「風格のない日本人」(1996年07月08日〜07月18日号)
さて、日本人というものは、風格というものを
台無しにさせる点では世界一かもしれない。
伝統を重んじないと言うべきか。
他の国では風格があり気品のあるものが、日本ではファッション化して
バカモノ、もとい、若者のお遊びになったりする事が多いのだ。
いくつかの例を見てみよう。

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たとえばスキー。
ノルウエーなど北欧では子供から大人まで遊べるスポーツとなっている。
自然を楽しむスポーツである。
ところが、日本では若゛者のファッションになっている。
もちろんそうでない人もいるが、多くはそうだ。
スキー上は山を深く削り、自然を楽しもうと言う気配が少ない。
マナーの低さ、特にスキー上の汚さは見るに耐えない。
「アフタースキー」などと言う言葉があるのはその典型だ。

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たとえばゴルフ。
日本ではどうも接待イメージが強い。
そうでなくても、ゴルフ会員権などというものが高値で売られ、
一種の財産となっている。コースを回るのにもお金がかかる。
ゴルフ=金持ちの道楽的イメージがある。
バブルの象徴でもあった。
外国ではパブリックコースといって、会員以外でも誰でも出来るコースが
多いし、公営だってある。日本では少ない。
さらに、芝を守るためと称した農薬散布は付近の川や土地を汚す。
キャディーさんが軒並み健康不良だという事実はあまり知られていないが、
手足がしびれるようなことはよくあるのだ。
(芝の農薬が朝方に水蒸気とともに蒸発し、それを吸い込んだ人に障害が
起こるのだ。)
日本のゴルフは精神にも体に悪い。

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たとえば競馬。
本来はイギリス貴族のお遊びだ。
ところが日本では単なる賭事に過ぎない。
最近は有名タレントによる宣伝でイメージを変えようとしたり、
競馬場でいろいろなイベントをして家族で遊べる施設として
売りだそうとしているようだが、所詮はギャンブルである。
実際、開催される当日に駅にでも行けばわかる。
(地元の人がえらく苦労というかいやがっている話はよく聞く。)

事実として、競馬場(競輪なども同じ)等の近くでは開催された日の
治安が非常に悪い。すった人間が腹いせに泥棒に入ることがあるのだ。

競馬場をこういう連中が集まるところにおとしめたのは日本人である。
公営ギャンブルは、その収益がかなり大きい。
それを持っているところは税収が高く、金の面で自由がきく。
だから、いくら治安が悪いと言われても、地元がいやがっても
滅多に閉鎖されることはない。「必要悪」とされているところがある。
(原発も同じ。)そして、その経営者が名誉市民になったりしているが、
一部では大きく問題になっている。
結局、日本では「金」のための場所に過ぎない。

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たとえばアウトドア。
本来は自然を楽しむものだが、どうも野外でどんちゃん騒ぎをする程度に
思っている奴らが多い。
大きな車で山の中まで平気で入り込む。排気ガスが自然に悪いということを
考えないのだろうか。それよりも、せっかくのきれいな空気を汚してどうする。
バーベキューをするにしても、ゴミを散らかしてゆく。
マウンテンバイクは入っては行けないところに入り、山肌を削ってしまう。
海外でこんなばかなことをすれば、即刻退場である。

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食文化だってそうだ。
外国の食べ物で日本に入ってきてむちゃくちゃになったものがある。
ハンバーガー。ピザ。コーンビーフ。ビールにソーセージ。
その他いくらでもある。
日本人の口(や体格)に合わせたと言えば聞こえが良いが、
単に営利追求、おしゃれさの追求で元の味などは2の次。
それで「あの食べ物はまずい」などといっては、原産国の人に申し訳ない。

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この他、テニスや先の高級車の例もある。

日本人は他国の作った文化を大切にしない。
それを取り込むのはかまわないが、それの持つ風格を無視して勝手に
ねじ曲げるのは良くない。
まだそれが日本国内でなら許されもしようが、ねじ曲げたものを
逆にその発祥の国に持ち込もうとするからいけない。

そういうことを平気でするから、日本人は世界から嫌われるのだ。
誰だって、自国の文化を踏みにじられたらいい思いはしないはずだ。
一見他国の文化を吸収しているようで、それは上辺だけ。
中身というか、精神はちっとも理解しない。
まあ、日本人は自国である日本の文化でさえ平気でつぶす民族だから、
ましてや他国のものなんて、かもしれないが。

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少し余談になるかもしれないが、日本人がここまで伝統を軽んじるようになった
原因には「明治維新」があると思っている。
明治維新の時、新制政府は仏教文化を否定し、神道で統一しようとした。
また、日本の古来の伝統を否定して西洋化を半ば強制的に
押し進めようとした。
過去におけるこのような行動が、今を持って日本人に文明を尊重するという
考えを持たせない現況ではないかと思うのだ。

ここで、廃仏毀釈についてのみ見てみよう。
神道を中心にしようとすることはそれはまだよい。
しかし、仏教のお寺を廃し統合させよ、それまで人々の信仰の中心であった
場所を捨てよと言うのだ。
お寺は単なる仏教の象徴だけでなく、心の拠り所であり、
お祭りなどでは舞台ともなるところであり、人々の生活に深く結びついていたのだ。
これを捨てろと言うのだから、これほど伝統を無視した行為はない。

そもそも、天皇だから神道だけかというと、これは大きな間違いである。
歴史を見ると良い。天皇家の位牌が全国のお寺にあるし、
お寺で天皇のための行事があったし、お寺を建立し、庇護してきたのだ。
逆に、弘法大師が神様のために祈ったり、上人と呼ばれる人が
いろいろな場面において神の加護に感謝しているのだ。
そう、日本においては「神仏一体」が「あたりまえ」であったのだ。

信じてきた物を平気で捨てるような民族が、何事においても
勝てるはずはないし、世界一になれるはずもない。

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もちろん、すべての人がそうだと言うわけではない。
中にはまじめな人もいる。ちゃんと根本を理解している人、
しようとしている人もいる。
でもそれは少数であり、「ブーム」という名の下に、多くのバカモノがいる
というのも事実なのだ。

日本人は、経済発展する中でなんでも経済優先で、
精神面をおろそかにしてきた。いまだにそうで、
マスコミは人をあおるだけ、メーカーはその勢いに乗って作るだけ。
その本来の意味、意義、その後のことなどはほとんど考えない。
高級車の時の結論に近いが、ブームにのるだけの人間というのは、
自分の意見や判断を持っていない人間だ。
そういう奴等は、実に惨めだ。

自分の意志で考え、たとえブームによってそのことを知ったとしても、
その中に含まれる意義を自ら判断し、理解する必要があるのだ。
そうすれば、ブームが去ったら「はいさよなら」ということもなくなり、
より深い理解が得られるのだ。

もう一度原点に立ち返り、自分たちは何を受け継ぐのか。
その意味は何なのかを考えていきたい。
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