「特急越中五箇山の旅」(1996年07月23日〜08月19日号)
今度の旅行は北陸は富山、越中五箇山である。

先の永平寺旅行の3日後に1泊2日で行ったのである。
もちろん(?)今度は奥さんとである。
(我ながら旅行好きなこと。)

まず最初に言っておかなければなるまい。
「5/3に五箇山に行ってはいけない。」
それは何故なのか。それは追々解ることとなろう。

そして、今回も忘れかけているので特急の紹介である。

        ・・・

目的の越中五箇山とはどういう所なのか。
何を目的に行くのか、まずそれを説明しなければなるまい。

五箇山は合掌づくりの民家が残っている場所である。
合掌づくりのいえといえば、かやぶきで、急勾配の屋根である。
そういう建物は飛騨高山にもそういう場所があったり、全国にあるらしいが、
ここ五箇山ではそれが今も使われているところが貴重らしい。
(他では単に集めただけやら、みやげ物屋だけの所が多い。)

私は前から名前は知っていたが、行ったことがなかった。
今回1泊2日くらいの時間しかとれなかったので、
ちょうど良い場所を探していて、ここを思い出したのである。

おりしも、五箇山(と白川郷)が世界文化遺産に登録された。
是非見に行かねばなるまい。

        ・・・

越中五箇山に行くには、まずは北陸道で小矢部JCT(ジャンクション)まで行く。
ここまでで、新潟行きのほぼ半分である。金沢と富山の真ん中くらいだろうか。
ついこのあいだ福井北まで運転して、すぐまた小矢部までとは。

小矢部から東海北陸自動車道というものに連絡する。
これで最後の福光というところに行くのだ。海側から山の中に入っていくことになる。
東海北陸自動車道は最終的には太平洋側まで貫通する予定らしいが、
今は北はこの福光まで、南は郡上八幡までが開通している。
とはいっても、福光までは片側1車線である。
現在はまだ福光という何もないところまでしか開通していないので
車の量も少ないし、ここにはトンネルもなく見通しも良いのでそれでも
苦にはならないが。
(同じ片側1車線でも北陸道の上越−朝日間はトンネルが多くとても大変。)

福光で降りて一般道を山の中に走る。
このあたりでは今が田植えの始まりの時期らしい。
あれ、田圃にビニールシートをひいているぞ?
熱を吸収させるためか、水を保つためか。

福光から五箇山まではだいぶある。
いや、距離的には25キロなのだが、山道なので長く感じる。
道ばたや山には雪が残っている。
さすがに山の中、寒いのだろう。

五箇山までの途中にも相倉、菅沼など何カ所かの集落がある。
こんな山の中、人は少ないだろうと思いきや、何のことはない、非常に人が多い。
あまりに多く、駐車場も満杯なので素通りしてしまった。
私は混んでいるところが嫌いなのだが、空いていると思ってきたが、
はずれたかもしれない。

        ・・・

途中菅沼の集落に入る。
混んではいるが、車の出入りが早く、ちょっと待っていれば入れた。
(出入りが早いということは、しょうもないということか?)

ここは2軒を除き、実際に人が住んでいる。
ちょうどお祭りなのか、観光客目当ての出し物なのか、
獅子舞をやっている。その中心は子供だ。

集落内をゆっくり歩いて回る。
その後、2軒の展示館に入る。
この2軒だけが入れる。(有料。)
ここで展示されているのは合掌づくり民家の内部と、塩硝づくりである。
合掌づくりでは、1階に人が住み、2階より上では蚕を飼っていたらしい。
今でこそこのあたりでも米を作っているが、その昔は米がとれず、
蚕と塩硝で生計を立てていたらしい。

塩硝とは簡単に言えば火薬の材料だ。
特にこの地方の塩硝は重宝され、米や銀よりも(同じ重さで)高い値段で
取引されたそうだ。これを年貢の代わりに藩に納めていた。
五箇山地区の他のこういう展示でも、ほとんどがこの2点になる。

