「適材適所の話」(1995/07/02執筆)
会社の中で、人をどこの部署に入れるのかということは
非常に重要な問題となる。

中途採用の場合、その人の持っている才能を買って採用するわけだから
大きな問題はないが、新人の場合はその選択が重大になる。
(中途採用でも、入社前の説明と入ってからの処遇が違ったりすることは
あるので、それはそれで困ったものではあるが。)

新人をどこに入れればよいか。
それはその新人の特性を見極めてから決定出来ればいいが、
その人がどんな人であるかは、その人が入社してきて、
実際にいろいろと聞いたり、行動させてみなければわかりにくい。
履歴書だけではわかりにくい。いや、わからない。

まあ、新人=学生の場合、多くの場合は会社の中での仕事は
どれを取ってもその人にとって「新しいこと」だから、
どこに入れても、多くの場合どのようにでもなる。
(大学などでの専攻分野にそのまま進むという人はごく小数であろう。)
もっとも、体の弱い人を重労働部門に入れるなどとかは
もっての他ではあるが。

でも、OJTレベルでその人の持っている才能の見抜き、
その人に一番良いような所に入れてやること、
一番やる気を出せるところに入れることは、
本人のためというよりは、むしろ会社のためになる。
やる気を持ってやれる仕事が一番その人を伸ばすし、
その頑張りは会社のためになるからだ。
だからこそ、その配置というものは重要であり、疎かに出来ない。

気に入らない仕事だと言っているから変えてやるというのではない。
たいていの仕事は最初は気に入らないだろう。
ここでは短期的視野ではなく、その人の将来の姿をも考えて決めてやる必要がある。
今会社ではこの仕事が忙しいからとりあえず入れておく、
などいう配置は愚の骨頂だ。

しかしまあ、新人というもの教育ほど疲れるものはない、というのは事実であろう。
たとえ、自分でやったら1時間で出来る仕事を2時間にしてでも新人に
やらせなければならない。
ある程度は新人を信用してやらせるのだ。
新人の方も、信用されているということを肝に命じて、
もちろん今までやっている人と同じには出来なくても、
自分の出来る範囲でせいいっぱいやるべきである。

こういうことを言いだしたらもうおじさんかも知れないが、
最近の学生ほど甘やかされているものはない。
いや、甘えているものはない。
私のころなら、仕事のやり方はある程度は教えてもらっても、
その先は自分で盗む=修得していったものだ。

それが最近の若いもんは、1から10まで懇切丁寧に教えてやらねばならん。
出来ないことは「教えてもらっていないから・・・」である。
レポート1つまともに書けず、「どうやって書くんですか?」等と聞いてくるに
至っては、「おんどりゃは、学校で何を習ってきたじゃ。遊びに行ってたんか?」
と言いたくなることもある。専攻分野云々とは言わないが、
せめてレポートの書き方ぐらい学んできて欲しいものである。

自分で学習して伸びていこうとせんものは、役に立たん。
今役に立っていても、将来にはきっと無用になる。
これは決して新しい物好きであれ、新しい知識を追い求めよというのではない。
今の知識の範囲でも工夫をして効率を上げるとか出来るわけだ。
工夫=頭を使うことを重んじるということだ。

新しい知識も重要だが、それは必ずしも良いことばかりではない。
場合によっては、新しいことを聞いたらすぐにそっちを向く風見鳥
になりかねんからだ。この風見鳥はポリシーがない只の愚かものだ。
こういうのが上司にいると部下は非常に困る。どこにやる気を持っていけば
いいかわからないからだ。

おっと話しがずれた。
何にしても、やる気の起こる環境というものは大事なのである。

        ・・・

ある部署が不要になった時、
そこにいた人をどっかへ回す時はこれとはちょっと違う。
この場合には、「その人には前の部署で培った技術がある」と言うことだ。
技術は経験と言っていい。
それは、時には人が新しい技術を修得することを拒むこともある。
新旧の技術が似通っている場合には、間違いの元にもなる。
だから厄介なのだ。

人を何の考えなしで転属させることは避けねばならない。
それを知らない人が見れば同じように見えても、
その中にいる人にとっては全く違うということもある。
そのため、転属の場合は、特に注意が必要なのだ。

例えばこういう事件が有った。
それまでずっと市内路線のバスだけを運行していた運転手に、
突然山道の多いところの路線を運転するよう命令が下った。
その運転手はある時、山道でブレーキのかけミスで大事故を起こし、
本人も死亡してしまった。

市内バスの場合、エンジンブレーキなどはいらないし、
山道のようなワインディングロードもない。
そのようなところで長く運転していた者にとって、
山道というものは、そこでの運転というものは未知の世界なのだ。
同じバス運転であっても。
慣れない山の運転でストレスも有ったらしい。
いろいろな原因が重なっての事故であった。

この事故の場合、うろ覚えであるが、会社にも一定の責任があると
判断されたはずである。
「間違った職場変更であった」と。
労災であると判断されたのである。

ローテーションの誤りが、時には非常に重大な損失を被ることもある。
個人にとっても会社にとっても。
だから、決して軽ろんじてはいけないし、
気楽な気持ちで行ってはいけない。

