「ゴールデン旅行日記」(2004/01/20〜06/07号)
これは、かなり昔のゴールデンウィークに行ったものの旅行記である。
(中の文章から考えるに、8〜9年ほど前になるか。)

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いた旅行記を再編集しただけである。

そういう事情なので、現在同じコースを行こうと思っても行けなかったり、
各土地の事情も変わっているかも知れない。
従って、この旅行記を読んで行きたくなったからといって、
そのまま同じように行っては行けないのである。
(例えば、JRにはもう「周遊券」というものは存在しない、等。)

高山方面には、実はこの後もう一度行っている。
その時の話は以前旅行記にしたはずなので、それと比べるのもおつであろう。

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4/29(木)

大阪      →     高山  → 飛騨細江
8:02  急行たかやま  13:06┐    17:55
                    17:29┘

        YHひだ古川

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4/30(金)

飛騨細江 → 飛騨古川 → 富山 ⇒ 立山 ⇒ 称名滝 ⇒ 立山 ⇒ 富山  →  泊
9:18         9:26┐Lひだ1 12:22    13:42   14:20┐   15:40   16:53     18:09
            11:11┘       12:34    14:00   15:20┘   15:53   17:16
                              富山地方鉄道  立山開発鉄道    地鉄
                                            (実はバス)
        YH天香寺

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5/1(土)

泊  →  魚津 ⇒ 宇奈月 ⇒ 欅平 ⇒ 宇奈月 ⇒ 魚津  →  柏崎 → 椎谷
8:30     8:53       9:42┐     12:03┐   14:49     15:56 北越7 17:29
         9:07      10:36┘     13:33┘   15:20     16:06
               地鉄        黒部峡谷鉄道          地鉄

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5/2(日)

椎谷 → 柏崎  →  糸魚川      →     新大阪
          14:15 北越2 15:05  急行リゾート白馬 21:32
                      15:26

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忙しいやら仕事が始まるやらであっという間に旅行に行ってから
1週間以上経ってしまった。

このまま書かないという手もあるが、やはり感動の多かった旅行は書き記して
おかねばなるまい。

ということで、おくればせながら、しかも手抜きのゴールデンウイーク旅行記が
始まるわけである。

        ・・・

出発の朝はあいにくの雨であった。
旅行の時はできるだけ荷物を減らしたい。
だから傘を持って行かなければならないということはできるだけ避けたいのだ。
しかし降っているものはしかたない。

このまま雨に降られたら旅行先での計画も変わってしまう。
今回の計画は晴で、自転車を使って移動することをいれているからだ。
列車に乗ってる間に晴れてくれればいいのだが。

炊飯器には昨日炊いたご飯が残っている。
これから4日間は誰もいないのでこれを残して行く訳にはいかない。
そこでこれを全てお握りにして持っていくことにする。
朝食はこれで十分だ。
旅行中の食事は余りけちらないたちだが、まあ少しくらいは節約しなければ。

千里中央から新大阪へ。
新大阪でJRに乗って大阪へ。
今回乗る「急行たかやま」は大阪発で、しかも新大阪には止まらないのでしかたない。
そのまま地下鉄で梅田に出て乗り換えればいいのではと思うかも知れないが、
今回は周遊券を使っているので新大阪で乗った方が地下鉄代を少し浮かせるので
いいのだ。使える特典はできるだけ使った方がいい。

急行たかやまは気動車の4両編成である。
今となっては急行列車、特にたかやまのような定期のものは珍しい。
今のJR(というよりこれは国鉄時代の末期からだが)は
急行が少ない。利益を追求するためにほとんど格上げしたからだ。
そのため特急が小さな駅にまで止まるようになっているのだ。
スピードアップされているのでその分のロスは見えないが。

朝8時出発の朝早い列車なのだが、大阪から下呂、高山方面に直通で行ける列車は
これだけということもあって人は結構ならんでいた。
私は周遊券で行くので(北陸ワイド:この周遊券では周遊地区に行くのに
高山本線も使え、なおかつその往復路上でも途中下車が可能である)、
それを有効に使うには自由席しか使えない。(ワイド周遊券では急行の自由席は
他に券を買わずに乗れる。)

並んでいる人の数と来るであろう車両の定員を考えあわせると何とか座れそうである。
最初からいきなり立ちということになると後に疲れが出て、
そうでなくてもハードなスケジュールがこなせなくなってしまう。
実際乗り込んでみると余裕でいい席がとれた。
まずはさい先の良いスタートである。

私の降りるのは高山駅。時間にして5時間の旅である。

まずは朝食にする(飲物は駅で買った)。
食事が終わって朝早かったので少し寝ることにした。
BGMはもちろんちまたで大流行(ウソ)の「超兄貴」である。
こんなん聞きながら寝れるのは私だけという噂もあるが、
事実寝れるのだからやっぱり私はすごいのかも知れない。
(睡眠学習という意見もある。)

京都を過ぎると風景はだいぶ田舎味を帯びてくる。
なんか回りはたんぼだけみたい。
実際には眠たかったからほとんど記憶がないんだけど。

そういえば、通路をはさんで向かいの席に座った会社員風のおっちゃんが
何やら「えっち」な雑誌を読んでいた、ということも書いておこう。

大垣では降りる人が多かった。
ここで乗り換えて普通で東京方面でも向かうのだろうか。

もっと混むかなと思ったけど、岐阜に着くまでそんなに混むことはなかった。
車掌さんも余裕で回っているようであった。

そして岐阜を素通りして列車は東海道線から高山線へと入る。

        ・・・

高山本線は単線で、かつ電化されていない。
急行たかやまが気動車なのはこのためなのだ。
また単線ということがあって列車は停車駅以外のところでもよく止まる。
相手列車や後発の特急列車を先に行かせるためである。
急行が遅いのは停車駅が多いわけではなくこういった通過待ちが多いからなのである。
これは帰りの急行でもいやというほど味わうことなのだが。

高山本線に入りしばらく走ると車掌さんから回りの景色についてのガイドがあった。
最近のJRはサービスがいい。

この辺の景色はきれいな川が渓谷に沿って流れているという感じで
しかも奇岩がたくさん見えてなかなかきれいな景色である。
ところが、列車も川もくねくねとカーブしているため、
きれいな景色が右へきたり左へきたりして見るのが大変だった。

最初は反対側の景色は伸び上がって見ていたのを、
席が空いているので荷物ごと移動していたのだけれど、
また景色が反対側になったりして、
その度移動してたら「う〜ん」ということになって
結局荷物は元の席に戻して人間だけが移動することにした。
人数の少ない列車の中でこそ出来る芸当である。
しかし、景色に従って移動する様はまるで子供のようであったろうと思う。
でも旅の恥はかき捨てである。
我慢してきれいな景色を見逃すよりかはいい。

途中で左手に非常に大きな桜が見えた。
列車もその近くでは減速してくれたのでゆっくり見れた。
駅の間近くの土手みたいなところに、非常に大きくて、枝が支柱で支えられている
桜があるのだ。
何でも樹齢が数百年あるらしい(詳しくは忘れた)。
確かにその年輪を感じさせる風格がある。
きれいというだけを通り越して荘厳ささえ感じる。
ちょっと時期が遅いような気もするが、種類が違うのようだ。
最も高山地方は少し寒いようだからその性もあるのかもしれない。
今度また機会があればここで降りてじっくり見てみたいものだ。

昼食はこの急行の中で食べる予定なのだが、
事前の調べによって、飛騨金山の「栗こわい」という駅弁がおいしいという情報を
つかんでいたので、ぜひそれが食べたいと思っていた。
しかし、車内で弁当を売っているおばちゃん(特急と違って、急行の中では
年をとった叔母ちゃんが一人で、かつ少ない弁当を売りに来るだけである)
によると、栗こわいは土日にしか車内販売をしないらしい。
今日は祝日なのにと思ったが、祝日はないらしい。

しかし駅では売っているだろうと思ってお金を用意して準備していると
なんと金山より前の駅で駅弁売りのおっちゃんが売っているではないか。
「しまった!盲点をつかれた!」と思って買いに行こうと思ったが、
おっちゃんは指定席をターゲットにしているらしく自由席の前にはいないし、
さらにこの駅での停車時間は1分と短いので外に出て買う訳にはいかなかった。

次の駅ではと思ったが、次の駅では売っていなかった。
金山駅では売り場が遠い上に停車時間が短かった。
「うーん、いきなり目標不達成か!?」
と思ったが、下呂駅で列車が上下特急列車通過待ちなどで
長い間停まってくれたので何とかそこで買うことができた。
(ここで駅のスタンプも押せた。)
後で弁当に入っている説明を読むと下呂駅でもいつも売っているようであった。
それならそれであせらないでよかったのに。

栗こわいとは、一般的にいうと栗ごはんである。
栗ご飯が栗の形におむすびにされており(ちゃんとそこの部分は胡麻で
それらしくしてある)、それがまた栗の形の入れ物に入っているのである。

中身はこの栗おにぎりとおかずはなくてお漬物5種が入っているだけである。
が、このお漬物はごぼう、かぶ、なす、きゅうり、ともう1つであったが、
安い弁当に入っている着色&化学調味料で味付け&添加物いっぱいの漬物とは違い
自然で、辛くもなくおかずとして食べられるような実にいいものであった。
質素な中にもぜいたくさを感じさせる弁当であった。

そうこうしているうちに、列車は峠にさしかかった。
川がいままで列車の後方側=太平洋側に流れていたのが
前方側=日本海側に流れるように変わる。
いわいる分水嶺である。

そしてしばらくすると飛騨は高山駅に着いた。
なにかあっという間の5時間だったような気がする。

「周遊券です。途中下車します。」
そう言って駅を降りた。
今回の旅行の最初の観光地点である。
雨は取り敢えず上がっている。
さぁて、回るとするか。

        ・・・

駅に降りたとき、空は晴れてはいなかったが雨は上がっていた。
一時はどうしようと思ったがこれなら自転車で廻れそうだ。
(それでも一応折たたみ傘はもって行くが。)

駅前の観光センターに行って市内の観光ポイントを、あらかじめガイドブックで
調べていたそれと照らし合わせてチェックする。
やはり一番あてになるのは地元のそういったパンフレットである。
ガイドブックはどうしても編集時点から時間が経っているし、
誰でも行くような観光ポイントしか載せていないので
隠れた名所などを知るにはこれしかない。
(これとサイクリングをする場合は貸し自転車屋のおじさんの話が重要。)

ロッカーに荷物を入れて自転車を借りに行く。
コインロッカーは駅を出て左にあった。
自転車は駅の右で貸していた。
その間の距離100メートルである。
しかも、自転車貸しのところでは荷物を無料で預かってくれるのであった。
久々の旅行だったので忘れていた。
ずいぶんと無駄の多いスタートである。

サイクリングは久しぶりだが、この高山の町は意外にも坂が少ないので
楽に走り回ることが出来る。

最初に城山公園という所に行こうと思っていたが、レンタサイクル屋の
おじさんの話では今日は曇っているので山々が見えないので行っても無駄である
ということであった。晴れていればここからアルプスの山々が見えてとてもきれい
だそうだが、見えないときに行っても仕方がないのでここははずすことにする。

まずは高山陣屋に行く。
ここは豊臣時代からの古い武家屋敷であり、徳川の世になって
高山が幕府の直轄地になったときにここを納める奉行がいた屋敷である。
ここは再建ではなく、ほとんどが当時のままということで、
歴史を感じることが出来る。

次に行ったのは上三之町と呼ばれる所で、ここは古くからの町並みが残っている
場所である。狭い道の両側には歴史を感じさせる建物が軒を連ねている。
そしてそのほとんどはお店を開いている。
おみやげや、喫茶店、酒屋いろいろある。
そしてここには人力車もいる。
結構高いのだが、こういう所ではこういった乗り物で回りたいという
人にはいいかも知れない。一応町の景色にはマッチしているが、
引き手のおにいちゃんが着物こそそれらしくても髪型などが
現代風であるというところがミスマッチであった。