そういえば、この2軒の入館料はYHの会員であれば割引がある。
最初それを知らずに入ったのだが、後でそれを知り、
会員証を持っていって返金してもらった。
(「せこい」と言うことなかれ。)
なぜ、ここで割引があるかというと、この先、ここから30分ほどの山の中に
五箇山YHがあるからなのだ。ここまでは車で来れるが、この先は歩いて行く
しかないそうだ。
私も最初はそこに泊まるつもりだったが、満員であった。
しかし、そんな山奥とは、かえって泊まれなくて良かったのかもしれない。

        ・・・

菅沼から少し行ったところに岩瀬家というところがある。
このあたりで一番大きな合掌作りで、国の重要文化財である。
実は、今日の宿はこの真横になるらしい。

岩瀬家のあるあたりになると車の量も減ってくる。
こうでなくては。
おお、あれに見えるはボンネットバスではないか。
こういう場所にはよく似合う。私はバス趣味ではないが、
その筋の友達に教えて上げれば喜ぶだろう。

確かに岩瀬家の隣に宿はあった。
宿といっても、一見は単なる民家である。
そこに車を止めて岩瀬家を見に行くことにする。

岩瀬家の中ではそこの当主のおじいさんが説明をしてくれる。
昔はここに35人も住んでいたとか。確かに広い。
裏には池もあり、古くは藩の偉い人も来たという由緒有るところだ。
中はほどんど自由に回ることが出来る。
大きな仏壇、本物の熊の敷物。2階は板張りで、これがまた薄そうな板で
しなるし、下は見えるしでなかなか恐い。

でも、ゆっくり見ても30分で見て回れる。
ここまで来てまだ2時過ぎ、他に回るところもなし、どうしよう。
しばらく考えて、20キロほど先にある白川郷という
集落へ行くことにする。
(本当は、その前に少し引き返して「こきりこの里」というところに行ったのだが、
あまりの混み様にすぐ引き返した。)

白川郷は富山ではなく岐阜県になる。
そこまでの道は比較的良いので行きやすい。
ところが・・・

        ・・・

白川郷に入ってびっくり。
まあ、人が多いこと多いこと。
路上駐車して回ろうとしたが、直後に警察が来て「路上駐車はダメ」という。
しかたないので「ごへいもち」を食べてすぐに退散することにする。

白川郷は五箇山に比べるとはるかに観光地化されていると言える。
家々も整備されていてきれいなのだが、ほとんどがみやげ物屋か
食事所でおもしろくない。
そういえば、岐阜県では飛騨高山にそういう傾向がある。
海がない岐阜県ではいくつか有る観光地でもうけようとしているようだが、
それがかえって観光地をダメにしているように思える。
整備すればいいというものではないのだ。
その土地ならではの良さを失うような整備は、整備でなく破壊なのだ。
そのあたりがわかっていないようだ。

結局白川郷でも時間はつぶせなかった。
五箇山までの戻りの途中に何かないかと探したが、
これといってなかった。聖徳太子像が有るという看板があったが
それも結局解らなかった。
そうそう、道ばたにトリカブトがはえていたような気がする。
たぶんあれがそうだと思うのだが・・・。

再び岩瀬家の所に戻り(=宿)、車を止めてこの集落内をゆっくり回ることにした。
何でも今日は祭りがあるということで、5時には獅子舞も出るとか。
そうか、菅沼の獅子舞も観光客目当てではなく、本当に祭りだったのか。

5時までは近くのお寺やみやげ物屋に行く。
電源館なるものもある・・・という看板があったが、閉まっているようであった。
時間の問題ではなく、今はやっていないような。
みやげ物屋ではしこたま試食を食べる。
おすすめ?特別な物はなし。まあ、どれもそこそこおいしい。
薄い煎餅みたいなかりんとう(わらじかりんと)が美味しかったかな。

