「価格の話」(2002/11/25〜12/23号)
価格である。
値段である。

日頃何気なく使っている言葉であるが、
その定義をするとなると、実は意外にも難しい。
ことさら最近は「デフレ」で「それがいけない」と言われているが、
単純に考えれば、物価が下がって何がいけないのかと思う。

価格とは、単にそれが何枚のお金で買える交換指標ではない。
物の価値をお金という単位で表した時の数字である。

では今度はその価値を何で計るかが問題になる。
もしくは、どういうものの積み重ねが価値になるのかである。

    ・・・

ところで値段ってどうやって付けるのだろうか。

ある物に価格が付いている時、多くの普通の物の場合、
    材料費、開発費(人件費も含む)、流通コスト、利益
を合わせたものがそれとなる。
多くの場合、材料費というものは驚くほどに安い場合が多いので、
それ以外が多いといえる。

アフターサポートが必要な場合はメンテナンス代も入るであろう。
定期的に補充が必要な物品の場合、本体代はぎりぎりまで押さえ、
その補充品の方でもうけている場合もある。
たとえば、プリンター(インクでもうける)やゲーム機(ゲームソフト
開発メーカーからライセンス料をもらう)などがその代表例である。

世の中にはプレミア物という物が存在し、その価格にはそのものに
「存在すること(持つこと)の意義」を価値判断してものが付け加わる。
ブランド品も多くはそうではないかと疑っているし、
市場で余り手に入らない物=骨董品は全てこの類である。
便利さによる価値、美術的価値などももここに入れて良いだろう。
職人が作った製品が高いという場合は、人件費が高い+プレミアであろう。

また、人の労働にかかわる価格と言うものもある。
直接的には何も作り出さないが、作り出すことの手伝いをしたり、
形に見えない結果を出すものである。

歌や芝居の芸能関係なんてまさにこれだし、
宣伝、報道、スポーツもそうであろう。
悪い言い方をすれば、それらは他の物を消費するだけの産業であるが、
それを見聞きした人に良くも悪くも「印象」を残すことに価値がある。
この場合は、悪い言い方をすれば、完全に言い値である。

全く形態の違うようなこの2者であるが、価値と言う意味ではこの2つには
共通点がある。それは「そこに人が価値を見いださなければ価格が付けられない」
ということである。

どれだけ頑張っても、価値を認められなければ「価格」は成立しない。
だから、「価格」は「価値」に対する評価の指標と言えるのである。

    ・・・

昨今は価格破壊が叫ばれる。

日本のメーカーは今価格を下げることに血眼である。
しかし、これは正しいことだろうか。

それを考えるには「価格」の根本に付いてもう一度考え直す、
いや思い出す必要がある。

同じ品質の物を作る場合で、材料の価格もそれに適正な(この定義も難しいが
とりあえずほっておく)が付けられていて、
プレミヤ的要素もなく。さらに開発費はすでに消却されていてかからないとした場合、
その物の価格が何に依って左右されるかというと、それは人件費だけになる。
本当は先の3条件も全て人に依ってだけ変動するので、全ては人件費に依っている
といってもいい。

ところでこの人件費はどうやって決められるのであろうか。
先に人の労働による価格は「言い値」だとしたが、
実際にはその人が属する社会に依ってある一定以上であることを
規定される場合が多い。

それは、法定であることが多いが、その法の定めは人がその国で一定期間
生活するのに必要な費用からなっている。
従って、国によって異なるのは当たり前と言える。
ということは、全く同じ材料から同じ物を作ったとしても、その価格は
国によって異なるのは当たり前と言える。

人件費が高い国は給料も高い。
だから高い物も買える。
物の絶対的な価格は高くても良い。
逆に、人件費が安い国では安くなる。
自国生産&消費で考えるなら、
これが正しいものの考え方だ。

ところが今の世の中は生産と消費の場所が離れている。
だから、人件費の安い国に生産を押し付け、高い国で売るということが起こっている。

それ事態を悪く言う積もりはない。
しかし次のことを覚悟しておく必要はある。

物の価格を、それの裏に隠れている人件費を無視して
表示されるそれの高い安いだけで判断するなら、
即ち、価格の絶対額だけで考えてしまうと、そのしわ寄せは
自らの人件費に来ると言うことである。