この町の名物にみたらし団子とごへい餅がある。
町のいたるところで売っているのだが、
勿論ここでも売っている。

いいにおいが漂ってくるのでついつい買ってしまった。
みたらし団子といえばふつうは甘いものを想像すると思う。
少なくとも私はそうであった。
ところが、ここのみたらし団子は甘くなかった。
醤油味なのだ。餅の部分の歯ざわりはまごれもない「みたらし」のそれなのだが。
まずくはない。こういうものだと思えば、これはこれでおいしい。
しかし違和感はある。

ということはごへい餅も甘くないかも知れない。
やはりここは試さねばなるまい。
そういうことでごへい餅も食べることにした。
ごへい餅も甘くなかった・・・ということはなかったが、
やはり甘味は控えめであったと思う。
形も高速道路で売っているようなはしっこがひらべったくなっているものではなくて、
全面が均一の厚さであった。
歯ざわりも少し柔らか目だったような気がする。

これが本場の味なのか、それともたまたまこのお店だけがこうだったのか。
他のお店では食べなかったのでわからなかったが、
この謎はまたの機会に解くことにしよう。

ここではおみやげも買った。
今後回る場所ではおみやげは余り買えないと思ったからだ。
(結局はおみやげはどこでも買えるということがわかったが。)

実はおみやげを買うということは苦労することである。
それは、今は流通網が発達しているので、
なかなかその場所でしか買えないもの、というものがないからだ。

中には他の所で作ってシールだけ張り替えているものもある。
だから買うとに気は必ず生産地をチェックしなければいけない。

余談ではあるが、私がアメリカに旅行に行っておみやげ屋に入ったとき、
これはいいなあと思ったものの産地を見るとなんと日本であった。
そのほか台湾も多くあった。こんな所にきて何で日本や台湾製を
かわなきゃならんのかと思ったことがある。

そのおみやげを見てもどこにでもあるようなものが多くて、
「これは」と思うものがない。せいぜい絵葉書くらいであろうか。
どれも似たりよったりなのだが、それでもできるだけいいものを
と思って選ぶと時間がかかるわけだ。

今回はお漬物とお茶付けの素を買った。
ちょっと食品添加物が多いようであったが、まあ味がそこそこなのでよしとしよう。
(さんざん試食した。)

その後上三之町をいろいろなお店に入りつつ端まで走って行った。
そこで思ったのだが、確かに古い町並みなのではあるが、
ちょっと観光地化されすぎている感じがある。
具体的にどこがといわれても困るのだが、これは同じ飛騨地方でも
この後行った古川の町と比べればよくわかるのだ。
ごちゃごちゃしすぎているというのだろうか。

私はお寺を回るのが好きなので、この後はお寺めぐりをすることにした。

        ・・・

高山の町にはお寺も多い。
町の北部にたくさんのお寺が固まっており、また町中にもいくつか点在している。

まずは北側のお寺へ行くことにする。
ここには大小多くのお寺があって、それがほぼ横一列になっていてそれらが遊歩道で
つながっている。
ここにはいろいろな宗派のお寺が密接している。こういうのは
なかなかに珍しいのかも知れない。

ガイドブックには大きく書いてあったが、それぞれのお寺はそれほど大きくはない。
中にはずいぶんうらびれたようなところもある。
それに季節がまだ寒いからだろうか、ほとんど、いや全部のお寺が
戸を閉めているので中を見ることができなかった。
中には戸にガラス部分があって中が少し見えるところもあったが、
それでも暗くて見えづらい。
中も見ることができればもっといろいろな発見があったのかも知れないが、
それができなくて残念である。
お寺見学というのではなく、ただ単に遊歩するだけならいい場所なのだが、
お寺を見て回るというのを主点に置いていた私にとっては時間を無駄に
してしまった感じもある。

とはいえ、一応きりのいいところまで歩いて行き、
戻って来て時計を見たところ、次に乗る列車まではまだ時間がある。
(もちろん最初からそういう歩き方をしているのだが。)
しかし、次の予定の「飛騨の里」遠そうだし、かなり広そうな敷地内を
この時間で見ることができるかどうかわからなかった。
しかしとりあえず行くことにした。

飛騨の里はお寺から駅まで戻り、さらに南下したところにある。
お寺とは、ちょうど駅をはさんで対角線に位置するような場所にある。

その前について看板を見るとやはりかなり広いようだ。
イメージとしては服部緑地にある民家集落をもっと大きくして
さらに田圃とかを配置したようなもののようだが。
列車までの時間はあったが、ここの閉館時間までが30分しかなかった。
いくらなんでもこれでは時間がなさすぎる。
600円という入園料もあるし、ここは残念だが見送ることにした。

ということで時間ができた。どこへ行こうか。
悩んでいてもしょうがないので、もう一度駅をはさんで向こう側にある
国分寺という所に行くことにした。

ここには3重の塔があった。
お寺も古くて風格があった。境内にある木も樹齢が数百年のもので
大きくて迫力があった。

結局の所、高山の中で一番歴史と見て良かったなあ、と思ったのは
ここだけであった。この後高山別院という所にも行ったが、ここは
大きさは大きかったが、やはり中が見られなかったし、
何となく現代風で私の求めるイメージと違っていた。

結局の所、高山という町は観光都市化されすぎているというイメージと
なにか直接的に歴史を感じることができなかったというイメージが残った。
私が期待しすぎていたのだろうか。
もっとも、有名な高山祭の時期にくればまた違った町がみられるのだろうし、
朝市を見ればもっと素顔の高山にふれられたのかもしれない。
ちょっと残念な時に行ったようである。

そうこうしているうちに時間が来たようだ。
駅まで戻り自転車を返して(結局3時間で900円)
駅で列車を待った。

ここで高山牛乳というのがおいしいらしいという情報もあったので
これを飲んでみることにした。
90円の一見何の変哲もない牛乳なのだが、確かに濃いようでおいしかった。
走り回って疲れた体にはいい飲物であった。

ここから普通列車に乗り込んで、初日の宿泊場所である「ひだ古川ユースホステル」
のある飛騨細江に向かった。

        ・・・

ユースホステルは、名前は「ひだ古川」というのだが、
その場所は古川ではなく細江という古川からさらに2駅行ったところにある。
以前は本当に古川にあったようだが、どうも新築して場所が移ったようだ。

うとうとしているうちに列車は飛騨細江に着いた。
着いて驚いたのはここがとても田舎なことであった。
もちろん無人駅である。
駅前に出てもなんにもない。
周りの山は雪を残していて白くなっている。
そのためか、もしくは時間のためか、高山よりだいぶ寒いような気がする。
こんな駅でも降りる人は私の他にもだいぶいたのが不思議なくらいである。

さて、地図を見ながらユースを探すのだが、これがどこにあるのかまったく
わからない。少なくとも見渡す範囲にはそれらしい建物はない。
「駅から歩いて15分くらい」と書いてあるが、十分それくらい歩いても
まだ見えない。寒い、重たい荷物。
やがて人の姿も少なくなってくる。
「このままここで野宿になるんじゃないだろうか」そんな不安が頭をよぎる。

道路沿いに歩いていくとバス停があった。
そのバス停は地図内に書いてあるのでとりあえず道は間違っていないようだ。
明日このバスに乗るかも知れないので時刻を調べようとして愕然とする。
バスがほとんどないのだ。しかも休日運休などもあって、1日5本もないのでは
ないだろうか。書き移しておこうと思ったがとても使えそうに
ないのでやめた。(明日はJRの駅までまた行くしかないようだ。)

道は坂道になって、重たい荷物を持つ私に試練を与える。
この坂を上ってなかったらどうしよう。

と思ったが、その坂の上、しばらく行ったところにきれいな建物が見えた。
「あれがユースだ!」まったく、このときほどほっとしたことはないよ。
結局20分くらい歩いてようやくと到着したのであった。

ユース自体は新築ということもあって確かにきれいである。
木の臭いがしていい。
内装も充実しているし。
1部屋は4人部屋で、畳に2人、ベッドに2人という構成になる。
各部屋にテレビと暖房(石油ストーブ)が入っている。
食堂の横には29型くらいの大きなテレビもある。

はっきり言ってこのようなユースは例外的であると言ってもいい。
愛媛は松山ユースもこういった感じであったが、そこよりも
こじんまりしていてさらにいい感じを受けた。
(ここは松山ユースなどと提携してMFHというものを作っているようだ、)
普通はこんなにいいところはない。
しかし、高級思考の最近の人の心をつかむにはこういったアプローチは
非常に言いものと思う。
私はもう少し「普通の」ユースでもいいが、はじめてユースを使う人に
「いや」という」感じを持たせないためには最初にこういったところに
泊まるのがいいと思う。

私は畳がいいので畳の場所がとれればいいなあと思っていたら、
何のことはない、そこしか空いていなかったので、
そこに陣取ってさっそく布団を引いてしまった。

夕食は7時から。走り回って疲れている私にとってはそれまでの時間は
とても長く感じられた。布団の上で寝転がってそのまま寝てしまいたいほどである。

食事は鮭の蒸し焼き(?)をメインに質素にして豪華な
感じの食事であった。食事もいい方じゃないのだろうか。
デザートには飛騨牛乳を使った(と思う)アイスも出た。
おいしい。

食事をしながら同泊している人と話をするのはユースの醍醐味である。
車で東京(八王子)方面から来た人、自転車をかついで回っている人など
いろいろいる。いろいろいればいろんな話が聞ける。
これが楽しい。

部屋に戻っても話は続く。
なんと800泊以上している人。仕事で全国泊まっているそうだ。
そういう関係から同じ場所に連泊したり、場所が片寄っていたりする
そうだが、それにしてもすごい数だ。
一月20日を泊まっているとして、40カ月で3年以上。
まあ、そんなことはないだろうから、恐らくは10年以上かかった
記録ではないのだろうか。でも上には上がいるもので、そのときの話では
北海道には3000泊以上している伝説の人がいるとか。
蟹工場の季節労働者としてユースに連泊して通っているとか。
もうそうなるとたかだか7泊くらいしかしていない私には想像を絶する世界である。

明日も早いし、眠たくなったのでお風呂に入って寝ることにした。

布団は羽布団である。ああ、こんなに軽くてあったかい布団があるなんて。
思わずほしくなってしまう。

けっこう早くに布団に入ったはずなのに、
暑い(日頃寒い布団で寝てるかたまにあったかいと寝られないら)、
夜中に突然おなかを壊すなど、
なかなか寝つけない夜であった。

明日も早いのにどうしよう。
明日も晴れてくれればいいのに・・・。

        ・・・外では何やら激しい音がしている・・・

朝起きたら雨であった。
しかもかなりの土砂降りである。
夜余り寝られなかったおかげで眠たい頭を一気に起こして、計画表と時刻表
(ただしコピー)をながめる。
今日の予定も歩きから始まるからだ。
しかし、計画を変えようにも列車の本数が少ない(バスもほとんどない)
のでそれも難しく、結局元の計画のままで行くことにした。

朝食は日本食。ご飯と味噌汁。やはり日本の朝はこれに限る。
(といいつつ最近の私の朝はパン食が多い。)
食事の朝に出たコーヒーがおいしい。
日本食には合わないが、おいしいものはそれでいい(いいかげん)。

駅までは遠いので早めにユースを出ることにした。
といっても私は遅い方で、早い人は6時台から出かけている。
例の800泊おじさんもそうだ。バイクの連中ももうしたくをしている。

出掛ける頃には雨はゆるくなり、せいぜい小雨程度にまで回復している。
まだ植える準備が出来ていない回りの畑を見るとつくしが生えている。
やはりこのあたりは植生の時期が遅いようだ。
しかし、ここのつくしの量が並ではない。土手から畑の中まで一面に生えている。
昔の大阪でもこんなに多いのは見たことがない。

飛騨細江に付いたとき、ユースで同じだった人がいた。
私の方が先にユースを出たはずなのにと思っていたら、
後から別の同室の人に車で送ってもらったそうだ。
う〜ん。

彼女はいかめしくいえば「埋没文書発掘」という仕事、平たく言えば
遺跡発掘をしているという。遺跡と言っても古いものではなく、
今は伊達正宗の居城の後を発掘しているらしい。
仕事がらもあって、全国のユースを泊まり歩いているということだ。
ユースの醍醐味、いろいろな人と話をしていろんな情報を
得られるということを味わっていた訳だ。

駅で列車を待ちながらあれやこれやと話をする。
私は古川に行く、彼女は高山に行く。
カメラは大きい方がいいねという話。
(彼女のカメラは私の上位機種のF601だ。液晶表示付きのいい。
私のはF401。まあ、ふつうに使う分にはこれで十分なんだけどね。
まっ、負け惜しみじゃないぞ!)

