶにいろいろと流されている。
それでどぶが汚いのは勿論、くさい臭いを出している。
私たちのように日頃ここにいないものにはそれがはっきりわかるのだが、
ここに住む人にはわからないのかも知れない。
私が新潟の直下型便所(こう書くときれい?)の臭いが気にならないのと
同じか。衛生面では余り良いこととは言えないが。

ちょっとわかりにくかったが、超学校じゃなくて小学校の横の細い道を抜けて
広い道に出て左に曲がってすぐのところに神社はあった。

ここは入り口は狭いが中は広い。
境内には緑が多い。
また、お堂がいくつかある。
小さいお堂の前には供養塔があって小さなお地蔵さんがまつられている。
おそらくは水子地蔵なのだろう。
お堂の中では祈りを捧げるおばあさんがいる。
いつの世にも子に先立たれた親の悲しみは変わらないのだろう。
かといえ、余りに早く親に逝かれるのも悲しいのだが。
親孝行したいときには親はなし。

ここにも俳句ポストがあった。
もちろん1句と言いたいところだがさすがに光明寺からここまでの間では
ネタになることがなかった。
しかたないので非常にありふれた1句を書いて入れておいた。

少し喉が乾いたので、残っていたジュースとお茶を飲んでしまうことにした。
座って飲んでいると例のおじさんとまた出会った。
同じコースを歩いているようだ。

お互い気持ちがわかるので言葉は余り交わさず行きすぎたが、
おじさんの格好はまさに山登りのそれであった。
かなりこの手帳で鍛えられたのであろう。
やはり真実を知るものは違う、そう思いつつ後ろ姿を見送ったのであった。

我々もここを後にして西向日駅へと向かう。

<西向日>

乙訓神社から西向日で今日の一連のハイキングは終わりとなる。
今回のコースは若干の坂はあったものの概して楽なコースであった。
これは「超」ハイキングではなく普通のハイキングである。
ちょっと軟弱な気もするがたまにはこういうのもいい。

最後に西向日駅に向かうのだが、これまた道がわからん。
それでも歩いていると大きな道路が見えて、その交差点のところに
看板があって方向がわかった。

なればその道まで出てその道なりに歩けばいいものを、斜めに歩いて近道しよう
とするから途中で道がわからなくなってしまった。

それはそうと今日の私ははちょっとテンションが低い?
確かにそうかもしれない。
でもテンションが低いというより落ちついていると言った方がいいのかも知れない。
事実今日は道の判断が正しい。
感がいいのだ。
・・・本当は寝不足で頭の芯が寝ているだけだったのかもしれない。


<西向日2>
道がわからなくなっても大体の方向はつかんでいるから歩いて行けばいい。

それにしても阪急のハイキング手帳には困ったもんである。
ひょっとするとあれは「全編誤植」かも。
それとも阪急の駅員に聞いたら「あれにだまされる人が多くて」などと言われたり
して。
まあ、私ももう慣れたから、逆にどれだけ違うのか楽しんでいるところもあるが。
(マゾ?)

道をまっすぐ歩いていくと少し大きな道に出て、そこで回りを確かめたら
手帳に書いてあるとおり(というかそれらしい)の場所だったので
駅ももう近いらしい。

と思って道路を渡って行くがどうも駅前らしくない。
なんか住宅街に入った感じもする。
2人は「誰かに聞いたら?」というが私はこれで正しいと思っているので
そのまま突き進む。
たまにこれで失敗するが、今日は感がさえているので大丈夫だ。

歩いていくと駅が見えた。
駅前は本当に田舎の駅の感じで駅前商店街などと言うものはない。
いきなり駅があるという感じだ。

そういえば私は25年前このあたりに住んでいた。
この私の28年の歴史の中での四半世紀だからすごい前の話だ。
もっともそのころは3才だからほとんど何も覚えていないが、
土手の上を阪急電車が走っているのを見た記憶が微かにある。
が、今見る駅の回りは平地でそれらしきところはない。
もう少し駅の前後だったのだろう。
当時の家はまだあるのだろうか。
なつかしい気がする。

西向日駅で電車を待っていると(ここは各駅停車しか止まらないのでなかなか電車が
来ない)反対側のホームで1人の女が駅の鏡で顔を映して一生懸命顔を作っている。
ここから見たところでは厚化粧のようには見えなかったが実はかなり厚かったのかも
知れない。かなり長い時間していた。
その後は髪型を整えて、とまあおしゃれをしている。
デートにでも行くのだろうか。
でもそんな堅苦しいデートでは長続きしないような気もするのだが。
女心がわかっていないというところだろうか。


<河原町>
時間が早いので帰りに京都へ出る。
河原町に着いて、マクドナルドの上にあるコーヒー屋で少し時間をつぶす。
1時間くらいと思ったけれど混んでいるからだろうか追い出されてしまった。
あんまり愛想の良くないお店だなあ。

そういえば河原町のマクドナルドは、私が学生の頃は高島屋の1階入り口の前にあり、
椅子が無い立食だけであった。今はそこにはないらしい。
いつ頃ここに移ったのだろうか。
そういえば私が某D大学を出てもう5年も経つ。
早いものだ。

今日の河原町は非常に混んでいる。
そういえば今日は電車も混んでいた。
いい天気だったのでみんなが外出したのだろうか。

鴨川沿いでは噂の当間隔カップルがいた。
河原にカップルが座っているのだが、その間隔が一定なのだ。
あれが人間がお互いを意識しないですむ最低の距離なのかもしれない。
こういう観点で見ていると人類行動学もまた楽しい。

    ・・・ってなところで唐突にレポートは終わるのであった・・・

結局、今日は最後がちょっといけなかったけど、
ハイキング自体は気楽なものであった。

超ハイキングもいいけどふつうのハイキングも良い、
そう思うのであった。

    ・・・おわり・・・
<戻る>