「狂い出す人間」(1996年06月17日〜06月26日号)
人間には脳波がある。
脳波だけでなく、体の中を流れる血液の脈動も一種の波である。
人間はこの「波」に「乗って」行動している。
それは人によって微妙に違い、同じ人でも場合によって変化する。
しかし、長い目で見たとき、健康であればそれはほぼ一定である。

一方、コンピューターも「波」に従って動く。
それは「クロック」と呼ばれる基準の波で、こちらはどんなときでも変化しない。
コンピューターがたくさん計算していようとそうでなかろうと、
いつも一緒である。
コンピューターの他に時計もクロック(時計という意味ではない)によって動く。
また、クロックではないが、ラジオやテレビにおいても基準信号というものがあって、
それ無しには動作しない。

一見、内部的な共通点が無さそうな人間とコンピューターや時計、ラジオに
このような共通点があることは興味深い。
そしてどの場合も、それが狂ってしまうと全体の動きがおかしくなってしまう
という点まで似ているのだ。

        ・・・

人間の持つ「波」と機械の発する「波」とは、ほとんどの場合において
全く違うものである。
簡単に言えば波の形や速さが違うのだ。

人間の波はほとんど外には出ないが、機械のそれは外に漏れ出てしまう。
特にコンピューターのそれは大きい。
(最近は電磁波の漏れを大きく規制しているがそれでも出てくる。)
人間の持つ基本的な波にこのコンピューターなどの発する波が干渉する。
そうすると人間の波が乱れる。

以前、高周波が人間の健康に悪いという話をしたことがある。
テレビモニターから発せられる電磁波は、最近のコンピューターのモニターでは
レントゲンに近いほど強いと言われる。
レントゲンが体に悪いのは周知の事実だ。
携帯電話などの出す電波も高周波で強く、それは電子レンジと同じ原理で
人間の脳味噌を温めてしまう。

夏場の熱射病を思い出してほしい。
あれは脱水症状などを伴うが、頭脳が異常に温められると異常になってしまう。
そこまで行かなくても、暑いときには頭の回転が正常でなくなること
=ぼ〜としてしまうことはよくあることだ。
脳は頭蓋骨の中で厳重に守れている分放熱が効かない。
従って、いったん暖まるとその影響は大きい。

・・・

外部からの波の干渉。
頭脳の異常発熱。
それが何をもたらすか。
人を「狂わす」のである。

        ・・・

体調不良。体調が狂うのである。
コンピューターの前にいる人で健康だ!という人を見たことがない。
必ずどこかしらに不調を抱えている。
一番多いのは直接的なもので肩こりと眼精疲労だが、
内蔵系の疾患を持つ人も多い。
強い電磁波を扱う人の子供に女の子が多いというのは
遺伝子レベルで「狂っている」証拠である。

体調不良はまだ回避可能と思われる。
1日にあまり長く続けないとか、休日は日の光の元で遊ぶとか、
十分な睡眠と良い物を食べるとか。
それだけでも体調は保てる。
しかし、次の「狂い」はもっと難しい。

        ・・・

思考異常。思考が狂う。

コンピューターを使っている人間に、実は思考がおかしい人が多い。
そもそもおかしい人間の方がコンピューターを好みやすいのか。
そもそもそうだったのか、それともさわり始めてからそうなったのか。
いずれにしても、長い間コンピューターを見ている内に、思考がおかしい人、
思考が破綻している人が多いのに気が付いた。

そもそも、コンピューターという世界は異常な世界ではある。
(ここでいう「世界」というのは、ビジネスではなく、プログラム中の世界。)
そこには権力もなければ"うそ"も"こび"も虚勢も何もない。
さらに逆らうこともない。
全ての動きは自分のプログラムしたとおり、動かしたとおりである。
動きがおかしくてもそれは誰のせいでもなく、それを作った・使った人間の
せいなのである。(人の作ったプログラムのせいというのはあるけれど。)

そこは一種の理想世界だ。現実世界のように思うとおりに行かなかったり、
他人の圧力によって変わったりすることはない。もしコンピューターが
「そんなことやってられねえぜ」とか言って動かなかったら大変だ。

そういう世界に慣れてしまうと、現実が非常に疎ましくなることがある。
いちいち書かないが、コンピューターと中とは正反対の世界とも言えるから。
その中にどっぷりはまってしまうと、それが普通と思う思考になり、
現実世界に生きる人間から見ると、それは「狂っている」となる。

        ・・・

余談。
そういう風に言う人もいるが、実際には一般世界の方がおかしいと思う。
おかしい世界に浸かっているから、それが異常と感じないだけだ。
「うそ」「こび」「圧力」「中傷・誹謗」、そんなのがあふれている世界が
正常であるはずがない。

特にうちの会社にはそういう奴等が多いと思う。
「うちの会社は異常だ」。それが認識できていない。
さらに、自分たちと違う人間を平気で「おかしい」とか「オタク」とかいうのだ。
自分がどれほどおかしいのかには全く気づきもしないで。

        ・・・

そのような環境的異常もある。
しかし、それだけではないと思う。
波や熱の影響によって狂わされているのだ。
だから、いくら本人がそう思ってなくても、端から見るとおかしく見えることが
あるのだ。

