「横文字の氾濫」(2004/07/19号)
最近は、いろいろな名前に横文字名が氾濫している。

洋画の日本公開名なんて、まんましかない。
昔のものは結構良い名前があったのに、最近のは本当に英語そのままで、
少なくともタイトルを聞いて見に行こうと思うことな無くなった。
悪く言えば「能がない」。

また、各種用語名も英語そのままが多い。
いや、新しい概念の言葉で、日本に同等の言葉が見つからないので
英語そのままで使うというならまだ納得もするが、
適当な日本があるにもかかわらず、わざわざ英語読みしているのを見ると
「馬鹿じゃないかこいつ?」と思う。
私が最近よく聞く中で一番嫌いなのは、実は「コンテンツ」という言葉。
「内容」で良いじゃないか。

公文書にすら未定義の横文字が氾濫しているのには閉口するし、
国会の与野党党首討論が「クエッション・タイム」などというのは、
もはや質の悪い笑い話にしかならない。
さらに政策綱領が「マニフェスト」だと?言葉をわからなくして
ごまかしてるだけじゃないか?
こんな名前を付ける連中に日本の行政を任せて良いわけはない。

趣味で(どんな趣味だと思われるかも知れないけど)郵便番号7桁の
辞書を作っていたりするけど、7桁郵便番号にはいわゆる場所だけでなく
事業所(会社など)にも1郵便番号を割り当てることが出来る。
これの更新が毎月郵政省・・・じゃなくて日本郵便公社だっけ、からあるのだが、
これを見ていると、最近は会社の合併や倒産での廃止も多いが、
名前の変更も結構ある。

そのほとんどが横文字化であり、その多くが日本で聞き慣れない英語ばかりなのだ。
どうしてまあ、こうも揃いも揃って馬鹿の1つ覚えのような名前の付け方ばかり
するのだろうか。
本人たちは考えて(辞書でも繰りながら)考えたのであろうが、
周りの人が覚えられなければ何の役にも立たない。
金かけて忘れられるなんぞ、馬鹿の所行だ。
何か勘違いしているとしか思えない。
覚えやすく親しみやすい名前、同時に会社の業務にもあっている名前。
そうでなくてはいけない。

        ・・・

最近いろいろな文章を読んで、その全てが理解できる文章の方が減った。
私が賢くないから、という事実は置いとくとしても、
その多くは未定義=一般的でない横文字による修飾が多くて
内容が理解出来ないことによるものである。

安易に横文字を使うということは、とりもなおさず真意を理解していない
証拠である。もしくは何も考えていないか。

「新しい概念だから横文字・・・」などというのは単なる言い訳にすぎない。
海外の文章の上っ面を訳すだけで出しているならともかく、
そこに書かれていると同じ事をしようと思うなら、その内容を理解する事が必要で、
その際にはその言葉に対して何らかの解釈をしているはずだからだ。

新しい概念であればあるほど詳しい説明が必要だ。
その定義をきちんと述べた上で、そのあとの文章内で使うならまだわかる。
しかし、自分が知っているからと言って、それを一般的だと勘違いして
勝手に使いまくるのは迷惑この上ない。
何か、わざと理解できないようにして通してしまい、後で文句を言ってきたら
「理解できない/知らない方が悪い」などと言いそうだ。

本当に新しいならかえって横文字にする必要はない。
日本語で名前を付ければよい。
実際は欧米からのそのまんま導入した&本質は理解していないということなのだ。
私に言わせれば、横文字が氾濫している文章は、その物自体が無意味だ。
理解して書かれていないもの、他人が読んで理解できるはずがない。
(話し言葉も同様。)

ただ単に横文字の方が格好良いなどと言うミーハーな奴らもいるだろう。
日本語で簡単に言える語があるのにあえて横文字にしているのは
間違いなく後者だ。ひどい物になると、横文字書いてそのあとに括弧して日本語を
書いてあるものもある。なにをか言わん。
先のクエッションタイムなんてその代表。
そんな名前を考えた奴の頭の中がまさしく「?」だ。

最近会社でも、何か新しいことを始める時にみんな横文字名を付けたがる。
新しいこと=横文字名という馬鹿の1つ覚えである。
実に情けない。

オタクラの編集方針に「使わないで済む英語は使わない」とあるのは
理解して日本語に訳すという意味である。
解説するにしても批判するにしても理解が必要だ。
私の頭の中の思考は日本語が基本だから、それに訳さないと理解できない。

こういう点では中国は徹底しているのがすばらしい。
コンピューターは「電脳」というのは特に言い得て妙である。
日本でここまでする必要はないと思うが、少なくとも、
本来使わなくても良い語まで横文字化することはないように願いたい。

最近は国語審議会(じゃないかも知れない)が、外来語の日本語への置き換えを
行おうとしているようだが、一応歓迎しておこう。
「もうすでに外来語のまま定着している」として日本語化を断念した
後もあるらしいが、それらを見ていくつかは「どこが定着してんねん?」
と思うものもある。

本当にもはや日本語化した横文字まであえて再日本語化せよとは言わんし、
単なる物体名称なら横文字のままでも良い。
オーケー(OK)、メイン、ゼロ、シャボン、ケーキ等々。
要するに、日本語に出来るものはしろ、未定義のまま使うなと言うことである。

余談:
メイルはメールではない。
メインはメーンではない。
綴り(mail/main)および発音記号を見れば解る。
ゆえに、電子メイルであり、メインバンクである。
(メールはまだ許せるけど、メーンは絶対に許せない。)
こんな恥ずかしい日本語化も行ってはいけない。

古くから日本人は外国の文化をそのまま受け入れるのではなく
自らのものとするために変化させてきた。
よく言われる例えとしては「アンパン」と「牛鍋」であるが、
本質を理解した上で日本流にする努力により、それらはもはや日本の物となっている。
(日本のカレーもラーメンもそうだと思う。)

ならば言葉だってそうなのではないだろうか。
単にその読み方をそのまま模倣してもだめなのだ。
それを日本流に変化させ適応させなければいけない。

言葉を知ることは文化を知ることにつながる。
それは相手の国のことでもあるし、それの日本文化との違いの理解でもある。
真の国際交流を目指すなら、まずはこういう横文字氾濫のような
表面だけの模倣を止めるところから始める必要がある。
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