「愛宕山ハイキングレポート」(2003/11/17〜2004/1/12号)
これは昔趣味にしていたハイキングのレポートである。
このハイキング、その余りのハードさに「超ハイキング」と呼んでいたのであった。

ハイキングは多くの場合、複数人数で行っているので
「我々」という書き方をしている。
因みに、隊長は私であった。

今回の掲載にあたり、当時を思いだし・・・ても全く思い出せないので、
当時書いたレポートを再編集しただけである。
(注;の部分は今回の再編集にあたって追記した部分。)

    ・・・

土曜日は快晴であった。
暑いのは困るが、やはり山登りでは天候はいい方が気持ちいい。
気持ちいいだけでなく地面の状態は歩きやすさから疲れにも及ぶので
無視できない。

思えば前回ここに来たのは6月。
ハイキングが「超」になり始めたのもそのころからだった。
やはり類は友を呼ぶじゃなくて朱に交わればまっかっかでもなくて、
人が集まれば行くべき所も変わってくるということか。

阪急嵐山駅から京福嵐山駅前まで歩く。
相変わらず嵐山は混んでいる。
団体客、カップル、修学旅行。
まあ、いい場所には違いないが、ここまで混むとちょっといやになる。
そしてこういうところに必ずあるのが「タレントショップ」。
あるだけならいいが、それがまたはやっている。
こんなところにまで来て・・・という気がする。
嵐山らしいお店に入る、いや、お店に入るよりここの自然風景を楽しみ、
神社仏閣を見て回らねばここに来た意味がない。
それがわからないのだろうか。
まあ、私も高校生くらいまではわからなかったから、修学旅行生にそれを
悟らせるのは無理かもしれないが、せめて大人は、ね。

京福の駅は一見駅らしくない(ホテルと一体になっている。しかもレディースホテル
とかいういかがわしい・・・ドコガ・・・ホテル)ので見落としそうになった。
駅前も駅前らしくない。
そこでバスを待つ。
愛宕山は清滝というところまでバスで行ってそこから歩くのだ。

観光地にはときどきあるのだが、ここ嵐山にも人力車がいる。
(私が知る限り、飛騨高山とか松江にもあったと思う。)
それがまた年期の入った人ではなくてちょっと(だいぶ?)軟派な兄ちゃんたちが
引いてるわけだ。

これがまたそこらへんの女の子などに声をかけている様はただのなんぱと変わらない。
お金をもらってなんぱ出来るのだから結構いいのかもしれない(オイオイ)。
実際の乗ってもらって、それが女の子ならうれしそうに話しながら行ってるが、
カップルならただ単に引くだけに徹しているようである。
・・・しかし、狭い道路の中でこれが走っていると車には単なる迷惑に
すぎないだろう。
バスもこれのおかげで遅れるし。

バスは定刻通りに来た。
清滝までは190円。意外と近いようだ。
バスの行く道すがらを見ると前回京見峠に行ったときに道と途中まで同じだ。
そうか、あの道をそのまま進めば愛宕山に行ったのか。
確かに嵐山からそれほど遠くはないようだ。

清滝に行く道路は次第に細くなる。
途中に「愛宕寺」というところがある。
「おや?」と思ったのだが、お寺は麓にあり、神社は頂上にあるということだ。
今回はこちらには行けないが、そのうち来ることもあるだろう。

その先にある時間差一方通行のトンネル(トンネルが非常に狭いので、
入り口に信号があって、交互通行になる)を通る。
バスが通ると壁にぶつかりそうで恐いくらいだ。

そのトンネルを抜けるとそこが清滝だ。

    ・・・

清滝のバス停から愛宕山へは・・・おおっと、いきなり急な下りを行くのか!?
山へ上るのにいきなり下るとはこれいかに。
今はいいけど、これは帰りが大変そうだ。

しかし道はあっているようなので坂を下り川沿いまで降りる。
この川は保津川というらしい。
きれいな川だ。
ここを目的に来るのもいいと思う。
雰囲気のある良い場所だ。
建物も自然に調和していて違和感がない。