        ・・・

5時になったので戻る。
子供獅子舞が始まる。
まず学校の前から始まる。笛太鼓(これは大人が奏でる)の音に合わせて踊る。
次に近くの家(たぶん当番かなんか)の家へ移動する。
家の前で踊った後、ご祝儀をいただいて次の場所へ移動する。
こんな経験は滅多にないので、獅子舞について歩くことにする。

次は神社(ちなみに岩瀬家に向かって左手がお寺、右に神社がある)。
神社では長く踊る。
その後、子供はいったん休憩、大人は神社内でお祈りをあげてもらっている。
このときは近所の人も一部来てたようだ。
少し待っていたが、どうも、ここでの時間が長いようなので、宿に戻ることにした。

なんというか、大阪や新潟の田舎の盆踊りでは大人がはりきっているわりに
子供は来るだけで何となくしらけていたが、ここでは子供も大人も結構楽しんで
いるようで、お祭りの伝統がちゃんと残っているという感じがした。
昔は全国にあったようだが、今はこういう小規模なお祭りは廃れているところが
多いと聞く。事実、うちの田舎の祭りも無くなった。
でも、こういうことは地域の連帯のためにも良いことだ。
ずっと残していってほしい。

宿での食事は、ホテルにありがちの豪華だがどこでも食べられそうな物ではなく、
地元でとれた山菜を使ったある意味では質素、ある意味では、ここでしか食べられない
物であり御馳走であった。
いろいろな山菜(残念ながら、私には名前が解らない)にひえごはん。
それにマスのさしみに鮎の焼き物。

最初「ひえ御飯」と聞いたときに「冷え御飯」だと思った。
でもその「ひえ」ではなく、「粟(あわ)・稗(ひえ)」の「ひえ」御飯である。

        ・・・

私はひえを食べるのは始めてである。
どんな味かというと、感じとしてはゴマに近いが、ゴマよりもっと粒が小さく丸い。
そうそう、セキセイインコの餌と言えばわかるか。
味は悪くない。私は美味しいと思ったが、他の人は、ちょっと癖があるので
あまり食べなかったようだ。今日はお祭りということで赤飯もあったので、
そちらがよく売れていた。

私にとっては、他の山菜の方がよほど癖があったように思う。
都会では食べられない味だろう。美味しいと思う。
でも私も舌が調味料で慣らされているせいか、癖の方が気になった。
これはいけないことだ。

実はここの民宿も昔は合掌づくりだったそうだ。
家が大きく部屋が多いので、それを使って民宿にしているのだ。
今はトタン屋根になったが、中身はほとんどが当時のままで、
1階にはいろりがある。

民宿と言っても、そこの家の人もいるわけで、ようは客と家の人が
一緒に寝泊まりする、という状態になるのだ。
ホテルでもない民宿でもない、YHでもこういうところはない。
こういう感じの所は初めてだ。

広いとはいえ、一度に泊まれるのは4グループだけなので、食事の時には一緒になり、話をした。
YH以外でこういう風に他の人と話をするというのはめずらしい。
しかし、こういうところでの情報が貴重なので、聞き逃せない。

私たちは北回りでここに来たが、南回り=郡上八幡から一般道で
来るルートもあった。私もそれを考えたが、たぶん混むだろうと思ってやめた。
この中にそのルート出来た人がいたが、やはり混んでいたようだ。
私のルートが距離的には遠いが、早くて良かったようだ。

        ・・・

白川郷は、10年前には良かったそうだが、今はもうだめとか。
昔のイメージが良かったので来てみた、という人がいたが、
最近はそういう観光地が増えている。とても残念なことだ。
日本国内では特に「観光に力を入れる」と言ったところは
ダメになることが多い。整備によってその土地の良さを失ってしまうのだ。
九州の話でも書いたが、観光地の人は、どうしてそこが良いと思われるのか、
を十分に考えてほしい。

