「無駄居」(1996年09月17日号)
先日(日曜日午後10時から10ch)の「知ってるつもり」の「大塩平八郎」
は良かった。何が良いと言って、やはりその「志」であろう。

世の中、理想どうりには行かないし、必ずしも正しい方向だけに進むとは限らない。
いけないことだが、ある程度しかたないと言わざるえない。
が、せめて志しだけでも高く持ちたいものである。

当時も今も公官庁の役人どもが私腹を肥やしているのは同じであるが、
目を内に転じて(某)社内を見てみると、やはり同じようなことが行われている。

社内の場合、私腹とまでは行かなくても、自分の保身のために造作をするやからが
多い。

大昔の功績に図に乗り、その後の精進をせず、発展を妨げる。
何も新しいことをしないから、発展もしないが失敗もない。
日々の細かい仕事だけして保身するわけだ。
・・・が、こういう後進的な奴らは、今回の組織変更で軒並み排除される。
それはそれで喜ばしい。

上に媚びるために、現場を無視して変な企画をしてまどわす。
部下の忠告を無視して強引に押し進める。
今多いのがこのタイプだ。

物事を進めようとするのはいいことだが、そのやり方が行けない。
まして、その方面に強い部下が、きっちりしたスケジュールをたて、
問題点を指摘しているのに、それをまったく無視するのだから問題だ。
失敗した場合はどうするつもりなのか。やはり部下のせいにするのか。

上司に仕事の細かい点まで知ってもらおうとは思わない。
現場の技術について、その全てを把握するのは無理であろう。
そして、上司の仕事というものはそれではない。
全体の方向付け、仕事のプランニング、全体の流れの把握、分担、問題の把握と
その解決などを行うのが仕事だ。

そういう本来するべきことをやらず、新技術の追求だけ、無責任かついい加減な
スケジューリングばっかり、方向も日によって変わる、プランは穴だらけでは
やがて部下の信頼を失う。

いや、もうすでに失っている奴らが多い。
まったくもって、どうにもならん。

・・・などとぐちってみても、弘法も豚に念仏である。無駄すぎるのである。
そして、人生において、こういう所に居ること自体が「無駄」なのかもしれない、
と思うのである。

「理想は外に求めるのではなく、内に求めるものだ」というのはどなたかの言葉であり
至言ではあるが、今、内なる理想を実現するすべを持たぬ身としては、
なかなか苦しいものである。

現代の「洗心洞」を作る必要があるのかも知れない。
クーデーターを起こす気はないけど。
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