「ペーパーレス!?」(1996/03/12〜1996/03/13号)
世の中、コンピューターを使ってペーパーレス化が出来ると思っている
やからがおるようだけど、こういうのはまったくの空想家だね。
今のコンピューターでは絶対にそれは出来ない。

確かにLANがつながったことで、回覧文章などは減ったかも知れない。
でも、最近の情報は非常に長大なものが多く、そういうものをあのディスプレイ上で
長く見続けるのは困難だ。
テレビを長く見ていると例の光線の影響で疲れるし、
また、真前の物を見続けるという動作は、実は首に非常に大きな負担をしいる。
首は手前少し下を見るくらいが一番楽なのだ。

結局、落ちついて見るには紙に打ち出すこととなる。
コンピューターの導入で紙の使用量が減った会社など「ない」と言いきれる。

ではどうすれば紙を使わなくていいようになるか。
答は実は簡単だ。「紙」を創ればいいのだ。

紙とはなにかとよく考えてみると、コンピューター的に言えば
次のようにまとめられる。
        非常に薄い
        解像度が非常に高い
        勿論カラーにも使える
        どこにでもおける
である。これらを表示装置として実現できれば、ペーパーレスは出来る。

        ・・・

ペーパーレス化を進めるには、要は紙に代わるデバイスをつくれば良い。

現存するデバイスの中では液晶が一番いいが、いかせんまだ厚みはある。
もっと薄く、もっと軽くなる必要がある。
そのためには画期的な技術核心が必要かも知れない。
ノートパソコンにおける液晶の使い方は、残念ながらディスプレイの延長であり、
紙とは違う。そういう意味ではザウルス(SHARP)の方が紙に近い。

世の中にはザウルスを小型コンピューターとしてしかとられられない人がいる。
いや、世の中の情報端末をすべてコンピューターで置き換えようとしたがる人間がいる。
こういう人間は、やれザウルスは画面が小さいだとか、Excelが走らないだとか
言う。
(私に言わせれば、こういう奴らはコンピューターかぶれのまさに悪性「オタク」
であって、またこういう奴らが雑誌上で偉そうなことを書いているのだから
まったく始末が悪い。もう1つ、こういう奴らの言うことを間に受けて話す
バカが多いのも困ったもんである。)

ところが、こういう考えは実に「使い勝手」というものを無視しており、
「目的」が違うということがわからず、
実はそれが非常に重要で大切だということを認識していない。
ザウルスは使いがってにおいてむしろ「紙」に近い。

もし本当に速度や情報量だけで物を語るなら、いますでに本やノートは
なくなっているはずである。ところがそうではない、それはなぜか。
そこんところをよく考えるべきである。

ノートの見やすさ、扱い安さ、携帯性、情報の自由度の高さ。
そういうものが実現されたとき、ペーパーレスは実現できよう。
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