そのうち駅の電話が鳴った。
駅には公衆電話ではなく、ふつうの電話が備え付けてある。
恐らくは家の人に電話をして迎えにきてもらうときなどに使うのであろう。
公衆電話ではなく普通の電話があるというのはいかにも田舎らしい。

それはいいとして、この電話が鳴ったのだ。
どうしようか、とるべきかとらないべきか。
しかしひょっとすると有人駅からの列車に関する何かの知らせかも知れない。
2人、顔を見合わせていたがとりあえずとってみることにした。

        「なんとかさん、来ていますか?」

はぁ?
「いえ、来ていらっしゃらないですが。」
「今ここには2人しかいません。」

        「なんとかさん、来ていませんか?」

「ここは駅ですけど、他には誰もいません。」

        「ありゃ、駅にかかっちゃいましたか。」
        「すいません。」

どうやらどこかの家に掛けたつもりが駅に掛かったらしい。
ここにいたのが町の人ならそれでもわかったのかも知れないが、
私ではそうもいかなかった。
これも何となく田舎ならではのエピソードである。

列車が来るようだ。そろそろホームに入っておこう。
ここは無人駅なので乗車駅証明券発行装置なるものがある。
どこから何時に乗ったかを証明する紙を発行するものだ。
どこから乗ったかはともかく記念に2枚とっておく。

ホームにはきれいなピンクの花が咲いている。
桜ではなくもっと大きな花だ。
これをバックに記念撮影をする。

話をしていたらあっという間に降りる古川駅に着いた。
「よい旅を。」

またどこかで会えるといいですね。

        ・・・

古川は細江から高山方面に2駅ほど戻った位置にある。
普通なら見過ごしてしまうような町なのだが、
これも事前に得た情報(ユースホステル協会の発行している新聞の記事)では
ここの町がいいということなのでここも降りてみることにしたのだ。

レンタル自転車もあるようだが小雨も降っているから歩いていくことにしよう。
予定はたててあるが、時間がなければ行ける所だけ行くということでいいだろう。

駅で町の観光案内をもらって歩き始める。

                                真宗寺
        本光寺                   |
         | 三嶋ろうそく       |    白井ちょうちん
         +−−−−−−−−−−−+−−|
         |                       =====瀬戸川
         |                            円光寺
         |                            |
増島城跡−+−−−+−−−−−−−−−−+
                飛騨古川駅

まずは増島城跡へと向かう。ここは駅から左歩いてすぐのところにある。
ここは堀と城壁と宝物殿しか残っていない。
そういう意味では余り見るものはない。
ここにはお稲荷さんもあって、赤い鳥居がたくさんつながってある。

堀には大きな鯉がたくさんいて、30円で誰でも餌をやることが出来る。
鯉も大きくなると動きが鈍くなって、いかにも餌を食べているといった
感じの動きを見せない。のそ〜と動く感じだ。

さらにここには鶏舎があって、鶏がやかましいほどにコケコケと鳴いている。
種類は白色ホグレン(一番多い普通の種類)ではなく、チャボでもなく、
うこっけいという種類に似ている。そんな珍しいもの(天然記念物)がこんな
ところに(無造作に)いるとは思えないが。
小屋の端には卵を抱いているものがいる。
どうやら警戒して鳴いているようだ。

次は本光寺に向かう。
地図を見ながら進んでいるのであるが、幾ら進んでもそれらしい建物が
見えない。それだけ小さい建物なのか、それとも道を間違っているのか。

それにしてもこのあたりは立派な門構えの家が多い。
町中には小川(どぶ?)が流れている。
料理の食べ残しか失敗作をそこに流しているおばさんがいる。
川を汚さないかちょっと心配である。

やはりどうも道が違うようだ。急いで引き返すことにする。
観光案内に写っている写真から判断するにもっと手前で見えた屋根の建物が
そうだったようだ。ということはこの地図はかなり狭い範囲を示していることになる。
古川の町というのは結構狭いようだ。

本光寺はこの町にある3つの大きなお寺の1つである。
鐘もある。
しかし、ここも高山と同じで中が見れない。
しかたないので次へ行こうと思ったとき自転車に乗ったおじさんがやって来た。

        「中はみせてもらったんかいね?」
        「いいえ。」
        「見ていかんかね。」

時間の都合があるので見ている時間があるかどうか考えて相談して、
何とかいけそうなので見せてもらうことにした。

中に入るとそこは総桧づくりでとても大きい。
こういう形式の木造のお寺の中では一番大きい方に入るらしい。
中の細工にもいろいろと技巧が凝らしてある。
時間をとって見せてもらったのは正解だった。

おじさんは住職さんのようではなかったが、このお寺を管理している人のようで
あった。今年中にこのお寺に桧の門が出きることも教えてもらった。
またそのうちに来る必要がありそうだ。

次の目標は三嶋ろうそくという和ろうそくを作るお店である。
和ろうそくというのは、一般に見る全体が半透明の白いろうそくと違い、
もっとはっきりした白とか赤色(もしくはその両方が混ざっている)で、
形もはっきりと違うので一目見ればわかる。
(製造行程も中身も違うけど私には詳しく説明できない。)

ここの和ろうそくは結構有名のようなので見たかったのだが、
そのお店がまた見つからない。
いや、今度は行きすぎているということはないはずだ。
しかしそれらしい場所にお店が見えない。

よくよく調べるとお店があった。
寒いということもあって店の戸を閉めていたのだが、
そうなるともう普通の民家の見分けが付かないのだ。
よく見て、軒に「三嶋ろうそく」と書いてあるのを見つけなければ
見逃してしまうだろう。

戸を開いて中を見た瞬間いかにもろうそくであろうという臭いが漂ってきた。
店の中に工房があって、そこで手作りで作っているのだ。
その前にはガラス戸があるのだが、そこにはろうがかなり付いている。
和ろうそく作りはかなり過酷な作業と見た。

おばあさんが出てきたのでろうそくを何本か頼んだ。
普通のろうそくに比べれば確かに高いが、
それでも価格的にはそんなに高いものではない(1本100円くらいから)。
ここで何本かろうそくを買っていくことにする。

周りには有名人の残した色紙があった。
竹村健一、小柳ルミ子など、他にもたくさんあった。
やはりここはかなり有名なようだ。
ここでおばさんと少し話をして、スタンプを押して、訪問記念帳にサインをして
次の目標の真宗寺に向かうことにする。

        ・・・

真宗寺に行く前にメロンパンを食べる。
メロンパンとはいえ中にチョコチップが入った、いわば邪道なものである。
しかしおいしいのでよしとしよう。

真宗寺もまた大きなお寺である。ここにも鐘がある。
残念ながらここでは中に入って見ることができなかったが、少し見た限りでも
本光寺とは違った形式ですばらしいものであった。

今度は白井ちょうちんというお店に行く。
ここでは手作りでちょうちんを作っているそうだ。
観光客は買うことはできないようだが、その制作現場は見せて
もらえるということなので行くことにする。

途中には酒屋というかお酒を作っている所がいくつかある。
酒呑みにはたまらない場所だと思う(中も見学もできるらしい)。
残念ながら私はお酒は呑まないので通過するだけである。

で、道を進むのだが、またお店が見つからない。
今度はかなり慎重に探しているのだが、軒にそれらしい看板もないし、
ちょうちんがぶら下げてあるというところもない。
地図と見比べてゆっくり、しかしかなりの範囲を歩き回って探していると、
ある家の入り口から少しだけ見えた中にそれらしい材料が見えた。

ようやく見つけたそこがちょうちん屋であった。
中では作業をしているようだったが、軒先の戸も閉まっているし、
何やら入りづらい雰囲気だったので入らないこととした。
ちょっと残念であった。
気を取り直して円光寺へと向かう。

円光寺の前には瀬戸川という小さな川が流れており、ここにも鯉がたくさんいる。
そしてそこには白壁の土蔵群があり、桜も咲いていてきれいな風景を作っている。
この土蔵群はおそらくは江戸時代からの古い倉が残っているものである。
ここは壁は塗りなおし、道、川もはきれいにしてだいぶに整備されていはいるが、
いわいる観光目的だけという感じはせず、またいかにも「おみやげや」といった
ところがないのできれいに見える。
これはここだけでなく古川の町全体にいえることなのであるが、
これだけのことでも高山に比べここの町に気品と落ちつきをもたらして
好印象を与えてくれる。

ここでも鯉に餌をやれるのだが、ここの鯉は流れ(雨の後のためかかなり速い)に
向かって泳ぐことに集中せねばならないためか、余り餌を食べない。
食べようとすれば流れに流されてしまう。
そのため心持ち増島の堀にいた鯉より痩せている・・・ということはない。
まあ、食べるときには食べているということであろう。

この土蔵群の途中の土蔵の反対側に円光寺はある。
ここはさきに2寺に比べれば少しこぶりだが、それでも十分大きい。
鐘はここにもある。
この小さな町に3つもこれほどのお寺があるというのは珍しいことであろう。

ここも中が見られなくて残念だったが(ガラス窓からみた限りでは前述2寺
とは違い、こじんまりとしていた)、ここは外から見てもわかる特徴が1つある。
それは雨戸なのだが、普通のお寺には余り雨戸は見られないが、
ここにははっきりとそれがある。そしてその開き方が変わっていて、
ふつうの家のように横にすべらす形式ではなく、上に引き上げる形式になって
いるのだ。すなわち、戸の上側にちょうつがいが付いていて、そこを支点に
上に持ち上げるようになっているのだ。持ち上げた戸は上にある棒に
止め金を引っかけて固定してある。
なぜ横にずらす方法ではないのか、そんな方法で危なくないのかという
疑問はあるが、まあそういうものだとして受け入れておくことにしよう。

これで一応予定の観光ポイントは回った。時間として2時間しか
設定していなかったが、歩いてでもこれで十分であった。
本当はこの他にもいくつか館があるのだが(1日共通券1000円)、
それを見るには時間が少なすぎる。
歴史的建造物などはこれで十分見られたし、よしとしよう。
まあ、いずれまた来ることがあるときのためにとっておこう。

少し時間は余っているようだが、次に乗る列車は自由席だし
すこし早めに駅に付いて待っておくことにしよう。

        ・・・

古川からはL特急ひだ1号で富山まで出ることにしている。
駅に着いてみるとユースで同じだった人がいた。
同じ列車で行くようだ。
細川駅では特急に乗れないのでこの駅まで戻って来たわけだ。

その人の話ではひだ1号の指定席は1つしか空いていなかったらしい。
(それはその人がとった。)
混んでいるのはいやなのだが、他の列車にしようにもこういった場所では本数が
少ないのでそれもできない。どうせ富山までは2時間もないので立って行ってもいい。

列車が来た。おそるおそる入ってみると意外にも自由席はがらがらで
どこでも座り放題であった。

車内は下図のようになっていて、椅子が通路に対して少し高い位置にある。
(片側2席の独立リクライニング。)
さらに窓が広いので視野が広くなっている。

        |  |         |    |
        |いす|         |いす|
        +==+         +==+
        −−−−+      +−−−−
                +___+

最近の特急列車は内部が豪華になっている。
そしてスピードも速い。気動車=ディーゼルカーなので少しうるさいのは
難点であるが。JRになったおかげかも知れないが、こういった改良は歓迎である。

予定では富山では時間がなく、すぐに別の列車に乗り継いで行く。
そのためにはこの列車の中で昼食をとっておかねばならない。
なかなか車内販売が来ないのでこちらから探しに行くことにした。

隣はグリーン車か。ここにはいないな。がらがらじゃないか。
その次は・・・あれ?もう一番後ろ?