そう考えると、本当に今、早い内に日本の多くの場所を回っておかなければ、
と思う。海外は観光地の保護がちゃんとしているから後でも大丈夫だろう。

        ・・・

部屋に入ると何かしらいる。
カメムシだ。触ると臭いあれだ。
それも1匹や2匹ではない。10匹以上、いや、もっとかもしれない。
採っても採っても出てくる感じだ。
なぜなんだろうか。
そういえば、阿蘇にもたくさんいたな。
まあ、季節的には今が羽化の時期だろうが、この多さは半端じゃない。
寝ている間に口の中に入って来たらどうしよう。

お風呂に入る。
実はこのあたりには温泉もあって、車でちょっと行ったところにも
公営(?)の温泉があり、9時までやっている。
行こうか?と思ったが湯冷めすると行けないので、宿のお風呂に入ることにした。
本当に普通のお風呂ではあるが、疲れているときにはそれでいい。
お風呂入った後でまた運転するのはあんまり気が進まないし。

ちょっと外に出てみる。
音はしない。祭りはあの神社に入ったところで終わったのだろうか。
なんか、あっけなかったなぁ。

        ・・・

が、これが間違いであった。
今日は朝早かったので10時には床についた。
その後である、急にやかましくなったのは。

マイクかなんかで怒鳴っているような感じ。
とても近いところだ。
どんちゃん、どんちゃん。

どうやら、夜も遅くになってから例の一行が家々を回り始めたらしい。
しかも、大きな音と声を立てて。
ここの家か横の岩瀬家では特に長い間いたようだ。
たぶん、家々を回る間に酒も入るのだろう。
どんどん激しくなってくる。
これが夜中の1時過ぎまで続くのだからやってられない。

実は、私はよほど疲れていたのか、音が鳴っていてうるさいことは
感じていても起きなかった。いや、ときどきは目を覚まし、
その都度夢か誠かともうろうとした意識で考え、外に出てみようかとも
思いながらも次の瞬間には寝ている、ということを繰り返していた。
が、奥さん他、他の人は寝られなかったそうだ。
翌日「よく寝てたね」と言われた。

そう、5/3に五箇山に行ってはいけないというのはこれなのだ。
祭りの声のあまりのやかましさに、夜寝られないのだ。
ひょっとして、宿が空いていたのはこのためだったのだろうか。

        ・・・

翌日朝にはもう静まり返っていた。

今日はどこに行こうか、全く決めていない。
砺波でチューリップ祭りをやっているのでそれに行ってみようか。
でも、人が多そうだしなぁ
とりあえず、魚津をめざして走ってみよう。

出発の時、見送りに出てきてくれた民宿の人、はて、どこかで見たような・・・。
そうだ、ここの民宿の人、昨日行った菅沼の展示館にいた受け付けの人だ。
ときどきあそこで手伝いをしているそうだ。
YHのこととかもいろいろと教えてくれた。
「またYHにも泊まりに来て下さいね。おっと、うちにも来てね。」

五箇山を後にし、行きとは違うルートで富山方向へ向かう。
庄川方向へ。

途中に名水があった。
丸池という。お寺の裏側に水が湧いているのだ。
とても丸い感じの味だ。
いつも思うのだが、田舎に行くとときどき名水があるのだが、
そういうときに限って入れ物を持っていない。
惜しいことをする。
でも、名水を汲んでかえっても、家で飲んだら「あれ?」と思うこともある。
どうも、成分だけでなく、冷え方にも特徴があるようで、
いったん温もると元には戻らない。
冷蔵庫の冷え方とは違うのだ。

        ・・・

平村郷土館、和紙工芸研究館、やま(山)との対話館というところがあった。
まだ朝早いのか人がいない。こういうところは好きだ。
郷土館だけ少し離れているが、3館共通入場券(木で出来ている!)があるので
これを買って回ると良い。
郷土館は民話を聞かしてくれるところが楽しいか。
特別にこれは!という物はないが、それなりによい。
こういう都会では出来ない展示の方が、来た甲斐があるというものだ。

