「妙見山」(2001/05/25〜07/30号)
これは昔趣味にしていたハイキングのレポートである。
このハイキング、その余りのハードさに「超ハイキング」と呼んでいたのであった。

ハイキングは多くの場合、複数人数で行っているので
「我々」という書き方をしている。
因みに、隊長は私であった。

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いたレポートを再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

        ・・・導入編・・・

1993年4月3日土曜日。
(注;もう8年も前になるのか。ということは、私はその頃からこのような文章を
書いていたと言うことである。そう、オラクラの前身ですな。)
今日は絶好のハイキング日和である。
どこをどうとってもこれ以上の日和はないであろう、
そう思わせる快晴の春の日差しの日である。

しかし参加者はいつもながらに少ない。
ハイキング=歩く=疲れるということで避けられるのであろうか。
自然の中で歩く=有酸素運動=無料=健康&精神にいいのに。
そしてそれ以上に感動が待っているというのに。

さて、今回参加の3人は阪急&能勢電川西能勢口で待ち合わせた。
私が能勢電に乗るのは実はかれこれ20年ぶりである。
小学生の時に近所の少年野球の一環で行った時が最後である。
それ以降も妙見には何度も行っている。
しかしすべて自動車なのだ。
歩いて上ろうとするのも20年ぶりである。

・・・そういえば以前は阪急川西能勢口から国鉄へ行く列車も
あったような気がするのだが。気の性だろうか。

        ・・・

久々に乗る能勢電は電車の色こそ変っていたが、その他はほとんど昔の
イメージのままであった。単線、カーブでくねくね、まさに山の中をすり抜けていく
感じ。そう、ジェットコースターのようである。
箱根にある登山鉄道には負けるが、それでも十分に山の中を走っていることを
認識できる。いや〜何となく楽しい。

着いた妙見口駅周辺は大阪にもまだこんなところが残っていたのかと思うような
閑静なたたずまいの場所であった。
大阪の秘境(失礼)といった感じもする。
もっとも、その感じを確信するのはもっとあとのことであるが。

3人のとりあえずの目標はケーブルカー乗場である。

阪急ハイキング手帳(¥400)を見ながら進む。
この本、阪急沿線のハイキングコースがたくさん紹介されているのだが、
いかんせん縮尺がないのでどれだけの距離があるのかがわからない。
だから目印を探しつつ進んでいくしかないのだ。
どうも今回も地図上での距離感以上に実際の距離はあるようだ。

まあ、いろいろな話をしつつ目印を探しつつ進みケーブルカーを見つけた。

しかしケーブルカーには乗らない。
そこから側道に入って山を登っていくのである。

        ・・・登り編・・・

それは見るからにすごい傾斜を上るケーブルカーであった。
(¥220大人片道;当時)
ここは見通しが良いため上の駅までがすべて見えるのだ。
う〜ん、値段も安いし、時間的に急ぐんなら絶対にこっちだね。
しかし今日は急がないので歩いて行くぞ。

まずは記念撮影。
ケーブルカーをバックに撮影。
・・・そういえば、今回写真を取ったのはここだけになってしまった。
もっといろいろ取れば良かったのに。せっかく思いカメラを持っていったのに。
やはりハイキングにカメラは必要ないのかね。

ケーブルカー駅の横からハイキング道路へ入る。
ところがまあ、こちらもケーブルカーに負けないくらい急な坂道である。
しかもいきなりである。少しづつ坂がきつくなるといったことはなく、
急にきつい坂が長く続くのである。
う〜ん、いきなりまいったしそうな感じである。

しかしこんなところにも家があるということは住んでいる人がいるということである。
毎日こんな坂登り降りしていたらさぞかし足腰が強くなることであろう。
都会人が健康のためといってスポーツクラブに通う様はここの人には滑稽に
見えることであろう。
        「ここに住めば歩くだけで健康になるのに。」

さらに奥には日蓮宗の修験場があった。
小さな滝があり、そこで行水できるようになっている。
観光目的のお寺ではない感じが漂っている。
そんな感じが妙に新鮮であった。

        ・・・

道はさらに続き地道に変る。(お寺付近まではコンクリート道であった。)
山の中のはずなのに日陰がなく、今日のような快晴の日にあっては
暑くさえある。
風もほとんどない。
こんな春の日に日射病になったら大笑いかな?
そう思いつつもそうなりそうな気がするほどであった。
もちろん汗だく。
時折聞こえるホトトギスの声すらゆっくり聞きいれないほどにすごい道の連続である。