なんとこの列車は3両編成だったのだ(高山で5両を切り放したようだ)。
車内販売もなし。
こまった。これでは予定が狂ってしまう・・・。
そうはいっても仕方はないので富山まで我慢をして富山で速攻で
駅弁を買って乗り継ぐことにしよう。

終着富山に近づくまでは本当に山の中&田舎の風景であったのが、
その間近でようやく都会らしい風景になった。
こういったところが逆に田舎らしい。
(別に馬鹿にしているのではなく、こういうのは好き。)

富山駅に着いて先ほどの人に会う。
自由席はがらがらでしたよと言うと悔しそうな顔をしていた。
自由席が混んでいるときの指定席は優越感にひたれるが、
逆の時は「もったいない」感に襲われる。
(ここの場合)800円の違い、絶対に席があるという安心感をとるか
安さをとるか、乗る前には自由席の状況がわからない以上難しいところである。
(私の場合、ここでは立ってもいいということで安さをとったんだけど、
時と場合によってこれは変わる。)

富山駅を出る。
実はここが北陸ワイド周遊券の最初の下車駅なのでここで周遊券のA券を渡す。
周遊券はA/Bの2枚の券から成っていて、周遊区間内の最初の下車駅で
A券を渡すのだ。

駅前はどっかで見た風景である。
よく考えてみれば当たり前で、以前に来たことがあったのだ。

先の予定通りここで駅弁を買う。
いつものますのすしでもいいのだが、これはいつでも買えるので、
ここでは全国的にはマイナーなぶりずしを買うことにした。
(そういえば今回の旅行では普通のますのすしを食べていない。)
ますのすしより少し高いが、まあ旅先での食はその土地土地のものを食べるのが
基本なのでけちるまい(旅先でホカ弁やハンバーガーを食べることほどむなしい
ことはない)。

ここからはJRではなく富山地方鉄道(略称:地鉄)というものに乗る。
これで立山まで行くのだ。
地鉄富山駅はJRの駅の真横にあるのだが、入り口は離れている。
改札は女の人だ。
意外と田舎の方がこういった面では進んでいるのかも知れない。
そう思いつつ立山行き普通に乗りこんだ。

        ・・・

地鉄電車は普通でもクロスシートであった(一部は短いロングシート。変な言い方)。
お弁当を食べるには好都合だ。
すいているので対面の席も占有し手足を伸ばしてゆっくりする。

立山までは1時間以上かかる。ということは距離的には京都−大阪間くらい
なのだろうか。その割には1000円以上かかるので高いが。
本当は特急や急行に乗りたいのだが、特急では別料金がいるし、
その前に本数が少ないので時間待ちが惜しい。
普通で行っても途中であまり抜かれるということはないくらいなのだ。

さっそくぶりずしを食べることにする。
これは名前の通りぶりと、かぶからなるもので、容器の見た目はますのすしに
似ている。中も竹の葉でくるんであるとか似ているが、ますの赤というか
オレンジ色の身の変わりに、かぶとぶりの白身をベースに千切りの人参の
オレンジを入れた色使いであり、見た目にも楽しませてくれる。

味はすっぱめで、かぶがこりこりとしていておいしい。
富山の新しい味覚を発見した。
今度からはますのすしと同様に愛食しよう。

地鉄は富山では最大の私鉄であるが、土地が土地だけに、富山駅を出て
ちょっと行くともうそこは田圃が広がる田舎の風景となる。
ちょうど田植えの時期のようで、田に入って作業している人がいる。
田植えをしていないところもすでに水は張られていて順番待ちといったところだろう。

電車はさらに進み、立山に近づく頃には能勢電もビックリの山の中を
走るようになる。

立山駅はここから美女平、室堂、黒4ダム(黒部第4ダム)
などを経て信濃大町に至る立山−アルペンルートの始点である。
駅の横にはこの最初になるケーブルカーの駅があり、非常に急勾配の線路が見える。
今回は時間と予算の都合でアルペンルートは行かないが、次回には行ってみたい。

今回行くのはこのアルペンルートから少し離れたところにある
称名滝(しょうみょうだき)というところである。
アルペンルートをあきらめたのには上記の理由の他に、この滝が少し離れているので、
1日でこの滝とアルペンルートを両方行くことはできないと考えたこともある。
(アルペンルートを抜けるには約5時間かかる。片道9000円くらい。)
アルペンルートをあきらめてでもこの滝は見る価値がある、そう考えて
今回はこの滝を、次回にアルペンルートを、そういう計画にした。

地鉄立山駅を出て称名滝行きのバス停を探して歩き回っていると、
地鉄駅に色鮮やかな電車が入ってきた。JRのスーパー雷鳥だ。
こんなところにまで来るなんてたいしたものだ。
そういえば地鉄の普通の電車もどこかで見たことがあると思ったら
昔の京阪電車の車両なのだ。(だと思う。)
都会の私鉄の車両が古くなったら地方に行って活躍するということは
よくあることなのだ。

結局称名滝行きのバス停は地鉄駅ターミナルビル(?)の真横にあった。
雨の中歩き回って探したのに。
自慢じゃないけど私は方向音痴である。

今日は雨ということか、それともこの時期はまだ寒いということか
そんなに人はいない。
あまり混んでいるところに行くのは嫌いなのでこれは好都合である。

バスが出発・・・と思ったらなかなか動かない。
バスの前に車が止まっているためにバスが出られないでいるのだ。
クラクションを鳴らしても動かないので運転手が降りて行った。
前の車の運転手はどこかに行っているようで、その同乗者が探しに行ったみたいだ。
バスの転回場に着き駐車禁止の場所に止め、あまつさえ席を離れているとはなんて
いう奴だ。こちらも時間がないのにこれ以上遅れられたら後の時間が狂ってしまう。

やっと前の車の運転手が戻ってきて動いた。
バスも動いた。
いったいどこの野郎かと思ったら、案の定「なにわ」である。
まったくこんな所に来てまで恥をさらすとは。
ええい、この大阪の面汚しが。

バスは川沿いの道を上っていく。
すると道ばたに何やら白いものが見えてきた。
雪だ。

上って行くにつれて雪の量はだんだんと増え、やがては道の両側に
壁を作るほどになった。本当は壁というほど高くはないが2メートルくらいはある。
肌に感じる温度も下がってきている。
もう5月だというのにまだこのような雪があるとは。
さすがにアルペンは違う。

バスは雪の中どんどん上っていく。

        ・・・

道路の向こうは川があり、その向こうには雪をたたえた岩壁がある。
そこにも滝が出ている。雪解けの今の時期にしか見られない滝であろう。
地図にも載らず、毎年異なるであろう滝。自然の創り出す芸術。

雪のあるところでは雪崩も見えた。
バスからみれば小さく見えるが、近づいていればかなりの迫力だったろう。

やがてバスは称名滝バス停に着く。
いかにも最近除雪しましたという感じで、
雪の中にぽつんと建物があって、少し離れると雪に隠れてしまうほどである。

ここから滝までは・・・看板が・・・なになに歩いて30分!?
バス停は意外と滝から遠い位置にあるようだ。
(このバス停付近より先は車通行止めになっている。)
ここでの時間は1時間しかとっていないのにこれでは駄目ではないか。
もちろん帰りのバスを遅らせれば何とかなるが、それでは後の時間が狂ってくるし、
ここには時刻表を持ってきていないので遅らせて大丈夫か判断できない。

悩んでいてもしょうがないのでとりあえず進めるところまで進んで
時間がなければ引き返すことにした。この雪の中を歩くだけでも
十分価値のあることだし、遠くからでも滝が見れればいい。

歩いているとかなり寒い。私が寒いと思うのだからかなりである。
雪の間からはたくさんの水が流れ出ている。
まるで川のようだ。
その水を飲んでみると、冷たさと同時に雪の味がした。
雪というものは味がある。
それは水が雪、すなわち氷になるときに不純物を除かれた為にそういう味に
なるのか、他に要因があるのかわからないが、一種特異なものである。

一方本当の川に目を転じると、雪がたまって雪のトンネルを作っている。
川が雪の中に消え、再び出てくるように見える。
トンネルの出口付近は今にも崩れそうに割れて傾いている。
ひょっとするとその瞬間が撮れるかもしれないとカメラを構えていたが、
どうやらしばらくはそのままのようなので諦めた。

また、岩壁から落ちてきた雪が下で積み上げられた山のようになり、
そこに上から落ちてきた滝が吸い込まれていく所もたくさん見える。
回りの岩壁には滝が無数にあるのだ。

こんな場所にもダムがある。
ここは発電と水量調節をしているらしい。
そこの湖(?)には雪の大きな塊も浮かんでいる。

さすがに立山は雪が多いなあと思っていたら、今年は特に残雪が多いようだ。
「残雪が多いため決められた道以外には立ち入らないでください」という看板がある。
休憩所も便所も雪よけがつけてあって入れない。

そのうち先に滝が見えてきた。
「後少し。」
この分なら30分はかかるまい。

実際滝までは15分くらいで歩き着けた。
まあ、大阪人の足は速いということもあるだろうが、
ゆっくり歩いても20分で十分だろう。
帰りはもっと速く降りられるし、これなら十分1時間でいける。

やがて目の前になった滝は想像をはるかに越えるスケールであった。
高さは300メートル以上、もちろん日本一の滝である。

称名滝は本来1本の滝なのであるが、この時期からしばらくの間、
雪解けで水が多い時期にその右側にもう1本ハンノキと呼ばれる
滝が現れる。その滝もまた元の滝と同じくらいの規模があり、
むしろ元のものより勢いがあって、どちらが本当というかメインの滝なのか
わからないくらいである。

このハンノキの他にも無数の滝が流れていて水の壁を作っている。
これもこの時期にしか見られないものである。

300メートル以上あるので、上の方は霧に隠れてよく見えない。
それがまた雲の中から滝が落ちてくるように見えて幻想的である。

ここではもう傘は役にたたない。
水しぶきがすごいからだ。
雨も降っているのかも知れないが、そんなものより滝のしぶきで
びしょぬれになってしまう。
ウインドブレーカーというかレインコートを着ている人もいたが
それは正解である。

本当にここの滝には圧倒される。
余りにもスケールが大きすぎるからだ。
偉大であり、雪や霧の演出によってきびしさも感じさせる。
美しいという感情をはるかに越えて心に入ってくる感動がここにはあった。

人間の創り出す感動なんて小さいものだ、この自然の雄大さの前では
すべてが霞んでしまう。まあ、自然がここを創り出すのには何万年と
かかっているのに、人間がその一生もしくは数世代のわずか数百年で
創ったものでそれにかなうはずもないのではあるが。

滝を見ている時間はわずか10分ほどで、そのために富山から往復3時間、
3000円もかかるのであるが、十分にその価値はあるといえよう。
アルペンルートには別の感動があるかも知れない(再編集時注;あります)が、
この称名滝も絶対に見るべきである。
この感動は言葉で記述しきれるようなものではない。
見た者にしかわからないものである。

大いなる感動を胸に再びバス停へと戻る。

        ・・・

何となくずっとここにいたいような感じもしたが、
これ以上寒いのには耐えられないので降りて行くことにした。

バス停の横にある建物は展望台になっているほか、
称名滝の形成過程を紹介したり、このあたりの植物や動物の紹介をしている
展示場がある。
ここに戻ってきたときにはバスの時間まで15分くらいあったので
ゆっくり見ることにする。今は人が少ないのでじっくり見ることができる。
(ここにいたのは私とおじさん3人組のわずか4人。)

そろそろバスの時間なので降りていく。
バスは来ている。
ふとバス停の時刻を見ると、私があらかじめ時刻表で調べた時刻より遅い時刻が
書いてある。「これならもう少しゆっくりしてきたら良かったかな?」と思いつつ
バスの中で待っていると、ちゃんと調べた時刻で出発するではないか。
私はよかったが、もしバス停の時刻表で時間をチェックした人がいれば
大変なことになったのでは、と思う。
ひょっとすると違う行き先だったのか、違う時期のものだったのかもしれないが。

やはり立山駅付近には雪はない。
余り上っていないような気がしたが数百メートル上っていたのかも知れない。

駅でおみやげを買う。
立山でも買ったのだがよくよく考えたら少し足りないようなのでここで
少し買い足しておくことにしたのだ。

ここで買った林檎ジュース。
果汁100%、しかも濃縮還元でないので甘さが自然でとてもおいしかった。
これで150円とは安い。
産地はここではなく(立山には林檎はない)長野であったが、
どこにいてもおいしいものはそれでいい。(やっぱりいいかげん?)