川を渡り、みやげもの通り(というほど大きくはない)を抜けて鳥居まで行く。
愛宕山の麓に愛宕神社の鳥居がある。
余り大きくなく見落としそうになるくらいである。

この場所はひなびていていい雰囲気があるが、
中に1軒「これは・・・」と思うところがある。
それは「江戸性風俗博物館」である。
実に怪しげな名前である。
その前に1人のおじさんが座っていて「どうですか」と言っていたが、
こういう所は女の子が一緒にいるときに入るところである(おや?)。
(そういう問題じゃないって。)
ちなみに帰りにその前を通ると4時台なのにもう閉まっていた。
やはり入る人はほとんどいないのだろう。

しかし、田舎に行くとたまにこういう所があるのだが、いったい何故こういうものが
出来るのだろうか。
 1、実は学術的に意味がある
 2、田舎には女の子が少ないのでこういう所で欲求不満を解消する
 3、単におっさんの趣味が講じたもの
最初のはともかく、2、3は両方のような気もするが、結局は謎である。
(入ってみればわかったのだろうか。)

そしていよいよ鳥居をくぐって山へと入る。
そこで私たちを待っていたものは・・・

    ・・・

鳥居を抜けるといきなり急な坂が現われた。
普通なら階段になるようなところがそのまま坂になっているのだ。
これは実にいきなりである。
やわな精神の持ち主ではこれを見ただけであきらめるだろう。
事実、帰りぎわにここに来たときカップルがこの坂を途中まで上ってあきらめていた。
「この先はまだまだ遠い。ちょっと上がってみようなどという気持ちでは
無理なのだよ。」と思ってしまうのであった。

しばらくはコンクリートで固められていたがやがてそれは地道になった。
それから楽になったかと言えばそうではない。
坂や階段が交互になってづぅ〜っと続いているのだ。
ひょっとするとこのまま頂上までこのままではないかと思われるほどずっと。

    ・・・

途中で湧水をただいて喉を潤してから歩みを続ける。
冷たすぎることなくちょうどの温度でおいしい。
もちろん変な味もしない。これが本当の水の味なのだろう。
それにつけても大阪の水の逆おいしいことよ。
なれてるからいいけどね、私は。

「淀川の逆おいしい水。
    今ならもれなく  臭い、味、色付き。」

そういえば、今日は嵐山にてお菓子と飲み物を買って来ている。
もちろん今回は五月山−箕面の滝の経験を生かし蓋付き飲み物である。
(「海老案」とかいう水。入れ物だけ買ってここで水をくめば良かったようにも
思ったが、それはあとも祭というものである。))

1合目にはおばあさんのやっている休憩所がある。
妙に雰囲気があって、お祖母さんも良さそうな人で休憩してから行こうという
気もしたが、まだまだ先は長いのでそのまま通り過ぎる。

この1合目までは階段もそれなりにしっかりしていたがこれから先は
階段といっても岩の段差とさして変わりないようになってくる。
各段の高さも、大きさもすべてバラバラ、
もちろんコンクリートで固められていると言うことはない。
長い間人が登っている内についた階段。

小さな岩もごろごろしているので足場に気をつけないとくじいてしまう。
行きはまだ足首が元気だから良いが、帰りは特に注意せねばなるまい。

    ・・・

山は紅葉している。といってもまだ5〜7分紅葉(こういう言葉があるかどうかは
不明だが)くらいで、完全に山が真っ赤というわけではない。
それでも少し緑が残った状態での紅葉の方が
色のコントラストがはっきりしていて美しいかもしれない。
紅葉にも色々な種類があるようで、真っ赤になるもの、
黄色くなるもの、葉が白く透けるもの等がある。
どんぐりが転がっているのも秋の山の風物詩である。

私はカメラを持って来ていなかったが、持っていれば
是非に撮りたい景色である。
実際持って来ている人はその前で立ちどまり撮影していた。
(この人達とは頂上まで抜きつ抜かれつつ登った。)
私のは大きいカメラなのでこういう山登りには持ってこないのだが、
こういう時のために1つ小さいカメラも必要に思う。