ここから砺波まではひたすら一般道を走る。
山道はさほどきつくないが、カーブが多いので気を付けなければならない。
1時間も有れば砺波に入れる。

砺波ではやはりチューリップ祭りは満員らしい。
期間中100万人訪れるというのだから、すごい。
私はそういう混雑が苦手なので、当然パスする。
もったいない気もするが、どうせ行っても人を見るだけになるだろうし。
再び高速道路にのって今度は魚津へ向かう。
めざすは埋没林博物館である。

埋没林博物館は魚津の海岸近くにある。
埋没林というのは、海の中にあった木の根っこの林のことである。
詳しくは省略するが、海面が上がったために水没した林の
木の根っこ部分だけが残り、それが発掘されたというわけだ。
いってしまえば単なる木の根っこだが、そこから地球の動きがわかる。

ここにはもう2つの見所がある。
1つは立山連峰。ここの屋上から立山がよく見える。

        ・・・

もう1つは蜃気楼だ。
実は、この博物館の前の庭が蜃気楼が一番見えやすい場所なのだ。
蜃気楼は4月から6月の朝から急に気温が上がった日に見えるらしい。
海面近くは立山から流れ込んだ冷たい水があり、大気は熱気で暖まっているとき
そこに温度の差が出来て、その界面(境目)に蜃気楼が出来る。
今日は前年ながら蜃気楼確率は40%(そんなものが出ているのだ)
ということで見られそうもないが、庭には二羽鶏がいるではなく、
双眼鏡を抱えた人がたくさんいた。
蜃気楼が出たら花火が上がるそうなので、音に注意しながらも
今日は無理だろうと思いそこを後にした。

ちょうどお昼時。お弁当でも買って海岸縁で食べよう。
そう思い、とりあえずJR魚津駅へ向かう。
JR魚津駅には駅弁があった。
なんと、そこにはあの幻の「ぶりのすし」もあるではないか。

富山と言えば「ますのすし」が有名である。
全国駅弁祭りでは必ず出ているし、人気が高い。
確かに美味しいのだが、通はそれでは満足しない。
本家「ますのすし」の「源」(みなもと)は「ますのすし」の他に
「ぶりのすし」という物も作っている。

これはぶりにかぶら+にんじん+昆布が入ったお寿司である。
入れ物とかは「ますのすし」と同じであるが、材料が違うのだ。
ぶりには脂があり、これにかぶら+人参のこりこり感と昆布のうまみが加わって
実にいい味をしている。
かつて1回だけ食べたことがあったが、美味しかったことを記憶していた。
そして今回もこれを買うために富山市内に行こうと思っていたのが
こんなところで出会うとは。

思わず「ぶりのすし」「ますのすし」さらにますのすしのバッテラ版の「ます弁」まで
(しかも全て2人前づつ)買ってしまったのであった。
締めて6000円以上。高い食事代になったが、満足なのだ。

        ・・・

魚津駅についてもう2つ。
(1)駅前の駐車場は20分まで無料。
(2)駅前にある湧き水は美味しい。
        ボトルが有れば、これを汲んで飲み物にしたのに。

駅弁を持って海岸沿いに戻る。
博物館のすぐ横手が海岸なのだ。
寒い寒いといいながら、ます弁を食べた。
う〜ん、潮の香りがいいおかずだ。

今度はその海岸沿いの道路を富山方向に走る。
まあ、どこまで行けるかはわからないが、どこかに行き着けるだろう。
今日は特にどこに行くという宛はない。
最終的に北陸道に乗って帰ればいいのだ。

晴れていていい気持ちで走っていると、何やら車が止まっているところがある。
気になって車を止めてみると「チューリップフェア」とある。
あれ?こんな所から行けるのか?