再び地鉄で富山に戻る。
富山にだいぶ近づいたとき、ふと窓の外を見ると、
空き地に大きな鳥がいる。きじだ。
もう町中も近いというこんな所にキジがいるなんて、
まったくもって富山の環境の良さにはまいってしまう。
(再編集時注;実は今の私の会社の敷地内にもいる。キジは結構
人里近くでも住めるのかも知れない。)

今日の夜は泊(とまり)というところにある天香寺(てんきょうじ)ユースに行く。
泊は富山から少し新潟方面に行ったところにある(糸魚川に近い)。
今晩はユースでの夕食の提供がないということで(あったとしてもその時間に
間に合いそうもなかったのだが)、そこに着く前にどこかで食事をとって
行かなければならない。富山でますのすしを食べてもいいが、少し予算を
オーバー気味なのでここはふつうの食堂で安いものでも、ということで、
それなら富山でなくてもいいので泊で食事をしようということにした。
特急の止まる駅だ、駅前はきっと大きいに違いない。

富山から普通列車で泊へ。
夕刻ということもあって列車は通勤・通学の人で混んでいる。
座れてよかった。

40分ほどで泊に着いた。
で、駅前に出た。
が、何もない。
本当に何もない。
まったくもって田舎の駅なのだ。
何でこんな所に特急が止まるのかわからない。
大人の事情であろうか。

バス停も少し離れた場所にある。
でも少し歩いたら何かあるかも知れない。
とりあえずバス停まで歩いていくことにする。

食堂が1軒あった。
あるにはあったが、開いてるのかどうかわからない。
中は暗い。
少しうろうろしてみるが喫茶店はあっても食堂らしきものはない。
これ以上重たい荷物を持って歩き回るのは無理だ。
どうしようか。

道路向こうに生協の販売店(普通にいえばスーパー)がある。
「ここで弁当でも買っていくか。これ以上歩いても食堂のある可能性は低いし・・・」
ということでここで食事を買ってユースで食べることにした。

中に入ると土地柄生鮮食料品が安い。
「安いものを見るとつい買いたくなる」が、ここは我慢である。

いろいろ探したが、ここにはお弁当の類は置いていないらしい。
幸います弁当という、ますのすしをばってらのような形にしたもの(ます弁)が
あったのでこれと、後は単品のおかずを買って行くことにした。
それと低温殺菌の牛乳もあったので買っておく。
(注:今の牛乳はたいてい120度で2秒くらいで殺菌しているが、
低温殺菌と言うのは63度くらいで30分かけて殺菌するものである。
そもそも殺菌目的ではこれで十分なのだが、時間がかかるので今は高温殺菌が
主体になっている。ただ、そうすると牛乳を一度沸騰させることになるので、
牛乳の変質が問題になると言われ、低温殺菌のものを好む人もいる。
かく言う私も一度飲んでみたかったのだ。)

食料も何とか手にいれたし、後はバスを待つばかりである。
私は再びバス停へと向かった。

        ・・・

泊の地鉄バスターミナルはJRの駅から歩いて5分くらいの所にある。
天香寺ユースへ行くバスは小川元湯または愛本行きというものに乗るのだが、
さて、次のバスの時刻は・・・

これがまあ見事に白の部分が多い時刻表で、2時間に1本くらいしかバスがない。
最終バスの時刻は聞いていたのだが、その前は2時間くらいないのだ。
そして今はその最終まで40分くらいある。
どうしよう。

歩いて行けないものか、ユースに電話をして聞いてみることにした。
で、聞いたところによると歩いて40分くらいだそうだが、
道を曲がるので迷うのでやめたほうがいいとのことであった。
そうでなくても私は方向音痴である。
40分という時間を待つのは退屈だがしかたない。

回りには本当に何もないので時間をつぶすにも待合い室で
座って待っているしかない。ああ、こんな時に・・・何があったらいいんだろうか。
食事をしようにも私他にもう1名バスを待っている人がいるからなあ。

40分たって最終の愛本行きバスが来た。
バスは泊を出ると道を何回も曲がりながら進んで行く。
途中商店街らしき場所もあった。
ここにはお店も食堂もあるようだ。
実は電話の中で「駅前には食堂もありますので・・・」というのがあったのだが、
「どこにそんなもんあるんだ?」と思っていたのだ。
あれはここのことだったのかも知れない。
(それとも地元の人にしかわからないようなところにあったのか。)
しかし、ここを駅前と呼ぶとすると、駅前と言うのはずいぶんと広い範囲の
こととなる。そう、ここまではだいぶ距離があったのだ。

それにしてもよく曲がることだ。
それに道は街灯が少なくて真っ暗だ。
これを歩いていたらまちがいなく迷っていただろう。
バスを待って良かった。

このバスはある停留所をすぎるとフリー乗降となる。
すなわち、降りたいところでどこででも降りられるようになるのだ。
それを使うとユースのすぐ近くまで行けるようだが、わからなくなるといやなので
ガイドブックの説明通り最寄りのバス停で降りることにした。

ところが、降りて困ったことがあった。
ここも真っ暗なのだ。
1つか2つは街灯もある。
しかし、基本的に真っ暗で「バス停を降りたら看板がある」と言っていたが
そんなものが見える状態ではない。
誰かに聞こうにも家すらない。
しかたないのでガイドと見合わせながら少しづつ進んでみる。

しばらく歩くと薄暗い中にユースへの矢印看板を見つけた。
これでとりあえずの方向はわかったが、その矢印の指す方向は
今度こそ街灯が1本もない暗闇なのだ。
しかも今日は曇で月明かりもない。

意を決して暗闇の中を進む。
脇にお墓があるようだ。
田圃もあり、蛙が泣いている。

道路はやがて曲がり角にいたる。
どちらに行けばいいのか。
左手に何やら建物があるようなので入っていく。

なんとかユースにたどりつけたようだ。
しかし、こんな暗闇の中あんな目印だけではここまで行きつけない人も
多いのではないだろうか。
私が着いたのとちょうど同じ時にもう1人バイクの人が来たが、
その人も迷っていたようだ。

とりあえずユースの宿泊手続きをして部屋に案内された。
何はともあれこれで一安心。
安心したのでおなかが減った。
遅ればせながらの夕食にしよう。

        ・・・

天香寺ユースはその名の通りお寺がその宿坊をユースとして解放しているものである。
宿坊といっても、ここではそれはお寺の中にあるのでお寺そのものに泊まっていると
いえる。

畳の日本間であり、部屋の間横には仏様がいる。
入り口から見て手前の部屋が男部屋、仏様をはさんで奥側が女部屋である。
みんなが起きている時間はいいが、夜一人でここにいると考えると
少し恐いかもしれない。

まずはおくればせの夕食をとることにする。
部屋で食べてもいいのだが、一応食堂を借りて食事をする。
ます弁当と牛乳とおかずを出して。
食事が終わってやっと落ちついたという感じ。

他の人は食事はどうしたのだろうと思うと、他の人は多くがバイクだったので
例の商店街の中の食堂で食べてきたり、私と同じます弁当をここに持ってきて
食べた人もいるようだ。ごみ箱を見ればわかる。

その中で1人だけ今から食事という人がいた。
カップそばにお湯を入れて、おっと何を考えたのかストーブの上に置いたぞ。
あー案の定カップが溶けてストーブと畳がつゆまみれになってしまった。
急いで拭いたけど、あらら。

ちょっとだけなら大丈夫だろうから少し暖めようとして置いたらしい。
しかしカップそばの容器はお湯になら耐えるが、ストーブの熱には
耐えられなかったのだ。

ストーブの上はそれが焦げ付いて何やらいい臭いを出している。
プラスチック容器が焼けた臭いはせず、何やら香ばしい臭いであった。
臭いは部屋に充満していたのであるが、まあいやな臭いでなくて良かった。
「今日は風邪のせいかあっちこっちで失敗する。早く寝てしまおう。」
といいつつ、つゆがなくなってまだ少し堅いそばの麺だけを食べてました。

お風呂が沸いています。男の方から先に・・・ということで
二人が先に入っていった。
そしてしばらくして上がってきた。
「お風呂が冷たくて・・・」
沸いているはずのお風呂が沸いていないらしい。
そのうえ、入っていると「そこは違う」と住職さんに言われたそうだ。
しかし、そこは確かに「お風呂」と書いてある。
いったいどういうことだ。

しばらくして、実質のここのユースの管理者である奥さんが外出から帰ってきた。
お金を支払った後にお風呂のことを話すと、
もう1カ所お風呂があって、今日はそちらという。
ここは2カ所のお風呂があって交代で使っているのだ。

そういえば食堂の奥にお風呂と書いてあるドアがあったが、
そこが今日のお風呂ということだ。
そちらは家族用のものだと思ったら、そうではなかったらしい。
「もう一度入りなおしてください。」
「いや、もういいですよ」
先に入った2人のうち1人は例の風邪ひきさんだったが、
つくづくついていない人だ。
それにしても使わないお風呂なら水を抜いていてくれてもいいものを、ねえ。

実はこの人は昨日の古川でも泊まっていた人だ。
例の800泊おじさんからもう1人明日天香寺に行く人がいる
と聞いていたのだが、それが彼だったのだ。
彼も私のことをおじさんから聞いていたらしい。

今度は私がお風呂に入る。
勿論正しい方に。
うーん、歩き回った後のお風呂は格別だねえ。
このまま寝てしまいそうだ。

お風呂から上がってくるとテレビの前の椅子のところでみんなが盛り上がっている。
そのうち自動車で来ている人がビールを買ってきた。
私がお風呂に入っている間にビールでも飲もうということになったらしい。
ユースの冷蔵庫のビールが売り切れていたので外に行ったようだ。

最近のユースはお酒を飲んでもいいところも多い。
昨日の古川ユースもそうだった。
最近のユースはミーティングもないし、だいぶ規則が緩くなって
使いやすくなった。他の泊まっている人と話しをするには
ミーティングより応接間のようなところで適当に集まって話すのが一番である。

今日のここの泊まり客は男5人と女1人。
これくらいの方が話しをしやすくていい。

やがて買い出し組が帰ってきた。
1.5リットルの大瓶だ。
「これで1000円とは安いね」
確かに大きさから見れば安いような気もするけど、
私はビールの相場を知らないからなんとも言えなかった。

話の内容はまあ、いろいろとあったし、お酒が入っていたのであんまり覚えて
いない。覚えているのは、北海道のライダーにはおもしろい人がいるとか
(仮面ライダーはちゃんと変身ベルトをしていて、変身ポーズに合わせて風車が
回るとか、ウルトラマンがいるとか、忍者もいて手を振ると手裏剣を投げるとか、
刀も抜くんだけど、鞘に納められないから止まって入れるとか、月光仮面もいるとか。
同じバイクでもこういったのを見るとおもしろいだろうね。)、
みんな見た目が若いとか(30才!?え、25才!?うーん、そうはみえん)。

盛り上がっているうちに11時過ぎになってしまったようだ。
明日も早いしそろそろ寝ることにしよう。
ということでお開きである。

        ・・・

男部屋は仏さんの手前にあるのだが、女部屋はその奥にある。
ということは暗い中その前を横切って行かなければならないということだ。
「今はいいけど、夜中にトイレに行きたくなったらどうしよう。」
どうしようもおませんなあ。
まあ、きもだめしと思って。

おやすみなさい。

        ・・・

朝早く、まだ日が上らない時間にバイクと自動車の人が出発したらしい。
(まだ眠かったので音でしか確認していない。)
バイクの人は今日、私と同じ黒部峡谷鉄道を乗りに行くそうだが、
予約がとれなかったので朝1番の列車にならなんとか席がとれるかも知れない
ということで早く出て行ったのだ。(朝1は7時。)