日本は人件費が高い。だから出来た製品も高くなる。
中国などは人件費が安い。だから出来た製品も安くなる。
(ただしこれは会社の製品に添加する人件費が給与に比例している場合。
中には利益を社員に還元しない会社もあるので、
こういう場合は成り立たないが。)

買う側の心理から言えば、
本当に2つが同じ性能を持つなら、安い方を買うのは当然とは言える。
ところが、安い物からは安い利益しか得られないので、
当然そこの会社の人の給与も下げざるを得ない。

安い材料を使って原価を下げれば、一時的に利益は増えるが
そんなことは長続きしない。

自分の給与水準を守るには、それ相応の値段の物を買う必要があると言うことなのだ。
自分は相手の物を安く買いたたくが、自分の作った物は高く買って欲しい
等というのは間違いだ。人は、社会とは持ちつ持たれつなのだから。

安く買うと言うことは、自分も安く買われることなのだと
知るべきである。

競合メーカーがある場合はなかなか価格を上げにくいのが今の実情だ。
競合がなくても、後継機種を出す時に前より価格を上げにくい。
このような状況では、勢い体力勝負となる。
そんなことは長くは続かないし、仮に買ったとしても相手を殺すことになるから、
結局購買者を減らすこととなり、そのツケは自分に跳ね返ってくる。
体力勝負は、結局勝っても負けても悲惨になるだけなのである。
みんなが幸せになる(利益を得る)道を捜さなくてはならない。

    ・・・

海外製品が安いといった場合、1つ見逃しがちなことがある。
それは品質の問題である。

多くの場合、やはり「安かろう悪かろう」である。
PC系でも産業機器や部品でも、台湾などの物は確かに安い。
でも品質や対応もその程度だ。
いや、当たりはずれが大きいと言うべきか。
当たればそれなりの性能を出すが、はずれも多い。

よく海外製品の日本の価格が高いと言う人がいるが、
それは半分正解、半分間違いである。
確かに輸入にかこ付けて、中間マージンで暴利を貪っている会社はある。
こういうところは潰れれば良い。
が、日本の輸入業者がチェックして、そのはずれを突き返している場合も
ある。この場合当然チェック費用が上乗せされる。
日本でのメンテナンスをその会社が行うなら、そこにその分の
価格も上乗せする。説明書の日本語訳などもそうだ。
日本の規格にあわせるための変更(たとえば電源コードなど)を
やっているなら、当然それも入ってくる。
関税もかかる場合は、当然その分も考慮しなくてはならない。
だから、輸入品が高くなるのは当たり前なのである。
個人輸入が安くなるのは、その当たりのメーカーが負っているリスクを
すべて個人で負うからである。

    ・・・

ここで少し余談であるが、いわゆる「安物」について考察してみよう。

同じ原材料を使っても、製品の安い高いは出来る。
製造国に違いからではない。多くの場合、それは検査行程を省くかどうか
に依って生まれる。
たとえば、パソコンのCPUのPentiumとCeleron。
同じインテルのCPUでありながら前者が高く後者が安い。
多くの場合、その差は性能と思われがちだが、実はそれだけではない。
Pentiumの機能は実に複雑で多い。だから歩留まり(良品が上がる率)
もそれだけ低くなる。それをすべて捨てていたらもったいない。
そこで、使わない機能分のチェックをはずし、またはそこは動かなくても
他が動けば大丈夫とする。これがCPUの種類の差を生むのだ。

製品の価格を下げる場合に、この検査を省くことや、
もしくは異常事態に対する対策を入れないと言うことは
良くやられる手法である。

たとえば「他社と同じ位の性能で十分」という言い方をされる場合がある。
しかし、その「同じ性能」が本当に妥当であるかどうかの
検討はしないのである。
また、仮に性能的に下であっても「安物だから」で済ませ対策はしない
ことがある。逆に対策したら「高くなる」で却下する。

考えられる対策をするのではなく、問題起こさない方が大半なら
対策しないことにする。ここで「問題を起こす」と言っても「基準があいまいだ」
などと言われ却下される。
私も製品を作っている中でこういう言い方をされることがある。
私の口からどこの製品がそうだとはいえないが、作っていて非常に不安と
憤りを感じる。

これが今の安物の原点である。
安い物はやはり安いなりなのである。
うまく動けば御の字、うまく動かないことも多く発生するのである。
(そういう時は修理か交換。)