この山には途中にお地蔵さんがたくさんある。
これらは山頂まで1丁ごとに存在する。
頂上までは全部で50丁あるらしい。
・・・と書いてあるが1丁とはどれくらいの距離なのだろうか。
それに合目とはどういう基準で決めてあるのだろうか。
山ごとに違うのだから合目は決まった距離でないことは確かだ。
山の高さを10等分したものだろうか。

愛宕山は1000メートル近いのだが、頂上に神社があるおかげで登る人は多い。
特に1年に1回あるお祭りの時には何万人と登るそうだ。
この地方には月参りという習慣があるそうで、
毎月1回は登るらしい。
いい習慣である。

    ・・・

しかしこの坂は長く続く。
ハイキング手帳によればこの山は5合目まで階段が続くそうだ。
まだ合目ごとに(ないところもあるけど)休憩所があるのだが、
ここ3合目でまだ頂上まで4キロもあるとか。
ええ〜!?ここまで苦労して登って来たのにまだ3合目!?まだ4キロもあるの?
さすがの私も「こっ、今回は最後まで行き着けないかもしれない」。
そう思ってしまった。
しかし我が超ハイキングクラブに途中で引き返すなどということは許されないのだ。
ただひたすらに登るべし!

今日は天候がいいので坂を登っていると暑くなる。
今日は天気がいいと思って最初からトレーナーは着ていないが、
普通の格好でも十分に暑い。
休憩所にいたおばさんも「暑いからTシャツ1枚になった」と言っていた。
「これからまだ4キロもあるんですよ」というと「えぇ!?まだそんんあにあるの。
じゃあ、ここであんまり水を飲んで休憩はしてられないわね。」と言って出発した。
私達も余りの長居は無用だ。
調子に乗った体が元に戻ってしまうと辛くなる。

このような山を子連れで登っている家族もいる。
大人だけでも大変だろうに、子供を連れてではさらに大変だろう。
子供が元気で登ってくれているときはまだいいが、「疲れた!」とか言って
歩かなくなったら背負って登らなければならない。
そのようにして登っているお父さんを見ると思わずご苦労さん、と言いたくなる。
もっとも、なんで子連れでこのようなところに来たの?と聞きたくもなるが。

そういえば、親が子供に登っていかす理由がなかなかおしゃれであった。
「上にはサンタさんが待っているわよ」。
これはなかなかにいいアイディアである。
これは大人にも使えるかも知れない。
「上には飛びきりの美女がいるぜ!」などと。
しかし、「しんどいのはいや。並でも平地でいいわ。」などと言われるかも
知れないが。

でも頂上についていないとわかったときにどう説明するのであろうか。
「遅れたから出かけていちゃった」とか。
それはそれでいいのかも知れない。
(頂上には白髭神社というものもある。そこをサンタさんの家として教えるのかも
知れない。)

    ・・・

4号目の休憩所で休んでいると後ろで何か物音がした。
振り返るとなんとヘビがいるではないか。
少し黄色みがかっていて、長さは1メートル以上あると思う。
隊員が見たところによればまむしのようだ。
近ければ怖いが、これだけ離れていれば問題ない。

この休憩所からは少し離れているので向こうはこちらの存在には気付いて
いないようだ。そのため実に自然に動いている。
これだけゆっくり自然のヘビの動きを観察できる機会というものはそうは
ないであろう。

どうも獲物をとろうとしているようには見えない。
どうも土手から落ちてしまい上に登ろうとしているようである。
が、ヘビのくねくねした動きではそのまま登ることは難しい。
何度もトライしているようだがまた落ちて来る。
見ていて飽きないものだが、そうも言ってられないので先に進む。

    ・・・

ようやく5合目。
先を見るとちょっと平地になっているようだ。
それにしても実に長い坂&階段であった。
普通(?)の山道の方がまだましで、このように階段と急な坂の連続では
余計に足が疲れる。
ここでまた少し休憩して先を急ぐ。

大きな木があってその中に祠がある。
すでにこの木は枯れてしまっているが、今残っている根の部分から想像するに
元気な頃はかなりのサイズであったことが想像できる。
ここでこの先の登りが無事であることを祈り先に進む。