それは勘違いであった。ここでやっていたのは「滑川チューリップフェア」
なのだ。チューリップ畑があって、観覧自由、気に入ったら
買って帰れるというものだ。
おそらくは、規模的には砺波のそれには遠く及ばないだろうが、
いろいろなチューリップを見られることには違いないし、
なんと言っても人が少ないのが良い。
景色も、立山をバックに咲くチューリップという構図で悪くない。
これは意外なみっけもんだ。

チューリップというのは形が単純な花で、誰にでも描ける。
そういう形や歌に有るとおり「赤・白・黄色」のチューリップしか知らなかったが、
実際にはいろいろな花びらの形、色、大きさの物がある。
花びらがぎざぎざの物、とても小さい物、色も斑など多種多様で
飽きさせない魅力がある。
球根でも買って帰ろうかとも思ったが、家ではどうもうまく栽培できそうにない
(私はそういうのが下手なのだ)のであきらめ、代わりに写真を
何枚か撮ることにした。
砺波には行けなかったが、これで十分だと思う。
おすすめである。

        ・・・

ここからとりあえず富山方向と思う方向へさらに走る。
実はめざしているのは市内ではなく、港だ。
港に行けば魚が買えるかもしれない、そう思っているのだ。

        ・・・こっから先はすっ飛ばし・・・

富山港に着いた。
展望台があった。登った。
エレベーターがないうえに階段がぐるぐる回るので、
目を回しやすい人とか、お年寄りにはちょっと大変だぞ。
上からの景色?う〜ん、悪くはないがきれいでもない。
今一つである。

で、魚はどうしたって?
実はここは漁港ではないのだ。商業港なのだ。
漁港は氷見に行かなければならないらしい。
しかし、今から氷見に行くには遠すぎる。
今回は行けない。ああ、残念。

富山市内へ。
もう駅弁は買ったから駅には行かない。
富山城跡へ。

ここでは明治から昭和初期までの歌舞伎の版画展をやっている。
往年の名俳優が刷ってあるらしいが、残念ながら私には解らない。
市川なんとかとか、書いてあるけど。

富山城跡は広い公園になっていて、のんびりしに来るのも良い。
ただし、駐車場の位置が解らないのが難点だ。
実は私も道路に止めてきたのだ。
パーキングメーターがあるところ。
でも払わずに止めてたら警告書を張られてた。
危ない危ない(駐禁をやられたわけではない)。

        ・・・

そろそろ時間(今は6時)なので帰ろうと思った。
そこでICを探すが、見つからない。
一般道をだいぶ走って、小松ICというところが近そうなのでそこをめざす。

ところが、見つからない。
途中までは看板があったのだが、途中で解らなくなってしまった。
何度かぐるぐる回っている内にようやく看板を見つけた。
しかし、田圃のど真ん中の細い道を走るとか、こんな道わからんぞ。
そういえば、尼御前の近くの美川ICもえらい場所にあったけど、
このあたりってこんなんばっかりかいな。
その割には小松ICで降りる車は結構いたようだけど。

ということで、後は小松ICから北陸道に乗り帰ったのでした。
久々にたくさん走った旅行であった。
ちょっと物足りなかったような気もするけど、
まあ、たまにはこれくらいの(観光地を回る時間が)のんびりの
旅行もいいだろう。

        ・・・

昔は五箇山に行こうと思ったらかなり大変だったようだが
(それ故、江戸の時代には塩硝作りのような秘策が守られたのだ)、
今は車で比較的楽に行くことが出来る。これは五箇山に限らず、日本全国そうだが、
考えてみればこれは現代人にのみ許された特権であって、ありがたいことなのだ。
昔はたとえば江戸から大阪までの道のりでも非常に大変で、中には一生自分の
村から出たことのない人だっていただろう。
この現代に生きていること、このように旅行が出来ることに感謝し、
昔の人が知り得なかった、各地の興味深い事柄を知る旅をしよう。

        ・・・終わり・・・
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