想像以上にきつく長いすごい坂道、平坦な所はほとんどない。
我々の後、前に登る人影はなし。
降りて来る人とは出会うのだが。

「こんにちわ。」
ハイキングは挨拶が大切。

「後どれ位で頂上ですか?」
「そうやなあ、降りで30分位かかったかなあ。」
ということは登りでは1時間かそれ以上かかるな。
今もうすでに11時30を過ぎているから、12:30過ぎに頂上に
着けばいいくらいか。

        ・・・

「後もう少し!頑張れ!!」
「あそこが頂上に続く階段だ!」
「ああ、また違った!」
「今度こそ!」
「今度違ったら引っ張っていってもらうからね。」

何度こう言ったたことやら。
私が先頭を歩き、あとの2名は後ろでブツブツ言いながら歩いている。
おいおい、君らは私より7〜10才も若いじゃないか。
若い門が弱音を吐いたらいかんぞ。
(私は耳が良い。)

しかし、ようやく本当にそれらしい階段が見えた。
上の風景からして今度こそ間違えないであろう。

・・・後でわかった話。このコースは上級者コースだったようだ。
しかも降りるコースだったようである。今回は行きに下り登りのコースを、
帰りに登りのコースをと逆に行ったようである。
道理で上る人がいないわけだ。
(このコースで登る場合ケーブルカーを使って上るのが普通らしい。)

しかし登り切れたということは若い証拠である。
登り切った我々は自身の若さと精神力の強さに自身を持ったのであった。
(本当か?)

        ・・・山頂編・・・

ようやく山頂に繋がるらしき階段が見えた。
今度こそは間違いないだろう。
最後の階段は少し急なこともあって、なかなか上に着かないような気がした。
まさに1歩1歩踏み締める感じで上っていく。
そして頂上が見えた時、これほど安心したことはめったにない。
やっと着いた。

妙見山の頂上は普通の山のそれと違い広い。
神社あり、駐車場ありの場所でここが山頂!といった鋭い高さの部分はない。
まあ、そういった山を登るのもいいが、
こういうのも悪くない。
頂上から四方の周りが見渡せないというのはちょっと残念であるが。

何はともあれまずはジュースを捜す。
暑い中それほど休憩もせずに登ってきたので喉がからからだ。
こんな所だから200円位するかなと思いきや120円であった。
250ミリ缶だけど。まあ、今はこれで十分だ。

頂上には人がたくさんいる。
ここは自動車でも登って来れるし、バスすら通っているのだから
別に苦労しなくても登れるからだ。
私も久々に歩いて登ったのだけれど、車では見られない風景が見られてとても
良かったと思う。
「たまには歩いて登ってみそ」そう言いたい気持ちであった。

        ・・・

さぁて、お弁当を食べようか。(もう1時を過ぎている。)
どこにしようかな。
ここには意外と人がお弁当を広げるのに良い場所が少ない。
神社に通じる階段の脇に1箇所休憩できる場所があるが
こういった場所はすでに満員だ。
ここでもひなたの部分は空いているのだが、今日みたいに暑い日、
ひなたでお弁当を広げる気にはならない。
少し歩き回って日陰の場所を探そう。

神社の裏手に回ると裏に鳥居が合って、そこへ通じる道の脇でなんとか
食べられそうな場所を見つけた。
今度はちょっと薄暗くて、少し斜めだし今一つだけど、しかたない。
空腹に場所は変えられない。

お弁当を食べる。
う〜ん、こういった場所で食べるお弁当は格別だ。
しかも運動をしたあとだから一層おいしく感じる。
思わず一句読んでしまう。

        「空腹や 胃にしみ渡る たまご焼き」

なんのことやら。

鳥居から神社に通じる道の脇だからさぞかし人が通ったことでしょう、
と言われそうだが、実際にはここを通った人はあまりなかった。
それはこの鳥居が裏にあり、したからそこに通じる道がちょっと・・・
だからなのだが、それがわかったのはこの後のことである。

さて、お弁当も食べ終ったことだし降りるとするか。
「おいおい、頂上で観光しないのかい?」といわれそうだが、
ここには実は神社くらいしか見るところはない。
しかも私はいつも来ているので、むしろ登り降りの道の方が見たいのだ。

神社の入口にある出店でおいしそうだったイカ焼き(300円:でもこれで300円
だとちょっと高いなあ。)を食べながら降りる道を探すことにした。
う〜ん、この地図ではさっぱりわからんなあ。

        ・・・つづかない・・・


        ・・・下り道探索編・・・

降りる所は初谷(はったに)渓谷という。
しかしそこへ至る道がわからない
ハイキング手帳の地図ではまったくわからないのだ。

イカ焼きを買った露店のにいちゃん、となりのタコ焼き屋のおばちゃんに
聞くが知らない。
本当にあるのだろうか。

山頂付近でウロウロする。
まあ、山頂あたりは平地だからいいか。
やがて神社の裏手の道を少し歩いてなんとなくそれらしい道を発見する。
しかしどうも違うような気もする。