私が起きたのは7時台。8時6分のバスに乗っていく。
朝食は「用意できないかも知れません」ということを聞いていたので
頼んでなかった。それにバスがもっと早い時刻だと思っていたので
食べている時間がないと思ったからだ。
(バスの時刻が改正されて遅くなったのだ。ちゃんと列車には
接続するからいいけど。)

私は泊から魚津に出て地鉄で宇奈月に向かう予定であった。
宇奈月で峡谷鉄道に乗る時間は10時半位なのだが
そのためにはこんなに早く出なくてはならない。
もっとも、列車に乗る前に宇奈月で時間をとってあるのだが。

しかし、ユースで一緒した人から得た情報では、魚津に出るよりここからバスで
愛本というところに出た方が早いということであった。
どれくらい早いかというと、私より1時間遅く出ても宇奈月に早く着く
くらいだそうだ。その人も最初は魚津回りで計画して切符もあるが、
時間を優先してその切符を無駄にしてでもこれで行くそうだ。

しかし魚津回りの切符がすでに買ってあったし、どこかで朝食もとらなければ
いけないので予定は変更しないことにした。こういう時は先に切符買っておくと
損をする。

ユースから泊に出てJRで魚津へ。
ここで朝食にうどんを食べた。
ずっとご飯食だったので麺類が食べたくなったのだ。
駅待合い室にあった立ち食いうどんでてんぷらうどんを頼んだ。
次の列車まで時間がないので5分で食べる。
んが、私は急いで食べるのが苦手である(猫舌だし)。

地鉄で宇奈月温泉へ向かう。ここでは急行に乗れた。
途中で例の愛本を通過する。しかも宇奈月のすぐ近くで。
確かに1時間以上早く着くようである。
そういえば天香寺ユースの案内に「黒部峡谷に一番近い」とあったが、
魚津回りだと遠いなあと思っていたらこういうコースがあったのだ。
「地元のことは地元で聞け」。ユースで確認しておいた方が良かったね。
まあ、一度経験すれば今度来るときには間違えないからいいか。

宇奈月に着いて、荷物をコインロッカーに入れて、まずは予約券を
切符に交換しに行く。黒部峡谷鉄道は予約制で、飛び込みでは乗れない。
このとき、今日は列車が終着の欅平(けやきだいら)まで行けない
ということを聞いた。途中、しかも半分より手前の出し平(でしだいら)
というところまでしか行けないとか。もちろん雪のためである。
ここでも残雪が多いようだ。
それならば途中にある駅で降りてそこの温泉に行こうと思ったが、
今日は全列車満席だろうし、列車も出し平でそのまま折り返すので
それもできないということだ。

実はユースでも欅平まで行けないようだという話しは聞いていたのだが、
直接現地で確認するまではと思っていたのだ。
お金は払い戻してくれるようだが、時間計画が狂ってくるのを
どうするかが問題だ。ユースでの情報を元に何通りか時間を早くする
計画をたてておいて良かった。実際どれくらい早くなるのかは
乗ってみないとわからないが。

峡谷鉄道の駅を見るとなにやらセレモニーが行われている。
実は黒部峡谷鉄道は今日5月1日から開通するのだ。
その開通記念式典らしい。
とは言え、実際の1番列車はもっと早くに出ている。
ということは、朝の一番いい時間(人が多い時間?)にセレモニーを
ずらしたのだろう。

テープカットとブラスバンドの演奏。
そして花火。
これがまた大きな音で破裂するもんだから体に悪い。
それに、空からはその殻が降ってくるし。
危うくづじょうに頭上に来るところだった。
軽そうな殻だったけど、やっぱりこわい。

ここでは乗る前に少し時間をとってあるので駅の横にある
黒部川電気記念館へ入ることにした。

        ・・・

黒部峡谷鉄道、宇奈月駅(地鉄の駅は宇奈月温泉駅)の横に、外から見たら
ペンション風の建物がある。
それが黒部川電気記念館である。

黒部川電気記念館は関西電力の黒部第4ダムの建築に関わる資料を
展示しているところで、入館は無料である。

黒部ダムの建築の歴史、そこで使われているもの、その内部構造などが
ビデオやモデルで展示されている。ここは1階だけしかないので
30分くらいで十分見ることが出来る。(ビデオライブラリーを除く。)
黒4ダムの工事がいかに大変であったかということと、そこに投入された技術の
すごさを知ることが出来る。

ここで私は今まで水力発電の方法について間違って覚えていたということがわかった。
今までその発電はダムから放水している部分で行っていると思っていたのだが、
そうではなく、ダムからパイプでもっと下流にある発電機まで送っていて、
ダムから発電機までの落差の位置エネルギーが大きな水の勢いとなって
発電機を回すということであった。
うーん、勉強になるなあ。

ここでユースで一緒で、朝一番の列車に乗りに行くと言って
朝早くに出て行ったバイクの人に会った。
うまく乗れたそうだ。しかも途中にある温泉にも行けたとか。
「私は駄目と言われたんですよ。」
朝早くの列車だからこそできたのであろう。
でも列車で回っている人間にはあんなに早く出ることはできないからねえ。
まあ、しかたない。

        ・・・

そろそろ私が乗る列車の時間が近づいてきた。
ホームに降りるとすでに列車は止まっていて乗客も乗っている。
この鉄道は予約制なのだが座席指定ではない(何号車かは決められるけど)。
これはこの鉄道の性格上立ち客を出せないからである。
それにしても混んでいる日ということもあって席がぎゅうぎゅう詰めで空きがない。

黒部峡谷鉄道はもともとはダムの資材を運んでいたもので、これに観光客も
便乗という形で乗せていたのが、これがいけないということで一時中止になり、
やがてそれが関西電力から独立して正式に旅客鉄道となったものである。

何やら古くて汚い鉄道をイメージするかも知れないが、
宇奈月駅はきれいで大きいし、列車自体もきれいである。
その列車は小さく、電気機関車が10両ほどの客車を引く。
ふつう客車は吹き抜けであるが、特別車両は窓がありその中は暖房も入っている。

列車は駅を出てすぐ長くて高い鉄橋を渡る。
列車の遥か下に河原が見える光景はなかなかにスリルがある。
そのあと急カーブを曲がりつつどんどん上っていく。

ここで気づいたのだが、景色がよく見えるのは谷側の席(奥の席)で、
山側の席からは余りよく見えない。
混んでいる席では移動して見ることもできない。
これが今回の最大の失敗であった。
早めにホームにいて、列車が入ると同時に奥の席をとっておくのだった。

峡谷鉄道という名前がまったくぴったりな風景が展開されていく。
谷間に渡ったロープに吊るされた鯉のぼり。
BGM付きのお城みたいなダム(一瞬ラブホテルと思った)。
高い鉄橋。
ここにも残雪がある。(立山よりかは少ないが。)
さらに先には今度はダムらしいダムがあった。
この川には多くのダムがあるようだ。

列車もこういう観光ポイントではスピードを落としてくれる。
それにしても谷側でないのでよく見えないのが残念。

ここのトンネルの中は多くはコンクリートで固められているが、
半分くらいは岩を削ったそのままになっている。
大きな岩をくり貫いたという感じで、表面がかち割られたような岩
(がたがた)でトンネルができているのだ。

そしてこのトンネルは非常にせまい。
一番狭いところでは5センチもないのではなかろうか。
車両すれすれで、少しでも手を出していようもんならぶつかってしまう。
カメラのレンズも要注意だ。

そこをくぐっていくのは遊園地の室内ジェットコースターの
迫力に通じるものがある。
しかし、こちらは作りものではなく本物の迫力である。
この列車の運賃は欅平まで行けば片道1300円と少し高いが、
一緒にジェットコースター気分も味わえると考えたら
結構お得と言える。

途中には駅もあるのだが、今日は上下通過待ちの為だけに止まって
客の乗降はさせない(ここはもちろん単線である)。
ある駅ですれ違った上り(宇奈月駅行き)の列車は
どうやら先の記念列車だったようで、手に紙テープを持ったおじさんが
愛想を振りまいていた。

その中にこちらに向かって手を降っている人がいる。
よく見るとユースで一緒だった、例の愛本経由の行き方を
教えてくれた人だ。そうか、あの記念列車に乗ったのか。
ということは、やはり私より遅くユースを出て先に着いたというわけだ。

列車はやがて折り返し駅の出し平に到着した。
しかしここではまったく降りず、座席を前後座りなおしただけですぐ出発だ。
ここで一度降りるのなら再度乗るときに谷側の席に座ろうと思っていたのに。

機関車も前後付け換えが終わったようである、
列車は再び宇奈月へと戻る。

        ・・・

列車は行きよりも速いスピードで下っていく。
トンネルでは行き以上にスリルがある。

そういえば、線路の横には蒲鉾型のコンクリートの壁がずっと続いている。
これは冬季、この鉄道が使えないとき人がダムまで行くための通路だそうだ。
鉄道にずっと沿っているのだから20キロ以上あるということか。
こんなものを使ってでも行って管理をしてくれている発電所のみなさんに
電気で生活している我々は感謝しなければならない。

それにしても風が冷たい。
今日は今回の旅行の中で初めて晴れた日なのだが、
それでも気温が低いのか寒くてかなわない。
乗っている車両が普通だったので風をまともにあびていたからだ。
宇奈月駅に戻ったときには体が冷えきってふるえている状態であった。

それにしても谷側ではなかったので景色が十分見られなかったのが残念である。
それに欅平まで行けなかったのも残念だ。
欅平の温泉も入り損ねたし、
ここはもう一度来る必要がある。

黒部峡谷鉄道を降りて再び地鉄駅前へ。
時間的にだいぶ早いのでまずはここで食事を済ませよう。

宇奈月温泉駅前には温泉の噴水がある。
温泉の暖かい水そのものが噴水になっているのだ。
ああ、お湯があったかい。
これは温泉にも入らねば。

食堂を探して入ると店員がいない。
奥にいたのだが呼んでも出てこない。
なんていう店だと怒っていると、外から戻ってきた店員が
「今日は予約だけです」という。
それならそれで看板でも出しとけよ。
まったく、団体ばっかり優先しやがって。

別の食堂に行っておなかを膨らませた後温泉を探す。
宇奈月は温泉の町なのでどこかにホテルではない公衆の温泉場があるはずだ。
看板で探すと公営の宇奈月温泉会館というものを見つけた。
駅からは遠くない。

温泉会館は公営ということもあって200円で入れる。
番台のおばあちゃんにお金を渡して入る。
私は銭湯に行ったことがないのでこういった所は初めてだ。
建物もお風呂もいかにも温泉といった感じはないが、
温水は間違いなく温泉である(?)。

番台付近では若いにいちゃんがなにやらおばあさんと話している。
おばあさんが「ここに来て温泉に入いらんでどないするね」と言っているところから
察するに、このにいちゃん、大勢のお風呂に入るのが苦手らしい。
(そうらしい雰囲気の体つきと顔つきもしている。)
しかしである。ここで誰に裸を見られようとかまわないではないか。
どうせ遠くから来ているのだから、知っている人はいない。
それに他人の裸を見ている奴なんていないよ。
恥ずかしがってないで入った入った。

このにいちゃん、結局入ってきました。
少し恥ずかしそうだったけど、
誰も気にしていませんって。
私は先に上がったのでその後どうなったかは知りませんが。

次の列車の関係で15分ということで入ったが
ああ、あったかい。冷えきった体にしみいるようだ。
足を延ばして入れるお風呂というのも久しぶり。
バブルジェットで体をマッサージ。
うーん、疲れがとれる。

実はここの温泉はこの町中で湧いたものではなく山中からパイプで
引いたものなのだが(そのパイプは列車から見えた)、
どこからのお湯であろうと入る分には関係ない。
あったまればいいのだ。

わずか15分で体中、芯からあったまった。
その後何時間もそのままだったのだから温泉というものは偉大である。
次回の旅行にもぜひ温泉をいれようと思ったのであった。

列車が途中で引き返したことによる空き時間は2時間くらいある。
ここで少しつぶしたがまだだいぶある。
それならば、ということで一度は観光予定から外した魚津を
見に行くことにした。どのみち魚津までは出るのだから
特に遠回りをするということはない。