頭脳の狂いは単に思考の異常だけでなく、体の動作不良にもつながる。
体が思うとおりに動かない。感が効かないなど、
いつも、以前と違うという感じがある。

これはコンピューターだけではない。
携帯電話を持っている人間も同じに思える。
いや、体により近い位置に長時間あるという意味では
PCよりずっと危ない。

        ・・・

実は狂っているということは、人にとって必ずしも「苦痛」ではない。
世の中を見渡してみるといい、人間は「狂わす」ことで快楽を求めている
部分が多い。

        ・・・

お酒は神経を狂わす。
それでストレスが解消されるのだから、それはそれで良い。

ジェットコースターは年々激しくなる。
あれは重力に対する人間の感覚を麻痺=狂わせて喜んでいるものだ。
スピード感も狂わせているだろうか。

危ないものや一時的な快楽の後に大きな苦痛を伴う物もある。
車のスピード狂はスピード感覚を狂わせて喜んでるやつらだ。
喫煙も脳細胞を麻痺させて喜んでいるだけに過ぎない。
(あれは臭覚・味覚も狂わせるし、なんといっても他人に対する遠慮という
感覚も狂わせるので悪性である。)
麻薬は一時的な狂いが永久的な物になる可能性を持った非常に危険な物だ。
(麻薬というのはそもそもは医薬品であり、苦しむ患者の痛みを
感覚の麻痺=神経細胞の破壊によってやわらげるものである。)

しかし、一時的な狂い、容易に戻すことの出来る狂いであればまだよいが、
それが常習化すると人はその異常を異常と感じなくなり、
結局本当に「狂って」しまう。

        ・・・

人間と大きく違う「波」を持つ物と接するときには
注意しないと、その干渉によって狂ってしまうことがあるのだ。
(人間同士でもそういうことがある。全く違う波を持つ人間と接するときには
気を付けないと、干渉されて、自らが変わることがある。
宗教には一種そういう所がある。「変になる」かどうかはわからないが。)

しかし、今の世の中、それらを使わずに済ますことは難しいし、
ましてラジオやテレビの電波は1日中飛び交っている。
そのような中で、「狂い」から逃れるには、
いや、狂った自分を直すには、出来るだけ人間にあった波の中で
過ごすのが良い。

        ・・・

自然の中で暮らすこと。
もちろん、その間は出来るだけ時計にたよらず、テレビなども見ない。
(時計というものは、一番身近にある、人間の波を狂わせる物だと思う。)
自然の波を感じ、それに身を完全にゆだねる。
そうすることで、人本来の波を復活させることができる。

それは単に体調や思考を正常にするだけでなく、「感」も直してくれる。
人には元々動物的直感と言われる「感」がある。
波が正常な人はそれを感じることが出来る。

「運がいい」と言われる人がいる。
彼らは別に特別なのではない。普通の人にも本来は備わっている「感」を
感じることが出来るだけだ。狂わされていない「正常」な状態にあるだけなのだ。
正常であれば、だれでも「感」が使える。

        ・・・

この世は全て「波」に支配されている。
太陽の活動に脈動があり、地球の公転スピードさえ一定ではなく、
潮の満ち引きは月からの影響による波である。
人間はその地球の波と自らの内部の波によって行動する。

本来、人に対して奉仕すべき文明の利器が、人の波を狂わせ、
ひいては人間そのものを狂わせてしまう。
それはとても恐ろしいことだ。
そして、それは人間そのものを狂わすだけでなく、狂った人間によって
地球がおかしくされているのである。
環境破壊。それは、狂った人間の仕業としか思えない。

人が、本来の「波」を取り戻し、それを感じるとき、
地球、自然も含めた明るい未来があると思うのである。

        ・・・終わり・・・

こんなこと書いてたら、何のことはない、自分も体調崩してしまった。
ほんま、人間無理はいけまへん。

        ・・・

このあいだの「狂っている」ネタの続き。

考えてみれば、自分を狂わせて喜んでいるのは人間くらいであろう。
身の危険を犯してまで感覚を狂わせようとするとは。
あっ、アフリカかどっかの猿に丘の上から横転でころげ降りてくる
奴がいたっけ。知能指数が上がるほどそういう欲望が増えるのか。

人間アホになりきれれば苦労はない、と思うことがあるけど、
実際、頭が回りすぎていろいろなことが気になる人ほど心労を抱えやすく、
いったん切れるととことん、という場合が多いようだ。
世の犯罪を見てもよくあるが、「あのまじめな人が・・・」ということがある。

知能が高い故に「狂い」を求めるというのは、その身を守るためには
必要なのかもしれない。とはいえ、その「狂い」が他人を巻き込んだ
ものであってはいけない。個人で「狂」っている分には、たとえそれが多少変でも
いいのではないか。

本来人を守るべき社会が、人に過剰なプレッシャーを与えて破壊しようとする。
そもそも社会が「狂っている」だけなのかもしれない。
その中で「狂い」を求めている人間、その「狂い」とは、本来の人間の
あるべき姿なのかもしれない。
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