「無才能」(2002/01/21号)
別に今に始まったことではないけど、自分の才能なさに嫌になることがある。

取り立てて何かの教科が良く出来るわけでもない。
芸術的センスもなく、音楽的才能は作曲・発生共になく、
ステレオにはだいぶ注ぎ込んでいるけど、耳が良いわけじゃないので
お金を溝に捨てるようなことをだいぶしている。

鼻も効かないし、味覚も中途半端なので料理も旨くない。
プログラムがうまいかといえば、古い機種で今となってはほとんど組む必要ないものを
作らせたらうまいが、最新の機種の物は駄目。
他国語が喋れるわけでなく、
性格が良いわけじゃないし、集中力もない。
運動ははなから駄目。容姿は言うに及ばず。

最後の砦と言えるのは作文であろうが、これとて量こそ書けるが
語彙が少なく稚拙で面白くないと来ている。

何か1つでも人に秀でる物を1つは持ちたい。
常々そう思う。

努力していないということもあろうが、集中力が続かないのが一番の問題だと思う。
前にも書いたことがあると思うが、集中出来ないというのは
単に性格の問題ではなく、脳の病の問題である。
病と言うより構造の問題か。

ADHLというものがある(ADSLではない)。
脳の構造状の問題らしい。
このために集中出来なかったり、言うことをきかなかったり、
突飛な行動をしたり、人と同じ考えを持てなかったりするらしい。

だから社会からつまはじきされるかというと、
実はそうではなくむしろ逆で、こういう人間が世の中の大きな動きを作る。
坂本竜馬も、J・F・ケネディーもそうであったといわれる。

ただし、こういう人がその才能を伸ばすには、良き理解者が必要である。
それに恵まれなければ犯罪に走るか、一生思い悩むだけで終わってしまう。
私は後者であろう(犯罪には走らないけど)。

普通でありたい。
その思いは強いが、普通であることは出来ない。
だからこそ、何かに救いを求めたい。

はたして何か出来ることがあるのだろうか。
それとも・・・
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