「優しい町」(1997/11/12〜11/14号)
足を痛めてから、町を歩いていると、いろいろと気づく事がある。

        「大阪の町は身障者には優しくない」

鉄道関係は、最近はホームにエレベーターやエスカレーターが多くなって、
一見優しくなったように思うが、実はまだまだである。

たとえば、列車から降りてからそれらまでの歩く距離が長い。

私が思うに、たとえばエレベーターはホームの一番端というように
すべての駅で統一してほしい。そうすると、それを使う人はあらかじめ
それに近い車両に乗っておける。多くの場合、一番端の車両はすいているので、
座れる確率も増えるし、乗り降りもしやすい。
健常者は別にエレベーターを使う必要もそうそうないから、
これでもかまわないはずである。

また、エスカレーターはほとんどが登りであるが、下りも1本はほしい。
肉体的不可から言えば確かに登りに入れるのがいいのだが、
登りは何とかなるが下りがつらい場合もあるのだ。
(かかと付近を痛めたときは特にそう。)
こういう場合エレベーターを使えばいいのだが、無い駅もある。

地下鉄の場合はもっとひどい。
最近堺筋本町駅はエスカレーターが付いた。
だから良くなったと思ったら大間違いである。
ホームからエスカレーターのある位置まで行くのに、
階段が上り下りともあるのだ。これでは何のためのエスカレーターかわからない。
そういう無用な上下もなくさないといけない。

地下鉄と言えば、扉付近の部分に吊り輪がない。しかもその扉付近が広い。
このため、入り口付近にいた時に揺れるとふんばらなければならず、
足を痛めている時には非常につらい。
どうして付けないのか理解出来ない。
しょうもないところでコスト削減はするべきでない。

        ・・・

(列車の不備と言えば、京阪の5つ扉車両は網棚が少なくて困る
というのもある。網棚そのものが手摺替わりにもあるだけに、
あれもいけない車両である。混雑時は良いが、閑散時にあれを走らすのは
どういうものか。)

町中を見ると、歩道と車道間の段差も多くなかなかに歩きづらい。
路上駐車、駐輪が多くて通れない事もある。
これらもどんどん取り締まるべきであり、
ひどいビルになるとビルの前の車道に駐輪させている所もあるが、
こういう所はビル管理者の責任を問うべきである。

町の構造だけではない。大阪の「人」も優しくない。
健常者が急ぎすぎてゆっくり歩けない+階段の手すりに近づけない、
健常者がエレベーターを占有してしまい乗れない、
道路を渡ろうと待っていてもなかなか車が止まらない。
などなど、本当にひどい状態だ。

道徳として、こういう事も教える必要があるのではないかと思うのである。
差別問題も重要だが、町中のこういう問題も大切だ。
身近な親切が出来ない人が差別やなんだと騒いでみても、
ただのデモンストレーションであり、滑稽なだけである。

かく言う自分も、健常であったときにはそうであったかも知れないと思うと
反省することしきりである。
これからは、高齢化社会になる事だから、より一層気をつけなければならない。

高齢化社会の云々についても一言書きたいけど、また別の時に。
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