    ・・・

山の片方の斜面が急に開けて下界が一望できるところがある。
下界は霞んではっきりは見えない。
(ただ単に下界は排ガスなどで汚れているだけかもしれないが。)
この5合目(もうすでに6合目附近か?)でもかなりの高さなのだ。
そういえば手前に見える山の背にはハイキング道がはっきり見える。
その途中に1本だけ高い木がある。
だからどうしたといわれてもしょうがないが、そういうところである。

本当にこの山は5合目までとそれ以降では大きく異なる。
最後まで5合目までのような感じであったら
たぶん最後までは登れなかったであろう。
坂や階段がまったくなくなった訳ではない。
しかしずっと登り詰めよりも少しでも平らなところがあればそれだけでも
かなり違う。肉体的疲労仕方もそうだし、なんといっても精神的圧迫感が減る。

    ・・・

山登りの基本は挨拶。
すれ違う時には挨拶する。
ただ、ここで1つだけ注意しなければならない。
登ってくる人は疲れているということだ。
今は私たちが登っているのでこちらから声をかけるのはいい。
しかし逆の立場の場合は相手がしんどい場合もあるので
相手をよく見て声をかけるかどうか考えなければならない。
もちろん相手から声をかけられればかけ返さなければならないが。

    ・・・

また見晴らしが良い場所に出る。
下界にうっすらと見えているのは京都市内だろうか。
ここには非常に幅が広く歩きにくい階段がある。
1段上る度に疲れてしまう。
それならまともに階段を上らずにわき道を上ればいいものを、
私は妙に生真面目だから。

ああ、こんなところにごみが散乱している。
誰だこんなところにごみを捨てていく馬鹿は。
せっかくのきれいな風景も台無しになる。
基本的道徳が出来ていないものに山に登ったり神仏に参る権利はない。

    ・・・

途中の小さな休憩所座ったら固定されていなくてひっくり返りそうになった。
この山にはだいたい各合目毎(ないところもある)に休憩所があり疲れた体を
癒せて良い。
このあたりはさすが神社が山頂にあり参拝者が多いだけのことはある。
しかし、この休憩所に小さなごみが多いのがちょっと気になる。
小さなものでもごみはごみ。
ちゃんともって買えるように心がけたいものだ。

9合目の休憩所。
ここには電灯がある。
このような場所ではちょっと違和感があるが、何となくちょっとうれしい気がしたのは
ちゃんと目的地に向かっているという証明を見たような気がしたからだろうか。

ここでは何人かの人が休んでいる。
そしてここには別の道が合流している。
別の道から登ってこれるようだ。
しかもそちらの方が楽らしい。
また子供、しかも乳飲み子で背中におぶって来ている人がいる。
えらい。
私にはとても出来ない芸当だ。

やがて愛宕神社の黒門と呼ばれる山門が見えてくる。
いよいよ到着だろうか。

と思ったらまだ細く長い階段がある。
この階段を最初見たときは上が見えなかったので、
「9合目を過ぎたのに、まだこんなにあるの?」という感じがして
おもわず「ブラボー!」と叫んでしまった。
もう精神的に限界なのかもしれない。

階段を登り終えると石畳になった。
一緒に登っていた人に声をかける。
「ようやく到着ですね。」
「いやぁ、まだまだ・・・」
その意味はここではわからなかった。
しかしその意味はすぐにわかることとなった。

    ・・・

ここに着いたとき、「やっと着いた」という気がしたが、
それは達成感というよりむしろ「ようやく」という感じであった。
間違いなく今までの超ハイキング&登山の中で一番のしんどさであった。
頂上に着けばさぞかし満足感というか感動があるだろうと思っていたのだが、
体というものは正直なものである。

石畳を進むと建物がある。
ようやく到着だろうか。
でもここは神社でそのものではなく社務殿だ。
おお、こんなところに自動販売機がある。
さすがにアクエリアスは売り切れている。
ほかの冷たいものでよさそうなのは紅茶か。
200円とな。ここで200円とくればこれは安いといえよう。
もしあっても1000円くらいだと思っていた。
しかしこの山をこんなものを持ってくるのも一苦労であろう。
車も使えるわけではないだろうに。

