「音の話」(2004/05/24号)
文章を書くのには静かな環境が良いように思うかも知れない。
少なくとも、電話がじゃんじゃん鳴ったり、他人の話し声が聞こえる環境は
よろしくない。

しかし、静かで自分の好きな音楽が流れている環境が最良かと言えば、
実は必ずしもそうではない。
非常にうるさい環境の方がむしろ文章が書けることを発見した。

私は仕事柄、振動試験というものに立ち会うことがある。
製品に振動を与えてその影響を見るものである。
この試験に使う機械は、かなりうるさい。
振動を起こすエネルギー源(?)が圧搾空気であり、
この空気ポンプが非常にうるさいのである。
(一方で、製品を載せる台=振動する台そのものはあまりうるさくない。)

そのうるささは、人の声が聞こえないのはもちろん、
キーを打つ音もほとんど聞こえない。

普通ならこういう環境が文章書きに適しているとは思えないが、
ところがどっこい、この試験の待ち時間の間に
たくさんのネタが書き上がっている。
なぜか。

1つは私の性格(というか頭脳構造?)に由来するが、
時間的制約のある中で文章を考えると意外に良い文が出てくると言うこと。
だらだらと時間があるより、強くない時間的制約がある方が
緊張して良いようだ。
振動試験は1回20分。その制約中に書き上げようと思うと、
それがかえってバネとなるのだ。

もう1つはこのうるささが余分な音を消してくれることにある。
振動試験の音は大音量ではあるが一定であり、
ある程度そこにいると慣れてむしろ気にならなくなる。
静かな環境というものは、逆に小さな音が過剰に気になる。
時計の音とかキーの音とか。それが集中力をそぐ原因になるのだが、
うるさいとそれらが聞こえないのでかえって集中出来るのだ。
また、このうるささが頭の変な思考を抑える効果もあるようだ。

まあずっとこんなうるさいところで書き続けることはさすがに出来ないが、
短期的なら大丈夫なわけである。
どうしても集中出来ない人にはショック療法的におすすめ、である。

        ・・・

音について書き始めたので、もう少し続けて「嫌いな音」について書いてみよう。

ある日、残業で疲れて帰る電車の中で、とても耳障りな音がしてきた。
隣のおっさんがずっと折りたたみ式携帯電話を開閉しているのだ。
かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。うるさいったらありゃしない。
ライターのふたをかちゃちゃかちゃやっている野郎もたまにいるが、
やってる本人は当然気が付いてないんだろうが、
非常に幼稚な行為である。

考えてみれば、現代は騒音社会である。
そこかしこに騒音があふれかえっている。
一方で、風の音、虫の声は聞こえなくなってしまっている。

騒音と言えば
(1)バイク・車の音
(2)折りたたみ携帯電話の開閉音
(3)携帯電話のキークリック音
(4)ヘッドフォンステレオの漏れ音
等が筆頭にあげられようか。

一方で、意外に列車の走行音が気にならない=寝られるという事実もある。
波の音も大きくても心地よい。
そう考えてみると、音の快・不快は音量だけでは決まらないことが解る。
それは、音域と繰り返し性が関係している。

上記騒音を分類すれば、
(1)(2)は音域と繰り返し性、(2)(4)は音域、(3)は繰り返し性
による騒音となる。

ヘッドフォンステレオの漏れ音は、実際の所それほどの音量ではないが
耳障りである。これは漏れる音の周波数分布が耳にとって心地よくないから
に他ならない。

また、先の携帯電話やライターの開閉音や携帯電話のキークリック音が不快なのは、
同じ音が繰り返されるからでもある。
同じ音の繰り返しは人に多大なストレスを与えるようである。
ガムをかむ音や老人が口をくちゃくちゃ言わせる音も同様である。

人が聞くことが出来る音の範囲は20〜20000ヘルツというが、
その中のどこか狭い範囲の音だけを聞かされると不快に思う。
なぜサイレンの音が一定音なのかを考えればいい。
あれは大音量だけではなく、一定音で不快になることを利用しているのである。
不快さが人の注意を引く。
逆に、風や川/波の音は非常に広い音域で不均一である。
これが安らぎをもたらす。

さらに、ゆらぎも心地よさに関係する。
一般に1/f(fは周波数)が心地よいとされる。
人間が演奏すると自然にテンポにそのゆらぎが生じるらしい。
コンピューターで演奏させた音楽に今一つ情緒というか心地よさが
足りないと思うのは、そのせいかもしれない。
風もそのゆらぎをもって与えると良いらしい(扇風機にあったでしょ?)

自分が気にならないからと言って、不快な音を出し続けるのは
許されることではない。上記の騒音条件に当てはまる音は、
音量にかかわらずすべからく騒音なのだと知っておくべきである。

        ・・・

そういえば、昔歯をならす奴も居たなぁ。
(「昔」と書いたが、実は6/23のオタ会当日、参加者の方が
遭遇したそうである。未だあの界隈にいたのか。そそくさと逃げるように
行ってしまったらしいが、未だに迷演奏をしているのであろうか。)
今にして思えばあれは一応音楽を奏でているらしかったが、
それ以前にあれは汚らしく本当に嫌であった。
歯をたたくだけじゃない。靴の裏を触った後歯をたたき、
さらにその指でキーボードをたたくのだから。
おいおい、そのキーボード、もう他人が触れないじゃないか!

そうそう、携帯電話で思い出した。
ある日、電車の中で向かい側の席に座っていた6人中5人までもが
座るなり携帯電話を触り始めた。若い奴から中年のおっさんまで。
何か非常に不気味な光景。
携帯電話依存症もここにきわまれり。
全ての人が同じ行動をしているというのは、
冷静になって端から見ると、非常に不気味な光景である。
くれぐれも気を付けられたし。
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