公務員は一定期間毎にローテーションが必ずある。
教師の場合、さずがに教える教科は変わらないが、学校は転々とする。
公務員というものは、何かと企業と癒着を持ってしまうものらしい。
これは癒着をなくすためとも言われる。
もっとも、公務員の仕事など、誰にでも出来るような仕事が多そうだし、
時間は「たっぷり」と取っているので、
いつ誰がどこに行ってもいいのだろう。
(公務員の仕事に関しては、言いたいことがあるので、また別の機会に。)

しかし、一般企業ではエキスパート化が必要だ。
配属された人は出来るだけ早く、その仕事のエキスパートにならなくてはいけない。
だから、不用意な転属はしてはいけない。
転属が許されるのは、「その人にその仕事が有っていない」場合と、
「その部署が不要になった時」のみである。

ほんと言うとだ、ある人がその部署にとって無用な時にも転属を願いたい時がある。
「不要」ではなく、「無用」である。
いてもいなくてもいいときはいてもいい。
しかし、いてもらっては困る時には遠ざけたい。

例えばだ。その部署が、ある上司がいることによって前に進めない(進歩出来ない)
場合があったとする。
その上司がいつまでも過去(それは多くの場合、その上司の実績)にこだわっている
ので新しいことが出来ないとか、逆に、何の方針もなく新しいものをほいほいと
入れるため方針が定まらない場合などだ。

こういう場合は、その上司を転属させた方がいい。
もしくは命令系統と絶つだけでもよい。
それだけでその部署が一気に活性化される例もある。
この場合、転属後には一切ちょっかいを出させないようにするための
施策も必要である。

        ・・・

適材適所にはもう1つ、勤務場所という要因もある。
どの地区で生活させるかということだ。

都会暮らしに慣れた人をいきなり田圃しかないど田舎に連れていった場合。
逆に、田舎に住んでいたものを都会のうるさい雑踏の中に住まわす場合など。

それが本人の希望であれば、それは本人の責任であるから、
どのようになろうと構わないと言えば構わない。
(もっとも、それで病気になるようであれば、強制的に送り返すべきだろうが。)
だが、会社の命令による場合には、それは会社が適材適所を誤った結果と言える。

単なる営業マンの場合には、その人にあった生活場所にしてやるということは
可能だろうが、工場がその地区にしかない場合など、どうしようもない場合もあろう。
でも、その場合でも十分な考慮が必要だ。

例えば、太陽の多い土地で育った者は、冬の雪国の天候に耐えられない。
これは決して寒いというだけの問題ではない。
言い訳の問題ではなく、体の問題にまで発展する。

冬の雪国では、雪の無い日でも空が曇天で日が射す時間が短い。
人間は太陽光線を浴びることでビタミンDを作るが、
このような少ない日光ではそれが出来ず、体がおかしくなったり、
ノイローゼになったりすることがある。
実は、ずっと雪国に住んでいる人は、少ない日光でもビタミンDが
作れるようになっているらしい。そもそも体の構造が違うのだ。
だから耐えられるのだが、そういう地方で育っていない人にはそれができないのだ。

例えば、外国に赴任しなければならない場合。
その国の味覚が日本のそれと大きく異なる場合、
ホームシックというものが起こる時がある。

ホームシックとは「寂しさ」から起こる心の問題だと思っている人も多い。
しかし、それだけではなく、食から来る「味の欠乏」から来る問題もある。
日本人なら、「イノシン酸」を含んだ食べ物を与えれば、
ホームシックが直るという結果もある。
かつおやわかめ、要は海産物類だ。
アメリカ人ならさしずめハンバーガーと言ったところか。
(とはいっても、日本の紙粘土バーガーではなく、ちゃんとしたアメリカンなやつ。)

田舎で良い食料を食べてきた者にとっては、都会のまずい食料では
気持ちが憂鬱になろう。食事が人間の情緒に与える影響は計り知れないものがある。
食事の他、音や回りに見える緑などもそうだ。
人は、表面上ではどう頑張ってみても、体は正直に慣れた環境を求めるものなのだ。
それを解決するつだけで、全てがうまくいったりするのだ。

でも。今まで自分の住んでいた愛着のある土地を、「短期間」なら離れてみるのも
いいものである。今まで自分が気づかなかったいろいろなことがわかるはずだ。
自分の住んでいた土地の便利さや、それと引き替えにしている何かとか。

        ・・・

仕事というと、何が何でも個人を押し殺して命令に従わなければならない、
それに文句をいうものは軟弱者だとかいう風潮がある。
しかし、適材適所が出来ていない会社であれば、そういった偉そうなことを
言う資格はない。
人の素質を見抜けない会社に人を従わせる「徳」などありはしないからだ。

だからといって、わがまま、自分の好きなようにやればよいと言うのではない。
そこはバランスであり、駆け引きなのだ。
ある程度は耐えることも必要だ。

適材適所というのは、このように書くよりも、実際には非常に難しい。
しかし、それは場合によっては会社そのものを揺さぶるような
大きな影響もあり、決して疎かには出来ない。

そのことを、人事担当者にはわかって欲しいものである。
(人事担当者と言っても「人事課」の人間だけではないぞ。
上司もまた一種の「人事担当者」だ。)
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