少し戻って側にあったお店のお祖母さんに聞く。
曰く、「向こうの、表ではない手前の鳥居をくぐって、七曲がりというくねくね
曲がった道を降りると自動車道路に出るから、それを横切ってさらに進んで・・・。
30年前にはよく行ったもんじゃ。」
30年前!?そんな前の記憶が現代に通用するのであろうか・・・
しかし、今となってはこれしか手掛かりがないのでその通りに降りてみることにする。

手前の鳥居とは、何のことはない、さっきお弁当を食べていた場所から見えた
鳥居である。ここをくぐって降りるのだ。

確かに鳥居のすぐ外は階段なんか無くていきなり地道であり、
お祖母さんが言うと降りくねくね曲がっている。
本当に七回曲がっているかどうかは曲がり方によってかわるようだったが
(道がいろいろあったりする)、確かに七回もしくは8回位で降りられた。

この鳥居から人が来ないはずだ。
こんな道、降りるのですら大変なのに、登ってくる人はそうないだろう。

        ・・・

車道を横切ってさらに地道を縫って歩く。
どうやら自動車道路ではくねくね曲がって降りていくところを斜めに一気に
行く道のようだ。七曲がりほどでは無いがここも結構きつい(ただし直線)。

また車道に出る。
話ではここに渓谷へ行く看板があるはずなのだがそれらしいものは見えない。
仕方無いので車道に沿って降りることにする。
この道路を降りれば少なくとも下には降りられるからだ。

それにしてもガードレールから下に見える杉林は立派だ。
そしてその間に道があるような気がする。
あそこではないのだろうか。

しばらく行くと車道が二股に別れているところがあった。
ここで本来降りるべき道とは違う方向へ進んでみる。
そうも、さっきの林間コースが気になる。
下に降りれる場所を見つけて周りを見ると、案の定そこには「初谷渓谷」という
看板があった。
「ここのことか」自分の感の良さに感心しつつ、「さっきのおばさんの話とは
ちょいと違うなあ。やっぱり30年の違いかな」と思いつつ降りていくことにした。

        ・・・渓谷編・・・

妙見山は立派な杉林がその多くを占めている。
その中にこんな道があるとは知らなかった。
昼なお暗い森の中といった感じ。
今の時間(2時位)だから良いけど、夕方、夜には絶対に歩きたくない道である。
変な雑誌は落ちてるし・・・イヤン、H!

渓谷はいくつもの水の流れを集めて次第にその流れを大きくしていく。
最初は道が濡れているといった感じから始まり、
それが道から離れて一応川をなす。
それにまた別の谷からの流れが加わって行く。
それが川らしい音を出すまで水量が増えるのはだいぶ下ってからであった。
川の源流というものはこういうものだということを直に目にすることができる。

それにしても大阪にもいまだこんなところがあろうとは。
確かに渓谷の名にふさわしい。

川は時には地面に潜ってがとぎれ、再び出てくる。
時折大きく曲がり、人は何度もその川を渡らねばならない。

水はキレイで冷たくて気持ちいい。
そしてその軽やかな音は単調なようで細かく変化し、聞いていて飽きさせない。
これらは人の疲れを半減させる。

しかしそれにしても長い道程である。
登りの倍以上に感じる。
今度は降りている人を見かけない。
登ってくる人はいないのに。
(だからこっちが登り道なんだってば。)

        ・・・

渓谷では川だけでなく、それ以外の周りの風景にもいろいろと気付くこと、
面白い所がある。

なぜか根元から薙ぎ倒されている木がいくつもみられる。
人が切った、倒したのではない。
あんな大きな木を倒すとは自然の力は偉大だ。

人口的なもの、小屋らしきものもいくつか見られるがその原型をとどめているものは
ない。このあたりはかなり湿気が多いのだろう。
木が腐っているようだ。
人間の浅知恵等通用しない世界。

このあたりは基本的に岩が多い。
道にもゴロゴロしているし、山肌にも大きな岩が見える。

他に気付くのが洞窟らしきものが多いことだ。
一番大きなものは高さ10メートルにもなる深い立て洞窟。
どうして出来たんだろう。

だいぶ降りると林を抜ける。
日差しが眩しいくらいだ。
道もだいぶ平坦になってきた。

このあたりからは周りの植物の種類もだいぶ変化してくる。
そして多くの蝶が我々の周り、前、横、後ろを飛んでいる。
キレイだ。

シジミ(蝶の名前)にモンキチョウ、夏になるとよくブナの林で見かける蝶など。
市街地ではとんと見かけなくなった蝶たちが見つけた安住の地なのであろう。
久々に見る彼女たちはまったく「自由」に飛び回っているように見えた。
空中を舞うかのように。