もうお昼だが、食事の前に神社にお参りしておきたいのだが。
神社は・・・「えっ、あの階段を登るの!?」
またもやものすごい階段を登らなければならないようだ。
さっきの「まだまだ」という意味がここでわかった。
確かにこれはもう一回気合いを入れなければ登れない。
石畳の所で「到着した」と思って
気を抜いたら駄目なわけだ。

仕方ないので先に食事にする。
適当な場所を見つけて広げる。
よく見ると回りには結構人がいる。
幼稚園児らしき集団もいる。
私たちはあの子たちを登りでは見ていない。
9合目で合流した別の道から来たようだ。
やはりあちらからだと楽のようだ。
(私たちが登った道を幼稚園児が登りきれるとはとても思えない。)

食事をしているとだんだん体が冷えてくる。
先ほどまでは登って体を動かしていたので暖かかったが、
座ってじっとしていると冷えてくる。
食事をすれば体はあったまってくるものだが、
そうはならず冷える一方だ。
特に汗をかいているので余計に寒い。
この頂上の温度は予想以上に低いらしい。

そういえば途中に頂上と麓の温度差は10度あると書いてあった。
登っている途中はむしろ暑くなるのでそんなことは感じなかったが、
ここにいるとそれがまんざら嘘ではないような気がする。

そういえばさっきの自動販売機にはあったかい飲物があった。
こんな暑いときに誰があったかいものなど飲むのか、
と思ったが、これではそれもわかる。
最初は暑いので冷たいものをかい、その後寒くなるのであったかいものを買う。
う〜ん、実に見事な戦法である。

それにしてもここにはハエが多い。
さっきトイレがあったがもちろん直下式で、臭かった。
そのせいだろうか。

さて行こうか、というところで立ち上がろうとしたときハプニングが起こった。
隊員の足がつったのだ。
確かに気を抜くとつりそうになるほど足の筋肉は張っている。
私も気をつけていたが、その隊員は見事に行ってしまったようだ。
これは自然回復を待つしかない。

    ・・・

食事を終えて気合いを入れ直したところでいよいよ神社本殿に登る。

階段は急ではあるが、見た目ほどしんどくなく、しかも短かかった。
よかった。

愛宕神社は古く由緒ある神社である。
境内は山の上としては広いのではないだろうか。
入り口付近のお守りとかを売っているところに何やら人が集まっていた。
そのときは知らなかったのだが、ここのお札は結構有名なのだそうだ。
みんなそれを買っていたのだろう。
私も知っていたら買った・・・だろうか。

拝殿でお参りした後にその後ろにある本殿に行く。
本殿はまるごとすっぽり建物の中にある。
こういうのは珍しいと思う。
雪が多いのでこうしてあるのかも知れない。
ほとんど窓がないので暗いが難点である。

更に奥にもお参りするところがあるが、暗いのであまり人が訪れていないような
感じであった。
それでも1人だけおじさんがその横の裏庭(?)で食事をしていた。
これはかなりの通とみた。

本殿のところに戻ってふと気が付いた。
ここの建物に多くの彫刻が施されているのだ。
その彫刻はなかなかダイナミックで細かくあるが刻まれているものには迫力がある。
ちょっと見には恐いほどである。
刻まれているものも他ではみられないものも多い。
竜、鶴、亀などは他でも多いが、
ここには猪、梅に鴬、蛇などがある。
これをじっくり見に来るというのもいいだろう。

本殿には象もあるのだが、象と言えばインド、インドと言えば仏教である。
神社にこのような彫り物があるのはおかしいような気もするが、
元々日本では神道と仏教には大きな隔たりはなく(それが出来たのは明治以降)、
神仏を同じく信仰するという習慣があった。
この建物はその時代のものであるからこのようなものが見られるのであろう。
単にその時代の流行だったのかも知れないが。

拝殿に戻り外に出てふと脇を見ると何やら記念碑のようなものがある。
そこには「1000回記念」とか「3000回記念」とか刻んである。
1000回や3000回もここに来たの!?