気持ちよくあったまった体で再び地鉄に乗り込み魚津へと向かう。

        ・・・

地鉄電車で魚津へ戻る。
魚津に着いてもまだ体はあったかい。
さすが温泉は違う。

魚津での観光ポイントは埋没林博物館である。
魚津の海底から見つかった杉のねっこを展示しているところである。
(本当はこの表現は的確ではないが、この時点ではそれは知らなかった。)

駅前に出ると、横に「おいしい水、ご自由にお飲みください」というのがあった。
この地方にはおいしい水が多いのだが、おそらくは雪解け水が
その元だと思う。
工場とかのない山から流れてくる水だ、おいしくもなろう。
本当はこれが当たり前なのだろうが、それにしても大阪の水は・・・。

埋没林博物館は駅から歩いて15分くらいの所、海辺にあるようだ。
地図を見ながら適当に歩いていく。
ふと前を見ると、おそらくは同じ博物館に行こうとしているのだろう
と思われるカップルがいた。
そのカップルは地元の人に場所を聞いている。
私は多い旅行の感で進んで行く。

しかし、少し遠回りをしてしまったようだ。
少し戻った位置にあるとな。

先に何やら三角の屋根の建物が見えてきた。
おそらくあれが博物館だろう。
そこに先にカップルの姿も見える。
「しまった、負けたか・・・」

入り口は・・・あれ、看板では3角の屋根の建物の方ではなく
道路をはさんで反対側に入り口があるようだ。
私はそちらに向かう。
カップルは3角屋根の方に行った。

最後の最後で逆転勝利である。
「ふっふっふ、こういったときに勝つのはやはり冷静な判断が出来る方だな。」
と自分で勝手に勝ったつもりでいるのであった。

受付でびっくり。入館料が60円のはずが500円となっている。
たしかガイドブックでは60円になっていたのだが。

どうやら改築と同時に料金を上げたようだ。
道理できれいな建物のはずだ。
去年改築したばかりらしい。
(後でみた旧の建物の写真に比べはるかに大きく、きれいになっているようだ。)

「水族館との共通券はどうですか?」
「水族館までどれくらいあります?」
「車で15分くらいです。」
「じゃあいりません。」
車で来ていない私には水族館に行くことは時間的に無理であった。
(車があったとしても時間が少なくてゆっくり見られなかっただろうけど。)

そこで100円の埋没林に関する小冊子も買って
中に入ることにした。

入り口を入ると地下の通路を抜けて向こうへ行く。
この通路が道路の下をくぐっていて、カップルの間違った三角屋根の建物に
つながっているのだ。

ここには大きな3つの展示場とその他で埋没林に関する資料がたくさん
展示されている。中は結構広い。
見つかった杉の大きなねっこも見ることが出来る。
そしてその生成過程に関する説明や、この杉が生息していた時代の
人間、動物、植物の状態についての展示もある。

埋没林と言うのは海の中にあるからそういうのではない。
簡単にその生成過程を言うと、今から数千年前に氷河期で海面がもっと
低かった頃に杉の林が形成され、氷河期が終わり水面が上昇するとともに
その場所が湿地になり杉が枯れる。
その部分に土が堆積し、ねっこぶぶんがその土に埋もれて残ると同時に
上の部分は腐ってなくなってしまう。
やがてもっと海面が上昇してその部分が海底に没した。
そこが波に洗われて杉のねっこが見えたというものである。
海底から発見されたものが有名だが、海底でない部分にも
埋没林はあるというわけだ。

以前はこれは造山活動によって山の上が海底に没した、
造山活動の明かな証拠と考えられていたが、
今は上記の説が有力である。それはねっこと同時に出土する
土器や植物動物の化石からわかるそうだ。

屋上からは遠くの山々が見える。
山々はまだ雪をたたえていていまだ冬の装いをしていた。
所々雪がない部分が兎に見えたり、馬に見えたりするそうだ。
ずっと見ていたが、確かにそう言われればそう見えなくもない
といった感じで、星座といいこれといい、昔の人の想像力の豊かさに
感心する次第である。

中にはワイドスクリーンと人工蜃気楼発生装置を使った
映像を上映する場所もある。(ミラージュ・シアター)
15分ほどのもので、その内容は子供向けで大人には少し退屈だが
人工蜃気楼発生装置というものはなかなかアイディアものだと思った。

そう、ここは蜃気楼でも有名な場所で、事実この建物のすぐ前が
蜃気楼観測ポイントとなっている。
時期的には今見ることが出来る時期なのだが、
あれはいろいろな気候条件が整わなければいけないので、
早々いつも見られるものではない。
見ることが出来たら証明書を発行してくれるくらいなのだ。
少し外に出て海を眺めていたが、やはり見ることは出来なかった。
少し残念。

はっきり言ってここは想像以上に見応えがある。
500円の価値は十分にあると言える。
残念ながら後半、時間がなくてすっとばしてしまったが、
もう一度機会があれば来たいところである。

おおっと、もう列車まで時間がないぞ。
走って駅まで戻るぞ。
行きとは違う海岸沿いのコースで駅へと向かうのであった。

        ・・・

海岸沿いの道路を走る。
海が光ってきれいだ。
風も心地よい。
しばらくここにいたいが列車の時間が迫っている。
走らねば。

        ・・・

駅までは遠い。とても全部を走ることは出来ない。
そうするととても列車には間に合いそうもない。
しかたないので列車を1本遅らせることにした。
遅らせると言っても、この列車が元々の予定で魚津から乗るはずのものだから、
全体的にみれば何の遅れもない。

それならそうでさっきの海岸でゆっくりすれば良かった。
いや、その前に博物館をもっとゆっくり見れば良かった。
蜃気楼の丘もなかなかよかったのに。
しまったなあ。
駅までの時間を予測間違いしたようだ。
素直に行きと同じ道で帰れば良かったのかもしれないが。

しかたないので一端駅に戻り、他にどこか見るべき所がないかチェックする。
近場ではこれと言って見る場所はないが、お寺があるようなのでそれを見に
行くことにした。

途中までは最初に博物館に行くときの道と同じ。
しかし、あると思われる場所にお寺がない。
うーん、よほど小さいのかもうないのか。

ここで迷ってもしょうがないのでそこにあった公園で時間をつぶすことにする。
童心に戻ってブランコに乗り、滑り台を滑り、高いところに登る。

時間が来たので再び駅へ。
ここから特急に乗って柏崎まで行く。
柏崎は知る人ぞしる私の田舎である。

列車はかなり混んでいる。
座ることは出来ない。
まあ、1時間ほどだからいいが。
今日は5月1日土曜日。やはり土曜日から休みになる人が多いということか。

周遊券は周遊区間の糸魚川まで(魚津の次)なら特急の自由席はただなのだが、
柏崎はその先にあるので糸魚川から先の分は特急券、乗車券共にいる。
この混んでいる中車掌さんが来たので購入する。
あれ?値段が高い。
うーむ、算出法を間違っていたか。
高く見積もっていて安くなる分はいいが逆はいやなもんだ。
自分の間違いとはいえ許せんことである。

直江津を過ぎたとき席があいた。
直江津から信州方面に行く人が多いのでここでは座れるかも知れないとよんでいたが、
予想どおりであった。
座れるだけましとしよう。
歩き回った後だ、座れることがうれしい。
直江津から柏崎の間1駅間20分だけだが。

ここでさっき買った埋没林の小冊子を読み始める。
100円だから大したことはないと思っていたが、
ところがどっこい、なかなかなものである。
これで100円なら非常に安いといえる。
(先に書いた埋没林の生成過程の話もここから得た知識である。)

そうこうしているうちに柏崎駅に着く。
去年の10月以来だ。
去年の暮れ工事していた駅前商店街の道路&屋根工事も終わってきれいになっている。

駅前のスーパーで食料を買い込み、お花を買って、
バスに乗って椎谷に向かう。

        ・・・

柏崎駅から椎谷までは越後交通バスで行く。
途中の荒浜というところまでは頻繁にバスが出ているのだが、
その先になると本数が急に減る。
1時間に1本あればいい方で、時には2時間近くに1本しかない。
終バスも早いので、今回駅に着くのが少し遅い時間なので終バスに
間に合うかどうか不安だったが、どうもバスの時刻が改正されたようで
遅いものが出来て間に合った。
それにしても終バスは7時である。
大阪に比べればずいぶんと早い。
(泊の愛本行きよりましだが。)

今年の新潟は寒い。
去年は天気も晴れてあったかくて良かったのだが、
今年は曇っているし気温が低い。
特に夜の寒さは並じゃない。
あの寒かった黒部峡谷以上に寒い。
部屋の中では暖房を入れているがそれでも肌寒い。

周りの山々は、越後富士と云われる米山を始め雪を残しているが、
平地には雪がほとんど降らず、積りもしなかったそうだ。
ここ数年こんな状態が続いているらしい。
異常気象である。

春になっても雨は降らないが晴れる日が少なく、
ずっと低温状態が続いているそうだ。
田植えが遅れているのはもちろん、
例年ならこの時期に出るはずの竹の子も出ていない。
去年はたくさん戴いて帰ったのだが今年はそうもいかない。
(違法でなくちゃんと山を管理している人にとってもらった。)
今後の作物の生育状態が心配だ。
(コシヒカリが不作になると困る。)

海は穏やかだ。
夏でもこんなに穏やかな海は珍しい。
日本海の海は冬には荒れているし、夏もお盆過ぎからは波が荒くなる。
去年はどうだったか覚えていないが、ここまで波の音がまったくしないほど
穏やかではなかったと思う。
温度は調べなかったがおそらくは冷たかったであろう。

私の家の前の浜は、2年ほど前から砂がなくなり、昨年から少し砂が
戻り始めていたのに、またなくなっている。
やはり港近くに出来た防波堤のせいで海流が変化し
砂がつきにくくなっているようだ。
事実、その防波堤のそばは沖だいぶ先まで砂がついている。
(以前はそのあたりはだいぶ深かった。)

余りに砂がつかないのでなにやらコンクリートで浜もどきを
つけてある。それにしても中途半端な大きさなのだが、
何分場所が狭いために工事があまり進まなかったらしい。
今年の夏はまた遠い場所から泳ぎに出ねばならないのか。
ああ、浜でバーベキューをする計画が・・・

去年の夏に起こった崖崩れの跡は、現在コンクリートの埋め込み中である。
今度は崖の表面をコンクリートで固めるだけでなく、
コンクリートの編み目(?)を打ち込んでいる。
周りで新しく工事した崖はみんなこうなっているところを見ると
新しいやり方のようだ。
夏までに終わってくれればいいが。
(そうでなければその場所で渋滞するのは目に見えている。)

夕食はお好み焼きにする。
これが一番手軽である。
今回はイカお好みとする。
この辺で手に入るイカは大きいし肉厚はあるしそれに安くて新鮮。
イカ好きの私としては、大阪でイカを食べると悲しくなるが、
ここでなら満足できる。
まあ、今回買ったのはちょっといまいちだったけど。

お好み焼きはここに来た時に毎回する料理なのでもうだいぶこつを覚えた。
少し薄目に、最初強火で表面を固めて、後は弱火でゆっくり内部を固める。
こうすればうまく焼ける。
中には野菜、卵、乾燥海老、いかが入っているので栄養面でもいいだろう。

夏の夜なら浜で花火、夕涼み、大富豪大会といろいろ出来るが、
冬ではそうはいかないので、疲れていることもあり、
お風呂に入って早めに寝ることにした。
寒いので布団を多めに掛けて。

波の音は・・・やはり聞こえない。
本当に穏やかだ。
夏じゃないので夜な夜な外を走り回る馬鹿もいないし。

では、おやすみなさい。

今日はバスと列車の都合でここを12時40分には出なくてはならない。
やることも多いので午前中から精力的に動く。

休みもまだあるしもう少しゆっくりしていってもいいのだが、
夏なら泳いだり釣りをしたりいろいろ出来るのだが、
この時期は出来ないし、近くには観光ポイントがあるのだが、
それも近いと言っても10キロ以上あるので車がなくてはどこにも行けないのだ。
まあ、ゆっくりするのは夏に来たときでいい。

