「21世紀の始めに」(2001/01/08号)
2001年、21世紀になってしまった。

小さい頃に思っていたほど進んでいない技術もあれば、
予想より進んだものもある。
技術的に見れば、なかなか面白い世の中になってきてはいる。
年明けからのテレビでは、あちこちで「ロボット」が特集されているが、
やはり、それが21世紀を象徴する技術と捉えられているからだろう。

ロボットは正常に進化しているが、かたや人間はどうか。
とても進化したとは言えない。
まったく、人心がここまで劣化するとは、予想だにしなかった。

        ・・・

年が明けたと言えば恒例の「今年の目標」であるが、
今年も基本的には「ない」。
「なるようになる」である。

しかし、今年ばかりはそれだけではやって行けなくなりそうなので、
別の目標を立てるようである。

去年の暮れにもちょこっと書いた通り、今年から
年収がかなり下がる可能性が高い。
そんなことで、今年の目標は現実的に

        「実質収入を増やす」

ということになる。

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年明け早々にお金の話をするのは何であるが、
現実問題なので仕方ない。

「実質収入を増やす」とはどういうことかと言えば、
        「得られるお金は得る」
        「不要な出費は避ける」
        「安く手に入れる」
        「別収入を得る」
ということで、入を増やすのと出しを減らす双方の努力から、
有効に使える「金銭」を増やすことである。
なお、ここでの「金銭」と言う言葉は物質的な貨幣だけでなく、
必要な物全てと考えて良い。

「得られるお金は得る」とは公的援助で、児童福祉手当などである。
幸いなことに、今年から年収上限が緩和されるようなので、
今年からまたもらえるようになる。こういうものは徹底的にもらわなくてはならない。

「不要な出費」は説明するまでもないが、物を買う時にはそれが本当に必要かどうかを
吟味し、必要な物だけを買うと言うことである。
恒常的に出ている出費も見直しが必要である。
電気・ガス・水道もそうだが、通信費が結構と高いのでこれも見直しする。
マイラインと言うサービスが始まるようなので、これを有効利用することになろう。
また、出費が致し方ないならその有効利用も考える。

「安く手に入れる」は、同じものでも安く手に入る場合があるので、
これを良く捜すと言うことである。
インターネットを使えば結構安い物が見つかる。
もっとも、中には不良在庫の放出などによる物もあるようなので
余りに安い物は注意が必要だが、モデル落ちなどは狙い目である。

「別収入を得る」はいろいろな意味を含む。
家で不要になっている物をオークション等で売るとか、
ホームページを立ててそこに広告を入れるとか、
または内職するか。
その気になればこれが一番儲かりそうだけど、社務を疎かには出来ないので
ほどほどにである。
あっいや、副業は就業規則違反かも。
しかし、年収減らしておいて副業禁止だけ残ると言うのもいかんよなぁ。

しかし、いくら全体的に押さえると言っても、必要な出費は押さえてはならない。
その代表格が食費である。
食費をけちって不健康になったら、後で大きなしっぺがえしが来る。
このあたりはよく考える必要がある。

        ・・・

2001年の目標は良いとして、21世紀の目標も考えてはいる。
その鍵は日本がどうなるかである。

相変わらず21世紀も始まりは自民中心で、
省庁再編かなんか知らないけど何かあんまり変わりそうにない。
国政からの変化はほとんど期待出来ない。

特に日本は超借金国家だから、将来が危ない。
自分の子孫に借金を背負わせてまで守るような社会か、今の世の中。
今の議員共は自分達の老後だけ良いようにしか考えてない。
経済界の御偉い方も極めて短期でしか展望していない。
10年以上後の「日本」を見据えている者はいない。

今の17才位が非常に崩れているが、これはバブルの時期に育てられた世代だ。
世の中が腐っていたら、子供の心も腐る象徴だと捉えて良い。
こいつらが世の中に出てくる後5〜10年後、日本は経済面でも
崩壊するに違いない。
こんな世代をまた作り出して、これからも作り続けて良いのか。

すると、日本の寿命も後わずかと言うことになりかねない。
生まれ育った国を投げ出して逃亡はしたくはないが、
止むを得ないかも知れない。
真剣に日本脱出を計らねばならなくなるかも知れない。

        ・・・

全く正月早々こんな暗い話書きたくない。
書かなくて良いような世の中にしたい。

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ってなわけで、21世紀である。
「世紀を越える」と言っても、しょせん年が変わるだけなのだが、
なんとなく変わる気がするのが不思議である。
世紀を越えて生きられると言うのも意味があるような気がする。

私たちの子供の頃の夢は21世紀であった。
それはまだ遠いようで、でも自分が生きている間に到達出来そうな未来であった。
21世紀になれば何か変わるような気がしていた。

今の子供達にはそういうものがあるのだろうか。
まあ、医療の飛躍的進歩により平均寿命が100才を越える可能性もあるが、
数字上の夢がない時、人は何に夢を求めるのか。
いや、大人は、子供達に何に夢を託すように教えていけるのか。
それが我々の世代に課せられた課題である。

少なくとも、私は来世紀の日の出は拝められそうにないが、
せめて、次世代のための夢を作り出す、
それが最大の仕事である。
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