神主さんだろうか。それとも社務殿にいる人だろうか。
1日1回でも3000日で8年半かかる。
休日だけ来るとなると週に2日、1日3回として3000/(2*3)=500週間
として10年。
1回登るのに必要な時間はどう少なく見積もっても往復3時間。
ということは3*3000=9000時間も山を登っているわけだ。
すごい。

よほどの信念か信仰心がなければ出来ないことだ。
もし長生きを祈っているのなら、その運動だけで十分体が丈夫になって
長生きできるような気もする。
神仏の威光を借りて自らを鍛える。
それはとてもいいことだ。

    ・・・

裏手には白髭神社というものがあるらしい。
下り坂を行かなければならないので一部隊員は上で待って
私だけが行くことになった。
確かに下りはいいがこれを戻るのはつらいかもしれない。
白髭神社はなぜそう呼ばれるのかわからないが、
ひっそりとあった。
ここから降りる道もあるようだが、それはまたの機会にしよう。
(実はここから滝がある場所へと行けたようだ。ちょっと残念なことをした。)

再び坂を戻る。

鳥居には何か文字が刻まれている。
この神社/鳥居を建てた、もしくは修理した人の名前のようだ。
といってもおそらくは代表者だけだろうが。
詳しくはわからないが江戸時代以前のようだ。
さらに柱をよく見ると墨で文字が書かれた形跡もある。
文字ということはわかるのだが、何分古くほとんど流れているので
なんて書いてあるのかはほとんど読めない。
韻(字があってるかな?)か、それとも名前を刻めない人たちの
言葉だろうか。
(それをよく見つけたなと言われそうだが、別に刻まれている文字がないかどうか
探しているときにたまたま気がついたのだ。)

振り返り、社に一礼して階段を降りていく。

    ・・・

帰りに再び石畳のところに来ると風景がきれいなことに気づいた。
紅葉で回りが黄色くなって光を散乱して美しい。
行きにはしんどさで見えなかった風景が、落ちつくことで見えるようになったのだ。
しんどさにまぎれてこれを見逃していたら惜しむところであった。

ハイキング手帳では登りと下りとでは違う道を通ることになっているが
同じ道で下る。
(本当はそれに気づいたのは降りてバス停に着いてからである。)

それにしても異常にハエが多い。
これは本当に並の多さではない。
しかも回りを飛んでいるというレベルでなくまとわりついてくる。
なぜだ。

実は回りでたくさん人が死んでいるとか。
だから人を見ると寄って来るって?
・・・恐いぞ、それは。

このハエ、結局だいぶ下るところまでずっとついて来た。
回りで特に臭いと言うことはないのだが。
まあ私たちが汗くさいというのはあるだろうが。

そしてとあるところを境にぴたっと降りてこなくなった。
結界でもあったのだろうか。

    ・・・

中学生が登っている。クラブの体力トレーニングのようだ。
しんどいだろうがこれほど良い場所はないだろう。
空気は良いし。
でも登らされている等の本人にはそんなことはわからないだろう。
「何で近くに山があるんだ?」ということであろう。
まあ、将来わかるようになるだろう・・・か。

すれちがう人の中には行きにもすれちがい帰りにもすれちがった人がいる。
と言うことは、私たちが登っている間に降り、今下っている時に登っていると
いうわけだ。

そうか、こうして1日に何回も登れば1000回とかが達成出来るのか。
私は・・・何回上れるだろうか。
10回位は登ってみたい。
(第2回愛宕山登山はいつになるだろうか。)

中には訓練のような格好で登っている人もいる。
クロスカントリーの訓練だろうか。

いずれにしても空気がよく、ほどよく体に負担がかかり、
そして都心から余り離れていない。
人も多いのでいざというときも安心できる。
練習にはまたとない場所であろう。

さっき神社の階段を掃除していた人も私たちを追い抜いて降りていった。
歳をとっているのに速い。
慣れている。
あの人が3000回達成の人かも知れない。
(お礼の神社清掃だったのだろう。)

    ・・・

途中で子供の服が落ちていた。
なんと呼べばいいのか知らないが(こういうことに私は疎い)、上に羽織るものだ。
「くんくん」。こら、臭いを嗅ぐな。
そうじゃなくて、湿っているのでだいぶ汗をかいたのだろう。
疲れた子供がおぶられて、眠っていて、
羽織っていたこれが落ちたということであろう。