まずはお墓の掃除。
実は昨日のうちに妹が来てだいぶ掃除をしてくれていたようなので
あまり草はない。結構大変だったと言うが、
夏のそれに比べればまだ楽なはずだ。
(これからまた夏までに草が生え、しかも炎天下での草抜き作業は
えらい仕事なのだ。)

一度戻って今度はお線香とろうそくなどを持ってお参りに行く。
このときから雨が降り始めてきた。
あれ、マッチに火がつかない。
お花も忘れてきてしまった。
一緒に来ていた親戚の人に取りに戻ってもらった。
その間にだいぶ雨もきつくなる。

親戚が戻ってきたので、お花をたて何とかお線香に火を付け(雨ということと
風がきついのでなかなかつかなかったのだ。)
お祈りをする。

ここには毎年8月にはお盆で泳ぎにくるのだが、5月もできるだけ
1日だけでも来るように旅行を設定している。
理由は母の命日が5月6日だからだ。
はやり命日には御参りしておきたい。

就職できたことのお礼をし、
また夏にゆっくり来ますということを報告する。

一端家に戻り、今度はお寺さんへ行く。
いわいる菩提寺というものだが、私の家は真言宗豊山派で、近くにお寺があるのだ。
今日は住職さんは法事で出かけられているそうだが
(この時期にしか田舎に戻れない人が多いのでこの時期に法事が集中するのだそうだ。
かくいう私も去年そうしてもらった口である)、
家の人といろいろと話をしていった。
(天候の話や作物の話はここで聞いたものだ。)

お寺では子供達がさわいで走り回っている。
住職さんの息子さんが帰ってきていて、その子供が集まって騒いでいるのだ。

外は雨で寒くて出にくいが、このお寺の中は子供が走り回るのに
十分な広さがあるので、どたばたと走り回っているわけだ。
いやー、これだけ広ければ走りがいもあってうれしいだろう。

「挨拶をしなさい。」といわれてもそんなことそっちのけで
走り回っているし(中に1人だけいた女の子だけはちゃんと挨拶していったが
男の子はしなかった。まあそんなもんでしょうが)、寒いからと言って
障子を閉めても開いて通っていく。
余りに勢いがいいので、そのうち障子をつき破って出てきやしないか
心配になるほどだ。
まあ、元気なことはいいことだけど。

時間が来たのでお参りをさせてもらって家へと戻る。
お昼は焼きそば。
これも手軽でいい。
野菜+お肉+昨日のイカの残りでボリュームたっぷりである。

ここで妹が来た。実は彼氏の車で新潟まで来ているのだが、
なんでも昨日私が駅前を歩いているところをビデオに納めたという。
それを見せてもらうことにした。

うわさの液晶ビューカムだ。
ううむ、ばっちり尾行されてるなあ。
それにしてもなかなかきれいに撮れている。
ちょっと図体がでかくて重いのは問題ありかもしれないが、
確かに売れる要素はあると思う。
テレビで見ながら取れるというのは画期的と言えよう。
私もちょっと欲しくなってしまった。

バスで柏崎に行く。
まずはお金をおろしに行く。
今回、ちょっと駅弁を食べ過ぎたせいか、お土産を買いすぎたせいか
(たぶん後者が大。日頃の旅行では滅多におみやげを買わないので
おみやげ代を軽く見すぎていたのだ)お金が足りなくなってしまったのだ。
本当は昨日おろすつもりだったのが、銀行が5時までしか開いてなくて
おろせなかったのだ。
ここでおろしておかなければここから先の旅費が足りない。
(まだ自由席特急券代とかが必要。)

列車の発車までには少し時間があるので
駅前のスーパーにある本屋に行く。
これといって欲しい本はなし。
某雑誌が「プリンセス特集」とかいって映画やアニメに出てくる
お姫様の特集をやっている。もちろん月のプリンセスであるところの
○ー○ー○ー○も載っていた。「超」は付かなかったけど。
もちろん買って・・・はいない。

本屋の横にはゲームコーナーがある。
あれがあればやってみたいと思っていたらあった。
「ぷよぷよ」である。
ここは1ゲーム50円なのでいい。
最近はやりこんでいるのでだいぶ行けるかなと思ったら
2回100円分プレイしたがHARPYのところで負けてしまった。
ゲームセンター版の方が少し強めなようだ。

というところで時間が来たので駅へ向かう。

        ・・・

帰りは、まず柏崎駅から糸魚川まで特急で行き、そこで急行に乗り継いで
大阪まで戻る。
本当は直通で大阪まで行ければいいのだが(そうすればもう少し遅い時間まで
椎谷にいれた)、残念ながら直通の特急は取れなかった。
一番最後なので疲れもあるし自由席で席が空くまで立っているのもつらい。
できるだけ座って行きたい。
特急を乗り継いで行けば座れるだろう。
しかしそうすると高くなる。
そこで私が選んだのは、糸魚川までは立ってでもいいから特急の自由席で行き、
そこから先は急行で行こうというものであった。

時刻表を調べると5/1〜5/5までの期間限定で「急行リゾート白馬」
というものが走っている。糸魚川から先の大糸線の方から来るのだが、
糸魚川から先は北陸線を走るのだ。
これなら臨時列車だからあまり知られていないだろうから
すいているだろうと読んだ。
実際指定席はとれた。(リゾート白馬は全車指定席である。)
周遊券では急行の「自由席」はただなのだが、指定席にすると
指定席券だけでなく急行券も必要になる。
少しもったいないが、特急より安いし、それになんといっても座って帰れるのがいい。

柏崎から糸魚川まではやはり混んでいる。
まったく座れなかった、というより混んでて席のところまでは入れなかったので
入口の付近にいた。
直江津あたりから給水設備=洗面施設の所があいたので
そこを占領して洗面器に座っていた。
今日は糸魚川で降りるのであまり意味はない。
直江津から糸魚川までは20分。

糸魚川では40分ほど待ち時間がある。
駅からは白馬方面が見えるのだが、ここの山もまた白い。
少し霧がでていて霞んで見えて美しい。
40分という時間はどこかを見に行くには短すぎるし
待つには長い。
なにか近所にお寺でもないか調べに駅を出てみた。

駅前の案内図を見ても見るにいい場所はない。
民族博物館があるようだが、行き帰りの時間を考えると
15分くらいしか見てる時間がないのでこれも行けない。
しょうがない、駅で40分待つとするか。

しばらくして急行がやってきた。
発車時刻まではだいぶあるが、それはここで機関車をディーゼルから電気に変更する
作業があるためである。(大糸線は電化されていないのだ。)
ということはこの急行は電車ではなく客車列車である。

私の車両は1号車。
一番前になる。
その先頭には展望室もあって、なかなかによろしい。
しかし、その前に機関車が付くので景色を見るという面ではいまいちである。
この車両は冬にはスキー列車のシュプール号に使われているものらしく、
スキー置き場や更衣室まである。
今回もここにスキーを置いている人がいるということは
このゴールデンウィークにスキーに行った人がいるというわけだ。
確かにあの雪の残り方からすれば行けるかもしれないが、執念ともいえよう。

どれ位の混みようかと思ったけれど、これがまあものすごくがらがらであった。
1両に10人もいないのではないだろうか。
どこでも座り放題だ。
臨時列車には気がついていないのだろうか。
これをうまく使っていくのが鉄道旅行の面白いところともいえる。

今晩の夕御飯をどうするかだが、車内販売があればそれでいいが、
糸魚川には夫婦釜飯という釜に入った炊き込みご飯が2つ入った駅弁があるので、
せっかくだからということでこれを買って乗った。
時間からすると金沢から福井の間で6時を過ぎるくらいになる。
そのくらいに食べようか。

ようやく出発。
いきなり車内放送で「車内販売はありません」ときた。
臨時列車だからなあ。
う〜ん、糸魚川で買っておいて良かった。

外はもう暗くなっているのでよくは見えないが、
山は白く、海は穏やかできれいだ。
すいている列車なので人の頭越しでなく景色が見れるのがいい。
そして時には展望室に入って見る。
結構くつろげる。

なにせ人が少ないので車掌さんも楽そうだった。
一応駅に止まるごとに検札にくるのだが、
乗ってくる人もほとんどいないので、もう顔を覚えたのだろうか、
人がどこかに動いていても(たとえば展望室の中)ちょっと見るだけで
戻って行った。

そういえば昔、私が小学生の頃、同じような臨時急行に乗ったとき、
やはり人が少なかったので車掌さんに「運動会でもしたら」
と言われたことがあった。この列車も、子供だったら運動会をしたくなるような
感じである。

        ・・・

この急行、停車駅は特急より少ないが大阪に着くのに糸魚川から
6時間もかかる。特急なら柏崎まで5時間半だというのにだいぶ遅い。
その理由は途中で通過待ちをよくすることにある。
途中で何本も特急に抜かれるのだ。
そのたびに5分とか止まるので遅いわけだ。
まあ、ゆっくり帰ればいいんだけど。

そういう通過待ちをしているとき、時刻表を見て
今どの列車に抜かれているのかを確認する。
こういうのは鉄ちゃんの血である。
知らない列車に抜かれるということはあってはならんのだ。

乗降駅でないところで止まられたときはどうしようもないが、
(時には駅に止まっても列車の通過待ちだけで、お客の乗降をさせないことがある)
駅で長い停車時間があるときは列車を降りて駅のスタンプを押しに行く。
私は旅行先でこれといって買い集めているものはないが、
スタンプだけはたくさん押している。
そういえばユースで一緒だったバイクの人もわざわざ駅に入って
スタンプを押すことがあると言っていた。
これは本当にそこに行かなければ押せないものが多いのでいい。
それに「ただ」だしね。
そういえば、そのスタンプがあんまりいろんな紙に押すので
ばらばらでまとめられない。今度からノートを1冊作ってそれに
押していくことにしよう。

糸魚川の夫婦釜飯は金沢に着く前に食べてしまった。
なかなかおいしかった。量は少なめだったけど。
釜は赤と緑の2種類があって、それぞれ中身の色もそれに合せてある。
赤い方にはエビが入っていたり、緑の方はそぼろが入っていたりというわけだ。
この釜飯、蓋はプラスチックだが、本体はちゃんとした陶器である。
これだったら後で使うことができる。
なんだったらそれを使ってお米を炊くことも可能だ。

それにしてもこの車内は暑い。
暖房がききすぎだ。
汗をかいてしまう。
余りに暑いので金沢ではついアイスを買ってしまった。
200(100*2)円のアイスに1万円札を出して、
お釣りに困らせてしまった。
それでもちゃんとしてくれた駅の売店のおばちゃん。
ありがとう。
前の駅では断られたんだけどね。

こうして長い時間かかって急行リゾート白馬は新大阪駅に着いた。
うむむむむ、大阪に帰ってきてしまったか。

一度新潟に帰ると向こうの雰囲気がいいから大阪に戻りたくなくなる。
町の雰囲気、空気、食べ物すべてがいいのだ。
確かに不便なところもある。
都会的な遊ぶ場所もない。
しかし、私のようにひたすらにのんびりしているのが好きなものには
いい場所だ。
そうは言ってもしかたない。
また夏に行っておもいっきり楽しもう。

        ・・・

少しおなかがすいているので天一に行くことにした。
夜にあれを食べると胃がもたれて眠れなくなることがあるのだが、
今日は何をしても眠れるだろう。

久しぶりに食べる天一もまた格別(?)である。
旅行中はおいしいものを食べていただけに、逆にこういったものが
ほしくなったのだろう。
「吉野屋は毎日食べるとまずいけど、たまに食べるとおいしい」という
法則が実証されたようである。

ということでおなかもふくれたし、帰ってすぐに寝ましたとさ。

費用はしめて45520円。(お土産込み)
4日間にしてはちょっと高かったかも知れないけど、
それだけの感動もあったしよしとしよう。

さて、今度はどこに行こうかな。
夏は新潟で決定だし、9月の連休は温泉だな。

狭くいようで広い日本。
まだまだ知らない場所が多い。
新たな感動を求め、できるだけ多くの場所を見て回るべく、
私の旅行は続く。

        ・・・おわり・・・
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