    ・・・

もっとも、安さはそういったマイナス面だけから出来る物ではない。
本当に不要な費用を省いてなされる場合もある。
構造を変更したり、中間マージン省いたりである。

1つハードディスクの例を見てみよう。
ハードディスクのメーカーはかつてかなりあったが、今3.5インチIDEモデル
(デスクトップPCで使われる物)で残っているのは、Maxtor(マクスター)、
Seagate(シーゲート)、WesternDigital(ウエスタン
デジタル)の事実上3社だけである。

Quantum(カンタム;実製造をしていたのは松下寿)、IBMや富士通は
性能(特に対振動性)で優秀だったが撤退してしまった。
(富士通は資料もすばらしかった。)
優秀な分製造コストが高かったということだろう。
売値は決して高くなかったが、その分利益を圧迫していたようだ。
(IBMのハードディスク部門はごく最近日立に買収されたが、
IBMのは他社に比べて高かった。40Gなら、他社に比べ5千円高かった。)
結局残ったのは先の3社、安かろう悪かろう品である。

ここで私見であるが、この残っている3社の中で1つ選ぶならMaxtorである。
分解するとわかるのだが、一番構造的に綺麗である。
安いがそこそこ出来ている。
振動性能も撤退した3社に比べればずっと悪いが
他の2社に比べればまし。でも壊れる時は一発だが。。

やはり残っているメーカーの物は、もコストを下げるために工夫されている。
QuantumのHDDなんて本当に複雑だった。ねじも多く、これでは行程が
多くて価格は下がらんだろうと思った。

性能もそこそこに押さえられてはいる。でもそれ以外にも
コストダウンの研究はされている。
それはそれで評価すべきではあるが、やはり性能も下がっていることは
事実である。まあ、今HDDでもっとも重要視されるのは容量なので、
それさえ十分なら良い、という意見もありそうだが。

また、HDDでもノートPCで使われる2.5インチや、
3.5インチでもサーバーで使われるSCSIタイプは
性能重視なので価格が高く、その分メーカーが残っている。
富士通もその分野ではまだやっている。
2.5インチでは東芝が世界一のシェアを持っている。
(2番がIBMだった。)

    ・・・

アメリカは「市場解放による価格破壊は消費者の利益につながる」などと
ほざいている。

アメリカの人件費は日本よりずっと低い。だから安く物が出来るのは
あたりまえ。それを日本人が買ってしまうと、結局自分の首を
締めることになるのである。

それ以前に、そのものを買ってことによってその会社に与えた利益は
多くがアメリカに行ってしまうので、日本は損をするのである。

もう一度書くが、安い物を作る・売ると言うことは、それだけ自分の人件費も
おさえなくてはならないのだ。
それが、自分は高い給料をもらいながら、安い物を買おうとするところに
間違いがある。

自分の物は高く買って欲しいが、他人の物は安く買いたたくでは経済は成り立たない。
正当な労働/品質に対しては、その国の経済から見て正当な
対価を支払うべきなのである。
今、いろいろな物の価格が安くなったと喜んでいる人間は、
その分自分の給与(=行動に対する金銭的評価額)も下がると
言うことを了解しなければ成らない。

    ・・・

実は、デフレの真の恐さはここにある。

    「お互いの価値を認められなくなる」

価格が下がるからと言って喜んでいたら、痛い目を見るのだ。
デフレ進行は、自分および他人の評価を下げることである。
正当評価出来合えなくなれば、価格に意味付けがなくなり、
安さだけが先行する。
すると、自ずと体力勝負となって、弱いところは潰れる。
これが購買力(購買出来る人間の数と言っても良い)を低下させ、
一層購買が下がり、やがては全ての者が体力を失って壊滅する。

インフレは価格が上がるのでいけないような気がするが、
実はそうではないのだ。
価格に対する正当な評価が出来ている状態なのだから。

「額」の話をすると、直ぐに安ければ良い的な発想をする人や政党があるが、
大間違いなのである。
消費税を下げても購買力は一時的にしか上がらない。

それが大事な場合もあるが、今の場合は特に、
人に価格の意味と在り方を真に理解させるべき時ではなかろうか。
それが出来なければ、デフレは解消しない。

日本経済の復活には一番必要なのは、
「価格」に対する国民の意識の変革なのである。
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