それにしてもこの服を親が取りに戻って来るだろうか。
この坂を登って再び。
少しの間この服を持って下ったが誰も前からは来ないようだし、
このままもって降りてもしょうがないので
途中でお地蔵さんにお預けした。
「取りに来るまで預かっておいてくださいまし。」

帰りは行きより早いように感じる。
しかし麓に着いてみれば行きと30分しか違わない。
やはり階段が多いと下りとてそれほど早くはならない。

そしてようやく1合目のおばあさんのいる休憩所まで来た。
コンクリートの坂を下り、鳥居を抜けて麓に戻った。
いやあ、まったくもってご苦労さまであった。

そして無事な登山に感謝して合掌して帰路につく。

*合い言葉は「超ハイキング、次回はガベの城」

怪しい館の前を通り、川に出て橋を渡る。
そして行きに下った例の坂を上る。
これが最後の難関だ。
疲れた足でこれを登るのはつらい。
ゆっくり、ときどき後ろ向きになったりしながら登る。
ふ〜、やっとバス停に着いた。

    ・・・

バスを待つ。
今の時間からすると次のバスまで30分ほどあるようだ。
元気なら歩いて嵐山まで行くことも不可能ではないが、
今の足の状態では無理だろう。
素直にバスを待つことにする。

並んで待っていると1匹の白猫が現れた。
ちょっといらいらしながらバスを待っていたのが、その行動を見ていると
なごんでしまう。
回りの人もその猫に気づいたようでその猫が道路を渡ろうとすると
「ああ、危ない」とか言っていた。

バスはだいぶ遅れているようだ。
私たちが待っているバスよりもさらに前のバスがまだ来ていないようだ。
そうこうしているうちにその猫がこちらまで来た。
結構おっきい。
まあ、遠くに離れていてあれだけの大きさに見えたのだからさもあらん。
しかもかなり年期の入った猫と見た。
人間がいらいらしていると見たら気を落ちつけるためにやって来るのだろうか。
それくらいな考えも持っていてもおかしくないようにも見える。

    ・・・

やっとバスが来た。
バスの遅れの原因は京都市内の渋滞のようだ。

一番後ろの座席が開いているので座る。
今は足が疲れているので若いから立っているというような勇ましいことは
言ってられない。

その後のバスの混み様はものすごいものがあった。
それでも詰め込もうとするバスもすごかったが。
座ってよかった。
途中から乗ってきた叔母さんが席を代わってほしそうな感じであったが、
今はそんなことは出来ない。

嵐山に着く。
嵐山は全体的に混んでいる。
京福嵐山駅も道も。
もう日も落ちたのにまだまだというところか。

川沿いにはカップルが座っている。
おお、例の等間隔が見られるではないか。
(注;加茂川岸に座るカップルの感覚が等間隔になっているのは 、実は有名な事実
である。)
でもところどころちょっと乱れているぞ。
そういうところには教育的指導をしに行ったりして。
「こらこら、そこのカップル。今日は混でるんだから間隔を守りなさい!」とか。
単なる嫌みなおじんだな、これじゃ。

ここには出店もあるのだが、これがまたぼったくりである。
いちばんよくわかるのはイカ焼きであるが、
100円から500円までのコースがあるのだが、
500円のものでも寺泊の200円のものより小さい。
まあ、漁港とこういう所を比べてはいけないが、
それにしても・・・と思う。

タクシー。
馬鹿タクシーがいる。
人に向かってハイビーム、トランク開けっ放し、
それで狭い場所でのスピード出しすぎ。
ああいうのは追放した方がいい。
他のいい運転手(が本当にいるかどうかは別にして)までが疑われてしまう。
嵐山の運転手は荒いとか。

阪急ももちろん混んでいる。
嵐山駅はホームが2面あってどちらに電車が入るかわからない。
それで両方に人がいる。
幸い私たちが立っている方に来たので速攻で乗って座ることが出来た。
良かった。

桂駅へ。
私たちは大阪方面へ、隊員の1人は京阪に乗り換えるために烏丸へ向かう。
ということで今日は桂駅でお開きである。
体調が万全でない時にご苦労さま。

また次回の山登り(おいおい、いつからハイキングから山登りになったんだ?)
で会いましょう。

    ・・・終わり・・・
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