「携帯電話考」(2002/03/15号)
携帯電話の販売台数が初めて前年比で減ったらしい。
買い換えたところで早々違うことが出来るわけでもなし、
そもそも多くの人がゲームや多重和音も含めそんな最新の機能が必要なわけでなし、
その上持ちたい人は大凡持ってしまったということで
もうそろそろ頭打ちということか。
まあ、当然の結果とはいえる。

私が携帯電話が嫌いだと言うことは何度も書いたが、
その一因は「携帯電話を持っている人間のマナーの悪さ」がある。

電車内でも、「会話やメイル交換は控えて」と言っているアナウンスの
流れている最中にやっている連中が多い。
特にメイル。声が出なければ良いと思っているのだろうか。
私にはあのキーを押す時のクリック音がたまらなく不快でいやだ。

全ての人が悪いわけではないし、自分が気を付ければいいだけのことではあるが、
どうもああいうのを見ていると持つ気になれない。
便利そうだ、と思うことも多いが。

それにしても、何であんなに話をしたがるのかねぇ。
いつでもどこでも。
まるで何かにとり憑かれているようでもある。
かつてパソコンの父と呼ばれるアラン・ケイが携帯電話のない時代に
「人は他人と通信したがっている」「通信中毒・・・」
ということを言ったそうだが、まさにしかりである。
最近の若い連中は特に、1人でいる(ついでに書けば
他人から嫌われたり無視される)ことを異常なほど嫌がるようなので、
その裏返し、常に誰かといっしょにいたいということなんだろうけど、
実に未成熟で幼稚な心情である。

さて、携帯電話を車の運転中に掛ける・受けるのも非常に危ないことである。
にもかかわらずそういう連中も非常に多く見かける。
一番危ないのが交差点でカーブを切りながら電話を掛けている馬鹿だ。
要するに片手でハンドルを回しているわけで、
そうでなくても注意が必要な交差点で、携帯電話で注意力散漫になっている上に
片手運転で危ないことこの上ない。
きっと事故も多いのではなかろうか。

こういう話をすると、「携帯電話はカーステレオと変わりないので
危ないと言うのはおかしい」などと言う奴がいる。
こういう連中は、一言でいえばその2つの形態の違いを全く理解出来ていない
馬鹿なのだが、念のためにどう違うかを書いておこう。

この2つの大きな違いは、能動動作のみか受動動作があるかにある。
もしくは思考を伴うかどうかということもある。

カーステレオは音を聞く。
時々ディスクやカセットを交換する手間が発生する。
馬鹿ども曰く、この「音を聞く」、「時々操作する」というのが
携帯電話と同じということらしいが、一体何が同じやら。

カーステレオの音は、いわば聞き流しだ。
気持ちを落ち着かせる、もしくは発奮させはするが、
それで思考することは余りない。

操作が必要出るが、そのタイミングは予測可能だ。
不意にやってくることはない。しかもほっておいても問題はない。
後でゆっくり交換しても良い。交差点など危ない場所でなら、交換途中で止めてもいいのだ。
能動的動作だからこれが可能である。
動作の全てが自分の意志で調整可能であるから、
危険回避も可能なのである。

しかして携帯電話はどうかと言うと、一体いつかかってくるか解らない。
また、「今受けられませんモード」にしてない場合は
直ぐに受ける必要が出てくる。
携帯電話がいつも同じ場所に置いてあれば見なくても操作可能であろうが、
ぱっと席に置いた場合などには場所が変わっているので探す必要もある。

また、ハンズフリーシステムを使わない限り片手を必ず使う。
片手による危険運転もすることになる。

しかも話を始めれば思考を伴う。
相手の出方に依って会話を変えるのだから、単に音を聞くと言うのとは意味が全く違う。
(使われる脳の部分も違う。)
これでさらに運転に対する集中力が散漫になる。

受動的動作を伴うから動作の全てが自分の意志で調整不可能である。
これでは緊急時に対応出来ない。
これを危険といわずしてなんというか。
携帯電話はカーステレオとは、全く違うのだ。

他人に携帯電話と持つなと言う気はない。
有効に使えば非常に便利だということも理解している。
しかし、それは両刃の刃であって、使い方というかマナーを間違えれば
破滅をもたらす物にもなりかねない。
そのことを十分理解しておくべきである。
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