しかし、道はまだまだ続く。
一体いつになったら下に着くんだろうか・・・

        ・・・下界編・・・

しかし、こんなキレイなところにもゴミが落ちている。
お菓子の袋。
ゴミの始末1つできないおろか者にこんなところにくる資格はない。

吸殻。
こんなキレイなところで汚い煙を吸って何が楽しいんだ?
ここのキレイな空気をただ吸っているだけでも十分に健康にいいのに。
こんなところまできて空気を汚すんじゃない。

だいぶ下流になると道の途中というか河原にも広い場所もあって、
そういった場所では「キャンプをすればいいなあ」と思っていたら
やっぱりしている人がいる。

しかし、喧しい音楽をかけているやつもいる。
せっかく鳥のさえずり、川のせせらぎが聞ける場所にきて
都会と同じ音楽を聴いてどうするんだ?

車で上ってきている奴。
ゴミも急に増える。
まあ、テントを持って来るのに歩いては大変だろうからかまいはしないが、
せめてゴミくらい持って帰れよ。

バイクでオフロード走行している奴。
絶好の練習場所だというのはわかるけど、人も歩いてるんだから
もう少し気をつけて走れよ。

いかついグラサンかけた警察官。
何を考えてるんだろうか。
ちゃんとゴミを持って買えるように指導しろよ。

一番に知っておくことが欠如した子供。
それを教えない/忘れた大人。
そういった者たちがこういった場所を破壊するのであろう。
日本の未来は暗い。

        ・・・

自転車で上っている少年たち。
頑張れよ。

        ・・・

風景から察するにだいぶ下に近づいてはいるようではある。
しかしなかなかはっきりそうであるといったものは見えない。

地図によると堤防が2つあったら下に着くはずなのだが。
しかし、堤防は1、2、3の4つあった。
あれ?
う〜ん、やっぱりこの地図はあてにならん。

もうとにかく行きつくところまで歩くしかない。
歩け歩け!!

        ・・・

何はともあれ下界に降り着いた。
それにしてもこの地図のいい加減なこと。
縮尺がないからぜんぜん距離がわからんではないか。
地図上で接近して書いてある建物が実は200メートル近く離れていたり、
危うく迷うところだったぜ。

3人いれば文殊の知恵とはよく言ったものだ。3人いればなんとかわかるものだ。

と言ってるうちに妙見口駅が見えてきた。

        ・・・石橋編・・・

「あのカーブを曲がって100メートルで駅があるはずだ」
「一体その100メートルというのはどういう基準なんです?」
「この地図から。」
「その地図の縮尺ってまったくあてになりませんやん!」
「いやいや、あそこにもう線路が見えてるから今度は大丈夫だって。」

ということでようやく妙見山駅が見えた。
しかし入口が見えない。
バスは止まっているのだが、そこには駅への入口がないのだ。

結局、バス停留所からさらに進んでずっと奥(という感じの所)に駅の入口はあった。
行きに進んだ道とはまったく正反対の方向から戻ってきたことになる。

やっぱり喉が乾いているので何か飲みたい。
しかし体が熱いのでアイスも捨て難い。

この辺は田舎だけあって(?)変なジュースが多い。
いわいるテスト品というのは田舎に配置されるそうだから
このあたりにも多いのであろう。
ただ単にメジャーメーカーがなくてダイドーとか鐘紡とかがあるだけかも
しれないけど。

アイスを食べているうちに列車が出てしまった。
さっき来たばっかりだからまだ出ないと思っていたのに結構早く折り返してしまった。
次は15分後か。

さすがに能勢電といえども最近は30分に1本ということはないか。
しかし、単線の駅なんか久し振りに見た。
四国は松山、伊予鉄道の横河原駅みたいだ(マイナーな地名)。

ってなわけで、今回の妙見山ハイキングは終わり。

        ・・・翌日編・・・

その日の夜の話。

かなり疲れが出ている。
腰が少し痛い。
足はそれほどでもないが。

コーヒーがきいていて眠れない。
眠いのに眠れない。
ああつらい。

        ・・・

で、翌日の話。

胃が少し痛い。
ハイキング後に食べた天一のラーメンがきいている。
やはりあれだけ濃いニンニクスープを飲むというのは
胃にとって過剰な負担であったか。
(私は意外に小食である。)

体中がそこはかとなく痛い。

でも、当日に疲れのピークが出て、翌日以降そんなに疲れがないということは
まだまだ若い証拠だろうか?

これくらいなら毎週でもハイキングに行けそうな気もする。
健康のためにもそれがいいのかもしれない。

ということで今度こそ終わり。

        ・・・おわり・・・
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